◆浄瑠璃寺
浄瑠璃寺は、京都府木津川市加茂町西小にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。
本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。(Wikipediaより)
本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。(Wikipediaより)
6月の初め、奈良西大寺展(三井記念美術館)で秘仏の吉祥天女像(吉祥天立像)を見ました。それ以来、浄瑠璃寺へ行こうと思っていました。今回吉祥天女像を見ることはできませんでしたが、九体阿弥陀如来像を見ることができ、とても感激しました。9体もの阿弥陀如来坐像が並ぶと圧倒されますし、厳かな気持ちにもなりました。
山門
九体阿弥陀如来像(パンフレットの写真をコピー)
平安期の堂・像共に現存するものとしては唯一となった九体阿弥陀仏。西の本尊で、未熟な私たちを理想の未来へ迎えてくれる如来。
“観無量寿経”にある九品往生(くぼんおうじょう)、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生(げぼんげしょう)からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上生(じょうぼんじょうしょう)まで9つの往生の段階があるという考えから、9つの如来をまつった。中尊は丈六像で来迎印(下生印)、他の8体は半丈六像で定印(上生印)を結んでいる。当寺以外の九体阿弥陀仏は、平安期の石仏が九州に、また江戸期の木造仏が東京(世田谷の九品仏・浄真寺)に残っている。(パンフレットから引用)
“観無量寿経”にある九品往生(くぼんおうじょう)、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生(げぼんげしょう)からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上生(じょうぼんじょうしょう)まで9つの往生の段階があるという考えから、9つの如来をまつった。中尊は丈六像で来迎印(下生印)、他の8体は半丈六像で定印(上生印)を結んでいる。当寺以外の九体阿弥陀仏は、平安期の石仏が九州に、また江戸期の木造仏が東京(世田谷の九品仏・浄真寺)に残っている。(パンフレットから引用)
矜羯羅(こんがら)童子(図録「浄瑠璃寺」の写真をコピー)
不動明王とそれに従う矜羯羅童子、制多迦(せいたか)童子の三尊像がありました。向かって右側にいるのがこの写真の矜羯羅童子で、とても優しい表情をしています。西大寺本堂の文殊菩薩騎獅像及び四侍者像の善財童子立像と表情が似ているように思います。
秘仏・吉祥天女像(奈良西大寺展HPより)
境内東側より九体阿弥陀堂を望む。
三重塔
帰り際、受付の建物に老猫(たぶん)がいました。
◆グッズ・土産
・図録「浄瑠璃寺」
・図録「浄瑠璃寺」