聖林寺山門
ずいぶん田舎の小さな寺だなあ、こんなところに優れた仏像なんてあるんだろうか、というのが聖林寺(しょうりんじ)の第一印象でした。でも、十一面観音立像を目の前にした時、この旅はここで終わってもいいと思うくらい、素晴らしい仏像との出会いに感激しました。
売店で十一面観音立像のポスターを買いました。額装して部屋に飾るつもりですが、まったくのミーハーですね。
売店で十一面観音立像のポスターを買いました。額装して部屋に飾るつもりですが、まったくのミーハーですね。
◆十一面観音立像
十一面観音は、よく知られているように、かつては三輪山・大御輪寺の本尊であった。大御輪寺は奈良時代の中頃、大神々社の最も古い神宮寺として設けられ、十一面観音はその本尊として祀られてきたという。明治になると神仏分離・廃仏毀釈の嵐が吹き荒れるが、既に幕末はその前触れがあったのであろう。十一面観音はじめの三体の仏像は慶応四年五月十六日、大八車で三輪からこの地に避難された。果たして、廃仏の波は三輪の神宮寺を呑んで、凡ての仏教関係の物は破壊し尽くされた。本尊の観音様がどのようにして、何のために祀られてきたか、今となっては知る由もない。観音さまに関した書類凡てが灰燼に帰したからである。当時聖林寺の住持は大心和尚であった。和尚は三輪流の十一面観音法(この観音さまの拝み方)の伝授を受けた唯一の人であり、観音さまは三輪流神道の正嫡が住む寺に移られたのである。(写真と解説:聖林寺HPより)
天平の傑作と名高い均整のとれた美しさ(木心乾漆造/奈良時代/像高約200cm)
本堂左脇の階段を進むと、鉄筋のお堂のガラスの中に十一面観音立像が立っていらっしゃる。いかり肩で、まるで肩パットを入れているみたいしかも顔はにこりともせずに、威厳にみちている。切れ長の目が正面を見据え、怒っているようにも見える。木彫りで像の概形をつくり、その上に、漆に木粉等を混ぜた木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて完成させた木心乾漆像。金箔が、まだらにはがれ落ちている。大神神社の神宮寺であった大御輪寺から移された客仏である。明治時代に来日した美術研究家のフェノロサが、この像を賞賛したことで知られるようになった。和辻哲郎はじめ多くの著名人が、この像を「天平彫刻の最高傑作」とほめたたえている。(田中ひろみ『拝んでしあわせ 奈良の仏像100』より)
本堂左脇の階段を進むと、鉄筋のお堂のガラスの中に十一面観音立像が立っていらっしゃる。いかり肩で、まるで肩パットを入れているみたいしかも顔はにこりともせずに、威厳にみちている。切れ長の目が正面を見据え、怒っているようにも見える。木彫りで像の概形をつくり、その上に、漆に木粉等を混ぜた木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて完成させた木心乾漆像。金箔が、まだらにはがれ落ちている。大神神社の神宮寺であった大御輪寺から移された客仏である。明治時代に来日した美術研究家のフェノロサが、この像を賞賛したことで知られるようになった。和辻哲郎はじめ多くの著名人が、この像を「天平彫刻の最高傑作」とほめたたえている。(田中ひろみ『拝んでしあわせ 奈良の仏像100』より)
◆グッズ・土産
・十一面観音立像ポスター及び絵葉書
・十一面観音立像ポスター及び絵葉書