今朝の読売新聞に「村上春樹さんインタビュー」という記事が掲載されていました。
作者の作品への思いを理解する上で貴重な資料なので、その(ほぼ)全文を引用しようと思います。
作者の作品への思いを理解する上で貴重な資料なので、その(ほぼ)全文を引用しようと思います。
村上春樹さんインタビュー「人が人を信じる力」
新作『騎士団長殺し』(新潮社)を発表した作家の村上春樹さんが、久々にインタビューに応じた。喪失感に苛まれる主人公が暗い穴を抜け、ついに獲得する「信じる力」。それは大震災から再起へ向かう東北の被災地を旅する中で、おのずと湧き上がった前向きな思いだったという。(編集委員 尾崎真理子)
僕にはまだ伸びしろがある
――『1Q84』に続く大長編は原稿用紙2000枚以上。第1、第2部で130万部に達した。
「長編小説は」ツイッターやフェイスブックなど、言葉を切り売りするSNSの対極にある。短い言説が消費される時代だからこそ、読み始めたらやめられない長い物語を書きたかった。しかも重層的で深みのある物語を。頭から8回は書き直し、自己革新も続けている。革新の源泉は三つ。第一に肉体的なトレーニング。昨年末もフルマラソンを完走した。次に翻訳で文章を鍛える。そしていろんな音楽を聴く。自分の古い作品は読み返したことがない」
――もう一つの新刊『翻訳(ほとんど)全仕事』(中央公論新社)によると、36年で翻訳は70余作。こちらも驚異的な量だ。
「チャンドラーからは比喩を、カーヴァーには巧さを学んだ。彼らの作品に到達するのが遠い目標。僕にはまだ伸びしろがあると思う。新作には『グレート・ギャツビー』へのオマージュも込めた」
――その新作の主人公は36歳の画家。2000年代のある時期、神奈川県小田原の山中での出来事だ。家主の日本画家が描いた『騎士団長殺し』という絵を主人公が見つけると、画面から抜け出たような身長60センチほどの騎士団長が現れ、「イデア」を語る。
「最初に浮かんだのは奇妙な感触をもつこの本の題名と、冒頭の文章だけ。書き始めれば、先導するウサギを見失わないよう毎日、夢中で進む。上田秋成の『春雨物語』が出てくるのは、父の葬儀で世話になった住職の京都の寺に、秋成の墓があると聞いて訪れた縁から。物語の容れ物として力を保つのが古典で、引用しない手はない」
被災地で見た再生の始まり
――『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』と同様、主人公は突然、妻から別れを切り出される。不可解な難題を背負って不思議な人物らと出遭い、地底をさまよった後、日常を取り戻す。ところが今回、「穴」を抜けた主人公の前向きな再生に驚いた。
「幼い子を〈恩寵のひとつのかたち〉として育てようと、自然に受け入れる。人が人を信じる力。これは以前の結末には出てこなかった。僕の小説に家族の営みが登場したのも初めて。第3部があるか、まだ自分にもわからないが」
――変化の理由には、何があったのだろう。
「一昨年、福島の郡山で作家の古川日出男君が運営するセミナーに参加した。その時一人で車を運転してまわり、いわきまで海岸沿いをずっと、福島第一原発のあたりも、できるだけ近くまで行き、自分の目で見てきた経験が大きかった。まだ傷跡は残っているけれど、失われたままではなく、被災地では再生が始まり、新しいものへつながろうとしていた。今の日本人のサイキ(精神性)を描くには、災害がもたらした大きな傷を、そこに重ねていくことになるだろうな、と思った。ジレンマを抱えながらも主人公は新しい家庭を作るだろう、と。年齢的な責任感も僕にあったかもしれない」
善き物語は力を与える
――支援金を募る「CREA〈するめ基金〉熊本」の活動にも熱心だ。村上さんの存在感は大きい。不確かな現実への向き合い方を、作品に探す読者も世界中にいる。新作にはナチスのオーストリア併合に際した暗殺計画も出てくるが、〈正しい人殺し〉などあるのか。
「僕にもわからない。歴史のとらえ方は非常に難しい。昔、アルジェリアの独立戦争を描いた映画『アルジェの戦い』で、フランス兵に爆薬を仕掛けたのは反植民地運動の英雄的行為と喝采されたのに、今ならテロだ。歴史とは国にとっての集団的記憶であり、戦後生まれだから僕に責任がないとは思わない。物語の形で問い続ける」
――米大統領が伝統ある言論機関をフェイクニュースと呼び、小説より奇なる事件が連日起きている。
「インターネットの出現で、マスメディアが支配的だった言説はもっとデモクラティックになると期待した。しかし結果は逆だった。日本もバブルが弾けて阪神大震災、サリン事件が起き、景気が低迷し、東日本大震災、原発事故……。国家や経済のシステムはもっと洗練されると考えたが、そうはならなかった。それでも、善き物語は人にある種の力を与えると信じている」
――善き物語の力とは。
「物語を読んで、すぐに何か変わったとわかるものじゃない。ただ、声明には声明、SNSにはSNSしか返ってこないが、物語を読んだ人の中でそれぞれ一段階を経て返ってくるものは、実に多様だ。僕はその多様な力を大切にしたい」
現代の不安と結びつく
村上さんの物語は、ネット社会に生きる現代人の不安と、深く結びついている。
月が二つ空に浮かぶ『1Q84』に描かれた世界の不確かさは、8年後の今、いっそう現実味を増している。とすると、『騎士団長殺し』という不穏な物語も、何かの反映、予見なのか。
〈書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの〉であり、奇想天外な物語は作家自身の意図を超えて表れることが、今回のインタビューで、より理解された。背景にある多大な努力も。
だからこそ、時代の集合的無意識の層まで潜り込み、世界の人々に届く大長編を生み出せるのだろう。(尾)