今月末、ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(1919-2010)の『フラニーとズーイ』の村上春樹による新訳が新潮文庫から刊行されるので、その前にサリンジャーの他の作品を何か読んでみよう思い、この『ナイン・ストーリーズ』(野崎孝訳)を読んでみました。
【収録作品】
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バナナフィッシュにうってつけの日 バナナフィッシュって何だろう? バナナフィッシュについて、シーモア・グラース(この作品では言及されていませんが、彼はグラース家の長男にあたります。)はビーチ(『フラニーとズーイ』によれば、フロリダ)で知人の娘シビルに以下のように話します。
「あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。ぼくの知ってるバナナフィッシュにはね、バナナ穴の中に入って、バナナを78本も平らげた奴がいる」
「当然のことだが、そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね」
「うん、言いにくいことだけどね、シビル、彼らは死んじまうんだ」
「それはね、バナナ熱にかかるのさ。これはとても怖い病気なんだ」
シーモアはホテルの部屋へ戻るとトランクから自動拳銃を取り出します。そして、ベッドで眠っている妻ミュリエルの横に腰を下ろし、自分の右のこめかみを撃ち抜きます。突然の終わりは衝撃的でした。バナナフィッシュは何の暗喩なのか? シーモアはバナナフィッシュのように、二度と出られない穴に閉じ込められたような閉塞感に苛まれていたのか? だから、死ぬしかなかったのか?
ところで、村上春樹の短編「カンガルー日和」の英語版タイトル‘A Perfect Day for Kangaroos’は、この作品の原題‘A Perfect Day for Bananafish’からとったように思ったので、「カンガルー日和」を読んでみました。
何か共通点はあったのか? 内容的にはないと思いますが、登場人物の会話で物語が進行するスタイルは似ていると思います。
◆コネティカットのひょこひょこおじさん
メアリ・ジェーンは大学時代のルームメート・エロイーズの家を訪ねます。二人は酔っ払いながら思い出話に花を咲かせますが、エロイーズにとって娘ラモーナのことが気がかりなようです。ラモーナはかなりの弱視のようで、そのためか自分だけの世界に引きこもりがちです。母娘の関係もあまりうまくいっていないようです。
思い出話の中で、エロイーズは彼女が転んで足首をくじいたときに、その当時つきあっていたウォルト(この作品では言及されていませんが、彼はグラース家の3男にあたります。)から「かわいそうなひょこひょこおじさん」(訳注によると、〈ひょこひょこおじさん〉とはハワード・ギャリスの連作童話の主人公の親切な年寄り兎で、リューマチの脚を嘆いています。)と言われたことを話します。ウォルトは第二次世界大戦で戦死しましたが、彼女は彼のユーモアと思いやりを懐かしんでいるようです。
物語のラスト部分、エロイーズはラモーナの部屋に行き、娘の眼鏡を両手で握りしめて固く頬に押し当てます。すると涙があふれ出て、眼鏡のレンズを濡らします。その時、彼女は「かわいそうなひょこひょこおじさん」と、何度も何度も繰り返します。
この作品のキーワードは「かわいそうなひょこひょこおじさん」ですが、エロイーズがラモーナに対してこの言葉を使ったのは、娘へのいとおしさの表現なのでしょう。
◆対エスキモー戦争の前夜
ジニーは5週連続で土曜の午前に同級生のセリーナとテニスをしています。しかし、彼女はセリーナを「学校でも最高に食えない子」と思っており、テニス帰りに利用するタクシー代をセリーナが払わないことに腹を立てています。ジニーはタクシー代の支払いを求めてセリーナの家を訪れ、セリーナが母親とお金の相談をしている間、彼女はセリーナの兄やその友人と話をします。すると彼女は変心し、セリーナに「お金は要らない」「今夜、遊びに来るかもしれない」と告げて帰宅します。
ジニーの変心理由やセリーナの兄が言う対エスキモー戦争の意味はわかりませんが、おもしろい一編です。
◆笑い男
1928年、私が9歳だった時、私は〈コマンチ団〉の団長が話してくれる「笑い男」の物語に夢中になります。また、団長と彼のガールフレンドとの恋の行方も気になります。団長は失恋し、それとともに「笑い男」の物語も終わりを告げます。
◆小舟のほとりで
ブーブー・タンネンバウム(旧姓グラース。彼女はグラース家の長女にあたります。)は、湖の桟橋に繋いだ小舟に乗り込んでそこから離れようとしない4歳の息子に、なぜそこを離れないのか尋ねます。
◆エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに
1944年4月、私はイギリスのデヴォン州で、6月に迫ったノルマンディー上陸作戦のための訓練を受けていました。デヴォン州での最後の日、私はたまたま立ち寄った教会で幼い子供たちによる合唱隊の歌を聞きます。その後、私は喫茶店で合唱隊の少女エズミと出会います。その時、彼女は私に手紙を書くことを約束します。
1945年5月8日のヨーロッパの戦勝記念日から数週間の後、私は緑色の紙に包まれた小箱を手にします。それはエズミが私に送ったもので、私の部隊の移動とともに何度も転送されてきたものでした。
◆愛らしき口もと目は緑
リーのもとに仕事上のパートナーであり、友人でもあるアーサーから電話がかかってきます。妻のジョーニーがパーティから帰ってこないが、心当たりがないかというものです。リーはエレンボーゲン夫婦と一緒じゃないかと話しますが、実はジョーニーはリーとベッドをともにしていたのです。
リーとアーサーの電話での会話によってストーリーは展開します。いったん電話を切った後、アーサーは再度リーに電話をし、ジョーニーの帰宅を知らせます。ジョーニーはまだリーと一緒なのに。
◆ド・ドーミエ=スミスの青の時代
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テディ 主人公のテディは異常に発達した知能を持つ幼い少年であり、彼は学者たちの研究の対象になっています。物語はヨーロッパからアメリカに帰る客船の中で展開します。
以下は、ラストシーンを暗示するテディの言葉です。
たとえばこのぼくはだよ、あと五分もしたら水泳の訓練を受ける。下のプールへ下りて行ってみたら、水が入ってなかったということがあるかもしれない。今日が水替えやなんかの日に当ってたりしてね。しかしぼくは、ひょっとしたら、プールの底をのぞいて見ようとしてその縁まで歩いて行くかもしれない。そこへ妹がやって来て、僕を突き落すかもしれない。ぼくは頭の骨を割って即死ということだってあり得るだろう。