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『現代の歌人140』を読みました。〈2〉

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昭和/戦後
◆久々湊盈子
 もみしだかれて狂うほかなし三月の疾風(はやて)にしなう白き木の花
 咲きあふれ天になみうつさくらばな満ちたることはかくもさびしき
 風の声熄(や)みたる夜明けわらわらと森はおのれの息にて動く
 感情線乱れておればつくづくと素直ならざる酉年生まれ
 遠い未来に必ず訣れのあることを疑わずされど日々に思わず

 女の骨は鬆が入りやすく心には魔が入りやすく五十となりぬ
 香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
 長く長くひとつ火種を秘めきたり消さず絶やさず劫火となさず
 ほどほどに惚けねば老いには辛すぎるこの世の春に名残り雪降る

◆日高堯子
 からすうりのレースの花がしゆつとひらき こんなにしづか地上の時間
 蚕豆のくぼみのやうな姉として疲労(つかれ)のふかき弟おもふ
 この春はちぢむ乳房のをかしくもかろき心となりて梅見る
 白藤のなだれ落ちたる無人駅駅舎のほとりに父が待ちをり

◆沖ななも
 トルソーの凹凸なれば乳のふくらみ臍(ほぞ)のくぼみにさす冬の光(かげ)
 北浦和 南浦和 西浦和 東浦和 武蔵浦和 中浦和と無冠の浦和
 生まれたし生まれたしとて生まれこしわれにあらずや生きん生くべし

◆河野裕子
 捨てばちになりてしまへず 眸(め)のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
 阿保らしくかなしいことなり形よき左の乳房を切ることになる
 寒いのは淋しいからだと午前二時風呂に蓋して亀のやうなり
 美しく齢を取りたいと言ふ人をアホかと思ひ寝るまへも思ふ
 病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ

◆安田純生
 明王となりて怒らば胸あかむ夜ふけ起き出で詫状を書く
 見抜かれぬほどに抑へし怒りなり夜空あふぎて風花を食ふ
 けふは君と来ざれど冬の森の径(みち)記憶のなかの夕立に濡る
 君とわれ餡パン食ひつつ過去をいひこのあかときの晩年めける
 焼香の順をかしきと人毎にいひしをとこの葬式けふは

 まだ人のかたちをせるよ夜の駅の大き鏡の前よぎりゆく

◆永田和宏
 なんにしてもあなたを置いて死ぬわけにいかないと言う塵取りを持ちて
 平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ
 がんばっていたねなんて不意に言うからたまごごはんに落ちているなみだ

◆秋山佐和子
 別れぎは夫が触れにし我が乳房夜の電車にみづみづとせり

◆佐伯裕子
 父と母の若き写真にわれも居りエリア・カザンを観に行きしかな
 ここにまた生まれてこようこころまで吹かれて髪が頬を打つ春

◆道浦母都子
 淋しさは壊してしまえ生牡蠣に檸檬をしぼるその力もて
 信仰のようにすっくと立ちつくす桐のむらさき紀の空にあり
 ふり仰ぐ六甲山脈悠久の肩を光らせ鉈のごと冴ゆ
 無に至る死後を思えば肩やわし千年杉の椅子に凭れて

◆花山多佳子
 つぎつぎに「おじやましました」と言ふ声の聞こえて息子もゐなくなりたり

◆池田はるみ
 死ぬ母に死んだらあかんと言はなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ
 茶碗三つ並べて置くよ幸福は夕暮れに来てしづかに坐る

◆大下一真
 人生とう旅の中なる旅先に柿の実あかき村一つ過ぐ
 なるようになりてかくありなるようになりてゆくなりこの世というは

◆三井 修
 傷付きし人を論理で励まして淋しもよ帰路の寒月の照り

◆桑原正紀
 冬欅すがしく聳(た)てり思想とは骨格にして鎧ふものにあらず
 いま我は生(よ)のどのあたり とある日の日暮里に見し脚のなき虹
 春の雪降る日曜日妻ときてさよりの細きかがやきを買ふ
 摘みきたる桔梗いちりん手向くれば墓碑のおもてのかすか明るむ

◆阿木津 英
 子を産まぬこと選び来つおのづからわが為すべきをなすがごとくに

◆田宮朋子
 捨て鉢に咲くひとむらの龍胆のひんやり燃えて草むらは秋
 先つ世は楠なりし弥勒像とほき記憶に鳥が棲みゐむ

◆永井陽子
 カーテンのむかうに見ゆる夕雲を位牌にも見せたくて夏の日
 今はもうかの樟のみが記憶する喪服のわたし二十歳のわたし
 この夕餉ひとりにあればこころして蛸のサラダといふものを喰ふ
 錠剤の切れゆくままにわたくしの夢も解かれてさむき朝なる
 拝啓あなたはこの春ボナールを見ましたか 病棟に書くはがき一枚

◆藤原龍一郎
 テレビには古きマカロニ・ウエスタンああ、あの頃は楽しかったね

◆武下奈々子
 白蓮の終りの花のいぎたなさ頑張らなくていいこともある
 いま少し咲きてこの世の陽を浴びむさざんくわの緋にけさ銀の霜
 食べられるうちに食べておけと言ふ父よボルネオはもう雨季ですか
 ほたるなすほのかに見ゆる庭の奥どくだみの白き花が咲きおり

◆今野寿美
 子はみんな溺愛すべし馬鈴薯は花を見るべし面取りすべし
 マーラーの「復活」第五楽章のピアニッシモのやうな朝明け

◆柳 宣宏
 食ひ終へて食ひ飽かぬとぞわが母のわれを憎しむ目に力あり
 幼子のたくらむごとき表情を母はするなりまだまだ死なぬ

◆松平盟子
 桃の皮しんねりめくり曲線のなぞりのうちに四十代果てし
 ラ・フランスも心もまこと痛みやすし放っておかれて黄色に歪む

◆内藤 明
 生まれ来む君を待ちつつ鶏鳴(あかとき)の霧降る街に蹲りをり

◆栗木京子
 夕暮れの声にとりどりの重さありわが独り笑ひゆるやかに沈む
 藍深き秋の琉歌は唄ひけりいもうとは兄の守護神なりと
 風景に横縞あはく引かれゐるごときすずしさ 秋がもう来る
 雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる
 九月来て昼の畳に寝ころべばわがふとももの息づきはじむ

 この寺を出ようとおもふ 黄昏の京(みやこ)を訪へば彌勒ささやく
 大空を、木の葉を、シャツを、足首をぎゆッと絞りたし夕立ののち

◆久我田鶴子
 学校のぐるりにさくら咲きみちて鬱々とせるものをやしなふ
 大きなる桃の実を手に笑ひをりまるごとひとついただくつもり
 わたくしをいでざる思惟に疲れつつ最上階に海を見に行く
 ひとつ火をまもりてかがむせつなさはこんなに大人の線香花火

◆中津昌子
 鯖街道抜けて登美子に会ひにゆく空にあふれる山鳥の声
 梵天のあなうらうつくししらしらとさざんくわのはな踏んできたれば

◆小島ゆかり
 青日傘さして白昼(まひる)の苑にゐし女あやめとなりて出で来ず
 部屋中を片づけ終へてふかぶかと坐るさびしさ われが残りぬ

◆水原紫苑
 雨光るゆふやみにしてはしりゆく恋とは羽毛ながき鳥かも
 朝川を渉(わた)るつめたさ沁み入れば秋草の名のわが名咲(ひら)きぬ
 投げ果てしこころを拾ふ春の谷かやのさいゐん裸身にいます
 岩燕見つむる心ひるがへりきみのまことのわれになしてよ
 序破急はなべてに在るも交合の序破急こそは根源ならめ

◆米川千嘉子
 香の高き薔薇の名ケアレス・ラブといふ 二つくらゐは誰にもあらむ
 機械われ一度ぶるんとはたらいて産んだ子十七歳(じふしち) 凹(へこ)んでゐるよ

◆谷岡亜紀
 火を吐ける煙突の群れ黒々とコンビナートいま逆光の中
 ボブ・マーリィ店に流れて日が落ちて次の戦争までの年月
 停電の大通りゆく人の群れ 風に吹かれて 雨にぬれても
 ピアノバーの曲は「この世の終りまで」その日私はおまえを抱いて

◆小塩卓哉
 ゴンドラが水面(みなも)をすべる優しさで君の心の扉を開く
 恋愛にためらいというルビふりて二人夕陽の中にさまよう
 手の平に収まる石を選ぶべし向こう岸まで届け心も
 我の知らぬところに燃えていし炎気づかせて後君は去りたり
 秋の日にもう冬の日をみつけているわれと道辺に揺れるすすき穂

◆大辻隆弘
 つまりつらい旅の終りだ 西日さす部屋にほのかに浮ぶ夕椅子

◆大塚寅彦
 魚の眼にわれは異形のものなるを しづかなるひるの水槽に寄る

◆林 和清
 坂はすべてこの世の境(さかひ)つぎつぎと椿が落ちてころがつてゆく

◆穂村 弘
 いつかみたうなぎ屋の甕のたれなどを、永遠的なものの例として
 ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
 水準器。あの中に入れられる水はすごいね、水の運命として
 このシャツを着ているときはなぜだろういつでも向かい風の気がする

◆俵 万智
 生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり
 ろうそくの炎初めて見せやれば「ほう」と原始の声をあげたり
 みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり
 揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間
 連休に来る遊園地 子を持てば典型を生きることの増えゆく

◆東 直子
 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの
 アナ・タガ・スキ・ダ アナ・タガ・スキ・ダ ムネ・サケ・ル 夏のロビンソン
 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ

◆真中朋久
 おほぞらの見えぬ雲雀を捜しつつ光のなかにとりのこされし
 泡ばかり噴きこぼれゐるグラスへと唇よせながらまなこあげたり
 そのひとはふるへる手もて酒瓶を傾けてゐつ手を添へられて

◆紀野 恵
 定形的内容を蔵せる定形外水色封筒積めば崩れつ

◆辰巳泰子
 細りゆく乳房をそつとわしづかみ 眠つていまふ 眠つてしまへ
 恋愛はけざやかなればそらへ投げさいごの花はみづから手折る
 このさきの桜並木を浴びる日にどうか孤独でありませんやうに

◆前田康子
 乳房がふわりと浮ける感じしてブランコに立つ 妻なり昼も

◆江戸 雪
 いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり
 きらり月 君はもうすぐここに来てわれの時計をゆっくりはずす

◆吉川宏志
 肩車した子を影で確かめて馬酔木の咲ける坂を降りゆく
 子を産みし日まで怒りはさかのぼりあなたはなにもしなかったと言う
 われに無き器官を痛みひるがおのように女は傷みやすきぞ
 古(いにしえ)と同じ速度にのぼる月檳榔(びんろう)の葉に光沢(つや)を与えつ
 新しい絵を知るような逢いありて眉がしずかな人とおもいいき

 てのひらは雨に濡れてもいいところ窓から出せば雷(らい)がかがやく
 おなじ絵を時をたがえて見ていたりあなたが言った絵の隅のの青
 秋の雲「ふわ」と数えることにする 一ふわ二ふわ三ふわの雲

◆大口玲子
 房総へ花摘みにゆきそののちにつきとばさるるやうに別れき
 人生に付箋をはさむやうに逢ひまた次に逢ふまでの草の葉

◆梅内美華子
 ひと泣きしてたっぷりとまた食べに来るきつねうどん あなたも食べていますか
 雨が来る 腕に蛇口を取り付けしつげ義春の雨が来るなり
 百合ひらき卵巣ひらき雷雲の湧くを見ているおみなのからだ
 房総の春のひかりを髪に挿し海からあがりしように歩めり
 普賢といふ白梅散つて春の闇 三日月の目に象わらふなり

◆松村正直
 待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも
 特急に胸のあたりを通過されながらあなたの言葉を待った

◆大松達知
 a pen が the pen になる瞬間に愛が生まれる さういふことさ
 誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど

◆横山未来子
 冬の水押す櫂おもし目を上げて離るべき岸われにあるなり
 やさしさを示し合ふことしかできぬ世ならむ壁に夕陽至りつ
 あふむけに運ばれてゆくあかるさの瞼の外に遠き雲あり
 日向なる髪あたたかし遠ければ方位つかめぬ鳥のこゑする

◆斉藤斎藤
 リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる
 泣いてるとなんだかよくわからないけどいっしょに泣いてくれたこいびと

◆永田 紅
 人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
 対岸をつまづきながらゆく君の遠い片手に触りたかった
 プールには雨降りながら雨にのみ体は濡れてゆくここちする
 ああそうか日照雨(そばえ)のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで
 話さねば 白衣のままで追いかける時間が君を遠ざけるまえに

 どこへ向けて歩いていてもああ君は引き返そうとは言わなかったね
 思いきることと思いを切ることの立葵までそばにいさせて
 試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
 あいまいに遠のきしゆえ君の部屋をまだあるもののようにも思う
 背景に川が流れて学生時代を夢のようだと言うのだろうか

 年収の話など聞けり年収を羨むわけではないが遠いな
 忙しきほうが時間のあるほうをさびしくさせて葉を毟らしむ
 うつくしき胸鎖乳突筋をもて人はいくどか振り返りたり
 俺という言葉うれしく聞きいたり食事のときに一度言いける


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