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村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読み終えました。

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今日、村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(2015.11.25)を読み終えました。沖縄旅行に持ってきた三冊のうちの一冊で、飛行機などでの移動中、そしてホテルの部屋で読みました。

◆収録内容
・チャールズ河畔の小径 ボストン1
・緑の苔と温泉のあるところ アイスランド
・おいしいものが食べたい オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド
・懐かしいふたつの島で ミコノス島・スペッツェス島
・もしタイムマシーンがあったなら ニューヨークのジャズ・クラブ

・シベリウスとカウリスマキを訪ねて フィンランド
・大いなるメコン川の畔で ルアンプラバン(ラオス)
・野球と鯨とドーナッツ ボストン2
・白い道と赤いワイン トスカナ(イタリア)
・漱石からくまモンまで 熊本県(日本)

◆「ラオスにいったい何があるというんですか?」なんて、ラオスの人が読んだら気を悪くしそうなタイトルですが、それは著者の言葉ではないし、このタイトルの意味は次の文章にあります。
 日本からラオスのルアンプラバンの街に行く直行便はないので、どこかで飛行機を乗り継がなくてはならない。バンコックからハノイを中継地点にするのが一般的だ。僕の場合は途中ハノイで一泊したのだが、そのときヴェトナムの人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問された。その言外には「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか?」というニュアンスが読み取れた。
 さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。(「大いなるメコン川の畔で」P151)

「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。
 それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。(「大いなるメコン川の畔で」P172-173)

◆「白い道と赤いワイン」で書かれた短編小説のタイトルが気になります。「そこでちょっとした事実が明らかになる。」って、いったいどんな事実?
 イタリアで書いた短編小説のひとつに、そんな地方都市旅行のエピソードを入れたことがある。主人公がルッカという、トスカナ北西部にある町で、高校時代の級友にたまたま再会する。ルッカは中世の城壁に囲まれた美しい町だ。そこでプッチーニが生まれ、チェット・ベイカーが麻薬所持で刑務所に入れられた(不思議な組み合わせ)。二人のかつてのクラスメートは思いもよらぬ場所での再会に驚きつつ、レストランに入り、暖炉の火の前でポルチーニ料理を食べ、1983年のコルティブオーノの赤ワインを飲む。そしてあれこれ昔話をする。主人公が昔交際していた女の子の話題が出てくる。そこでちょっとした事実が明らかになる。たしかそんな話だ(もう二十年くらい読み返していないので、細かいところはよく覚えていないのだが)。コルティブオーノという固有名を出したのは、ローマに住んでいた頃、僕が実際にこのトスカナのワインを好んでよく飲んでいたからだ。

【追記】
短編小説のタイトルは「我らの時代のフォークロア ―高度資本主義前史」。短編集『TVピープル』(1990)収録です。

◆ラオスとルアンプラバンの位置が気になったので、《ADRA Japan》のHPから下の地図を引用しました。
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