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白洲正子『十一面観音巡礼』を読みました。

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昨年、白洲正子のエッセイ『十一面観音巡礼 愛蔵版』(2010)(1975年刊行の初版を底本として、写真版を再製版し、当時取材撮影された別の写真版や新たに製作した地図を加えて、再編集した新装版。著者の生誕100年を記念して編集。)を購入しましたが、その時は聖林寺の十一面観音について書かれた部分しか読みませんでした。
文庫本の方が読みやすいので、今回オリジナルの文庫版『十一面観音巡礼』(75)を購入しました。気になった十一面観音について、以下に感想等を書こうと思います。

幻の寺
 法華寺の十一面観音の写真はこれまでに何度も見ましたが、魅力的だと思ったことは一度もありませんでした。しかし、以下の文章を読み、実物を自分の目で見たいという思いが強くなりました。
 久しぶりにお目にかかる十一面観音は、やはりすばらしい彫刻であった。観光が盛んになって以来、方々で写真に接するが、どれもこれも気に入らない。太りすぎて、寸づまり写るからである。しまいには、それがほんとうのような気がして来て、写真の力というのは恐ろしいものだと思う。
「皆さんそう仰しゃいます。実物をごらんになって、びっくりなさいます」
 と尼さんもいわれるがしょせんレンズは肉眼とは違う。発達すればする程、よけいなものまで写してしまうに違いない。たしかにこの観音は太り肉ではあるが、ほのかな光の元で見る時は、嫋々(じょうじょう)とした感じで、右手の親指でそっと天衣の裾をつまみ、やや腰をひねって歩み出そうとする気配は、水の上を逍遥するといった風情である。
 近江の石道寺(いしどうじ)の十一面さんも、右足の親指をちょっとそらせており、それが大変媚かしく見えると、私は前に書いたことがあるが、気がついてみると、この観音も爪先をそらせている。それだけのことで、全体の調子に動きを与え、遍歴することによって衆生を救うという、観音の本願が表現されている。蓮の巻葉の光背は後補と聞くが、やや凝りすぎのきらいがある。写真にとるとよけいうるさい。肉眼で見たような写真がないかと思って、入江泰吉氏にうかがってみると、この観音さまはお厨子の中に入っている為、撮影するのがむつかしく、ライトを使うとどうしても強く写ってしまうというお話であった。まともに見るのも憚られるように造られたものを、写真にとるのがそもそも無理な注文なので、巧く行かないのは当り前のことかも知れない。(P46-47)

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法華寺十一面観音菩薩立像。木造、素地、100.0cm。法華寺の創建当初の本尊はいつの頃にか失われ、現在この十一面観音に変わっている。眼や唇以外には彩色をしない。平安初期に流行した檀像(だんぞう)様彫刻の典型的遺品の一つである。(写真は、なら旅ネット〈奈良県観光公式サイト〉より。解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)


水神の里
 2013年6月、初めて室生寺を訪ねました。その時は狭い山地に造られた伽藍配置にばかり興味が行き、仏像については金堂の釈迦如来立像と弥勒堂の釈迦如来坐像を意識したくらいでした。
 昨年夏、聖林寺の十一面観音立像を見て以来、同じように優れた十一面観音に出会いたいという思いが強くなりました。室生寺金堂の十一面観音菩薩立像をもう一度しっかり見たいと思います。

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室生寺金堂十一面観音菩薩立像。木造、彩色、195.2cm。金堂にならぶ5躯のうちでは、かなり古様な像であるが、本尊の釈迦如来(9世紀末頃)よりも体躯の量感を減じ、両頬をふくらませるなど、その作風は異なっており、別の系統の仏師により、やや下った頃に制作されたと考えられる。(写真はJR東海キャンペーンポスター、解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)


湖北の旅
 著者は滋賀県北東部(湖北地方)に位置する長浜市の渡岸寺(向源寺)を訪ね、その十一面観音について以下のように述べています。十一面観音について、また見仏について、いろいろと勉強になります。
 お堂へ入ると、丈高い観音様が、むき出しのまま立っていられた。野菜や果物は供えてあるが、その他の装飾は一切ない。信仰のある村では、とかく本尊を飾りたてたり、金ピカに塗りたがるものだが、そういうことをするには観音様が美しすぎたのであろう。湖水の上を渡るそよ風のように、優しく、なよやかなその姿は、今まで多くの人々に讃えられ、私も何度か書いたことがある。が、一年以上も十一面観音ばかり拝んで廻っている間に、私はまた新しい魅力を覚えるようになった。正直いって、私が見た中には、きれいに整っているだけで、生気のない観音様が何体かあった。頭上の十一面だけとっても、申しわけのようにのっけているものは少くない。そういうものは省いたので、取材した中の十分の一も書けなかった。昔、亀井勝一郎氏は、信仰と鑑賞の問題について論じられ、信仰のないものが仏像を美術品のように扱うのは間違っているといわれた。それは確かに正論である。が、昔の人のような心を持てといわれても、私達には無理なので、鑑賞する以外に仏へ近づく道はない。多くの仏像を見、信仰の姿に接している間に、私は次第にそう思うようになった。見ることによって受ける感動が、仏を感得する喜びと、そんなに違う筈はない。いや、違ってはならないのだ、と信ずるに至った。それにつけても、昔の仏師が、一つの仏を造るのに、どれほど骨身をけずったか、それは仏教の儀軌や教典に精通することとは、まったくまったく別の行為であったように思う。

 今もいったように、渡岸寺の観音のことは度々書いているので、ここにくり返すつもりはない。それは近江だけでなく、日本の中でもすぐれた仏像の一つであろう。特に頭上の十一面には、細心の工夫が凝らされているが、十一面観音である以上、そこに重きが置かれたのは当り前なことである。にも関わらず、多くの場合、単なる飾物か、宝冠のように扱っているのは、彫刻するのがよほど困難であったに違いない。十一面というのは、慈悲相、瞋怒(しんど)相、白牙上出相が各三面、それに暴悪大笑相を一面加え、その上に仏果を現す如来相を頂くのがふつうの形であるが、それは十一面観音が経て来た歴史を語っているともいえよう。印度の十一荒神に源を発するこの観音は、血の中を流れるもろもろの悪を滅して、菩薩の位に至ったのである。仏教の方では、完成したものとして信仰されているが、私のような門外漢には、仏果を志求しつづけている菩薩は、まだ人間の悩みから完全に脱してはいず、それ故に親しみ深い仏のように思われる。十一面のうち、瞋面、牙出面、暴悪大笑面が、七つもあるのに対して、慈悲相が三面しかないのは、そういうことを現しているのではなかろうか。
 渡岸寺の観音の作者が、どちらと云えば、悪の表現の方に重きをおいたのは、注意していいことである。ふつうなら一列に並べておく瞋面と、牙出面を、一つずつ耳の後まで下げ、美しい顔の横から、邪悪の相をのぞかせているばかりか、一番恐ろしい暴悪大笑面を、頭の真後につけている。見ようによっては、後姿の方が動きがあって美しく、前と後と両面から拝めるようになっているのが、ほかの仏像とはちがう。暴悪大笑面は、悪を笑って仏道に向わしめる方便ということだが、とてもそんな有がたいものとは思えない。この薄気味わるい笑いは、あきらかに悪魔の相であり、一つしかないのも、同じく一つしかない如来相と対応しているように見える。大きさも同じであり、同じように心をこめて彫ってある。してみると、十一面観音は、いわば天地の中間にあって、衆生を済度する菩薩なのであろうか。そんなことはわかり切っているが、私が感動するのは、そういうことを無言で表現した作者の独創力にある。平安初期の仏師は、後世の職業的な仏師とはちがって、仏像を造ることが修行であり、信仰の証しでもあった。この観音が生き生きとしているのは、作者が誰にも、何にも頼らず、自分の眼で見たものを彫刻したからで、悪魔の笑いも、瞋恚(しんい)の心も、彼自身が体験したものであったに違いない。(P266-268)

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渡岸寺(向源寺)十一面観音立像・暴悪大笑面。木造、素地、177.3cm。わが国屈指の観音像である。檜の一木造。宝髻(ほうけい)に乾漆を使用した美しく気品のある顔立ち、軽く腰をひねる肉取り豊かな体躯など、均衡のとれた安定感のある像容を保つ。頭上の化仏(けぶつ)は大きく、とくに真面両側に化仏をつけることや、耳朶(じだ)に大きな耳璫(じとう)をつける点などは、他の像にみられない特色である。両手や化仏の一部、頭部正面の阿弥陀如来像などは後補、9世紀に伝えられた新様ともみられる。平安時代初期(写真は本書P269より。解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)

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