今日、山本周五郎の代表作『樅の木は残った』(1958)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
上巻
仙台藩主・伊達綱宗、幕府から不作法の儀により逼塞(ひっそく)を申しつけられる。明くる夜、藩士4名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの62万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。
中巻
幕府老中・酒井雅楽頭と伊達兵部とのあいだの62万石分与の密約。それが、伊達藩に内紛をひきおこし、藩内の乱れを理由に大藩を取り潰そうという幕府の罠であることを見抜いた原田甲斐は、藩内の悪評をも恐れず、兵部の懐に入り込む。そして、江戸と国許につぎつぎひき起こされる陰謀奸策、幼君毒殺の計略をも未然に防ぎ、風前の灯となった伊達家安泰のため、ひたすら忍従を装う。
下巻
著者は、「伊達騒動」の中心人物として極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対する従来の解釈をしりぞけ、幕府の大藩取り潰し計画に一身でたちむかった甲斐の、味方をも欺き、悪評にもめげず敢然と闘い抜く姿を感動的に描き出す。雄大な構想と斬新な歴史観のもとに旧来の評価を劇的に一変させ、孤独に耐えて行動する原田甲斐の人間味あふれる肖像を刻み上げた周五郎文学の代表作。
仙台藩主・伊達綱宗、幕府から不作法の儀により逼塞(ひっそく)を申しつけられる。明くる夜、藩士4名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの62万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。
中巻
幕府老中・酒井雅楽頭と伊達兵部とのあいだの62万石分与の密約。それが、伊達藩に内紛をひきおこし、藩内の乱れを理由に大藩を取り潰そうという幕府の罠であることを見抜いた原田甲斐は、藩内の悪評をも恐れず、兵部の懐に入り込む。そして、江戸と国許につぎつぎひき起こされる陰謀奸策、幼君毒殺の計略をも未然に防ぎ、風前の灯となった伊達家安泰のため、ひたすら忍従を装う。
下巻
著者は、「伊達騒動」の中心人物として極悪人の烙印を押されてきた原田甲斐に対する従来の解釈をしりぞけ、幕府の大藩取り潰し計画に一身でたちむかった甲斐の、味方をも欺き、悪評にもめげず敢然と闘い抜く姿を感動的に描き出す。雄大な構想と斬新な歴史観のもとに旧来の評価を劇的に一変させ、孤独に耐えて行動する原田甲斐の人間味あふれる肖像を刻み上げた周五郎文学の代表作。
【感想等】
◆原田甲斐をはじめ、数多くの登場人物たちがそれぞれの人生を必死に生きていました。原田甲斐はその命をかけて仙台62万石を守り抜いたのですから、たとえ汚名を着せられたとしても、武士の本懐なのでしょう。
◆原田甲斐をはじめ、数多くの登場人物たちがそれぞれの人生を必死に生きていました。原田甲斐はその命をかけて仙台62万石を守り抜いたのですから、たとえ汚名を着せられたとしても、武士の本懐なのでしょう。
◆原田甲斐は「敵を欺くには先ず味方から」という教えを徹底的に実践しました。そのため、最初に誓いを立てた盟友でさえ、彼の真意が分からなくなってしまいます。そういう部分を読むと、甲斐の周りの人たちに対してとても歯がゆい思いを持ちましたが、甲斐のように孤独に耐えて強く生き抜くことはそうそうできることではないと思います。
◆ラストの酒井邸の場面、とても緊迫感があり、この作品のクライマックスにふさわしい。
◆この作品は1970年(昭和45年)のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」の原作ですが、多くの登場人物とそれぞれのドラマがあり、大河ドラマ向きだと思います。でも、正直に言って、途中で少し飽きました。冗長という印象を持ちました。
◆志賀直哉の短編小説「赤西蠣太」(1917)は伊達騒動を題材にしています。「樅ノ木は残った」(1958)は従来「悪人」として描かれてきた原田甲斐を、藩の存続のために悪人の汚名を甘んじて受けた武士中の武士として描いています。「赤西蠣太」を読み、従来のステレオタイプの原田甲斐像にも触れてみたいと思います。
◆以下、原田甲斐の考え方が分かる部分をいくつか引用します。
「首を覘われていることも、煽動者の多いことも、私にはたいして関心がない、そんなことよりまえに、侍の奉公というものはつねに命を賭けたものだ、と教えられたときから、私はいつも死と当面して来たし、死のおそろしさを知って来た、あんまり死を考え、死をおそろしいと思い続けたために、いまでは生よりも死のほうに親しさを感じているくらいだ」(中巻P322)
人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。親と子、良人(おっと)と妻、どんなに親しい友達にでも、――人間はつねに独りだ。(下巻P51)
「意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公をすることだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立(もりた)てているのは、こういう堪忍や辛抱、――人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ」(下巻P285-286)