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井上靖『北の海』を読みました。

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今日、井上靖の『北の海』(68)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 幼少期から祖母に預けられ、家庭の雰囲気というものを知らずに育った洪作は、高校受験に失敗し、ひとり沼津で過ごす。両親がいる台北に行くべきだという周囲の意見をかわし、暇つぶしに母校へ柔道の練習に通ううちに、〈練習量がすべてを決定する柔道〉という四高柔道部員の言葉に魅了され、まだ入学もしていない金沢へ向かう。――『しろばんば』『夏草冬涛』につづく自伝的長編。(上巻)

 金沢の四高柔道部の夏稽古に参加し、練習する日々を過ごした洪作は、柔道のこと以外何も考えないという環境と、何よりも柔道部の面々が気に入り、受験の決意を固める。夏が終わると、金沢の街と四高柔道部の皆と別れ、受験勉強をしに両親のいる台湾へとひとり向かう。――柔道に明け暮れ、伊豆、金沢、神戸、台湾へと旅する、自由で奔放な青春の日々を鎮魂の思いを込めて描く長編小説。(下巻)

◆この作品は『しろばんば』(60)『夏草冬濤』(64)に続く、自伝三部作の第三作とされています。中学を卒業し沼津で浪人生活を送っていた洪作は、四高柔道部の「練習量がすべてを決定する柔道」に惹かれ金沢へ行きます。彼はそこで杉戸や鳶、大天井らと交流し、来年の四高受験を決意します。
 周囲の人たちから「ごくらくとんぼ」と言われていた洪作が、自らの進路を決め、淡い恋も経験します。この続編があったらよかったのにと思いました。

◆以下、気になった文章を引用します。
 旅は人生である。いや、人生は旅である、の方が本当であったかも知れぬ。が、どちらにしても同じようなものである。いま、ここに集まっている人たちは、それぞれお互いに未知の人たちである。たまたま、ある夏の朝、同じ列車に乗るために、ここで落合ったのである。が、やがて列車に乗ると、それぞれが思い思いの駅に下車して行く。
 ――離合集散。
 まことに人生は旅であり、旅は人生である、と思う。(上巻P362-63)
※「人生は旅である」という言葉はよく聞きますが、「旅は人生である」という言葉には新鮮さを感じました。主人公・洪作を語る上でとても適切な言葉だと思います。

「秋だなあ。――柔道部へはいってから、今夜初めて季節というものを感じたよ。四高に入学した時は春だったが、すぐ柔道部へ引っ張り込まれてしまったろう。とたんに春どころではなくなってしまった。それからいつ春が終わって、夏が来たか、そんなことを感じる暇はなかった。今夜初めて、季節を感じたよ。いいなあ。」
 杉戸は心の底から秋の近いことを感じている言い方をした。(下巻P170)
※昔、僕も似たような経験をしました。桜の季節なのに見る余裕がぜんぜんなくて、気がついたらハナミズキが色づいていました。

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