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国立新美術館「ピエール・ボナール展」

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 今日、六本木にある国立新美術館に「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」(9月26日~12月17日)を見に行ってきました。
 ボナールは昔から好きな画家だったので、彼の作品を数多く見られてよかったと思います。特に、「化粧室 あるいは バラ色の化粧室」など、ずっと画集で見ていた絵を直接目の前にした時はちょっとドキドキしました。
 この展覧会にはもう一度行こうと思います。

◆開催主旨(展覧会HPより)
 19世紀末のフランスでナビ派の一員として出発した画家ピエール・ボナール(1867‐1947年)は、浮世絵の影響が顕著な装飾的画面により、「日本かぶれのナビ」の異名を取りました。20世紀に入ると、目にした光景の印象をいかに絵画化するかという「視神経の冒険」に身を投じ、鮮烈な色彩の絵画を多数生み出します。本国フランスでは近年ナビ派の画家たちへの評価が高まり、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展では51万人が魅了され、2014年のゴッホ展に次ぐ、歴代企画展入場者数の第2位を記録しました。
 本展覧会は、オルセー美術館の豊富なコレクションを中心に、国内外のコレクションのご協力を仰ぎ、130点超の作品で構成されるボナールの大規模な回顧展です。油彩72点、素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点といったさまざまなジャンルを通じて、謎多き画家ボナールの魅力に迫ります。

◆ピエール・ボナールについて(展覧会HPより)
1 日本かぶれのナビ
 印象派に続く世代に属すピエール・ボナールは、ゴーギャンの影響のもと結成されたナビ派の一員として、繊細かつ奔放なアラベスクと装飾モティーフが特徴的な絵画を多く描きました。ナビ派の画家たちは、 1890 年にパリのエコール・デ・ボザールで開かれた「日本の版画展」にも衝撃を受けます。ボナールは浮世絵の美学を自らの絵画に積極的に取り込み、批評家フェリックス・フェネオンに「日本かぶれのナビ」と名付けられるほどでした。また、同時代の象徴主義演劇とも呼応する、親密な室内情景を描いた作品もこの時期に集中して制作されました。

2 ナビ派時代のグラフィック・アート
 芸術家としてのキャリアをスタートさせるきっかけとなった《フランス=シャンパーニュ》をはじめ、初期のボナールはリトグラフによるポスターや本の挿絵、版画集の制作にも精力的に取り組みました。とりわけ、ナタンソン兄弟が創刊した雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』は、ボナールが独創的なリトグラフを試みる舞台となりました。雑誌の挿絵だけでなくポスター制作も手掛けており、大胆なデフォルメと意表を突く構図が際立っています。また、即興的なデッサンに象徴されるボナールのリトグラフの特徴は、油彩作品にも見ることができます。

3 スナップショット
 コダックのポケットカメラを購入したボナールは、1890 年代の初めから写真撮影を行うようになりました。ボナール家の別荘があったル・グラン=ランスでは、水遊びに興じる甥っ子たちをはじめ、家族がめいめいに余暇を過ごす様子が撮影されています。また、ボナールが恋人マルトと住んだパリ郊外のモンヴァルの家では、庭の草木のなかに佇むマルトのヌードを写した美しい写真の数々が生まれました。これらの写真には、中心を外した構図やピントのボケなどにより、生き生きとした効果がもたらされています。

4 近代の水の精(ナイアス)たち
 ボナールの画業全体において最も重要な位置を占めるのが裸婦を描いた作品の数々です。壁紙やタイル、カーテン、絨毯、小物、鏡などが織りなす重層的な室内空間のなかで、ボナールの描く女性たちは無防備な姿を露わにしています。生涯の伴侶であったマルトをはじめ、ボナール家の医師の妻であったリュシエンヌや、マルトの友人でボナールの愛人となるルネ・モンシャティら複数の女性がモデルをつとめました。ボナールの描く彼女たちの顔は曖昧で、モデルが特定できない作品や、複数の女性の特徴がみられる作品もあります。

5 室内と静物「芸術作品――時間の静止」
 「親密さ」というテーマは、ナビ派の一員であった1890年代から晩年までボナールを魅了し続けました。一見するとありふれた室内には、人工的な照明や独特のフレーミングによって、親密さと同時にどこか謎めいた雰囲気がただよっています。そこでは、燃えあがる色彩によって、慣れ親しんだモティーフが未知のものへと変貌を遂げているようです。日常世界の微細な変化にも目を向け続けたボナールは、それをカンヴァス上に定着させることを「時間の静止」と捉えていました。

6 ノルマンディーやその他の風景
 ボナールはやわらかな光の中に壮大な風景が広がるノルマンディー地方の自然に魅了されていました。1912 年には、モネが住むジヴェルニーに近いヴェルノンという街に、セーヌ河岸の斜面に建つ小さな家を購入します。テラスから空と水のパノラマを一望できたこの家での暮らしは制作意欲をおおいに刺激しました。庭には野生の植物が生い茂り、その重なりは精妙なグラデーションとして描き出されています。そしてボナールが頻繁に訪れたアルカションやトルーヴィルでは、表情豊かな空が大きな空間を占める海景画が生み出されました。

7 終わりなき夏
 自らを画家=装飾家とみなしていたボナールは巨大な装飾壁画も手がけました。そこでは生の喜びを謳い上げ、「アルカディア」を出現させようとした画家の創意が見てとれます。また 1909 年、画家アンリ・マンギャンの誘いで南仏のサン=トロペに初めて長期滞在し、母に宛てて「色彩に満ちた光と影」が織りなす「千夜一夜」の体験を書き送ります。その後、彼はコート・ダジュールを毎年のように訪れ、1926 年にはル・カネの丘の上に建つ、地中海を一望する家を購入します。第二次世界大戦中もこの地に留まり、1947 年に亡くなるまで、輝く色彩に満ちた終わることのない「夏」を描き続けました。


 以下、印象に残った絵をいくつか紹介します。(展示順、写真は図録をコピー)

化粧室 あるいは バラ色の化粧室(1914-21、119.5×79cm)
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 明快で単純な構図だが、その造形的な効果は大きい。明と暗、暖色と寒色、円形と平面、突出と後退、静かな単色の平面と、装飾的なパターンで動きを与えられた平面の対比が巧みに用いられている。とくに鏡の造形的効果や、実際の人物はいなくて、室の片隅の鏡の中に映っているような「思いがけない効果」を、ボナールは好んだ。
 この作品のマルトは右側で断ち切られているが、これもボナールの芸術の独特な性格を示すものである。制作中のカンヴァスはアトリエの壁や廊下の壁に鋲で止められ、しかも何点か同時に制作した。「決められた方法で描くことは私には苦痛だ。構想は多かれ少なかれ実際の寸法で切られたり、変更されたりするからだ」と彼はいったが、長い時間をかけて、時には何年間もかけて制作されたカンヴァスは、最後の瞬間に切られたり、余白の部分に細長い色面が描き込まれたりした。(『カンヴァス世界の名画12 ロートレックとボナール』より)
※この絵はずっと画集で見ていたので、目の前にした時ちょっとドキドキしました。ボナールは「日本かぶれのナビ」と言われたそうですが、この絵の鏡を使った構図に浮世絵の影響を感じます。


浴盤にしゃがむ裸婦(1918、83×73cm)
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 浴盤の上にしゃがんで、緑色に輝く水を注いでいるマルトは、画家の存在に気づいていないかのようである。浴女という主題や、折り曲がった身体の表現、俯瞰する構図は、エドガー・ドガ(1834-1917)の裸婦画を思わせる。観者の視線を意識したポーズで描かれる伝統的な裸婦画を刷新しようとしたドガと同じように、ボナールは、モデルにポーズを取らせず、各々の動作に没頭することを求めた。ここで描かれているものも、持病の神経障害を和らげるために一日に何度も入浴したというマルトの日常的な動作である。
 一見すると何気ない光景を描いたように見える本作は、その実、10年ほど前に撮影されたスナップショットやデッサン、そして自らの記憶をもとに、時間をかけて再構成されている。同じ構図の写真や本作の習作に見られる装飾タイルは、ここでは簡素な無地の床に変更されている。その代わりに、画面奥から差し込む陽光は強調して描かれ、室内に複雑な色調をもたらしている。ナビ派時代の様式から脱却したボナールは、世紀末の室内画を特徴づける装飾性を排除してでも、光を反射した床が目の前で黄色く染まっていく様子を描いたのである。(図録解説より)
※この展覧会にはボナールが撮ったスナップショットなど、30点の写真が展示されています。いつもカメラを身近において創作活動に活用していたことがうかがえます。


桟敷席(1908、90×120.6cm)
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 本作の舞台はオペラ座の桟敷席で、画商であるジョスとガストンのベルネーム=ジュヌ兄弟とその妻たちが描かれている。兄弟はパリにベルネーム=ジュヌ画廊を構え、印象派やポスト印象派など当時の新しい絵画の潮流を積極的に紹介していた。この画廊は1900年に《ブルジョワ家庭の午後 あるいは テラス一家》を購入し、それ以後ボナールの作品を取り扱うことになる。赤い布の間仕切りによって分割された前景と後景は、はっきりとした明暗の対比で描きわけられ、前景の薄暗さが際立っている。二組の夫婦は観劇しているにもかかわらず、その表情はどこか倦怠感を醸し出し、桟敷席は不穏で重々しい雰囲気に包まれている。
 そもそもボナールやヴュイヤールらナビの画家たちは、劇場と密接な関係を持っていた。1880年代から90年代にかけて立て続けに創設された芸術座や制作座、自由劇場などの劇場では、当時の前衛的な演劇が上演されていた。とりわけリュニエ・ポーが率いた制作座は象徴主義の劇作家の作品を積極的に紹介しており、ナビ派の画家たちはその舞台装置やプログラムを手がけていたのである。(図録解説より)
※立っている男の頭が切れているのはなぜだろう? 手前の女性への見る者の視線を散漫にさせないためでしょうか? あるいは、桟敷席の空間の広がりを表現するためでしょうか? 「絵を買ってくれる画商の頭を切っちゃうなんて、やばいんじゃない」なんて、誰かがふざけて言ってましたが、画商はボナールの芸術性を理解しているわけですから、頭を切られたって気にしなかったと思います。 


猫と女性 あるいは 餌をねだる猫(1912頃、78×77.5cm)
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 モデルの顔の上半分は影で覆われているものの、丸みを帯びた顔、大きな鼻、ぽってりとしたくちびる、そして栗色の髪の毛は、彼女をマルトだと認識するに十分な要素であろう。1893年、パリの街角でボナールはマルト・ド・メリニーと名乗る少女と出会った。彼女はやがてボナールの恋人となり、1925年には正式に結婚する。出会ってから1942年にマルトが亡くなるまで、彼女はボナールの作品に頻繁に登場する。
 本作でボナールは、マルト、猫、そして食卓という、馴染み深い3つの主題を一緒に描いており、日常の何気ない主題が扱われているにもかかわらず、工夫を凝らした構図が適用されている。前景では、皿の丸みとマルトの顔の丸み、そしてテーブルの丸みと肩の丸みが呼応しており、後景では、暖炉の端、壁、椅子に用いられた垂直方向の直線の要素が画面を支配している。この静的な画面に密やかな動きを与えているのが斜めの要素である。テーブルに身を乗り出した白い猫の体を伸ばした斜めの姿勢は、皿の上に置かれた魚を狙う猫の不可視の視線とほぼ同じ角度で描かれている。(図録解説より)
※赤、緑、黄、・・・。色づかいが好きです。静的な人物と背景に対し、猫の姿に動きがあり、画面が生き生きして見えます。


セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて(1911頃、74×113cm)
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 ボナールが購入したヴェルノンの家「マ・ルロット(私の家馬車)」は、セーヌ川に面する斜面に建っている。2階にはテラスがあり、そこから階段を下りると庭に出ることができた。このテラスから見える眺望を、ボナールは同時期の風景画や装飾画で度々描いている。
 世紀末のパリで制作された室内画とは対照的に、本作に描かれた窓は開放され室内に明るい光をもたらしている。本作を手がけた頃、彼はベルネーム=ジュヌ画廊を介してアンリ・マティスの《開いた窓》(1911)を購入した。両面端で切断された家具や、壁に掛けられた画中画は、マティスの作品と共通するモティーフであるが、本作に特徴的なのは、室内に差し込む西日で壁面が逆光に沈んでいる点である。1908年になって南フランスの光を発見したボナールは、ノルマンディーの風景画でも明るい色彩を用いるようになる。眩い色彩の処理に悩むようになった画家は、カンヴァスと平行に配された窓やドアの四角形を利用することで、安定した構図を作り出した。本作は室内画であると同時に風景画なのであり、両者の関係は、暖色と寒色、人工物と自然物、定型と不定形といった対立項の均衡で表現されている。(図録解説より)



◆グッズ・土産
・図録『ピエール・ボナール展』
・絵ハガキ

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