今夜、久々湊盈子の第五歌集『あらばしり』(00)を読み終えました。
1996年春から2000年秋までの400首をほぼ制作順に収めたそうです。タイトルの「あらばしり」について、「あとがき」の一部を引用します。
1996年春から2000年秋までの400首をほぼ制作順に収めたそうです。タイトルの「あらばしり」について、「あとがき」の一部を引用します。
「あらばしり」というのは「新走り」と書き、その年収穫した新米で造った酒のことである。「にいしぼり」ともいう。勢いのある語感が好きなのだが、これはまた「荒走り」であって、激しい風雨を受けながら航行することでもある。日本酒が好きで、ドライブが好きで、雑駁な日常をせわしなく走りまわっている今の私にはこれしかない、という集名といえようか。
以下、一読して気になった歌を引用します。
行く春のほそき雨脚かたくなな羊歯の巻芽をほぐさむと降る
一億のなかの一人の心さえ見えがたくして春の浮雲
誤字欠け字差し替えるようにはいかぬまま迎うるものを銀婚という
閻王にいつか抜かるる舌なれど春の野草の香味よろこぶ
死の無常、生の無残と問い返し問い返しつつ雨の芍薬
蘇民将来祀りて守る家族にも歳月という弛みがきざす
遠い記憶の明智の駅は夏草の匂いと君の背後の雲と
時空のはざまに失せず帰れよトルコからのコレクトコールふいに途切れて
たっぷりと八重に咲きたる寒椿思い倦みたる風情に落つる
いつしらず終電にひとり残りおる九十八とはそんな思いか
朝靄を蹴たててたちゆく羽根のおと鴨は鴨なる生をいそしみ
極まりていのちのきわに見むものを美しかれと誰も思えど
野付半島ゆきどまりにて旅の鶴すなどりいたり二羽また三羽
妙心寺派肥前長崎禅林寺住職巨漢の読経ふとぶと
しゃんしゃんと熊蟬が啼く関東に住まいしてより聞かぬ声にて
壁のぼる凌霄花〈のうぜんかずら〉の褪せ花や惚けず生きることもさびしえ
一面にただ鰯雲わたくしは穂すすきとして風に靡くばかりぞ
いつの日か言うてやるべき切札のひとつやふたつ用意してある
言葉探りて夜を覚めてあり深甕の水の乏しさのぞく思いに
五、六個の実を唐突にぶらさげて所在なさげにカリン突っ立つ
ビリー・ジョエル今日の気分に添うてきて湾岸道路は夕映えのなか
追伸(おつて)には戦場ヶ原の落葉松の降る頃合いを報らせよと書く
朱を刷ける白椿ほとりと落ちていて死の意味をふいに思い知るなり
恨みもて恨みをはらすことなかれずるりと烏賊の腸(わた)を引き抜く
夕闇は裾濃(すそご)にせまり臘梅の貴(あて)なる黄(きい)を包まんとせり
鳥の腔に宿りてわれのもとに来し万両が今年の実を下げており
伊達締めは博多の小幅亡き母が使い古りたるこの柔かさ
リベラルな弁護士なりしが老いはてて嫁の小言に反論もせぬ
老い深む背を励まして歩まする山茶花の散る路地の角まで
五更の空に残る星見ゆ臭いたつ濯ぎものして開けたる窓に
いのちより重きものなしされどされど机上に三日読みさしの本
ひとつらの鴉族が帰りゆく空の赤ければ異変というも待たるる
イイギリの実がこんなにも赤いのは何ゆえ極月の無風の空に
帳尻がいつかは合うと気休めを言われつつ枡酒の塩をねぶりぬ
人ひとり朽ちはつるまでまつぶさに見届けんかな冬あかね濃し
終わりたる友情なれど植えくれし万年青は今年もつぶら実を抱く
さざんかの饒舌、びわの緘黙と日々の歩みに冬深みゆく
人間が何をしたのか猫族というは毛皮を着し猜疑心
香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
蕗の薹、こごみ、たらんぼ、春の野に嬉しきものを目に得つつゆく
惻隠の情もこれまで花持たぬ沙羅の木ことしは伐ってしまおう
火を焚くは快楽に似て歌反古もきみの手紙も燃やしてしまう
一話完結、とはなかなかならず老人の明日の下着をたたみおくなり
老人を他人に預けて来し旅のうしろめたさも春潮を浴ぶ
なんじゃもんじゃも散りはててけりおみなには心がわりというすべがある
マジョリカの傘立て買いて据えたれば愉しかるらん雨降り十日
チェンバロを弾く人のあり卯の花の垣根の内に春は畢んぬ
おみなごを一人もちたる倖せに今日届きたる春のブラウス
けだるさを形にすれば庭隅に素っ首あまた下げたる曼陀羅華(ダチユラ)
よき嫁の役にも飽きてアクセルを踏み込む外環夏空のした
山形の「桜羽前」ははんなりと囲炉裏うれしき山の湯宿は
うっすらと婚姻色の鮎の腹つつきながらに奈良「花巴」
山菜の肴(あて)も終わりておつもりは土佐の高知の「玉ノ井」とする
処暑過ぎてにわかに寒き夏の夜の両津甚句は目を閉じて聞く
沸点を過ぎてしまえば哀しみも薄るるものを コスモスに風
佐渡の古刹に咲きいし赤きさるすべり旅の記憶は人恋うに似て
酉年生まれ今年は波乱含みにて投機厳禁、別離の暗示
わが父も酉年生まれの粗忽者五十半ばでうかうか死にき
ふたりなき人であれども諍えば夜道のかなたとこなたを歩く
ひとつのみ花をあげよと言わるれば臘梅二月の陽に透きとおる
土佐みずき通条花(きぶし)まんさく黄の花を掲げて春はまっすぐに来る
そこにごろんと椿が落ちている真昼 お前ひとりが淋しいんじゃない
健やかなおとめ来て吾子を拉致せりと天の高処に雲雀が啼くよ
生き急ぐわが愚かさを言われつつ春まひるまのクリームソーダ
ヴァージニア・ウルフも知らず咲き闌けて雨しずくせり八重の桜は
この子叱りてこの子泣かせて育てしが娶ると言えり母を泣かせり
海紅豆破滅のごとき朱に咲きて唐寺の夏を盛りておりぬ
愚陀仏庵こんなに狭く孤独なる天才ふたり何を語りし
われのほかは大きな乳房伊予なまり聞きつつ道後の湯にしずみたり
菩提樹の念珠、血珊瑚、なかんずく宇和の夕景旅に得たるは
秋うれし零余子(むかご)の飯に添えられて香にたつ菊の膾〈なます〉いただく
角を曲がれば幟はためく内子座の甍が秋の陽に濡れていき
大樟は裾濃に暮れて善通寺境内に灯明の数増してゆく
ショートステイより寡黙となりて戻りきし老いにまいらす茶粥一椀
陰鬱な緩徐楽章隣りたる男の寝息と聴くバルトーク
烏賊のわたずるりと引きて何事もなせると思う十指が黝し
いずくにかまだわれを待つ人ありとたわけた夢が女にはある
「無理するな若くはないぞ」と言われおり医者でなければ許しはせぬが
物陰の万両の実も食みつくし雪降る今日はひよどりも来ぬ
自らの羽根もて紡ぎやるほどに愛せし記憶もなしと言わねど
長く長くひとつ火種を秘めきたり消さず絶やさず劫火となさず
耳順の夫に百寿の父あり当歳の孫あり今年の菜の花ざかり
あわれ世にはばかるいのち百歳というはよそ目にめでたかれども
行く春のほそき雨脚かたくなな羊歯の巻芽をほぐさむと降る
一億のなかの一人の心さえ見えがたくして春の浮雲
誤字欠け字差し替えるようにはいかぬまま迎うるものを銀婚という
閻王にいつか抜かるる舌なれど春の野草の香味よろこぶ
死の無常、生の無残と問い返し問い返しつつ雨の芍薬
蘇民将来祀りて守る家族にも歳月という弛みがきざす
遠い記憶の明智の駅は夏草の匂いと君の背後の雲と
時空のはざまに失せず帰れよトルコからのコレクトコールふいに途切れて
たっぷりと八重に咲きたる寒椿思い倦みたる風情に落つる
いつしらず終電にひとり残りおる九十八とはそんな思いか
朝靄を蹴たててたちゆく羽根のおと鴨は鴨なる生をいそしみ
極まりていのちのきわに見むものを美しかれと誰も思えど
野付半島ゆきどまりにて旅の鶴すなどりいたり二羽また三羽
妙心寺派肥前長崎禅林寺住職巨漢の読経ふとぶと
しゃんしゃんと熊蟬が啼く関東に住まいしてより聞かぬ声にて
壁のぼる凌霄花〈のうぜんかずら〉の褪せ花や惚けず生きることもさびしえ
一面にただ鰯雲わたくしは穂すすきとして風に靡くばかりぞ
いつの日か言うてやるべき切札のひとつやふたつ用意してある
言葉探りて夜を覚めてあり深甕の水の乏しさのぞく思いに
五、六個の実を唐突にぶらさげて所在なさげにカリン突っ立つ
ビリー・ジョエル今日の気分に添うてきて湾岸道路は夕映えのなか
追伸(おつて)には戦場ヶ原の落葉松の降る頃合いを報らせよと書く
朱を刷ける白椿ほとりと落ちていて死の意味をふいに思い知るなり
恨みもて恨みをはらすことなかれずるりと烏賊の腸(わた)を引き抜く
夕闇は裾濃(すそご)にせまり臘梅の貴(あて)なる黄(きい)を包まんとせり
鳥の腔に宿りてわれのもとに来し万両が今年の実を下げており
伊達締めは博多の小幅亡き母が使い古りたるこの柔かさ
リベラルな弁護士なりしが老いはてて嫁の小言に反論もせぬ
老い深む背を励まして歩まする山茶花の散る路地の角まで
五更の空に残る星見ゆ臭いたつ濯ぎものして開けたる窓に
いのちより重きものなしされどされど机上に三日読みさしの本
ひとつらの鴉族が帰りゆく空の赤ければ異変というも待たるる
イイギリの実がこんなにも赤いのは何ゆえ極月の無風の空に
帳尻がいつかは合うと気休めを言われつつ枡酒の塩をねぶりぬ
人ひとり朽ちはつるまでまつぶさに見届けんかな冬あかね濃し
終わりたる友情なれど植えくれし万年青は今年もつぶら実を抱く
さざんかの饒舌、びわの緘黙と日々の歩みに冬深みゆく
人間が何をしたのか猫族というは毛皮を着し猜疑心
香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
蕗の薹、こごみ、たらんぼ、春の野に嬉しきものを目に得つつゆく
惻隠の情もこれまで花持たぬ沙羅の木ことしは伐ってしまおう
火を焚くは快楽に似て歌反古もきみの手紙も燃やしてしまう
一話完結、とはなかなかならず老人の明日の下着をたたみおくなり
老人を他人に預けて来し旅のうしろめたさも春潮を浴ぶ
なんじゃもんじゃも散りはててけりおみなには心がわりというすべがある
マジョリカの傘立て買いて据えたれば愉しかるらん雨降り十日
チェンバロを弾く人のあり卯の花の垣根の内に春は畢んぬ
おみなごを一人もちたる倖せに今日届きたる春のブラウス
けだるさを形にすれば庭隅に素っ首あまた下げたる曼陀羅華(ダチユラ)
よき嫁の役にも飽きてアクセルを踏み込む外環夏空のした
山形の「桜羽前」ははんなりと囲炉裏うれしき山の湯宿は
うっすらと婚姻色の鮎の腹つつきながらに奈良「花巴」
山菜の肴(あて)も終わりておつもりは土佐の高知の「玉ノ井」とする
処暑過ぎてにわかに寒き夏の夜の両津甚句は目を閉じて聞く
沸点を過ぎてしまえば哀しみも薄るるものを コスモスに風
佐渡の古刹に咲きいし赤きさるすべり旅の記憶は人恋うに似て
酉年生まれ今年は波乱含みにて投機厳禁、別離の暗示
わが父も酉年生まれの粗忽者五十半ばでうかうか死にき
ふたりなき人であれども諍えば夜道のかなたとこなたを歩く
ひとつのみ花をあげよと言わるれば臘梅二月の陽に透きとおる
土佐みずき通条花(きぶし)まんさく黄の花を掲げて春はまっすぐに来る
そこにごろんと椿が落ちている真昼 お前ひとりが淋しいんじゃない
健やかなおとめ来て吾子を拉致せりと天の高処に雲雀が啼くよ
生き急ぐわが愚かさを言われつつ春まひるまのクリームソーダ
ヴァージニア・ウルフも知らず咲き闌けて雨しずくせり八重の桜は
この子叱りてこの子泣かせて育てしが娶ると言えり母を泣かせり
海紅豆破滅のごとき朱に咲きて唐寺の夏を盛りておりぬ
愚陀仏庵こんなに狭く孤独なる天才ふたり何を語りし
われのほかは大きな乳房伊予なまり聞きつつ道後の湯にしずみたり
菩提樹の念珠、血珊瑚、なかんずく宇和の夕景旅に得たるは
秋うれし零余子(むかご)の飯に添えられて香にたつ菊の膾〈なます〉いただく
角を曲がれば幟はためく内子座の甍が秋の陽に濡れていき
大樟は裾濃に暮れて善通寺境内に灯明の数増してゆく
ショートステイより寡黙となりて戻りきし老いにまいらす茶粥一椀
陰鬱な緩徐楽章隣りたる男の寝息と聴くバルトーク
烏賊のわたずるりと引きて何事もなせると思う十指が黝し
いずくにかまだわれを待つ人ありとたわけた夢が女にはある
「無理するな若くはないぞ」と言われおり医者でなければ許しはせぬが
物陰の万両の実も食みつくし雪降る今日はひよどりも来ぬ
自らの羽根もて紡ぎやるほどに愛せし記憶もなしと言わねど
長く長くひとつ火種を秘めきたり消さず絶やさず劫火となさず
耳順の夫に百寿の父あり当歳の孫あり今年の菜の花ざかり
あわれ世にはばかるいのち百歳というはよそ目にめでたかれども