6月20日(火)から22日(木)まで、関西方面を旅行しました。目的は温泉と見仏で、日程は以下の通りです。見仏については、「my 見仏記31~37」(順次更新)をご覧ください。
6/20(火)
・志賀直哉「城の崎にて」の地へ(兵庫県豊岡市・城崎温泉)
6/21(水)
・南山城の古寺を訪ねる(京都府木津川市)
6/22(木)
・湖北の十一面観音を訪ねる(滋賀県長浜市)
・志賀直哉「城の崎にて」の地へ(兵庫県豊岡市・城崎温泉)
6/21(水)
・南山城の古寺を訪ねる(京都府木津川市)
6/22(木)
・湖北の十一面観音を訪ねる(滋賀県長浜市)
◆城崎温泉にて
城崎温泉(Wikipediaより)
城崎温泉は、兵庫県豊岡市城崎町にある温泉。平安時代から知られている温泉で、1300年の歴史をもつ。江戸時代には「海内第一泉」と呼ばれていて、今もその碑が残る。
泉質:食塩泉、源泉温度37℃~83℃。すべての源泉は1972年に作られた集中配湯管理施設に集められて、平均温度を57度に安定させてから町内に張り巡らされている配管を通じて、各外湯・旅館に送られている。
基本的に七湯ある外湯めぐりが主体の温泉。その筆頭である「一の湯」は江戸時代「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、江戸時代中期の古方派(こほうは)の漢方医、香川修徳(香川修庵)が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて一の湯に改名した。また「さとの湯」は正式名称を「豊岡市立城崎温泉交流センター」といい、浴場施設及び研修室が指定管理者制度による公設民営、そのほかの施設が市営であり、施設内に豊岡市城崎総合支所温泉課がある。
城崎温泉駅前から7つの外湯につながる大谿川沿いに温泉街を形成し、川べりの柳が風情あるものである。知名度と京阪神からのアクセスの良さにもかかわらず、歓楽色の少ない閑静な情緒が特徴である。夏は海水浴、冬はカニ料理に人気がある。城崎温泉駅にもさとの湯(駅舎にある温泉)や足湯、飲泉場がある。足湯や飲泉場が温泉街各所にある。
城崎では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われている。温泉街には「ゆかたご意見番」という掲示をした店が多く、浴衣が着崩れたりした時に対応する。浴衣の模様で旅館が分かるとその旅館の下駄を差し出す下足番もいる。色鮮やかな浴衣を貸し出す旅館も多い。 また温泉郷に設置されている7ヶ所の外湯では観光客向けに当日最初の入湯者に一番札を配布している。
城崎温泉は、兵庫県豊岡市城崎町にある温泉。平安時代から知られている温泉で、1300年の歴史をもつ。江戸時代には「海内第一泉」と呼ばれていて、今もその碑が残る。
泉質:食塩泉、源泉温度37℃~83℃。すべての源泉は1972年に作られた集中配湯管理施設に集められて、平均温度を57度に安定させてから町内に張り巡らされている配管を通じて、各外湯・旅館に送られている。
基本的に七湯ある外湯めぐりが主体の温泉。その筆頭である「一の湯」は江戸時代「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、江戸時代中期の古方派(こほうは)の漢方医、香川修徳(香川修庵)が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて一の湯に改名した。また「さとの湯」は正式名称を「豊岡市立城崎温泉交流センター」といい、浴場施設及び研修室が指定管理者制度による公設民営、そのほかの施設が市営であり、施設内に豊岡市城崎総合支所温泉課がある。
城崎温泉駅前から7つの外湯につながる大谿川沿いに温泉街を形成し、川べりの柳が風情あるものである。知名度と京阪神からのアクセスの良さにもかかわらず、歓楽色の少ない閑静な情緒が特徴である。夏は海水浴、冬はカニ料理に人気がある。城崎温泉駅にもさとの湯(駅舎にある温泉)や足湯、飲泉場がある。足湯や飲泉場が温泉街各所にある。
城崎では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われている。温泉街には「ゆかたご意見番」という掲示をした店が多く、浴衣が着崩れたりした時に対応する。浴衣の模様で旅館が分かるとその旅館の下駄を差し出す下足番もいる。色鮮やかな浴衣を貸し出す旅館も多い。 また温泉郷に設置されている7ヶ所の外湯では観光客向けに当日最初の入湯者に一番札を配布している。
JR城崎温泉駅のすぐ横にある「駅舎温泉 さとの湯」。このほか全部で7つある外湯をハシゴするのが、城崎温泉のまち歩きの醍醐味とか。
駅を出て旅館に向かうと、レトロな街並みが現れました。旅館のチェックインまで時間があったので、この写真右側の《カフェ ソレッラ》に入りました。
店内は赤いベンチシートが素敵でした。古いジャズボーカルが流れていて、とてもくつろげる雰囲気でした。
外湯のひとつ、地蔵湯。外湯は「さとの湯」「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」の七湯があります。
城崎温泉の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)。柳並木と木造建築群、太鼓橋と玄武岩の石積護岸からなる風景は、日本の温泉街を代表するような風景です。(「城崎温泉飲食店マップ Taste of Kinosaki」より)
日本海が近いので、海産物も豊富なようです。レトロな街並みが続いていたので、このカニにはびっくりしました。
◆志賀直哉「城の崎にて」について
せっかく城崎温泉に行くのだからと思い、久々に「城の崎にて」(1917)を読みました。
「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」という文章で始まります。作者の実体験に基づくもので、半分小説、半分エッセイといった作品です。
ある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいました。驚かそうと石を投げると、その石があたり、イモリは死んでしまいます。自分は電車に跳ね飛ばされたが死ななかった。しかし、イモリは自分が投げた石が偶然に当たって死んだ。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではないんじゃないか、そんな考えに至ります。
この作品を読み、村上春樹の短編小説「螢」(のち、長編小説『ノルウェイの森』に組み込まれる)の中の「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という文章を思い出しました。志賀直哉が「城の崎にて」で示した死生観と通ずるところがあるように思います。
せっかく城崎温泉に行くのだからと思い、久々に「城の崎にて」(1917)を読みました。
「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」という文章で始まります。作者の実体験に基づくもので、半分小説、半分エッセイといった作品です。
ある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいました。驚かそうと石を投げると、その石があたり、イモリは死んでしまいます。自分は電車に跳ね飛ばされたが死ななかった。しかし、イモリは自分が投げた石が偶然に当たって死んだ。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではないんじゃないか、そんな考えに至ります。
この作品を読み、村上春樹の短編小説「螢」(のち、長編小説『ノルウェイの森』に組み込まれる)の中の「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」という文章を思い出しました。志賀直哉が「城の崎にて」で示した死生観と通ずるところがあるように思います。