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山崎方代歌集『こんなもんじゃ』を読みました。

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先日、『現代短歌の鑑賞101』(99)を読み、山崎方代(1914-85)を知りました。もっと彼の短歌を読みたいと思い、歌集『こんなもんじゃ』(03)を購入しました。この歌集は彼の全短歌から413首を、制作年時を問わず任意に選び構成したものです。

以下、一読して気になった歌を引用します。

 寂しくてひとり笑えば卓袱台(ちゃぶだい)の上の茶碗が笑い出したり
 もう何も申しあげません夜は早く灯を消して眠るにしかず
 大きな波が寄せてくる 大きな笑いがこみあげてくる
 こおろぎが一匹部屋に住みついて昼さえ短いうたをかなでる
 住みついて鳴いてくれたるこおろぎも唄を忘れてしまったようだ

 こぬ人を待ちくらしているこの吾の背後と云えどのぞき給うな
 危うきかな一匹の白猫が闇に去ってゆく
 ある日ふと棚の上から音もなく帽子が落ちてころがれり
 さいわいは空の土瓶に問いかけるゆとりのようなもののようなり
 机の上に風呂敷包みが置いてある風呂敷包みに過ぎなかったよ

 いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮したくなる
 口ひとつきかずにいるといちにちがながいながい煙管(きせる)のようだ
 頭よりバケツをかむりバケツの穴の箇所捜しおる
 顔面に畳のあとをはりつけて真昼の小屋に寐とぼけている
 人生はまったくもって可笑しくて眠っている間のしののめである

 それもまた忘れさられてゆくものかことりことりと土を踏む音
 埋没の精神ですよゆったりと糸瓜(へちま)は蔓にぶらさがりおる
 まばたけるわがまなそこに映えているなべてのものは過去に過ぎない
 虫眼鏡四つ重ねてさがしおるさがしあぐねているていたらく
 'かさかさになりし心の真ん中へどんぐりの実を落してみたり

 甕の中覗いてみると薄明り春の夕がとけこんでいた
 卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり
 かたわらの土瓶もすでに眠りおる淋しいことにけじめはないよ
 こんなにも湯吞茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
 さりげなく茶碗を置きぬかくばかりこころくばりて生きねばならぬ

 へり黒き湯のみ茶碗を遠ざけて眺めておれば日が暮れてゆく
 ときのまに死ねば死ねると云うことのかかるおごりを持ってぞ生くる
 ねむの木のこのしなやかな弾力にゆだぬることを許し給えよ
 コップの中にるり色の虫が死んでおるさあおれも旅に出よう
 おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ

 今日は今日の悔を残して眠るべし眠れば明日があり闘いがある
 さりげなく茶を呑み下すことすらもつかわるるものの抵抗なり
 あきらめは天辺(てっぺん)の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる
 働かねば生きねばならぬ運命をある夕ぐれどきに思うよ
 しあわせは朝の寐覚めにもどかしく放つくしゃみの中にありたり

 死ぬほどの幸せもなくひっそりと障子の穴をつくろっている
 さびしいから灯をともし傍らの土瓶の顔をなでてやりたり
 ぼそぼそとめし屋の飯を一人食うわが顔色を誰がうかがう
 行く先をもたざるわれも夕方になればせわしく先をぞ急ぐ
 皿の上にトマトが三つ盛られおるその前におれがいる驚きよ

 三日目も雨は止まないくらがりに貧乏ゆすりをして待っている
 夜中に風が出て来た それで凡てが終ったようだ
 夕日の中をへんな男が歩いていった俗名山崎方代である
 冬の日が遠く落ちゆく橋の上ひとり方代は瞳(め)をしばだたく
 しみじみと三月の空ははれあがりもしもし山崎方代ですが

 湘南の線路の中を帰りゆく方代さんは元気なりけり
 愛用の麻の洋服をとり出して五月の風を入れている
 宿無しの吾の眼玉に落ちて来てどきりと赤い一ひらの落葉
 その中の鈴の一つは泣いているめくらの耳が強くとらえり
 つかのまのつかのまなれど冬の日が左の頬をすこしなぶりぬ

 太陽の真下に立てばまつわれるきびしきかげもかげをひそめる
 こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた
 秋が来て夕日が赤い来年もこんな夕日にあいたいものだ
 うす墨の枠をつけたる一枚のハガキの中に君はありたり
 手のひらをかるく握ってこつこつと石の心をたしかめにけり

 手の内にあたたまりたる石ころは風雨にたえて来たる石なり
 さらさらと川は流れて石のみがじっと止まっておりにけるかも
 ころがっている石ころのたぐいにて方代は今日道ばたにあり
 たとうれば小石も星もおなじうして吾は只ひとり行かねばならじ
 足もとの石ころばかりに気をとられ歩き疲れて来てしもうたよ

 ひっそりと坐っていると月が出て畳のへりを照らして去った
 ふりむくと己れの影がついて来る月かげなれど味方でもある
 教会の屋根の上にもすてられし下駄の上にも雪は降りつむ
 降りやみし雪うすうすと受け止めし朴の葉っぱのそのやさしさよ
 大切な一日である起き出して冬の空気をはりたおす

 一本の傘をひろげて降る雨をひとりしみじみ受けておりたり
 今日もまた雨は止まない耳の穴釘の頭を入れて出しおる
 かぎりなき雨の中なる一本の雨すら土を輝きて打つ
 そして夜は雨が激しく降ってきてただ暗がりにひとり寝るだけ
 冷えし茶のにがきを啜り終る如とあたふたと消えてゆかねばならぬ

 ここ過ぎてうれいは深し西行の歌の秘密はいまも分からない
 両の手をむなしく組みているわれに一年は過ぎ二年は過ぎ
 じぶんの火はじぶんでつけよう何ゆえか年四十を積み重ねたる
 何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず
 男五十にして立たねばならぬめんめんと辞書をひきひき恋文を書く

 踏みはずす板きれもなくおめおめと五十の坂をおりて行く
 しょんぼりと五十二歳の手をひろげうらを返して今日を過しぬ
 わたくしの六十年の年月を撫でまわしたが何もなかった
 六十になればなればとくり返し六十歳を越えてしまえり
 幸は寝て待つものと六十を過ぎし今でも信じています

 恋文の裏打ちなどをしていると寄る年波も忘れてしまう
 軒先に荒巻一本つりさげて七十才の春をまつなり
 職歴はおこがましいが無職業古稀を迎えることにはなりぬ
 それはもう判このようなさびしさを紙きれの上に押してもろうた
 一生に一度のチャンスをずうっとこう背中まるめて見送っている

 棒の頭にとんぼが陣を張っているとんぼは未来をかぎわけて居る
 電柱にもたれて眠るときすらも道直として朝ぎりたてり
 あさ毎におれすらつとめを持つと云うかかる悲哀を人は知るべし
 ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺の底にゆられてわがかえる村
 べに色のあきつが山から降りて来て甲府盆地をうめつくしたり

 丸出しの甲州弁で申します花は死であり死は花である
 甲州の柿はなさけが深くして女のようにあかくて渋い
 滝戸山頭の上から月が出て五右衛門風呂をいっぱいにする
 櫛形の山を夕日がげらげらと笑いころげて降りてゆきたり
 まっ黒く澄みたる馬の目の中に釜無川が流れている

 私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう
 屁をひとつ鳴らしたのみにて父上はこの世の中から消えていったよ
 亡き父の晩年の顔とかさなって怒りたりない顔だけになる
 よいどれの父がぽつんとこの夜から消えゆくことを母と祈りき
 ほんとうの酒がこの世にあった時父もよいにき吾もよいたり

 亡母(はゝ)思ひつかれて庭に眼をやりぬ南天の実の赤かりにけり
 右の手を姉にまかせて左手をわれにもたせて死にけり母は
 笛吹の土手に残れる野火の跡遠く嫁ぎしひとりの姉よ
 たわむらにながろう勿れ・人間よ・暗い梯子が垂れている
 こともなくわが指先につぶされしこの赤蟻の死はすばらしい

 うつむけば影もうつむきゆえしらぬ涙をじっとこらえているよ
 おもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり
 ねむれない冬の畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる
 このように生きているのを何となく心苦しく思わないでもない
 死ぬ程のかなしいこともほがらかに二日一夜で忘れてしまう

 大勢のうしろの方で近よらず豆粒のように立って見ている
 先を急ぐこともなきゆえじっくりと水の澄むのを待っていた
 フランソア・ヴィヨンの詩鈔をふところに一ツ木町を追われゆくなり
 汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく
 東京に未練はないが真黒いかの地下道の口は呼んでる

 わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒き暖簾(のれん)を分けて出てゆく
 散るべくして地にちる葉の紅くとも再び歌にする勿れ
 焼酎の酔いのさめつつ見ておれば障子の桟がたそがれてゆく
 明け方の酒はつめたく沁みわたるこれも供養というものなのだ
 片付けておかねばならぬそれもまたみんな忘れて呑んでしもうた

 かくれんぼ鬼の仲間のいくたりはいくさに出でてそれきりである
 明日のことは明日にまかそう己よりおそろしきものこの世にはなし
 人間が人間をさばくまちがいを常識として世は移りゆく
 力には力をもちてというような正しいことは通じないのよ
 口のなかが酸っぱくなるまで出しゃばって言ってやりたい思いなりけり

 しぼり出る汗の匂いを華というふざけた事はいわないでくれ
 声をあげて泣いてみたいね夕顔の白い白い花が咲いている
 とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる
 なぐさめてくれたる花もおしまいになりたるゆえに雨戸をしめる
 わがために一株だけが花をつけ又はらはらと花散っている

 しんしんと音たてながらお日様の光を穂の花が食べている
 春を惜しむこの国の人幾重にも幾重にも上野の山とりまけり
 あさなあさな廻って行くとぜんまいは五月の空をおし上げている
 あかあかとほほけて並ぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ
 詩と死・白い辛夷(こぶし)の花が咲きかけている

 欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ
 想い出は赤き林檎よぎしぎしと二つに裂きて食べて別れき
 鎌倉の九月の風は四行詩・実朝公の墓に詣うでる
 鬼のようにしゃがんでいるとまた一つの銀杏の実が土を鳴らせり
 ゆく秋のわれの姿をつくづくと水に映して立ち去ってゆく

 わたくしの心の内には一本の立ちっぱなしの木の立っておる
 柚子の実がさんらんと地を打って落つただそれだけのことなのよ
 地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし
 一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
 知ることの空しさ心づもりなど南天の実が教えたまえり

 和歌山の汐見通りのぬかるみにぬぎすてし古い靴さようなら
 雨もりのしみさえあなたの顔にみえ今日のうつつにこがれゆくなり
 独身を処世の方針に初めからきめて歩いて来たわけではないよ
 このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている
 広告のちらしの裏に書きためし涙の歌よわが涙なり

 お隣りに詩を書く人がひとりいて飢え死ごっこをして生きている
 幸せは捨てた仔猫よわれよりもサキに帰りているではないか
 一度だけ手を唇に押しあててそっと笑いを呑み下したり
 鎌倉の裏山づたいをてくてくと仕事のように歩きおりたり
 庭があらばだるま舟など据えつけて夜ごとの星と話してみたいよ

 みごとな卵である 鉄砲玉もとおらない
 なるようになってしもうたようである穴がせまくて引き返せない
 長い長い一日である私は何処にもいない一日である
 洋傘(こうもり)の先をつたいて雨水がしとしと垂れている思いかな
 一粒の卵のような一日をわがふところに温めている

 遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる
 茶の花の咲ける小径を下りて来る少女が一人今降りて来る
 不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている


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