昨夜、上田五千石の句集『遊山(ゆさん)』を読みました。
先日、又吉直樹と堀本裕樹の共著『芸人と俳人』を読んだら、上田五千石の以下のような句が引用されていました。彼の他の句も読みたいと思い、『遊山』を手に入れました。
渡り鳥みるみるわれの小(ち)さくなり
万緑や死は一弾を以て足る
秋の雲立志伝みな家を捨つ
まぼろしの花湧く花のさかりかな
先日、又吉直樹と堀本裕樹の共著『芸人と俳人』を読んだら、上田五千石の以下のような句が引用されていました。彼の他の句も読みたいと思い、『遊山』を手に入れました。
渡り鳥みるみるわれの小(ち)さくなり
万緑や死は一弾を以て足る
秋の雲立志伝みな家を捨つ
まぼろしの花湧く花のさかりかな
『俳句歳時記』で季語を調べながら読みました。でも、僕はこの句集を読むレベルに達していないことを痛感しました。以下、一読して気になった句を引用しようと思います。
雪の峡初心(うぶ)の日輪顕(た)ちにけり
莨火の貸借一つ枯峠
いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに
青胡桃しなのの空のかたさかな
冬空の鳶や没後の日を浴びて
オリオンの出に先んじて虎落笛(もがりぶえ)
あけぼのや泰山木は蠟の花
新しき道のさびしき麦の秋
秋蝶のたちのぼり来し深淵ぞ
かぞへゐるうちに殖えくる冬の星
渡り鳥みるみるわれの小さくなり
けふの日のしまひに雪嶺荘厳す
峡中に入る秋雲の一片と
水鏡してあぢさゐのけふの色
また黒揚羽林中の秘境より
冬浜に浪のかけらの貝拾う
咲き籠めて村は杏の乳ぐもり
冬耕を天にとどむる日和かな
山開きたる雲中にこころざす
冷(すさ)まじき青一天に明けにけり
遠山の晴間みじかし吾亦紅
凍滝(いてたき)の膝折るごとく崩れけり
開けたてのならぬ北窓ひらきけり
暮れ際に桃の色出す桃の花
長黒穂抽く巡礼の途上にて
幹赤く揃へて松の涼きはやか
谷底に日ざしもどらぬきりぎりす
しぐれ忌を山にあそべば鷹の翳
蝶と化す菜の花ばかり峠村
青芒川風川にしたがはず
すぐりの実青きを噛めば行方透く
まがりても花の杏の月夜道
山居さびしことにも苔の花ざかり
山水にしぐれの声もまぎるべし
山に寝て山路を夢に明易し
一万尺下りてきて盆の町通る
山中の一会の微笑はじめかな
光りては水の尖れる我鬼忌かな
堰といふ水の切口初紅葉
まぼろしの花湧く花のさかりかな
さみしさの道に音して落し文
澄む水に古刀のくもりありにけり
あたたかき雪がふるふる兎の目
いなづまのあとゆるやかに水ながれ
遠山に一の燈二の燈冷奴
のぼとけの千手略され草の花
野のほとけほとほと土に花うばら
天下茶屋の雲の高きに登りけり
まんさくや昼をほとびて雪の山
逆流をすこしこころみ水温む
さびしさやはりまも奥の花の月
身ひとつを旅荷とおもふ葛の花
くらがりは雨のはらつく風の盆
しぐれ忌や木曽の地酒の澄みを酌み
山眠る行く人なしの道入れて
雪の峡初心(うぶ)の日輪顕(た)ちにけり
莨火の貸借一つ枯峠
いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに
青胡桃しなのの空のかたさかな
冬空の鳶や没後の日を浴びて
オリオンの出に先んじて虎落笛(もがりぶえ)
あけぼのや泰山木は蠟の花
新しき道のさびしき麦の秋
秋蝶のたちのぼり来し深淵ぞ
かぞへゐるうちに殖えくる冬の星
渡り鳥みるみるわれの小さくなり
けふの日のしまひに雪嶺荘厳す
峡中に入る秋雲の一片と
水鏡してあぢさゐのけふの色
また黒揚羽林中の秘境より
冬浜に浪のかけらの貝拾う
咲き籠めて村は杏の乳ぐもり
冬耕を天にとどむる日和かな
山開きたる雲中にこころざす
冷(すさ)まじき青一天に明けにけり
遠山の晴間みじかし吾亦紅
凍滝(いてたき)の膝折るごとく崩れけり
開けたてのならぬ北窓ひらきけり
暮れ際に桃の色出す桃の花
長黒穂抽く巡礼の途上にて
幹赤く揃へて松の涼きはやか
谷底に日ざしもどらぬきりぎりす
しぐれ忌を山にあそべば鷹の翳
蝶と化す菜の花ばかり峠村
青芒川風川にしたがはず
すぐりの実青きを噛めば行方透く
まがりても花の杏の月夜道
山居さびしことにも苔の花ざかり
山水にしぐれの声もまぎるべし
山に寝て山路を夢に明易し
一万尺下りてきて盆の町通る
山中の一会の微笑はじめかな
光りては水の尖れる我鬼忌かな
堰といふ水の切口初紅葉
まぼろしの花湧く花のさかりかな
さみしさの道に音して落し文
澄む水に古刀のくもりありにけり
あたたかき雪がふるふる兎の目
いなづまのあとゆるやかに水ながれ
遠山に一の燈二の燈冷奴
のぼとけの千手略され草の花
野のほとけほとほと土に花うばら
天下茶屋の雲の高きに登りけり
まんさくや昼をほとびて雪の山
逆流をすこしこころみ水温む
さびしさやはりまも奥の花の月
身ひとつを旅荷とおもふ葛の花
くらがりは雨のはらつく風の盆
しぐれ忌や木曽の地酒の澄みを酌み
山眠る行く人なしの道入れて
上田五千石 1933-1997 東京都渋谷区生まれ。三男で、父も古笠(こりゅう)という俳号を持つ俳人で、五千石も幼少時より父と兄から俳句を教わった。幼時は代々木上原で満ち足りた幼年期を過ごすが、戦時に長野県へ疎開。その後、山梨県、静岡県富士市に転居。その間、1945年に東京の自宅を空襲で失った。1947年、静岡県立富士中学校(翌年静岡県立富士高等学校となる)2年に転入し、校内文芸誌「若鮎」の制作に加わる。そこで発表した加島五千石を詠んだ句「青嵐渡るや加島五千石」が校内で評判となったことから「五千石」を俳号とした。 1953年、上智大学文学部新聞学科に入学。1954年、極度の神経症に悩むが、同年秋元不死男に師事、「氷海」に入会してのち快癒した。在学中は「子午線」や関東学生俳句連盟にも参加。有馬朗人、深見けん二、寺山修司といった俳人と交流し「天狼」にも投句した。1956年、22歳で「氷海」同人。1957年、堀井春一郎、鷹羽狩行らと「氷海新人会」結成。1968年、句集『田園』により第8回俳人協会賞を受賞。1973年「畦」を創刊・主宰。1997年、解離性動脈瘤により杏林大学付属病院にて死去。63歳。「畦」主宰は娘の上田日差子が継いだ。(Wikipediaより)