今夜、藤沢周平の『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』を読み終えました。この作品は、「針の光」「虚ろな家」「春の闇」「酔いどれ死体」「青い卵」「日照雨(そばえ)」「出合茶屋」「霧の果て」の8編からなる連作短編集です。
◆主人公は北町奉行所の定町廻り同心の神谷玄次郎。彼は次々に事件を解決していきますが、彼が最も知りたっかったのは14年前に母と妹が斬殺された事件の真相でした。それは最後の「霧の果て」で解明されますが、その時彼が述懐する場面が印象に残ります。
いずれはああいう姿になる運命だとは思いもしないで、人は権勢に奢り、富貴に奢って人もなげに振舞い、その地位や金を守るためにはひとを殺しもするのだ。 ――人間、おしなべてあわれということか。
◆この作品の解説は、俳優の故児玉清氏が書いています。彼に敬意を表し、解説の冒頭部分を引用させていただきます。
ここにまた一人の素敵なキャラクターが、あなたとの出逢いを待っている。僕もぞっこん惚れこんだその人の名は、神谷玄次郎。北町奉行所の定町廻りの同心である彼は、小石川竜慶橋に直心影流の道場をひらく酒井良佐の高弟という一流の剣の遣い手でもある。だから彼を味方にすれば、この上なく頼りになる頼もしい男だが、敵に回せば実に手強い相手となる。従って彼はそんじょそこいらにいるへなちょこ同心とはちがう筋金入りの武士なのだ。しかも、玄次郎の推理力は抜群で、卓越した勘とひらめき、さらには鋭い洞察力によって犯人(ほし)を追い詰めていく点でも、江戸に住む庶民にとってはまことに嬉しくも有り難い味方である優れた捕り方なのだが、問題はその彼の勤務態度だ。それにもうひとつつけ加えれば生活態度だ。