昨日、小島ゆかり(1956-)の歌集『ヘブライ暦』(96)を読み終えました。この歌集は、『月光公園』(92)に続く彼女の第三歌集で、1991年冬から94年秋までの三年間の作品の中から278首をほぼ編年順に収めてあります。
以下、一読して気になった歌を引用します。
われさへや飛ぶことあらん屋上の春まつぴるまひかりは狂気
だれかいまわれを宥(ゆる)せし 白雲がひとつしづかに真上に来たり
屋上に眼のみ残してゆふぐれのものみなあかき地上に降りぬ
春、ことに無用の物らなつかしきたとへば耳付花瓶(みみつきくわびん)の耳など
プールよりもどりて眠る子らのうへ未(ひつじ)の刻のひつじ雲をり
喫泉を吸はんと口をすぼめつつふとうらがへるわれならずやも
曼珠沙華そよげる央(なか)に喫泉を吸ひたるのちの唇(くち)濡れてあり
問ひつめて確かめ合ひしことなくてわれらにいまだ踏まぬ雪ある
伸びすぎし桔梗のやうな男かな夫よと呼べど呼べど汚(けが)れぬ
渓(たに)なして窓の外(と)暗し夜の音はふかきより来てふかきへ過ぎぬ
わが肩に触るる触れざるゆふぐれの手があり少し泣きたい今は
子に兆す小鳥の恐怖のやうなもの抱きしむる刹那せつなにおもふ
アタッシュケースをつね携ふるその人はアタッシュケースに棲むにあらずや
朝ひらく便箋は菊のしろさにてうつすらとまづわが影を置く
夫を恋ふこころを言はば飯を食ふセーターを着るそのさま見たし
雨となる午後へしづかに傾きて手紙書き了ふ ああもう雨だ
おもひきり泣きたるのちはまさをなる空中を無人自転車が行く
空港の高窓青しこだまして声はもつともやはらかき音
あさあけのダラス空港うす陽さし大平面の天と地は見ゆ
子らの瞳(め)がさびしく燃ゆる雪の夜は雪よりあをいランプを灯す
雪の朝グレイス・チャーチの鐘きこゆひとたばの水仙をわれはおもひし
あたらしき冬の冷(ひえ)あるテーブルに朝のチーズを切り分けてをり
冷蔵庫に五ポンドの肉を蔵(しま)ひをへしづかなりふとわれも蔵はる
山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛(かな)し日本語
途方もなき空の広さよ少しづつわれは変はつてゆくかもしれぬ
ストームののちの夕映えはるかなる鮮紅は原始時間のごとし
サマータイムのながきまひるを草に寝て梅雨のつゆけき国を忘れつ
いつか樹になるはずもなきわたくしとポストとひるの雨に濡れをり
栗鼠の尾がみなやせてゐる風の日はわかるよ少しおまへのことが
草生、夜のにほひに充ちて感官のみなかみに濃き夏時間あり
月しろく無人プールを照らす夜半この世の面(おもて)かすか揺れゐん
言はぬが花、言はぬが花とはな散りてちちははに枇杷いろのゆふぐれ
蟬のこゑ白紙(しらかみ)に沁む夏の果 をんなはまぶたより老いはじむ
パンだねをこねつつ力漲るはきのふにあらぬけふのわたくし
雷雲の影しのびよる草の上ふいに大きくリス立ち上がる
転調の兆しはつかにゴムの葉をあかるき冬の陽がすべりをり
ボブのテノールやはらかければアメリカを少し愛して今日がはじまる
椿見ぬ春はさみしき うすくうすく紅(べに)さし死ののちも日本人
天窓にはるの雲ひとつとどまりぬ或るしづかなる力のごとく
モトメヨ、サレドアタヘラレザルかなしみにみづみづと雪の窓を灯せり
生活のきりぎしに朝陽夕陽差しうしろに立てる夫は草の香
死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦(れき)は秋にはじまる
かならず日本に死なずともよし絵葉書のランプに今宵わが火を入れぬ
夜の窓に雨しのびより混沌の実りのやうな無花果にほふ
シンバルのひびき消えたる校庭に歳月は金の砂嚙むごとし
われさへや飛ぶことあらん屋上の春まつぴるまひかりは狂気
だれかいまわれを宥(ゆる)せし 白雲がひとつしづかに真上に来たり
屋上に眼のみ残してゆふぐれのものみなあかき地上に降りぬ
春、ことに無用の物らなつかしきたとへば耳付花瓶(みみつきくわびん)の耳など
プールよりもどりて眠る子らのうへ未(ひつじ)の刻のひつじ雲をり
喫泉を吸はんと口をすぼめつつふとうらがへるわれならずやも
曼珠沙華そよげる央(なか)に喫泉を吸ひたるのちの唇(くち)濡れてあり
問ひつめて確かめ合ひしことなくてわれらにいまだ踏まぬ雪ある
伸びすぎし桔梗のやうな男かな夫よと呼べど呼べど汚(けが)れぬ
渓(たに)なして窓の外(と)暗し夜の音はふかきより来てふかきへ過ぎぬ
わが肩に触るる触れざるゆふぐれの手があり少し泣きたい今は
子に兆す小鳥の恐怖のやうなもの抱きしむる刹那せつなにおもふ
アタッシュケースをつね携ふるその人はアタッシュケースに棲むにあらずや
朝ひらく便箋は菊のしろさにてうつすらとまづわが影を置く
夫を恋ふこころを言はば飯を食ふセーターを着るそのさま見たし
雨となる午後へしづかに傾きて手紙書き了ふ ああもう雨だ
おもひきり泣きたるのちはまさをなる空中を無人自転車が行く
空港の高窓青しこだまして声はもつともやはらかき音
あさあけのダラス空港うす陽さし大平面の天と地は見ゆ
子らの瞳(め)がさびしく燃ゆる雪の夜は雪よりあをいランプを灯す
雪の朝グレイス・チャーチの鐘きこゆひとたばの水仙をわれはおもひし
あたらしき冬の冷(ひえ)あるテーブルに朝のチーズを切り分けてをり
冷蔵庫に五ポンドの肉を蔵(しま)ひをへしづかなりふとわれも蔵はる
山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛(かな)し日本語
途方もなき空の広さよ少しづつわれは変はつてゆくかもしれぬ
ストームののちの夕映えはるかなる鮮紅は原始時間のごとし
サマータイムのながきまひるを草に寝て梅雨のつゆけき国を忘れつ
いつか樹になるはずもなきわたくしとポストとひるの雨に濡れをり
栗鼠の尾がみなやせてゐる風の日はわかるよ少しおまへのことが
草生、夜のにほひに充ちて感官のみなかみに濃き夏時間あり
月しろく無人プールを照らす夜半この世の面(おもて)かすか揺れゐん
言はぬが花、言はぬが花とはな散りてちちははに枇杷いろのゆふぐれ
蟬のこゑ白紙(しらかみ)に沁む夏の果 をんなはまぶたより老いはじむ
パンだねをこねつつ力漲るはきのふにあらぬけふのわたくし
雷雲の影しのびよる草の上ふいに大きくリス立ち上がる
転調の兆しはつかにゴムの葉をあかるき冬の陽がすべりをり
ボブのテノールやはらかければアメリカを少し愛して今日がはじまる
椿見ぬ春はさみしき うすくうすく紅(べに)さし死ののちも日本人
天窓にはるの雲ひとつとどまりぬ或るしづかなる力のごとく
モトメヨ、サレドアタヘラレザルかなしみにみづみづと雪の窓を灯せり
生活のきりぎしに朝陽夕陽差しうしろに立てる夫は草の香
死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦(れき)は秋にはじまる
かならず日本に死なずともよし絵葉書のランプに今宵わが火を入れぬ
夜の窓に雨しのびより混沌の実りのやうな無花果にほふ
シンバルのひびき消えたる校庭に歳月は金の砂嚙むごとし