先日、金子兜太編『現代の俳人101』(04)を読み、稲畑汀子の句に出会いました。好きな句が多かったので、すぐに彼女の句集を購入しました。『汀子句集』(76)と『汀子第二句集』(85)、『汀子第三句集』(89)の3冊です。
実は彼女の句との出会いは今回が初めてではなく、長谷川櫂編著『現代俳句の鑑賞101』(01)で出会っていました。読んでいたことを先ほど確認しました。
実は彼女の句との出会いは今回が初めてではなく、長谷川櫂編著『現代俳句の鑑賞101』(01)で出会っていました。読んでいたことを先ほど確認しました。
以下、彼女の第一句集『汀子句集』を一読し、気になった句を引用します。
◆昭和26年以前~29年
今日何も彼もなにもかも春らしく
灯せる船夕焼ける空と海
月を恋ひ海を恋ひ又人を恋ひ
をだまき草咲いてゐる筈なほも行く
くもの巣をはらへば裏へ抜ける道
派手と知りつゝもセーター赤が好き
しづけさに吾ある時の落葉かな
今はまだ旅の心に落葉踏む
今日ここに逢ひし想ひ出紅葉濃し
春著着て身の置きどころなき如く
スケートの約束出来て別れけり
雲動いても動いても冬の雲
オーバーに今日の吾が身を包みけり
わが影の消えて生れて春の雲
花冷えの言葉となつて現はれし
塀低く牡丹の庭をかくさざる
景変りつゝ菜の花のつづきけり
姫しやがを持つ反対のみ手を引く
胸に挿す薔薇の香りはわが香り
とらへたる柳絮を風に戻しけり
山荘にある楽しさの昼寝かな
ミサの鐘きゝつゝ石蕗の磴登る
日向ぼこ旅にあること忘れつつ
寺の庭どこまでが庭石蕗の花
玻璃越しに見られてゐるも春著かな
炭つぐにさうこまごまと云ふはいや
香水をつけぬ誰にも逢はぬ日も
黴の香にやうやく慣れし坊泊り
◆昭和30年~39年
迷信は嫌ひ爪切る春の夜
城崎に来て春少しあともどり
目移りがして選びたる薔薇黄色
旅暑し土佐も讃岐も同じほど
布団干す雲の行方を追ひ乍ら
訪はずとも椿の頃の南宗寺
海の色失はれ行く日短
考への乏しきときの昼寝かな
ダリヤ見し目の華やかに見返しぬ
一本の紅葉に染まりゆくわれか
この道のつゞく限りの花菜畑
咲いてなほ目立たぬ花よ金魚草
青芝に吾子の小さきかげ走り
訪ね来し人にもすゝめ昼寝かな
◆昭和40年~49年
わがくらし平凡なれど師走かな
悲しみの雪の朝となりにけり
遠目には雑草もなく芝青む
梅雨の磴あり石仏に至る道
山百合と気づかぬままに見上げゐし
薔薇咲けばどの部屋も花ある生活
運転の次第に涼し山へ急
サングラスかけて視界の落着きぬ
一日の海辺に日焼けたる吾等
おしやれとはさり気なきものセーターに
行き過ぎて気附かぬ花よ油点草
庭芝の遠目ながらの下萌えて
春愁に似て旅を恋ふ心かな
春雷にはじまる山の雨荒るる
何か咲く庭が楽しくあたゝかく
そのうちに霧もはれさうほととぎす
出ればついいらぬ買物春の街
せめて髪短かく梅雨をさつぱりと
榠樝の実らしそのあたりなる香り ※榠樝=カリン
居る筈の蜻蛉のなき空の色
金雀枝を咲かせて花壇あるくらし ※金雀枝=エニシダ
雑草の育つ早さに負けず引く
人々に朝よりかつと晴れて夏
零余子飯炊けさうなほど手に溢れ ※零余子=ムカゴ
中宮寺訪ふをあきらめ日短
海近く住み潮の香に夏近し
紺と白わが好む色夏来たる
体まだ慣れぬ暑さの急なりし
寒ければ寒さに対す心もて
凌霄の花に沈まぬ蜂なりし ※凌霄花=リョウショウカ(のうぜんかずら)
木犀の匂はぬ朝となりにけり
寒くなる迄の寒さの身にこたへ
ストーブの音ほど部屋のぬくもらず
高原の薊はまぎれ易き色 ※薊=アザミ
春寒し心を閉ざしゐる時は
群れ咲きて匂ふ水仙ほとりかな
藤匂ふ風に吹かれて旅楽し
豆飯といふあたゝかきおもてなし
水音の記憶の宿に昼寝して
蝦夷に咲くマーガレットは野の花よ
刈りし芝梅雨に又伸び放題に
◆昭和26年以前~29年
今日何も彼もなにもかも春らしく
灯せる船夕焼ける空と海
月を恋ひ海を恋ひ又人を恋ひ
をだまき草咲いてゐる筈なほも行く
くもの巣をはらへば裏へ抜ける道
派手と知りつゝもセーター赤が好き
しづけさに吾ある時の落葉かな
今はまだ旅の心に落葉踏む
今日ここに逢ひし想ひ出紅葉濃し
春著着て身の置きどころなき如く
スケートの約束出来て別れけり
雲動いても動いても冬の雲
オーバーに今日の吾が身を包みけり
わが影の消えて生れて春の雲
花冷えの言葉となつて現はれし
塀低く牡丹の庭をかくさざる
景変りつゝ菜の花のつづきけり
姫しやがを持つ反対のみ手を引く
胸に挿す薔薇の香りはわが香り
とらへたる柳絮を風に戻しけり
山荘にある楽しさの昼寝かな
ミサの鐘きゝつゝ石蕗の磴登る
日向ぼこ旅にあること忘れつつ
寺の庭どこまでが庭石蕗の花
玻璃越しに見られてゐるも春著かな
炭つぐにさうこまごまと云ふはいや
香水をつけぬ誰にも逢はぬ日も
黴の香にやうやく慣れし坊泊り
◆昭和30年~39年
迷信は嫌ひ爪切る春の夜
城崎に来て春少しあともどり
目移りがして選びたる薔薇黄色
旅暑し土佐も讃岐も同じほど
布団干す雲の行方を追ひ乍ら
訪はずとも椿の頃の南宗寺
海の色失はれ行く日短
考への乏しきときの昼寝かな
ダリヤ見し目の華やかに見返しぬ
一本の紅葉に染まりゆくわれか
この道のつゞく限りの花菜畑
咲いてなほ目立たぬ花よ金魚草
青芝に吾子の小さきかげ走り
訪ね来し人にもすゝめ昼寝かな
◆昭和40年~49年
わがくらし平凡なれど師走かな
悲しみの雪の朝となりにけり
遠目には雑草もなく芝青む
梅雨の磴あり石仏に至る道
山百合と気づかぬままに見上げゐし
薔薇咲けばどの部屋も花ある生活
運転の次第に涼し山へ急
サングラスかけて視界の落着きぬ
一日の海辺に日焼けたる吾等
おしやれとはさり気なきものセーターに
行き過ぎて気附かぬ花よ油点草
庭芝の遠目ながらの下萌えて
春愁に似て旅を恋ふ心かな
春雷にはじまる山の雨荒るる
何か咲く庭が楽しくあたゝかく
そのうちに霧もはれさうほととぎす
出ればついいらぬ買物春の街
せめて髪短かく梅雨をさつぱりと
榠樝の実らしそのあたりなる香り ※榠樝=カリン
居る筈の蜻蛉のなき空の色
金雀枝を咲かせて花壇あるくらし ※金雀枝=エニシダ
雑草の育つ早さに負けず引く
人々に朝よりかつと晴れて夏
零余子飯炊けさうなほど手に溢れ ※零余子=ムカゴ
中宮寺訪ふをあきらめ日短
海近く住み潮の香に夏近し
紺と白わが好む色夏来たる
体まだ慣れぬ暑さの急なりし
寒ければ寒さに対す心もて
凌霄の花に沈まぬ蜂なりし ※凌霄花=リョウショウカ(のうぜんかずら)
木犀の匂はぬ朝となりにけり
寒くなる迄の寒さの身にこたへ
ストーブの音ほど部屋のぬくもらず
高原の薊はまぎれ易き色 ※薊=アザミ
春寒し心を閉ざしゐる時は
群れ咲きて匂ふ水仙ほとりかな
藤匂ふ風に吹かれて旅楽し
豆飯といふあたゝかきおもてなし
水音の記憶の宿に昼寝して
蝦夷に咲くマーガレットは野の花よ
刈りし芝梅雨に又伸び放題に
【参考】
稲畑汀子(いなはた・ていこ)
1931年、横浜に生まれる。小学生の頃から、祖父高浜虚子・父高浜年尾に俳句を学ぶ。1935年、鎌倉から芦屋に転居。1956年、稲畑順三と結婚、二男一女の母となる。1977年「ホトトギス」雑詠選者に。同年、父の死去により主宰を継承。翌年、夫と死別。1982年より朝日俳壇選者に、1994年―96年、NHK俳壇の講師・選者となる。
1987年、日本伝統俳句協会を設立し、会長に就任。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。
句集に『汀子句集』『障子明り』『さゆらぎ』など。その他の著書に『舞ひやまざるは』『俳句に親しむ』『俳句入門』『自然と語りあうやさしい俳句』『俳句十二か月』など。
(『汀子句集』巻末の「著者略歴」より)
1931年、横浜に生まれる。小学生の頃から、祖父高浜虚子・父高浜年尾に俳句を学ぶ。1935年、鎌倉から芦屋に転居。1956年、稲畑順三と結婚、二男一女の母となる。1977年「ホトトギス」雑詠選者に。同年、父の死去により主宰を継承。翌年、夫と死別。1982年より朝日俳壇選者に、1994年―96年、NHK俳壇の講師・選者となる。
1987年、日本伝統俳句協会を設立し、会長に就任。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。
句集に『汀子句集』『障子明り』『さゆらぎ』など。その他の著書に『舞ひやまざるは』『俳句に親しむ』『俳句入門』『自然と語りあうやさしい俳句』『俳句十二か月』など。
(『汀子句集』巻末の「著者略歴」より)