先日、ちくま文庫『尾崎放哉全句集』(村上護編)を読んだので、ついでに岩波文庫『尾崎放哉句集』(池内紀編)も読んでみました。以下、気になった句を引用します。
◆自由律以前(明治33年~大正3年)
見ゆるかぎり皆若葉なり国境
鯛味噌に松山時雨きく夜かな
煮凝や彷彿として物の味
灌仏や美しと見る僧の袈裟
舟中に雷を怖れぬ女かな
寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな
象に乗て小さき月に歩りきけり
焚きつけて妻は何処へ朝寒し
轡虫籠ふるはして鳴きにけり
盗まれし菊をいよいよ惜みけり
山茶花やいぬころ死んで庭淋し
あたゝかき炬燵を出る別れ哉
傾城の魂ぬけし昼寝かな
椿咲く島へ三里や浪高し
木犀に人を思ひて徘徊す
だらだらと要領を得ぬ糸瓜哉
秋の風我がひげを吹き我を吹く
秋日和四国の山は皆ひくし
春寒やそこそこにして銀閣寺
◆自由律以後(大正4~15年)
葱青々と寒雨つゞくかな
庭の緑にことごとく風ふれて行く
蔵戸あけられし海の風いつぱい
妻を叱りてぞ暑き陽に出で行く
道細々と山の深きへ続く
冷たい水となり旅の朝な朝な
密柑山の路のどこ迄も海とはなれず
風の中走り来て手の中のあつい銭
流るる風に押され行き海に出る
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
友を送りて雨風に追はれてもどる
雨の日は御灯ともし一人居る
なぎさふりかへる我が足跡も無く
柘榴が口あけたたはけた恋だ
高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて
茄子もいできてぎしぎし洗ふ
いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘
友の夏帽が新らしい海に行かうか
刈田で烏の顔をまぢかに見た
傘さしかけて心よりそへる
障子しめきつて淋しさをみたす
ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる
マツチの棒で耳かいて暮れてる
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
何か求むる心海へ放つ
めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける
小さい火鉢でこの冬を越さうとする
心をまとめる鉛筆とがらす
仏にひまをもらつて洗濯してゐる
ただ風ばかり吹く日の雑念
うそをついたやうな昼の月がある
酔のさめかけの星が出てゐる
考へ事して橋渡りきる
わがからだ焚火にうらおもてあぶる
こんなよい月を一人で見て寝る
かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である
門をしめる大きな音さしてお寺が寝る
傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
島の女のはだしにはだしでよりそふ
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
両手をいれものにして木の実をもらふ
ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける
にくい顔思ひ出し石ころをける
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
豆を煮つめる自分の一日だつた
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し見える小さい窓一つもつ
わが顔があつた小さい鏡買うてもどる
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
風邪を引いてお経あげずに居ればしんかん
ぴつたりしめた穴だらけの障子である
淋しい寝る本がない
月夜風ある一人咳して
咳き入る日輪くらむ
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
ひどい風だどこ迄も青空
◆句稿より(大正14~15年)
今日来たばかりの土地の犬となじみになつてゐる
あかるいうちに風呂をもらいに行く海が光る
冷え切つた番茶の出がらしで話さう
言ふ事があまり多くてだまつて居る
夜がらすに啼かれても一人
手からこぼれる砂の朝日
そうめん煮すぎて団子にしても喰へる
洗濯竿にはわがさるまたが一つ
叱られた児の眼に螢がとんで見せる
さゝつたとげを一人でぬかねばならぬ
天井のふし穴が一日わたしを覗いて居る
山ふところの風の饒舌
蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬだけが残つてゐる
欠伸して昼の月見付けた
初夏の女の足が笑ひかける
お客さんにこの風を御馳走しよう
何がたのしみに生きてると問はれて居る
すきな海を見ながら郵便入れに行く
今夜も星がふるやうな仏さまと寝ませう
のびあがつて見る海が広々見える
星がふるやうな火の見やぐら
お月さんもたつた一つよ
縁の下から猫が出て来た夜