6月20日(火)から2泊3日の日程で関西方面に行ってきました。そのうち、21日(水)と22日(木)の2日間、京都府と滋賀県の寺院等を訪ねましたが、見仏した主な仏像は以下の通りです。
【6/21(水)】(京都府木津川市)
◆岩船寺(十一面観音立像)
◆浄瑠璃寺(九体阿弥陀如来像)
◆海住山寺(十一面観音立像)
【6/22(木)】(滋賀県長浜市)
◆西野薬師堂(十一面観音立像)
◆石道寺(十一面観音立像)
◆己高閣(十一面観音立像)
◆渡岸寺観音堂(十一面観音立像)
◆岩船寺(十一面観音立像)
◆浄瑠璃寺(九体阿弥陀如来像)
◆海住山寺(十一面観音立像)
【6/22(木)】(滋賀県長浜市)
◆西野薬師堂(十一面観音立像)
◆石道寺(十一面観音立像)
◆己高閣(十一面観音立像)
◆渡岸寺観音堂(十一面観音立像)
◆岩船寺(がんせんじ)
岩船寺は京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院である。山号は高雄山(こうゆうざん)。院号は報恩院。本尊は阿弥陀如来。開基は行基と伝える。アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれる。
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強い。近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。(Wikipediaより)
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、地理的には奈良に近く、文化的にも南都の影響が強い。近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。(Wikipediaより)
旅行2日目。城崎温泉駅9:33発(こうのとり12号)~福知山駅10:44発(はしだて2号)~京都駅着12:07
京都駅到着後、駅ビル内のホテルに荷物を預け、トヨタレンタカー京都駅新幹線口店へ。ヴィッツをレンタルし、岩船寺へ向かいました。小雨の中、山門に着いたのは14:30頃でした。
この寺の御本尊は丈六の阿弥陀如来坐像で、僧侶の方の話によれば平等院の阿弥陀像より106年、近くの浄瑠璃寺の阿弥陀像より160年古いとのことでした。目的の十一面観音立像が阿弥陀如来坐像の近くになかったので、思い切って聞いたら、奥の方にありました。数十センチの大きさしかなく、少し物足りなさを感じました。
京都駅到着後、駅ビル内のホテルに荷物を預け、トヨタレンタカー京都駅新幹線口店へ。ヴィッツをレンタルし、岩船寺へ向かいました。小雨の中、山門に着いたのは14:30頃でした。
この寺の御本尊は丈六の阿弥陀如来坐像で、僧侶の方の話によれば平等院の阿弥陀像より106年、近くの浄瑠璃寺の阿弥陀像より160年古いとのことでした。目的の十一面観音立像が阿弥陀如来坐像の近くになかったので、思い切って聞いたら、奥の方にありました。数十センチの大きさしかなく、少し物足りなさを感じました。
山門
十一面観音立像(図録「岩船寺」の写真をコピー)
昨年、京田辺市の観音寺を訪ねた際、「京都・南山城十一面観音巡礼」というリーフレットをいただきました。それは南山城、つまり京都府南端の寺院に安置された8体の十一面観音立像を紹介したものです。8体が安置されているのは、観音寺(国宝)、禅定寺(重文)、笠置寺、海住山寺(重文)、同奥の院(重文)、現光寺(重文)、岩船寺、寿宝寺(重文)です。
阿弥陀如来坐像(図録「岩船寺」の写真をコピー)
岩船寺の本尊である。欅の一木造りで重量感に満ちた3メートル近いいわゆる「丈六」の坐像。両手は定印(じょういん)を結び結跏趺坐(けっかふざ)し。肉身には漆箔を施し、衣には朱の彩色が残っている。
胎内に「□□九年丙午九月二日丁丑」の墨書銘文を持ち、元号が判別できないが九年が干支の丙午に当たる年は村上天皇の天慶9年(946)しかなく、また顔の円味を帯びて奥行のある造りや体躯の厚みのある肉取りは、平安末期の作例には見られぬもので、貞観時代から藤原時代初期の制作と見られる10世紀中期を代表する貴重な尊像である。寺伝では行基作と伝わる。
平安時代中期の天慶年間といえば「承平・天慶の乱」が起こり、治安の乱れが人々を不安に陥れた時代であった。そして末法思想が広まりを見せ、阿弥陀信仰が盛んとなる。岩船寺と同じくこの当尾に創建された浄瑠璃寺にも
九体阿弥陀堂が建立されたことから、この地域は極楽浄土を出現するにふさわしい霊地と考えられていたとも推測される。(図録「岩船寺」より)
胎内に「□□九年丙午九月二日丁丑」の墨書銘文を持ち、元号が判別できないが九年が干支の丙午に当たる年は村上天皇の天慶9年(946)しかなく、また顔の円味を帯びて奥行のある造りや体躯の厚みのある肉取りは、平安末期の作例には見られぬもので、貞観時代から藤原時代初期の制作と見られる10世紀中期を代表する貴重な尊像である。寺伝では行基作と伝わる。
平安時代中期の天慶年間といえば「承平・天慶の乱」が起こり、治安の乱れが人々を不安に陥れた時代であった。そして末法思想が広まりを見せ、阿弥陀信仰が盛んとなる。岩船寺と同じくこの当尾に創建された浄瑠璃寺にも
九体阿弥陀堂が建立されたことから、この地域は極楽浄土を出現するにふさわしい霊地と考えられていたとも推測される。(図録「岩船寺」より)
普賢菩薩騎象像(図録「岩船寺」の写真をコピー)
4月に「奈良西大寺展」(三井記念美術館、4月15日~6月11日)で見ました。今回は大阪開催の「奈良西大寺展」(あべのハルカス美術館、7月29日~9月24日)に出品中のため、見ることはできませんでした。
三重塔。小雨の中、アジサイが綺麗に咲いていました。
◆グッズ・土産
・図録「岩船寺」
・鈴
・図録「岩船寺」
・鈴