今日、水戸に茨城県近代美術館開館30周年記念特別展「ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで」(9月4日~11月18日)を見に行ってきました。
タイトル通り、モネやルノワール、ピカソの作品を中心に72作品が出展されており、かなり見応えのある内容になっていました。自宅から車で1時間半かけて行った甲斐がありました。
また、作品の約半分は写真撮影が可能で、僕も気に入った何点かをiPhone8で撮影しました。この展覧会の顔になっているルノワールの「レースの帽子の少女」が撮影可能だったのには驚きました。
先日の仏像展で音声ガイドを利用したので、今回も使ってみました。TBSアナウンサー堀井美香さんのナレーションはとても聴きやすく、説明にもなるほどと思いました。でも、もう音声ガイドは仏像展でも美術展でも利用しないことにしました。作品と一対一で向き合うときに、他人の声や余計な知識は邪魔になります。たとえ作品に対する見方や感じ方、理解が不十分だったとしても、向き合って感じたこと、考えたことを心に残せればそれでいいと思います。知識はあとで図録等で補えばいいし、もし見落としに気づいたら、もう一度見に行けばいいでしょう。
特別展を見た後、常設展を見ました。茨城県近代美術館所蔵のモネやルノワール、横山大観などの優れた作品が展示されていました。今回、中村彝の作品が数多く展示されており、特に印象に残りました。
タイトル通り、モネやルノワール、ピカソの作品を中心に72作品が出展されており、かなり見応えのある内容になっていました。自宅から車で1時間半かけて行った甲斐がありました。
また、作品の約半分は写真撮影が可能で、僕も気に入った何点かをiPhone8で撮影しました。この展覧会の顔になっているルノワールの「レースの帽子の少女」が撮影可能だったのには驚きました。
先日の仏像展で音声ガイドを利用したので、今回も使ってみました。TBSアナウンサー堀井美香さんのナレーションはとても聴きやすく、説明にもなるほどと思いました。でも、もう音声ガイドは仏像展でも美術展でも利用しないことにしました。作品と一対一で向き合うときに、他人の声や余計な知識は邪魔になります。たとえ作品に対する見方や感じ方、理解が不十分だったとしても、向き合って感じたこと、考えたことを心に残せればそれでいいと思います。知識はあとで図録等で補えばいいし、もし見落としに気づいたら、もう一度見に行けばいいでしょう。
特別展を見た後、常設展を見ました。茨城県近代美術館所蔵のモネやルノワール、横山大観などの優れた作品が展示されていました。今回、中村彝の作品が数多く展示されており、特に印象に残りました。
◆展覧会の見どころ(茨城県近代美術館HPより、一部改編)
1 印象派の誕生:モネとルノワール
印象派の先輩格にあたるエドゥアール・マネ、写実主義(レアリスム)の画家ギュスターヴ・クールベから展覧会は始まります。クロード・モネ、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロら印象派を代表する画家の作品と共に、戸外制作、近代生活にふさわしい主題やモティーフ、「筆触分割」(色彩が濁るのを避けるために、原色や原色に近い色を混色せずにキャンヴァス上に併置する印象派に特徴的な技法)による明るい色彩と光の表現といった、印象派の特徴やその展開をご紹介します。
※作家ごとの作品数
エドゥアール・マネ1 ギュスターヴ・クールベ2 ウジェーヌ・ブーダン3 クロード・モネ8 アルフレッド・シスレー4 カミーユ・ピサロ3 アルマン・ギヨマン2 ピエール・オーギュスト・ルノワール8(うち、1点は彫刻)
2 色彩の解放:セザンヌからフォーヴへ
印象派の影響を受けつつそれを乗り越えようと試みたポスト印象主義の代表的な画家、ポール・セザンヌは、20世紀の前衛芸術運動に大きな影響を与え、「近代絵画の父」とも言われています。本章では、鮮やかな色彩と堅固な画面構成の均衡をめざしたセザンヌの名品5点を紹介します。そして、強烈な色彩表現を追及した「フォーヴ」の旗手として活躍しやがて色彩と線描の調和を志向したアンリ・マティス、フォーヴを経てセザンヌに傾倒し、その後モノクロームを基調とする独自の色彩表現にいたったモーリス・ド・ヴラマンクなどを紹介するとともに、エコール・ド・パリの画家として活躍したキース・ヴァン・ドンゲン、キスリングなどもあわせ、色彩が現実の再現から解放されていく諸相をたどります。
※作家ごとの作品数
ポール・ゴーガン1 ポール・セザンヌ5 モーリス・ド・ヴラマンク4 ピエール・ボナール3 アンリ・マティス3 アルベール・マルケ4 オーギュスト・エルバン1 キース・ヴァン・ドンゲン4 キスリング2 ラウル・デュフィ2
3 造形の冒険:ピカソとブラック
キュビスムという、20世紀初頭の造形革命を牽引したパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラック。ルネサンス以来の絵画の伝統、遠近法を用いて対象を本物そっくりに描くという絵画の役割を根底から覆した2人の画家の、生涯にわたる造形の冒険を紹介します。フォーヴの洗礼を受けた若き日のブラックの風景画やキュビスムを経た後の静物画、ピカソのキュビスム時代の作例からギリシャ・ローマなどの古典美術を思わせる量感豊かな人物像、晩年の肖像画まで、2人の巨匠の多彩な実験の成果をご覧いただきます。
※作家ごとの作品数
ジョルジュ・ブラック4 パブロ・ピカソ8
印象派の先輩格にあたるエドゥアール・マネ、写実主義(レアリスム)の画家ギュスターヴ・クールベから展覧会は始まります。クロード・モネ、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロら印象派を代表する画家の作品と共に、戸外制作、近代生活にふさわしい主題やモティーフ、「筆触分割」(色彩が濁るのを避けるために、原色や原色に近い色を混色せずにキャンヴァス上に併置する印象派に特徴的な技法)による明るい色彩と光の表現といった、印象派の特徴やその展開をご紹介します。
※作家ごとの作品数
エドゥアール・マネ1 ギュスターヴ・クールベ2 ウジェーヌ・ブーダン3 クロード・モネ8 アルフレッド・シスレー4 カミーユ・ピサロ3 アルマン・ギヨマン2 ピエール・オーギュスト・ルノワール8(うち、1点は彫刻)
2 色彩の解放:セザンヌからフォーヴへ
印象派の影響を受けつつそれを乗り越えようと試みたポスト印象主義の代表的な画家、ポール・セザンヌは、20世紀の前衛芸術運動に大きな影響を与え、「近代絵画の父」とも言われています。本章では、鮮やかな色彩と堅固な画面構成の均衡をめざしたセザンヌの名品5点を紹介します。そして、強烈な色彩表現を追及した「フォーヴ」の旗手として活躍しやがて色彩と線描の調和を志向したアンリ・マティス、フォーヴを経てセザンヌに傾倒し、その後モノクロームを基調とする独自の色彩表現にいたったモーリス・ド・ヴラマンクなどを紹介するとともに、エコール・ド・パリの画家として活躍したキース・ヴァン・ドンゲン、キスリングなどもあわせ、色彩が現実の再現から解放されていく諸相をたどります。
※作家ごとの作品数
ポール・ゴーガン1 ポール・セザンヌ5 モーリス・ド・ヴラマンク4 ピエール・ボナール3 アンリ・マティス3 アルベール・マルケ4 オーギュスト・エルバン1 キース・ヴァン・ドンゲン4 キスリング2 ラウル・デュフィ2
3 造形の冒険:ピカソとブラック
キュビスムという、20世紀初頭の造形革命を牽引したパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラック。ルネサンス以来の絵画の伝統、遠近法を用いて対象を本物そっくりに描くという絵画の役割を根底から覆した2人の画家の、生涯にわたる造形の冒険を紹介します。フォーヴの洗礼を受けた若き日のブラックの風景画やキュビスムを経た後の静物画、ピカソのキュビスム時代の作例からギリシャ・ローマなどの古典美術を思わせる量感豊かな人物像、晩年の肖像画まで、2人の巨匠の多彩な実験の成果をご覧いただきます。
※作家ごとの作品数
ジョルジュ・ブラック4 パブロ・ピカソ8
以下、印象に残った絵を紹介します。(展示順、写真は図録をコピー。ただし、ルノワール「レースの帽子の少女」は会場にてiPhone8で撮影)
◆ウジェーヌ・ブーダン「トリスタン島の眺望、朝」(1895)
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空と海の変化に富む表情が見られるフランス北西部にある各地の景勝地を、ブーダンはくまなく訪ねている。トリスタン島は、ブルターニュのフランス有数の漁港のある町ドゥアルヌネの湾内に浮かぶ小島。灯台と集落があり、干潮時には陸続きとなる。ドゥアルヌネ湾はカンペールから北西約30km、北をクロゾン半島、南をシザン半島に囲まれたリアス式海岸の入江である。トリスタン島は『トリスタンとイゾルデ』の登場人物トリスタンが仕えたおじのマルク王の別荘があった島と言われている。中世には小さな修道院が建てられ、16世紀には海賊の根城として使われた歴史があり、ブーダンが1855年にこの地を訪れて以来、多くの画家たちの関心を惹き付けた。
ブーダンはトリスタン島を望むドゥアルヌネ湾岸の風景を、朝夕と異なる時間帯に描いている。本作品は朝の後継である。澄んだ光を画面に充満させ、エメラルド色を帯びた穏やかな青い海や、険しく入り組んだ岩場の表情、遠くに見える教会の尖塔や家々などの建物を、筆触を変えてその質感をとらえながら克明に描き込んでいる。やわらかな雲を大空にたなびかせ、1日の始まりを告げる清々しい潮風を巧みに表現している。(図録より)
※ウジェーヌ・ブーダン(1824~98)ブーダンはトリスタン島を望むドゥアルヌネ湾岸の風景を、朝夕と異なる時間帯に描いている。本作品は朝の後継である。澄んだ光を画面に充満させ、エメラルド色を帯びた穏やかな青い海や、険しく入り組んだ岩場の表情、遠くに見える教会の尖塔や家々などの建物を、筆触を変えてその質感をとらえながら克明に描き込んでいる。やわらかな雲を大空にたなびかせ、1日の始まりを告げる清々しい潮風を巧みに表現している。(図録より)
ル・アーヴルで画材店を開いていたブーダンは、そこでミレーやトロワイヨンらと知り合い、画家となる決心をする。フランスやヨーロッパ各地を旅して風景を描いたが、とくに故郷に近いノルマンディー地方の海岸を活動の中心とし、明るい外光表現を大胆に取り入れた海景画を数多く制作した。若きモネを戸外での制作に開眼させた画家であり、「サロン」(官展)に海景画の出品を続けつつ、第1回印象派展にも出品している。海景画は空が大半を占め、刻々と移り変わる大気の表情を鋭い観察眼でとらえ、コローはこの画家を「空の王者」と称えている。戸外での自然観察を重視したその風景画は、バルビゾン派から印象主義への架け橋となった。(図録より)
この絵を見たとき、とても心惹かれました。なぜだろう? 空と雲の描き方が好きなんだと思いました。上の解説を読んで納得しました。
◆クロード・モネ「散歩」(1875)
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本作品は、モネが1871年から1878年まで住んでいたパリ近郊のアルジャントゥイユとセーヌ河をはさんで対岸に位置するジュヌヴィリエで制作された。ここでモネが描いているのは、自然豊かなアルジャントゥイユで幸福に満ちた生活を送っていた自分の家族の日常生活の一場面である。さわやかに晴れ渡った空と広々とした草原の広がりが、遠近法によって表された並木で強調されている。前景の木陰のなかに描かれた日傘をさす女性は、モネの最初の妻であったカミーユ、中景に最小限の筆触で示されているのは乳母と息子のジャンである。ジャンはこの年8歳になるが、モネの記憶に残る幼児期の小さな姿で描かれる。
モネはこの頃から戸外の光に包まれた人物像の表現を追求するために、パラソルをさし、白いドレスを身につけた女性像を繰り返し描いている。本作品のように自然の風景のなかの点景人物として、または人物像を大きくとらえた作品においても、モネは伝統的な絵画のルールに反して、顔の表情など人物の特徴を描写することはなかった。本作品では、モネのすばやい筆遣いにより、草木も散歩する人物たちも同様に陽の光を浴びて、多彩な色彩を帯びて一体化している。(図録より)
※クロード・モネ(1840~1926)モネはこの頃から戸外の光に包まれた人物像の表現を追求するために、パラソルをさし、白いドレスを身につけた女性像を繰り返し描いている。本作品のように自然の風景のなかの点景人物として、または人物像を大きくとらえた作品においても、モネは伝統的な絵画のルールに反して、顔の表情など人物の特徴を描写することはなかった。本作品では、モネのすばやい筆遣いにより、草木も散歩する人物たちも同様に陽の光を浴びて、多彩な色彩を帯びて一体化している。(図録より)
モネは幼年期から青年時代まで港町ル・アーヴルで過ごしている。若き日にブーダンと出会って、自然の美を直視し、戸外で制作することの素晴らしさを学んだ。1859年にパリに出て、アカデミー・シュイスに通いピサロと知り合う。その後、シャルル・グレールのアトリエに通い、ルノワールやシスレーと出会った。パリでクールベやマネの作品から刺激を受けるが、20代のモネは困窮し、パリ近郊のセーヌ河沿いの町に移り住む。やがて水面の揺らめきや、自然が移りゆく瞬間をとらえるため、色彩を断片に分割した筆致を用い始め、印象派展に参加する。40歳代からジヴェルニーに定住し、「積みわら」「ルーアン大聖堂」などの連作を手がける。86歳で亡くなるまで邸内の庭の池に浮かむ睡蓮を描くことに没頭した。(図録より)
モネと言うと、「印象・日の出」(1872)や「散歩、日傘をさす女性」(1875)、「睡蓮」の連作が思い浮かびます。この作品を見て、すぐに「散歩、日傘をさす女性」を思い出しました。この展覧会でモネの作品に触れ、彼の作品をもっと見たいと思いました。Wikipediaによれば、彼の作品は「油彩2000点、デッサン500点、パステル画100点」「『睡蓮』の作品群は約300点」だそうです。近いうちに、上野の国立西洋美術館に彼の作品を見に行こうと思います。
◆ピエール・オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」(1891)
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レースを贅沢にあしらった帽子をかぶる少女が、夢みるような表情の横顔をのぞかせている。栗色のまつ毛に縁どられた青い瞳と、艶やかな珊瑚色の唇が、慎ましくも魅惑的な輝きをたたえている。繊細な顔立ちに対して際立っているのは、軽やかにして立体感をもつ帽子の形態を巧みにとらえた、簡潔な筆致である。白いドレスの袖は、赤みや青みを帯びた光沢を放ち、1890年代初頭に迎える「真珠色の時代」の呼び名にふさわしい描写と、衣服の質感に対するルノワールの鋭い感性が発揮されている。
ルノワールは1880年代末から、18世紀のロココ絵画を意識した女性像を集中して手がけており、本作品にみられるような甘美な魅力にあふれる少女像は、1890年頃より描かれるようになる。この時期、ルノワールは、画家のベルト・モリゾとエドゥアール・マネの弟ウジェーヌの夫妻と親しく交流し、夫妻の娘であるジュリー・マネとその従姉妹で幼馴染であるジャンヌ・ゴビヤールと親しく休暇を過ごすことがあった。本作品のモデルは定かではないが、画家の身近な存在であった美しい少女たちが、彼に豊かな着想と生命感あふれる表現をもたらしたのだろう。(図録より)
※ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841~1919)ルノワールは1880年代末から、18世紀のロココ絵画を意識した女性像を集中して手がけており、本作品にみられるような甘美な魅力にあふれる少女像は、1890年頃より描かれるようになる。この時期、ルノワールは、画家のベルト・モリゾとエドゥアール・マネの弟ウジェーヌの夫妻と親しく交流し、夫妻の娘であるジュリー・マネとその従姉妹で幼馴染であるジャンヌ・ゴビヤールと親しく休暇を過ごすことがあった。本作品のモデルは定かではないが、画家の身近な存在であった美しい少女たちが、彼に豊かな着想と生命感あふれる表現をもたらしたのだろう。(図録より)
ルノワールはフランス中部の町リモージュで、仕立屋の父とお針子の母の息子として生まれた。一家はパリへ移住し、ルノワールは13歳で陶器の絵付工として働き始める。画家を志してルーヴル美術館でルーベンスやフラゴナールの絵画を模写し、シャルル・グレールのアトリエに通い、生涯の友情を結ぶことになるモネ、シスレーらと出会う。1870年代には都会の風俗を明るい色彩で描き、印象派展に参加した。数年後には肖像画がサロンに入選し、パリの裕福な注文主から肖像画や邸内の装飾の依頼が集まり、人気作家となる。1880年代半ば以降、明確な輪郭線と立体描写による古典主義的な表現に向かう。晩年まで明るい色彩とやわらかに溶け合うような筆致で、女性の肖像画、裸婦像などを精力的に手がけた。(図録より)
この展覧会の主役です。この絵が撮影可能ということに驚きましたし、とても感激しました。図録の写真や絵ハガキに比べたら、自分ではそれほど綺麗に写せないと思いますが、いつもデータとして持ち歩けるのがいいです。
◆ピエール・ボナール「ミモザのある階段」(1946頃)
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ボナールは晩年に自邸「ル・ボスケ」の庭を舞台に多くの作品を残した。本作品では邸宅のある敷地から咲き誇るミモザへと向かう階段を中心にした光景を描いている。ゆるやかな弧を描く階段の周囲には色とりどりの花が咲き乱れ、その中腹には日傘をさした女性とその家族がたたずむ。濃い黄で描かれたミモザの他にも、画面の右には緑の葉があざやかな背の高い樹木が並び、階段の脇には丸い茂みがあり、さらにオレンジやピンク色の花々が隙間なく庭の斜面を覆い尽くしている。青い空を背景に画面の上から柳のように枝を垂らす植物の生む構図には、かつてボナールが憧れた日本美術からの影響をうかがうことができるだろう。起伏に富み、色とりどりの花々にあふれたこの庭は、地中海沿岸の明るい光の下に萌え出る自然の生命力を豊かに表現している。その中でもあざやかに咲き誇るミモザの花は、ボナールにとって愛する庭を象徴する植物であり、彼の晩年作の中に頻繁に描かれた。(図録より)
※ピエール・ボナール(1867~1947)パリに出てアカデミー・ジュリアンで学び、モンマルトル近辺にアトリエを構えた。1888年、ゴーガンの絵画思想をもとに結成されたグループ「ナビ派」(「ナビ」はヘブライ語で「預言者」の意)のメンバーに加わり、セリュジエ、ヴュイヤール、ドニらと親交を結ぶ。浮世絵に心酔し「日本かぶれのナビ」と称され、日本美術に影響を受けた斬新な構図やあざやかな色彩を生かして、ポスターや装飾美術においても才能を発揮した。その後はモネやルノワールなど印象派の画家たちに学びながら、その表現を引き継ぎつつ、平面的な画面構成に基づいた独自の色彩表現を追求し続けた。1939年以降は地中海を望む南フランスの町ル・カネにアトリエをかまえ、晩年まで制作を続けた。(図録より)
色彩が豊かで、こんな絵を家に飾ったら、家の中が華やかになるだろうと思います。
◆アンリ・マティス「襟巻の女」(1936)
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マティスは生涯にわたって女性像に取り組み、さまざまなスタイルによって肖像画を制作し、探求を続けた。本作品は、黒い髪の女性が椅子に座り、右腕を肘掛にのせてくつろぐ場面を描いている。マティスは中央に座る女性を境にして、背景を大胆に青と黄色に塗り分け、さらに黒い線描によって格子模様をほどこしている。背景と同じ模様のスカートを身につけるこの女性は、正面へと黒い瞳を向け、赤い唇で微笑みかけている。女性の首元でたなびく襟巻の自由な動きは、背景の幾何学的な模様と対照的なリズムを奏で、お互いの特性を強調している。全体に用いられた黒い線描は、緻密な構成が生み出す緊張感を和らげるように即興的で洒脱な雰囲気を画面にもたらしている。色彩と線描、安定と躍動など、様々な要素が響き合い、全体を一つの調和へと導いている。(図録より)
※アンリ・マティス(1869~1954)はじめ法律家を目指していたが、30歳頃から画家を志し、パリの国立美術学校でギュスターヴ・モローのもとで学ぶ。シニャックら新印象派の点描技法を取り入れつつも、彼らの理知的な手法に反発しドラン、マルケ、ヴラマンクらとともに対象の固有色にとらわれないあざやかな色彩で描いた作品を1905年のサロン・ドートンヌに出品したため、「フォーヴ」(野獣)のようだと表現される。「フォーヴィスム」の旗手として20世紀初頭の前衛芸術運動を牽引しつつ、1910年代には南仏の陽光に魅せられ、ニース近郊に滞在して独自の色彩感覚を開花させた。絵画をはじめ彫刻や装飾芸術を通して、人体表現を単純化しながら色彩と線との調和を目指し、その研究は切り紙絵を原画とする挿絵本『ジャズ』に結実した。(図録より)
この絵は僕の部屋に飾りたいと思いました。でも、こんな素敵な女性にいつも見られていたら、ちょっと恥ずかしいかも。
◆オーギュスト・エルバン「陽のあたる街」(1907)
![イメージ 7]()
エルバンは、本作品を制作した1907年の夏、ドイツ人美術収集家ヴィルヘルム・ウーデの招きで、コルシカ島の港町バスティアに滞在した。この港町の風景は、海の青や樹木の緑と、黄色やオレンジ色など暖色に輝く街並みとの対比を特徴としている。本作品では、この色彩を活かしつつ、建物のファサードに陽光が照りつける一隅と木陰を対比させ、緊張感を生み出している。また陽があたる街路の並行するタッチに対し、街路樹のトンネルはジグザグのタッチで描かれ、奥行きが削り出されているようである。画家はこの色彩と筆触の効果から、空間を単純化しながら対象を浮き彫りのようにとらえる手法を確立した。(図録より)
※オーギュスト・エルバン(1882~1960)北フランスのキエヴィで機織り工の両親のもとに生まれる。初め印象派やポスト印象派の影響を受けた作品を制作していたが、1907年の夏、コルシカ島のバスティアに滞在し、色彩や筆触の探求によって、空間を単純化しながら、浅浮き彫りのような効果を生み出す手法を確立した。翌年彼は、モンマルトルの「バトー=ラヴォワール」(洗濯船)に移住し、キュビズムの影響を受けながら、やがてあざやかな色彩をもつ幾何学的なフォルムを配した抽象絵画へと歩みを進めて行く。1919年以降はフランスにおける抽象絵画の運動を牽引する存在となり、1931年には「アプストラクシオン=クレアシオン」を創設。1945年以降は、抽象芸術の重要な発表の場であったサロン・デ・レアリテ・ヌーヴェルで活躍した。(図録より)
最初見たとき、カリブ海辺りの島を想像しましたが、地中海のコルシカ島でした。そう、ナポレオンが生まれた島です。北仏生まれのエルバンからしたら、コルシカ島は太陽の光に溢れていると感じられたのでしょう。彼は感じたままを強烈な色彩と陰影で表現しているように思います。
◆グッズ・土産
・図録『ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで』
・絵ハガキ
・図録『ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで』
・絵ハガキ