新潮文庫『苦役列車』は、「苦役列車」と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を収録しています。
今日、西村賢太の第144回芥川賞受賞作「苦役列車」を読みました。僕は芥川賞受賞なんて肩書きで本を選んだりしませんが、先日見たフジテレビの報道番組での彼の他におもねない発言を聞き、彼の作品を読んでみようと思いました。
◆「苦役列車」はいわゆる私小説で、西村の歩んだ人生を北町貫多という主人公に託して描いています。この作品のタイトルがなぜ「苦役列車」なのか? 以下の引用部分からそれがわかります。
以下に引用したのは書き出しの部分ですが、「曩時(のうじ)」なんて言葉は知らなかったし、「後架」の意味は察しはつきましたが、なぜこんな言葉を使うのだろうという印象を持ちました。
そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。(P116)◆古い言葉や言いまわしが多用されていますが、これは西村が私小説作家・藤澤清造(1889-1932)に傾倒しているからでしょうか? 西村の尽力により、新潮文庫から藤澤の『根津権現裏』(2011)と『藤澤清造短篇集』(2012)が出ているそうなので、読んでみようと思います。
以下に引用したのは書き出しの部分ですが、「曩時(のうじ)」なんて言葉は知らなかったし、「後架」の意味は察しはつきましたが、なぜこんな言葉を使うのだろうという印象を持ちました。
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。(P9)◆風俗店通いや自慰行為を描いていますが、男の僕でも好きではありません。おそらく、たいていの女性は毛嫌いするでしょう。