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my 見仏記27~奈良西大寺展

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 今日、「特別展 創建1250年記念 奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」(4月15日~6月11日、三井記念美術館)に行ってきました。3月に訪ねたけれど秘仏のため見られなかった西大寺愛染堂の愛染明王坐像を見るのが目的でした。以下、気になった仏像をいくつか紹介したいと思います。

興正菩薩(叡尊上人)坐像(西大寺愛染堂)(奈良西大寺展HPより)
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西大寺とは(奈良西大寺展HPより)
 西大寺は、奈良時代に創建された官大寺を総称する「南都七大寺」の一つに数えられ、2015年に創建1250年を迎えました。奈良時代、聖武天皇・光明皇后の後を継いだ娘帝の称徳天皇が「鎮護国家」の思いを込めて開創し、東大寺などと並び称される寺格を誇りました。中世・鎌倉時代には、稀代の高僧・叡尊(えいそん)が出て、密教において戒律を重視した教え(後の”真言律“)を広め、「興法利生(こうぼうりしょう) 」をスローガンに独自の宗教活動を推進しました。その弟子の忍性(にんしょう)は東国に赴き貧者・病人の救済にあたり、また後世には、江戸時代に大和生駒山・宝山寺を開いた湛海(たんかい)らの活躍などによって発展し、数多くの仏教美術の名品をいまに伝えています。
叡尊上人とは(奈良西大寺展HPより)
 荒廃した西大寺を鎌倉期に再興する中興の祖・叡尊上人(1201~1290)は、若くして真言密教を学び、同寺に入住します。
 精力的な活動の傍らで、京都・清凉寺の釈迦如来立像の模刻、愛染明王坐像や大黒天像などを発願し弟子や仏師と共に彫り上げ、現代も続く「光明真言会」や「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げました。
 没後、正安2年(1300)興正菩薩の号を賜りました。

※昨年5月、東京国立博物館でこの像を初めて見ました。国宝指定を記念した展示だったと思います。そして今年3月、この像と西大寺愛染堂で再会しました。しかし、像が納められた厨子は暗く、あまり近づけなかったので、少し残念な思いが残っていました。今日はガラス越しでしたが、間近に見ることができてよかったと思います。ただ、この像は本来は信仰の対象ですから、よく見えない方がありがたみが増すのかもしれませんね。


愛染明王坐像(西大寺愛染堂)(奈良西大寺展HPより)
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愛染明王とは
 煩悩は悟りを妨げるものではなく、悟りの縁となるという密教の考え方が「煩悩即菩提」であり、愛欲を悟りへと浄化させるのが愛染明王である。敬愛(きょうあい、恋愛・人間関係など)や降伏(ごうぶく、敵を従わせる)の秘法「愛染明王法」の本尊である。
 身色は愛欲の強さを表す赤色で、一面三眼六臂である。頭上に獅子の顔のついた獅子冠をかぶる。獅子冠の上には五鈷鉤(ごここう)をのせる。六本の手には、愛欲を断ち切るための弓と矢の他に、金剛杵(こんごうしょ)や金剛鈴(こんごうれい)などをもつ。蓮華座の下に宝物を吐き出す宝瓶(ほうびょう)が置かれる場合もある。(薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる!』より)

※像高31.8cmという小さな像ですが、表情に迫力があり、見る者に強く迫ってくるように思います。実際に見た感じでは、この写真ほど赤くはなかったと思います。


文殊菩薩騎獅像及び四侍者像のうち、文殊菩薩坐像・善財童子立像・最勝老人立像(西大寺本堂)(奈良西大寺展HPより、この写真は5体揃っています。)
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文殊菩薩とは
 中国の唐代に、五台山が文殊菩薩の住む清涼山であるとされ、五台山で説法をする姿を表現した「五台山文殊」が造られるようになった。
 天台宗の僧、円仁(えんにん)によって中国から五台山文殊がもたらされ、獅子に乗る文殊菩薩像を中心に、文殊の説法を聞く眷属(従者)が定められ、「文殊五尊」となった。獅子の手綱をもつ優填王(うてんおう、于?羝王)、僧形の仏陀波利三蔵、善財童子、頭巾をかぶる最勝老人(婆藪・大聖老人)である。四眷属を伴い、文殊菩薩が獅子に乗って我が国へやってくる様子を表現した「渡海文殊」形式の文殊五尊像もある。(薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる!』より)

※3月に西大寺本堂で5体そろったのを見ました。今日は文殊菩薩+侍者2でしたが、より間近で見ることができてよかったと思います。文殊菩薩+侍者4という渡海文殊の形式では安倍文殊院のものが有名ですが、それぞれに対応する像を比較してみるのもおもしろいと思います。


表情がいいなと思った仏像たち
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聖徳太子立像(南無仏太子像)(奈良・元興寺)(図録をコピー)
 聖徳太子が二歳の時に、東に向かい合掌して「南無仏」と唱えたという『聖徳太子伝暦』の記事に基づいた、いわゆる南無仏太子像の一例である。剃髪で上半身は裸形とし、裾の長い緋袴をはいて、胸前で合掌する童子形で表される。腕や腹に丸みをもたせた幼児体型であるが、目尻をつり上げ、唇をきつく結んだ表情は厳しく理知的である。(図録より)
※少しつり上がった目がずっと心に残りました。

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普賢菩薩騎象像(京都・岩船寺)(図録をコピー)
※普賢菩薩ではなく、象の表情がおもしろい。

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忍性菩薩坐像(神奈川・極楽寺)(図録をコピー)
 関東における真言律宗の拠点である極楽寺を開山した、良観房忍性の肖像彫刻。忍性は建保5年(1217)大和国に生まれ、建長4年(1252)に関東に下向して、常陸国筑波山麓の三村寺を拠点として活動した後、弘長2年(1262)叡尊の鎌倉下向にともなって鎌倉入りし、文永4年(1267)極楽寺に入って律院として整備した。鎌倉幕府と結びつくことにより、慈善救済事業や道路修築、港湾整備などを大規模に行って、真言律宗を全国へ拡張した。
 本像は現在、極楽寺本堂内の後陣に嘉元4年(1306)に造立された師叡尊の坐像とともに併置される。肖像画にもみられる大きな鼻や突き出た頭頂部などの特徴を示し、その風貌をよく写し取っているが、やや理想化された趣も観取され、開山祖師像として没後間もない嘉元元年頃(1303)に制作されたものと思われる。(図録より)
※こちらの像も目がとても印象的で、心に残りました。

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