昨夜、穂村弘のエッセイ集『世界音痴』(2002)を読み終えました。
本書について、文庫本ブックカバー裏面の解説を引用します。
本書について、文庫本ブックカバー裏面の解説を引用します。
末期的日本国に生きる歌人、穂村弘(独身、39歳、ひとりっこ、親と同居、総務課長代理)。雪道で転びそうになった彼女の手を放してしまい、夜中にベッドの中で菓子パンやチョコレートバーをむさぼり食い、ネットで昔の恋人の名前を検索し、飲み会や社員旅行で緊張しつつ、青汁とサプリメントと自己啓発本で「素敵な人」を目指す日々。〈今の私は、人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるのか、自分自身を使って人体実験をしているようなものだと思う。本書はその報告書である〉世界と「自然」に触れあえない現代人の姿を赤裸々かつ自虐的に描く、爆笑そして落涙の告白的エッセイ。
◆一秒で、
思い出すのは五年前に冬の札幌に行ったときのこと。凍った路上で恋人が足を滑らせた。その瞬間に、私は「わっ」と驚いて、繋いでいた手を放してしまったのである。支えを失った恋人は思いきり転倒した。そして、しばらく雪の上に転がったまま動くことができなかった。私はそんな彼女を呆然と見下ろしていた。(P25)「一秒」というより、「一瞬」で決まってしまいます。僕もとっさの判断ができなくて、いろいろ失敗しました。
◆あんパン
このエッセイとは関係ありませんが、僕の地元の《荒井パン店》のあんパンはとても美味しいです。
このエッセイとは関係ありませんが、僕の地元の《荒井パン店》のあんパンはとても美味しいです。
◆世界音痴
やがて座が盛り上がってくると、みんなは「自然に」席を移動しはじめる。自分のグラスを手に、トイレに立ったひとの席に「自然に」座っている。座られた方もごく「自然に」また別のところに異動して、その場所で新たな話の輪をつくっている。だが、私には最初に座った席を動くことが、どうしてもできない。(P30)僕も同様です。最近は最初のうちに注いでまわり、戻ったらあとはずっと自分の席というパターンです。
◆恋愛幽霊
女性との関係について、自分は常に完璧なものを求め続けてきたと思う。自分自身が穴だらけで不完全なのに、最初から完璧な相手との完璧な関係を求めている。いや、〈私〉が穴だらけだからこそ、完璧な関係を求めてしまうのである。結果は破綻の連続だ。そんな私の耳には「この世は一度きり、主人公は誰?」という囁きが常に聞こえている。私はその声に逆らうことができない。この世は一度きりだからこそ、一人の相手との関係を大事にしなくてはいけない、その不完全さを互いの協力で埋めてゆくのだ、という理屈はわかる。わかるのだが、どうしてもそれができない。恋愛においても、ひたすら自分かわいさだけを突き詰めてここまで来てしまった。(P43)
◆恋の三要素
恋の三要素は〈ときめき〉〈親密さ〉〈性欲〉だと、私は思っている。このうちふたつが維持できれば、その恋は続く。一般的には、時間の経過と共に〈ときめき〉と〈性欲〉の値は減少し、〈親密さ〉は増大する。二対一で不利なのである。 個人差はあるだろうが、私には三要素のうち〈親密さ〉しか、最終的には維持することができない。そういう場合でも、お互いが、残りのふたつ、〈ときめき〉と〈性欲〉に関する欲求を、他の対象に向けなければ恋は続く、と思う。だが、それが出来ない。すると、恋は壊れてしまうのである。 それは……当たり前だね? と友人は云った。うん、でも、〈ときめき〉と〈性欲〉に一生近づかないなんてことができるんだろうか。 (中略) だが、未知の〈ときめき〉に接する機会をゼロにすることは出来ない。ある程度の接近ならやり過ごせるが、至近距離になるともう駄目だ。 「この世は一度きり」という例の呪文が耳元で聞こえるのである。 「この世は一度きり」だからこそひとりの人との〈親密さ〉を大切に生きるのだ、と云う天使の声は、この〈ときめき〉を見逃したら死ぬときに後悔するぞ、と云う悪魔の声に消されてしまう。 〈親密さ〉をそっくり残したままの、恋の終わりは苦しい。(P76-78)なるほどと思える恋愛論に出会ったのは、スタンダールの『恋愛論』以来です。
◆七月の記憶
カレーライスに缶詰のパイナップル。筆者は〈甘さ〉のため否定的ですが、僕はパイナップル入りのフルーツカレーが大好きです。
カレーライスに缶詰のパイナップル。筆者は〈甘さ〉のため否定的ですが、僕はパイナップル入りのフルーツカレーが大好きです。
◆一九八三・四谷
四谷の大学に通うようになってからは、東京は日常的な生活の場所になった。実験レポートに追われる理系の学生に比べて、文学部の学生には自由な時間が沢山あった。素晴らしいことをしたければ、してもいいのだった。だが、何をどうしてよいか、私には判らなかった。未来に焦がれる余り〈今〉という時間は、限りなくいおろそかにされた。〈今〉を生きることの絶望的な困難さが、生のスポットライトを一瞬先の未来に逃がし続けたのかも知れない。 いずれにせよ一九八〇年代の東京という空間は、私にとって〈今〉をおろそかに生きるための舞台装置といってもいいものだった。命を燃やす生き方に手が届かないという焦燥感は、この巨大な装置によって刹那的でキナ臭い輝きに転化された。(P150-151)この表現がピッタリなわけじゃないけど、この文章を読んで僕も学生時代のことを思い出しました。この先どうなっていくのか、自分は何になれるのか、ずっと「宙ぶらりん」な心持ちでした。
◆ジム・ジャームッシュとうなぎ
ジム・ジャームッシュ監督の作品は、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)と『ダウン・バイ・ロー』(86)を観ましたが、その後は観ていません。
ジム・ジャームッシュ監督の作品は、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)と『ダウン・バイ・ロー』(86)を観ましたが、その後は観ていません。
【引用句一覧】( )に作者名がないものは穂村弘の作品
味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば(斎藤茂吉)
超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り
穴子来てイカ来てタコ来てまた穴子来て次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ(小池 光)
これなにかこれサラダ巻面妖なりサラダ巻パス河童巻来よ( 〃 )
まどろみのうちに抱いた石ひとつ磨きあがるころ蛇の新年(高柳蕗子)
置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月
ひら仮名は凄(すさま)じきかなはははははははははははは母死んだ(仙波龍英)
食後のむくすり十一種十三錠ひとつ足らぬといひて嘆かふ(小池 光)
編んだ服着せられた犬に祝福を 雪の聖夜を転がるふたり
「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士
黄昏のレモン明るくころがりてわれを容れざる世界をおもふ(井辻朱美)
いたみもて世界の外に佇(た)つわれと紅き逆睫毛(さかまつげ)の曼珠沙華(塚本邦雄)
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
甘い甘いデニッシュパンを死ぬ朝も丘にのぼってたべるのでしょう
朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
チューニング混じるラジオが助手席で眠るおまえにみせる波の夢
夏空の飛び込み台に立つひとの膝には永遠のカサブタありき
ねむるピアノ弾きのために三連の金のペダルに如雨露で水を
リトマス試験紙くわえて抱きあえばきらきらとゆく夜の飛行機
このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議
ハイジャック犯を愛した人質の少女の爪のマニキュアの色
卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け
終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
朝焼けの教会みたいに想いだす初めてピアスをあけた病院
「美」が虫にみえるのことをユミちゃんとミナコの前でいってはだめね
モーニングコールの中に臆病のひとことありき洗礼の朝
貘を喰ふメタ・貘のごとはろばろと群青天下しづかなりけり(坂井修一)
ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら(加藤治郎)
知んないよ昼の世界のことなんか、ウサギの寿命の話はやめて!
まほろばをつくりましょうね よく研いだ刃物と濡れた砥石の香り(東 直子)
森の中に出かけてゆくのわたしたちアーモンド・グリコを分けあいながら( 〃 )
バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ(加藤治郎)
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
朱の雪をおもへり太陽系内は不死とふ人の頭(かうべ)抱きつつ(水原紫苑)
風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月
死んでしまった仔猫のような黒電話抱えて歩む星空の下
冬。どちらかといえば現実の地図のほうが美しいということ
あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中
ルービックキューブが蜂の巣に変わるように親友が恋人になる
呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる
限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月
海はけふ傷のごとくに鮮しと告げくるひとをまぶしみてゐつ(大塚寅彦)