↧
謹賀新年
↧
バーナード・マラマッド『魔法の樽』を読みました。
今日、バーナード・マラマッドの短編集『魔法の樽』(1958)を読み終えました。これから先、何度も読み返すことになる本だと思います。
『魔法の樽』は『ナチュラル』(1952)、『アシスタント』(1957)についで刊行されたマラマッドの最初の短編集です。彼はこの作品で全米図書賞を受賞し、作家として脚光を浴びることになりました。日本では1970年前後に相次いで3種類の翻訳が刊行されています。邦高忠二訳『魔法の樽』(1968)及び繁尾久訳『魔法のたる』(1970)、加島祥造訳『マラマッド短編集』(1971)です。
僕は新潮文庫の加島祥造訳で読みましたが、初版から40年以上経っているので、新訳が出ることを期待していました。昨年10月、岩波文庫から阿部公彦(まさひこ)氏による新訳が出ていました。ヤッホー! って感じでした。
『魔法の樽』は『ナチュラル』(1952)、『アシスタント』(1957)についで刊行されたマラマッドの最初の短編集です。彼はこの作品で全米図書賞を受賞し、作家として脚光を浴びることになりました。日本では1970年前後に相次いで3種類の翻訳が刊行されています。邦高忠二訳『魔法の樽』(1968)及び繁尾久訳『魔法のたる』(1970)、加島祥造訳『マラマッド短編集』(1971)です。
僕は新潮文庫の加島祥造訳で読みましたが、初版から40年以上経っているので、新訳が出ることを期待していました。昨年10月、岩波文庫から阿部公彦(まさひこ)氏による新訳が出ていました。ヤッホー! って感じでした。
■マラマッドは、1914年ロシア系ユダヤ人の両親の元にニューヨーク・ブルックリンで生まれました。彼の両親は帝政ロシア期のユダヤ人迫害を逃れてアメリカにやってきたのです。彼の両親が移住してきた20世紀初めのブルックリンは、迫害の地から命からがら逃れてきた移民も多くいた地域でした。(この文庫本の表紙写真は1915年に撮影されたもので、まさにこの場所に、1924年、彼の両親が雑貨屋を開いています。)
■マラマッドは、多くの作品で帝政ロシアやナチスによるユダヤ人迫害を逃れてアメリカにやってきた人々を描いています。そして、彼らがアメリカでの貧しい生活から必死にはい上がろうとする姿、あるいは挫折し諦めの境地に入る姿を描き出しています。
■『魔法の樽』収録作品分類(加島祥造訳『マラマッド短編集』の「あとがき」による)
(1)ニューヨークのユダヤ人物
「はじめの七年」「死を悼む人々」「天使レヴィン」「どうか憐れみを」「請求書」「借金」「魔法の樽」
(2)ユダヤ人の登場しないニューヨーク物
「夢にみた彼女」「牢獄」「ある夏の読書」
(3)イタリア物
「『ほら、鍵だ』」「湖の令嬢」「最後のモヒカン族」
■マラマッドは、多くの作品で帝政ロシアやナチスによるユダヤ人迫害を逃れてアメリカにやってきた人々を描いています。そして、彼らがアメリカでの貧しい生活から必死にはい上がろうとする姿、あるいは挫折し諦めの境地に入る姿を描き出しています。
■『魔法の樽』収録作品分類(加島祥造訳『マラマッド短編集』の「あとがき」による)
(1)ニューヨークのユダヤ人物
「はじめの七年」「死を悼む人々」「天使レヴィン」「どうか憐れみを」「請求書」「借金」「魔法の樽」
(2)ユダヤ人の登場しないニューヨーク物
「夢にみた彼女」「牢獄」「ある夏の読書」
(3)イタリア物
「『ほら、鍵だ』」「湖の令嬢」「最後のモヒカン族」
【収録作品】
◆はじめの七年
『アシスタント』の結末を思い起こさせる作品です。靴職人のフェルドは、娘ミリアムには自分たち夫婦のような貧しい生活から抜け出して欲しいと願っています。しかし、ナチスの迫害を逃れ、ポーランドからアメリカにやってきた助手のソベルは、ミリアムにずっと思いを寄せていました。
◆はじめの七年
『アシスタント』の結末を思い起こさせる作品です。靴職人のフェルドは、娘ミリアムには自分たち夫婦のような貧しい生活から抜け出して欲しいと願っています。しかし、ナチスの迫害を逃れ、ポーランドからアメリカにやってきた助手のソベルは、ミリアムにずっと思いを寄せていました。
◆死を悼む人々
独り身で年金暮らしのケスラーは30年前に妻子を捨てましたが、65歳を過ぎた今まで彼らのことを考えたことはありませんでした。そんな彼がアパートの家主と管理人からとても理不尽な仕打ちを受けます。そのことで彼は、自分が妻子にした行為がとても理不尽で取り返しのつかないことだったと気づきます。
人生の終わりに自らの過ちを知った苦しみはいかばかりか、そんな作品だと思います。
独り身で年金暮らしのケスラーは30年前に妻子を捨てましたが、65歳を過ぎた今まで彼らのことを考えたことはありませんでした。そんな彼がアパートの家主と管理人からとても理不尽な仕打ちを受けます。そのことで彼は、自分が妻子にした行為がとても理不尽で取り返しのつかないことだったと気づきます。
人生の終わりに自らの過ちを知った苦しみはいかばかりか、そんな作品だと思います。
◆夢にみた彼女
作家志望の青年ミトカは、同じく作家志望の女性マデレンと手紙のやりとりを始めます。彼はマデレンを彼女の作品から「年の頃はおそらく二十三くらい、細身だがやわらかな肉付きをしていて、顔には知性が浮かんでいる」と想像します。やがて二人は会うことになりますが、彼の目の前に現れたのは中年の地味な女性でした。
似たような設定は映画やテレビドラマでも数多く使われていますが、全然陳腐に感じないのはなぜでしょう? 最後の2段落の意味が(諸説あるようです)よくわかりません。
作家志望の青年ミトカは、同じく作家志望の女性マデレンと手紙のやりとりを始めます。彼はマデレンを彼女の作品から「年の頃はおそらく二十三くらい、細身だがやわらかな肉付きをしていて、顔には知性が浮かんでいる」と想像します。やがて二人は会うことになりますが、彼の目の前に現れたのは中年の地味な女性でした。
似たような設定は映画やテレビドラマでも数多く使われていますが、全然陳腐に感じないのはなぜでしょう? 最後の2段落の意味が(諸説あるようです)よくわかりません。
◆天使レヴィン
仕立屋のマニシェヴィッツは火事で店を失いました。時を同じくして息子は戦死、娘もどこかの田舎者と結婚して彼のもとを去りました。さらに悪いことに、彼はひどい腰痛になり、一日に一時間か二時間ほどしか働けなくなってしまいます。妻も体調を崩し、医者からはほとんど希望がないと告げられます。
そんな彼のもとに自らを天使と名乗るレヴィンが現れます。
仕立屋のマニシェヴィッツは火事で店を失いました。時を同じくして息子は戦死、娘もどこかの田舎者と結婚して彼のもとを去りました。さらに悪いことに、彼はひどい腰痛になり、一日に一時間か二時間ほどしか働けなくなってしまいます。妻も体調を崩し、医者からはほとんど希望がないと告げられます。
そんな彼のもとに自らを天使と名乗るレヴィンが現れます。
◆「ほら、鍵だ」
コロンビア大学でイタリア研究をしている大学院生のカールは、博士論文執筆のために妻子を連れローマを訪れます。イタリア滞在を満喫するはずでしたが、予算にあった適当なアパートが見つからず、部屋探しに奔走します。
やっとのことで部屋が見つかったと思った瞬間、彼は絶望へと突き落とされます。
コロンビア大学でイタリア研究をしている大学院生のカールは、博士論文執筆のために妻子を連れローマを訪れます。イタリア滞在を満喫するはずでしたが、予算にあった適当なアパートが見つからず、部屋探しに奔走します。
やっとのことで部屋が見つかったと思った瞬間、彼は絶望へと突き落とされます。
◆どうか憐れみを
調査員のダヴィドフは元コーヒー豆セールスマンのローゼンのもとを訪ね、彼からエヴァの話を聴きます。彼女の夫はナチスの迫害を逃れてアメリカにやって来たポーランド難民でした。彼女は夫とともに雑貨屋を始めましたが失敗し、失意の中夫は突然倒れて死んでしまいました。彼女は店を立て直そうとしますがうまくいきません。その様子を見かねたローゼンが何度も救いの手を差しのべようとしますが、彼女は頑なに拒絶しました。そこで、ローゼンが最後にとった行動は?
調査員のダヴィドフは元コーヒー豆セールスマンのローゼンのもとを訪ね、彼からエヴァの話を聴きます。彼女の夫はナチスの迫害を逃れてアメリカにやって来たポーランド難民でした。彼女は夫とともに雑貨屋を始めましたが失敗し、失意の中夫は突然倒れて死んでしまいました。彼女は店を立て直そうとしますがうまくいきません。その様子を見かねたローゼンが何度も救いの手を差しのべようとしますが、彼女は頑なに拒絶しました。そこで、ローゼンが最後にとった行動は?
◆牢獄
◆湖の令嬢
北イタリアのマッジョーレ湖が舞台。映像にしたらとても素敵な作品になると思います。謎めいて、官能的で、切なくて。でも、こういう話は昔のアメリカかイタリアの映画で見たような気もします。
この作品は「彼女は石像の中に紛れ、彼が湖から立ちのぼる霞の中をその名を呼びながらいくら探しまわっても、抱きしめることができたのは月光に照らされた石だけだった。」という文章で終わっています。えっ、ここで終わっちゃうの? 僕はやがて霞がとれ、彼が彼女を見つけ出すシーンを想像します。
◆湖の令嬢
北イタリアのマッジョーレ湖が舞台。映像にしたらとても素敵な作品になると思います。謎めいて、官能的で、切なくて。でも、こういう話は昔のアメリカかイタリアの映画で見たような気もします。
この作品は「彼女は石像の中に紛れ、彼が湖から立ちのぼる霞の中をその名を呼びながらいくら探しまわっても、抱きしめることができたのは月光に照らされた石だけだった。」という文章で終わっています。えっ、ここで終わっちゃうの? 僕はやがて霞がとれ、彼が彼女を見つけ出すシーンを想像します。
◆ある夏の読書
◆請求書
◆最後のモヒカン族
ジオットの研究書の下調べのためにイタリアにやってきたフィデルマンは、ローマでサスキンドと名のるユダヤ人難民につきまとわれます。彼はサスキンドから逃れようと別のホテルに移りますが、サスキンドはどこからともなく彼の前に現れ、彼のスーツを譲ってくれと言い出します。
あることがきっかけとなり、今度はフィデルマンがサスキンドを探すはめになります。彼は研究そっちのけでローマ中を探し回り、やがてサスキンドの住居を見つけ出します。最後には彼の方からサスキンドにスーツを差し出すことになりますが、とても不条理で、イライラ。ドキドキが募ります。
この作品のタイトルがなぜ「最後のモヒカン族」なのか、わかりません。
◆請求書
◆最後のモヒカン族
ジオットの研究書の下調べのためにイタリアにやってきたフィデルマンは、ローマでサスキンドと名のるユダヤ人難民につきまとわれます。彼はサスキンドから逃れようと別のホテルに移りますが、サスキンドはどこからともなく彼の前に現れ、彼のスーツを譲ってくれと言い出します。
あることがきっかけとなり、今度はフィデルマンがサスキンドを探すはめになります。彼は研究そっちのけでローマ中を探し回り、やがてサスキンドの住居を見つけ出します。最後には彼の方からサスキンドにスーツを差し出すことになりますが、とても不条理で、イライラ。ドキドキが募ります。
この作品のタイトルがなぜ「最後のモヒカン族」なのか、わかりません。
◆借金
◆魔法の樽
リオはイェシーヴァ大学(ニューヨークにある正統派ユダヤ教の大学)でラビ(ユダヤ教の指導者)になるための勉強をしています。彼は6年間の課程を終え、6月には正式にラビに任命される予定でしたが、「ラビというのは結婚していた方が信者もついてくる」というある人の助言を受け、結婚仲介業者のソルツマンに花嫁候補の紹介を依頼します。
◆魔法の樽
リオはイェシーヴァ大学(ニューヨークにある正統派ユダヤ教の大学)でラビ(ユダヤ教の指導者)になるための勉強をしています。彼は6年間の課程を終え、6月には正式にラビに任命される予定でしたが、「ラビというのは結婚していた方が信者もついてくる」というある人の助言を受け、結婚仲介業者のソルツマンに花嫁候補の紹介を依頼します。
↧
↧
村上春樹「木野」を読みました。
今日、『文藝春秋』二月特大号(870円)を買い、村上春樹の短編小説「女のいない男たち3 木野」を読みました。
◆まさに村上春樹的作品で、これまで彼の作品に登場した様々な要素が盛り込まれています。洒落たバー、古い時代のジャズのレコード、スコッチ・ウィスキー、妻の不倫と離婚、謎めいた客、セックス、猫の失踪、謎めいた指示、東京→高松→熊本という移動、等々。(俗な表現ですが)彦摩呂的な言い方を借りれば「村上春樹のてんこ盛りや!」って感じです。これは、この作品を読むためだけに870円を払ったファンへの作家の心遣いってことでしょう。彼もかなり楽しんで書いているように感じました。
◆この作品には謎めいた客や指示が出てきますが、それらは解決されます。「人間が抱く感情のうちで、おそらく嫉妬心とプライドくらいたちの悪いものはない」と主人公は自覚し、他人から嫉妬されたり、他人のプライドを傷つけないように気をつけています。やがて、彼は自身の嫉妬心やプライドに気づきます。
↧
神社のしめ縄作りをしました。
今日、神社のしめ縄作りと来週のおぴしゃ(「御歩射(おぶしゃ)」が転訛)の準備をしました。
しめ縄を作るには技術と力が必要です。僕はどちらもイマイチなので大変でした。
しめ縄を作るには技術と力が必要です。僕はどちらもイマイチなので大変でした。
↧
西村賢太「苦役列車」を読みました。
新潮文庫『苦役列車』は、「苦役列車」と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を収録しています。
今日、西村賢太の第144回芥川賞受賞作「苦役列車」を読みました。僕は芥川賞受賞なんて肩書きで本を選んだりしませんが、先日見たフジテレビの報道番組での彼の他におもねない発言を聞き、彼の作品を読んでみようと思いました。
◆「苦役列車」はいわゆる私小説で、西村の歩んだ人生を北町貫多という主人公に託して描いています。この作品のタイトルがなぜ「苦役列車」なのか? 以下の引用部分からそれがわかります。
以下に引用したのは書き出しの部分ですが、「曩時(のうじ)」なんて言葉は知らなかったし、「後架」の意味は察しはつきましたが、なぜこんな言葉を使うのだろうという印象を持ちました。
そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。(P116)◆古い言葉や言いまわしが多用されていますが、これは西村が私小説作家・藤澤清造(1889-1932)に傾倒しているからでしょうか? 西村の尽力により、新潮文庫から藤澤の『根津権現裏』(2011)と『藤澤清造短篇集』(2012)が出ているそうなので、読んでみようと思います。
以下に引用したのは書き出しの部分ですが、「曩時(のうじ)」なんて言葉は知らなかったし、「後架」の意味は察しはつきましたが、なぜこんな言葉を使うのだろうという印象を持ちました。
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。(P9)◆風俗店通いや自慰行為を描いていますが、男の僕でも好きではありません。おそらく、たいていの女性は毛嫌いするでしょう。
↧
↧
『ビフォア・ミッドナイト』を見ました。
今日、午後から仕事を休んで『ビフォア・ミッドナイト』(13)を見ました。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(95)と『ビフォア・サンセット』(04)をDVDで見ていたので、続編にあたるこの作品は劇場で見たいと思ったからです。
主演は前2作と同じイーサン・ホークとジュリー・デルピーです。ギリシアの海岸の町を背景に、ほとんど彼ら二人の会話だけでストーリーが展開しますが、これも前2作と同じです。
主演は前2作と同じイーサン・ホークとジュリー・デルピーです。ギリシアの海岸の町を背景に、ほとんど彼ら二人の会話だけでストーリーが展開しますが、これも前2作と同じです。
◆この作品は『ビフォア・サンライズ』から18年、『ビフォア・サンゼット』から9年経過したという設定ですが、これは実際の時間の経過と同じです。イーサン・ホークは素敵に年齢を重ねているように感じましたが、ジュリー・デルピーがいけません。だって、下っ腹は出ているし、大きなお尻が気になって仕方ありません。女優の美しさは映画の魅力には欠かせない大きな要素です。10kgくらいダイエットしてから撮影に臨むべきだったと思います。
◆この映画のテーマは夫婦の在り方ってことでしょうか。男は仕事にやりがいやロマンを求めて自由に生きられるけれど、女性は子供や家事が足枷になってやりたいこともできない。そんな二人の会話を聞いていると、身につまされますし、男と女が分かり合うって難しいと再認識しました。
◆この映画のテーマは夫婦の在り方ってことでしょうか。男は仕事にやりがいやロマンを求めて自由に生きられるけれど、女性は子供や家事が足枷になってやりたいこともできない。そんな二人の会話を聞いていると、身につまされますし、男と女が分かり合うって難しいと再認識しました。
※『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』と『ビフォア・サンセット』についてはこちらを参照してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/32979612.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/32979612.html
↧
Bruce Springsteen“High Hopes”を聴きました。
昨日、注文しておいたブルース・スプリングスティーンのニューアルバム“High Hopes”(2014.1.29)が届きました。未発表曲やカヴァー曲、再録音曲ばかりのようですが、かなり聴き応えのあるアルバムだと思います。以下、CDの帯に書かれた解説を引用します。
ロック界のボス、ブルース・スプリングスティーン2年ぶり通算18作目となるニュー・アルバム。過去10年間で書きためてきた最高峰の楽曲や、ライヴのみでしか演奏されてこなかった最重要曲も遂にスタジオ録音で初登場!
Eストリート・バンドのメンバー(故クラレンス・クレモンズ、ダニー・フェデリーシの在りし日の演奏も収録)、トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)他参加。
「ハイ・ホープス」「ジャスト・ライク・ファイア・ウッド」「フランキー・フェル・イン・ラヴ」などの“これぞE STREET BAND”的なロックン・ロールから、ボス自身が“キャリア史上最高の楽曲たち”と語る「アメリカン・スキン」「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード(Rock Version)」の初スタジオ録音まで。「ドリーム・ベイビー・ドリーム」は、“夢を持ち続けよう”というある種ブルースがデビュー以来40年間に渡ってずっと伝え続けている普遍的なメッセージをシンプルに、静かに、力強く歌いかける名曲。全ての装飾を排除したかのようなシンプルかつ荘厳なサウンドは聴く者の心を掴んで離さないはず。
Eストリート・バンドのメンバー(故クラレンス・クレモンズ、ダニー・フェデリーシの在りし日の演奏も収録)、トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)他参加。
「ハイ・ホープス」「ジャスト・ライク・ファイア・ウッド」「フランキー・フェル・イン・ラヴ」などの“これぞE STREET BAND”的なロックン・ロールから、ボス自身が“キャリア史上最高の楽曲たち”と語る「アメリカン・スキン」「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード(Rock Version)」の初スタジオ録音まで。「ドリーム・ベイビー・ドリーム」は、“夢を持ち続けよう”というある種ブルースがデビュー以来40年間に渡ってずっと伝え続けている普遍的なメッセージをシンプルに、静かに、力強く歌いかける名曲。全ての装飾を排除したかのようなシンプルかつ荘厳なサウンドは聴く者の心を掴んで離さないはず。
【収録曲】
1 High Hopes featuring Tom Morello
2 Harry's Place featuring Tom Morello
3 American Skin(41 Shots) featuring Tom Morello
4 Just Like Fire Would featuring Tom Morello
5 Down in the Hole
6 Heaven's Wall featuring Tom Morello
7 Frankie Fell in Love
8 This is Your Sword
9 Hunter of Invisible Game featuring Tom Morello
10 The Ghost of Tom Joad featuring Tom Morello
11 The Wall
12 Dream Baby Dream
1 High Hopes featuring Tom Morello
2 Harry's Place featuring Tom Morello
3 American Skin(41 Shots) featuring Tom Morello
4 Just Like Fire Would featuring Tom Morello
5 Down in the Hole
6 Heaven's Wall featuring Tom Morello
7 Frankie Fell in Love
8 This is Your Sword
9 Hunter of Invisible Game featuring Tom Morello
10 The Ghost of Tom Joad featuring Tom Morello
11 The Wall
12 Dream Baby Dream
↧
夏目漱石『草枕』を読みました。
昨夜、夏目漱石の『草枕』(1906)を読み終えました。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」という冒頭の文章は知っていましたが、読んだのは初めてでした。
漱石はこの作品中で自らの芸術論や文明論を語っていますが、彼の漢籍の知識があまりにも凄いせいか、難しい漢語がたくさん出てきて閉口しました。しかし、作品に登場する絵画や書には共感を覚えるものもあったし、那美という女性にとても惹かれました。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」という冒頭の文章は知っていましたが、読んだのは初めてでした。
漱石はこの作品中で自らの芸術論や文明論を語っていますが、彼の漢籍の知識があまりにも凄いせいか、難しい漢語がたくさん出てきて閉口しました。しかし、作品に登場する絵画や書には共感を覚えるものもあったし、那美という女性にとても惹かれました。
◆以下、主人公が小説の読み方について語った部分を引用します。この作品こそ、そんな読み方にピッタリなので、僕もこの作品をそんな風に繰り返し読み続けたいと思います。
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」(P115)
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」(P115)
◆この作品にはターナーや伊藤若冲、円山応挙らの絵が登場しますが、重要なのはミレーの「オフェリヤ」。シェークスピアの悲劇『ハムレット』のヒロイン・オフェリヤが、死んで川を流れてゆく姿を描いた絵です。
不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、折角の図面を早速取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒で烟を払う様に、さっぱりしなかった。(P26)
長良の乙女が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸をけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。(P33)
余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がクラゲの様に浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。(中略)余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察すると大分美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれは矢張り画になるのだ。水に浮かんだまま、或は水に沈んだまま、或は沈んだり浮んだりしたまま、只そのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸に色々な草花をあしらって、水の色と流れていく人の顔の色と、衣服の色に、落ち着いた調和をとったなら、屹度、画になるに相違ない。然し流れて行く人の表情が、まるで平和では殆んど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶は固より、全幅の精神をうち壊すが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かもしれないが、彼の精神は余と同じ所に存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。然し思う様な顔はそう容易く心に浮かんで来そうもない。(P90-91)
「私(那美)が身を投げて浮いている所を――苦しんで浮いてる所じゃないんです――やすやすと往生して浮いている所を――奇麗な画にかいて下さい」(P123)
こんな所(鏡が池)へ美しい女の浮いている所をかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、又烟草を呑んで、ぼんやり考え込む。温泉場の御那美さんが昨日冗談に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪にのる一枚の板子のように揺れる。あの顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか。(中略)矢張御那美さんの顔が一番似合う様だ。然し何だか物足らない。物足らないとまでは気が付くが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。(中略)色々に考えた末、仕舞に漸くこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。(P128-129)
茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士(那美の元夫)が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。(P178)
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。(P178)
◆気に入った文章を引用しておきます。
喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝ねる間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(P6-7)
喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝ねる間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(P6-7)
ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-96)の「オフェーリア(『草枕』中ではオフェリヤ)」(1851-52)
↧
Billie Joe + Norah“Foreverly”を聴きました。
今日、仕事の行き帰りにビリー・ジョー・アームストロング(Green Day)とノラ・ジョーンズのデュエット・アルバム“Foreverly”(2013.11.26)を聴きました。
このアルバムはエヴァリー・ブラザーズ(Everly Brothers)の“Songs Our Daddy Taught Us”(1958)をカヴァーしたもので、カントリー/フォークに分類される内容です。アルバム・タイトル“Foreverly”は、forever(永遠に)とEverlyを合わせたもので、ビリー・ジョーとノラのエヴァリー・ブラザーズに対するオマージュ表現だと思います。
エヴァリー・ブラザーズの曲は‘Bye Bye Love’しか知りませんでしたが、ビリー・ジョーとノラが彼らの曲を僕たちに再認識させてくれたことが素晴らしいと思いました。とてもシンプルで、とても心地よいアルバムです。
このアルバムはエヴァリー・ブラザーズ(Everly Brothers)の“Songs Our Daddy Taught Us”(1958)をカヴァーしたもので、カントリー/フォークに分類される内容です。アルバム・タイトル“Foreverly”は、forever(永遠に)とEverlyを合わせたもので、ビリー・ジョーとノラのエヴァリー・ブラザーズに対するオマージュ表現だと思います。
エヴァリー・ブラザーズの曲は‘Bye Bye Love’しか知りませんでしたが、ビリー・ジョーとノラが彼らの曲を僕たちに再認識させてくれたことが素晴らしいと思いました。とてもシンプルで、とても心地よいアルバムです。
作品の内容については、Amazonの解説を引用(一部改編)します。
【収録曲】
1 Roving Gambler
2 Long Time Gone
3 Lightning Express
4 Silver Haired Daddy Of Mine
5 Down In The Willow Garden
6 Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Feet?
7 Oh So Many Years
8 Barbara Allen
9 Rockin' Alone(In An Old Rockin' Chair)
10 I'm Here To Get My Baby Out Of Jail
11 Kentucky
12 Put My Little Shoes Away
★“Songs Our Daddy Taught Us”という作品自体が、タイトル通りカントリー歌手であった両親から教えられた楽曲をエヴァリー・ブラザーズがカヴァーをしていた作品なので、50年代~60年代にエヴァリー・ブラザーズが蘇らせた数々のアメリカン・トラディショナル・ソング達を、ビリー・ジョーとノラ・ジョーンズが再び現代に蘇らせる、「音楽」というルーツを紐解く作品になるのです。
★パンキッシュなヴォーカル・スタイルが印象的ですが、グリーン・デイのアルバムに収録されているバラード楽曲では、その繊細なヴォーカル・ワークを聴かせてくれるビリー・ジョー・アームストロング。そして、あのスモーキーでありながらハートウォーミング&ハニーな歌声で数多くのファンを持ち、2012年には彼女のお気に入り楽曲をカヴァーした企画アルバムも発売しているノラ・ジョーンズ。共に傑出した才能と歌声を持つ二人が創り上げたこの作品は、両アーティストのファンのみならず、より幅広い世代に愛される作品になることは間違いないでしょう。
★パンキッシュなヴォーカル・スタイルが印象的ですが、グリーン・デイのアルバムに収録されているバラード楽曲では、その繊細なヴォーカル・ワークを聴かせてくれるビリー・ジョー・アームストロング。そして、あのスモーキーでありながらハートウォーミング&ハニーな歌声で数多くのファンを持ち、2012年には彼女のお気に入り楽曲をカヴァーした企画アルバムも発売しているノラ・ジョーンズ。共に傑出した才能と歌声を持つ二人が創り上げたこの作品は、両アーティストのファンのみならず、より幅広い世代に愛される作品になることは間違いないでしょう。
1 Roving Gambler
2 Long Time Gone
3 Lightning Express
4 Silver Haired Daddy Of Mine
5 Down In The Willow Garden
6 Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Feet?
7 Oh So Many Years
8 Barbara Allen
9 Rockin' Alone(In An Old Rockin' Chair)
10 I'm Here To Get My Baby Out Of Jail
11 Kentucky
12 Put My Little Shoes Away
↧
↧
夏目漱石『虞美人草』を読みました。
今日、夏目漱石の『虞美人草』を読み終えました。
これは1907年(明治40年)6月から朝日新聞に連載された作品で、東京帝大講師を辞めて朝日新聞社に入社した漱石の最初の仕事ということになります。
これは1907年(明治40年)6月から朝日新聞に連載された作品で、東京帝大講師を辞めて朝日新聞社に入社した漱石の最初の仕事ということになります。
◆独特な文体
漢籍や日本の古典からの引用が多い文語表現部分と、結構長い会話部分とで構成されています。会話の部分は読みやすいけれど、文語表現の部分は読みにくい。
◆巧みな構成
全19章のうち、最初の7章は京都と東京が交互に舞台となります。やがて、京都・東京それぞれの登場人物たちが東京に集まり、ストーリーが展開します。
◆ストーリー(文庫本カバー裏表紙より)
大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断るが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。
◆主な登場人物(数字は年齢)
小野清三(27)
甲野欽吾(27)、藤尾(24)、母
宗近一(28)、糸子(22)、父
井上弧堂、小夜子(21)
◆感想
主な登場人物のうち、藤尾と彼女の母だけが悪人で、他はみな善人に描かれています。確かに、藤尾は傲慢で虚栄心の強い女性――作品中ではクレオパトラに喩えられています――ですが、全てを彼女に帰結させて物語を終わりにするのはいかがなものかと思いました。
小野にはジュリアン・ソレルを演じさせればよかったのです。甲野や宗近とは違い、苦学してやっと成功が見えてきた小野が簡単に翻意するなんてあり得ないと思います。
◆小野と藤尾の結婚観
漢籍や日本の古典からの引用が多い文語表現部分と、結構長い会話部分とで構成されています。会話の部分は読みやすいけれど、文語表現の部分は読みにくい。
◆巧みな構成
全19章のうち、最初の7章は京都と東京が交互に舞台となります。やがて、京都・東京それぞれの登場人物たちが東京に集まり、ストーリーが展開します。
◆ストーリー(文庫本カバー裏表紙より)
大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩師の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさからぬけ出すために、いったんは小夜子との縁談を断るが……。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。
◆主な登場人物(数字は年齢)
小野清三(27)
甲野欽吾(27)、藤尾(24)、母
宗近一(28)、糸子(22)、父
井上弧堂、小夜子(21)
◆感想
主な登場人物のうち、藤尾と彼女の母だけが悪人で、他はみな善人に描かれています。確かに、藤尾は傲慢で虚栄心の強い女性――作品中ではクレオパトラに喩えられています――ですが、全てを彼女に帰結させて物語を終わりにするのはいかがなものかと思いました。
小野にはジュリアン・ソレルを演じさせればよかったのです。甲野や宗近とは違い、苦学してやっと成功が見えてきた小野が簡単に翻意するなんてあり得ないと思います。
◆小野と藤尾の結婚観
四五日は孤堂先生の世話やら用事やらで甲野の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れる様な不人情な詩人ではない。一飯漂母を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生の為めならばこれから先何処までも力になる積でいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんに尤も恰好な優しい振舞である。只何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思う様に出来る。――小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。(P214 L7~L16)
心臓の扉を黄金の鎚に敲いて、青春の盃に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地には花吹雪、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛である。緑濃き黒髪を婆娑とさばいて春風に織る羅を、蜘蛛の囲と五彩の軒に懸けて、自と引き掛る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆にして、後の世までの心を乱す。女は只心地よげに見遣る。耶蘇教の牧師は救われよという。臨済、黄檗は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸を動かす。迷わぬものは凡てこの女の敵である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍る時、始めて女の御意は目出度い。欄干に繊い手を出してわんと云えという。わんと云えば又わんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬に笑を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆にして狂う。女は益得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。(P222 L5~L16)
↧
仙台に行ってきました。
2月8日(土)9日(日)、1泊2日の日程で仙台に行ってきました。
仙台は78年ぶりの大雪だそうで、仙石線が不通になり、2日目に予定していた松島観光がキャンセルになってしまいました。その代わりと言ってはなんですが、新幹線の出発時間まで仙台駅周辺でゆったりとした時間を過ごすことができました。
仙台は78年ぶりの大雪だそうで、仙石線が不通になり、2日目に予定していた松島観光がキャンセルになってしまいました。その代わりと言ってはなんですが、新幹線の出発時間まで仙台駅周辺でゆったりとした時間を過ごすことができました。
写真はジュンク堂書店仙台ロフト店で買った、せきしろ・又吉直樹による自由律俳句集『カキフライが無いなら来なかった』と、仙台土産の定番「萩の月」です。実は、松島では昼食にカキを食べる予定でした。「カキフライが無いなら仙台に来なかった」なんてことは考えもしませんでしたが、偶然買った本にしてはタイトルが出来過ぎでした。
↧
せきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』を読みました。
せきしろ×又吉直樹の『カキフライが無いなら来なかった』を読みました。妄想文学の鬼才(らしい)せきしろとお笑いコンビ「ピース」の又吉による自由律俳句とエッセイ、写真で構成された本です。
初めて読んで、心に引っかかった句をいくつか紹介します。
初めて読んで、心に引っかかった句をいくつか紹介します。
【せきしろ】
目を開けていても仕方ないので閉じる
風が運んできたのはカナブンの亡骸
雨と冷蔵庫の音に挟まれ寝る
間違えたビニール傘に知らない人の温もり
降り損ねたことを悟られぬよう車窓見る
下向いて歩いてなければ拾えなかった
ラモーンズが何かわからず着ているようだ
押すのか引くのかスライドかそもそもドアではないのか
僅かなひだまりに猫が重なって山
女子に電話するために探した用事今日は立夏
目を開けていても仕方ないので閉じる
風が運んできたのはカナブンの亡骸
雨と冷蔵庫の音に挟まれ寝る
間違えたビニール傘に知らない人の温もり
降り損ねたことを悟られぬよう車窓見る
下向いて歩いてなければ拾えなかった
ラモーンズが何かわからず着ているようだ
押すのか引くのかスライドかそもそもドアではないのか
僅かなひだまりに猫が重なって山
女子に電話するために探した用事今日は立夏
【又吉直樹】
転んだ彼女を見て少し嫌いになる
家具屋のソファに二人で座る
一昨年決めた感傷的になってもいい公園にいる
いつか登ろうと言ったきりの高尾山
このベンチは止めよう昔ちょっと
二回目でも初めて聞くふり
太字で伝える程のことか
ワタシモアソビダッタシ
ブランコの止め方を教わって無かった
まだ何かに選ばれることを期待している
転んだ彼女を見て少し嫌いになる
家具屋のソファに二人で座る
一昨年決めた感傷的になってもいい公園にいる
いつか登ろうと言ったきりの高尾山
このベンチは止めよう昔ちょっと
二回目でも初めて聞くふり
太字で伝える程のことか
ワタシモアソビダッタシ
ブランコの止め方を教わって無かった
まだ何かに選ばれることを期待している
※太宰治にまつわるエッセイ――せきしろ「マフラーの巻き方を変える寒さ」・又吉直樹「ファーストキスが太宰の命日」――がいいです。
↧
『尾崎放哉全句集』を読みました。
尾崎放哉(1885-1926)の俳句と小品・随筆・書簡を収録した『尾崎放哉全句集』(村上護編)を読みました。
放哉は自由律俳句の代表的な俳人として、種田山頭火(1882-1940)と並び称されています。彼がどんな人物だったかは、彼の代表句「咳をしても一人」に凝縮されているように思います。彼は現在の鳥取市に生まれ、東京帝大法学部を卒業したエリートでしたが、やがて家族も仕事も捨て、流浪生活に入ります。そして孤独と貧窮のうちに小豆島で病死しました。41歳でした。
放哉は自由律俳句の代表的な俳人として、種田山頭火(1882-1940)と並び称されています。彼がどんな人物だったかは、彼の代表句「咳をしても一人」に凝縮されているように思います。彼は現在の鳥取市に生まれ、東京帝大法学部を卒業したエリートでしたが、やがて家族も仕事も捨て、流浪生活に入ります。そして孤独と貧窮のうちに小豆島で病死しました。41歳でした。
以下は「遁世以後(大正13年~15年)」の俳句のうち、何度も読み返してみようと思った句です。放哉の‘孤独’がひしひしと伝わってきます。なぜ彼はこうなったのか? もっと知りたいと思いました。
【大正13年】
流るる風に押され行き海に出る
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
友を送りて雨風に追はれてもどる
雨の日は御灯ともし一人居る
鐘ついて去る鐘の余音の中
柘榴が口あけたたはけた恋だ
茄子もいできてぎしぎし洗ふ
人をそしる心をすて豆の皮むく
障子しめきつて淋しさをみたす
今朝の夢を忘れて草むしりをして居た
マツチ棒で耳かいて暮れてる
わが足の格好の古足袋ぬぎすてる
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
何か求むる心海へ放つ
流るる風に押され行き海に出る
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
友を送りて雨風に追はれてもどる
雨の日は御灯ともし一人居る
鐘ついて去る鐘の余音の中
柘榴が口あけたたはけた恋だ
茄子もいできてぎしぎし洗ふ
人をそしる心をすて豆の皮むく
障子しめきつて淋しさをみたす
今朝の夢を忘れて草むしりをして居た
マツチ棒で耳かいて暮れてる
わが足の格好の古足袋ぬぎすてる
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
何か求むる心海へ放つ
【大正14年】
心をまとめる鉛筆とがらす
仏にひまをもらつて洗濯してゐる
ただ風ばかり吹く日の雑念
こんなよい月を一人で見て寝る
竹の葉さやさや人恋しくて居る
落葉たく煙の中の顔である
尻からげして葱ぬいて居る
雀のあたたかさを握るはなしてやる
酒もうる煙草もうる店となじみになつた
門をしめる大きな音さしてお寺が寝る
あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
島の女のはだしにはだしでよりそふ
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
今日も生きて虫なきしみる倉の白壁
庭を掃いて行く庭の隅なるけいとう
のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
落葉掃けばころころ木の実
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る
がたびし戸をあけてをそい星空に出る
波へ乳の辺まではいつて女よ
落葉拾うて棄てて別れたきり
ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける
ふところの焼芋のあたたかさである
にくい顔思ひ出し石ころをける
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた
背を汽車通る草ひく顔をあげず
そつたあたまが夜更けた枕で覚めて居る
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
雪の戸をあけてしめた女の顔
するどい風の中で別れようとする
うつろの心に眼が二つあいてゐる
母の無い児の父であつたよ
ころりと横になる今日が終つて居る
海がまつ青な昼の床屋にはいる
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し見える小さい窓一つもつ
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
なん本もマツチの棒を消し海風に話す
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
海風に筒抜けられて居るいつも一人
木槿の花がおしまひになつて風吹く
あけがたとろりとした時の夢であつたよ
心をまとめる鉛筆とがらす
仏にひまをもらつて洗濯してゐる
ただ風ばかり吹く日の雑念
こんなよい月を一人で見て寝る
竹の葉さやさや人恋しくて居る
落葉たく煙の中の顔である
尻からげして葱ぬいて居る
雀のあたたかさを握るはなしてやる
酒もうる煙草もうる店となじみになつた
門をしめる大きな音さしてお寺が寝る
あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
島の女のはだしにはだしでよりそふ
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
今日も生きて虫なきしみる倉の白壁
庭を掃いて行く庭の隅なるけいとう
のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
落葉掃けばころころ木の実
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る
がたびし戸をあけてをそい星空に出る
波へ乳の辺まではいつて女よ
落葉拾うて棄てて別れたきり
ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける
ふところの焼芋のあたたかさである
にくい顔思ひ出し石ころをける
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた
背を汽車通る草ひく顔をあげず
そつたあたまが夜更けた枕で覚めて居る
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
雪の戸をあけてしめた女の顔
するどい風の中で別れようとする
うつろの心に眼が二つあいてゐる
母の無い児の父であつたよ
ころりと横になる今日が終つて居る
海がまつ青な昼の床屋にはいる
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し見える小さい窓一つもつ
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
なん本もマツチの棒を消し海風に話す
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
海風に筒抜けられて居るいつも一人
木槿の花がおしまひになつて風吹く
あけがたとろりとした時の夢であつたよ
【大正15年】
障子あけて置く海も暮れ切る
淋しきままに熱さめて居り
淋しい寝る本がない
月夜風ある一人咳して
咳き入る日輪くらむ
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
菊枯れ尽したる海少し見ゆ
墓地からもどつて来ても一人
恋心四十にして穂芒
なんと丸い月が出たよ窓
ひどい風だどこ迄も青空
掛取も来てくれぬ大晦日も独り
窓まで這つて来た顔出して青草
やせたからだを窓に置き船の汽笛
障子あけて置く海も暮れ切る
淋しきままに熱さめて居り
淋しい寝る本がない
月夜風ある一人咳して
咳き入る日輪くらむ
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
菊枯れ尽したる海少し見ゆ
墓地からもどつて来ても一人
恋心四十にして穂芒
なんと丸い月が出たよ窓
ひどい風だどこ迄も青空
掛取も来てくれぬ大晦日も独り
窓まで這つて来た顔出して青草
やせたからだを窓に置き船の汽笛
↧
↧
せきしろ×又吉直樹『まさかジープで来るとは』を読みました。
せきしろ×又吉直樹の『まさかジープで来るとは』(2010)を読みました。同じ著者による「自由律俳句+エッセイ+写真」で構成された俳句集の第二弾です。一読して、気になった句を紹介します。
【せきしろ】
シールだらけのタンスが捨てられている
駐車場の隙間を埋めるようにタンポポ
スイカに対する感動が年々薄くなる
少し歩いただけで月が見えなくなる
わりと歩み寄ったつもりだった
大きいサングラスの女こっちを見ている
走らなくても間に合ったんじゃないか
怒っている女だがシャンプーの香がする
出されたお茶をすぐに飲み干してしまった
約束して帰り道面倒になる
昨日絞り出した歯磨き粉を今日も絞る
あの人は濡れてるベンチに座ればいい
達筆すぎて読めない
朝食でも昼食でも夕食でも夜食でもないところが自由だ
飛び越えられるかどうかぎりぎりの川幅
シールだらけのタンスが捨てられている
駐車場の隙間を埋めるようにタンポポ
スイカに対する感動が年々薄くなる
少し歩いただけで月が見えなくなる
わりと歩み寄ったつもりだった
大きいサングラスの女こっちを見ている
走らなくても間に合ったんじゃないか
怒っている女だがシャンプーの香がする
出されたお茶をすぐに飲み干してしまった
約束して帰り道面倒になる
昨日絞り出した歯磨き粉を今日も絞る
あの人は濡れてるベンチに座ればいい
達筆すぎて読めない
朝食でも昼食でも夕食でも夜食でもないところが自由だ
飛び越えられるかどうかぎりぎりの川幅
【又吉直樹】
独創的だが読みにくい御品書き
切りの良い所で止めなかった報い
間を溜めて言う程のことか
感傷に浸りにくい商店街の放送に救われる
「で」という顔で待たれている
五分早い時計と頭にある
勝手に意味を持たせて独自に誤っている
正論を失笑されている
曖昧な気候が呼んだ蕎麦という選択肢
飛行船が過ぎるまで空を見て中断
全ての信号に引っ掛かりながら早く逢いたい
友達だが一対一は避けたい人
目配せの意図は解らないが頷く
外の匂いがするジャンパーを脱ぐ
真夜中に開けた冷蔵庫の音を聴く
独創的だが読みにくい御品書き
切りの良い所で止めなかった報い
間を溜めて言う程のことか
感傷に浸りにくい商店街の放送に救われる
「で」という顔で待たれている
五分早い時計と頭にある
勝手に意味を持たせて独自に誤っている
正論を失笑されている
曖昧な気候が呼んだ蕎麦という選択肢
飛行船が過ぎるまで空を見て中断
全ての信号に引っ掛かりながら早く逢いたい
友達だが一対一は避けたい人
目配せの意図は解らないが頷く
外の匂いがするジャンパーを脱ぐ
真夜中に開けた冷蔵庫の音を聴く
↧
藤澤清造『根津権現裏』を読みました。
今日、藤澤清造(1889-1932)の『根津権現裏』(1922)を読み終えました。
藤澤清造は‘忘れられた作家’の代表格だそうですが、彼の没後弟子を自称する西村賢太(2010年、『苦役列車』で第144回芥川賞受賞)の尽力により、再び日の目を見ることになりました。
藤澤を語る時には‘無名’‘貧困’‘野垂れ死に’といったキーワードが使われるそうですが、実際彼は東京・芝公園の六角堂内で凍死体となって発見されています(1932.1.29)。そんな彼の代表作がこの作品です。
藤澤清造は‘忘れられた作家’の代表格だそうですが、彼の没後弟子を自称する西村賢太(2010年、『苦役列車』で第144回芥川賞受賞)の尽力により、再び日の目を見ることになりました。
藤澤を語る時には‘無名’‘貧困’‘野垂れ死に’といったキーワードが使われるそうですが、実際彼は東京・芝公園の六角堂内で凍死体となって発見されています(1932.1.29)。そんな彼の代表作がこの作品です。
【作品概要】(ブックカバー裏の解説文を引用)
根津権現近くの下宿に住まう雑誌記者の私は、恋人も出来ず、長患いの骨髄炎を治す金もない自らの不遇に、恨みを募らす毎日だ。そんな私に届いた同郷の友人岡田徳次郎急死の報。互いの困窮を知る岡田は、念願かない女中との交際を始めたばかりだったのだが――。貧困に自由を奪われる、大正期の上京青年の夢と失墜を描く、短くも凄絶な生涯を送った私小説家の代表作。
◆読みづらい、あるいは読めない漢字が結構あります。また、意味のわからない言葉も多く出てきます。終始、貧困や病気のことが語られます。350ページ近くあります。でも、途中で倦むことなく、最後まで楽しめました。
「一夜の中(うち)に秋が押しよせてでもきたよう」なある日の午後から、「上野の鐘が静に鳴りだしてきた」翌朝までの間に物語は展開します。―めいてきたので、私は袷(裏の付いている着物)を借りに友人を訪ねます。¬榲が叶わず帰宅すると、私は友人岡田の死の知らせに接します。ここで、岡田に関する回想シーンが展開します。2田の下宿を訪ねた私は、岡田の兄と岡田の自殺の原因について話します。ここでまた、岡田に関する回想シーン。
現在→過去、現在→過去、‥‥‥。この手法が、読者をして先へ先へと読み進めさせます。
◆私が、岡田の自殺の原因を確信するシーン。印象的なので引用します。
もう此処まできて考えてみると、私が今の今まで、それとばかり思いこんでいたように、岡田は決して、対宮部の事件の為に自裁したのではない。彼が縊死(いし)する前に、もう彼の精神に異常をきたしていたのも、それは決して、彼が年来の宿疾のせいでもない。一に其のきたる所以、根ざすところは、皆これ彼が貧乏だったからだ。だから、其の点から云えば、彼は飽くまで自殺したのではなく、まさしく彼は貧乏の手にかかって、敢えなくも殺されていったのだ。
「一夜の中(うち)に秋が押しよせてでもきたよう」なある日の午後から、「上野の鐘が静に鳴りだしてきた」翌朝までの間に物語は展開します。―めいてきたので、私は袷(裏の付いている着物)を借りに友人を訪ねます。¬榲が叶わず帰宅すると、私は友人岡田の死の知らせに接します。ここで、岡田に関する回想シーンが展開します。2田の下宿を訪ねた私は、岡田の兄と岡田の自殺の原因について話します。ここでまた、岡田に関する回想シーン。
現在→過去、現在→過去、‥‥‥。この手法が、読者をして先へ先へと読み進めさせます。
◆私が、岡田の自殺の原因を確信するシーン。印象的なので引用します。
もう此処まできて考えてみると、私が今の今まで、それとばかり思いこんでいたように、岡田は決して、対宮部の事件の為に自裁したのではない。彼が縊死(いし)する前に、もう彼の精神に異常をきたしていたのも、それは決して、彼が年来の宿疾のせいでもない。一に其のきたる所以、根ざすところは、皆これ彼が貧乏だったからだ。だから、其の点から云えば、彼は飽くまで自殺したのではなく、まさしく彼は貧乏の手にかかって、敢えなくも殺されていったのだ。
↧
村上春樹「独立器官」を読みました。
今日、『文藝春秋』三月特別号を買い、村上春樹の短編小説「女のいない男たち4 独立器官」を読みました。
◆ストーリー
52歳の美容整形外科医・渡会(とかい)は未だ独身で、つきあうのは人妻か、他に「本命」の恋人を持つ女性ばかり。彼は自らを「ナンバー2の恋人」「雨天用ボーイフレンド」「浮気の相手」と割り切ってきました。
そんな彼が激しい恋に落ちます。相手は16歳年下の人妻です。彼は彼女を好きになりすぎまいと決心し、そのための努力をしますが、彼女への思いを打ち消すことは出来ませんでした。権中納言敦忠の「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」(小倉百人一首43番)という歌に心を強く動かされたり、自らの存在について自問したりします。
つまり彼は、恋をすれば誰もが経験するであろう葛藤を52歳にして初めて経験することになったのです。彼にしてみれば、自分の人生を自分で巧くコントロールしてきたはずなのに、突然それが理不尽な力によって制御不能にされてしまった。これはいったいどうしてなんだ? となったわけです。
この物語の語り手は谷村という、渡会よりも少し年上の職業的文章家です。谷村が渡会と会わなくなって2か月が経ったころ、彼のもとに渡会の秘書から電話があり、渡会の死を告げられます。
52歳の美容整形外科医・渡会(とかい)は未だ独身で、つきあうのは人妻か、他に「本命」の恋人を持つ女性ばかり。彼は自らを「ナンバー2の恋人」「雨天用ボーイフレンド」「浮気の相手」と割り切ってきました。
そんな彼が激しい恋に落ちます。相手は16歳年下の人妻です。彼は彼女を好きになりすぎまいと決心し、そのための努力をしますが、彼女への思いを打ち消すことは出来ませんでした。権中納言敦忠の「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」(小倉百人一首43番)という歌に心を強く動かされたり、自らの存在について自問したりします。
つまり彼は、恋をすれば誰もが経験するであろう葛藤を52歳にして初めて経験することになったのです。彼にしてみれば、自分の人生を自分で巧くコントロールしてきたはずなのに、突然それが理不尽な力によって制御不能にされてしまった。これはいったいどうしてなんだ? となったわけです。
この物語の語り手は谷村という、渡会よりも少し年上の職業的文章家です。谷村が渡会と会わなくなって2か月が経ったころ、彼のもとに渡会の秘書から電話があり、渡会の死を告げられます。
◆渡会なぜ死んだのか? また、どのように死んだのか?
なぜ死んだのかは、この小説のタイトル「独立器官」と関連づけられます。しかし、死に方については「うーん⁉︎」って思います。
なぜ死んだのかは、この小説のタイトル「独立器官」と関連づけられます。しかし、死に方については「うーん⁉︎」って思います。
◆渡会の秘書はハンサムで有能なゲイですが、著者はこういうキャラクターをしばしば作品に登場させます。ゲイだと物語に対して中立的で、ある程度客観的に振る舞わせることが出来るからでしょうか? この課題は、著者の他の作品も再読した上で考察すべきでしょう。
↧
『山頭火句集』を読みました。
先日尾崎放哉の句集を読んだので、この際種田山頭火(1882-1940)の俳句も読んでみようと思い、『山頭火句集』(村上護編)を買いました。一読していいなと思った句を紹介します。
【参考】種田山頭火について、Wikipediaからの引用です。(一部改編)
自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉(1885-1926)と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』(井泉水が主宰する新傾向俳句誌)の中で山頭火自身が書いている。
自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉(1885-1926)と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』(井泉水が主宰する新傾向俳句誌)の中で山頭火自身が書いている。
【自選句集『草木塔』より】
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
放哉居士の作に和して 鴉啼いてわたしも一人
踏みわける萩よすすきよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
ひとりで蚊にくはれてゐる
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
まつすぐな道でさみしい
張りかへた障子のなかの一人
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すべつてころんで山がひつそり
雨の山茶花の散るでもなく
つかれた脚へとんぼがとまつた
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
逢ひたい、捨炭(ボタ)山が見えだした
安か安か寒か寒か雪雪
うしろすがたのしぐれてゆくか
冬雨の石階をのぼるサンタマリア
寒い雲がいそぐ
笠へぽつりと椿だつた
いただいて足りて一人の箸をおく
今日の道のたんぽぽ咲いた
うつりきてお彼岸花の花ざかり
ひとりの火の燃えさかりゆくを
落葉の、水仙の芽かよ
雪ふる一人一人ゆく
いちりん挿の椿いちりん
けふもいちにち風をあるいてきた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あざみあざやかなあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
ひとりきいてゐてきつつく
いそいでもどるかなかなかなかな
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ
人を見送りひとりでかへるぬかるみ
ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜
よびかけられてふりかへつたが落葉林
椿のおちる水のながれる
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
うれしいこともかなしいことも草しげる
炎天のはてもなく蟻の行列
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
日ざかり落ちる葉のいちまい
ここで寝るとする草の実のこぼれる
さて、どちらへ行かう風がふく
あすはかへらうさくらちるちつてくる
住みなれて藪椿いつまでも咲き
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
山から白い花を机に
何を求める風の中ゆく
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる
たたずめば風わたる空のとほくとほく
麦の穂のおもひでがないでもない
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
あるけばかつこういそげばかつこう
こころむなしくあらなみのよせてはかへし
山ふところの、ことしもここにりんどうの花
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし
悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
月からひらり柿の葉
洗へば大根いよいよ白し
やつぱり一人はさみしい枯草
ふたたび踏むまい土を踏みしめて征く
ひつそりとして八ツ手花咲く
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
風の中おのれを責めつつ歩く
雨ふればふるほどに石蕗(つわぶき)の花
死のしづけさは晴れて葉のない木
枯すすき枯れつくしたる雪のふりつもる
蕗のとうことしもここに蕗のとう
咳がやまない脊中をたたく手がない
窓あけて窓いつぱいの春
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
ひつそり蕗のとうここで休まう
どこでも死ねるからだで春風
たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
放哉居士の作に和して 鴉啼いてわたしも一人
踏みわける萩よすすきよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
ひとりで蚊にくはれてゐる
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
まつすぐな道でさみしい
張りかへた障子のなかの一人
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すべつてころんで山がひつそり
雨の山茶花の散るでもなく
つかれた脚へとんぼがとまつた
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
逢ひたい、捨炭(ボタ)山が見えだした
安か安か寒か寒か雪雪
うしろすがたのしぐれてゆくか
冬雨の石階をのぼるサンタマリア
寒い雲がいそぐ
笠へぽつりと椿だつた
いただいて足りて一人の箸をおく
今日の道のたんぽぽ咲いた
うつりきてお彼岸花の花ざかり
ひとりの火の燃えさかりゆくを
落葉の、水仙の芽かよ
雪ふる一人一人ゆく
いちりん挿の椿いちりん
けふもいちにち風をあるいてきた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あざみあざやかなあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
ひとりきいてゐてきつつく
いそいでもどるかなかなかなかな
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ
人を見送りひとりでかへるぬかるみ
ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜
よびかけられてふりかへつたが落葉林
椿のおちる水のながれる
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
うれしいこともかなしいことも草しげる
炎天のはてもなく蟻の行列
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
日ざかり落ちる葉のいちまい
ここで寝るとする草の実のこぼれる
さて、どちらへ行かう風がふく
あすはかへらうさくらちるちつてくる
住みなれて藪椿いつまでも咲き
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
山から白い花を机に
何を求める風の中ゆく
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる
たたずめば風わたる空のとほくとほく
麦の穂のおもひでがないでもない
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
あるけばかつこういそげばかつこう
こころむなしくあらなみのよせてはかへし
山ふところの、ことしもここにりんどうの花
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし
悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
月からひらり柿の葉
洗へば大根いよいよ白し
やつぱり一人はさみしい枯草
ふたたび踏むまい土を踏みしめて征く
ひつそりとして八ツ手花咲く
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
風の中おのれを責めつつ歩く
雨ふればふるほどに石蕗(つわぶき)の花
死のしづけさは晴れて葉のない木
枯すすき枯れつくしたる雪のふりつもる
蕗のとうことしもここに蕗のとう
咳がやまない脊中をたたく手がない
窓あけて窓いつぱいの春
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
ひつそり蕗のとうここで休まう
どこでも死ねるからだで春風
たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて
↧
↧
『田辺聖子の小倉百人一首』を買いました。
先日、村上春樹の新作短編小説「女のいない男たち4 独立器官」(『文藝春秋』三月特別号収録)を読み、この作品中に登場する権中納言敦忠(906-943)の歌がとても気になりました。また僕の和歌に関する教養の無さを痛感したので、この歌をきっかけに和歌について少し勉強してみようと思いました。
この歌の出典を調べたら、小倉百人一首43番の歌だということがわかりました。で、『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買い、小倉百人一首から勉強することにしました。
この歌の出典を調べたら、小倉百人一首43番の歌だということがわかりました。で、『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買い、小倉百人一首から勉強することにしました。
以下に引用した43番と38番は、それぞれ権中納言敦忠とその恋人右近の歌です。43番は敦忠が右近に贈った歌かどうかは不明ですが、38番は右近が敦忠の心変わりを怨じて詠んだ歌です。
敦忠や右近の歌を読むと、恋をした男女の心情は千年前も今もたいして変わっていないと思います。
敦忠や右近の歌を読むと、恋をした男女の心情は千年前も今もたいして変わっていないと思います。
◆43 あひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はさりけり(権中納言敦忠)
やっと きみがぼくのものになった
ところがどうだ
よけい苦しみが増し
物思いが多くなった
不安、嫉妬、独占欲……
ぼくは新しい苦しみをさまざま知った
この苦しさにくらべれば
きみを得たいとひたすら望んでいた
昔のぼくの物思いなんて
実に単純で底が浅かった
やっと きみがぼくのものになった
ところがどうだ
よけい苦しみが増し
物思いが多くなった
不安、嫉妬、独占欲……
ぼくは新しい苦しみをさまざま知った
この苦しさにくらべれば
きみを得たいとひたすら望んでいた
昔のぼくの物思いなんて
実に単純で底が浅かった
◆38 わすらるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな(右近)
やがては忘れ去られる身だということを思いもせず
私はあのとき、愛を神に誓った
なんて愚かな私なのかしら
でも心がわりしたあなたには、神仏の罰があたるわよ
――いい気味といいたいけれど
でも、それは嘘
罰が当たって
あなたが死ぬなんていや
死んじゃいや
でも
あなたが憎くないといったら
それも嘘になるの
やがては忘れ去られる身だということを思いもせず
私はあのとき、愛を神に誓った
なんて愚かな私なのかしら
でも心がわりしたあなたには、神仏の罰があたるわよ
――いい気味といいたいけれど
でも、それは嘘
罰が当たって
あなたが死ぬなんていや
死んじゃいや
でも
あなたが憎くないといったら
それも嘘になるの
【参考】 小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家(1162-1241)が選んだとされる私撰和歌集である。 その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。 小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。(wikipediaより、一部改編)
↧
村上春樹「シェエラザード」を読みました。
昨夜、柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.2(2014.2.15)収録の村上春樹の短編小説「シェエラザード」を読みました。
◆ストーリー
羽原と一度性交するたびに、彼女はひとつ興味深い、不思議な話を聞かせてくれた。『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードと同じように。
羽原と一度性交するたびに、彼女はひとつ興味深い、不思議な話を聞かせてくれた。『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードと同じように。
冒頭の一節です。この作品はこの一節が示しているように『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードの物語をモチーフに書かれています。
羽原は警察からなのか、彼の所属する組織の敵対勢力からなのか、相手や理由はわかりませんが、姿を隠すために北関東の地方都市にある「ハウス」に送られ、そこから外へ出ることができない状態です。そんな彼のもとへ「支援連絡員」として食料品や雑貨の買い物などをする女性がやって来ます。
彼女の「支援活動」は買い物だけではなく、彼とのセックスも「職務」のひとつのようです。彼女は性行為を終えたあと、巧みな話術で彼の興味をそそります。羽原は彼女をシェエラザードと名付けます。彼女を『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードになぞらえて。
羽原は警察からなのか、彼の所属する組織の敵対勢力からなのか、相手や理由はわかりませんが、姿を隠すために北関東の地方都市にある「ハウス」に送られ、そこから外へ出ることができない状態です。そんな彼のもとへ「支援連絡員」として食料品や雑貨の買い物などをする女性がやって来ます。
彼女の「支援活動」は買い物だけではなく、彼とのセックスも「職務」のひとつのようです。彼女は性行為を終えたあと、巧みな話術で彼の興味をそそります。羽原は彼女をシェエラザードと名付けます。彼女を『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードになぞらえて。
◆おもしろい設定ですが、一歩間違えるとAVっぽい話になってしまいそうですね。
◆彼女は高二の時、思いを寄せていたクラスの男子の家へ侵入を繰り返します。この場面は結構ドキドキします。
◆『MONKEY』vol.2の特集は「猿の一ダース」で、村上春樹をはじめ11名の作家の作品が掲載されています。一ダースなのに11名? 巻頭言にこうあります。「フランスでは、猿はずる賢いので、猿にバナナを数えさせると12個あると1個をちょろまかしてしまうので、11個のことを『猿の一ダース』といいます。」
村上春樹以外の作品もおもしろそうなので、読んだら感想を書きます。
◆彼女は高二の時、思いを寄せていたクラスの男子の家へ侵入を繰り返します。この場面は結構ドキドキします。
◆『MONKEY』vol.2の特集は「猿の一ダース」で、村上春樹をはじめ11名の作家の作品が掲載されています。一ダースなのに11名? 巻頭言にこうあります。「フランスでは、猿はずる賢いので、猿にバナナを数えさせると12個あると1個をちょろまかしてしまうので、11個のことを『猿の一ダース』といいます。」
村上春樹以外の作品もおもしろそうなので、読んだら感想を書きます。
↧
村上春樹訳『フラニーとズーイ』を買いました。
今日、予約しておいたJ.D.サリンジャーの『フラニーとズーイ』(新潮文庫)が届きました。村上春樹による新訳です。
写真左は村上春樹のエッセイ「こんなに面白い話だったんだ!」です。本来なら文庫本の巻末に掲載されるべきものですが、別冊になっているのは「J.D.サリンジャーは自分の本の中に訳者の『まえがき』とか『あとがき』とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じている」ためです。
この別冊には紙数制限のためにエッセイの全文が載っていないので、以下に新潮社のウェブページから引用しました。
写真左は村上春樹のエッセイ「こんなに面白い話だったんだ!」です。本来なら文庫本の巻末に掲載されるべきものですが、別冊になっているのは「J.D.サリンジャーは自分の本の中に訳者の『まえがき』とか『あとがき』とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じている」ためです。
この別冊には紙数制限のためにエッセイの全文が載っていないので、以下に新潮社のウェブページから引用しました。
〈村上春樹 特別エッセイ〉 こんなに面白い話だったんだ!(全編)
J.D.サリンジャーは自分の本の中に訳者の「まえがき」とか「あとがき」とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じているので、そのかわりにこのような少し変わった形で、訳者からのメッセージを送らせていただくことになる。「余計なものを入れるな。読者は作品だけを読めばよろしい」というサリンジャー氏の基本姿勢もそれなりに理解できるのだが、『フラニーとズーイ』という文芸作品が既に古典として機能していることを考えれば(本国で出版されたのは一九六一年だ)、読者に対してある程度の基本情報を提供することは、翻訳者としてのひとつの責務であると考えるからだ。本だけをぽんと与えて「さあ、読めばわかるだろう」というのでは、やはりいささか不親切に過ぎるのではないか。同時代的な本であればそれでもいいだろうが、古典についていえば、その立ち位置の意味合いや方向性についての最小限の説明は必要となる。そんなわけで、この本に関する僕個人の思いと、本書の成立事情について、故人の安らかな眠りを損なわない程度に簡単に述べたいと思う。
僕が『フラニーとズーイ』を最初に読んだのは、たしか大学に入ったばかりの頃だった。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んで、言うなれば「若き心」を揺さぶられたあと、この小説を手に取った(おおかたの読者はそういう順番で読んでおられるのではないだろうかと推測するのだが)。この本を読んだという行為そのものの記憶は、今でも明瞭に僕の中に残っている。そしてそれは『キャッチャー』とは別の意味で、不思議に鮮烈な印象をあとに残していったようだ。まるで通過儀礼か何かのように。しかしその一方で、じゃあ僕がその小説の内容のいったいどこに惹かれたのか、それが僕の心をどのように移動させたのか、とあらためて問われると、そのへんがもうひとつ定かではない。話の中のいくつかの部分は、魅力的な情景として頭に鮮やかに焼きついているのだが(たとえば冒頭の駅のシーンとか、ズーイがお風呂に入っているところとか)、話全体としての求心力のありかみたいなものが、今ひとつすんなりと確定できないのだ。そういう意味では──少なくとも十代の僕にとってはということだが──『キャッチャー』よりは複雑な、いささか捉えがたい話だった。
そしてもうひとつ、「いやに宗教臭かったな」という、どちらかというとネガティヴな思いが残っている。話の後半になって、登場人物たち(つまりズーイとフラニー)がただ座り込んで、宗教の原理についてあれこれ蘊蓄を述べるというか、泣いたり声を荒立てたりしながら生真面目に議論するところが、当時の僕としてはいささかうっとうしかった。この本は言うなれば「議論小説」であり、まさにそこに小説的魅力があり、作家の腕の見せ所があるわけだが、そのへんのところは年若い僕にはまだよく理解できていなかったようだ。言い訳をするのではないが、それはけっこう乱暴な政治的季節であり、フリー・ジャズとかアート・ロックとかハップニング芸術とかがやみくもに流行っている時代だった。だから(というか)僕としてはもう少し勢いよくすこんと抜けた話が読みたかったのかもしれない。
そんなわけで、翻訳でひととおりすらりと読んだだけで、「もうこれでいいや」と思って、原文をあたってみようという気までは起きなかった。手元に本は置いていたのだが、もう一度あらためて読み返すこともなかった。そうしてみると僕は残念ながら、この小説のあまり良き読者ではなかったということになるだろう。
しかし今回『フラニーとズーイ』の新訳を出してみないかという相談を出版社から受けて、「うーん、どうしたものか」と迷いつつ、ためしに原文を読み始めてみたのだが、そこで「ええ、なんだ、『フラニーとズーイ』ってこんなに面白い話だったんだ!」と驚嘆することになった。お恥ずかしい話だが、最初に読んでから四十五年ほど経過して、この歳になって、この小説がようやく「腑に落ちた」わけだ。まさに目からぼろぼろと鱗が落ちたような気分だった。そしてずいぶん夢中になり、新しい発見を楽しみながら一気に翻訳してしまった。
『フラニーとズーイ』という小説のどこがそんなに面白いのか? 一人の小説家として率直に意見を言わせていただければ、この小説の面白さはなんといってもその魅力的な文体に尽きる。ハイパーでありながら、計算し尽くされた文体だ。内容がどうこうという以前に、文体の凄さにのっけから打たれてしまう。これはもちろん『キャッチャー』についてもそのまま言えることだが、すべては文体から始まっている。サリンジャーはまず文体というヴィークルをしっかりと設定し、そこになにやらかやらを手当たり次第に積み込み、人々を座席に押し込み、素知らぬ顔でひょいとスタートのスイッチを押す。そのようにして驚異のジェット・コースティングが始まる。そのいさぎよさというか、出所のストレートさに、僕らは息を呑み、恐れ入ってしまうことになる。
最初の「フラニー」の部分は、文体的にいえばかなり抑制がきいている。素晴らしく上等な文章だが、どちらかといえばそれほどクセがなく、リアリズム小説の文体に近い。彼がそれまで短編小説で用いてきた都会的でおしゃれな、つまり雑誌「ニューヨーカー」風の文体に近いだろう。そこでは一九五〇年代のアメリカの、東部エリート大学に通う裕福そうな大学生の男女の姿が、いうなれば風俗的に生き生きと描かれている。もちろんフラニーの精神的乱調が中心主題になっているわけで、話はそうお気楽には進んでいかないものの、文章自体はいかにも素直で流れが良い。切り詰めた描写と、会話のリズムの良さと、的確な比喩が話を小気味よく前に進めていく。しかしこれはまだエンジンを暖めている段階だ。アクセルはほどほどにしか踏み込まれていない。この調子ですらすらと話が進んでいくのかなと、善良な読者が期待し始めたところで、『フラニー』の部分は意外に短く終わってしまう。「あれっ?」という感じで。そしてそのあと一息置いて、アクセルがぐいと踏み込まれ、エンジンの回転がはね上がり、サリンジャー的饒舌がまさに全開の『ズーイ』の章が、勢いよくコースに飛び出していく。
僕が今回、この『フラニーとズーイ』を原文で読んで驚嘆し、唖然としたのは、とくに『ズーイ』部分の文体の面白さだった。とにかく凝りに凝っている。この凝りまくり具合を翻訳にそのまま移し替えるのは、正直なところきわめてむずかしい作業になる。原文の洗練された巧みな技をできる限り活かしながら、その鋭い切っ先を鈍らせないようにしながら、日本語として滑りの良い表現に変えていくのは、ずいぶん工夫を要する作業だった。僕が十代の頃に翻訳で読んでもうひとつ乗り切れなかったのは、あるいはそのせいもあるかもしれない。これは翻訳の善し悪しではなく、あくまで文章リズムの個人的相性の問題であろうと思う。
じゃあ、おまえの訳ではその原文の雰囲気がしっかり活かされているのかと問われると、もちろんそこまでの自信はない。自信があるなんて、とてもじゃないが言えない。ただ僕としては、ぐるぐると高速回転しながらあちこちに忙しく移動するサリンジャーの文章的視点を、共時的に追いかけていけるだけのフットワークを、なんとか確保し続けたいと思いながら、彼の文章に(いうなれば)しつこく食らいついていった。サリンジャーの文章は何しろ自由自在に変化していく。あちらと思えばまたこちら、という具合だ。その目覚ましく素早いツイストやピヴォット(軸足回転)に惑わされないことが大事になる。リズムを一貫して維持すること、共時的体験であることを同時代的体験に繋げていくこと、それがこの翻訳にあたっての基本的な姿勢だった。
『ズーイ』部分はグラス兄弟の次男であり、今は小説家になって、田舎に閉じこもっているバディーがこれを書いている──バディー自身の表現を借りればホーム・ムーヴィーを撮影している──という設定になっている。冒頭の部分にそういう(いささかもってまわった)エクスキューズがある。つまりサリンジャーはここでは、バディー・グラスという架空の作家の文体を借用して小説を書いていることになる。というわけで、話は最初から入れ子的な色彩を帯びてくる。
もちろんバディーはサリンジャーの投影であるわけだが、バディーはそのままサリンジャー自身ではない。サリンジャーはバディーという作家の文体をでっちあげている。その両者の文体の落差は、最初から最後まできちんと几帳面なまでに維持されている。そしてサリンジャーはその意図的な落差をたっぷり楽しみながら、小説を書いているように見受けられる。自分でありながらしかも自分でないことの歓びみたいなものを、いたるところで気持ちよさそうにナチュラルに噴出させている。しかしこのような作業は言うまでもなく、非常に高度な文章力を要求する。僕がまず感心したのは、そういうテクニカルなレベルの高さだった。こんなことがすんなりできてしまう作家はちょっといない。
その技巧的な(仮面的な)文体にもうひとつ絡んでくるのが、ズーイという青年(グラス家五男)のかなり風変わりな語り口だ。バディーの文章スタイルも相当に饒舌かつ装飾的だが、ズーイの弁舌もそれに輪をかけてハイパーでユニークだ。その二つの特徴的なヴォイスが絡み合い、もつれ合い、刺激し合いながら、この本の中を縦横無尽に駆け巡る。そのような機知に富んだ、圧倒的にパワフルな文章的展開が、この『フラニーとズーイ』という小説の原動力になる。あくまで密室的な話なのに、そしてややこしい議論だらけの話なのに、それでいて物語の足取りが止まってしまうことはない。たいしたものだ。読み終えると、『フラニー』の部分は優れて魅力的な話ではあるけれど、結局は本命『ズーイ』に至るまでのチャーミングな序章に過ぎなかったんだなと深く実感させられることになる。サリンジャーは『ズーイ』の書き直しに相当長い日にちをかけているが、これはたしかにずいぶん骨の折れる困難な作業だっただろうと推察する。隅々まで丁寧に、怠りなく磨き上げられた文章だ。
僕はこの『ズーイ』部分の文章的圧倒性は、『キャッチャー』のあのわくわくする新鮮な文体にじゅうぶん匹敵する力を持ったものであると思っている。『キャッチャー』の文体ももちろん魅力的でパワフルだが、これは最初から最後まで一人称のヴォイスで語られており、小説的技巧としてはよりシンプルだ。しかし『ズーイ』はストイックなまでに三人称で書かれている。そこに『ズーイ』の小説的面白さがあるし、サリンジャーの作家としての野心もある。今更『キャッチャー』と同じことはしたくない、という彼の矜持のようなものもうかがえる。そしてその彼の意図は見事に成功している。
しかしながら、このように生命力に溢れる豊かで強靭な文体を、サリンジャーはその後二度と手にすることはなかったようだ。どうしてかはわからない。彼はそのような文章的洗練性にもう興味が持てなくなっていったのかもしれない。そういう文体はあまりに技巧的すぎるし、ちゃらちゃらしたある種の「見せびらかし」に通じていると考えたのかもしれない。つまり、フラニー・グラスならそう考えたかもしれないように。
作家として、ひとつの場所にいつまでも留まりたくないというサリンジャーの気概はそれなりに理解できるし、どのような方向に進んでいくかはもちろん作者の自由に任されているわけだが、その闊達な文体が以後、より原理主義的なものに、より狭隘なものに推移していった(ように見える)ことは、あくまで一読者として個人的な意見を言わせていただければだが、いささか残念である。
さて、この小説の「宗教臭さ」については正直なところ、今読み返してみてもいかんともしがたいところがある。作者自身が当時、宗教(東洋哲学)に深くはまっていて、それを実践する形で半ば隠遁的な生活を送っており、何を書いてもすべて宗教性に向かってしまうという状態にあった。彼自身「今の私は、もし盗まれたスニーカーについて物語を書いたとしても、結局はお説教に行き着くことだろう」というようなことを述べている。そのような「宗教臭さ」はところどころでいくぶん図式的に流れもするし、それは一般的読者を少なからず辟易させることになるかもしれない(かつての僕がそう感じたのと同じように)。そのことは本書のひとつの弱点になっているかもしれない。
ただひとつご理解いただきたいのは、一九五〇年代のアメリカにおいては、東洋哲学や原始キリスト教の教義は、おそらく現在よりもずっと切迫した、リアルな存在性を持っていたという事実だ。ビート・ジェネレーションへと繋がっていくひとつの思想的ファッションとなっていた、と言ってしまってもいいかもしれない(もちろんサリンジャーの場合はそれは単なるファッションに留まらず、良くも悪くも彼を全的に包含していったわけだが)。それらの宗教性が意味するのは反物質主義であり、反プラグマティズムであり、圧倒的繁栄を無反省に享受するアメリカ社会への静かなる「ノー」であった。冷たく硬直したアカデミズムや、想像力を欠いた画一的メディアに対する「ノー」でもあった。また同時にそれは、第二次大戦に兵士として従軍し、数々の激戦の中をくぐり抜けてきたサリンジャーが背負うことになった深いトラウマの、切実な癒やしの手段であり、ヒューマニティー回復への大事な道筋でもあった。そして──これはかなり重要なことだが──そのような宗教性は当時まだ、今日見られるような不幸な「カルトの傷痕」を負ってはいなかった。
今日我々がこの『フラニーとズーイ』を読むとき、おそらく読者の大部分はそこにある宗教的言説を、実践的な導きの方法としてではなく、むしろひとつの歴史的引用として、一種の精神的メタファーとして処理しながら読み進むことになるのではないかと思う。そういう文脈で読んでいけば、読者は表面的な「宗教臭さ」に惑わされることなく、この物語の核心に比較的容易に、率直に迫ることができるのではないだろうか。サリンジャーの語ろうとしていることも、宗教の固定された教義ではなく、むしろ流動的で一般的な「求神性」にあるのだから。そのようなわけで宗教的用語や背景については、どうしても必要なものを別にして、あまり細かく訳注を入れないことにした。それは小説を読むことの喜びをかなり削いでしまうことになるかもしれないから。そういうことに興味のある読者は、申し訳ないが、ご自分で文献などをあたっていただきたいと思う。一般読者にとっては、そういう細部の事実がわからないと、この小説の意味が本当には理解できないというようなことはないと僕は考えている。
最近になって(つまりその死と前後して)サリンジャーの伝記や、彼についてのメモワールや評論が何冊か新たに出版され、これまであまり知られていなかった数多くの事実が明らかになってきた。『フラニーとズーイ』の成立前後の事情について、ここで簡単に記述しておきたい。
一九五一年に出版された長編小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がベストセラーになり、異例に大きな反響を呼んだあと、一九五三年に短編集『ナイン・ストーリーズ』が出版され、これも読書家の間で高い評価を受けた。この二冊の本によって、J.D.サリンジャーという若手作家の名は一躍、文壇のトップに躍り出ることになる。そして一九五五年の初めに『フラニーとズーイ』の『フラニー』部分が独立した短編小説として「ニューヨーカー」誌に発表された。この時点では読者はこの小説がどのように発展していくか、そもそも発展していくものなのかどうか、まったく知らされていない。しかしその評判は素晴らしかった。作品は全国的に話題になり、雑誌は飛ぶように売れた。
ただしこの作品には、一般の読者を戸惑わせる部分が少なからず含まれていた。レーン・クーテルの人物設定はあまりにも類型的だし(アカデミズムに対する、東部知的エリートに対する作者の敵意がむき出しになっている)、フラニー・グラスはある意味青臭く独善的だし、彼女が夢中になって読んでいる『巡礼の道』という書物の存在意味も今ひとつ不明確だ。しかし見事に的確な描写と、ストーリー・テリングの妙、設定された状況の若々しさと華やかさが、それらの問題をじゅうぶんカバーしている。「ニューヨーカー」の読者たちはその作品を、細かいところはさておき、ミステリアスな要素を含んだひとつのパッケージとして進んで、熱烈に受け入れた。その反響は予想を超えて大きく、作品を巡ってあちこちで様々な見解や意見が生まれた。そして少なからぬ数の読者は──批評家たちをも含めて──フラニーの身体的不調と失神を、彼女が妊娠しているせいであると考えた。そしてその誤解は繊細なサリンジャーの神経を苛立たせた。まあ当然のことだろう。フラニーにとっての「実存の危機」のしるしが、妊娠というような身体的問題として片付けられたら、作品の意味が失われてしまう。そのような誤解が解消されるには、続編『ズーイ』の登場を待たなくてはならなかった。
これはあくまでも僕の個人的意見だが、『フラニー』という作品には、サリンジャーがどことなく自分の作家としてのポジションを決めかねている印象がうかがえる。サリンジャーにはお洒落で知的な「ニューヨーカー」風の人気作家であり続けたいという思いと共に(その雑誌が払ってくれる高い原稿料は、彼にとっては大事な収入だった)、より真摯で、より大柄な作家になりたいという思いもあった。『フラニー』は言うなれば、その中間地点から生まれた作品であるように見受けられる。作家はまだ両方向に目を向けている。しかしそのような彼の迷いは、決してこの小説の瑕疵とはなっていない。むしろここでは、その微妙な「揺れ」がチャーミングな魅力となって機能している。しかしその続編『ズーイ』に取りかかった段階では、サリンジャーは既にはっきり心を定めていたようだ。一連の文学的成功のあと、彼は自分の才能に確かな自信を持ち、より意欲的で真摯な小説へと、自分の魂に正直な小説へと、歩を向けていくことになる。
しかしながらサリンジャーは『ズーイ』部分に取りかかる前に、おそらくはその準備段階として、長めの短編小説(あるいは短めの中編小説)『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を書きあげた。「グラス家サーガ」の一部をなすことを期待されたこの小説の主人公は、次男のバディー・グラスだ。話は過去にさかのぼり、やがて自殺を遂げる長男シーモアも、この時点ではまだ存命である。ニューヨーク市内で開かれるシーモアの結婚式がこの小説の舞台になっているわけだが、シーモア自身はなぜかここに登場しない。というか、彼が不在であることが、まさにこの小説の中心的主題になっている。まことに達者な筆で書かれたこの素敵な作品は「ニューヨーカー」の一九五五年十一月十九日号に掲載され、やはり読者の絶賛を博した。文体には質の良いユーモアがあり、とても読みやすい作品になっているが、知的な気配りが隅々まで充実していて、読者におもねった姿勢はまったくない。
この一九五五年はサリンジャーにとっては重要な意味を持つ年で、その二月に彼はクレア・ダグラスと結婚し、十二月には女児をもうけている。そして一般にクレアはフラニーの原型だと考えられている。クレアはサリンジャーより十五歳年下、美しく利発な、そしてエネルギーに溢れる女性で、東部エリート女子大ラドクリフに在籍していた。二人は人里離れたニュー・ハンプシャー州コーニッシュで、宗教教義を実践する、世間から孤立した清廉な生活を送ることになった。
サリンジャーは『ズーイ』の執筆にたっぷり一年半をかけた。かなり力を入れたわけだ。彼としてはこの作品もまた、長大で立体的な「グラス家サーガ」(もしそれが完成していれば、中世の巨大なカセドラルのような威容を誇っていたに違いない)のひとつのピースとするつもりでいたのだが、とりあえずは話の流れが時間的に繋がっている『フラニー』部分と合体して、『フラニーとズーイ』という形で出版することにした。
ただしこの意欲作『ズーイ』は当初「ニューヨーカー」に掲載を拒絶された。そのひとつの理由としては、作品があまりに長すぎたことがあげられる。その後時間をかけて短縮されたものでさえ、「ニューヨーカー」が掲載する一般的な短編小説のゆうに四倍の長さがあった。おかげでその作品が掲載された一九五七年五月十七日号には、他の記事を掲載する余地はほとんど残されていなかったほどだ。
「ニューヨーカー」がその作品の掲載を渋ったもう一つの(そしてより大きな)理由は、作品の内容が「宗教的すぎる」ことだった。そこでは信仰と文学性とが、メッセージと物語とが、渾然一体となって混じり合い、腑分けがほとんど不可能になっている。それは「ニューヨーカー」という洗練された都会派の雑誌の持ち味にはそぐわないことだった。文芸担当の編集者たちが二の足を踏んだのは、まあ当然のことだったかもしれない。彼らは協議を重ね、全員一致でこの作品の不採用を決定した。
しかし編集長のウィリアム・ショーンは、サリンジャーという希有な作家と、自分の雑誌の結びつきを何にも増して重要なものと考え(実に妥当な考えだ)、編集者たちの決定を一存でひっくり返し、『ズーイ』採用掲載を決定し、著者に巨額の稿料を支払った。そして編集長自らが担当編集者となり(きわめて異例なことだ)、サリンジャーと共にその作品の改稿に没頭した。ショーンはかなりの変人として知られていたが、文学に対しては鋭い嗅覚を具えており、多くの作家たちから敬意を抱かれていた。編集者たちも彼に異議を唱えることはできなかった。
サリンジャーはコーニッシュでの隠遁生活をしばしば中断し、ニューヨークに出てきて、ショーンのオフィスに二人で籠もり、文章を徹底的に練り上げ、作品をよりひきしまった、コンパクトなものに変えていった。二人はその改稿・短縮作業にみっちり六ヶ月をかけ、おかげで作品は当初よりかなり短いものになったということだが、オリジナルの作品の長さがどれほどのものであったかは今となってはわからない。
『ズーイ』もやはり読者の好評を博した。批評家の一部からの厳しい意見には晒されたが、サリンジャーの新しい作品、とくに『フラニー』の続編を今か今かと待ち望んでいた読者にとって、そこにある宗教臭さはそれほど(「ニューヨーカー」の文芸担当者が案じたほど)気にならなかったようだ。またひとつには、サリンジャーには既に多くの数の「固定ファン」がついており、彼らの間ではサリンジャーは単なる小説家というに留まらず、むしろひとつの伝説のような存在になり始めていたという事実がある。その内容に含まれた宗教性は読者を遠ざけるよりはむしろ、作家の伝説をますます強化する助けになったとさえ言えるかもしれない。むきだしの原理的な宗教論議を、文学の領域にまですんなり昇華してしまえるこの作家の特異な、言うなれば変則的なパワーに、そのような読者たちは感心し、舌を巻くことになった。
また一九五〇年代、アイゼンハワー大統領治下のアメリカの強固な冷戦体制、マス・プロダクトによる画一化、資本主義礼賛の嬌声の中で、新しい価値を模索する多くの若者たちが、サリンジャーの提示する清廉な精神主義に心を惹かれたことも大きいだろう(そういう意味では、サリンジャーは一連のビート文学の先を行っていた)。『キャッチャー』のホールデン・コールフィールドが叫んだ社会への痛切な「ノー」は、『ズーイ』のズーイ・グラスが最後に魂から搾り出した「イエス」へと高められ、その昇華された転換は多くの読者の心を打った。そして彼の作品に登場する魅力的な主人公たちは、人々の心の中で作者サリンジャー自身の姿と重なり合い、避けがたく一体化していくことになった。
このような作品成立の経緯を考えれば、サリンジャーが単行本『フラニーとズーイ』の冒頭に、ウィリアム・ショーンに対する以下のような心のこもった、そしていかにも「ニューヨーカー」派作家らしいひねりのある洒落た謝辞を掲げたのも、当然のことだったかもしれない。ウィリアム・ショーンがいなければ、そして彼の並外れた熱意がなければ、今日ある形での『フラニーとズーイ』はおそらく存在しなかっただろうから(当時の「ニューヨーカー」にはそれだけの迫力と革新性があったのだ。そんな雑誌が他にあるだろうか?)。
〈昼食の同席者に冷えたライマ・ビーンを受け取ることを強要する、一歳になるマシュー・サリンジャーに限りなく近い精神をもって、私は私の編集者にして導師にして、そして(気の毒にも)最も親しい友人にして、「ニューヨーカー」誌の守護神にして、途方もない企てを愛するものにして、多産ならざるものの保護者にして、救いがたくけばけばしきものの弁護人にして、飛び抜けて慎み深い生来の芸術家=編集者であるウィリアム・ショーンに、このずいぶん貧相な見かけの本を受け取ってもらうことを強要する〉
『ズーイ』の改稿作業に日夜没頭することによって、サリンジャーとウィリアム・ショーンの友情と信頼はより深まったものの、それといわば引き替えに、生まれて間もない赤ん坊と共にほとんど置き去り状態にされた妻のクレアとの溝はますます深まり、それはやがて家庭の崩壊、夫婦の別離をもたらすことになった。サリンジャーはそれほどまでに『ズーイ』という作品に激しくのめりこんでいたのだ。彼は自らの現実のファミリーよりも、グラス家という「架空のファミリー」を選んだのだと言われても、致し方ないところがある。サリンジャーにもともと、生々しい実際の現実生活よりは美しい観念、人工的な設定を選択する傾向があったことは、否定しがたいところである。生身の人間が持つ──持たざるを得ない──質感は、彼にとってはあまりに圧迫的なものだった。
妻と赤ん坊に去られたあと、サリンジャーの孤立は──現実の生活においても文学性においても──ますます深刻なものになっていく。その文体はどんどん煮詰まり、テーマは純化され、彼の物語はかつての自由闊達な動きを急速に失っていく。そして彼の書くものは、読者から避けがたく乖離していくことになる。我々はおそらくこの『フラニーとズーイ』という作品を、サリンジャーが極度の孤立化・内向化に向かう直前に書き上げた、目を見張るような「曲芸的傑作」として受け取るべきなのかもしれない。とはいえ、お読みになっていただければわかるように、成立の経緯はきわめて曲芸的でありながらも、そこに込められた文学的志はずいぶんまっすぐなものだ。そのバランスはぎりぎりのところで美しく保たれている。いや、ぎりぎりであるからこそ美しいと言うべきなのか……。
訳者としては、これからも時代を超え、この『フラニーとズーイ』が、古典として、また同時代的な意味を持つ作品として、長く読み継がれていくことを望む。若い読者には若い読み方ができるし、成熟した読者には成熟した読み方ができる、きわめて優れた質を具えた文芸作品であると信じている。ナイーヴであると同時に技術的にはきわめて高度な、原理的・根源的であると同時にどこまでも優しい魂を持った魅力的な小説だ。丁寧に描き込まれた印象的な細部には、思わず心を奪われてしまう。いたるところに、そのあらゆる隅っこに、まるでだまし絵のように隠喩が潜んでいる。内容的に、たとえば『キャッチャー』と比べて、決して万人向けとは言えないところはあるかもしれないが、小説好きの人なら人生の中で一度、あるいは二度、読んでみるだけの、それもゆっくり時間をかけて読んでみるだけの価値のある希有な作品だ。本の大半を占める『ズーイ』の章に登場する素敵な人物たちは──猫のブルームバーグをべつにすればたった三人だ!──うまくいけばきっといつまでも、血肉を持つものとしてあなたの心の中に残り続けることだろう。
本書の翻訳に関しては『キャッチャー』のときと同じように、柴田元幸さんのお世話になった。いつものように僕が翻訳原稿を完成し、初校が出る前の段階で、二人で一日がかりで訳文の問題点を検討した。朝の十時から夜の八時まで、ほとんど休みなしで額を付き合わせ、「ああでもない・こうでもない」と話し合った。もちろんくたくたに疲れたけれど、例によって面白い、興味尽きない作業だった。柴田さんとのセッションは本当に良い勉強になる。
本書の訳題はこれまで『フラニーとゾーイー』が一般的だった。Zooeyという名前の発音をいろんなアメリカ人に尋ねてみたのだが、「ズーイ」と発音する人もいれば、「ゾーイ」と発音する人もいて、翻訳者としてはどちらとも決めかねるところだ。ただ「ズーイ」派の方が数としていくぶん多かったのと、二〇一三年に公開されたドキュメンタリー映画『サリンジャー』でも「ズーイ」という発音で統一されていたこと、また僕が昔から個人的に「ズーイ」という語感をより好むという理由もあり、ここでは「ズーイ」の方をとらせていただいた。
J.D.サリンジャーは自分の本の中に訳者の「まえがき」とか「あとがき」とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じているので、そのかわりにこのような少し変わった形で、訳者からのメッセージを送らせていただくことになる。「余計なものを入れるな。読者は作品だけを読めばよろしい」というサリンジャー氏の基本姿勢もそれなりに理解できるのだが、『フラニーとズーイ』という文芸作品が既に古典として機能していることを考えれば(本国で出版されたのは一九六一年だ)、読者に対してある程度の基本情報を提供することは、翻訳者としてのひとつの責務であると考えるからだ。本だけをぽんと与えて「さあ、読めばわかるだろう」というのでは、やはりいささか不親切に過ぎるのではないか。同時代的な本であればそれでもいいだろうが、古典についていえば、その立ち位置の意味合いや方向性についての最小限の説明は必要となる。そんなわけで、この本に関する僕個人の思いと、本書の成立事情について、故人の安らかな眠りを損なわない程度に簡単に述べたいと思う。
僕が『フラニーとズーイ』を最初に読んだのは、たしか大学に入ったばかりの頃だった。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んで、言うなれば「若き心」を揺さぶられたあと、この小説を手に取った(おおかたの読者はそういう順番で読んでおられるのではないだろうかと推測するのだが)。この本を読んだという行為そのものの記憶は、今でも明瞭に僕の中に残っている。そしてそれは『キャッチャー』とは別の意味で、不思議に鮮烈な印象をあとに残していったようだ。まるで通過儀礼か何かのように。しかしその一方で、じゃあ僕がその小説の内容のいったいどこに惹かれたのか、それが僕の心をどのように移動させたのか、とあらためて問われると、そのへんがもうひとつ定かではない。話の中のいくつかの部分は、魅力的な情景として頭に鮮やかに焼きついているのだが(たとえば冒頭の駅のシーンとか、ズーイがお風呂に入っているところとか)、話全体としての求心力のありかみたいなものが、今ひとつすんなりと確定できないのだ。そういう意味では──少なくとも十代の僕にとってはということだが──『キャッチャー』よりは複雑な、いささか捉えがたい話だった。
そしてもうひとつ、「いやに宗教臭かったな」という、どちらかというとネガティヴな思いが残っている。話の後半になって、登場人物たち(つまりズーイとフラニー)がただ座り込んで、宗教の原理についてあれこれ蘊蓄を述べるというか、泣いたり声を荒立てたりしながら生真面目に議論するところが、当時の僕としてはいささかうっとうしかった。この本は言うなれば「議論小説」であり、まさにそこに小説的魅力があり、作家の腕の見せ所があるわけだが、そのへんのところは年若い僕にはまだよく理解できていなかったようだ。言い訳をするのではないが、それはけっこう乱暴な政治的季節であり、フリー・ジャズとかアート・ロックとかハップニング芸術とかがやみくもに流行っている時代だった。だから(というか)僕としてはもう少し勢いよくすこんと抜けた話が読みたかったのかもしれない。
そんなわけで、翻訳でひととおりすらりと読んだだけで、「もうこれでいいや」と思って、原文をあたってみようという気までは起きなかった。手元に本は置いていたのだが、もう一度あらためて読み返すこともなかった。そうしてみると僕は残念ながら、この小説のあまり良き読者ではなかったということになるだろう。
しかし今回『フラニーとズーイ』の新訳を出してみないかという相談を出版社から受けて、「うーん、どうしたものか」と迷いつつ、ためしに原文を読み始めてみたのだが、そこで「ええ、なんだ、『フラニーとズーイ』ってこんなに面白い話だったんだ!」と驚嘆することになった。お恥ずかしい話だが、最初に読んでから四十五年ほど経過して、この歳になって、この小説がようやく「腑に落ちた」わけだ。まさに目からぼろぼろと鱗が落ちたような気分だった。そしてずいぶん夢中になり、新しい発見を楽しみながら一気に翻訳してしまった。
『フラニーとズーイ』という小説のどこがそんなに面白いのか? 一人の小説家として率直に意見を言わせていただければ、この小説の面白さはなんといってもその魅力的な文体に尽きる。ハイパーでありながら、計算し尽くされた文体だ。内容がどうこうという以前に、文体の凄さにのっけから打たれてしまう。これはもちろん『キャッチャー』についてもそのまま言えることだが、すべては文体から始まっている。サリンジャーはまず文体というヴィークルをしっかりと設定し、そこになにやらかやらを手当たり次第に積み込み、人々を座席に押し込み、素知らぬ顔でひょいとスタートのスイッチを押す。そのようにして驚異のジェット・コースティングが始まる。そのいさぎよさというか、出所のストレートさに、僕らは息を呑み、恐れ入ってしまうことになる。
最初の「フラニー」の部分は、文体的にいえばかなり抑制がきいている。素晴らしく上等な文章だが、どちらかといえばそれほどクセがなく、リアリズム小説の文体に近い。彼がそれまで短編小説で用いてきた都会的でおしゃれな、つまり雑誌「ニューヨーカー」風の文体に近いだろう。そこでは一九五〇年代のアメリカの、東部エリート大学に通う裕福そうな大学生の男女の姿が、いうなれば風俗的に生き生きと描かれている。もちろんフラニーの精神的乱調が中心主題になっているわけで、話はそうお気楽には進んでいかないものの、文章自体はいかにも素直で流れが良い。切り詰めた描写と、会話のリズムの良さと、的確な比喩が話を小気味よく前に進めていく。しかしこれはまだエンジンを暖めている段階だ。アクセルはほどほどにしか踏み込まれていない。この調子ですらすらと話が進んでいくのかなと、善良な読者が期待し始めたところで、『フラニー』の部分は意外に短く終わってしまう。「あれっ?」という感じで。そしてそのあと一息置いて、アクセルがぐいと踏み込まれ、エンジンの回転がはね上がり、サリンジャー的饒舌がまさに全開の『ズーイ』の章が、勢いよくコースに飛び出していく。
僕が今回、この『フラニーとズーイ』を原文で読んで驚嘆し、唖然としたのは、とくに『ズーイ』部分の文体の面白さだった。とにかく凝りに凝っている。この凝りまくり具合を翻訳にそのまま移し替えるのは、正直なところきわめてむずかしい作業になる。原文の洗練された巧みな技をできる限り活かしながら、その鋭い切っ先を鈍らせないようにしながら、日本語として滑りの良い表現に変えていくのは、ずいぶん工夫を要する作業だった。僕が十代の頃に翻訳で読んでもうひとつ乗り切れなかったのは、あるいはそのせいもあるかもしれない。これは翻訳の善し悪しではなく、あくまで文章リズムの個人的相性の問題であろうと思う。
じゃあ、おまえの訳ではその原文の雰囲気がしっかり活かされているのかと問われると、もちろんそこまでの自信はない。自信があるなんて、とてもじゃないが言えない。ただ僕としては、ぐるぐると高速回転しながらあちこちに忙しく移動するサリンジャーの文章的視点を、共時的に追いかけていけるだけのフットワークを、なんとか確保し続けたいと思いながら、彼の文章に(いうなれば)しつこく食らいついていった。サリンジャーの文章は何しろ自由自在に変化していく。あちらと思えばまたこちら、という具合だ。その目覚ましく素早いツイストやピヴォット(軸足回転)に惑わされないことが大事になる。リズムを一貫して維持すること、共時的体験であることを同時代的体験に繋げていくこと、それがこの翻訳にあたっての基本的な姿勢だった。
『ズーイ』部分はグラス兄弟の次男であり、今は小説家になって、田舎に閉じこもっているバディーがこれを書いている──バディー自身の表現を借りればホーム・ムーヴィーを撮影している──という設定になっている。冒頭の部分にそういう(いささかもってまわった)エクスキューズがある。つまりサリンジャーはここでは、バディー・グラスという架空の作家の文体を借用して小説を書いていることになる。というわけで、話は最初から入れ子的な色彩を帯びてくる。
もちろんバディーはサリンジャーの投影であるわけだが、バディーはそのままサリンジャー自身ではない。サリンジャーはバディーという作家の文体をでっちあげている。その両者の文体の落差は、最初から最後まできちんと几帳面なまでに維持されている。そしてサリンジャーはその意図的な落差をたっぷり楽しみながら、小説を書いているように見受けられる。自分でありながらしかも自分でないことの歓びみたいなものを、いたるところで気持ちよさそうにナチュラルに噴出させている。しかしこのような作業は言うまでもなく、非常に高度な文章力を要求する。僕がまず感心したのは、そういうテクニカルなレベルの高さだった。こんなことがすんなりできてしまう作家はちょっといない。
その技巧的な(仮面的な)文体にもうひとつ絡んでくるのが、ズーイという青年(グラス家五男)のかなり風変わりな語り口だ。バディーの文章スタイルも相当に饒舌かつ装飾的だが、ズーイの弁舌もそれに輪をかけてハイパーでユニークだ。その二つの特徴的なヴォイスが絡み合い、もつれ合い、刺激し合いながら、この本の中を縦横無尽に駆け巡る。そのような機知に富んだ、圧倒的にパワフルな文章的展開が、この『フラニーとズーイ』という小説の原動力になる。あくまで密室的な話なのに、そしてややこしい議論だらけの話なのに、それでいて物語の足取りが止まってしまうことはない。たいしたものだ。読み終えると、『フラニー』の部分は優れて魅力的な話ではあるけれど、結局は本命『ズーイ』に至るまでのチャーミングな序章に過ぎなかったんだなと深く実感させられることになる。サリンジャーは『ズーイ』の書き直しに相当長い日にちをかけているが、これはたしかにずいぶん骨の折れる困難な作業だっただろうと推察する。隅々まで丁寧に、怠りなく磨き上げられた文章だ。
僕はこの『ズーイ』部分の文章的圧倒性は、『キャッチャー』のあのわくわくする新鮮な文体にじゅうぶん匹敵する力を持ったものであると思っている。『キャッチャー』の文体ももちろん魅力的でパワフルだが、これは最初から最後まで一人称のヴォイスで語られており、小説的技巧としてはよりシンプルだ。しかし『ズーイ』はストイックなまでに三人称で書かれている。そこに『ズーイ』の小説的面白さがあるし、サリンジャーの作家としての野心もある。今更『キャッチャー』と同じことはしたくない、という彼の矜持のようなものもうかがえる。そしてその彼の意図は見事に成功している。
しかしながら、このように生命力に溢れる豊かで強靭な文体を、サリンジャーはその後二度と手にすることはなかったようだ。どうしてかはわからない。彼はそのような文章的洗練性にもう興味が持てなくなっていったのかもしれない。そういう文体はあまりに技巧的すぎるし、ちゃらちゃらしたある種の「見せびらかし」に通じていると考えたのかもしれない。つまり、フラニー・グラスならそう考えたかもしれないように。
作家として、ひとつの場所にいつまでも留まりたくないというサリンジャーの気概はそれなりに理解できるし、どのような方向に進んでいくかはもちろん作者の自由に任されているわけだが、その闊達な文体が以後、より原理主義的なものに、より狭隘なものに推移していった(ように見える)ことは、あくまで一読者として個人的な意見を言わせていただければだが、いささか残念である。
さて、この小説の「宗教臭さ」については正直なところ、今読み返してみてもいかんともしがたいところがある。作者自身が当時、宗教(東洋哲学)に深くはまっていて、それを実践する形で半ば隠遁的な生活を送っており、何を書いてもすべて宗教性に向かってしまうという状態にあった。彼自身「今の私は、もし盗まれたスニーカーについて物語を書いたとしても、結局はお説教に行き着くことだろう」というようなことを述べている。そのような「宗教臭さ」はところどころでいくぶん図式的に流れもするし、それは一般的読者を少なからず辟易させることになるかもしれない(かつての僕がそう感じたのと同じように)。そのことは本書のひとつの弱点になっているかもしれない。
ただひとつご理解いただきたいのは、一九五〇年代のアメリカにおいては、東洋哲学や原始キリスト教の教義は、おそらく現在よりもずっと切迫した、リアルな存在性を持っていたという事実だ。ビート・ジェネレーションへと繋がっていくひとつの思想的ファッションとなっていた、と言ってしまってもいいかもしれない(もちろんサリンジャーの場合はそれは単なるファッションに留まらず、良くも悪くも彼を全的に包含していったわけだが)。それらの宗教性が意味するのは反物質主義であり、反プラグマティズムであり、圧倒的繁栄を無反省に享受するアメリカ社会への静かなる「ノー」であった。冷たく硬直したアカデミズムや、想像力を欠いた画一的メディアに対する「ノー」でもあった。また同時にそれは、第二次大戦に兵士として従軍し、数々の激戦の中をくぐり抜けてきたサリンジャーが背負うことになった深いトラウマの、切実な癒やしの手段であり、ヒューマニティー回復への大事な道筋でもあった。そして──これはかなり重要なことだが──そのような宗教性は当時まだ、今日見られるような不幸な「カルトの傷痕」を負ってはいなかった。
今日我々がこの『フラニーとズーイ』を読むとき、おそらく読者の大部分はそこにある宗教的言説を、実践的な導きの方法としてではなく、むしろひとつの歴史的引用として、一種の精神的メタファーとして処理しながら読み進むことになるのではないかと思う。そういう文脈で読んでいけば、読者は表面的な「宗教臭さ」に惑わされることなく、この物語の核心に比較的容易に、率直に迫ることができるのではないだろうか。サリンジャーの語ろうとしていることも、宗教の固定された教義ではなく、むしろ流動的で一般的な「求神性」にあるのだから。そのようなわけで宗教的用語や背景については、どうしても必要なものを別にして、あまり細かく訳注を入れないことにした。それは小説を読むことの喜びをかなり削いでしまうことになるかもしれないから。そういうことに興味のある読者は、申し訳ないが、ご自分で文献などをあたっていただきたいと思う。一般読者にとっては、そういう細部の事実がわからないと、この小説の意味が本当には理解できないというようなことはないと僕は考えている。
最近になって(つまりその死と前後して)サリンジャーの伝記や、彼についてのメモワールや評論が何冊か新たに出版され、これまであまり知られていなかった数多くの事実が明らかになってきた。『フラニーとズーイ』の成立前後の事情について、ここで簡単に記述しておきたい。
一九五一年に出版された長編小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がベストセラーになり、異例に大きな反響を呼んだあと、一九五三年に短編集『ナイン・ストーリーズ』が出版され、これも読書家の間で高い評価を受けた。この二冊の本によって、J.D.サリンジャーという若手作家の名は一躍、文壇のトップに躍り出ることになる。そして一九五五年の初めに『フラニーとズーイ』の『フラニー』部分が独立した短編小説として「ニューヨーカー」誌に発表された。この時点では読者はこの小説がどのように発展していくか、そもそも発展していくものなのかどうか、まったく知らされていない。しかしその評判は素晴らしかった。作品は全国的に話題になり、雑誌は飛ぶように売れた。
ただしこの作品には、一般の読者を戸惑わせる部分が少なからず含まれていた。レーン・クーテルの人物設定はあまりにも類型的だし(アカデミズムに対する、東部知的エリートに対する作者の敵意がむき出しになっている)、フラニー・グラスはある意味青臭く独善的だし、彼女が夢中になって読んでいる『巡礼の道』という書物の存在意味も今ひとつ不明確だ。しかし見事に的確な描写と、ストーリー・テリングの妙、設定された状況の若々しさと華やかさが、それらの問題をじゅうぶんカバーしている。「ニューヨーカー」の読者たちはその作品を、細かいところはさておき、ミステリアスな要素を含んだひとつのパッケージとして進んで、熱烈に受け入れた。その反響は予想を超えて大きく、作品を巡ってあちこちで様々な見解や意見が生まれた。そして少なからぬ数の読者は──批評家たちをも含めて──フラニーの身体的不調と失神を、彼女が妊娠しているせいであると考えた。そしてその誤解は繊細なサリンジャーの神経を苛立たせた。まあ当然のことだろう。フラニーにとっての「実存の危機」のしるしが、妊娠というような身体的問題として片付けられたら、作品の意味が失われてしまう。そのような誤解が解消されるには、続編『ズーイ』の登場を待たなくてはならなかった。
これはあくまでも僕の個人的意見だが、『フラニー』という作品には、サリンジャーがどことなく自分の作家としてのポジションを決めかねている印象がうかがえる。サリンジャーにはお洒落で知的な「ニューヨーカー」風の人気作家であり続けたいという思いと共に(その雑誌が払ってくれる高い原稿料は、彼にとっては大事な収入だった)、より真摯で、より大柄な作家になりたいという思いもあった。『フラニー』は言うなれば、その中間地点から生まれた作品であるように見受けられる。作家はまだ両方向に目を向けている。しかしそのような彼の迷いは、決してこの小説の瑕疵とはなっていない。むしろここでは、その微妙な「揺れ」がチャーミングな魅力となって機能している。しかしその続編『ズーイ』に取りかかった段階では、サリンジャーは既にはっきり心を定めていたようだ。一連の文学的成功のあと、彼は自分の才能に確かな自信を持ち、より意欲的で真摯な小説へと、自分の魂に正直な小説へと、歩を向けていくことになる。
しかしながらサリンジャーは『ズーイ』部分に取りかかる前に、おそらくはその準備段階として、長めの短編小説(あるいは短めの中編小説)『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を書きあげた。「グラス家サーガ」の一部をなすことを期待されたこの小説の主人公は、次男のバディー・グラスだ。話は過去にさかのぼり、やがて自殺を遂げる長男シーモアも、この時点ではまだ存命である。ニューヨーク市内で開かれるシーモアの結婚式がこの小説の舞台になっているわけだが、シーモア自身はなぜかここに登場しない。というか、彼が不在であることが、まさにこの小説の中心的主題になっている。まことに達者な筆で書かれたこの素敵な作品は「ニューヨーカー」の一九五五年十一月十九日号に掲載され、やはり読者の絶賛を博した。文体には質の良いユーモアがあり、とても読みやすい作品になっているが、知的な気配りが隅々まで充実していて、読者におもねった姿勢はまったくない。
この一九五五年はサリンジャーにとっては重要な意味を持つ年で、その二月に彼はクレア・ダグラスと結婚し、十二月には女児をもうけている。そして一般にクレアはフラニーの原型だと考えられている。クレアはサリンジャーより十五歳年下、美しく利発な、そしてエネルギーに溢れる女性で、東部エリート女子大ラドクリフに在籍していた。二人は人里離れたニュー・ハンプシャー州コーニッシュで、宗教教義を実践する、世間から孤立した清廉な生活を送ることになった。
サリンジャーは『ズーイ』の執筆にたっぷり一年半をかけた。かなり力を入れたわけだ。彼としてはこの作品もまた、長大で立体的な「グラス家サーガ」(もしそれが完成していれば、中世の巨大なカセドラルのような威容を誇っていたに違いない)のひとつのピースとするつもりでいたのだが、とりあえずは話の流れが時間的に繋がっている『フラニー』部分と合体して、『フラニーとズーイ』という形で出版することにした。
ただしこの意欲作『ズーイ』は当初「ニューヨーカー」に掲載を拒絶された。そのひとつの理由としては、作品があまりに長すぎたことがあげられる。その後時間をかけて短縮されたものでさえ、「ニューヨーカー」が掲載する一般的な短編小説のゆうに四倍の長さがあった。おかげでその作品が掲載された一九五七年五月十七日号には、他の記事を掲載する余地はほとんど残されていなかったほどだ。
「ニューヨーカー」がその作品の掲載を渋ったもう一つの(そしてより大きな)理由は、作品の内容が「宗教的すぎる」ことだった。そこでは信仰と文学性とが、メッセージと物語とが、渾然一体となって混じり合い、腑分けがほとんど不可能になっている。それは「ニューヨーカー」という洗練された都会派の雑誌の持ち味にはそぐわないことだった。文芸担当の編集者たちが二の足を踏んだのは、まあ当然のことだったかもしれない。彼らは協議を重ね、全員一致でこの作品の不採用を決定した。
しかし編集長のウィリアム・ショーンは、サリンジャーという希有な作家と、自分の雑誌の結びつきを何にも増して重要なものと考え(実に妥当な考えだ)、編集者たちの決定を一存でひっくり返し、『ズーイ』採用掲載を決定し、著者に巨額の稿料を支払った。そして編集長自らが担当編集者となり(きわめて異例なことだ)、サリンジャーと共にその作品の改稿に没頭した。ショーンはかなりの変人として知られていたが、文学に対しては鋭い嗅覚を具えており、多くの作家たちから敬意を抱かれていた。編集者たちも彼に異議を唱えることはできなかった。
サリンジャーはコーニッシュでの隠遁生活をしばしば中断し、ニューヨークに出てきて、ショーンのオフィスに二人で籠もり、文章を徹底的に練り上げ、作品をよりひきしまった、コンパクトなものに変えていった。二人はその改稿・短縮作業にみっちり六ヶ月をかけ、おかげで作品は当初よりかなり短いものになったということだが、オリジナルの作品の長さがどれほどのものであったかは今となってはわからない。
『ズーイ』もやはり読者の好評を博した。批評家の一部からの厳しい意見には晒されたが、サリンジャーの新しい作品、とくに『フラニー』の続編を今か今かと待ち望んでいた読者にとって、そこにある宗教臭さはそれほど(「ニューヨーカー」の文芸担当者が案じたほど)気にならなかったようだ。またひとつには、サリンジャーには既に多くの数の「固定ファン」がついており、彼らの間ではサリンジャーは単なる小説家というに留まらず、むしろひとつの伝説のような存在になり始めていたという事実がある。その内容に含まれた宗教性は読者を遠ざけるよりはむしろ、作家の伝説をますます強化する助けになったとさえ言えるかもしれない。むきだしの原理的な宗教論議を、文学の領域にまですんなり昇華してしまえるこの作家の特異な、言うなれば変則的なパワーに、そのような読者たちは感心し、舌を巻くことになった。
また一九五〇年代、アイゼンハワー大統領治下のアメリカの強固な冷戦体制、マス・プロダクトによる画一化、資本主義礼賛の嬌声の中で、新しい価値を模索する多くの若者たちが、サリンジャーの提示する清廉な精神主義に心を惹かれたことも大きいだろう(そういう意味では、サリンジャーは一連のビート文学の先を行っていた)。『キャッチャー』のホールデン・コールフィールドが叫んだ社会への痛切な「ノー」は、『ズーイ』のズーイ・グラスが最後に魂から搾り出した「イエス」へと高められ、その昇華された転換は多くの読者の心を打った。そして彼の作品に登場する魅力的な主人公たちは、人々の心の中で作者サリンジャー自身の姿と重なり合い、避けがたく一体化していくことになった。
このような作品成立の経緯を考えれば、サリンジャーが単行本『フラニーとズーイ』の冒頭に、ウィリアム・ショーンに対する以下のような心のこもった、そしていかにも「ニューヨーカー」派作家らしいひねりのある洒落た謝辞を掲げたのも、当然のことだったかもしれない。ウィリアム・ショーンがいなければ、そして彼の並外れた熱意がなければ、今日ある形での『フラニーとズーイ』はおそらく存在しなかっただろうから(当時の「ニューヨーカー」にはそれだけの迫力と革新性があったのだ。そんな雑誌が他にあるだろうか?)。
〈昼食の同席者に冷えたライマ・ビーンを受け取ることを強要する、一歳になるマシュー・サリンジャーに限りなく近い精神をもって、私は私の編集者にして導師にして、そして(気の毒にも)最も親しい友人にして、「ニューヨーカー」誌の守護神にして、途方もない企てを愛するものにして、多産ならざるものの保護者にして、救いがたくけばけばしきものの弁護人にして、飛び抜けて慎み深い生来の芸術家=編集者であるウィリアム・ショーンに、このずいぶん貧相な見かけの本を受け取ってもらうことを強要する〉
『ズーイ』の改稿作業に日夜没頭することによって、サリンジャーとウィリアム・ショーンの友情と信頼はより深まったものの、それといわば引き替えに、生まれて間もない赤ん坊と共にほとんど置き去り状態にされた妻のクレアとの溝はますます深まり、それはやがて家庭の崩壊、夫婦の別離をもたらすことになった。サリンジャーはそれほどまでに『ズーイ』という作品に激しくのめりこんでいたのだ。彼は自らの現実のファミリーよりも、グラス家という「架空のファミリー」を選んだのだと言われても、致し方ないところがある。サリンジャーにもともと、生々しい実際の現実生活よりは美しい観念、人工的な設定を選択する傾向があったことは、否定しがたいところである。生身の人間が持つ──持たざるを得ない──質感は、彼にとってはあまりに圧迫的なものだった。
妻と赤ん坊に去られたあと、サリンジャーの孤立は──現実の生活においても文学性においても──ますます深刻なものになっていく。その文体はどんどん煮詰まり、テーマは純化され、彼の物語はかつての自由闊達な動きを急速に失っていく。そして彼の書くものは、読者から避けがたく乖離していくことになる。我々はおそらくこの『フラニーとズーイ』という作品を、サリンジャーが極度の孤立化・内向化に向かう直前に書き上げた、目を見張るような「曲芸的傑作」として受け取るべきなのかもしれない。とはいえ、お読みになっていただければわかるように、成立の経緯はきわめて曲芸的でありながらも、そこに込められた文学的志はずいぶんまっすぐなものだ。そのバランスはぎりぎりのところで美しく保たれている。いや、ぎりぎりであるからこそ美しいと言うべきなのか……。
訳者としては、これからも時代を超え、この『フラニーとズーイ』が、古典として、また同時代的な意味を持つ作品として、長く読み継がれていくことを望む。若い読者には若い読み方ができるし、成熟した読者には成熟した読み方ができる、きわめて優れた質を具えた文芸作品であると信じている。ナイーヴであると同時に技術的にはきわめて高度な、原理的・根源的であると同時にどこまでも優しい魂を持った魅力的な小説だ。丁寧に描き込まれた印象的な細部には、思わず心を奪われてしまう。いたるところに、そのあらゆる隅っこに、まるでだまし絵のように隠喩が潜んでいる。内容的に、たとえば『キャッチャー』と比べて、決して万人向けとは言えないところはあるかもしれないが、小説好きの人なら人生の中で一度、あるいは二度、読んでみるだけの、それもゆっくり時間をかけて読んでみるだけの価値のある希有な作品だ。本の大半を占める『ズーイ』の章に登場する素敵な人物たちは──猫のブルームバーグをべつにすればたった三人だ!──うまくいけばきっといつまでも、血肉を持つものとしてあなたの心の中に残り続けることだろう。
本書の翻訳に関しては『キャッチャー』のときと同じように、柴田元幸さんのお世話になった。いつものように僕が翻訳原稿を完成し、初校が出る前の段階で、二人で一日がかりで訳文の問題点を検討した。朝の十時から夜の八時まで、ほとんど休みなしで額を付き合わせ、「ああでもない・こうでもない」と話し合った。もちろんくたくたに疲れたけれど、例によって面白い、興味尽きない作業だった。柴田さんとのセッションは本当に良い勉強になる。
本書の訳題はこれまで『フラニーとゾーイー』が一般的だった。Zooeyという名前の発音をいろんなアメリカ人に尋ねてみたのだが、「ズーイ」と発音する人もいれば、「ゾーイ」と発音する人もいて、翻訳者としてはどちらとも決めかねるところだ。ただ「ズーイ」派の方が数としていくぶん多かったのと、二〇一三年に公開されたドキュメンタリー映画『サリンジャー』でも「ズーイ」という発音で統一されていたこと、また僕が昔から個人的に「ズーイ」という語感をより好むという理由もあり、ここでは「ズーイ」の方をとらせていただいた。
↧