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夏目漱石『虞美人草』を読みました。

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今日、夏目漱石の『虞美人草』を読み終えました。
これは1907年(明治40年)6月から朝日新聞に連載された作品で、東京帝大講師を辞めて朝日新聞社に入社した漱石の最初の仕事ということになります。

◆独特な文体
 漢籍や日本の古典からの引用が多い文語表現部分と、結構長い会話部分とで構成されています。会話の部分は読みやすいけれど、文語表現の部分は読みにくい。
◆巧みな構成
 全19章のうち、最初の7章は京都と東京が交互に舞台となります。やがて、京都・東京それぞれの登場人物たちが東京に集まり、ストーリーが展開します。
◆ストーリー(文庫本カバー裏表紙より)
 大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断るが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。
◆主な登場人物(数字は年齢) 
  小野清三(27)
  甲野欽吾(27)、藤尾(24)、母
  宗近一(28)、糸子(22)、父
  井上弧堂、小夜子(21)
◆感想
 主な登場人物のうち、藤尾と彼女の母だけが悪人で、他はみな善人に描かれています。確かに、藤尾は傲慢で虚栄心の強い女性――作品中ではクレオパトラに喩えられています――ですが、全てを彼女に帰結させて物語を終わりにするのはいかがなものかと思いました。
 小野にはジュリアン・ソレルを演じさせればよかったのです。甲野や宗近とは違い、苦学してやっと成功が見えてきた小野が簡単に翻意するなんてあり得ないと思います。
◆小野と藤尾の結婚観
 四五日は孤堂先生の世話やら用事やらで甲野の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れる様な不人情な詩人ではない。一飯漂母を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生の為めならばこれから先何処までも力になる積でいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんに尤も恰好な優しい振舞である。只何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思う様に出来る。――小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。(P214 L7~L16)

 心臓の扉を黄金の鎚に敲いて、青春の盃に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地には花吹雪、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛である。緑濃き黒髪を婆娑とさばいて春風に織る羅を、蜘蛛の囲と五彩の軒に懸けて、自と引き掛る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆にして、後の世までの心を乱す。女は只心地よげに見遣る。耶蘇教の牧師は救われよという。臨済、黄檗は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸を動かす。迷わぬものは凡てこの女の敵である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍る時、始めて女の御意は目出度い。欄干に繊い手を出してわんと云えという。わんと云えば又わんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬に笑を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆にして狂う。女は益得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。(P222 L5~L16)

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