今日、中村文則の『何もかも憂鬱な夜に』(08)を読み終えました。
彼の作品を読むのは初めてでしたが、彼の作品をもっと読もうと思いました。
ストーリー等は以下の通りです。
彼の作品を読むのは初めてでしたが、彼の作品をもっと読もうと思いました。
ストーリー等は以下の通りです。
施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している――。どこか自分と似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。(ブックカバー裏表紙より)
◆もうすぐ30になる刑務官の「僕」は、彼が育った養護施設の施設長や高校時代の友人達、拘置所の主任、拘置所の収容者達と交流する中で、人間として、刑務官として成長していきます。現在と過去が行きつ戻りつしながらストーリーが展開します。主任が死刑制度について語る場面や自殺した友人・真下のノート、拘置所の収容者・佐久間の告白、殺人犯・山井の手紙など、とても読み応えがあります。
◆以下、気になった文章をいくつか引用します。
◇拘置所の主任の言葉から(P57-58) 「世間が騒げば死刑、騒がなければ死刑じゃない、というか……。何であれが死刑じゃないのに、こいつが死刑なんだ、という事件が色々あっただろ? 遺族感情は、大事にしなきゃ駄目だ。それは当然だ。だけど、遺族感情を考えてそいつに厳しい判決を出すようになると、結果的に、殺しても遺族がいない、たった一人で生きてきた人間を殺した時と、量刑が変わってくる……。それは、やっぱりおかしいだろ? 一人で生きてきた人間は、浮かばれないってことになる。同じ命なのに。俺が言いたいのは、死刑を、死刑を、もっと確かなものにして欲しいということだよ。マスコミや世間が騒ぐか騒がないかで、影響されるようじゃたまらない。……年齢だってそうだ。被害者からすれば、それが十七歳だろうが十八歳だろうが、関係ない。なのに、十八歳を一日でも過ぎれば死刑で、一日でも達してなければ死刑にできない。大体、十八歳ってなんだ」
◇友人・真下のノートから(P110-111) ……、僕はつらくなる。眠れない夜。どうしようもなくなる夜。自殺は、早朝に多いそうだ。それは理解できるような気がする。その夜をやり過ごしたら、また続いていけるのだろうか。 眠れなくて、つらい夜。そういう人たちが集まり、焚き火を囲み、同じ場所にいればいい。深夜から早朝にかけて、社会が眠っている中で、焚き火の明かりの元に、無数の影が集まればいい。そうやって、時間をやり過ごす。話したい人は話し、聞きたい人は聞き、話したくも聞きたくもない人は、黙ってそこにいればいい。焚き火は、いつまでも燃えるだろう。なにもかも、憂鬱な夜でも。
◇拘置所の収容者・佐久間の言葉から(P137-138) 「気がついたんですよ。四十の時、大きな病気をして、助かった時。……もう人生は、半分もないだろうと。自分の身体も衰えてくる。身体の衰えを考慮すれば、もう半分もないかもしれない……。元を取らなければ。虐げられてるばかりでなく、この世界に生まれてきたのなら、元を取らなければ」
◇「あの人」(養護施設の施設長)の言葉(P158) 「自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断するな」「自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない」
◆恵子の次の言葉にホッとします。
「あなたは……あの人になりたかったんだよ」(P164)
「あなたのそういうめちゃくちゃなところは、施設長に似てるよ」(P182)
「あなたは……あの人になりたかったんだよ」(P164)
「あなたのそういうめちゃくちゃなところは、施設長に似てるよ」(P182)