昨夜、『現代語訳付き 蕪村句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。
なお、次の2句(安永9年=1780年、65歳)が特に気に入ったので、現代語訳も付けておきます。
花に来て花にいねぶるいとまかな
(訳)花見に来て、花の陰で居眠りする、やすらぎの時よ。
掴みとりて心の闇のほたる哉
(訳)つかみとって、己が心の闇に気がついた。掌のなかの蛍よ。
なお、次の2句(安永9年=1780年、65歳)が特に気に入ったので、現代語訳も付けておきます。
花に来て花にいねぶるいとまかな
(訳)花見に来て、花の陰で居眠りする、やすらぎの時よ。
掴みとりて心の闇のほたる哉
(訳)つかみとって、己が心の闇に気がついた。掌のなかの蛍よ。
◆元文5年(1740):25歳
行年(ゆくとし)や芥流るゝさくら川
◆延享元年(1744):29歳
古庭に鶯啼きぬ日もすがら
◆宝暦10年(1760):45歳
秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子哉
◆宝暦元年(1751)~宝暦7年(1757)以前:36-42歳以前
夏河を越すうれしさよ手に草履
◆宝暦13年(1763)以前:48歳以前
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
◆明和3年(1766):51歳
虫干や甥の僧訪(と)ふ東大寺
◆明和5年(1768):53歳
象の眼の笑ひかけたり山桜
狩ぎぬの袖の裏這ふほたろ哉
手すさびの団(うちは)画(ゑがか)ん草の汁
鮒鮓(ふなずし)の便りも遠き夏野哉
温泉(ゆ)の底に我足見ゆる今朝の秋
錦(にしき)する秋の野末の案山子哉
うき人に手をうたれたるきぬた哉
かじか煮る宿に泊りつ後の月
磯ちどり足をぬらして遊びけり
寒月や門をたゝけば沓(くつ)の音
宿かさぬ灯影(ほかげ)や雪の家つづき
極楽のちか道いくつ寒念仏
◆明和6年(1769):54歳
難波女(なにはめ)や京を寒がる御忌詣(ぎよきまうで)
苗代や鞍馬のさくら散にけり
菜の花や和泉河内へ小商(こあきなひ)
牡丹散て打かさなりぬ二三片
蚊屋の内にほたるはなしてアヽ楽や
薬園に雨ふる五月五日かな
夕顔や行燈(あんど)さげたる君は誰
凩(こがらし)や碑(いしぶみ)をよむ僧一人
冬ごもり妻にも子にもかくれん坊(ぼ)
◆明和7年(1770):55歳
熊谷も夕日まばゆき雲雀哉
十六夜(いざよひ)の落るところや須磨の波
◆明和8年(1771):56歳
鶯の麁相(そさう)がましき初音かな
行雲を見つゝ居直る蛙哉
喰ふて寝て牛にならばや桃の花
明やすき夜や稲妻の鞘走り
暑き日の刀にかゆる扇哉
貧乏に追つかれけりけさの秋
みのむしのぶらと世にふる時雨哉
◆安永元年(1772):57歳
日の光今朝や鰯のかしらより
◆安永2年(1773):58歳
若竹や夕日の嵯峨と成にけり
うき草を吹あつめてや花むしろ
かなしさや釣の糸ふく秋の風
茸狩(たけがり)や頭(かうべ)を挙(あぐ)れば峰の月
いざ雪見容(カタチヅクリ)す蓑と笠
◆安永3年(1774):59歳
花の春誰(た)ソやさくらの春と呼(よぶ)
我宿のうぐひす聞む野に出て
なの花や月は東に日は西に
ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)
寂(せき)として客の絶間のぼたん哉
夕風や水青鷺の脛(はぎ)をうつ
花いばら故郷の路に似たるかな
夜水(よみづ)とる里人の声や夏の月
狐火の燃つく斗(ばかり)枯尾花
◆安永4年(1775):60歳
御忌(ぎよき)の鐘ひゞくや谷の氷まで
剛力は徒(ただ)に見過ぬ山ざくら
海棠や白粉(おしろい)に紅をあやまてる
猪の露折かけておみなへし
居眠(いねぶ)りて我にかくれん冬ごもり
◆安永5年(1776):61歳
みの虫の古巣に添ふて梅二輪
なつかしき津守の里や田にしあへ
折釘に烏帽子かけたり春の宿
さし汐に雨のほそ江のほたる哉
夏山や通ひなれたる若狭人(わかさびと)
夕立や草葉をつかむ村雀
椎の花人もすさめぬ匂かな
秋風や干魚(ひうを)かけたる浜庇(はまびさし)
盗人の首領哥(うた)よむけふの月
中々にひとりあればぞ月を友
紀の路にもおりず夜を行(ゆく)雁(かり)ひとつ
起て居てもう寝たと云(いふ)夜寒哉
黒谷の隣はしろしそばの花
我を慕ふ女やはある秋のくれ
さびしさのうれしくも有(あり)秋のくれ
暮まだき星のかゝやくかれの哉
◆安永6年(1777):62歳
梅遠近(をちこち)南すべく北すべく
やぶ入や浪花を出(いで)て長柄川(ながらがわ)
春風や堤長うして家遠し
たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
月光西にわたれば花影東に歩むかな
おちこちに滝の音聞く若葉かな
こもり居て雨うたがふや蝸牛(かたつぶり)
渋柿の花ちる里と成にけり
金屏のかくやくとして牡丹哉
鮒ずしや彦根の城に雲かゝる
酒を煮る家の女房ちよとほれた
芍薬に紙魚(しみ)うち払ふ窓の前
小田原で合羽(かつぱ)買たり五月雨(さつきあめ)
涼しさや鐘をはなるゝかねの声
掛香(かけがう)をきのふわすれぬ妹(いも)がもと
百日紅(さるすべり)やゝちりがての小町寺
端居(はしゐ)して妻子を避(さく)る暑(あつさ)かな
恋さまさま願(ねがひ)の糸も白きより
八朔もとかく過行(すぎゆく)おどり哉
松明(まつ)消(きえ)て海少し見(みゆ)る花野かな
追風に薄(すすき)刈とる翁かな
花火せよ淀の御茶屋の夕月夜(ゆふづくよ)
三径(さんけい)の十歩に尽て蓼の花
瀬田降て志賀の夕日や江鮭(あめのうを)
十六夜あくじら来(き)そめし熊野浦
まんじゆさげ蘭に類(たぐ)ひて狐啼(なく)
手燭して色失へる黄菊かな
こがらしや鐘に小石を吹当(あて)る
水仙や寒き都のこゝかしこ
◆安永7年(1778):63歳
菜の花や鯨もよらず海くれぬ
ゆく春や白き花見ゆ垣のひま
◆安永8年(1779):64歳
順礼の宿とる軒や猫の恋
関守の火鉢小さき余寒哉
莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗の薹
暁のあられ打ゆく椿哉
大和路の宮もわら屋もつばめ哉
大津絵に糞(ふん)落しゆく燕かな
山に添ふて小舟漕行(こぎゆく)若ばかな
虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹哉
洟(はな)たれて独(ひとり)碁をうつ夜寒かな
◆安永9年(1780):65歳
妹が垣根さみせん草の花咲ぬ
春雨やゆるい下駄借(か)す奈良の宿
花に来て花にいねぶるいとまかな
傾城(けいせい)はのちの世かけて花見かな
誰(たが)ための低きまくらぞ春の暮
きのふ暮けふ又くれてゆく春や
掴みとりて心の闇のほたる哉
家にあらで鶯きかぬひと日哉
すみずみにのこる寒さやうめの花
◆天明元年(1781):66歳
春水(しゆんすい)や四条五条の橋の下
菜の花やみな出はらひし矢走舟(やばせぶね)
日くるゝに雉子うつ春の山辺哉
うたゝ寝のさむれば春の日くれたり
◆天明2年(1782):67歳
今朝きつる鶯と見しに啼かで去(さる)
春雨やものがたりゆく蓑と傘
旅人の鼻まだ寒し初ざくら
ゆく春や逡巡として遅ざくら
後の月鴫(しぎ)たつあとの水の中
淋し身に杖わすれたり秋の暮
◆天明3年(1783):68歳
山吹や井手を流るゝ鉋屑(かんなくず)
◆年次不詳 安政7年~天明3年(1778-1783):63-68歳
曙のむらさきの幕や春の風
◆年次不詳 年次推定の上限・下限が特定できないもの
水深く利鎌(ときかま)鳴らす真菰刈(まこもがり)
秋の燈(ひ)やゆかしき奈良の道具市
与謝蕪村 1716-83年。江戸時代中期の俳人・画人。摂津国東成郡毛馬村に生まれ、若き日に江戸へ下向、以後関東・東北地方を遊歴して、画と俳諧を修業。36歳で帰阪して、丹後・四国地方を画家として歴訪、京都に定住した。55歳で夜半亭を継いで宗匠立机。俳句と画が映発し合い交響する「はいかい物之草画」(俳画)を創成する。(ブックカバーより)