クロード・モネ「睡蓮」(iPhone8で撮影)
今日、「ルーベンス展」を見たあと、常設展を見ました。先日、茨城県近代美術館「ポーラ美術館コレクション」でクロード・モネの作品を見て、その中にはなかった「睡蓮」を見たいと思っていました。
◆常設展について(国立西洋美術館HPより)
国立西洋美術館は、松方コレクションが核となって1959年に設立した、西洋の美術作品を専門とする美術館です。中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画と、ロダンを中心とするフランス近代彫刻を本館、新館、前庭で年間を通じて展示しています。
以下、印象に残った絵をいくつか紹介します。
◆クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」(1891、93×73.5cm、図録をコピー)
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光の効果に対するモネの関心は、1890年代以降、時間や天候をさまざまに変えて同じモティーフを描く連作の制作へ向かう。1880年代末から1891年にかけて最初の連作〈積み藁〉を描いた後、1891年の初夏から秋にかけて取り組まれたのが、ジヴェルニー近辺のエプト川の岸辺の〈ポプラ並木〉の連作である。モネはアトリエ船に乗って制作に励んだといわれる。
この連作では、季節や時刻、天候の違いによる光や色彩の変化と、川辺のポプラ並木が作る垂直と蛇行線のリズムの響き合いが重要なテーマとなっている。本作では、勢いのある筆致で描かれた緑の岸辺に優美に立つ3本のポプラの幹越しに、蛇行していく木々の曲線が覗く。しかし、前列の木々の梢が画面上端で大胆にも断ち切られているせいか、前後の位置関係が明瞭ではなく、空間の奥行きはあまり感じられない。極めて平面的で装飾的な画面構成がなされている。水面にはポプラと空が明瞭な反映像を映し出し、空間をさらに曖昧なものとしている。
鮮やかな水色、黄色、緑、ピンクと、本作は、連作の中でもとくに明るい色使いが特徴的である。絵具を盛り上げるようにして描かれた中景のポプラの葉むらは、金色に輝き、季節はどうやら夏から秋へ移行している。数カ月にわたる政策の途中、木材用に植林されていたこのポプラ並木の伐採計画が持ち上がるが、モネは所有者に大金を出してまで制作し続けたという。本作も含め、〈ポプラ並木〉の連作は、翌1892年春、パリのデュラン=リュエル画廊で展示され、〈積み藁〉に続いて、大きな成功をモネにもたらした。また、ポプラはフランス共和国の象徴的な木でもあり、モネのこの連作に、国家復興などの意味を見出す研究者もいる。(図録解説より)
※この連作では、季節や時刻、天候の違いによる光や色彩の変化と、川辺のポプラ並木が作る垂直と蛇行線のリズムの響き合いが重要なテーマとなっている。本作では、勢いのある筆致で描かれた緑の岸辺に優美に立つ3本のポプラの幹越しに、蛇行していく木々の曲線が覗く。しかし、前列の木々の梢が画面上端で大胆にも断ち切られているせいか、前後の位置関係が明瞭ではなく、空間の奥行きはあまり感じられない。極めて平面的で装飾的な画面構成がなされている。水面にはポプラと空が明瞭な反映像を映し出し、空間をさらに曖昧なものとしている。
鮮やかな水色、黄色、緑、ピンクと、本作は、連作の中でもとくに明るい色使いが特徴的である。絵具を盛り上げるようにして描かれた中景のポプラの葉むらは、金色に輝き、季節はどうやら夏から秋へ移行している。数カ月にわたる政策の途中、木材用に植林されていたこのポプラ並木の伐採計画が持ち上がるが、モネは所有者に大金を出してまで制作し続けたという。本作も含め、〈ポプラ並木〉の連作は、翌1892年春、パリのデュラン=リュエル画廊で展示され、〈積み藁〉に続いて、大きな成功をモネにもたらした。また、ポプラはフランス共和国の象徴的な木でもあり、モネのこの連作に、国家復興などの意味を見出す研究者もいる。(図録解説より)
◆クロード・モネ「睡蓮」(1916、200.5×201cm、図録をコピー)
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ジヴェルニーの自邸の庭に造った日本風の蓮池は、モネの連作の格好のモティーフとなる。1890年代末から、1926年に86歳で死去するまで30年近くの間、モネはこの蓮池を題材に200点以上を制作し、水面に揺らめく光と影、虚像と実像の戯れを描いた〈睡蓮〉連作は、モネの画業の集大成となる。当初は、水面の睡蓮だけではなく、視点を引いて、池の周囲のしだれ柳や日本の太鼓橋も描き込まれていたが、次第に水面の表現への集中が始まり、睡蓮の花には、柳や空の反映とともに揺らめきながら、靄がかった幻想的な色面の広がりを構成して行く。
本作は、のちにオランジュリー美術館に収蔵された1914-26年作の大型連作のための習作のひとつと考えられている。アトリエを訪ねた松方幸次郎が画家から直接購入したもので、完成度も高く、晩年の様式をよく示す重要な作品である。当時、モネは庭の隅にガラス張りのアトリエを建てて、時の経過とともに表情を変える蓮池の水面を相手に朝から晩まで制作に励んでいた。画面全体を覆いつくす池の面に色鮮やかに咲き誇る睡蓮の花々。水面に映り込んだ柳家空、揺らめく水草らと渾然となって幻想的な世界を作っている。垂直方向に強調された硬質な筆触と濃い水の色の効果は、深く神秘的な水中までも暗示する。一見、日本の屏風を思わせる装飾的な平面構成だが、そこには水面、反映像、水底という重層的な絵画空間が生み出されている。
1908年頃からモネは視力の低下が進み、1913年には白内障と診断され、後に2度の手術を受けるなど、晩年は目を病んでいた。最晩年の作品では、モティーフも水面も次第に荒々しく表出的なストロークで描かれ、抽象化が進む。その色面の広がりや感覚的な表現は、抽象表現主義やアンフォルメルなど、20世紀美術の展開にも影響を与えている。(図録解説より抜粋)
※本作は、のちにオランジュリー美術館に収蔵された1914-26年作の大型連作のための習作のひとつと考えられている。アトリエを訪ねた松方幸次郎が画家から直接購入したもので、完成度も高く、晩年の様式をよく示す重要な作品である。当時、モネは庭の隅にガラス張りのアトリエを建てて、時の経過とともに表情を変える蓮池の水面を相手に朝から晩まで制作に励んでいた。画面全体を覆いつくす池の面に色鮮やかに咲き誇る睡蓮の花々。水面に映り込んだ柳家空、揺らめく水草らと渾然となって幻想的な世界を作っている。垂直方向に強調された硬質な筆触と濃い水の色の効果は、深く神秘的な水中までも暗示する。一見、日本の屏風を思わせる装飾的な平面構成だが、そこには水面、反映像、水底という重層的な絵画空間が生み出されている。
1908年頃からモネは視力の低下が進み、1913年には白内障と診断され、後に2度の手術を受けるなど、晩年は目を病んでいた。最晩年の作品では、モティーフも水面も次第に荒々しく表出的なストロークで描かれ、抽象化が進む。その色面の広がりや感覚的な表現は、抽象表現主義やアンフォルメルなど、20世紀美術の展開にも影響を与えている。(図録解説より抜粋)
◆クロード・モネ「しゃくやくの花園」(1887、iPhone8で撮影)
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◆クロード・モネ「黄色いアイリス」(1914-17頃、iPhone8で撮影)
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◆ピエール・ボナール「働く人々」(1916-20頃、iPhone8で撮影)
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◆グッズ・土産
・図録『国立西洋美術館名作選』
・図録『国立西洋美術館名作選』