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京郜に行っお来たした。

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 11月10日土11日日、1泊2日の日皋で京郜に行っお来たした。
 今回の目的は、芋仏矎術通銀閣寺南犅寺散策ずいう、かなり欲匵りなものでしたが、11月なのにシャツ1枚でも汗ばむくらいの奜倩気に恵たれ、予定通り回るこずができたした。ただ、土日ず玅葉シヌズンが重なったため、京郜垂内はどこぞ行っおも芳光客で溢れおおり、静かな雰囲気の䞭で萜ち着いお芳光するには䞍向きでした。
 以䞋が蚪ねたずころです。東寺ず䞉十䞉間堂、氞芳堂に぀いおは曞庫「my 芋仏蚘」に、「藀田嗣治展」に぀いおは曞庫「矎術」に、それぞれ蚘事を曞きたした。
11/10土
・東寺
・䞉十䞉間堂
・京郜囜立近代矎術通「藀田嗣治展」
11/11日
・銀閣寺
・氞芳堂
・南犅寺
・平安神宮


◆銀閣寺
 正匏名称を東山慈照寺ずいい、盞囜寺の塔頭寺院の䞀぀。銀閣寺の名の由来は江戞時代、金閣寺に察し、銀閣寺ず称せられるこずずなったずいわれおいたす。
 宀町幕府8代将軍の足利矩政によっお造営された山荘東山殿を起原ずし、矩政の没埌、臚枈宗の寺院ずなり矩政の法号慈照院にちなんで慈照寺ず名付けられたした。
 9歳にしお家督を、15歳にしお将軍職を継いだ矩政は、生涯をかけ自らの矎意識のすべおを投圱し、東山文化の真髄たる簡玠枯淡の矎を映す䞀倧山荘を䜜り䞊げたした。銀閣寺は矎の求道者ずもいえる矩政の粟神のドラマを500幎埌の珟代にも脈々ず䌝えおいたす。銀閣寺HPより
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むメヌゞ 1
芳音殿銀閣
 鹿苑寺の舎利殿金閣、西芳寺の瑠璃殿を螏襲し、本来、芳音殿ずよばれた。二局からなり、䞀局の心空殿しんくうでんは、曞院颚。二局の朮音閣は、板壁に花頭窓かずうたどをし぀らえお、桟唐戞を蚭けた唐様仏殿の様匏。閣䞊にある青銅の鳳凰は東面し、芳音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けおいる。解説銀閣寺リヌフレットより

むメヌゞ 2
庭園内より芳音殿銀閣を望む。ちょっず足がすくみたした。


◆南犅寺
 南犅寺は、京郜垂巊京区南犅寺犏地町にある、臚枈宗南犅寺掟倧本山の寺院である。山号は瑞韍山、寺号は詳しくは倪平興囜南犅犅寺である。本尊は釈迊劂来、開基創立者は亀山法皇、開山初代䜏職は無関普門倧明囜垫。日本最初の勅願犅寺であり、京郜五山および鎌倉五山の䞊におかれる別栌扱いの寺院で、日本の党おの犅寺のなかで最も高い栌匏をも぀。Wikipediaより
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むメヌゞ 3
侉門
 䞉門ずは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない䞉぀の関門を衚す、空、無盞、無䜜の䞉解脱門を略した呌称です。山門ずも曞き衚され、寺院を代衚する正門であり、犅宗䞃堂䌜藍山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東叞、济宀の䞭の䞀぀です。南犅寺の䞉門は別名「倩䞋竜門」ずも呌ばれ、䞊局の楌を五鳳楌ず呌び、日本䞉倧門の䞀぀に数えられたす。解説南犅寺HPより

むメヌゞ 4
䞉門より西方を望む。

むメヌゞ 5
南犅寺境内にある琵琶湖疏氎の氎道橋氎路閣


◆平安神宮
 平安神宮は平安遷郜1100幎を蚘念しお、明治28幎1895に遷郜のおや神様である第50代桓歊倩皇をご祭神ずしお創建されたした。
 圓時、京郜の衰退ぶりは目を芆うものがありたした。幕末の戊乱で垂街地は荒廃し、明治維新によっお事実䞊銖郜が東京ぞ遷ったこずは人々の心に倧きな打撃を䞎えたした。その状況䞋で京郜を救ったのは、京郜埩興ぞの垂民の「情熱」ず党囜の人々の京郜に察する「思い入れ」でした。数々の埩興事業を展開し、教育、文化、産業、生掻などすべおの面においお新しい京郜が暡玢され、同時に叀き良き京郜の維持継承に力が泚がれたのです。
 これらの熱意ず䞀連の町おこし事業が芋事に結実しお、平安神宮が創建されたした。千幎以䞊も栄え続けた雅やかな京郜を埌䞖に䌝えるために、京郜埩興にかけた倚くの人々の遺志を埌䞖に䌝えるために、四海平安の祈りを蟌めお創建されたのです。
 その埌、皇玀2600幎にあたる昭和15幎1940には、垂民の懇意によっお平安京有終の倩皇、第121代孝明倩皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさず京郜」のおや神様ずしお広く厇敬を集めるこずずなりたした。平安神宮HPより
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むメヌゞ 6
平安神宮境内
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my 芋仏蚘59䞉十䞉間堂再

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 京郜旅行初日の11月10日土、東寺ず京郜囜立近代矎術通を蚪ねた埌、䞉十䞉間堂に行きたした。午埌4時に近かったので、拝芳者も少なくなっおいるだろうず思いたしたが、党くの芋蟌み違いでした。前回2016幎5月は修孊旅行の䞭孊生をやり過ごした埌はじっくり芋仏できたしたが、今回はそうなりたせんでした。
 䞉十䞉間堂には、お堂䞭倮に䞈六の千手芳音坐像が安眮されおおり、それを囲むように1,000䜓の千手芳音立像及び颚神・雷神像、二十八郚衆像が配眮されおいたす。
 11,0002281,031ずいう仏像の数に圧倒されたすが、䞀䜓䞀䜓が矎しいので、ただ数の倚さだけを誇っおいるのではありたせん。
 今回泚目したのは、千手芳音坐像ず迊楌矅二十八郚衆でした。

◆䞉十䞉間堂
 䞉十䞉間堂は京郜府京郜垂東山区䞉十䞉間堂廻町にある寺院の仏堂。建物の正匏名称は「蓮華王院本堂」。同じ京郜垂東山区にある倩台宗劙法院の境倖仏堂であり、同院が所有・管理しおいる。元は埌癜河䞊皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手芳音で、蓮華王院は千手芳音の別称「蓮華王」に由来する。Wikipediaより


むメヌゞ 1
千手芳音坐像

 湛慶䜜、335cm
 正しい名称は「十䞀面千手千県芳䞖音菩薩」ずいい、この坐像ず䞀千䜓の立像ずが本尊である。仏教䌝来ずずもに日本人の生掻感情に密着しお育った芳音信仰も、䞖が末法に入るず意識された平安時代から、いっそう切実の床を加え、限りない慈悲の力を求めお、十䞀面や劂意茪、銬頭ずいった倉化ぞんげ芳音ぞの信仰が盛んになった。
 殊に仏埳の慈悲性を分化・具象した倚様な芳音諞尊の䞭、党方向を掞察する倚面ず千手千県を備えた千手芳音は、あらゆる慈埳を兌ね、無限の救枈力を発揮する絶察者ずしお「蓮華王」ず尊称されお、この頃より確固たる信仰を根付かせるこずずなった。
※写真ず解説は、䞉十䞉間堂発行『䞉十䞉間堂の䜛たち』より


むメヌゞ 2
迊楌矅かるら王像
 
 鎌倉時代、164cm
 サンスクリット語の「ガルダ」の音写で、ガルダは蛇コブラを垞食ずするずいう䌝説の巚鳥で、金翅鳥ずもいわれる。むンドではヒンドゥヌ教・ビシュヌ神の乗り物で、仏教に導入されお護法神である倩竜八郚衆の第䞀に数えられ、梵倩や倧自圚倩・文殊菩薩の化身ずもいわれる。須匥山をずり囲む鉄囲山おっちせんの内海に浮かぶ四倧掲この䞭、南方の閻浮提えんぶだいがこの嚑婆ずいうの倧暹に䜏み、止雚避雷・陀灜延呜の埳をも぀ずされる。
 本像は翌をも぀鳥頭人身ちょうずにんしんで暪笛を吹く姿であり、日本のカラス倩狗にも圱響を䞎えたずいう。
※写真ず解説は、䞉十䞉間堂発行『䞉十䞉間堂の䜛たち』より


◆グッズ・土産
・お守り

【参考】過去の蚘事
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56058729.html
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my 芋仏蚘60氞芳堂

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むメヌゞ 1

むメヌゞ 2


 京郜旅行2日目。銀閣寺を拝芳した埌、「哲孊の道」を散策しながら、氞芳堂正匏名称は犅林寺に向かいたした。
 氞芳堂は有名な玅葉の名所だけあっお、倚くの芳光客が蚪れおいたした。でも、僕の目的は芋仏なので、玅葉はスルヌです。

◆氞芳堂略史氞芳堂HPより
 奥山の岩垣玅葉散りぬべし、照る日の光、芋る時なくお叀今集
 この歌は、平安時代初期に、氞芳堂犅林寺を創建された匘法倧垫の匟子真玹僧郜しんじょうそうず、797873の埳を慕っお、自分の別荘を寄進した藀原関雄の詠んだ歌です。氞芳堂は仁寿3幎853の草創以来今日たで、幟倚の文化人達の筆や口にもおはやされ、芪したれお、爛皀机犬留粉册沖瓩箞靎埗乕翰䜙幎のかがやかしい歎史を持った京郜有数の叀刹です。真玹僧郜は真蚀宗の僧䟶であったため、犅林寺は真蚀密教の道堎ずしお始たりたす。真玹僧郜は「仏法は人によっお生かされる、埓っお、我が建おる寺は、人々の鏡ずなり、薬ずなる人づくりの修緎道堎であらしめたい」ずの信条のもず『犅林寺匏』を著し、照り映えるモミゞ葉の茝きにも負けぬ、智埳ずもにすぐれた人材逊成を理想の旗印に掲げられたので、颚光の矎しさずずもに、䌝統的に各時代の指導的人材の茩出を数倚く芋るこずずなりたした。
 氞芳堂の歎史は、倧きく䞉぀の時代に分けられたす。最初は真玹僧郜から氞芳埋垫ようかんりっし、10331111が䜏職になるたでの玄220幎間で、真蚀密教の寺院ずしおの時代です。次は氞芳埋垫から静遍僧郜じょうぞんそうず、11661224たでの玄140幎間。この時代は、真蚀密教ず奈良で盛んだった䞉論宗系の浄土教寺院でした。その埌は浄土宗の寺院ずなりたした。

 みな人を枡さんず思う心こそ 極楜にゆくしるべなりけれ千茉集
ず詠たれた氞芳埋垫はこずに高名です。埋垫は、自らを「念仏宗氞芳」ず名のられる皋、匥陀の救いを信じ、念仏の道理の基瀎の䞊に、圓時、南は粟田口、北は鹿ケ谷に到る東山沿いの広倧な寺域を持った犅林寺の境内に、薬王院ずいう斜療院を建お、窮乏の人達を救いその薬食の䞀助にず梅林を育おお「悲田梅」ず名づけお果実を斜す等、救枈掻動に努力せられたこずは、倚くの史曞にみえるずころです。氞芳埋垫は幌少より秀才の誉れが高く、䞉論宗の孊匠ずしお名声を埗るたでになりたしたが、地䜍も名声も捚おお東山犅林寺に隠遁するこずを遞びたす。18歳から日課ずしお䞀䞇遍の念仏を称え、埌には六䞇遍もの念仏を称えたずいわれおいたす。犅林寺を氞芳堂ず通称するのは、氞芳埋垫に由来しおいたす。
 氞芳堂を浄土教の寺院にしたのは、静遍僧郜です。鎌倉時代の初め、源頌朝の垰䟝を受けた真蚀宗の孊匠静遍僧郜は、法然䞊人11331212の死埌、その著「遞択せんちゃく本願念仏集」にある念仏矩を批刀するために、再䞉再四読み䞋すうちに、自らの非を芚り、浄土教の教えに垰䟝されたした。静遍僧郜は誹謗の眪をくいお、法然䞊人をこの寺の11代䜏職に掚し、自らを12代ずしたした。そしお、法然䞊人の高匟西山蚌空䞊人11771247に譲りたした。その埌、蚌空䞊人の匟子、浄音䞊人12011271が䜏職になり浄土宗西山掟の寺院ずなりたした。以来今日たで、玄八癟幎氞芳堂は浄土宗西山犅林寺掟の根本道堎ずしお、法灯を掲げおいたす。
 歎史の倉遷ずずもに氞芳堂も隆盛・衰退を芋たすが、近代を迎えるず、71䞖の培空俊玉僧正1881は瀟䌚犏祉事業に貢献されたした。垫は京郜府立病院の前身にあたる療病院の蚭立に尜力されたした。
 氞芳堂が浄土宗の寺院ぞ倉わったのは、すべおの人々が救われる道をそこに芋いだしたからです。今も阿匥陀劂来の慈悲に導かれ、氞芳堂は倚くの人々の節い信仰に支えられおいたす。


◆阿匥陀劂来立像みかえり阿匥陀像高77cm、平安埌期鎌倉初期、氞芳堂HPより
むメヌゞ 3

 䌝説がある。東倧寺開創䟛逊の時䞀老翁が捧げた阿匥陀像を宮䞭で祀りになっおいたが、やがお東倧寺に䞋賜された『東倧寺芁録』。
 この阿匥陀劂来像は東倧寺宝蔵に秘蔵されおいたのだが、たたたた氞芳はその尊像を拝する機䌚があり、尊像の奥深いずころから呌びかける声を聞いた。氞芳は、「衆生枈床こそ、この仏の本願であり宝蔵にしたっおおくのはもったいない」ず嘆いた。これが癜河法皇の耳に入り、氞芳が護持し䟛逊するこずずなった。埌幎、氞芳が東倧寺別圓職を蟞しお尊像を背負っお京に入る際、東倧寺の僧がそれを取り戻そうず远いかけお京郜の朚幡たできたずころ、尊像は氞芳の背に取り付いお離れず、僧たちはあきらめたず蚀い䌝えられおいる。
 氞保2幎1082、氞芳50歳のころである。2月15日払暁、氞芳は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿匥陀像のたわりを念仏しお行道しおいた。するず突然、須匥壇に安眮しおある阿匥陀像が壇を䞋りお氞芳を先導し行道をはじめられた。氞芳は驚き、呆然ず立ち぀くしたずいう。この時、阿匥陀は巊肩越しに振り返り、
 「氞芳、おそし」
ず声をかけられた。氞芳はその尊く慈悲深いお姿を埌䞖に䌝えたいず阿匥陀に願われ、阿匥陀劂来像は今にその尊容を䌝えるず蚀われおいる。

 「みかえり阿匥陀」ずしお知られる氞芳堂犅林寺の本尊像。党䜓に穏健な平安時代埌期の䜜颚を瀺すが、ひきしたった面盞や、適床に装食的な衣文などから、慶掟などずは異なる系統の鎌倉時代の京郜の仏垫による䜜であるず考えられおいる。特殊な姿勢を砎綻なくたずめ、静から動ぞの䞀瞬を芋事に捉えおおり、䜜者の技量の高さが芋おずれる。
 みな人を枡さんず思う心こそ 極楜にゆくしるべなりけれ千茉集
 䞊の和歌は氞芳埋垫の䜜であるが、「みかえり阿匥陀劂来」のお姿を珟代颚に解釈するず、次のようになろう。文岡郚䌊郜子
・自分よりおくれる者たちを埅぀姿勢。
・自分自身の䜍眮をかえりみる姿勢。
・愛や情けをかける姿勢。
・思いやり深く呚囲をみ぀める姿勢。
・衆生ずずもに正しく前ぞ進むためのリヌダヌの把握のふりむき。
 真正面からおびただしい人々の心を濃く受けずめおも、なお正面にたわれない人びずのこずを案じお、暪をみかえらずにはいられない阿匥陀仏のみ心。氞芳堂HPより
※「みかえり阿匥陀」は知っおいたしたが、倉な姿くらいにしか思っおいたせんでした。しかし、実際に拝芳し、その由来を知ったらずおも身近な存圚になりたした。


◆グッズ・土産
・なし
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庭のキりむを収穫したした。

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むメヌゞ 1

 今日、庭のキりむを収穫したした。昚幎は剪定時期ず方法を間違えおしたい、収穫れロでしたが、今幎は僕が䜕も手を加えなかったので、無事収穫できたした。
 蚈量しなかったので、正確な収穫量はわかりたせんが、5、60kg以䞊はあるず思いたす。




【远蚘】キりむの花
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/42581030.html
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囜立新矎術通「ピ゚ヌル・ボナヌル展」再

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むメヌゞ 1
䌚堎入口。「黄昏クロッケヌの詊合」1892をアレンゞしたディスプレむが迎えおくれたす。


 今日、囜立新矎術通に「オルセヌ矎術通特別䌁画 ピ゚ヌル・ボナヌル展」9/2612/17を芋に行っおきたした。10月31日以来、2回目でした。
 10時過ぎに新矎術通に着くず、チケット売り堎にはちょっずした行列ができおいたした。これじゃ䌚堎は結構混雑するなず芚悟したしたが、杞憂でした。同じ新矎術通で「生誕110幎 東山魁倷展」10/2412/3が開催されおおり、 䌚期末のために入堎者がそちらに集䞭しおいたようです。ボナヌル展はそれほど混んでいなかったので、ゆっくり芋るこずが出来たした。
 今日は、蚘念にトヌトバックボナヌルの䌌顔絵入りなどを賌入したした。たったくのミヌハヌです。
 以䞋、印象に残った絵をいく぀か玹介したす。写真は展芧䌚HPより、あるいは図録をコピヌ


◆庭の女性たち1890-91、160.5×48cm〈各〉
むメヌゞ 2

 巊から「癜い氎玉暡様の服を着た女性」、「猫ず座る女性」、「ショルダヌ・ケヌプを着た女性」、そしお「栌子柄の服を着た女性」。
 ボナヌルのの日本矎術に察する匷い関心が衚れおいる初期の代衚䜜で、1891幎に画家が初めおアンデパンダン展に参加した際に出品された装食パネルである。圓時フランスで流垃しおいた日本の版画は芞術家たちの新たな霊感源ずなり、ゞャポニスムずいう流行が生たれた。
 ボナヌルは、ゎヌギャンの教蚓をもずにしお、ドニやノュむダヌル、ノァロットンらず結成したナビ掟の䞀員ずしお掻動しおいた。圌らの䞭でもボナヌルの日本矎術ぞの愛着は際立っおおり、「日本かぶれのナビ」ず称されるほど、䜜品に日本矎術の圱響が芋お取れる。1890幎4月に囜立矎術孊校゚コヌル・デ・ボザヌルで開催された「日本の版画展」を目にしたこずは、ボナヌルが日本矎術ぞ傟倒する倧きな契機ずなった。
 瞊長の支持䜓は日本矎術における掛軞の圢匏を想起させるし、長いドレスを着た埌ろ向きの女性が頭郚だけ正面を振り返る姿勢は、浮䞖絵に頻出する人物衚珟ずの類䌌を認めるこずができるだろう。たた、女性が身にたずう衣服に斜された幟䜕孊暡様ず背景に描かれた怍物暡様は、画䞭の奥行きを暗瀺するこずなく、遠近感を無芖する効果を画面に䞎えおいる。図録解説より、䞀郚改線
※


◆男ず女1900、115×72.3cm
むメヌゞ 3

 ボナヌルは1890幎代にはランプの灯りで照らされた薄暗い宀内空間の描写を奜んでいたが、1900幎代以降は宀内空間にも明るい色圩を甚い始め、たた癜いシヌツがモティヌフずしお頻出するようになる。
 本䜜の男性ず女性のモデルは、ボナヌルずマルトだず掚枬される。この絵が描かれた時期ず同じ頃に撮圱されたボナヌルずマルトの写真からは、ふたりの芪密な様子をうかがい知るこずができる。ベッドの䞊で猫たちず戯れる女性ず、ちらかった垃を身にたずおうずするか、あるいは脱ぎ捚おようずする男性は、ベッドをずもにする前か埌の姿であろう。このふたりの男女を隔おるように䞭倮に眮かれた衝立は、郚屋の䞭での物理的な隔たりを瀺すず同時に、䞍安定な心理関係の断絶を象城しおいるようにも芋える。構図の现郚に目を向けおみれば、画面の巊端から画面䞋郚の巊半分にかけおの瞁が、緑色で塗り぀ぶされお匷調されおいるのが分かる。この点に着目しお、画面に描かれおいるのは窓ガラスに映し出されたボナヌルずマルトの像だずする解釈も存圚する。
 ボナヌルが男性の裞䜓を描くこずは比范的少ないが、本䜜はマルトずの芪密な関係を暗瀺した自䌝的性栌をも぀皀有な肖像画である。図録解説より
※


◆化粧宀 あるいは バラ色の化粧宀1914-21、119.5×79cm
むメヌゞ 4

鏡を効果的に䜿い奥行き感を挔出
 裞婊は背䞭で身䜓の量感を瀺しながら、敎然ず画面の端に立぀。察面する鏡面は、画面手前偎の宀内の様子ずずもに、背䞭ずは察照的に癜く生圩を欠いた裞婊の正面像をわずかに映し出す。盎立する裞婊に始たっお、鏡像䞭の壁玙、鏡の枠、奥行きをなす壁を経おバラ暡様のあしらわれた壁ず、それぞれ明床を異にした垂盎方向の面が、いわば蛇腹状に連なる構成がずられおいる。島本英明『もっず知りたい ボナヌル 生涯ず䜜品』より
※


◆济盀にしゃがむ裞婊1918、83×73cm
むメヌゞ 5

むメヌゞ 6
济盀にしゃがむマルト1908-10

 マルトの入济ずいう営みは、生掻をずもにするボナヌルにずっお芋慣れたものであった。しかし、その様子を収めたスナップ写真をみるず、ボナヌルが県前で生起する光景をずらえる芖芚そのものを問題ずしおいたこずがわかる。芖芚のずらえる「最初の印象」をいかに保持し続けるか。ボナヌルにずっお最重芁の関心に応えたのが、カメラであった。油圩画を描く䞊で写真を参照しながら、画家はさらにたらいの向きやマルトのポヌズに改倉を加えおいる。実際の芖芚から始めお、そこに絵画的な肉づけを斜しおいくのが、ボナヌルの䜜法であった。島本英明『もっず知りたい ボナヌル 生涯ず䜜品』より
※


◆ボヌト遊び1907、278×301cm
むメヌゞ 7

 ボヌト遊びずいう題材は、印象掟ぞのオマヌゞュだろうか。20䞖玀に入っお印象掟を「発芋」したボナヌルは、ずりわけクロヌド・モネに惹き぀けられ、1912幎には圌の䜏むゞノェルニヌに近いノェルノンに居を構えおいる。
 癜みがかり曖昧暡糊ずしおいる倧画面を泚芖するず、画䞭にちりばめられたモティヌフが明確なかたちになる。前景のボヌトは、犬を連れた女性ず子どもたちを乗せお川の䞊をたゆたう。氎鳥や萜ち葉で圩られた氎面に向かっお、画面右端のボヌトで寝そべる少幎は、朚の枝を垂らしおいる。岞蟺では少女たちが山矊ず戯れ、遠景の䞘には家々が立ち䞊ぶ。ボナヌルが船䞊で撮圱した写真ず同様に、ここで船先は倧胆にトリミングされおおり、芳者の立ち䜍眮ず芖線は画家に同化するようである。こうした構図䞊の工倫にもかかわらず、近景ず遠景のモティヌフが同じ色調で描かれおいるために、本䜜の遠近法は厳密ではない。「印象掟が私たちに自由をもたらした」ず回顧するボナヌルは、特定の流掟に拠らずに絵画制䜜を続けた。そうしお戞倖ではなくアトリ゚の内郚で印象掟的な䞻題に向き合った圌の絵画には、珟実離れした空間構成や色䜿いが認められる。図録解説より
※


◆地䞭海の庭1917-18、138.6×197.3cm
むメヌゞ 8

 本䜜は、ノィンタヌトゥヌルの実業家リヒャルト・ビュヌラヌの泚文を受けお制䜜された装食画で、《南フランスの颚景ず二人の子ども》1916-18の察䜜品だず考えられる。倚皮倚様な怍物の茂るノルマンディヌの颚景ずは異なりこの庭では巊右察称に草朚が配されおいるが、手前のテラスは、ノェルノンの家「マ・ルロット私の家銬車」を舞台に描かれた同時期の䜜品ずよく䌌おいる。ボナヌルは、珟実の颚景を基にしお理想の颚景を䜜り䞊げおいるようだ。
 前景のテラスから䞭景の庭、そしお埌景の地䞭海ぞず空間の奥行は段階的に衚されおいる。画面の手前で腰かけおいる女性ず子どもたちは、この幻想的な颚景の内郚ぞず芳者を誘うかのようだ。逆光で暗く沈んでいる衚情は䞍鮮明だが、野倖で寛ぐ姿はル・グランランスでボナヌルが撮圱した家族写真を思い起こさせる。豊穣を象城する果物籠や叀代を思わせる石塀ずいったモティヌフず䞀緒に描かれおいる圌らは、アルカディアの牧人にも芋える。テラスの向こうに広がる庭には朚々がひしめき、日光に照らされた朚の葉は黄色に染たっおいる。ここで南フランスの鮮烈な光は、叀兞叀代の䞖界に氞続的な倏のむメヌゞを付け加えおいる。図録解説より
※


◆ル・グランランスの庭で煙草を吞うピ゚ヌル・ボナヌル1906頃
むメヌゞ 9
※今回賌入したトヌトバックの䌌顔絵むラストはこの写真がもずになったようです。


◆グッズ・土産
・島本英明『もっず知りたい ボナヌル 生涯ず䜜品』
・トヌトバック
・額絵
・クロッキヌブック
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東京郜矎術通「ムンク展―共鳎する魂の叫び」

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むメヌゞ 1

 今日、䞊野公園にある東京郜矎術通に「ムンク展―共鳎する魂の叫び」10月27日2019幎1月20日を芋に行っお来たした。
 䌚堎には午前10時半頃着きたしたが、既に入堎埅ちの行列ができおいたした。䞊野駅内のチケットショップで圓日刞を賌入しおいたので、チケット売堎の行列には䞊ばずにすみたした。䌚堎内は倚くの人で溢れおいたしたが、比范的ゆっくり芋るこずができたした。
 目玉は「叫び」ですが、他にも興味深い䜜品が数倚く出品されおおり、ムンクの画業のおおよそを知るこずが出来たした。そんな䞭、圌の「自画像」が気になりたした。ムンクは倚くの自画像を残しおいたすが、カメラで自撮りした写真を䜿っお肖像画を描いおいたようです。カメラを創䜜に掻甚したずいう点では、同じ時代に画家ずしお掻動したピ゚ヌル・ボナヌル1867‐1947も同じです。
 ムンクの自画像を芋ながら、これからは僕もカメラでセルフポヌトレヌトを撮ろうかなっお思いたした。僕は写真を撮るのは奜きですが、病気の治療薬の副䜜甚で「ムヌンフェむス」になっお以来、自分の写真を䞀枚も撮っおいたせん。ムヌンフェむスはだいぶ改善されたし、そろそろ自分の生きた蚌しを残しおおこうかなっお思いたした。


◆開催抂芁東京郜矎術通HPより
 䞖界で最もよく知られる名画の䞀぀《叫び》を描いた西掋近代絵画の巚匠、゚ドノァルド・ムンク1863-1944。画家の故郷、ノルりェヌの銖郜にあるオスロ垂立ムンク矎術通が誇る䞖界最倧のコレクションを䞭心に、玄60点の油圩画に版画などを加えた玄100点により構成される倧回顧展です。
 耇数描かれた《叫び》のうち、ムンク矎術通が所蔵するテンペラ・油圩画の《叫び》は今回が埅望の初来日ずなりたす。愛や絶望、嫉劬、孀独など人間の内面が匷烈なたでに衚珟された代衚䜜の数々から、ノルりェヌの自然を描いた矎しい颚景画、明るい色に圩られた晩幎の䜜品に至るたで、玄60幎にわたるムンクの画業を振り返りたす。
〈章構成〉
 ムンクずは誰か
 家族―死ず喪倱
 倏の倜―孀独ず憂鬱
 魂の叫び―䞍安ず絶望
 接吻、吞血鬌、マドンナ
 男ず女―愛、嫉劬、別れ
 肖像画
 躍動する颚景
 画家の晩幎

◆゚ドノァルド・ムンクWikipediaより、䞀郚改線
 ムンクは1863幎、ノルりェヌのロむテンで医垫の父のもずに生たれ、間もなく銖郜クリスチャニア珟オスロに移った。1868幎に母が病気で亡くなり、1877幎には姉が亡くなるずいう䞍幞に芋舞われ、埌の絵画䜜品に圱響を䞎えおいる。
 1880幎、王立絵画孊校に入孊し、1883幎頃から、画家クリスチャン・クロヌグや䜜家ハンス・むェヌゲルを䞭心ずするボヘミアン・グルヌプずの亀際を始めるずずもに、展芧䌚ぞの出品を始めたが、䜜品ぞの評䟡は厳しかった。
 1889幎から1892幎にかけお、ノルりェヌ政府の奚孊金を埗おパリに留孊した。この頃、「これからは、息づき、感じ、苊しみ、愛する、生き生きずした人間を描く」ずいう「サンクルヌ宣蚀」を曞き残しおいる。フランス滞圚䞭に、印象掟、ポスト印象掟、ナビ掟など、最先端の芞術に觊れ、技法を孊んだ。
 1892幎、ノルりェヌに垰囜しおから、「生呜のフリヌズ」ずいう、テヌマを持った連䜜の構想を固め始めた。この幎、ベルリン芞術家協䌚の招きにより個展を開いたが、これが新聞に激しく攻撃され、1週間で打ち切りずなるずいうスキャンダルになっおしたった。その埌もベルリンに䜏み、北欧の芞術家らず芪亀を深めながら『叫び』、『マドンナ』、『思春期』ずいった代衚䜜を次々生み出しおいき、これが「生呜のフリヌズ」を構成する䜜品ずなった。
 1896幎にはパリに移り䜏み、版画の制䜜などに泚力した。1897幎からはノルりェヌ海沿いの村オヌスゎヌルストランを䞀぀の拠点ずし、むタリア、ドむツ、フランスの各地ず行き来しながら、「生呜のフリヌズ」を完結する䜜品を制䜜しおいった。この頃にムンクはトゥラ・ラヌセンずいう女性ず亀際しおいたが、ラヌセンず口論の末、暎発したピストルで手にけがを負うずいう事件があった。
 1903幎頃からは友人のマックス・リンデのための連䜜を制䜜したり、むプセンの舞台装眮の䞋絵を曞いたりしお、ドむツを䞭心に掻動した。
 1908幎、コペンハヌゲンの粟神病院に入院し、療逊生掻を送った。この時にはノルりェヌ政府から勲章を䞎えられたり、囜立矎術通がムンクの䜜品を賌入したりしお、ムンクの評䟡は決定的になっおいた。
 1909幎に退院するずノルりェヌに戻り、クリスチャニア倧孊講堂の壁画や劎働者シリヌズを手がけた。1916幎からはオスロ郊倖の゚ヌケリヌに䜏み、制䜜を続けおいたが1944幎に亡くなった。

 ムンクが代衚䜜の倚くを制䜜した1890幎代のペヌロッパは䞖玀末芞術ず呌ばれる時代であり、同時代の画家たちず同様、リアリズムを離れ、人間の心の神秘の远求に向かった。『叫び』に代衚される䜜品には、説明し難い䞍安が通底しおいるが、ムンクが鋭敏な感受性をもっお、人間の心の闇の䞖界を衚珟したものずいえる。

生呜のフリヌズ
 ムンクは䞻に1890幎代に制䜜した『叫び』、『接吻』、『吞血鬌』、『マドンナ』、『灰』などの䞀連の䜜品を、〈生呜のフリヌズ〉ず称し、連䜜ず䜍眮付けおいる。「フリヌズ」ずは、西掋の叀兞様匏建築の柱列の䞊方にある暪長の垯状装食郚分のこずで、ここでは「シリヌズ」に近い意味で䜿われおいる。これらの䜜品に共通するテヌマは「愛」、「死」、そしお愛ず死がもたらす「䞍安」である。
 1902幎の第5回ベルリン分離掟展では、22点の䜜品が「愛の芜生え」「愛の開花ず移ろい」「生の䞍安」「死」ずいう4぀のセクションに分けられおいた。「愛の芜生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』など、「愛の開花ず移ろい」には『吞血鬌』『生呜の螊り』など、「生の䞍安」には『䞍安』『叫び』など、「死」には『病宀での死』『新陳代謝メタボリズム』などの䜜品が展瀺された。Wikipediaより


 以䞋、印象に残った絵を玹介したす。展瀺順。写真は特蚭WEBサむトより、あるいは図録をコピヌ。解説は図録より

◆自画像1895、46×31.5cm、リトグラフ
むメヌゞ 2

 ゚ドノァルド・ムンクのこの自画像は、黒地を背景に浮かび䞊がる頭郚ず腕によっお衚わされおいる。骞骚ず化した腕は、おそらくは「メメント・モリ」を象城的に衚わす䌝統に埓うもので、画家の死すべき運呜を思わせる。「メメント・モリ」ずはラテン語の譊句で、「死を忘れるなかれ」ず蚳される。頭蓋骚や骚、そしお腐った果物は、17䞖玀のバロック芞術においお、この蚀葉を象城するモティヌフずしおずくに奜んで甚いられた。こうした解釈は、リトグラフの䞊郚眲名ず制䜜幎が墓碑銘のように衚わされおいるこずからも導き出される。この自画像を制䜜したずき、ムンクはただ30代初めにすぎなかったが、それでも「死」のテヌマはすでに圌の䜜品にたびたび描かれおいた。
※


◆地獄の自画像1903、82×66cm
むメヌゞ 3

 この自画像はいく぀かの写真をもずに描かれた。写真の䞭のムンクは、戞倖で裞になっおポヌズをずり、青癜い肌の身䜓ず日焌けした顔を芋せおいる。本䜜品では、珟実が空想ず混ざり合い、画家の姿は燃え䞊がる地獄の炎ず、そびえ立぀圱ずずもに描かれおいる。ムンクの考えでは、地獄ずはおそらく、圌の「仇敵たち」がムンクを送り蟌みたいず望んでいる堎所だった。19䞖玀から20䞖玀ぞず䞖玀が倉わる頃、ムンクの生掻は、ストレスやアルコヌルの濫甚、そしお絶え間ない旅行によっお匕き起こされた劄想症パラノむアを原因ずする出来事で砎綻しおいた。「仇敵たち」のリストはどんどん長くなり、぀いにムンクは公の堎で隒ぎを起こす粟神状態ぞず陥ったあげく、芋ず知らずの人々を盗みや陰謀のかどで非難した。だが、この自画像の䞭のムンクは、䜕か確信のようなものをもっお芳る者に目を向けおおり、たるで「ここで君を埅っおいるよ」ず蚀っおいるかのようだ。
※


◆家壁の前の自画像1926、92×73cm
むメヌゞ 4

 ムンクはオスロ郊倖の゚ヌケリヌで1916幎から1944幎たで過ごしたが、その間に盞圓な数の自画像を制䜜した。自身が老いおゆく過皋を蚘録するこずに興味をもっおいた圌は、老霢ずなるに぀れ、たすたすその意識を匷めおいったのだろう。䞀方で、ムンクはこの絵画においお、自画像ずいうゞャンルを利甚しながら、色圩ず感芚の実隓を行なった。ここでは異なる緑の色調で顔の茪郭が衚わされ、頭郚の䞀郚は背景の怍物ず混ざり合っおいる。目もくらむような匷い日射しに反応しおいるのか、画家は䞡目を现めおいる。匷烈な日射しの印象は、濃玺に近い深い青色で描かれた空の色調によっおも匷調されおいる。
※


◆メランコリヌ1894-96、81×100.5cm
むメヌゞ 5

 ムンクによる「メランコリヌ」のむメヌゞは、孀独や悲しみに陥り、意気消沈する人間を衚珟する叀き䌝統の系譜にある。文孊的な䞻題ずしおのメランコリヌメランコリアずいうテヌマは叀代末期にたで遡るが、ムンクは友人である矎術批評家ダッペ・ニルセン1870-1931の恋わずらいに着想を埗お、昔からあるこのモティヌフに新しい呜を䞎えた。ニルセンが情事をもったオヌダ・クロヌグ1860-1935は、圌より10歳幎長で、ノルり゚ヌの画家クリスチャン・クロヌグ1852-1925ずすでに結婚しおいた。クロヌグは、ムンクの初期の垫の䞀人である。ここでの颚景は、互いに溶け合うフォルムず色圩によっお構成されおいる。本䜜品はどこか特定の堎所の描写ずいうよりもむしろ、男の憂鬱な内面を衚わす粟神的なむメヌゞず捉えるこずができるだろう。
※


◆赀ず癜1899-1900、93.5×129.5cm
むメヌゞ 6

 前景に描かれた二人の女性が画面を支配しおいる。癜い服を着た金髪の女性は海のほうを向いおおり、身䜓を柱のように盎立させおいる。赀い服を着た濃い髪色の女性は、身䜓の曲線がかなり匷調されおいる。朚々の幹の間に暗い色のドレスをたずった女性の痕跡が芋える。この女性は、本䜜品ず同じモティヌフを衚わす初期の油圩スケッチに描かれおいたが、ここではムンクの手によっお塗り぀ぶされおいる。二人の姿は、女性の生涯の異なる段階、あるいは性栌の異なる偎面を象城しおいるのかもしれない。癜い服を着た女性の無垢ず玔真さは、赀い服の女性の成熟ず情熱的な゚ロティシズムず察照的だ。こうした象城的な察比はありふれおいるが、この絵画の魅力はむしろ、象城の「解釈」を超えお、赀、癜、青、黒ずいった色圩が生み出す、緊匵感に満ちた盞互䜜甚にある。
※


◆叫び1910、83.5×66cm
むメヌゞ 7

 ムンクの最も有名なモティヌフである「叫び」は、人間が抱える実存的な䞍安ず孀独ず絶望の象城ずなっおいる。オスロ・フィペルド䞊空の日没時の空が芋せる鮮烈な感芚を、ムンクは心の内の混乱を衚わす革新的なむメヌゞぞず転換させたのだった。この絵画を芳る者は、叫びずは、人間の口から攟たれ、颚景の䞭ぞず拡散し、それを揺り動かし、さざ波を立おおいくものだず芋なすかもしれない。だが、自然が叫び、䞡耳をふさぐ人物に激しく襲いかかっおいるず考えるこずもできるだろう。ムンクの芞術家ずしおの感受性は、郜垂の匿名性や資本䞻矩における疎倖ずいう、近代瀟䌚のもたらす副䜜甚に反応した。圌が描いた鋭く叫びたおるあるいは叫びにさらされおいる人物は、自然からも、瀟䌚からも、そしお内なる圌自身からも孀立しおいるのである。
※「叫び」は、1893幎以降、4点制䜜されリトグラフ䜜品を陀く、ムンク矎術通に2点所蔵されおいるほか、オスロ囜立矎術通所蔵ず、個人所蔵のものが1点ず぀ありたす。
レペン厚玙、74×56cm、1893幎、ムンク矎術通
▲謄鵐撻蕁Εレペン厚玙、91×73.5cm、1893幎、オスロ囜立矎術通
パステル厚玙、79×59cm、1895幎、個人蔵
ぅ謄鵐撻蕁Ό挫晋眅83.5×66cm、1910幎、ムンク矎術通 ※今回初来日


◆絶望1894、92×73cm
むメヌゞ 8

 ムンクは本䜜品に「叫び」ず同じ構図を採甚し、「叫び」に描かれた人物を物憂げな男にただ眮き換えた。本䜜品は、わずかな倉曎によっおたったく異なる芖芚的効果を生み出すこずができるムンクの才胜を蚌明しおいる。䞭倮の人物は、ダむナミックに揺れ動く颚景の「創出者」ではない。自身の内面に沈み蟌む人物は、背埌の鮮烈な日没の景色にもたったく心を動かさないたたである。これは、ムンクが「メランコリヌ」のむメヌゞにしばしば甚いるのず同じ人物像だ。絶望や悲しみ、そしお憂鬱ずいった感情は、ペヌロッパの芞術や文化においお長い䌝統がある。そうした感情を衚わすムンクの絵画は、ドむツの画家アルブレヒト・デュヌラヌ1471-1528やカスパヌ・ダヌノィト・フリヌドリヒ1774-1840、そしおフランスの圫刻家オヌギュスト・ロダン1840-1917ずいった芞術家たちの系譜に連なるものずいえよう。
※


◆赀い蔊1898-1900、119.5×121cm
むメヌゞ 9

 䜜品のタむトルから、家を芆う赀色が蔊であるこずがわかる。だが、これを火や血ず結び぀けおもあながち的倖れずはいえないだろう。この家では、䜕か恐ろしいこずが起こったにちがいない。それが正確に䜕であったかはわからないし、なぜ前景の男が倧きく芋開いた目でこちらを芋぀めおいるのかもわからない。そもそもこの人物は、珟実的には絵画空間の䞭に配されおいない。圌は描かれた情景ず芳る者ずの間に存圚しおいるように芋える。そうであるならば、血のように赀い家ず呚囲の情景は、心のむメヌゞ、぀たり私たちが男の目を通しお知芚する悪倢のような光景ずしお理解するこずができるだろう。
※


◆接吻1895、49.7×39cm、゚ッチング・ドラむポむント
むメヌゞ 10

 この゚ッチングは、ムンクの「接吻」のモティヌフを衚わす䜜品のなかでは最も自然䞻矩的なものの䞀぀である。他のノァヌゞョンでは、抱擁する男女がほずんど抜象的な圢に単玔化されおいるが、ここでは裞䜓の恋人たちが静かに抱き合い、接吻を亀わしおいる姿を芋おずれる。本展に出品される油圩画ず本䜜品の違いは、カヌテンが開かれおいお、性的で゚ロティックな行為が隣人たちの芖線にさらされおいるずいう点だ。それはこの版画のさらなる挑発的な芁玠ずいえるだろう。男女の愛ず性的欲望が䞖間の目から隠されるこずなく、さらけ出されおいるのである。
※


◆森の吞血鬌1916-18、149×137cm
むメヌゞ 11

 ムンクが生涯にわたりさたざたな方法で再制䜜し、組み合わせた䞀連のモティヌフを生み出したのは1890幎代のこずであった。本䜜品においおは、女の吞血鬌ず男の犠牲者ずいうムンクの象城的なモティヌフず、《倏の倜、声》に描かれた颚景、さらに他のいく぀かの䞻題が組み合わされおいる。ムンクは自身の䜜品を芋本ずし、繰り返し利甚するこずで、新しい解釈ず意味の転換を創出した。さらにムンクは䜜品を通じお、䜜品同士の関係性やその類䌌点ず盞違点に぀いお考えさせる。画家はむメヌゞの総䜓を耇雑に関連させるこずで、新たな物語や絵画的構想の発芋を促しおいるのである。
※


◆マドンナ1895/1902、71×59cm、リトグラフ
むメヌゞ 12

 マドンナの閉じた目ず身振りは、聖なる恍惚の瞬間をしめしおいる。頭ず腰の埌ろに䞡腕を回すポヌズは、トロむの神官を衚した叀代ギリシアの圫刻《ラオコヌン》や、キリスト教の殉教者である聖セバスティアヌスの䌝統的な衚珟を思い起こさせる。芁するに、この図像は䞀぀の「情念定型パトス・フォルメル」ずしお、぀たり時空を越えお繰り返す匷い感情や情緒を内包し、発出するモティヌフずしお説明できる。
※マドンナは、額瞁に描かれた粟子ず胎児に囲たれ、生呜の始たりを予兆させる。衚情は、恍惚ずした愛の頂点を感じさせる䞀方で、癜い肌ずこけた?茲が、苊悩や死を暗瀺する。公匏ガむドブック『ムンク展―共鳎する魂の叫び』より


◆マラヌの死1907、153×149cm
むメヌゞ 13

 1907幎、ムンクはいく぀かの䜜品においお、幅広い筆遣いで幟䜕孊的なパタヌンを描く実隓を行った。本䜜品では、カンノァスの党䜓が氎平及び垂盎の筆觊で芆われおいる。それらは厚塗りで描かれおいる䞀方、合間にカンノァス地の癜色がかすかにゆらめき、䜜品に生き生きずした掻力を䞎えおいる。䞻圹である犠牲者の男ず殺人者の女は、十字を圢づくるように配されおいる。男はフランスの革呜家ゞャンポヌル・マラヌ1743-93で、ここに描かれた女性シャルロット・コルデヌ1768-93によっお、济槜に぀かっおいるずころを刺殺された。ムンクはマラヌのような殉死者の姿ず自身を同䞀芖しおいたため、この絵画は画家の自己衚珟ずしおも解釈されおきた。
※


◆すすり泣く裞婊1913-14、110.5×135cm
むメヌゞ 14

 すすり泣く裞婊を衚わすこの絵画は、匷い色調で描かれおいる。厚い局状に塗り重ねられた絵具は、カンノァスの衚面に浮圫りのような立䜓感を生み出しおいる。絵具ず色圩の生き生きずした扱い方は、䞻題のも぀感情的な性質ず効果的に合臎しおいる。若い女は裞身で、匱々しく、悲しみず絶望にくれた状態にある。女性の芪密な瞬間を捉えたこのむメヌゞによっお、ムンクは圓時の瀟䌚的な慣習の蚘録者ずなった。芞術家ずしおの県差しが、女性たちに着せられた瀟䌚的な制玄や汚名を、緊匵感に満ちた苊悩の衚珟のうちに捉えおいるのだ。それでいおこの絵画は、装食的で耜矎的でもある。女の裞䜓は、調和に満ちた構図に収められおいる。重量感のある髪の毛が占める暗色の䞭倮郚分は、繊现なニュアンスに富む赀色ずバラ色で瞁取られおいる。深い悲しみにもかかわらず、圌女は生呜力に満ちおいる。
※


◆灰1925、140×200cm
むメヌゞ 15

 本䜜品の最初のタむトルは「堕萜の埌で」だった。この題名は、本䜜品が聖曞を䞋敷きずする絵画であるような印象を䞎える。『旧玄聖曞』では、アダムず゚ノァが知恵の暹から果実を食べたこずで、神の恩寵を倱った。神は二人を゚デンの園から远攟し、それぞれの裞䜓に矞恥心ず眪の意識を刻んだこのずきから裞身を芆い隠すこずになる。この䌝統的なテヌマを扱ったムンクの䜜品では、男女の眪の意識ず矞恥心が、衝撃ず悲しみを瀺す劇的な身振りによっお衚わされおいる。ここでは、二人の眪の根源ずしお、たずえば犁断の果実を食べるずいったような特定の䞍正行為を突き止めるこずはできない。その代わりに、眪の意識は森の䞭で結ばれ、瀟䌚的な制玄から切り離された圌らの関係に内圚しおいるように芋える。
※


◆生呜のダンス1925、143×208cm
むメヌゞ 16

 堎面は倏の倜の海岞である。氞遠に続く人間ドラマのように芋える光景を満月が照らし出しおいる。ムンクは人生を、誕生ず繁殖、そしお死が織りなす終わりなき埪環ず考えおいた。本䜜品における䞻芁な人物は、前景に描かれた3人の女性たちだ。癜いドレスを着た巊の若い女性は、青春期の玔真さを衚わしおいる。性愛が支配する画面䞭倮では、赀いドレスの女性ず、圌女に魅惑されたパヌトナヌがダンスを螊っおいる。右偎では、黒い服を着た幎配の女性が、人生が終わりに近づき぀぀あるこずを衚わしおいる。
※


◆真倏1915、95.5×119.5cm
むメヌゞ 17

 ムンクの最も重芁な䜜品の倚くに描かれたノルりェヌの倏の倪陜の光は、愛ず欲望、悲しみず孀独、あるいはこの絵画のように氎济する男女のいる情景を照らし出しおきた。氎济する人々を描いた圌の絵画は、ずきに論争を招くものずしお受け止められ、ずりわけノルりェヌにおいおはその傟向があった。だが、人間の身䜓がむしろ抜象的に衚わされたこのむメヌゞには、論争の皮ずなる芁玠はさほどない。圌の同僚でありラむバルでもあったノルりェヌの圫刻家グスタノ・ノィヌゲラン1869-1943の䜜品ず同様に、ムンクが描いた氎济する裞䜓の人物像は、平等䞻矩的な調和ず生き生きずした自己衚珟を兌ね備えた人類を衚わすものだ。぀たり瀟䌚的な栌差のない状態を描くこずによっお、人間の存圚を称揚しおいるのである。
※


◆庭のリンゎの暹1932-42、100.5×77cm
むメヌゞ 18

 ゚ヌケリヌの地で過ごした期間1916-44、自然ず颚景のモティヌフはムンクにずっおたすたす重芁なものずなった。本䜜品に描かれた自邞呚蟺の庭ず近隣の田園地垯の森は、圌の重芁なむンスピレヌション源ずなる。ムンクは自然界で起こる季節の倉化を芖芚化し、蚘録し始めた。これにより、自然䞻矩ず印象掟ずいう自身の芞術のルヌツに郚分的ながら立ち返るこずになった。どちらの立堎も珟実の䞖界を描くこずを远い求めたが、自然䞻矩がおもに瀟䌚的偎面に関心を向けたのに察し、印象掟は倖界が人の感芚にどのように珟われるかを探求した。ムンクは、倖界ではなく内面のありようを探るべく、圓初よりこれらの矎術運動から距離を眮いた。
※


◆自画像、時蚈ずベッドの間1940-43、149.5×120.5cm
むメヌゞ 19

 ムンクは老人らしい姿で、時蚈ずベッドずいう二぀の死の象城の間に身を眮いおいる。背埌の開いた扉は、未知の䞖界に向かう道に぀ながっおいる。ムンクの背埌に芋える日の光に溢れた郚屋は、䜜品で埋め぀くされおいる。生涯をかけお描いたこれらの䜜品を通じ、画家の遺産は生き続けるだろう。ここに描かれたムンクの絵画コレクションのうち、唯䞀特定できるのは、右偎の女性の党身像だ。《クロトカダおずなしい女》1927-29ず題されたその䜜品は、ロシアの文豪フョヌドル・ドスト゚フスキヌ1821-81による短線から想を埗たものだ。肌を露わにした女性は、ムンクの人生においお性的な関心がいただに重芁な圹割を果たしおいるこずを瀺す。ベッドの色鮮やかな暡様もたた、゚ロティシズムの象城ずしお解釈できるかもしれない。
※


◆グッズ・土産
・図録『ムンク展 MUNCHA Retrospective』
・公匏ガむドブック『ムンク展―共鳎する魂の叫び』
・額絵
・絵ハガキ
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久々の倕焌け

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むメヌゞ 1

 今日、久々に鮮やかな倕焌けを芋たした。ムンクの「叫び」の倕焌けを連想したした。
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『小池光歌集』を読みたした。

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むメヌゞ 1

 今日、珟代短歌文庫『小池光歌集』03を読み終えたした。
 この歌集は抂ね以䞋のような内容です。
◆歌集
・第䞀歌集「バルサの翌」1978党篇
・第二歌集「廃駅」1982党篇
◆歌論
・句の溶接技術
・絶察童貞の倢――春日井建論
・寺山修叞の歌――九銖ぞのメモ
・茂吉における嫌なもの
◆解説
・空のあかるさ――小池光におけるおびえに぀いお倧蟻隆匘
・過去からのたなざし川野里子

 以䞋、䞀読しお気になった歌を匕甚したす。
◇バルサの翌
父の死埌十幎 倜のわが卓を歩みおよぎる黄金虫蟲あり
血を頒けしわれらのうぞに花火果お手探りあぞり闇のゆたかさ
぀぀たしき花火打たれお照らさるる氎のおもおにみづあふれをり
あかねさすひかりに出でお死にたりしかの髪切蟲かみきりを父ずもおもぞ
鈍重に生きよ をりふし来る䞀矜頬癜にたであはれがられお

きみの非には非ざるものをずし぀きの軋みに深く鉄路岐れお
切られたる欅をかっず没陜塗るかかる終焉をひずは持ち埗ず
幹、倪く黒くころがるめぐりにお乳銙のごずき挂ひありき
さくらからさくらに架けし春蜘蛛の糞かがよぞるゆふべ過ぎ぀぀
倩空を支ぞおありし䞀茎の麊のちからずおもひねむらな

日の圱の怅子に沈みお睡るなく芚むるなく春の嵐を埅おり
気付かずにたれか喪ふ青春の空かぎりなし暫の朚の間に
䞀圱のポプラぞ隒ぐ氎の䞊ゆふべうらわかき颚立ち枡る
逆光の戞口をふさぐ倧いなる青銅の掌を父ず呌びゐき
頭蓋に䞀杯の雪充たし䜇぀ものはあぢさゐの衚情をせり

愉しかりし䞇緑のひびき機関車の河にかかればふたたび聞ゆ
ポプラ焚く抟火に屈むわがたぞをすばやく過ぎお青春ずいふ
なに成すにあらざるわれらくりかぞし読むチ゚ホフず远䌞にあり
匂ひなき倜のおずづれはるかなる食卓に逐、きみは食りき
鮮緑のアスパラガスを盛る玻璃噚われらが䞍満の冬をし照らす

濡れお立぀ずきはるかなる月の出は還れよきみの溺れた倏
うるみたる瞳めをあげお問ふ鋭さに䌌぀かはしけれ五月の薊 ※薊あざみ
祝祭日のみじかき昌を満たしくる酞ゆきチ゚ホフの断片たりし
揉みしだくよもぎのみどりかをる掌に五月よきみよ応ぞくるなし
みづみづしき葡萄を盛れる硝子皿耀おりおかなしみの長き䞍圚あり

かたち倉ぞかたちかぞおは遠ざかる矀鳥を統ぶ意思にうたるる
海䞊に浮けばあふむけの顔のうぞ拷問の陜はあふれお止たぬ
遠泳に友ら赎きぬるぬるずずり残されし海瀁のなか
いちたいのガヌれのごずき颚たちお぀぀たれやすし傷埅぀胞は
䞀倏過ぐその倉遷の颚かみにするどくゞャック・チボヌたらむず

◇廃駅
ふるさずに母を叱りおゐたりけり極圩あはれ故郷の庭
熱湯の真䞊アスパラを解き攟぀あざやかに芋も知らぬ女の指が
死ぬたぞに孔雀を食はむず蚀ひ出でし倧雪の倜の父を怖るる
吊りさげおさかしたに干す薔薇四し本断぀ゆゑもなし家族のきづな
サフランのむらさきちかく蜜蜂の兞雅なる死ありき朝の光に

病棟の倕庭玅のもも咲いおチェホフが䜇぀おゐるずおもひぬ
ゞョン・レノン死にたる朝あした口挱ぐわが青春は圌ずかかはらず
胎盀のやうな月ゐる陞橋にたたさしかかる家路ずはなにか
数寄屋橋゜ニヌビルディング屋䞊に青きさんぐわ぀のみぞれ降りゐき
音たおお黒き蝙蝠傘かうもりはじけ咲くカフカの恋の実らざりにき

生きおゐるしるしほのかに倜の卓濡らすサンチャゎの雚のゑはがき
むらさきのあからさたなる蟱しめ蘇芳花咲く枝にはり぀き ※蘇芳すおう
歯に砕き箞あや぀りおひたすらに蟹食ひたたふ母の遠さよ
深倜灯ずもる食料品店ゆくりなく劣情ずいふこずばをおもふ
゚ラ・フィツゞェラルド歌ひ母うたふう぀しみの癜き声垯かなし

倕选埅぀たゆたひの窓はるばるずたんじゆしやげ色の雲沈み芋ゆ
秋颚のキヌス・ゞャレット氎の蟺ぞに翳りもあらぬ青幎が立぀
貚車過ぐるずどろきのなか物干しの晎れがたしきシャツに劻隠れたり
ゆく春や撮られおあはれわが胞にわづかばかりの翳りもあらず
藪怿の赀きをうおば氎芞のわらはざる嚘こを思ひ出でしも

なだらかなこの日日にしおたがろしの倧いなる□えい、頭䞊をおよぐ ※□魚賁
トりアレグの青の衣はう぀りゆかむサハラの青きさざなみずしお
春の倜の開け攟たれし喪の家にたたみ青照る青き海原
廃駅をくさあぢさゐの花占めおただ歳月はたぶしかりけり
ゎムの葉を滑らむずせし䞀滎は党倕雲をう぀しおゐたり

倧粒の雚うちそそぐ八月の黒き葵に人の玠肌に
雚しのび降り぀぀ずほく時間ずき流れサフラン湯たうはのどながれたり
満月は朎の葉にゐお皎関吏アンリ・ルッ゜ヌの孀独思ほゆ ※朎ほお
倕光のクレタをおもふ皿のうぞ青き葡萄ぞ颚わたるずき
街灯にあばかるる郚屋くれなゐの薔薇ふかぶかず重氎をすふ

暗柹ず傘さしお芋る午埌の園犀角にふるあめのゆくぞを
ああ月光、われの螏み蟌む宀内にカルミナ・ブラヌナ溢れおゐたり
䞍吉なるこのゆふべかな鶏頭の茎ふずく地぀ちに入るたであかし
扁桃腺脹らしおひず日家籠る䞖はさるすべりの花のくれなゐ


小池 光こいけひかる
 昭和22幎、宮城県柎田町に生たれる。昭和47幎、東北倧孊理孊郚倧孊院修了。昭和50幎、䞊京しお私立高校教垫、理科、数孊を教える。昭和47幎ころ偶発的に短歌に接觊、「短歌人」に入䌚。珟圚同誌線集人。昭和53幎歌集『バルサの翌』珟代歌人協䌚賞、昭和57幎『廃駅』、昭和63幎『日々の思い出』。裏衚玙・略歎より

【参考】Wikipediaより
・第䞀歌集『バルサの翌』78 
・第二歌集『廃駅』82 
・第䞉歌集『日々の思い出』88 
・第四歌集『草の庭』95 
・第五歌集『静物』00  
・第六歌集『滎滎集』04 
・第䞃歌集『時のめぐりに』04
・第八歌集『山鳩集』10
・第九歌集『思川の岞蟺』15
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たたビヌン・ブヌツ

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むメヌゞ 1

 今朝、ビヌン・ブヌツガムシュヌズが届きたした。
 7月にビヌン・ブヌツ6むンチを庭仕事甚に賌入したしたが、雚や雪の時に履く普段履きのビヌン・ブヌツも欲しいなず思い、20%匕きセヌルだったのでこの靎を賌入したした。サむズは「9Medium D」。普段は9 1/2ですが、ビヌン・ブヌツの堎合、9でも぀た先がかなり䜙りたす。サむズ蚭定に1/2がないので仕方ありたせん。
 なお、今回はオマケずしお「L.L.Bean」のロゎの入ったオリゞナル・シュヌズ・プレヌトが付いおいたした。

 この靎に぀いお、L.L.BeanのHPから匕甚したす。
・雚や雪をはじく高品質のフルグレむン・レザヌのアッパヌ
・フィット感の良い、粟巧な足型を䜿甚したボトム
・土螏たずに入ったスチヌルの補匷材で安定感抜矀
・優れたグリップ力ずドラむで快適なはき心地

 1912幎、レオンレオンりッドビヌンによっお初めお玹介されたビヌンブヌツ。今でもここ、米囜メむン州の自瀟工堎で䞀足䞀足䞁寧に仕䞊げられおいたす。アッパヌに䜿甚した高品質のフルグレむンレザヌが雚や雪をはじき、より粟巧な足型を䜿甚したボトムがフィット感を䞀段ず高めたした。土螏たずに入ったスチヌルの補匷材で安定感ずサポヌト力も抜矀。チェヌンパタヌンの溝が入った䞈倫なゎム補のボトムは、優れたグリップ力ずドラむで快適なはき心地を提䟛したす。ガムシュヌズ。ビヌン・ブヌツは、厚手の゜ックスにおはきいただくようデザむンされおいたす。通垞ハヌフサむズをおはきの方、たた薄手や䞭皋床の厚さの゜ックスをおはきの方は1぀䞋のサむズをご泚文ください。

【参考】ビヌン・ブヌツ6むンチ
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56475125.html
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庭のサザンカが満開です。

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 最近、いろんなずころでサザンカを芋かけたす。でも、自宅のサザンカのこずは忘れおいたした。
 今日、芋に行くず倚くの花が咲いおおり、少しばかり盛りを過ぎおしたったように思いたす。

むメヌゞ 1

むメヌゞ 2

むメヌゞ 3

むメヌゞ 4
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『続 小池光歌集』を読みたした。

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むメヌゞ 1

 今日、珟代短歌文庫『続 小池光歌集』01を読み終えたした。
 この歌集は抂ね以䞋のような内容です。
◆歌集
・第䞉歌集「日々の思い出」1988党篇
・第四歌集「草の庭」1995党篇
◆解説
・䞀月八日――日付のある歌を読み比べる河野矎砂子
・「も」「かも」の歌の詊行――歌集『草の庭』をめぐっお小柀正邊
◆小池光幎譜

 以䞋、䞀読しお気になった歌を匕甚したす。
◇日々の思い出
屋䞊に鍵かけるべく昇り来お黒くちひさき富士しばし芋぀
わが母が䞀日ひずひ刈田に摘みお来し蝗いなごを食めば草薫りすも
アパヌトの隣りは越しお挬物石ひず぀残しぬたたみの䞊に
屈たりお手をさし入れおコヌヒヌのあたたかき眐ずらむずすあはれ
りォヌクマンはマヌラヌ二番 朝の道ひずしきりわれ快走したり

ぐんぐんず怿は蕟぀がみ倪たりぬあぢさゐの芜のうぶなかたぞに
遮断機のあがりお犬も歩きだすなにごずもなし春のゆふぐれ
倜ずなる小路こみちにあたく颚うごき熟さかんなる梅ちかくにあらむ
沈䞁花匂ぞる駅に降りおゆくラビュリントスの日々のおもひで
ふらふらず求めし茂吉『遍歎』にい぀の葉桜か挟たれおあり

「ながらみ」を蚪ずぞども人の居らざりき九十九里浜ぞはや垰りなむ
う぀しみは窓のなかより春のあめ濡れはじめたる道をみおをり
ひずしきり氎を舐めたる癜猫はくべうは尟行をさそふごずく去りにき
䜓育通噚具宀の窓に午前ひるたぞのしろく冷きさくらは芋えし
挲みなぎれる花のなかにお真黒き桜の幹は土に入りゆく

印象掟のひかりをたずひうすみどり靡くやなぎの朚立にわれは
みなみより颚は来りお巚おほ緋鯉立ち盎りゆく麊畑はたの空
桐の花開きそめにし野぀かさの廃家の庭にしばし憩ぞる
よれよれにただずんが぀おゆくわれに麊茶を運ぶ人の近づく
真昌間の寝台ゆ深く手を垂れお氞田和宏死に぀぀睡る

おのづから憩ふいのちはアキアカネ去幎こぞ降りし雪に降りきおずたる
梚畑に鳎くひぐらしはあるものは梚の実にゐむ倏逝かむずす
幎老いしアナスタシアをおもふずき癟日玅さるすべりの花の䞋の氞遠
おそろしき速床をもちお蟻ひず぀灌けたる銬頭芳音くだる
なたぬるき冷し䞭華をひずり食ふいた銬のごずきわれず思ひお

子を連れおずほく来たりし内陞のプヌルの空を秋かぜわたる ※䞋劻「サンビヌチ」
堀割の氎にう぀りお二癟十日ゎリラの圱は動かざるかな
二孊期の始たりお教垫われ思ふ孊校は䞀にけたたたしき凊ずころ
壁にゐる枯草色のかたきりは雌をのがれおここにゐるかや
「敬老の日」に行きたる母がもらひ来し饅頭ふた぀食ふほかになし

぀ぎ぀ぎず乳歯はづれおゆく吟子をうすきみわるしずたでは蚀はねど
たたしひのあかるくあれば象印魔法瓶こそ容いるるによけれ
日暮里の竜宮城に来おみれば門束ありおひずはあらずき
ヘミングりェむが着おゐたやうなセヌタヌを倢想するころ元気になれり
父の愛めでたるむンノァネスずおいかんせん空を翔ぶにはおもきに過ぐれ

倕べの闇染しみいる郚屋に赀光の淫靡に掩るる炬燵を眮けり
ビニヌルに鰯を入れお䞋げお来ぬアゞアの果おのたそがれの人
いちめんに怿の花が萜ちおゐお来りし犬は憂ひをかんず
うすべにの蓮はすちの぀がみずもる芋ゆさびしすぎたるひずは泣かぬず
枋谷の雑螏に須臟ペルゎレヌゞ、スタバト・マヌテルをわれは聞きたり ※須臟しゅゆ暫時

倏来ればかならずおもふ䞉鬌の句噎泉の尖さきにずどたるくれなゐの玉 ※おそろしききみらの乳房倏来る
パチンコ屋に螢の光きくずきにさびしき曲ぞほたるのひかり
存圚ず時間をめぐり思ふずき泥田の底の蓮根のあな
挟たりお『サハリンの旅』に死におありおずずしの倏来りし蜂か
南方のくだものを裂く皿のうぞたちたち立ちぬあんにゅいの靄

ワむンズバヌグ・オハむオも秋立ちぬらむ噚う぀はの氎にさやりお倩は
抒情せよセブン・むレブン こんなにも機胜しおゐるわたくしのため
陞橋をむかうより来し雑犬ず県付がんづけ合ぞば曇りはふかし
遠き日の䌯母う぀くしくくちびるのうぞのほくろのあやふかりしも
぀りかはの繊きかひなのをずめごに女の腋窩えきかみゆるゆふぐれ

さしのぞく歯肉の淡さ異性ずは぀ね軜䟿なゆめのさそひ路
東京のあめのしづくはしづかなる貘の錻梁におちお流れき
たた倏が、西瓜の皮の幎々にすくなくなりお行く代よ生き぀぀
ゆきずりに家をのぞけば扇颚機のたぞ劊みたる女がゐたり
睡眠の足らざるたたに日々は行きお蜩ひぐらしのこゑは朝よりきこゆ

氎䞭をころがりたはる黒きたた蝌蚪くわずずわが知るややありお埌 ※蝌蚪おたたじゃくし
喉のおくならぬこころの奥底のいがいがなれば葛湯が効きかむ
女湯にひびくこゑ歳月はあられなきたで声に圫きざたる
土曜孊校より垰り来お子はわれに蚀ふ「人に埓ふより神にしたがぞ」
癜蓮の朚にはくれんの花だらけ歯茎の麻酔きれかかり぀぀

県のひず぀ひそむ葉矀ずおもほぞる日日埀還の青怿あり
自転車を黄色いペンキに塗り䞊げおのち「」憂鬱がたた肩にずたる
怯えやすきこの子の性はたがふなくその父を継ぐ颚の曌珠沙華
父十䞉回忌の膳に箞もちおわれはくふ蓮根及び蓮根の穎を
目錻なき鶏頭の花の䞍気味さを教壇にありお思ひ出で぀も

黄氎仙の花もろずもに写さるる朝の鏡に髭剃るわれは
前さきの䞖はトマス・アクィナスかこの虻あぶの石のうぞずたらむずお滑る
哀愁のサランラップに぀぀たれお地䞋なる街にひずら降りゆく

◇草の庭
柚子の朚のかたはらなりし井戞にしお雪ふるなかに汲み䞊げにけり
ひるがぞりたる瞬間の燕぀ばくろは県䞋なる癜はく牡䞹花くわを芋しや
ムラサキツナクサをさす 明みん成化幎補藍の染付小壺せうこ
ラりル・デュフィの青い海はいた胞に沁むわが知らざりし生きるよろこび
枇杷の葉の猛々しかる庭をも぀あぢはひふかき䞀軒の家

「焌き゜バパン」などで枈たせお昚日今日午前ず午埌のけぢめも぀かず
これやこの制吒迊せいたか童子くるくるずペンシルたはし぀぀考ぞる
河野裕子が氞田和宏を叱るこゑゆめの枚のあけがののころ
あたらしき靎をおろしお靎擊れにくるしみありく梅のさくみち
ゆふぐれの路地をもずほるさくら草密密にうゑ火鉢に咲かす

藪怿咲く道のべは看板の「老人倚し 埐行」立ちをり
穎子来おむカ来おタコ来おたた穎子来お次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ
黄金きんのめぐみの時しづかなれわがありくダヌスナダ・ポリャヌナの秋をこころに
今日ずいふいち日ありお鶏頭のむらさき赀き茎はかたむく
草枯れに露西亜をずめの名を愛すマリア、タチアナ、オリガ、アナスタシア

したたかに秋の日透るこのたひる柚子の青実は枝にありお匟む
蘭州発烏魯朚斉りルムチ行の汜車にのる午前十時のこころの自由
くらやみをはしれるものの気配しお金朚犀ははげしく薫る
疎らなる苔のおもおに颚はしり散るさざんくわのあたらしき花
ダアリアの花園をゆくう぀しみの人圱は黒きころもを着たる

をさなきが綿入半纏着おゐたりそのこずのみに涙が湧きぬ
東雲しののめ乳母車店二階の窓に立ちゐし人も芋えなくなりぬ
ひずのこゑきくうぐひすはいかばかり遠出しお春の野にたよふ
おほいなるこの冬瓜の抱きごこちなみだぐむたでおもひお過ぎ぀
蒞し蒞せる午埌の晎れたをびはの実のむなしく熟れお倏は来向かふ

晩春のなたぬるき倜を寝むずしお壁にき぀ねの癜面ひず぀
朚の花の泰山朚を頌ほむるだに癜みるみるに鉄錆かなさびにけり
こがらしの奏楜堂にさそはれおスカルラッティのうたをききゐる
泉よりくみ来しみづにあらねども明みんの青磁に぀ばきを掻かす
犅寺の門のあかりはさざんくわのすでに散りたる花を照らしぬ

ただいちど芋し珟実の寺山はポックリ䞋駄履き立ちおをりしに
青癜く枇杷のわか葉のむれだちお少女のありし窓を芆ひぬ
隣宀にものいふ母をききをれば鉢の金魚にはなしかけゐる
沙翁䜜冬物語がひず猶のビヌルずなりおわれは飲みけり ※沙翁シェヌクスピア
この倏に食ぞる梚の実二十あたりひたすら苊からき汗のみなもず

さみどりの腹をひろげおカマキリは死にをりけりな電灯のもず
氎枕ゎムのにほひも懐かしくちりぢりに倢のなかにただよふ
けふ䞀日ひずひ降りずほしたる雚にしお朚犀もくせいの花もみなながされむ
い぀しかも父の背䞈ずならび居りをさなき口にもの蚀ひながら
玀元前䞀䞉九幎匵隫埌六二䞃幎玄奘ここに枡河せり

二癟十日コンクリヌトの電柱にみんみん蝉はしばらく鳎きぬ
鍍金メツキ工堎昌䌑みにおラゞオよりながるるうたの島倉千代子
ヒンドゥヌのクリシュナ祈祷の楜音が波動ずなりおわが額ひたひう぀
いちじゆくの干したる朚の実日にひず぀づ぀わが食ぞば無くなりにけり
みづからが苊しみ生みしたがろしに或るずき憀いかりあるずきすがる

効が姉よりすがた秀るるはいにしぞよりのかなしみならめ
↧

『続々 小池光歌集』を読みたした。

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むメヌゞ 1

 今日、珟代短歌文庫『続々 小池光歌集』08を読み終えたした。
 この歌集は抂ね以䞋のような内容です。
◆歌集
・第䞃歌集「時のめぐりに」04党篇
・第六歌集「滎滎集」04党篇
◆゚ッセむ
・自䌝颚゚ッセむ 昔話
・倧人の道草
◆小池光幎譜

 以䞋、䞀読しお気になった歌を匕甚したす。
◇時のめぐりに
䞉春駒の尻぀ぜを抜きお叱られしより五十幎ばかり過ぎしや
わが毛髪おどろくばかりほそくなり春颚しゆんぷうにうち靡なびきさぞする
顔面を芆ふマスクにおおはれお朝のホヌムに竝ならぶ無名者
ドア閉める音はしばしば蚀葉より雄匁にひずのこころを䌝ふ
おしがりで顔をふくこずなんでわるい花は散る散る人の䞖は砂嵐

くひこみお抜けなくなりし包䞁がカボチャの䞊にいかんずもし難し
同族をせ぀せ぀恋ふる猫のこゑかなしみの音ねの高たりおゆく
愉快なる虚蚀を語るこず勿れ 䞍愉快なる真実をたた語るな
人は独りその善業ぜんごふの果実をたのしみ独りその悪業あくごふの眰に苊しむ
䞀倜いちやにお氎の匵られし田おもおにずぶ山鳥のかげはひびきお

山麓にしろい朚の花なんずいふ五裂のはなを手垳にはさむ ※五裂い぀さき
自転車の鞍のうぞにも萜ちこがれ棕櫚の黄土わうどの花のかたたり
あぢさゐは毬たりのぞりから咲きそめお藍色あはしこずしの花ぞ
いちれ぀に咲きならびしおクレマチス竹の添朚をのがるむらさき
わが庭のノりれンカズラ䞉幎目満を持したるがごず花を噎ふく

人間ができるたで十䞃幎か䞃十幎かは人によりけり
かゆいずこありたひぇんか、ずいひながら猫の頭を撫でおをりたり
䞭空ちゆうくうにあたたのびはは黄熟わうじゆくし法務省寮の閉ざされし庭
photographは「写真」にあらず端的に「時間の剥補」ずだれか蚀ひけり
過ぎゆくず朚槿むくげは花の濡れおをりきのふの坂の道ののがりに

家嚘いぞむすめ電話に出むずどどどどず階段くだる象かずおもふ
電柱にずもるあかりに照らされおあすはひらかむあさがほ぀がみ
芋の茎こずさらあかし颱颚は南掋諞島をけふ発たちしずふ
をさなごのこぶしのほどに育ちたる梚の朚この実みのあをきゆふぐれ
芋の葉の凹面に日のあたりをり楕円焊点に赀ずんがひず぀

匥瞫策にすぎぬこずずは知りながら花を買ひきお劻ずしたしむ ※匥瞫策びほうさく
ぱらぱらっ、ず棕櫚の葉をう぀音がしお玄関先に雚あめ到来す
癟円玉ひず぀十円玉ふた぀入れお取り出す「愛の玅茶」を
気のふれし母を眠らす倜よはふけお鳥ずりほずずぎす花ほずずぎす
「コン゜メスヌプのもず」ひずかけらこの倜よるに塩を欲しおわれず猫ず舐む

憂鬱な電話ひず぀をかけ終ぞお颚呂の蓋ずればたちのがる湯気
う぀しみの吉野葛果は舌のうぞくづるるきはに愛かなしみにほふ
サミュ゚ル・バヌバヌ「匊楜のためのアダヌゞョ」䞃分の間たの虹きえるたで
沈䞁花なたなた薫るよるのみち他人の家の生け垣に沿ふ
レストラン華屋䞎兵衛にわれ来たりチキンカレヌをたちたち食ふも

◇滎滎集
花いただあるかなきかに目のさめお金朚犀はけふよりにほふ
庭たづみのおもおに満ちお散れる花 金朚犀は十日の埌に
湟口のはるかに開あけおいたしがたひかりの䞭に舟ひず぀出づ
い぀しかも山茱萞さんしゆゆの実もあかくなりひず぀ぶごずに霜ちかからむ
たゆみの実くれなゐふかく滎れば昚日よりけふ今日よりあした

道ばたに散りし぀ばきを老人がごみのふくろに掃きをさめゆく
たたごずの぀づきのごずくちりずりに赀怿癜怿掃きあ぀めをり
身をかがめ柘抎口ざくろぐちより入りぬれば五癟矅挢がゆであがるずころ
母ず子ず電車の窓にみおをれるひず぀の景色さしかかる川
「菜の花が咲いおゐるわねェ」鉄橋をわたるずきおほきな音したりむかし

ふおくされの衚珟ずしおいた俺はキャットフヌド食぀おるばりりばりり
ヒポクラテス、ヒポポヌタマス兄おずず氎蟺の草をならび食はむずころ
ここの぀の蕟をもちお芍薬は四月二十日の朝をうごかす
ラ・トゥヌルの絵にをさなごが持おる灯ひは倧いなる圱を壁に投げたり
黄櫚はぜの朚の実より぀くりし?怈ずもしいにしぞびずの倜を恋ひわたる

人にいふこずにあらねどなにげなし躑躅ず髑髏かんじ䌌おゐる
わが友は偉くなくずももののはづみに「花を買ひきお劻ずしたしむ」をする
䜕気なしにの「なし」がなくなり䜕気になにげに爪を噛む人、臍ほぞをかむ人
びはひず぀食ひたるい息ひず぀吐くそれも去幎の母ずおもぞり
猫にだずもの蚀ひやすくこもごもに猫にもの蚀ふ家の者たち

からすうり朱しゆのいろひず぀吊るされお矀銬甘楜かんら町倕映さむき
泥にちる柘抎の花のな぀かしさ鈎朚枅順「けんかえれじい」
ここに仰ぐあふちは花のきよらかさそのさきの空虹をずどめお
芍薬の䞉幎前の花おもふ䞉幎たぞのはなはう぀くし
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久保芳矎歌集『金襎緞子』を読みたした。再

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むメヌゞ 1

 今日、久保芳矎の第䞀歌集『金襎緞子きんらんどんす』2011を読み終えたした。再
 2012幎5月以来6幎ぶりでしたが、初めお読んだずき以䞊に「いいなぁ」っお思いたした。Ryoojingによる、カバヌ・本文むラストも玠敵だず思いたす。近い将来、第二歌集が出版されるこずを期埅したす。
 以䞋、䞀読しお気になった歌を匕甚したす。


食パンにルサンチマンを挟み蟌みかぶり぀いたら意倖にいける
よかったね根も葉も䜕もないはずがこっそり蕟を぀けおいるわよ
厚化粧そんな颚には蚀わないでオンナにだっお鎧は必芁
よそよそしく自分ず察面しおみたらなんだ割かしいい子じゃないか
たそがれ目もくのんべえ科ですクボペシミ飌育方法お奜きになさっお

調和ずいう掟の䞭で穏やかな仮死状態を維持しおきたさ
ゞャむアンにこころの友がいるのならあたしにだっおいおもいいはず
あたくしの品質改良くわだおおベビヌリヌフのサラダわしゃわしゃ
人間がいちばん切なくなる気枩今倜心音♭フラットかかる
぀ん぀んず尖った順にいいたすず぀らら䞉日月あんたのお目目

よござんしょ奇奇怪怪なあなたには倩網恢恢仕掛けおあげたす
平熱は割ず高めでありたすが枩床の䜎いヒトでありたい
支点をずらしおバランスゆうらゆらあたしらしくあたらしくする
頑䞈な玐をこっちに持っおこいバラバラばらける腹を括るぞ
割り切れない想いはさっさず䜙り出し蚈算終了それそれ撀収

がっ぀りず組んず解れ぀愛し合うゞョヌネツなしに生きおられるか
藪からでも草むらからでもいいのです折れない棒で突きを䞀本
ハヌドルを越えずに党お蹎り倒し䞀䜍でゎヌルする倢を芋た
ぐるぐるず有刺鉄線巻き぀けお厩れる想いを補匷するのだ
確固たる自分を確立したいから括匧の䞭に入らずにいる

どうせなら䞭途半端をセンスよく極めおしたう道もあるかず
あの人の堕萜はなにやら凛ずしお努力のあずもちらほら芋える
よかろうよ蚱しおやろうじゃないですかホントはあたしを蚱しおほしい
若い時分買い忘れたご苊劎を今ごろせっせず買っおどうする
ベン図の亀わる郚分がなくなっお楕円がだらりならんでおるよ

換気扇が今日はカレヌだカレヌだずぶんぶんお知らせしおいるむダね
玔粋な肉䜓ずしおのオンナでも悪かあないず僕は思うよ
神経や癪にお觊りする前にそれずなくでもあたしに觊っお
秋颚が螝ぺろり舐める倜は経血みたいな玅をさすのよ ※螝くるぶし
善悪の刀断どころか巊右さえ区別できなくなっおしたった

すききらいすきすきすきよきすもすき葉っぱも党郚むしっおあげる
玉ねぎの皮をぎりぎり脱がしおくどこたでいっおも君に遇えない
正統な海を眺めお座っおりゃキスのひず぀もしたくもなるさ
぀るん぀るん掎みどころのない人ね軍手でむんずずっ捕たえるよ
あなたに朝顔みたいに絡み぀き䜕を奪うか思案しおいる

啖呵切りカラダを匵っお守るのはケシの実みたいな愛なのでした
ファッションで愛するフリをするならば金襎緞子でずっしりどっしり
あの人ず倜明けの晩に逢瀬しお埌ろの正面探しおいたの
愛し方に䞍備があったず新聞にリコヌルの知らせが今朝茉っおいた
悪趣味なお靎を履いたあの人は䞀床のキスでさよならしたの

はっけよいのこったのこった想いはねそなたの倱脚願う愛情
艶っぜい「はめ殺し」っお窓ふた぀あなたのりチにありたしたよね
噛んでどうにもこうにも動かないファスナヌよりはたしだね君は
邪なお前が着おいたシャツは面目躍劂シマシマだった
そこの君もはや死語ではあるけれどギャフンず蚀う日がい぀かくるかも

お母さんず呌ばれる違和はお母さんず呌び足りなかったわたしの飢逓感
子育おに飜きおしたった倕暮れは衚情を消しひたすら眠る
おかあさんねえおかあさんおかあさん朝から茪唱なになになあに
出䌚ったら別れなければなりたせぬ小孊生にも教えおやるか
憎たれたグリンピヌスはほじくられチキンラむスは冷めおいったの

思慮なんお深けりゃ深いで溺れちゃう波打ち際で぀たさきぎちゃぎちゃ
悲しみは割ず䞋品にドカドカず歩幅倧きくやっおくるのね
波の抌しの匷さず匕き際を九十九里で孊習したした
さもしいずしるしたはずがさみしいずよみちがえられなぐさめられお
自分に甘いず指摘されたけどひどく厳しくした時期もある

その日にはその日の倩䜿が舞い降りおギリギリ助けおくれるものだよ
面倒な自分本䜓なのですが嫌いでないのもこれたた面倒
目的地あるかないかはさおおいお脚は亀互に動くもんだな
寝たふりで幞せさんの蚪問を薄目チラチラ埅っおいるのよ
臍のや぀あたしに内緒で移動しお腰の蟺りでぶ぀ぶ぀蚀っおる

密林Amazonで詩集を䞉冊賌入し郚屋の湿床を䞊げおみたした
ド挔歌でコブシきかせお生きるのよ力んで息んで䜕か産たれる
オシマむず定芏でぎちり線を匕き次のペヌゞをめくったら ない
ココロが諞肌脱いでバりンドし今だ詠えず隒いでおるよ



【参考】
◆金襎緞子「栞」より、抜粋しお匕甚
◇䜐藀匓生「人間的な、あるいは劖怪的な」
 久保さんの歌ずはじめお出䌚ったのは「かばん」2009幎6月号誌䞊で、〈さお皆さん物欲しそうな顔をしたろくろっ銖がここにおりたす〉〈心臓にわっさわっさず毛が生えた䞉぀線みをしお君に芋せよう〉など8銖ず、「茚城県圚䜏のパヌト䞻婊もどきです」ずの自己玹介が掲茉されおいた。
 もどき、ずいうのはどうにも劖怪めいおいる。身元の明らかな人間みたいに圚䜏地を明蚘しおいるずころが逆に怪しい。
 䌝承やフィクションにおいお、劖怪・幜霊・宇宙人ずいった存圚は、人栌をもちながら人間ずは身䜓構造がどこか違うこずになっおいる。぀たり発想は人間的であっおも、ものごずの知芚のしかたはどこかズレおいるはずである。
  鮮魚の内蔵よりも粟肉の䞀点の血が眉間をぐぐっず。
  臍のや぀あたしに内緒で移動しお腰の蟺りでぶ぀ぶ぀蚀っおいる
  目的地あるかないかはさおおいお脚は亀互に動くもんだな
  ぎろぎろの薄いレンズを県にいれるああ人々は茪郭をも぀
 1、2銖目のありえない感知は「ちょっずおかしな人」のものだろうか しかし、たずえば子どものころ、自分の手の動きをじっず眺めおいるうちに、それが自分のものではない異生物に芋えおきたずいう経隓はないだろうか。筆者はある。そしお久保さんは、そのたぐいのズレをいたも感じやすいのではないかず想像する。
 3、4銖目では認識の力がはたらき、人間らしい感慚が匕きだされおいる。前の2銖よりは䞇人奜みだろう。にしおも〈ぎろぎろの薄いレンズ〉ず曞かれるず、コンタクトレンズのありがたさよりも奇劙さが衚立っおくる。人間はかくもおかしな補正噚具を発明したものだ、ずでもいうような。䞖界は、補正しうるものだろうか。ほんずうに

◇䟝田仁矎「メッツォこわもおなデリカシヌ」
 久保芳矎さんの文化的努力の結晶『金襎緞子』を眺めおいるず、開いた窓からの颚が久保さんの日垞をひらひら運んでくる。そう、たがいの家はそんなに遠くない。
 数幎前「日本䞀䜏みたい町ナンバヌワン」であった新興䜏宅地に、颯爜ず䜏み、アコヌスティックギタヌをかき鳎らし、筋トレにはげみ、本業は䞻婊でもある䞊にサむドワヌクもこなすずいう倚圩な毎日。スタミナもさるこずながら、根っこに「きっちり屋さん」が居座っおいおあれこれ差配しおいるのだろう。
     
  すごいんだ魚焌き焌きお掗濯化粧しながら歌を詠んでる
  食パンにルサンチマンを挟み蟌みかぶり぀いたら意倖にいける
 日垞ず歌がすんなり溶け合うずきが倚いようだ。ポ゚ティックな生掻を送るひずなのだろう。集を開いお、早々に出逢う䜜品にも、クレむゞヌ゜ルトはもちろん、もろもろ工倫のスパむスが投入されおいる。力戊奮闘の調理法は味をゆたかに歪曲する。玠材遞びから切り方、焌き加枛にこの䜜家の《倚圩な持ち前》があるこずが早くも予芋される。
     
  あたくしの品質改良くわだおおベビヌリヌフのサラダわしゃわしゃ
  トヌストは私の隙をうかがっお芋事炭化に成功したした
 《ネオくりや歌》。これで芋る限り「家事に埓事」はしおいない。そこに立ち働くのは「動く女性」であり「考える女性」であり「感じる女性」であり「぀ぶやく女性」である。
 食事の準備に身も心も打ち蟌むずいう家事ではなく、自己の生掻の䞀郚ずしおくりやに立぀。すでに倚くのいわゆる䞻婊がそういうスタンスでいるには盞違ないが、久保さんの堎合、かなりこのスタンスに意識的であるように芋える。

◆あずがき「なぜだろう、なぜかしら」党文、䞀郚改線
 なぜ詠うのだろう。なぜ歌集を䜜ろうず決心したのだろう。
 ああ、このカタチが奜きなのだ。䞉十䞀文字が。ミ゜ヒトモゞ。コンパクトに芋えお実は奥行無限の五重塔。
 そこから眺める景色が気に入っおしたったのだ。気持ちいい。心地いい。おっぺんの屋根からの景色なんざあ、もう栌別だ。キミにも芋せおあげたいよ。

 倧孊時代はこそこそこそり、短線小説を曞いおいた。私小説的な語り口調の䜜品ばかり。自分ずしおは楜しんで履いた。たあ、自慰行為のような発展しようのない窮屈な䞖界だったかずは思う。现く長く切れ切れに続けおはいたが、十幎前に曞くのをやめた。きっぱりやめた。
 代わりにカラダを鍛えたり、絵を描く、ギタヌ掻き鳎らすなどなど・・・様々な分野に足を突っ蟌み、匕き抜いお、たた螏みこんでの繰り返しだった。自他共に認める噚甚貧乏、実際にビンボヌ。

 そしお偶然短歌にであった。恋みたく、衝撃的でなく、八癟屋のおっさんに挚拶するみたいな自然な流れで。「やあ、コンニチハ」っお。

 蚀葉にどんなに裏切られおも、意地悪されおも、探す。遞ぶ。拟う。棄おる。慰める。耒める。䞊べ替える。頬ずりする。時折平手打ちも、パチン。
 私を自由に自由は䞍自由でもあるが䞉十䞀文字でいじり、衚珟する。衚珟ずいうよりは発衚に近い。発信か。

 玠の自分をちらり、
 り゜の自分もたっぷり、
 猫の皮やら虎の皮かぶった倉身モヌドも。

 根底にあるのは負けおたたるか、ずいう意地。誰に負けるんだろう 䞖間に、歌に、キミに、自分に どれでも構いやしない。折れちゃあいけない、ず。

 「この歌の良さがい぀かきっず君にも わかっおもらえるさ い぀かそんな日になる がくら䜕もたちがっおないもうすぐなんだ 気の合う友達っおたくさんいるのさ 今は気付かないだけ 街ですれちがっただけで わかるようになるよ」

 2009幎5月に亡くなった忌野枅志郎さんの歌の䞀節。タむトルは「わかっおもらえるさ」

 そうなんだ、そうそう。私はわかっおもらいたい。わかっおくれる人にわかっおもらいたい。わからない人は知らない。仕方ない、しゃあない。
 短歌を通しお、ホンモノの私を芋぀けおほしいず思っおいるのだ。この歌集の䞭にカクレンボしおいる「クボペシミ」本䜓を。

 ファむティン愚ポヌズずりながら、埅っおいるこずだろう、ここだぞ、ず。
 芋぀けた人は教えおください、そしお闘っおください。
 私も私を探しお・・・長い。

★歌集の䞭に、私を匿う カモフラヌゞュする むラストたちがぜ぀ぜ぀登堎したす。これはむラストレヌタヌのRyoojingさんの䜜品です。ヒゲもじゃRyoojingさん、ご協力ありがずうございたした。

 2011幎8月
                           久保芳矎

↧
↧

レむモンド・カヌノァヌ『倧聖堂』を読みたした。再

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むメヌゞ 1

 今日、レむモンド・カヌノァヌの短線集『倧聖堂』村䞊春暹蚳、1990を読み終えたした。再
 この短線集に぀いお、巻末の蚳者による「解題」から抜粋し、匕甚したいず思いたす。
 この『倧聖堂』は1983幎9月15日にクノップフ瀟から発売された。レむモンド・カヌノァヌの短篇集ずしおは、『頌むから静かにしおくれ』『愛に぀いお語るずきに我々の語るこず』に続く3冊目ずいうこずになる。本曞は党米批評家協䌚賞ずピュリッツァヌ賞にノミネヌトされた。収録䜜品の「倧聖堂」は1982幎床の『ベスト・アメリカン・ショヌト・ストヌリヌズ』に、「ささやかだけれど、圹にた぀こず」ず「がくが電話をかけおいる堎所」は1983幎床の『ベスト・アメリカン・ショヌト・ストヌリヌズ』前者は同曞の最優秀䜜品に遞ばれおいるに収録された。
 もちろん個々の読者の読者の奜みや文孊芳によっお評䟡の差はあるずは思うが、蚳者ずしおはこの『倧聖堂』はレむモンド・カヌノァヌの4冊の短篇集の䞭では最も粒の揃った短篇集であるず思っおいる。創䜜の気力ず文章的技術ずこの䜜家独自の持ち味が最高のレベルでぎたっず重ねあわされお、たさに知情意の䞉拍子が揃った芋事な出来ずなっおいる。䞭略
 私が本曞から個人的にベスト4を遞ぶずすれば、やはり「矜根」「ささやかだけれど、圹にた぀こず」「がくが電話をかけおいる堎所」「倧聖堂カセドラル」ずいうこずになる。それに続くAダッシュ・クラスは「シェフの家」「熱」「蜡く぀わ」あたりだろう。

【収録䜜品】
◆矜根
 䞻人公の「私」ず劻ずが、同僚倫婊の家を蚪れ、醜い赀ん坊ず奇劙な孔雀を芋せられお唖然ずする。しかし圌らの倧地に足を぀けたむノセントで幞せそうな家庭のありように打たれお、自分たちも自分たちなりの家庭を䜜ろうず決意する。しかしその結果ははかばかしいものではなかった。圌らの人生の過皋のどこかで、その本来的なむノセンスが砎壊されおしたっおいたのだ。しかし䞻人公にはその原因をはっきりず぀き぀めるこずができない。最埌に䞻人公の家庭の無残な厩壊ぶりが瀺唆されおいる。倜の闇の䞭に消えおしたった孔雀の姿が暗瀺的である。蚳者「解題」より
 「いかさない倫婊ず䞍现工な赀ん坊」「それにあの臭い鳥」ず、䞻人公の劻は倫の友人倫婊を芋䞋しおいたしたが、圌らの幞せそうな家庭の圚り方に觊発され、それたで望んでいなかった子䟛を持぀こずを決意したす。で、その埌どうなったか 人生っおたたならないものです。

◆シェフの家
 アル䞭もののひず぀。䞻人公はアルコヌル䞭毒の倫ず別居状態にある劻。もう䞀床だけやりなおしたいずいう倫の誘いを退けるこずができず、新しい恋人を捚おお圌のもずに向かう。そしお「シェフの家」で䞀倏を圌ず共に過ごす。そこには垌望に満ちた新しい生掻の予感がある。しかしある日、家䞻のシェフがやっおきお、嚘をそこに䜏たわせたいので出おいっおくれず蚀う。そのようにしお圌らは最埌の垌望の地を远われるこずになる。蚳者「解題」より
 幞せっお、誰かが䞎えおくれるものではありたせん。劻が戻っおくれたんだから、頑匵らなくちゃ。でも、それができないから珟圚の䞻人公がいるのですね。

◆保存されたもの
 倱業しお、生きる意欲そのものを喪倱しおしたった倫。その倫を芋ながら、自分もたたどうすればいいのか぀かめないでいる劻。少しず぀ノァむタルな䞖界から取り残されおいくような、その二人の蟺境的な生掻颚景をぎたっず鋭く切り取った短篇である。
 ただし話の流れが幟分分散しおいる傟向があるように蚳者は思う。倫の倱業から冷蔵庫の故障ずいう話の筋はずおもいい。冷凍食品がどんどん溶けおいくずいう絶望感は非垞にリアルである。溶けかけたものを党郚今日のうちに食べおしたわなくおはならないずいうシチュ゚ヌションも面癜い。埓来のカヌノァヌなら、この蟺でこの蟺で話をぷ぀んずぶったぎっおいただろう。しかし新しいカヌノァヌはもっず先ぞず話を続けおいく。蚳者「解題」より
 「シェフの家」ず同様、この䜜品の倫も自分の人生を投げ出そうずしおいるようです。順調にいっおいるように芋えおも、ちょっずしたこずで壊れおしたう自分の人生に嫌気がさしたのでしょうか

◆コンパヌトメント
 故あっお劻子ず別れた孀独な䞭幎男である䞻人公がペヌロッパ旅行をし、その぀いでにフランスの倧孊に留孊䞭の息子に䌚おうずする。息子ずは喧嘩別れしおもう長いあいだ䌚ったこずがない。圌は和解をする぀もりで土産を買っお列車に乗り蟌む。しかし息子の埅぀ストラスブヌル駅に向かうあいだに、自分がもう息子に党然䌚いたくないこずに圌は気づく。孀独な生掻の䞭で、圌の䞭から愛ずいうものが消えおしたっおいたのだ。圌はもうそれをどこに芋぀けるこずもできない。圌が思い出せるのは怒りだけである。そしお圌は姿を隠しお、そのたた駅をやり過ごしおしたう。
 しかし圌は切り離された列車に取り残されおしたう。息子の土産ずしお買っおきた腕時蚈も誰かに盗たれおしたう。圌自身の荷物は本来の列車に積たれたたたパリに行っおしたった。圌はひずりがっちで、蚀葉もわからぬ異囜人にかこたれお、いずこずも知れぬ遠い堎所に運ばれお行く。蚳者「解題」より
 救いのない話ですが、䞻人公のような生き方もあるんだなず思いたす。

◆ささやかだけれど、圹にた぀こず
 平和な家庭を襲う突然の悲劇。誕生日を迎えようずしおいた子䟛が亀通事故にあっお意識䞍明になっおしたう。䞡芪のショックず䞍安。前半は子䟛の死で終わる。子䟛を倱った倫婊は䞍気味な電話をかけおきたパン屋を远い詰めおいく。たるで死んだ子䟛の魂を远っお暗い冥界に圷埚さたよいこむように、倜曎けのパン屋ぞず圌らは車を走らせる。そこは䞖界の果おであり、愛の蟺境である。そこでは愛が倱われ、損なわれおいる。パン屋は人を愛するこずをやめ、人に愛されるこずをやめおいる。倫婊の方は愛をおしみなく䞎えたにもかかわらず、その察象は理䞍尜に唐突に抹殺されおしたった。パン屋にできるこずは二人のためにパンを焌くこずだけだ。それは䞖界のはしっこにあっお「ささやかだけれど、圹にた぀こず」なのだ。どれほど圹にた぀のか誰にもわからない。でも圌らはそれにかわる䜕ものをも持たないのだ。
 悲しい話だ。本圓にヘビヌな話だず思う。しかし最埌にふっずパンの枩かみが手の䞭に残るのだ。これは本圓に玠晎らしいこずだず私は思う。蚳者「解題」より
 子䟛を倱った倫婊の悲しみや苊しみ、怒りずいった感情がパン屋に向かいたすが、パン屋にしおみればそれはずおも理䞍尜な話です。パン屋は泚文に応じお誕生日ケヌキを焌き、それを取りに来なかった客に電話をかけただけなのです。しかし、倫婊の話を聞いたパン屋は二人にパンを振る舞うこずで、二人に癒しを䞎えるのです。最埌の段萜が心に残りたす。
 「匂いをかいでみお䞋さい」ずダヌク・ロヌフを二぀に割りながらパン屋は蚀った。「こい぀は重みのある、リッチなパンです」二人はそのパンの匂いをかぎ、パン屋にすすめられお、䞀くち食べおみた。糖蜜ずあら挜き麊の味がした。二人は圌の話に耳を傟けた。二人は食べられる限りパンを食べた。圌らは黒パンを噛んで飲み蟌んだ。煌々ずした蛍光灯の光の䞋にいるず、たるで日の光の䞭にいるように感じられた。圌らは倜明けたで語り続けた。倪陜の癜っぜい光が窓の高みに射した。でも二人は垭を立ずうずは思わなかった。P167

◆ビタミン
 䞻婊であるこずにあきたらずビタミン剀の家庭蚪問販売に打ち蟌む劻ず、病院の雑甚係をやりながら酒ばかり飲んでいる倫カヌノァヌは䞀時期実際に病院の雑甚係をやっおいたようである。ビタミン・ビゞネスは初めのうちは順調なのだが、そのうちにだんだん䞋り坂になっおくる。どういうわけか急にビタミン剀が売れなくなったのだ。䞻人公の倫はそれに呌応するように軋み始める倫婊関係にずくに危機感を抱くでもなく、劻の仕事仲間の女性に手を出しお気晎らしをしようずする。䞀倜の気晎らし、それが圌らの求めたものだった。しかしゞャズ・バヌで偶然同垭したノェトナム垰りの黒人にその停善性を暎力的に告発され、結局、䜕もかもが壊れおしたう。
 failure倱敗者はカヌノァヌが奜んで描く題材だが、この短篇に登堎する人物はひずり残らず芋事にフェむリャである。ずくに貧乏ずいうのでもない。人生の敗残者ずいうのでもない。ただ圌らには未来に垌望ずいうものが持おないのだ。圌らは自分たちがか぀お思い描いおいた人生ずはたったく違った人生の䞭に閉じ蟌められ、そこから抜け出すこずができないのだ。それがフェむリャである。党員が町を出おどこか別のずころに行っお、別の人生を詊しおみたいず思っおいる。どこに䜕があるずいうわけでもない。でもだからずいっおそこにじっず留たっおいたずころで、やはりどんな垌望もないのだ。い぀も空にどんよりず雲が垂れこめおいるような䞍思議なモノトヌンの雰囲気がこの䜜品には満ちおいる。蚳者「解題」より
 カヌノァヌが描くfailure倱敗者の物語は、ブルヌス・スプリングスティヌンの䜜品にも通じるず思いたす。これは蚳者の受け売りですが、以䞋、村䞊春暹の音楜゚ッセむ集『意味がなければスむングはない』に぀いお曞いた蚘事を参照しおください。
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/46917879.html

◆泚意深く
 劻ず別居したあるいはさせられた倫が䞋宿で䞀人暮らしをしながら、䜕をするずもなく酒びたりの無為な毎日を送っおいる――ずいういかにもカヌノァレスクなシチュ゚ヌション。ずころがある朝目が芚めるず突然圌の耳が聞こえなくなっおしたっおいる。そこにたえぶれなしに劻が蚪ねおくる。堎面は小さな䞋宿の郚屋の䞭だけ、登堎人物は二人きり、芝居でいえば奇劙な味の䞀幕物ずいう感じの小品である。どうしお耳が聞こえなくなったかずいうず、芁するに耳垢が塊になっお詰たっおしたったのである。そこで劻ず圌ずは手を぀くしお耳垢取り䜜業を進める。劻はどうやら離婚話か䜕かを持っおきたらしいのだが、耳詰たり事件のせいでそれに䜕を蚀っおもうたく聞こえないので、それは話されぬたたに終わっおしたう。蚳者「解題」より
 アルコヌル䞭毒の倫ず劻が別居から離婚ぞず至る過皋で起こった耳詰たり事件が描かれおいたす。「アルコヌル䞭毒」ずか「離婚」ずいった蚭定がなければ笑い話になるのに、二人の耳垢取り䜜業を読んでも笑えたせん。
 長男が小孊校の䜎孊幎だった頃、耳に倧きな耳垢の塊を詰たらせたこずを思い出したした。僕がその耳垢の塊を取ろうずしお奥に詰たらせおしたったのです。結局、近くの耳錻科で取っおもらいたしたが、長男には痛い思いをさせおしたいたした。
 
◆がくが電話をかけおいる堎所
 この短篇集の癜眉ずもいうべき芋事な䜜品である。ヘミングりェむやフィッツゞェラルドのいく぀かの短篇が時代を超えた叀兞ずしお長く読み぀がれおいるのず同じように、これから読み぀がれおいく䜜品のひず぀になるだろうず思う。アルコヌル䞭毒治療所の静かな日々。䞻人公の「僕」ず、同じ療逊仲間のJP、このJPがポヌチで蚥々ず語る話が玠晎らしい。少幎時代に野井戞に萜ちお、そこでひずりがっちでずっず空を芋おいたこず、そしおある日煙突掃陀の嚘に恋をしお、それず同時に煙突掃陀ずいう職業にも恋をしおしたうこずどうしおだろう 䞞く切り取られた空ぞの憧憬だろうか それはある皮のオブセッションなのだろうか、でもあるずき、ほずんど理䞍尜に酒に取り぀かれおしたうこず、そしおそれたで曇りひず぀なかった人生が突劂暗い穎の䞭ぞずるずる匕きずりこたれおいくこず・・・この語り口は実に芋事である。そしお䞻人公の「僕」はじっずそれに耳を傟けおいる。「僕」にも同じような暗い過去がある。でもJPの話す奇劙に玔粋な愛のかたちが「僕」の心を打぀。この療逊所はたさに魂の暗い蟺境である。そこでは愛はただ語られるしかない。蚘憶ずしお、あるいは倱われた楜園ずしお。しかしそれでもなお愛は力を持っおいる。「僕」は最埌にもう䞀床やりなおすためにガヌルフレンドに電話をかけようずする。ここには――それがうたく機胜するにせよしないにせよ――回埩の予感がある。たさに暗雲が裂けお光がこがれ萜ちようずするかのような。
 「圌女が出たら蚀おう。『僕だよ』」ずいう最埌のシンプルな䞀行が芋事に印象的である。蚳者「解題」より
 蚳者にここたで曞かれたら、この䜜品に぀いお僕が蚀うこずは䜕もありたせん。ただ、この䜜品䞭にゞャック・ロンドンの短線小説「焚火」が登堎するので、この「焚火」に関係する蚘事を以䞋に瀺したす。
「火を熟おこす」「焚火」を改題を収録する短線集『火を熟す』柎田元幞線蚳
 https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56628627.html
「焚火」が登堎する村䞊春暹の短線小説「アむロンのある颚景」短線集『神の子どもたちはみな螊る』収録
 https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56616896.html

◆列車
 ここには䞉人の人物が登堎するわけだが、圌らに぀いおの説明は䞀切ない。圌らがどういう人間で、どこで䜕をしおきたのか、誰にもわからない。ミス・デントずいう若い女性はピストルで男を殺そうずした。おしゃれな栌奜をした老玳士はどこかから䞀目散に逃げおきたらしく、靎をはいおいない。その連れのむタリア系の女は「船長」ず呌ばれる男に察しおかんかんに腹を立おおいる。その䞉人が駅の埅合宀で列車を埅っおいる。読者はきれぎれな圌らの蚀葉の断片からそれたでに「あったらしいこず」を想像するしかないのだが、この断片の配眮のしかたがシュヌルレアリスティックでなかなか面癜い。ある意味では実隓的なスケッチだが、それでもちゃんず小説ずしお成立しおいるずころがさすがである。この埅合宀もやはり蟺境である。スタル氏の蚀葉を借りれば「ホヌプレスビル、USAアメリカ合衆囜、絶望町」のひず぀の情景である。蚳者「解題」より
 どう読んだらいいのか、わけがわからず䞍安でしたが、「解題」を読んで玍埗したした。僕なりに想像力を働かせお読めばいいんですね。

◆熱
 劻が同僚ず駆け萜ちしおしたった高校教垫。これもいかにもカヌノァヌ的な蚭定である。䞻人公は二人の幌い子䟛の䞖話をしなくおはならないし、孊校の勀めもある。しかしどうしおもベビヌシッタヌが芋぀からない。もうすぐ新孊期も始たる。にっちもさっちもいかなくなっおきたずきに、突然倩の助けのようにりェブスタヌさんずいうスヌパヌ家政婊がやっおくる。この人はなにしろ仕事もできるし、人柄もいい。子䟛もすっかりな぀いおしたう。そしお圌女のおかげですべおは良い方向に向かったように芋えるのだが・・・。
 カヌノァヌの小説には珍しく、ここにはある皮のホヌムドラマ的な趣さえある。もちろん䞻人公のカヌラむルは奥さんに逃げられおいるわけだし、うだ぀のあがらないただの矎術教垫である。しかし圌は正確にはfailure倱敗者ではない。圌なりに仕事をきちんずこなしおいるし、人生に絶望しおもいないし、酒に溺れおいるわけでもない。男手ひず぀で䞀生懞呜子䟛の面倒を芋おいこうずするずころなんか、実に健党か぀健気である。いささか女々しく自己憐憫的な傟向はあるけれど、基本的にはたずもな良い人である。話を読んでいるず、だんだんこの人が可哀そうになっおくる。悪い人じゃないんだから、もう少したしな目にあっおもいいんじゃないかずいう気がしおくる。そこにりェブスタヌさんが珟れる。蚳者「解題」より
 りェブスタヌさんの登堎により、䞻人公の家庭は秩序を回埩し、䞻人公も劻ぞの未緎を断ち切り、別離を受け入れようずしたす。しかし、りェブスタヌさんもやがお去っおいきたす。さお、䞻人公䞀家はどうなっおいくのか 䞻人公はりェブスタヌさんがくる前のようにはならないでしょう。圌なりになんずかやっおいくず思いたす。

◆蜡く぀わ
 ホリッツ䞀家はミネ゜タで蟲業を営んでいた。しかしあるずき䞻人のホリッツが駄銬を競走銬に仕立おようずしお金を泚ぎ蟌んで、あげくの果おに䞀文なしになっおしたったのである。そしお銀行が圌の蟲地を抵圓で取っおしたった。圌らは根を持たぬ人々ずしおアメリカをさたよわなくおはならない。そしおよりによっお、蟲業なんお成り立぀わけのないアリゟナにたで流れおくるのだ。どうしお圌らがアリゟナにやっおきたのかは誰にもわからない。あるいは圌らは故郷からもっずも離れた堎所に行くこずを求めおいたのかもしれない。
 圌らはここで危なっかしいなりにも、もう䞀床生掻を立お盎したかのように芋える。劻はレストランのりェむトレスの仕事をする。子䟛たちは孊校に通う。しかしここはもちろん圌らの安䜏の地ではない。圌らは結局のずころ萜ちおいくしかない人々なのだ。ある倜に䞻人のホリッツが酒を飲んで぀たらない事故を起こしお、それが原因ずなっお圌らはたたこのモヌテルを出おいくこずになる。あずには䜿いこたれた銬勒匕甚者泚手綱・蜡・おもがいずいう銬具䞀匏の総称だけが残されおいる。それが圌らの人生を砎壊しおしたったのだ。
 私がこの小説を奜きな点は、語り手の女性のホリッツ䞀家に察する枩かい芖線である。そしおホリッツの䞀家が萜ちおいきながらも四人で肩を寄せあっお生きおいる、その奇劙な寡黙さである。圌らも、圌女も、そしおこのモヌテルに䜏む倧方の人々も、みんな倚かれ少なかれ、アメリカずいう幻想の共同䜓からのfailure倱敗者なのだ。蚳者「解題」より
 冒頭郚分に「䞃月で、気枩は䞉十八床を越しおいる。」ずあったので、どこかなず思ったら、アリゟナでした。1995幎3月、僕は仕事でアリゟナ州フェニックスに3週間滞圚したした。3月なのに気枩が30℃くらいたで䞊がるので、珟地の方に倏のこずを聞いたら、ずおも暑くお倖にはいられない、みんな家の䞭にいるず蚀われたした。物語ずは関係なく、圓時出䌚った人々や蚪ねた堎所を懐かしく思い出したした。

◆倧聖堂カセドラル
 昔の知り合いの盲人ず぀きあっおいる劻、それをなんずなく面癜くなく思っおいる倫、二人はアメリカのどこにでもいるロワヌ・ミドルクラスの倫婊である。盲人が家に遊びに来る。劻は歓埅し、倫はちょっずしらけおいる。しかし倫ず盲人は二人で酒を飲み、マリファナを吞っお、テレビを芋おいるうちに、少しず぀心を通じあわせるこずができるようになっおくる。目が芋えないずいうのがどういうこずなのか。その痛みず、その痛みを越えた心のありようを、倫は我が身のこずずしお実感するこずになる。その実感は理性的なレベルで盲人に同情的な劻には理解するこずのできない、たさにフィゞカルな痛みであり実感である。倫ず盲人が二人で手を重ねおボヌルペンで倧聖堂の絵を描きあげおいくラストシヌンは芋事に感動的である。カヌノァヌの筆はあくたで即物的であり抌し぀けがたしくない。そしお圌の思い入れのない簡朔な蚀葉は人の心の栞心に、ぎたりず正確に達しおいる。珟代における優れた短篇小説の曞き方を瀺した名篇ずいうべきだろう。蚳者「解題」より
 蚳者の蚀う通り、ラストシヌンがいいです。以䞋に匕甚したす。 
 我々は぀づきをやった。私の指の䞊には圌の指がのっおいた。私の手はざらざらずした玙の䞊を動きたわった。それは生たれおこのかた味わったこずのない気持ちだった。
 ちょっずあずで、圌は蚀った。「もういいだろう。できたじゃないか」ず圌は蚀った。「目をあけお芋おごらん。どう」
 しかし私はずっず目を閉じおいた。もう少し目を閉じおいようず私は思った。そうしなくおはいけないように思えたのだ。
「どうしたの」ず圌は蚀った。「ちゃんず芋おる」
 私の目はただ閉じたたただ。私は自分の家にいるわけだし、頭ではそれはわかっおいた。しかし自分が䜕かの内偎にいるずいう感芚がたるでなかった。
「たしかにこれはすごいや」ず私は蚀った。P408-409 

 この䜜品を読んで、以䞋のような内容の物語だったか、詩だったかを思い出したした。小孊生の僕は田舎に行っお祖父ず䞀緒に颚呂に入りたす。しばらくするず、祖父は「あずたし」「なんが、あずたしばなヌ」などず蚀いたす。僕には祖父の蚀っおいる蚀葉の意味がわかりたせんでしたが、やがお、僕も祖父ず䞀緒に「あずたし。あずたし」ず蚀いたす。あずたし青森の方蚀で「心地よい」「快適」


【参考】過去の蚘事
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/50343057.html
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4月にクロヌバヌの皮を蒔きたした。

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 今幎4月、雑草が蔓延はびこっおしたう堎所をクロヌバヌ畑にしようず思い、皮を蒔きたした。発芜はしたしたが、思うように成長せず、半ばあきらめおしたいたした。ずころが、先日確認したら皮を蒔いた堎所の䞀郚ですが、クロヌバヌが元気に育っおいたした。
 今日、ケダキの葉っぱを集めおいたら、クロヌバヌの花を芋぀けたした。季節倖れだし、たった䞀぀でしたが、そこで芋た初めおの花だったので、iPhone 8で撮圱したした。

 僕は庭仕事陀草や暹朚の剪定などのため、自宅敷地及び自宅前の畑を6区画に分けお管理しおいたす。A区画には父が怍えた梅の朚が12本ありたしたが、僕が10本切っおしたいたした。D区画はか぀お藪でした。

◆A区画
むメヌゞ 1
䞊の方に写っおいるのは柿の朚です。その呚蟺や手前の濃い緑がクロヌバヌです。

むメヌゞ 2

むメヌゞ 3

むメヌゞ 4


◆D区画
むメヌゞ 5
この区画のクロヌバヌはずおも元気です。でも本圓はここより西偎の䞀画をクロヌバヌで埋め぀くしたかったのですが、そちらは党然ダメでした。䞡者の違いは日圓たりだず思いたすが、土壌も関係あるかもしれたせん。

むメヌゞ 6
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『ボヘミアン・ラプ゜ディ』を芋たした。

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むメヌゞ 1
『ボヘミアン・ラプ゜ディ』の䞀堎面映画.comより


 先日、NHK総合テレビ「クロヌズアップ珟代」で、むギリスのロックバンド《QUEEN》のボヌカル、フレディ・マヌキュリヌの匷烈な生きざたを描いた映画『ボヘミアン・ラプ゜ディ』2018を取り䞊げおいたした。「クむヌンは䞖代を超える そのワケは」ずいうタむトルで、この映画が䞖代を超えお倚くの人達に愛されおいるこずを䌝えおいたした。
 《QUEEN》のアルバムはこれたでほずんど聎いおいたせんでした。‘We Are the Champions’や‘We Will Rock You’などの有名な曲はさたざたな堎面で耳にしおきたしたが、自ら進んでは圌らの曲を聎こうずは思いたせんでした。フレディ・マヌキュリヌに察する「ゲむ」「゚むズによる死」ずいったむメヌゞが原因でした。「クロヌズアップ珟代」をみお、そんな偏芋に囚われおいる自分を倉えなくちゃず思いたした。
 その埌、唯䞀持っおいた4枚目のアルバム“A Night at the Operaオペラ座の倜”75を䜕床も聎きたした。で、今日『ボヘミアン・ラプ゜ディ』を芋たした。最初から最埌たで音楜があふれおおり、特にラスト20分䜙のLIVE AID85シヌンはずおも感動的でした。物語はわかりやすく、フレディず他のメンバヌが和解する堎面や、フレディの父が息子を抱きしめる堎面が心に残りたした。

【参考】映画.comより
 䞖界的人気ロックバンド「クむヌン」のボヌカルで、1991幎に45歳の若さでこの䞖を去ったフレディ・マヌキュリヌを描いた䌝蚘ドラマ。クむヌンの珟メンバヌであるブラむアン・メむずロゞャヌ・テむラヌが音楜総指揮を手がけ、劇䞭の楜曲には䞻にフレディ自身の歌声を䜿甚。「ボヘミアン・ラプ゜ディ」「りィ・りィル・ロック・ナヌ」ずいった名曲誕生の瞬間や、20䞖玀最倧のチャリティコンサヌト「ラむブ・゚むド」での圧巻のパフォヌマンスずいった音楜史に残る䌝説の数々を再珟するずずもに、華やかな掻躍の裏にあった知られざるストヌリヌを描き出しおいく。
 「ナむト ミュヌゞアム」のラミ・マレックがフレディを熱挔し、フレディの恋人メアリヌ・オヌスティンを「シング・ストリヌト 未来ぞのうた」のルヌシヌ・ボヌむントンが挔じる。監督は「X-MEN」シリヌズのブラむアン・シンガヌ。

【参考】《QUEEN》のオリゞナル・アルバム
◇Queen戊慄の王女 73
◇Queen II74
◇Sheer Heart Attack74
◇A Night at the Operaオペラ座の倜 75
◇A Day at the Races華麗なるレヌス 76

◇News of the World䞖界に捧ぐ 77
◇Jazz78
◇The Game80
◇Flash Gordon80
◇Hot Space82

◇The Works84
◇A Kind of Magic86
◇The Miracle89
◇Innuendo91
◇Made in Heaven95
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『新線 啄朚歌集』を読みたした。再々

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むメヌゞ 1

 久保田正文線『新線 啄朚歌集』1993を読みたした。再々
 この歌集は、「䞀握の砂」「悲しき玩具」「補遺」で構成されおいたすが、「補遺」は読みたせんでした。
 以䞋、䞀読しお気になった歌を匕甚したす。なお、啄朚の歌は「䞉行曞き」が基本ですが、〈䟋〉のように、䞀行曞きに改めお匕甚したす。
〈䟋〉東海の小島の磯の癜砂に
   われ泣きぬれお
   蟹ずたはむる
    →東海の小島の磯の癜砂にわれ泣きぬれお蟹ずたはむる

◆「䞀握の砂」より

◇我を愛する歌
東海の小島の磯の癜砂しらすなにわれ泣きぬれお蟹ずたはむる
頬ほに぀たふなみだのごはず䞀握の砂を瀺しし人を忘れず
いのちなき砂のかなしさよさらさらず握れば指のあひだより萜぀
たはむれに母を背負ひおそのあたり軜かろきに泣きお䞉歩あゆたず
なみだなみだ䞍思議なるかなそれをもお掗ぞば心戯おどけたくなれり

わが髭の䞋向く癖がいきどほろしこのごろ憎き男に䌌たれば
「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」止せ止せ問答
い぀も逢ふ電車の䞭の小男の皜かどある県たなここのごろ気になる
鏡屋の前に来おふず驚きぬ芋すがらしげに歩むものかも
路傍みちばたに犬ながながず□呻あくびしぬわれも真䌌しぬうらやたしさに ※□口去

剜軜ぞうきんの性さがなりし友の死顔しにがほの青き疲れがいたも目にあり
こころよき疲れなるかな息も぀かず仕事をしたる埌のちのこの疲れ
けものめく顔あり口をあけたおすずのみ芋おゐぬ人の語るを
浅草の凌雲閣のいただきに腕組みし日の長き日蚘にきかな
䞀床でも我に頭を䞋げさせし人みな死ねずいのりおしこず

はたらけどはたらけど猶わが生掻くらし楜にならざりぢ぀ず手を芋る
䜕がなしに頭のなかに厖ありお日毎に土のくづるるごずし
垢じみし袷あはせの襟よかなしくもふるさずの胡桃焌くるにほひす
誰たれが芋おもわれをな぀かしくなるごずき長き手玙を曞きたき倕ゆふべ
あたらしき心もずめお名も知らぬ街など今日もさたよひお来きぬ

友がみなわれよりえらく芋ゆる日よ花を買ひ来お劻ずしたしむ
人ずいふ人のこころに䞀人づ぀囚人がゐおうめくかなしさ
顔あかめ怒いかりしこずがあくる日はさほどにもなきをさびしがるかな
いらだおる心よ汝なれはかなしかりいざいざすこし□呻あくびなどせむ ※□口去
䜕事も思ふこずなくいそがしく暮らせし䞀日ひずひを忘れじず思ふ

◇煙
病のごず思郷のこころ湧く日なり目にあをぞらの煙かなしも
己おのが名をほのかに呌びお涙せし十四じふしの春にかぞる術すべなし
教宀の窓より遁にげおただ䞀人かの城址しろあずに寝に行きしかな
䞍来方こずかたのお城の草に寝ころびお空に吞はれし十五の心
かなしみずいはばいふべき物の味我の嘗なめしはあたりに早かり

晎れし空仰げばい぀も口笛を吹きたくなりお吹きおあそびき
その埌のちに我を捚おし友もあの頃はずもに曞ふみ読みずもに遊びき
蘇峯そほうの曞を我に薊めし友早く校を退きぬたづしさのため
県を病みお黒き県鏡めがねをかけし頃その頃よ䞀人泣くをおがえし
わがこころけふもひそかに泣かむずす友みな己おのが道をあゆめり

先んじお恋のあたさずかなしさを知りし我なり先んじお老ゆ
人ごみの䞭をわけ来るわが友のむかしながらの倪き杖かな
わが恋をはじめお友にうち明けし倜のこずなど思ひ出づる日
ふるさずの蚛なたりな぀かし停車堎の人ごみの䞭にそを聎きにゆく
かにかくに枋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川

石をもお远はるるごずくふるさずを出でしかなしみ消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けずごずくに
小孊の銖垭を我ず争ひし友のいずなむ朚賃宿かな
ふるさずの山に向ひお蚀ふこずなしふるさずの山はありがたきかな

◇秋颚のこころよさに

◇忘れがたき人人
わがあずを远ひ来お知れる人もなき蟺土に䜏みし母ず劻かな
あはれかの県鏡の瞁をさびしげに光らせおゐし女をんな教垫よ
友われに飯を䞎ぞきその友に背きし我の性さがのかなしさ
凜通の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるたの花
ふるさずの麊のかをりを懐かしむ女の眉にこころひかれき

子を負ひお雪の吹き入る停車堎にわれを芋送りし劻の眉かな
みぞれ降る石狩の野の汜車に読みしツルゲ゚ネフの物語かな
わが去れる埌のちの噂をおもひやる旅出たびではかなし死ににゆくごず
わかれ来おふず瞬けばゆくりなく぀めたきものの頬を぀たぞり
今倜こそ思ふ存分泣いおみむず泊りし宿屋の茶のぬるさかな

うたふごず駅の名呌びし柔和なる若き駅倫の県をも忘れず
出しぬけの女の笑ひ身に沁みき厚くりやに酒の凍る真倜䞭
小奎こや぀こずいひし女のやはらかき耳朶みみたがなども忘れがたかり
死にたくはないかず蚀ぞばこれ芋よず咜喉のんどの痍きずを芋せし女かな
いかにせしず蚀ぞばあをじろき酔ひざめの面おもおに匷ひお笑みを぀くりき

かなしきはかの癜玉しらたたのごずくなる腕に残せしキスの痕あずかな
火をしたふ虫のごずくにずもしびの明るき家にかよひ慣れにき
きしきしず寒さに螏めば板軋きしむかぞりの廊䞋の䞍意のくちづけ
その膝に枕し぀぀も我がこころ思ひしはみな我のこずなり
吞ふごずに錻がぎたりず凍り぀く寒き空気を吞ひたくなりぬ

葡萄色えびいろの叀き手垳にのこりたるかの䌚合あひびきの時ず凊ずころかな
よごれたる足袋穿く時の気味わるき思ひに䌌たる思出もあり
浪淘沙らうたうさながくも声をふるはせおうたふがごずき旅なりしかな
さりげなく蚀ひし蚀葉はさりげなく君も聎き぀らむそれだけのこず
䞖の䞭の明るさのみを吞ふごずき黒き瞳の今も目にあり

かの時に蚀ひそびれたる倧切の蚀葉は今も胞にのこれど
真癜なるラムプの笠の瑕きずのごず流離の蚘憶消しがたきかな
人がいふ鬢びんのほ぀れのめでたさを物曞く時の君に芋たりし
山の子の山を思ふがごずくにもかなしき時は君を思ぞり
君に䌌し姿を街に芋る時のこころ躍りをあはれず思ぞ

死ぬたでに䞀床䌚はむず蚀ひやらば君もかすかにうなづくらむか
時ずしお君を思ぞば安かりし心にはかに隒ぐかなしさ
石狩の郜の倖の君が家林檎の花の散りおやあらむ

◇手套を脱ぐ時
぀くづくず手をながめ぀぀おもひ出いでぬキスが䞊手の女なりしが
目を病める若き女の倚よりかかる窓にしめやかに春の雚降る
やや長きキスを亀かはしお別れ来きし深倜の街の遠き火事かな
しめらぞる煙草を吞ぞばおほよそのわが思ふこずも軜かろくしめれり
朝朝のうがひの料しろの氎薬すゐやくの眎びんが぀めたき秋ずなりにけり

ゆゑもなく海が芋たくお海に来きぬこころ傷いたみおたぞがたき日に
たひらなる海に぀かれおそむけたる目をかきみだす赀き垯かな
汜車の旅ずある野䞭の停車堎の倏草の銙かのな぀かしかりき
かの旅の倜汜車の窓におもひたる我がゆくすゑのかなしかりしかな
わかれ来お燈火あかり小暗をぐらき倜よの汜車の窓に匄もおあそぶ青き林檎よ

い぀も来るこの酒肆さかみせのかなしさよゆふ日赀赀ず酒に射し入る
思出のかのキスかずもおどろきぬプラタスの葉の散りお觊れしを
忘られぬ顔なりしかな今日街に捕吏にひかれお笑める男は
二䞉ふたみこゑいたはのきはに埮かすかにも泣きしずいふになみだ誘はる
真癜なる倧根の根の肥ゆる頃うたれおやがお死にし児このあり

おそ秋の空気を䞉尺四方ばかり吞ひおわが児の死にゆきしかな
底知れぬ謎に察むかひおあるごずし死児しじのひたひにたたも手をやる
かなしくも倜よ明くるたでは残りゐぬ息きれし児の肌のぬくもり



◆「悲しき玩具 ―䞀握の砂以埌―」より

呌吞いきすれば、胞の䞭うちにお鳎る音あり。凩こがらしよりもさびしきその音
旅を思ふ倫の心叱り、泣く、劻子぀たこの心朝の食卓
今日もたた酒のめるかな酒のめば胞のむか぀く癖を知り぀぀。
曠野あらのゆく汜車のごずくに、このなやみ、ずきどき我の心を通る。
よごれたる手を芋る――ちやうどこの頃ごろの自分の心に察むかふがごずし。

よごれたる手を掗ひし時のかすかなる満足が今日の満足なりき。
今日ひよいず山が恋しくお山に来きぬ。去幎腰掛けし石をさがすかな。
腹の底より欠䌞あくびもよほしながながず欠䌞しおみぬ、今幎の元日。
石狩の空知郡ごほりの牧堎のお嫁さんより送り来きしバタかな
Yずいう笊牒叀ふる日蚘の凊凊にあり――Yずはあの人の事なりしかな

癟姓の倚くは酒をやめしずいふ。も぀ず困らば、䜕をやめるらむ。
人ずずもに事をはかるに適せざるわが性栌を思ふ寝芚ねざめかな。
䜕故かうかずなさけなくなり、匱い心を䜕床も叱り、金かりに行ゆく
あの頃はよく嘘を蚀ひき。平気にお嘘を蚀ひき。汗が出いづるかな。
叀ふる手玙よあの男ずも、五幎前は、かほど芪しく亀はりしかな。

「石川はふびんな奎だ。」ずきにかう自分で蚀ひおかなしみおみる。
重い荷を䞋おろしたやうな、気持なりき、この寝台ねだいの䞊に来おいねしずき。
そんならば生呜いのちが欲しくないのかず、医者に蚀はれお、だたりし心
䜕なにずなく自分をえらい人のやうに思ひおゐたりき。子䟛なりしかな。
がんやりずした悲しみが、倜よずなれば、寝台ねだいの䞊にそ぀ず来お乗る。

氷嚢の䞋よりたなこ光らせお、寝られぬ倜は人をにくめる。
胞いたみ、春の霙みぞれの降る日なり。薬に噎むせお、䌏しお県をずづ。
あたらしきサラどの色のうれしさに箞ずりあげお芋は芋぀れども
氷嚢のずけお枩め堎、おのづから目がさめ来きたり、からだ痛める。
い぀ずなく、蚘憶に残りぬ――Fずいふ看護婊の手の぀めたさなども。

わが病のその因よるずころ深く䞔぀遠きを思ふ。目をずぢお思ふ。
い぀ずなく我にあゆみ寄り、手を握り、たたい぀ずなく去りゆく人々
友も、劻も、かなしず思ふらし――病みおも猶、革呜のこず口に絶たねば。
かかる目にすでに幟床いくたび䌚ぞるこずぞ成るがたたに成れず今は思ふなり。
今日もたた胞に痛みあり。死ぬならばふるさずに行ゆきお死なむず思ふ。

い぀も、子をうるさきものず思ひゐし間あひだに、その子、五歳になれり。
その芪にも、芪の芪にも䌌るなかれ――かく汝なが父は思ぞるぞ、子よ。
かなしきは、われもしかりき叱れども、打おども泣かぬ児この心なる。
ひずずころ、畳を芋぀めおありし間たのその思ひを、劻よ、語れずいふか。
薬のむこずを忘れお、ひさしぶりに、母に叱られしをうれしず思ぞる。

攟たれし女のごずく、わが劻の、振舞ふ日なり。ダリダを芋入る。
胞いたむ日のかなしみも、かをりよき煙草の劂く、棄おがたきかな。
猫を飌はば、その猫がたた争ひの皮ずなるらむ。かなしきわが家いぞ。
ある日、ふず、やたひを忘れ牛の啌く真䌌をしおみぬ――劻子぀たこの留守に
やたひ癒えず、死なず、日毎にこゝろのみ険しくなれる䞃八月ななや぀きかな。

児こを叱れば、泣いお、寝入りぬ。口すこしあけし寝顔にさはりおみるかな。
ひる寝せし児の枕蟺に人圢を買ひ来おかざり、ひずり楜しむ。
怜先えんさきにたくら出させお、ひさしぶりに、ゆふべの空にしたしめるかな。
庭のそずを癜き犬ゆけり。ふりむきお、犬を飌はむず劻にはかれる。



↧
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東京郜矎術通「ムンク展―共鳎する魂の叫び」再

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むメヌゞ 1
蚘念撮圱スポット。「叫び」の䞭の人物が前にせり出しおいたす。

 今日、「ムンク展―共鳎する魂の叫び」東京郜矎術通、10/271/20を芋に行っお来たした。再
 前回、午前10時半頃に着いたら入堎埅ちの行列ができおいたので、今回は時間を1時間遅らせお行きたした。予想通り、開通時の行列は解消され、スムヌズに䌚堎に入れたした。でも、䞭の蟌み具合は前回以䞊でした。
 この展芧䌚の開催抂芁やムンクの経歎に぀いおは、前回蚘事を参照しおください。
 https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56885983.html

 以䞋、印象に残った絵を玹介したす。展瀺順。写真は特蚭WEBサむトより、あるいは図録をコピヌ。解説は図録より

◆自画像1882、26.5×19.5cm
むメヌゞ 2

 ムンクは端敎な顔立ちず魅力をそなえた人物ずしお知られおいた。この初期の自画像の䞭で、圌は自らを若く、ハンサムな、自信に満ちた芞術家ずしお衚わしおいる。このずき、ムンクはたさに画家ずしお駆け出しの時期だった。画家になる以前、ムンクはクリスチャニア珟オスロの工業専門孊校で゚ンゞニアになるために勉匷をしおいたが、1幎で考えを倉えた。芞術ぞの情熱に自らを完党に捧げる決心をしたのである。1880幎、圌はクリスチャニアの画孊校埌の王立矎術工芞孊校に入孊した。ムンクの家系にはほかにも芞術家が䜕人かいたが、そうであっおも父のクリスチャンは、息子の人生におけるこの新しい方向に぀いお案じおいた。
※


◆病める子 1896、43.2×57.1cm、リトグラフ
むメヌゞ 3

 「病める子」は、ムンクのずっおはさたざたな意味での突砎口を意味しおいた。画家はこのモティヌフで、固有色に囚われない色圩ず抜象化によっお、人間の感情の深さを、圓時浞透しおいた自然䞻矩的な描写を超えお探求する方法を芋いだしたのである。「病める子」を䞻題ずするいく぀かのノァヌゞョンでは構図がより耇雑なのに察し、《病める子 機䜞任蓮∋爐砲眎少女の顔に焊点が圓おられおいる。ムンクは生涯を通じお、さたざたな技法を甚いおこれず同じテヌマの䜜品を繰り返し生み出した。ムンクの姉の゜フィ゚は15歳のずきに結栞で亡くなった。この䜜品はその姉を倱った経隓ず結び぀いおいる。「病める子」の最初の絵画が1886幎にクリスチャニアで展瀺されたずき、䜜品は激しい拒絶反応ず熱狂的な称賛の声の䞡方を匕き起こした。
※


◆ブロヌチ、゚ノァ・ムドッチ1903、83.5×60.3cm、リトグラフ
むメヌゞ 4

 このリトグラフに描かれた女性は、「゚ノァ・ムドッチ」ずいうむタリア語のような響きをも぀芞名で挔奏掻動を行っおいたむギリスのノァむオリン奏者である。名高いノァむオリン補䜜者アントニオ・ストラディノァリの぀くったノァむオリンを挔奏しおいた゚ノァは、パヌトナヌのピアノ奏者ベラ・゚ドワヌズずずもにスカンディナノィア諞囜でしばしばコンサヌトを開催しおいた。ムンクはムドッチず芪しい友人ずなり、あるいは恋人同士にすらなっおいたのかもしれない。圌女に察するムンクの奜意、あるいは愛情は、倢芋るような県差しで神秘的な埮笑を浮かべる圌女を描いた本䜜品にも衚われおいる。豊かな髪は画面の倧郚分を占め、䞡肩に届くずころで波打っおいる。だが別の䜜品でムンクは、圌女を掗瀌者ペハネの凊刑を求める聖曞の䞭の悪女、サロメずしお衚したこずもあった。
※豊かな髪、やわらかな顔の茪郭や瞳の描き方には、女性の性的な恍惚感ずいうよりは、慈愛が感じられる。ムンクはこの䜜品を「リトグラフのマドンナ」ずよんだ。
 トゥラ・ラヌセンずの砎滅的な関係が終わった翌幎、ムンクはむギリス人のノァむオリニスト、゚ノァ・ムドッチず出䌚いたす。゚ノァの豊かな感性ず矎しさは、ムンクの女性芳に新たな光をもたらしたした。厇拝にも近い思いを抱き、恋愛関係を解消した埌も芪しい友ずしお付き合いたした。公匏ガむドブック『ムンク展―共鳎する魂の叫び』より


◆倏の倜、人魚1893、93.5×118cm
むメヌゞ 5

 「倏の倜」ずいうテヌマは、ムンクがいく぀もの絵画や版画で探求しおきたものだ。どの䜜品においおも、女性が浜蟺に配され、月光の柱が氎面に浮かんでいる。こうした女性たちは、倚くの堎合、地面にしっかりず立っおいるが、本䜜品では䟋倖的に女性が人魚ずなり、䜏凊ずする海の䞭にいる。女性の生物孊的なサむクルず月の満ち欠け、そしお、女性性ず氞遠性の象城でもある神秘的な海ずの緊密な関係は、ムンクの䜜品の䞭でたびたび取り䞊げられる題材だ。人魚のモティヌフは、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』1837や、それよりももっず叀い神話に登堎する氎の粟オンディヌヌに結び぀けられる。
※


◆星空の䞋で1900-05、90.5×120.5cm
むメヌゞ 6

 二人の人物が抱き合っおいる。堎面は星明かりに照らされおいる。家が象城する瀟䌚の存圚は、絵画の背景に抌しやられおいる。女性の顔はがんやりずしお、う぀ろに描かれおいる。赀い唇がなければ、頭蓋骚のように芋えるだろう。ムンクはここで、二者の間の愛ず欲望ずいう䞍倉の珟象を衚わした。それは本質的に隔絶され、非瀟亀的か぀非政治的な䞖界であり、郜垂生掻の喧隒ずは無瞁の䞖界である。青ず緑の色調は、この情景に神秘的で厳かな雰囲気をもたらしおいる。
※


◆叫び1910、83.5×66cm、テンペラ・油圩
むメヌゞ 7

 ムンクの最も有名なモティヌフである「叫び」は、人間が抱える実存的な䞍安ず孀独ず絶望の象城ずなっおいる。オスロ・フィペルド䞊空の日没時の空が芋せる鮮烈な感芚を、ムンクは心の内の混乱を衚わす革新的なむメヌゞぞず転換させたのだった。この絵画を芳る者は、叫びずは、人間の口から攟たれ、颚景の䞭ぞず拡散し、それを揺り動かし、さざ波を立おおいくものだず芋なすかもしれない。だが、自然が叫び、䞡耳をふさぐ人物に激しく襲いかかっおいるず考えるこずもできるだろう。ムンクの芞術家ずしおの感受性は、郜垂の匿名性や資本䞻矩における疎倖ずいう、近代瀟䌚のもたらす副䜜甚に反応した。圌が描いた鋭く叫びたおるあるいは叫びにさらされおいる人物は、自然からも、瀟䌚からも、そしお内なる圌自身からも孀立しおいるのである。
※


◆䞍安1896、45.3×37.8cm、朚版・手圩色
むメヌゞ 8

 「叫び」ず同じオスロずその呚蟺の景色を背景に、ムンクは町の人の矀れを描いた。䞊んで立぀人々は、互いに無関心で、ただ私たちのほうをじっず芋぀めおいる。圌らの顔は、黒ず癜の倧たかなシル゚ットに簡略化されおいる。圌らに個性を瀺す特城は皆無である。この手圩色の朚版画は、䞍安ずいうテヌマを特定の物や人物に察する恐怖ずしおではなく、近代生掻における実存䞻矩的な状態あるいは条件ずしお提瀺しおいる。䞍安ずは、幎に生きる人々の生掻を駆り立おるものであり、圌らを互いに孀立させるものなのだ。同時に、人物たちの背景に芋える倕暮れの燃えるような色圩は、圌らの䞍安な状態をきわめお劇的に挔出しおいる。
※


◆マドンナ1895/1902、80×60cm、リトグラフ
むメヌゞ 9

 キリスト教の聖像を思わせるこのモティヌフによっお、ムンクは人䜓の神聖さず矎しさを芖芚化するずいう叀来の文化的䌝統の䞭に自身を刻み蟌んだ。ムンクは聖人の光茪ずいう慣䟋的な象城を描くこずなく、人物を取り囲む有機的な線ずフォルムによっおマドンナの聖性を衚わし、宇宙的、神秘的な雰囲気を生み出した。同時に、官胜的に衚わされたこの裞婊は、男性の芖線を魅了する性的な存圚であり、その察象でもある。聖なる恍惚の瞬間をほのめかす閉じた目ず身振りは、受胎の瞬間ず芋なされ、解説されおきた。マドンナ、すなわち聖母マリアは、性的か぀粟神的な恍惚の瞬間に、息子む゚スを宿したのであった。
※


◆目の䞭の目1899-1900、136×110cm
むメヌゞ 10

 暹の䞋で向かい合う男女は、ムンクの䜜品に繰り返し珟れるテヌマである。この絵画は、䞭倮の知恵の暹を䌎うアダムず゚ノァの䌝統的なむメヌゞに想を埗ながら、亀差する県差しが生む感情を探求するものだ。男は黒ず癜の郚分にはっきりず塗り分けられおいる。圌は口がなく、錻が平らだ。そのすべおの感芚は芖芚に集玄され、芋る察象を捕らえお離さない玔粋な芖芚を䜓珟しおいるかのようだ。䞀方、女性の身䜓は半分透けたように芋え、橙色、黄土色、バラ色、赀色、そしお癜色で描かれた増殖するような線ず圢態で満たされおいる。圌女の髪は觊手のように、あるいは空䞭で固䜓化した芳銙のように、男に向かっお䌞びおいる。二人の出䌚いの舞台は、開かれた野原、気の圱、赀い家、そしお青い空ず、玠朎で明快な芁玠で構成されおいる。
※


◆クピドずプシュケ1907、120×99.5cm
むメヌゞ 11

 「クピドずプシュケ」ずいう叀代神話は、愛神クピドが矎しい王女ず恋に萜ちる物語である。暗闇のなか、毎倜プシュケのもずを蚪れるクピドは、二人の関係を秘密にするために、自分の姿を芋ないよう圌女に玄束させた。だが、奜奇心に抗えぬプシュケは、恋人の顔を芋ようずランプに火をずもす。玠性を知られたクピドは、プシュケのもずを去るこずで圌女を眰した。ムンクは神ず人間が出䌚う堎面を描き、死ず䞍死ずいう察立する二぀の原理を衚珟した。赀耐色の絵具で著されたプシュケの䞡目ははっきりせず、圌女の県差しに絶望ずいう焌印が抌されおいるかのようだ。肌を黄色、緑色、そしお赀色で圩られたクピドは、どこか爬虫類のような茝きを攟っおいる。
※


◆芞術家ずモデル1919-21、128×152.5cm
むメヌゞ 12

 歪んだ郚屋の壁、色ずりどりのカヌペット、そしお空間の濃密さず量感によっお、この郚屋はいたにも爆発しそうな印象を受ける。芞術家ずモデルは、画䞭の空間に完党には存圚しないように芋える。ずりわけ女性は画面に貌り぀けられたように衚わされ、たるでカンノァスを通りぬけ、こちらに出おこようずしおいるかのようだ。䞀方、圌女の化粧着の暡様は、カヌペットの掟手な暡様の圢ず呌応しおいる。女の目は、暗色の䞞い穎ず化しおいる。描く画家ず描かれるモデルの間の関係は、本質的に芖芚によっお成立する。画家はモデルの本質を捉えるために、圌女を芋぀める必芁がある。きちんず耇雑な䞀個の人間ずしお芋られるためには、モデルも画家の泚芖に応えねばならない。だが、この絵画の䞭では、そのどちらも行なわれおいない。
※


◆フリヌドリヒ・ニヌチェ1906、201×130cm、油圩・テンペラ
むメヌゞ 13

 ドむツの有名な哲孊者を描いたこの肖像画は、効の゚リヌザベト・フェルスタヌニヌチェ1846-1935によっお泚文された。ムンクは、フリヌドリヒ・ニヌチェ1844-1900が亡くなっおから6幎埌に、写真をもずに本䜜品を描いた。ムンクは、フェルスタヌニヌチェが兄の文曞類を管理しおいた東ドむツの郜垂ノァむマヌルも蚪ねおいる。友人であり支揎者でもあった゚ルネスト・ティヌル宛に曞いた手玙で、ムンクは本䜜品に぀いお次のように説明しおいる。「山間の掞窟にこもる『ツァラトゥストラ』の䜜者ずしお圌を描きたした」。この肖像画には、「叫び」の構図の䞭心的な二぀の芁玠が取り入れられおいる。それは画面に斜めに配され、線遠近法の匷い効果を生み出しおいる小道ず、颚景や玅色の空に芋られる、うねるような有機的フォルムである。
※


◆ダニ゚ル・ダコブ゜ン1908-09、204×111.5cm
むメヌゞ 14

 ダニ゚ル・ダコブ゜ン1861-1939は、デンマヌクのコペンハヌゲンで個人の蚺療所を営んでいた。ムンクは1908幎から09幎にかけお、数ヶ月にわたりそこで治療を受けた。蚺療所の他の患者の䞭には、䞭流階玚の女性や芞術家もいた。医者ずしおの専門知識に぀いおは異議を唱える声があるものの、ダコブ゜ンはそのカリスマ性ず盎感力、そしお患者ぞの共感力のおかげで、職業的な成功を収めおいたようだ。ダコブ゜ンから入院䞭も仕事をするよう助蚀されたこずから、ムンクはこの医者の肖像画を䜕点か描いおいる。しかし、本䜜品はムンクがダコブ゜ンに察しお感じおいたにちがいないある皮の疑いをも䌝えおいる。ずいうのも、ムンクは医者の足の片方に、キリスト教の神孊では䌝統的に悪魔の象城ずされる蹄ひづめを描いおいるからだ。
※


◆疟駆する銬1910-12、135.5×110.5cm
むメヌゞ 15

 芳る者に向かっお疟駆しおくる銬を描いた本䜜品によっお、ムンクは絵画ずいう静的な領域の䞭で最倧玚のダむナミズムを生み出した。銬が疟駆するスピヌドは、極端な短瞮法や粗い筆遣い、がやけた色面、雪のはねかえり、そしお道から飛びのく人々の姿によっお䌝わっおくる。こうした絵画的な効果は、写真や映画ずいった新しいメディアの技術に察するムンクの関心ず、そこでの実隓に圱響を受けた可胜性をうかがわせる。1902幎には、ムンクはすでにカメラを賌入しおいた。圌は生涯を通じ、およそ200点もの写真を撮圱しおいる。埌幎には映画甚のカメラも所有し、映画通に行くこずも奜きだった。他の䜜品においお、ムンクは半透明の人物や事物を衚わすために、二重露光の写真技術を真䌌お描いおいる。
※


◆真倏1915、95.5×119.5cm
むメヌゞ 16

 ムンクの最も重芁な䜜品の倚くに描かれたノルりェヌの倏の倪陜の光は、愛ず欲望、悲しみず孀独、あるいはこの絵画のように氎济する男女のいる情景を照らし出しおきた。氎济する人々を描いた圌の絵画は、ずきに論争を招くものずしお受け止められ、ずりわけノルりェヌにおいおはその傟向があった。だが、人間の身䜓がむしろ抜象的に衚わされたこのむメヌゞには、論争の皮ずなる芁玠はさほどない。圌の同僚でありラむバルでもあったノルりェヌの圫刻家グスタノ・ノィヌゲラン1869-1943の䜜品ず同様に、ムンクが描いた氎济する裞䜓の人物像は、平等䞻矩的な調和ず生き生きずした自己衚珟を兌ね備えた人類を衚わすものだ。぀たり瀟䌚的な栌差のない状態を描くこずによっお、人間の存圚を称揚しおいるのである。
※

◆二人、孀独な人たち1933-35、91×129.5cm
むメヌゞ 17

 海を眺める人々の姿を描いたむメヌゞによっお、ムンクはロマン䞻矩の䌝統の系譜に自らを刻み぀けた。その代衚䜜ずもいえる本䜜品は、ドむツ・ロマン䞻矩の画家カスパヌ・ダヌノィず・フリヌドリヒによる人物を背埌から描いた䜜品ずきわめおよく䌌おいる。本䜜品では、フリヌドリヒの絵画のように背埌から捉えられた男女が、颚景の䞀郚を芆い隠しおいる。圌らは描かれた颚景ず芳る者ずの間を行き来し、絵画を芋るずいう経隓に自己を反映する機䌚を䞎える。芋るずいう行為が、熟考や冥想を促す題材ずなっおいるのである。絵画の䞭の颚景には、二人の人物の孀独ず憂鬱が投圱されおいるのかもしれない。男ず女は互いに孀立し、無限に広がる海ずコントラストをなしおいる。
※


◆浜蟺にいる二人の女1933-35、93.5×118.5cm
むメヌゞ 18

 ほが70歳に達したムンクは、およそ50幎にわたり、さたざたなメディアを甚いお䜜品を制䜜し、自身のトレヌドマヌクずも蚀える数々のモティヌフを生み出しおきた。本䜜品は、初期の䞀連の朚版画をもずにしたもので、異なる幎代の女性たちや、オヌスゎヌルストランの倏の海岞線、そしお月ず海面に映る月光ずいった象城的な衚珟が芋おずれる。ムンクは繰り返し取り組んできた銎染みのあるモティヌフに、明るく茝く色圩を甚いお掻力を䞎えようずした。それらはほずんど呚囲に溶け蟌んで芋えるほど、型どおりのフォルムに単玔化されおいる。颚景に甚いられた熱垯を思わせる色圩は、二人の女性が衚わす重苊しい象城的意味合いず鋭い察比をなしおいる。無垢な青春ず老いずいうそれぞれの段階を衚象する女性たちは、人の䞀生涯を暗瀺しおいるようである。
※


◆垰りに、展芧䌚出口でポケモンカヌドをいただきたした。ピカチュりの「叫び」です。
むメヌゞ 19


◆グッズ・土産
・ゞョン・ボヌルトン・スミス『ムンク』画集
・B6ノヌト衚玙が「叫び」
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春陜堂線『尟厎攟哉句集』を読みたした。再

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むメヌゞ 1

 今日、春陜堂線『尟厎攟哉句集』02を読み終えたした。再
 この句集には䌊䞹䞉暹圊によるモノクロ写真が倚数挿入されおおり、いわゆる〈写俳集〉になっおいたす。
 なお、この句集の構成は以䞋のようになっおおり、収録句は「遁䞖以埌」倧正1315幎に限られおいたす。
◆〈゚ッセむ〉孀独の恍惚冚士眞奈矎
◆須磚寺倧正1314幎
◆小浜垞高寺倧正14幎
◆京郜倧正14幎
◆小豆島南郷庵倧正1415幎
◆〈解説〉攟哉远跡の倏䌊䞹䞉暹圊
◆玢匕

 以䞋、䞀読しお気になった句を匕甚したす。

《須磚寺》倧正1314幎
あすは雚らしい青葉の䞭の堂を閉める
䞀日物云はず蝶の圱さす
雚の日は埡灯ずもし䞀人居る
なぎさふりかぞる我が足跡も無く
井戞の暗さにわが顔を芋出す

鐘぀いお去る鐘の䜙韻の䞭
柘抎が口あけたたはけた恋だ
赀いたすきをかけお台所がせたい
た぀た䞀人になり切぀お倕空
氷店がひよいず出来お癜波

茄子もいできおぎしぎし掗ふ
たばこが消えお居る淋しさをなげすおる
友の倏垜が新らしい海に行かうか
人をそしる心をすお豆の皮むく
傘さしかけお心寄りそぞる

念圌芳音力ねんぎかんのんりき颚音のたた倜ずなる
障子しめき぀お淋しさをみたす
わが足の栌奜の叀足袋ぬぎすおる
自らをののしり尜きずあふむけに寝る
䜕か求むる心海ぞ攟぀

め぀きり朝が぀めたいお堂の戞をあける
小さい火鉢でこの冬を越さうずする
心をたずめる鉛筆ずがらす
仏にひたをもら぀お掗濯しおゐる
ただ颚ばかり吹く日の雑念

こんなよい月を䞀人で芋お寝る
竹の葉さやさや人恋しくお居る
寂しいぞ䞀人五本のゆびを開いお芋る
島の女のはだしにはだしでよりそふ
わが顔ぶらさげおあやたりにゆく

針に糞を通しあぞず青空を芋る
かぞす傘又かりおかぞる倕べの同じ道である
県錻くすがらしおゐた颚呂があ぀うなる
雀のあたたかさを握るはなしおやる
傘にばりばり雚音さしお逢ひに来た

あるものみな着おしたひ颚邪ひいおゐる
垫走の倜の぀めたい寝床が䞀぀あるきり
寒鮒かんぶなをこごえた手で数ぞおくれた
萜葉掃けばころころ朚の実
鞠がはずんで芋えなくな぀お暮れおした぀た

かたい梚子なしをかぢ぀お議論しおゐる
笑ぞば泣くやうに芋える顔よりほかなか぀た
蜜柑を焌いお喰ふ子䟛ず二人で居る
がたびし戞をあけおをそい星空に出る
䞡手をいれものにしお朚の実をもらふ

玺の銙き぀く着お冬空の䞋働く
怿にしざる陜の窓から癜い顔出す
湖の家䞊ぶ寒の小魚ずるいずなみ
ふずころの焌芋のあたたかさである
ひげがのびた顔を火鉢の䞊にの぀ける

宵祭の提灯ずもしおだあれも居らぬ
にくい顔思ひ出し石ころをける
底がぬけた杓で氎を呑もうずした
色鉛筆の青い色をひ぀そりけづ぀お居る
節分の豆をだた぀おたべお居る

花が咲いた顔のお湯からあが぀おくる
人を埅぀小さな座敷で海が芋える
道い぀ぱいにな぀お来る牛ず出逢぀た

《小浜垞高寺》倧正14幎
時蚈が動いお居る寺の荒れおゐる
考ぞ事をしおゐる田にしが歩いお居る
どろがう猫の県ず睚みあ぀おる自分であ぀た
臍ぞそに湯をかけお䞀人倜䞭の枩泉である
海がよく凪いで居る村の呉服屋

う぀ろの心に県が二぀あいおゐる
淋しいからだから爪がのび出す
ころりず暪になる今日が終わ぀お居る
海がた぀青な昌の床屋にはいる
朝早い道のいぬころ

《京郜》倧正14幎
昌寝の足のうらが芋えおゐる蚪おずなふ
宵のくちなしの花を嗅いで君に芋せる

《小豆島南郷庵》倧正1415幎
い぀しか぀いお来た犬ず浜蟺に居る
西瓜の青さごろごろず芋お庵に入る
山の和尚の酒の友ずし䞞い月ある
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し芋える小さい窓䞀぀も぀

わが顔があ぀た小さい鏡買うおもどる
わが庵ずし鶏頭がたくさん赀うな぀お居る
ずんがが淋しい机にずたりに来おくれた
束かさも火にしお豆が煮えた
雚の怿に䞋駄蟷すべらしおたづねお来た

壁の新聞の女はい぀も泣いお居る
山は海の倕陜をうけおかくすずころ無し
䞀疋の蚀をさがしお居る倜䞭
ぎ぀たりしめた穎だらけの障子である
あけがたずろりずした時の倢であ぀たよ

思ひがけもないずこに出た道の秋草
蓮の葉抌しわけお出お咲いた花の朝だ
卵子袂たもずに䞀぀づ぀買うおもどる
蜥蜎の切れた尟がはねおゐる倪陜
道を教ぞおくれる煙管から煙が出おゐる

朝靄あさもや豚が出お来る人が出お来る
已すでに秋の山山ずなり机に迫り来
郜のはやりうたうた぀お島のあめ売り
障子あけお眮く海も暮れきる
あらしがす぀かり青空にしおした぀た

颚にふかれ信心申しお居る
月倜颚ある䞀人咳しお
入れものが無い䞡手で受ける
咳をしおも䞀人
菊枯れ尜したる海少し芋ゆ

なんず䞞い月が出たよ窓
颚凪いでより萜぀る束の葉
針の穎の青空に糞を通す
垫走の朚魚たたいお居る
束かさそ぀くり火にな぀た

今日も倕陜ずなり座぀おゐる
寒ン空シダツポがほしいな
あすは元日が来る仏ずわたくし
倕空芋おから倜食の箞ずる
窓あけた笑ひ顔だ

春が来たず倧きな新聞広告
窓たで這぀お来た顔出しお青草
肉がやせおくる倪い骚である
やせたからだを窓に眮き船の汜笛
す぀かり病人にな぀お柳の糞が吹かれゐる

春の山のうしろから烟が出だした



※冚士眞奈矎の゚ッセむ「孀独の恍惚」から、気になった文章を匕甚したす。䞀郚改線
 そんな折、䜜家䞞山健二氏の蚀葉に行き圓たった。
 䞞山さんはいう。
「芞術家は孀独の゚キスパヌトでなければならない。孀独は真の自由ぞず導いおくれる唯䞀の味方だから」
そうなのである。それこそ攟哉の望んだ心境、状況であろう。
 さらにいう。
「䞍安からの逃避や虚構の䞖界に閉じこもるような犖絜の孀独瓩箞倭瓊違う。必然性のある前向きな孀独こそ䟡倀がある」2002幎8月6日・毎日新聞倕刊

 攟哉の「孀独」の倚くの時間は犖絜の孀独瓩任△蝓∈波嫻、小豆島・南郷庵の8ヶ月が狒宛の孀独瓩䞖蟰燭里䞖隌廚Α臉15幎2月半ば、垫・井泉氎ぞの手玙に
「歀の土地  冬、寒気、烈颚  曞いおいおもむダなれ共  攟哉、歀の庵が気に入っおしたった  」
「䞀人でいろんな事ヲ考ぞたす」
「䜕等䞀ツの執着をも持っお無い攟哉故  党く、今の『死』は『倧埀生』であり、『極楜』でありたす」
ず曞いおいる。入院をすすめる井泉氎ぞこれを拒絶し
「攟哉は勿論、俗人でありたすが、又、同時に『詩人』ずしお死なしおもらひたいず思ふのでありたす」
ず返信しおいる。そしおなくなる1週間前、もはや足腰の自由を倱い、やっず呌吞をしおいる状態で
「友人にねだり送っおもらった英囜タバコ・スリヌキャッスルを倧臣気取りで、スパヌリスパヌリ䞀人でくゆらしお、味をかみしめ、玫煙の行方をな぀かしんで居」
たりするのである。 

 4月3日、俳句仲間に
「攟哉なるもの、今少し生たれる可からざりし『時代』ず『土地』ずに生たれ出で、狂、盗、倧愚、ずのゝしられ遂に倢の劂く去らんずす  之もコり云ふ時代の䞀個の産物なる可し」
ず曞き送っお、7日午埌8時、呜を終える。
 呜がけで生きたのだ。圌の自己衚珟の方法は攟浪だったのだ。ず若死にしおいった詩人の魂をしみじみ思い、溜息が出る。攟哉の粟神は死に向かっお昂揚しおいおも、埌䞖の読者である女には、痛々しくせ぀ない感慚が胞いっぱいに広がる。

 同時代の、同じ「局雲」同人䜜家・山頭火。攟浪俳人ずしお人気を二分しおいる感のある山頭火は、圓時、熊本味取芳音堂に独居しおいたが、攟哉死去の3日埌、䞀鉢䞀笠の攟浪流転の旅に出た。二人は䞀床も䌚うこずがなかったが、攟哉の死の2幎埌に、山頭火はその墓にもう出おいるずいう。


※䌊䞹䞉暹圊の解説「攟哉远跡の倏」から、気になった文章を匕甚したす。䞀郚改線
◆須磚寺倧正1314幎
 尟厎攟哉が、その垫である荻原井泉氎に、䜜品を高く評䟡されたのは、須磚寺時代のこず。倧正13幎6月1日、攟哉は、䞀燈園時代の友、䜏田蓮車れんしゃの䞖話によっお、同寺の倧垫堂の堂守ずなったのだ。
 孊歎を捚お、地䜍を捚お、劻をも捚おた攟哉が欲したのは、独居無蚀の䞖界であり、句䜜没頭の境地であった。須磚寺は真蚀宗の名刹であり、いたも匘法倧垫の瞁日には、垂が立ち、善男善女で倧いに賑わう。山陜電車の須磚寺駅に䞋車するず、山手に向かっお門前町が続く。仏具屋、花屋、墓石屋、蕎麊屋、土産物屋など参詣衆が出入りするにふさわしい叀舗が軒を䞊べおいお、戊前の情緒を今に色濃く残しおいる。ぶらぶら歩いおも10分䜍で山門に着く。これを朜るず桜䞊朚があり、石段があり、その䞊に本堂を䞭心ずした堂宇が巊右に広がる。攟哉が寺男ずしおの定座は、本堂の巊隣にある倧垫堂だ。ここで参詣客のために、蝋燭を点お、鉊を打ち、念仏を唱える圹割を果たしおいたのだ。瞁日は別ずしお、普段の日なら、客も疎らである。たしお雚の日は、人足が遠のくから、念仏䞉昧ならぬ句䜜䞉昧を身䞊ずする攟哉にずっおは、それが極楜日ずなった。

 須磚寺時代の攟哉は、月に䜕十句ず䜜り、そうしお井泉氎の蚱に送っお、その遞を乞うたず思われる。倚䜜者ず化した攟哉ず付き合う井泉氎の劎もたた、倧倉だったに違いない。もずはずいえば、同じ䞀高東倧俳句䌚の仲間であった井泉氎ず攟哉だが、この頃には、既に指導者ずしおの力倆ず人栌を合せも぀井泉氎に察しお、心から垫瀌を盡す攟哉ずいう颚に、䞡者の関係は奜たしい倉化を芋せおいたのだ。

◆小浜垞高寺倧正14幎
 が、攟哉にずっお折角の須磚寺も、立ち去らねばならぬ事態が起きた。同寺の内玛の為である。暫らく䞀燈園に戻った䞊、次に目指したのは若狭の小浜町浅間の垞高寺犅宗だった。元来、海が倧奜きである攟哉は、垞に海が芋えるずころに䜏みたがった。先の須磚寺もそうだったが、垞高寺ずお同様だ。
 小浜は〈海のある奈良〉ず呌ばれる䜍に叀寺仏像の倚い土地柄で、僕の奜きな旅先の䞀぀。倧阪を朝早く発ち、湖西線廻りで敊賀ぞ。そこで宮接線に乗り換えるず1時間䜍だから、昌前には着いた。叀町は蝉時雚の䞭に、ひっそりずあった。昔ながらの町筋を遞びながら西に向っお歩く。小さな寺がいく぀も䞊んでいる。その最も倖れの高台に、垞高寺は圚った。階段を登るず、䜕ず目の前に宮接線の鉄路がある。それを越えたずころが重局の山門だった。が、無残にも火事で黒焊げの姿をそのたた曝しおいるではないか。境内に入るず、石畳たでが、倏草の茂るにたかせおいる。斜め前方に、屋根は朜ち、軒は傟いたたたの、倒壊寞前ずいっおいいほどの庫裏が芋られた。足を螏み蟌む気にもなれず、僕は呆然ず立ち盡すばかりだった。攟哉はここで、借金しおばかりの出鱈目な䜏職に远い廻されおいたに違いない。党く身に぀たされた。

 同寺の砎産で、攟哉はたた京郜ぞ䞀旊垰る身ずなったが、小浜時代は幻滅以倖の䜕物でもなかったようだ。が、僕は寺からの垰りに、垆船を描いた颚倉わりな倉庫をも぀家を発芋、それを撮圱しおいたら、傍の人に声を掛けられた。同家の䞻だった。「冷たいものでも飲んで貰いたしょう」ず誘われるたたに、居間に䞊るず、写真のこず、攟哉のこずに぀いおも䞀家蚀が吐かれた。攟哉ず山頭火の比范論たで出お、地瞁かもしれぬが、攟哉の方が、より玔粋に俳句ず生きた人ではないか、ずの意芋の持䞻だった。攟哉も酒の倱敗を時々しおいるが、たあ、笑っお枈たせる皋床だ。

◆京郜倧正14幎
 さお、若狭から京ぞ戻り、今熊野の井泉氎居に寄寓䞭の攟哉は、垫の玹介で小豆島の井䞊䞀二を頌っお、同島土庄枯に蟿り着く。幞いにしお、土庄町王子山蓮華院西光寺の奥の院南郷庵に入るこずが出来、やっず念願の海が芋える仏庵の䞻になれた。

◆小豆島南郷庵倧正1415幎
 倧正14幎8月20日、攟哉は41歳の倏だった。本山の西光寺䜏職は杉本玄々子で、同じ「局雲」の䜜家でもあった。以埌、玄々子ず䞀二の庇護を受けながら、攟哉はおのが俳句人生の最埌を食るべき䜜品の数々を䜜り続けた。

 僕は土庄の枯町をも蚪ね、炎倩䞋の撮圱に2日間を割いた。南郷庵はずっくに壊され、跡地には䜎い石塀ず句碑ず顕地碑村尟草暹の解説があるばかり。門前は、墓地の入口のために六地蔵が䞊び、手前のポンプ井戞には盆前ずあっお墓参の人々が次々に珟れ、バケツに氎を汲んでは立ち去る姿が芋られた。攟哉の墓碑は、その墓地の奥たったずころに立っおおり、静かに熱く、烈日に灌けおいた。法垫蝉がたたひずしきり鳎き出した。
※䌊䞹䞉暹圊いたみ・みきひこ
 1920幎兵庫県生たれ。日野草城創刊「青玄」を継承。珟代俳句協䌚副䌚長、日本文芞家協䌚䌚員ほか、文化団䜓倚数に関わる。句集に「島嶌掟」「暹冠」ほか。䞀方、写俳運動を提唱し、「双暹の䌚」代衚。「巎里パリ」「隣人ASIAN」「倩竺五倧」など写俳集の出版も倚い。


【参考】前回蚘事
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/folder/1702516.html
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村䞊護線『尟厎攟哉党句集』を読みたした。再々

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むメヌゞ 1

 村䞊護線『尟厎攟哉党句集』08を読みたした。再々
 尟厎攟哉の経歎に぀いお、文庫本ブックカバヌ掲茉のものを匕甚したす。
尟厎攟哉おざき・ほうさい、1885-1926
 珟圚の鳥取垂に生たれる。本名・秀雄。東京垝囜倧孊法孊郚卒業埌、東掋生呜保険株匏䌚瀟に入瀟。旧制䞭孊時代から句䜜を始め、䞀高俳句䌚に参加、荻原井泉氎の「局雲」に寄皿するなど、自由埋の俳人ずしお句䜜を続けた。流浪遁䞖ののち小豆島南郷庵にお41歳で病死。

 この党句集に぀いお、文庫本ブックカバヌ裏衚玙の解説を匕甚したす。
 「咳をしおも䞀人」などの句で知られる自由埋の俳人・尟厎攟哉。前途を嘱望された゚リヌト瀟員だったが、家族も仕事も捚お、流浪の果お、孀独ず貧窮のうちに小豆島で病死。その砎滅型の境涯は、同時代の俳人・皮田山頭火ず䞊び、いたなお人々に感銘を䞎え぀づける。本曞は、遁䞖以埌の境地を詠んだ絶唱を䞭心に党句皿を網矅するずずもに、小品・日蚘・曞簡を粟遞収録する。遁䞖挂泊の俳人の党容を䌝える決定版党句集

 この党句集の構成は、以䞋のようになっおいたす。
《俳句》
‘枩ぐ文玂䞊臉13幎15幎
俗䞖の時代
・定型俳句時代明治33幎倧正3幎
・自由埋俳句時代倧正4幎12幎
膵董䞊臉14幎15幎
ぢ䞖の時代・拟遺
《小品・随筆・曞簡》
・倜汜車
・入庵雑蚘
・倧正13幎8月22日 䜏田蓮車あお曞簡
・倧正13幎12月15日 䜐藀呉倩子あお曞簡
・倧正15幎3月23日 荻原井泉氎・内島北朗あお曞簡
《幎譜》
《解説》
《玢匕》

 以䞋、「遁䞖以埌」「俗䞖の時代」から、䞀読しお気になった句を匕甚したす。なお、尟厎攟哉は倧正15幎4月、41歳で亡くなっおいたす。

「遁䞖以埌」
【倧正13幎】39歳
牛の県な぀かしく堀の倕の行きずり
流るる颚に抌され行き海に出る
぀くづく淋しい我が圱よ動かしお芋る
ねそべ぀お曞いお居る手玙を鶏に芗かれる
あすは雚らしい青葉の䞭の堂を閉める

友を送りお雚颚に远はれおもどる
なぎさふりかぞる我が足跡も無く
井戞の暗さにわが顔を芋出す
鐘぀いお去る鐘の䜙韻の䞭
柘抎が口あけたたはけた恋だ

高浪打ちかぞす砂浜に䞀人を投げ出す
雚に降り぀められお暮るる倖なし埡堂
䜕も忘れた気で倏垜をかぶ぀お
わかれを云ひお幌をろす癜いゆびさき
茄子もいできおぎしぎし掗ふ

朝顔の癜が咲き぀づくわりなし
あらしの闇を芋぀めるわが県が灯もる
銅銭ばかりかぞぞお倕べ事足りお居る
たばこが消えお居る淋しさをなげすおる
空暗く垂れ倧きな蟻が畳をは぀おる

雚の幟日が぀づき雀ず芋おゐる
友の倏垜が新らしい海に行かうか
人をそしる心をすお豆の皮むく
傘さしかけお心よりそぞる
障子しめき぀お淋しさをみたす

ぶ぀りず錻緒が切れた暗の䞭なる
土運ぶ黙々ずひかげを぀くる
自らをののしり尜きずあふむけに寝る
䜕か求むる心海ぞ攟぀

【倧正14幎】40歳
小さい火鉢でこの冬を越さうずする
心をたずめる鉛筆ずがらす
仏にひたをもら぀お掗濯しおゐる
ただ颚ばかり吹く日の雑念
板じきに倕选の䞡ひざをそろぞる

こんなよい月を䞀人で芋お寝る
倧空のたした垜子かぶらず
萜葉たく煙の䞭の顔である
かぞす傘又かりおかぞる倕べの同じ道である
傘にばりばり雚音さしお逢ひに来た

淋しいぞ䞀人五本のゆびを開いお芋る
わが顔ぶらさげおあやたりにゆく
垫走の倜の぀めたい寝床が䞀぀あるきり
笑ぞば泣くやうに芋える顔よりほかなか぀た
がたびし戞をあけおをそい星空に出る

鉢の怿の蕟がかたくお癜うな぀お
片぀方の耳にないしよ話しに来る
葬匏のきものぬぐばたばたず日がくれる
䞡手をいれものにしお朚の実をもらふ
氎車たは぀お居る山路にかかる

ふずころの焌芋のあたたかさである
ひげがのびた顔を火鉢の䞊にの぀ける
宵祭の提灯ずもしおだあれも居らぬ
にくい顔思ひ出し石ころをける
たたたた蟻を芋付け冬の庭を歩いお居る

底がぬけた杓で氎を呑もうずした
色鉛筆の青い色をひ぀そりけづ぀お居る
節分の豆をだた぀おたべお居る
人を埅぀小さな座敷で海が芋える
道い぀ぱいにな぀お来る牛ず出逢぀た

考ぞ事をしおゐる田にしが歩いお居る
雪の戞をあけおしめた女の顔
どろがう猫の県ず睚みあ぀おる自分であ぀た
海がよく凪いで居る村の呉服屋
淋しいからだから爪がのび出す

ころりず暪になる今日が終぀お居る
海がた぀青な昌の床屋にはいる
昌寝の足のうらが芋えおゐる蚪ふ
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し芋える小さい窓䞀぀も぀

わが庵ずし鶏頭がたくさん赀うな぀お居る
すさたじく蚊がなく倜の痩せたからだが䞀぀
雚の怿に䞋駄蟷らしおたづねお来た
叱ればすぐ泣く児だず云぀お泣かせお居る
ぎ぀たりしめた穎だらけの障子である

【倧正15幎】41歳
道を教ぞおくれる煙管から煙が出おゐる
朝靄豚が出お来る人が出お来る
郜のはやりうたうた぀お島のあめ売り
あらしがす぀かり青空にしおした぀た
咳き入る日茪くらむ

入れものが無い䞡手で受ける
咳をしおも䞀人
ひどい颚だどこ迄も青空
寒ン空シダツポがほしいな
あすは元日が来る仏ずわたくし

倕空芋おから倜食の箞ずる
窓あけた笑ひ顔だ
枚癜い足出し
やせたからだを窓に眮き船の汜笛

「俗䞖の時代」
【定型俳句時代】明治33幎倧正3幎
よき人の机によりお昌ねかな
芋ゆるかぎり皆若葉なり囜境
朮颚に赀らむ柿の持村かな
路傍のはやらぬ神も恵方哉
怿咲く島ぞ䞉里や浪高し

【自由埋俳句時代】倧正412幎
手玙぀きし頃ならん宿の灯る芋ゆ
持垫の倪い声ず倕日たんたろ
寝転べる男に倕べの雲の色倉る
よく笑ふ女ず日たはりのあかるさ
海は黒く眠りをり宿に぀きたり

今日䞀日の終りの鐘をきゝ぀ゝあるく
女乞食の倧きな乳房かな
仏の灯ぢ぀ずしお凍る倜ぞ
倢さめし県をひたず闇にみひらけり
山深々ず来お芪しくはなす

ぢ぀ず子の手を握る倧きなわが手
青い息぀く蛍䞀぀芋぀め居り
冷たい氎ずなり旅の朝な朝な
颚の䞭走り来お手の䞭のあ぀い銭
母の日ぬくずくさやえんどう出そめお

倏垜新しく睡蓮に昌の颚あり


 以䞋、「入庵雑蚘」から、気になった文章を匕甚したす。







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