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山本周五郎『やぶからし』を読みました。

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 今日、山本周五郎の短編集『やぶからし』(1882)を読み終えました。
 5月頃、BSジャパンの火曜ドラマ『山本周五郎時代劇 武士の魂』第4話「山だち問答」(的場浩司主演)を見ました。心に残る作品だったので、原作を探したら、この短編集に収録されていました。
 この短編集について、文庫本ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 生まれついての放蕩がやまずに勘当され、爐笋屬らし瓩伴嘲するような前夫のもとに、幸せな家庭や子供を捨ててはしる女心のひだの裏側を抉った表題作。美しい妹の身勝手さに運命を変えられた姉が、ほんとうの幸福をさがし求めるまでを抑制された筆でたどった『菊屋敷』。ほかに、『避けぬ三左』『孫七とずんど』『山だち問答』『「こいそ」と「竹四郎」』『ばちあたり』など、全12編を収める。

【収録作品】(初出)
入婿十万両(『婦人俱楽部』昭和11年11月号)
 大坂の豪商の伜が讃岐多度津の京極家の重臣の家に婿入りし、藩の財政立て直しに尽力します。そして、彼を拒み続けた妻もやがて彼を夫と認めるようになります。
 女性を軽視した、男のひとりよがりの物語だとも読めます。女性が読んだら、「女を甘くみるな」「馬鹿にするな」なんて言われるかもしれません。しかし、男って仕事で頑張った姿を女性に、しかも最も身近な女性に認めてもらいたいものです。

抜打ち獅子兵衛(『講談雑誌』昭和15年2月号)
 主人公は「ぬきうち獅子兵衛」と称し、江戸のことさら人の集まる場所で剣術の賭け試合をしています。彼は賭け試合を武士として恥ずべきことと十分承知していますが、それには彼の主家を思う深謀遠慮があったのです 。武士同士の人情話って感じがしますが、こういうのは嫌いじゃありません。

蕗問答(『富士』昭和15年7月号)
 秋田佐竹家に仕える寒森(さむもり)新九郎は物忘れが激しく、他の藩士からは「忘れ寒森」と揶揄されています。彼は主君に諫言しようと江戸に向かいますが、途中何を諫めようとしたのかを忘れてしまいます。それ以降は、まるで落語のような展開になります。

笠折半九郎(『講談俱楽部』昭和16年3月号)
 紀伊家の中小姓・折笠半九郎は親友の畔田小次郎とふとしたことから喧嘩となり、お互い引くに引けなくなり、果し合いで決着することになります。ところが、その直前和歌山城下が大火となり、小次郎は兼務する西丸角櫓の番頭として防火に死力を尽くすことになります。半九郎は番士17名を率いて西丸角櫓を守り切ります。しかし、その後持ち場を守りきれなかった藩士たちが恩賞を受ける中、半九郎に恩賞を与えられることはありませんでした。そのことが様々な憶測や反目を生み、半九郎と小次郎は再び果し合いをすることになります。
 ここで主君頼宣が登場し、その家臣思いの心情を半九郎に語りますが、それを「忖度」しろといっても無理だったように思います。やっぱり、言わなきゃわからないと思います。

避けぬ三左(『講談俱楽部』昭和16年12月号)
孫七とずんど(『講談雑誌』昭和18年6月号発表「一番槍」改題)
 いずれも徳川四天王の一人、榊原康政の家来が主人公です。三左(国吉三左衛門)も孫七(柿ノ木孫七郎))もかなりの変わり者です。

鉢の木(『講談雑誌』昭和19年6月号発表「鎧櫃」改題)
 この作品が発表された昭和19年6月頃は戦況が悪化し、新聞紙上には「玉砕」の文字が見られるようになっています。そして、「一億玉砕」という言葉が使われるようになるのも間もなくです。そういった情勢下で書かれたことを理解して読むべき作品です。
 この作品の主人公・壱式四郎兵衛は、主君の意にかなわぬことがあって勘当されましたが、いつか許され必ず帰参できると信じていました。家康が会津の上杉征伐に乗り出すと、石田三成はその隙を突き、徳川軍1,800が守る伏見城を4万の兵で襲います。いわゆる伏見城の戦いで、関ヶ原の戦いの前哨戦です。四郎兵衛の主君・鳥居元忠は伏見城の守将として、ここで討ち死にすることになります。
 四郎兵衛は行けば必ず死ぬであろう伏見城へと向かいます。昭和19年当時の戦況と伏見城の守備兵の状況をオーバーラップさせ、登場人物に「ゆき着けば 死ぬときまっている戦場へ、あれほどのよろこびを以て駆けつけてゆくとは、悲壮でも壮絶でもなくよろこびを以て、さむらいの生きかたとは、なんと羨むべきものだろう 」と語らせています。

菊屋敷(昭和20年10月講談社刊『菊屋敷』初収)

山だち問答(『講談雑誌』昭和21年6月号)
 郡(こおり)玄一郎は「武士に二言はない」と言って、山だち(山賊)に対しても信義を貫きます。そんな彼の生き方が肯定的に描かれていて、とってもハートウォーミングな作品です。

「こいそ」と「竹四郎」(『キング』昭和27年12月号)

やぶからし(『週間朝日増刊号』昭和34年7月)
 この短編集の表題作。「わたくし」という女性一人称の語りは、太宰治の作品を思い起こさせます。
 「やぶからし」とは、伸びるとほかの木に絡まってその木を枯らしてしまう草のことで、それは竹藪さえも枯らしてしまうという。主人公の元夫が自身をたとえた草の名前です。

ばちあたり(『小説新潮』昭和35年1月号)

【参考】山本周五郎について、文庫本ブックカバーのプロフィールを引用します。(一部改編)
 1903-67。山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926(大正15)年4月「須磨寺附近」が『文藝春秋』に掲載され、文壇出世作となった。「日本婦道記」が1943(昭和18)年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞。1958(昭和33)年、大作「樅ノ木は残った」を完成。以後、「赤ひげ診療譚」(58)「青べか物語」(60)など次々と代表作が書かれた。

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