今日、稲畑汀子の『汀子第二句集』(85)を読み終えました。
以下、一読して気になった句を引用します。
以下、一読して気になった句を引用します。
◆昭和50年
聞き慣れし声あらたまる初電話
遠くよりみもざの花と見つゝ来て
たんぽゝの絮となりまだ飛ばぬさま
旅なごり花も名残りの雨ならん
旅慣れし宿に気まゝの朝寝して
装へば梅雨も楽しき傘の色
雑草の育つ早さに五月雨るる
◆昭和51年
平凡を大切に生き去年今年
春を待つ心は育ちゆくものよ
風少しあり梅の香を運ぶほど
川下りしつゝの景の落椿
旅といふ心の自由春灯
一日は降られるつもり花の旅
雨上ること蝶を見て雲を見て
十薬の匂ひに慣れて島の道 ※十薬=ジュウヤク(どくだみ)
どこを見ていゝか鵜舟を待つ闇は
立秋と聞けば心も添ふ如く
穴惑バツクミラーに動きをり ※穴惑=アナマドヒ
ともかくも道に出られし草虱 ※草虱=クサジラミ
短日の思ひ違ひといふ一事
◆昭和52年
何時雪になりしや夜半の音絶えて
心急く着馴れぬ春著着るときは
日脚伸ぶどこかゆるみし心あり
芝を焼く火の走るまゝ消ゆるまゝ
春らしく装ふ心やうやくに
紫雲英田も見慣れしものとなる旅に ※紫雲英=ゲンゲ(れんげそう)
雪洞も落花も忘れられしもの ※雪洞=セットウ(ぼんぼり)
旅愁とも旅疲れともリラ冷えに
吾にあらばふるさとはここ苗代茱萸 ※苗代茱萸=ナワシログミ
野に咲けば雛芥子は野に似合ふ色
気附かざることオリーブの花の香も
一山の椎の花より匂ふ風
緑蔭に時間忘れてゐたきとき
記憶とははかなけれども夏の蝶
夏野行く濡るゝほかなき山雨来し
野の雨は音なく至る夏薊
汗をふく土の匂いひの残りし手
旅二日共に日焼けて居りしこと
庭師来て括り直してくれし萩
雨晴れて露けき道の残りをり
みちのくの林檎の景に覚めて汽車
捥ぐときの柚子の香りでありしかな
恙なる身のこれよりを思ふ冬
ひと時を無為にありたし石蕗の花
◆昭和53年
君がため春著よそほふ心あり
臘梅の香の一歩づゝありそめし
薄氷にきらめき失せし水面かな
明るさの春光といひ難けれど
午後よりの二つの用事日脚伸ぶ
明日旅へ飛騨の春まだ浅からむ
歩くべし花の盛りといふものは
花人となりて華やぐ旅の日も ※花人=ハナビト(桜人)
野の草に醜草はなし犬ふぐり
散ればすぐ花の記憶の遠ざかる
手に逃げぬ螢となりて光りをり
楊梅の実の落ち腐つ道の色 ※楊梅=ヨウバイ(やまもも)
とゞめてはならぬ色とし夕焼ける
踊下駄先づ買ふことに阿波の旅
旅の目を旅の心を置く紅葉
◆昭和54年
咲いてすぐ踏まるゝものに犬ふぐり
散る花の散るを見頃の山寺に
旅慣れて少し朝寐をすることも
匂ひ来し確かに朴の花の風
柳絮とも草の絮とも山路なる ※柳絮=リュウジョ
華やぎの中の落着き沙羅の花
袋掛終へし林檎の街に着く
山宿の灯をうるませて霧深し
どちらかと云へば麦茶の有難く
雲の峰立つに崩るゝこと早し
爽涼の風とは心別にあり
爽やかに健康戻る日はいつに
秋晴も雨もかかはりなく病める
秋深みゆく日を追はずあるまゝに
過ぎし日をたゝみて心秋深し
心まで時雨るゝことのなかりけり
時雨過ぐ心の経過なきまゝに
◆昭和55年
絶えしかと見えしが美男蔓の芽 ※美男蔓=ビナンカズラ
落椿とはとつぜんに華やげる
日照雨してそばへして山ほととぎす
木天蓼とわかる近さを遠ざかる ※木天蓼=マタタビ
病人に一人の時間水中花
追山笠へ寐過ごせぬ旅それもよく
夕焼のさめてさめざる心かな
病院のくらしに馴れて夜の秋
夫病むはこんな残暑の頃よりと
病窓をなぐさめくるゝ盆の月
病室の窓の四角の星月夜
桐一葉夫病みてより久しかり
踊もて手向く心のあるときは
夜空今星を語りて星祭
露けしや夫の柩を飾る花
心なほ喪にあり霧の山路ゆく
色見せてよりの存在烏瓜
白は供華赤は書斎に秋薔薇
朝寒の心の張りを持ちて旅
星月夜心を栞り来し旅ぞ
旅に会ふ雪が心をあたゝむる
看取りより解かれし冬を淋しめり
誰彼の心にふれて冬ぬくし
初雪に逢ひもし遠く来し旅ぞ
一辨をだに欠かさざる石蕗明り
生きてゆくもののさだめに萩枯れて
短日の旅を惜しみてゐし目覚め
忘れゆく日はまだ遠し年惜む
車窓より湖の寒さのなつかしく
◆昭和56年
虎落笛きく旅寝こそなつかしく ※虎落笛=モガリブエ
空といふ自由鶴舞ひ止まざるは
鶴の朝はじまつてまだ暗かりし
寐つきよし東風強き夜を旅馴れて
遠景の野に失ひし鼓草 ※鼓草=ツヅミグサ(たんぽぽ)
夕牡丹緋色たたまずありしかな
道迷ふことも旅路よ芥子の花
蠓をのがるるすべとならざりし ※蠓=
河鹿聞く今宵の旅寝思ひつゝ
山気吸ひ朴の香深くわが胸に
雲海の今水色を置く夕べ
着いてまだ何も見ざるもリラ月夜
踊の輪さらりと抜けて戻る宿
去つてゆく夏をとどめて水の景
睡蓮のねむりにつきし影を置く
よべ花火せしを語りてをりし庭
彼かくす芒の丈とならざりし
芒野の印象消えず室生寺へ
かさと音ふり返らせて降る木の実
草虱そこに道なき道ありて
人恋へば燃ゆる紅葉の色散らす
落葉踏む音の心を乱さざる
おもかげの永久に消えざる石蕗の花
旅に逢ふ雪にさすらふ心あり
忘れゐし寒さといふはとつぜんに
◆昭和57年
悴かむ手控へ目なりし握手かな
話すとき旅は自由よ春の宵
雪吊の雪を語らず残りをり
黄は光る色一面の金鳳華
この庭の歳月茂る木々に見し
ここに又旅路のありて合歓の花
野馬追の熱気にいつか馴れてをり
盆近し故人の話少し出て
娘と旅へせめて名残りの阿波踊
阿波に来てわれも踊娘夜を徹し
蜻蛉と分つ空あり雲迅し
どこまでもついて行きたく風の盆
黒がどの色よりも見え風の盆
形見ともなく置くベンチ露に濡れ
虫の音をとらへし耳と心かな
忙しさもくらしのリズム秋深し
又逢へて芒に心寄せる旅
秋の潮遥かに置きて砂丘行く
風紋を見し目に仰ぐ鰯雲
星空の降らせし露の芝を歩す
榠樝熟れ近き忌日の香と知りぬ ※榠樝=カリン
又別れゆくを語らず旅の空
零余子飯宿のもてなし尽くるなく ※零余子=ムカゴ
オリオンのかたむき消えぬ冬の朝
朝風呂に馴れ湯ざめとてなかりけり
◆昭和58年
単純をわが身上に去年今年
囀に旅の期待のはじまれる ※囀り=サエズリ
よべ春の月を宿してゐし湖に
花見頃人出鎮むる雨吉と
旅二日薫風に刻経ち易し
暑さにも馴れ忙しさに変りなく
高原の夕べの長し月見草
睡りたしかく涼風に包まれて
凌霄の咲きつぐ庭に倦むことも ※凌霄=リョウショウ(のうぜんかずら)
いざなへる芒と聞けば旅心
朝露をこぼし剪る供華五六本
逆光の白萩として葉がちなる
存在とならざることも秋の雲
天高しシヤガールの絵の青よりも
ロートレツク見し目を解きて菊日和
雲迅し時雨こぼすも日こぼすも