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詩集『半夏生』を読みました。

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今日、知人からいただいた彼の第一詩集『半夏生』(1994)を読みました。この詩集は、茨城新聞の「茨城詩壇」に投稿し掲載された作品を中心に22編が収録されています。本人は「若かった」と言っていましたが、確かにそう思える部分もあります。でも、そういった部分も含めて心に響く詩が多いなと思いました。
以下、一読していいなと思った作品を引用します。


    林檎


    林檎の季節がきた
    ああこれぞ林檎というやつを
    飽きるほど食べてみたいと思う

    化物のように大きくて
    色が鮮やかならよいとでもいうのか
    まったく歯ごたえがなくて

    洋菓子も顔負けなほど
    ただ甘いきりの そんな
    林檎にうんざりしているのだ

    イングランドの とある果物屋の前
    山と積まれたとりどりの林檎を眺めていたら
    関取みたいなおっさん

    山のなかから ひとつ
    汚れたズボンでちょっと拭いて
    ――さあ試食しな

    おずおず受けとりかぶりつく
    ! 顎をもっていかれそうな固さ
    ? 味は言わずもがな

    虫食いなんて平気のへいざ
    尻のいびつがどうしたというの
    うっと眉をひそめる酸っぱさのあと

    遠慮勝ちに だが確実に甘さがおしよせてくる
    これぞ林檎 というやつに
    もういちどありつきたい





    トキ(二)


    わたしの名前は「ミドリ」と申します
    たった今悠久の大地中国から戻りました

    ご存知のようにトキ繁殖の望みを託され
    はるばる中国まで送られたのが二年前
    けれども期待にそえず帰国しました
    子供を持つには少しく歳をとりすぎて

    生涯見ることはなかっただろう
    中国大陸までゆけたことは
    老い先そう長くはないわたしにとって
    幸せといえば幸せなことでしたが

    このトキ色の翼でではなくて
    同じような羽をもつ飛行機で
    往復しなければならなかったことに
    内心歯がみし無念に思っています

    ともあれこの地でのわたしたちの「種」は
    永遠に絶えることが確実となりました
    それを思うとき深井戸をのぞきこむような
    はてない恐怖感におそわれます

    しかしもっと怖しいことがあります
    愛しいと思うことがあっても
    自分より他につぶやく相手がいないのです
    淋しいと鳴いてもわたしのことばを
    ききわけてくれる者がもう誰もいないのです





    夏―― 一九六〇年 ――


    森のように茂ったトウモロコシ畑の中から 父は這いずるようにし
    て出てきた 背中の籠から収穫したトウモロコシをぼろぼろこぼし
    ながら
    「楽でねえな――」

    夕ご飯のすんだ後 トンネルのように続く蒸し暑い夜の底で 母は
    毎晩盥(たらい)いっぱいの汚れ物の洗濯に追われた
    「楽でねえな――」

    「仕事 手伝え」という父の声と 「宿題すんだの」という母の声
    からかくれるように 少年は裏木戸から湖めざして駆けだした そ
    うして日がないちにち ヨシの間を分け入って鳰(にお)の巣を探
    して歩いた





    


    少年が行方不明になった
    半夏生が咲きはじめた湖で

    少年を呑みこんだ湖は捜索の小舟を浮かべ
    何事もなかったように凪いでいる

    まだ生きている――老人も子供も
    岸辺に佇んで沖の一点を見つめている

    ――早くあがってきて
    渚に座ったまま少年の母が叫ぶ

    しかし彼女は誰より冷静だった
    息子がとうに冷たくなって こと切れているのを知っている

    どれほど少年の臍に泥が積っただろう
    細い脚にどれほど石菖藻が絡まっただろう

    岸辺には半夏生がほの白く
    沖の小舟には灯がともり

    夏はようやく始まったばかりなのに
    村の夏は終ってしまったように沈んでいる


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