Quantcast
Channel: my photo diary
Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

詩集『百葉譜』を読みました。

$
0
0
イメージ 1

先日、知人から詩集『百葉譜』をいただきました。彼の約20年ぶり3冊目の詩集で、「折々気づいたこと感じたことを植物によせて」作品にしたものだそうです。
以下、一読していいなと思った作品を3編引用しました。


    


    蛸の卵を「海藤花」と呼ぶのだと料理好きの友人
    が教えてくれた 時まさに野に山に野生の藤の花
    が咲き乱れていた

    友人はその花を目にしてふと海藤花のことを思い
    出したのかもしれない 私もいまだ見たことのな
    い蛸の卵の様子をあれこれと想像した

    海の中に棲む生き物の臓物の命名に 松の大木に
    巻きつき攀じ登り 雨に濡れながら数百の滝とな
    って咲く藤の花の姿を借りた 蛸の卵を初めて海
    藤花と呼んだ人のことを私は詳しく知らない そ
    の人が藤の花をことに好きだったのかどうかも分
    からない が花や草木に無関心ではなかったはず
    と心ひそかに思う

    蛸の卵を海藤花と呼ぶことを教わって以来 触手
    を藤の蔓のように自在に操り海の底を移動する蛸
    に藤の姿が重なる そして松の林で喘ぎつつも何
    かを捕まえようとするかのように 蔓の先端を風
    に揺らしながら這い上がる藤に蛸の姿を垣間見る



    椿――「西王母」に寄せて


    花なのに端から咲くことを望まれてないなんて他
    にどんな花があっただろう 微かな釜鳴りが満ち
    た茶室のひと隅で 一輪の纏足の花が李朝の白磁
    に支えられている

    一花三葉 どこにも自由なんてなかった だから
    最後の朝を迎える前に 誰にも見られないよう一
    直線に落花する 涙みたいにひとひらひとひら散
    るなんて真っ平後免
    散れば散ったであずかり知れぬ濡れ衣 散り様が
    打ち首を想起させると よしんば禍事につらなる
    ことがあっても どんな花でもひとたび咲けば散
    りゆくものを そこで椿は万の落英で結界を描く



    落葉樹


        1
    冬 葉を落とした木々はやおら自己を主張し始め
    る 銀杏は銀杏 榎は榎 そして柿は柿 遠くか
    らでもはっきりとそれとわかる

        2
    「屋敷ごとに高く聳え立つケヤキは関東独特の風
    景だよ」四国出身の恩師がふと漏らした言葉だ 
    車を走らせ 見知らぬ町や村を通過するとき 決
    まってそのひと言が頭をかすめる 入母屋造りの
    大きな家々には 確かに大きくて太いケヤキが寄
    り添うように立っている

    葉を落としたケヤキの背後に夕陽が落ちていく瞬
    間に遭遇したことがある 明るさがみるみる失せ
    ていく冬の夕空だが 夕焼けがつくるケヤキの頭
    頂部の影は透かし彫りの頭光だった 放射状に整
    然と広がる枝と さらにそれらから伸びる無限の
    細い枝 ひとつの欠けも過剰も見当たらなかった
    厳しい自然を生き抜くためには僅かな無駄も許さ
    れないということなのだろう

    ケヤキは喬木になり 材質が堅く木目も美しいこ
    とで大黒柱として使われる 伐られたのちも家の
    中心で仏像のように黙して百年 更に次の百年も
    立ち続ける

    古くは槻とも呼ばれたケヤキだが 茨城県坂東市
    沓掛の大槻はこれもケヤキかと一瞬戸惑う 根幹
    部が一部枯れてはいるが根元からすぐ二つに分か
    れた太い幹は 一本は天に向かって伸び もう一
    本は地面と平行に横に張り出している 所どころ
    に洞と大小の瘤が点在しおどろおどろしくもあっ
    て 二本の幹は「昇龍」と「臥龍」の趣を呈して
    いる

        3
    畑と畑の境界を知らせるために植えられるウツギ
    の木の冬姿も捨てがたい 作物の邪魔にならない
    よう伸びすぎた枝は伐られる だがすぐに繁茂す
    る 挿し木で容易に活着するくらいだから強くて
    辛抱強い木だ 瘤のようになった株から細くしな
    やかな枝を無数に伸ばした姿は 野におわす千手
    観音である

        4
    アメリカフウは紅葉もいいけれど 紅葉が終わっ
    た後の冬姿もいい つくば市には途方もなく長い
    その並木道がある 刈り込まれたように高さが揃
    った裸木が織りなす風景は 佐伯祐三の『リュク
    サンブールの木立』を思い出させる

        5
    女の子供が生まれたら桐の木を植える風習があっ
    た いや現在でもどこかの家庭でひっそりと風習
    は受け継がれているはずだ 娘の嫁入り道具の箪
    笥を作るときのためにと親の愛情も一緒に植えら
    れて

    冬の桐の木はどんなに遠くからでもそうだとわか
    る 枝々の先にすでに次の年の花芽をつけて寒空
    のもと春を待つ 会津出身で会津をこよなく愛し
    た版画家の齋藤清は、故郷を「さつきの会津」「柿
    の会津」「雪の会津」としてあまねく紹介している
    が 私はそれに「桐の会津」を加えたい 「さつき
    の会津」の中では渋めの紫の花をつけた桐をさり
    げなくしのばせ 「雪の会津」の中ではひっそりと
    だが分かってくれる人は分かってくれると言いた
    げに絵の片すみに登場させる

        6
    「浚う」 どれくらいこの言葉を使わないだろう 
    以前は溝浚いと称し家の前の生活排水路を住人総
    出で清掃をした がそのような共同作業も今では
    殆ど見かけない

    私の両親は百姓だった 冬期 畑仕事が少なくな
    るので木枯しが吹くのを待って 近くの里山の雑
    木林で下草を刈り 落ち葉を集めるのが日課だっ
    た 山のような量の落ち葉を家に持ち帰り堆く積
    み上げ 二、三年放置して腐葉土にするのだ 両
    親はこの一連の仕事を「山浚い」と言っていた

    詩人であり 高名な版画家でもあった飯野農夫也
    の作品に山浚いを描いたものがある 一人の農婦
    が熊手で落ち葉を掻き集め もう一人の農婦が背
    中いっぱいに柴を背負い 家に持ち帰ろうとして
    いる 二人の農婦の間には見上げるばかりの大き
    なクヌギが立っている 枝には一枚とて葉が残っ
    ていない 強い西風が通過し 秋が深まったこと
    を物語っている タイトルは『冬木立』 画家はき
    つい農作業に従事する農婦たちへの敬愛と哀惜の
    まなざしを送る だが 葉を落としたクヌギの木々
    の美しさも伝えたかったような気がする

        7
    蛍を捕まえるときの二つの手が作る形に似たポプ
    ラ その葉を落とした冬のポプラが私は好きだ 
    少女のか細くて長い指のような梢 掌に相当する
    部分は限りなく優しい丸味をおび地平線に立つ 

        8
    一編の詩によって長く記憶される詩人がいる 私
    は「楡の町」という詩によって百田宗次を記憶す
    る 札幌の街が形成されていく様子を一本の大き
    な楡の木に語らせたその詩を 大学を出たての若
    い先生が読んでくれた 詩とは何なのか今もって
    よく解らないが 詩というものを初めて意識し 
    朗々と読み上げられる詩の中の大きな楡の木と一
    体になった十歳の自分を思い起こす

    大きな木を見ると胸のすく思いがする 大きな木
    を見るとからだに力が漲ってくる 大きな木を見
    ると大きな木が最初に芽生えたころに思いをはせ
    る 大きな木を見ると自分の小ささをあらためて
    知らされる 大きな木を見るといつか自分もその
    ような木になりたいと思う
    

Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

Trending Articles