Quantcast
Channel: my photo diary
Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

大岡昇平『野火』を読みました。

$
0
0
イメージ 1

今日、大岡昇平の『野火』(1952)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品。

【感想】
200ページ程度で、文体も読みやすかったけど、テーマが重すぎて、一読しただけじゃ感想は書けません。
今後、『レイテ戦記』と『俘虜記』を読み、その後『野火』を再読しようと思います。

【参考】
イメージ 2
レイテ島は、フィリピン中部、ビサヤ諸島の東ビサヤ地方に位置する島。面積は7,214㎢。

レイテ島の戦い
 1944(昭和19)年10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。
 この戦いでは8万人以上の兵士が戦死や病死・餓死でほぼ全滅した。生き残った兵士はセブ島などへ個々に脱出したが、生還率はわずか3%ともいわれる。また数多くの島民が日本軍とのゲリラ戦に参加したほか、戦闘の巻き添えで一般人も犠牲となった。
 この凄惨な戦いは大岡昇平の『レイテ戦記』ほか戦記小説に詳しい。島内には、マッカーサーのフィリピン帰還・上陸を記念したモニュメントが上陸地点のパロ海岸にあるほか、日本軍兵士の慰霊碑が各所にある。(Wikipediaより、一部改編)

大岡昇平(1909-88)
 東京生れ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。1944(昭和19)年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。'49年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受け、これが文学的出発となる。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作に『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。'71年、芸術院会員に選ばれたが辞退。(ブックカバーより)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

Trending Articles