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『一茶俳句集』を読みました。

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昨夜、『新訂 一茶俳句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。


◆寛政期
    時鳥(ほととぎす)我身ばかりに降雨か
    外は雪内は煤(すす)ふる栖(すみか)かな
    雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ
    更衣(ころもがへ)しばししらみを忘れたり
    秋の夜や旅の男の針仕事

    咬牙(はがみ)する人に目覚て夜寒哉
    思ふ人の側(そば)へ割込む巨燵(こたつ)哉
    初夢に古郷(ふるさと)を見て涙哉
    夏の暁(あけ)や牛に寐てゆく秣刈(まぐさかり)
    蛙(かはづ)鳴き鷄(とり)なき東しらみけり

    衣がへ替ても旅のしらみ哉
    義仲寺(ぎちゆうじ)へいそぎ候はつしぐれ
    忘れ旅をわするゝ夜も哉(がな)
    正月の子供に成(なり)て見たき哉
    もたいなや昼寝して聞(きく)田うへ唄

    満月に隣もかやを出たりけり
    ほたるよぶよこ顔過(よぎ)るほたる哉
    今さらに別(わかれ)ともなし春がすみ
    夏の雲朝からだるう見えにけり

◆享和期
    足元へいつ来りしよ蝸牛(かたつぶり)
    我(わが)星はどこに旅寐(たびね)や天の川
    年已(すで)に暮んとす也旅の空

◆文化前期
    春立(たつ)や見古したれど筑波山
    通り抜(ぬけ)ゆるす寺也春のてふ
    こつこつと人行過(ゆきすぎ)て花のちる
    福蟾(ふくびき=ヒキガエル)ものさばり出たり桃花(もものはな)
    旅人にすれし家鴨(あひる)や杜若(かきつばた)

    淋しさに蠣殻(かきがら)ふみぬ花卯木(うつぎ)
    冷し瓜二日たてども誰も来(こ)ぬ
    我星は上総の空をうろつくか
    うろたへな寒くなる迚(とて)赤蜻蛉(とんぼ)
    寝る外(ほか)に分別はなし花木槿(むくげ)

    わが春やタドン一ツに小菜(こな)一把
    三ケ月や田螺(たにし)をさぐる腕の先
    艸蔭(くさかげ)にぶつくさぬかす蛙哉
    朝やけがよろこばしいか蝸牛(かたつぶり)
    すき腹に風の吹(ふき)けり雲の峰

    舟引(ふなひき)の足にからまる螢哉
    酒冷すちよろちよろ川の槿(むくげ)哉
    木つゝきの死ネトテ敲(たた)く柱哉
    年よりや月を見るにもナムアミダ
    ひやうひやうと瓢(ひさご)の風も九月哉

    宵(よひ)々に見べりもするか炭俵
    人寄せぬ桜咲けり城の山
    陽炎(かげろふ)や寝たい程寝し昼の鐘
    時鳥(ほととぎす)火宅の人を笑(わらふ)らん
    ほちやほちやと藪蕣(やぶあさがほ)の咲にけり

    風吹(ふい)てそれから鴈(かり)の鳴にけり
    又人にかけ抜(ぬか)れけり秋の暮
    うしろから秋風吹(ふく)やもどり足
    梅干と皺(しわ)くらべせんはつ時雨(しぐれ)
    鰒(ふぐ)提(さげ)てむさしの行(ゆく)や赤合羽

    夕燕我には翌(あす)のあてはなき
    たまに来る古郷(こきやう)の月は曇りけり
    そば所と人はいふ也赤蜻蛉(とんぼ)
    行(ゆく)雲やかへらぬ秋を蝉の鳴(なく)
    越(こえ)て来た山の木(こ)がらし聞(きく)夜哉

    梅咲くやあはれことしももらひ餅
    雛祭り娘が桐も伸にけり
    いざゝらば死(しに)ゲイコせん花の陰
    うぐひすもうかれ鳴(なき)する茶つみ哉
    蠅打(はえうち)に敲かれ玉ふ仏哉

    秋立(たつ)や雨ふり花のけろけろと
    畠打(はたうち)の顔から暮るゝつくば山
    宵(よひ)祭大夕立(おほゆふだち)の過(すぎ)にけり

◆文化後期
    門々(かどかど)の下駄の泥より春立(たち)ぬ
    蝶とんで我身も塵(ちり)のたぐひ哉
    雪どけをはやして行や外郎売(うゐろうり)
    雪とけてクリクリしたる月よ哉
    ちる花や已(すで)におのれも下り坂

    花さくや欲のうき世の片隅に
    よるとしや桜のさくも小うるさき
    死支度(しにじたく)致せ致せと桜哉
    空豆の花に追(おは)れて更衣(ころもがへ)
    艸(くさ)そよそよ簾(すだれ)のそよりそより哉

    枯々(かれかれ)の野辺に恋する螽(いなご)哉
    行(ゆく)としや空の名残を守谷迄
    我(わが)春も上々吉(きち)よ梅の花
    初空へさし出す獅子の首(かしら)哉
    象潟(きさがた)や桜を浴(あび)てなく蛙(かはづ)

    春雨に大欠伸(おほあくび)する美人哉
    家根(やね)をはく人の立(たち)けり夕桜
    山吹をさし出し㒵(がほ)の垣ね哉
    蛼(こほろぎ)が㒵こそぐつて通りけり
    石仏(いしぼとけ)誰(たれ)が持たせし艸の花

    うつくしや雲雀の鳴(なき)し迹(あと)の空
    なく蛙溝のなの花咲(さき)にけり
    ついそこの二文(にもん)渡しや春の月
    夕立やけろりと立し女郎花(をみなへし)
    鹿の子の迹(あと)から奈良の烏哉

    よしきりや空の小隅(こすみ)のつくば山
    秋風やのらくら者のうしろ吹(ふく)
    そば時や月のしなのゝ善光寺
    鶏頭のつくねんとして時雨哉
    是(これ)がまあつひの栖(すみか)か雪五尺

    納豆の糸引張(ひつぱつ)て遊びけり
    かくれ家(や)や歯のない口で福は内
    かすむやら目が霞(かすむ)やらことしから
    春雨や喰(くは)れ残りの鴨が鳴(なく)
    手枕や蝶は毎日来てくれる

    泣(なく)な子供赤いかすみがなくなるぞ
    かしましや江戸見た厂(かり)の帰り様(やう)
    柳からもゝんぐわとて出る子哉
    春風に尻を吹(ふか)るゝ屋根屋哉
    寝るてふにかしておくぞよ膝がしら

    赤犬の欠伸(あくび)の先やかきつばた
    大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
    旅人や山に腰かけて心太(ところてん)
    とうふ屋が来る昼㒵(ひるがほ)が咲にけり
    うつくしやしやうじの穴の天の川

    あの月をとつてくれろと泣子哉
    人のためしぐれておはす仏哉
    長き夜や心の鬼が身を責(せめ)る
    冬枯や垣にゆひ込(こむ)つくば山
    炭舟や筑波おろしを天窓(あたま)から

    喰(くう)て寝てことしも今(こ)よひ一夜哉
    雪とけて村一ぱいの子ども哉
    正月や辻の仏も赤頭巾
    有様(ありやう)は我も花より団子哉
    我と来て遊ぶや親のない雀

    五月雨にざくざく歩く烏哉
    あら寒(さむ)や大蕣(あさがほ)のとぼけ咲(ざき)
    桐の木やてきぱき散(ちつ)てつんと立(たつ)
    へら鷺や水が冷たい歩き様(やう)
    青空に指で字をかく秋の暮

    独身(ひとりみ)や上野歩行(あるい)てとし忘(わすれ)
    大根引(だいこひき)大根で道を教へけり
    我上(わがうへ)にやがて咲(さく)らん苔(こけ)の花
    笋(たけのこ)のウンプテンプの出所(でどこ)哉
    早乙女の尻につかへる筑波哉

    堂守(だうも)りが茶菓子売(うる)也木下闇(こしたやみ)
    魚どもは桶としらでや夕涼
    留守にするぞ恋して遊べ菴(いほ)の蠅
    蛼(こほろぎ)のふいと乗けり茄子(なすび)馬
    秋風の一もくさんに来る家(や)哉

    夕月や涼(すずみ)がてらの墓参(まゐり)
    夜神楽や焚火(たきび)の中へちる紅葉(もみぢ)
    鴈(かり)よ厂(かり)いくつのとしから旅をした
    凧(たこ)抱(だい)たなりですやすや寝たりけり
    蕗の葉に煮〆(にしめ)配りて山桜

    なの花の中を浅間のけぶり哉
    痩蛙(やせがへる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)
    瓜西瓜(うりすいくわ)ねんねんころりころり哉
    スリコ木で蠅を追(おひ)けりとろゝ汁
    夏の虫恋する隙(ひま)はありにけり

    夜咄(ばなし)のあいそにちよいと蚊やり哉
    寝返りをするぞそこのけ蛬(きりぎりす)
    春雨や藪に吹(ふか)るゝ捨(すて)手紙
    寝て起(おき)て大欠伸(おほあくび)して猫の恋
    大の字に寝て見たりけり雲の峰

    さくさくと氷カミツル茶漬哉
    木がらしや木葉(このは)にくるむ塩肴(ざかな)

◆文政前期
    古郷はかすんで雪の降りにけり
    どんど焼どんどゝ雪の降りにけり
    つくばねの下ル際(きは)也三ケの月
    山の湯やだぶりだぶりと日の長き
    梅どこか二月の雪の二三尺

    傘さして箱根越(こす)也春の雨
    人に花大からくりのうき世哉
    山焼の明りに下る夜舟哉
    うす墨を流した空や時鳥(ほととぎす)
    わか葉して男日でりの在所哉

    木曾山に流入(ながれいり)けり天の川
    這へ笑へ二ツになるぞけさからは
    梅咲(さく)やしやうじに猫の影法師
    目出度さもちう位也おらが春
    土蔵からすぢかひにさすはつ日哉

    雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
    御仏(みほとけ)や寝てござつても花と銭
    時鳥なけや頭痛の抜(ぬけ)る程
    蟬なくやつくづく赤い風車
    迯(にげ)て来てため息つくかはつ蛍

    松のセミどこ迄鳴(ない)て昼になる
    木啄(きつつき)もやめて聞(きく)かよ夕木魚
    子を負(おう)て川越す旅や一(ひと)しぐれ
    蟷螂(たうらう)や五分の魂見よ見よと
    秋風やむしりたがりし赤い花

    木(こ)がらしや廿四文の遊女小屋
    雪ちるやおどけも云へぬ信濃空
    蛬(きりぎりす)身を売(うら)れても鳴(なき)にけり
    蚊屋つりて喰(くひ)に出る也夕茶漬
    歩(あるき)ながらに傘(からかさ)ほせばほとゝぎす

    山道の案内顔や虻(あぶ)がとぶ
    遠山が目玉にうつるとんぼ哉
    鬼灯(ほほづき)の口つきを姉が指南哉
    猫の子のくるくる舞やちる木のは
    大寒(おほさむ)と云(いふ)顔もあり雛(ひひな)たち

    田楽のみそにくつゝく桜哉
    京辺(みやこべ)や人がひと見て夕すゞみ
    やれ打(うつ)な蠅が手をすり足をする
    家なしがへらず口きく涼み哉
    朝顔や吹(ふき)倒されたなりでさく

    汁の実の足しに咲けりきくの花

◆文政後期
    歩行(あるき)よい程に風吹く日永(ひなが)哉
    ふらんど(=ぶらんこ)や桜の花をもちながら
    暑き日や火の見櫓(やぐら)の人の㒵(かほ)
    来る人が道つける也門(かど)の雪
    朝㒵(あさがほ)に涼しくくふやひとり飯(めし)

    薄壁や月もろともに寒が入(いる)
    木の陰や蝶と休むも他生(たしやう)の縁
    山寺は碁の秋里は麦の秋
    鰹一本に長家(ながや)のさわぎ哉
    朝㒵やうしろは市のやんざ声(=かけ声)

    秋立(たつ)といふばかりでも足かろし
    挑灯(てうちん)の灯(ひ)貰ひに出る夜永(よなが)哉
    送り火や今に我等もあの通り
    青空のきれい過たる夜寒哉
    田から田へ真一文字や十夜道

◆年次不詳

    名月や仏のやうに膝をくみ
    ばせを忌(=芭蕉忌)やことしもまめで旅虱(たびじらみ)
    留主札(るすふだ)もそれなりにして冬籠(ふゆごもり)



小林一茶
 1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
 一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。初め、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、一茶の俳号を用いるようになりました。
 29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。 
 一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしました。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きました。
 一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
 50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
 家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
 1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました。(一茶記念館HPより)

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