この歌集は現代短歌社が刊行している〈第1歌集文庫〉の一冊で、平成25年発行です。
今日、石田比呂志の第一歌集『無用の歌』(1965)を読みました。
この歌集と歌人について、巻末の阿木津英(あきつえい、元妻)による解説を引用します。
この歌集と歌人について、巻末の阿木津英(あきつえい、元妻)による解説を引用します。
16歳の頃、石川啄木歌集『一握の砂』を読んで救われ、歌人になりたいとこころざしたという。石田比呂志の16歳は敗戦直後、昭和21年のことであった。分厚いノートに啄木模倣の歌をぎっしりと書き溜めて2年後上京するが、瓦礫と廃墟の東京に夢破れて帰郷した。このとき現代短歌の世界があることをいまだ知らなかった。
岡井隆が「この国の地方にはいたるところ、結社の地方支部が組織の網を張っており、あちこちに豪族のような存在が点在している」(『無用の歌』序文)と書くこの「網」に、啄木に出会って以来8年間もひっかからずじまいだったということになる。ただひたすらに思いを胸中に疼かせているばかりであった。わずかに地元の青年団でガリ版刷文芸誌を作っては渇を癒していた。
昭和29年、宇部の土方飯場から投稿した歌が毎日歌壇の特選となる。また偶然「◯◯短歌会」という表札を見て山中鉄三氏に出会う。「文化に盲目で文学不毛の地」(石田)である郷里苅田町でも短歌活動を根づかせたいと、翌年個人ガリ版刷短歌誌「青濤」創刊、これをきっかけとして「結社の支部」の「組織の網」の糸口がようやくほどけ始めた。
そこからは一瀉千里であった。作歌力の成長とともに活躍の場を一気にひろげ、地方結社誌「標土」創刊の推進力となり、近隣各地の短歌会に参加、投稿する。
『無用の歌』の「出立」は、この時期からの歌をおさめる。
(中略)
『無用の歌』第一期は、この「出立」から「貧困以前」まで、ようやく歌人たらんとする道がひらけた時期にあたる。歌は若々しく精気に満ちあふれている。
(中略)
第二期は、結婚して大分県中津市あるいは豊前市に住んだ「桜町界隈」から「一身味方なし」あたりまでの、上京以前ということになろうか。この間、地方の短歌を志す青年たちと同人誌「牙」を創刊し、「未来」に入会した。職業を転々とし、生活は窮乏した。
歌は多く貧を嘆き、かつての精気は退いたように見え、やや屈する感のあるのは、生活窮乏のせいばかりではなかっただろう。「身の内に爆じけてやまぬ思い」を抱えながら、これからの歌人としての生きる方途に惑っていた。6、7年ばかりの間に、すでに石田比呂志にとって、日豊線沿線の地方歌壇はせまくるしくも飽和した環境となっていたのである。
(中略)
『無用の歌』第三期は、巻頭の「小心記」と巻末の「俗世抄」「歔欷流涕集」「脚のない椅子の唄える」など、上京後の時期にあたる。「小心記」は、上京して翌年の昭和38年、第9回「角川短歌賞」最終候補作6編の一つとして30首が掲載された一連である。これをもって、石田比呂志の短歌賞応募の時代は終る。
生活は相変わらず貧しかった。後見人もない身では一般会社がやとってくれない。求職のレベルを落してようやくキャバレー管理人兼掃除夫の職を見つけた。
しかし、歌にはそれまでの屈したところが見えない。「未来」の優秀なライバルたちに揉まれつつ、「土くさく、それでいて、状況を見きわめ、自己の力量を計算できる精悍な眼はし」(岡井隆)を働かせて、「野武士」の如くひそかに研鑽を積んだ。
『無用の歌』という歌集名は、後記に書くように当時読まれた唐木順三著『無用者の系譜』に触発されたものだろうが、一方で近藤芳美の高名な評論「新しき短歌の規定」中の「今日有用の歌」を連想させる。インテリゲンチャの良心を護る近藤芳美の「未来」にあって、肌合いの違う空気に全身で抗うかのような「無用の歌」宣言である。無頼な「文人風なスタイル」(我妻泰)をも受容理解する仲間たちに力づけられつつ、石田比呂志は自らの歌の生い立つ地盤を見出そうとしていた。
ただ一筋に歌をつくる人になりたいと念じに念じ、自分はどんな歌をつくる人になったらいいのかと探り悩みつつ、素手の手づかみで得るべきを得ていった。『無用の歌』は、稀なる文芸魂をもつ歌の徒石田比呂志の出立の歌集である。
岡井隆が「この国の地方にはいたるところ、結社の地方支部が組織の網を張っており、あちこちに豪族のような存在が点在している」(『無用の歌』序文)と書くこの「網」に、啄木に出会って以来8年間もひっかからずじまいだったということになる。ただひたすらに思いを胸中に疼かせているばかりであった。わずかに地元の青年団でガリ版刷文芸誌を作っては渇を癒していた。
昭和29年、宇部の土方飯場から投稿した歌が毎日歌壇の特選となる。また偶然「◯◯短歌会」という表札を見て山中鉄三氏に出会う。「文化に盲目で文学不毛の地」(石田)である郷里苅田町でも短歌活動を根づかせたいと、翌年個人ガリ版刷短歌誌「青濤」創刊、これをきっかけとして「結社の支部」の「組織の網」の糸口がようやくほどけ始めた。
そこからは一瀉千里であった。作歌力の成長とともに活躍の場を一気にひろげ、地方結社誌「標土」創刊の推進力となり、近隣各地の短歌会に参加、投稿する。
『無用の歌』の「出立」は、この時期からの歌をおさめる。
(中略)
『無用の歌』第一期は、この「出立」から「貧困以前」まで、ようやく歌人たらんとする道がひらけた時期にあたる。歌は若々しく精気に満ちあふれている。
(中略)
第二期は、結婚して大分県中津市あるいは豊前市に住んだ「桜町界隈」から「一身味方なし」あたりまでの、上京以前ということになろうか。この間、地方の短歌を志す青年たちと同人誌「牙」を創刊し、「未来」に入会した。職業を転々とし、生活は窮乏した。
歌は多く貧を嘆き、かつての精気は退いたように見え、やや屈する感のあるのは、生活窮乏のせいばかりではなかっただろう。「身の内に爆じけてやまぬ思い」を抱えながら、これからの歌人としての生きる方途に惑っていた。6、7年ばかりの間に、すでに石田比呂志にとって、日豊線沿線の地方歌壇はせまくるしくも飽和した環境となっていたのである。
(中略)
『無用の歌』第三期は、巻頭の「小心記」と巻末の「俗世抄」「歔欷流涕集」「脚のない椅子の唄える」など、上京後の時期にあたる。「小心記」は、上京して翌年の昭和38年、第9回「角川短歌賞」最終候補作6編の一つとして30首が掲載された一連である。これをもって、石田比呂志の短歌賞応募の時代は終る。
生活は相変わらず貧しかった。後見人もない身では一般会社がやとってくれない。求職のレベルを落してようやくキャバレー管理人兼掃除夫の職を見つけた。
しかし、歌にはそれまでの屈したところが見えない。「未来」の優秀なライバルたちに揉まれつつ、「土くさく、それでいて、状況を見きわめ、自己の力量を計算できる精悍な眼はし」(岡井隆)を働かせて、「野武士」の如くひそかに研鑽を積んだ。
『無用の歌』という歌集名は、後記に書くように当時読まれた唐木順三著『無用者の系譜』に触発されたものだろうが、一方で近藤芳美の高名な評論「新しき短歌の規定」中の「今日有用の歌」を連想させる。インテリゲンチャの良心を護る近藤芳美の「未来」にあって、肌合いの違う空気に全身で抗うかのような「無用の歌」宣言である。無頼な「文人風なスタイル」(我妻泰)をも受容理解する仲間たちに力づけられつつ、石田比呂志は自らの歌の生い立つ地盤を見出そうとしていた。
ただ一筋に歌をつくる人になりたいと念じに念じ、自分はどんな歌をつくる人になったらいいのかと探り悩みつつ、素手の手づかみで得るべきを得ていった。『無用の歌』は、稀なる文芸魂をもつ歌の徒石田比呂志の出立の歌集である。
以下、一読して気になった歌を引用します。
「小心記」
さまざまを明日へ押し除け押し除けて生きて来しかな沁みて思えば
ひとつずつ妻の可能を断ち切りて来し過去いまも断ち切りている
〈職業に貴賤あらず〉と噓を言うな耐え苦しみて吾は働く
頸細き妻の背後を混沌として歩みゆく陽光(ひかげ)を纏い
わが影の頭の部分ひとが踏み踏ませておりぬ心和ぐまで
不意のごと歩み来る妻よろめくと等量にしてわが挫折感
かなしみの刻をはかりている如く佇つフラミンゴの一本足
人間に見放されたるハイエナが時折われを見る首あげて
ライオンの眠り続くる檻の前狂暴をまことあくがれて立つ
着ぶくれているわれ街のウインドに映りおもむろに笑いこみあぐ
チェリー祭の案内状(カード)もろ手に抱え持ち歩む雨の街靴を汚して
繰り返しきたる挫折を不運などと言い逃れすな甘えて言うな
さはあれど妻を哀れと思うなりキャバレー管理人石田君の妻
口開けて寝(い)ねたる妻を見下ろせばあわれ一人(いちにん)の生(いき)狂わせつ
「出立」
人の子を抱きしばかりに仕方なく差し上ぐる〈海の向うまで見よ〉
灯をめぐり蛾・羽蟻など群れて飛ぶ夜は銭欲し人と生まれて
血の色に夕川は流れいたるなり若かりし母の肩に見たりき
花枇杷のこぼるる坂を上り来る君の背後(そびら)の海はひらたし
陽の匂い髪に溜め来し少女らに囲まれて美しき話を持たず
君の背に蹤いてゆきつつ振り向けば道の瓦礫がみな月に照る
「冬唱」
吹き上げてくる風のなか坂の上の樹に?拙まりて酔いているなり
坂なして歓楽の街に続く道凍りたる石を踏みて下りゆく
両手より雫垂らしてたちすくむ雨のなか惨めはいやと思いて
明日も来る道の角にて夜のポスト夜よりも暗き口開けて立つ
抱き来し女の肩を放したる用なき腕を垂らして帰る
黄に照れる枯草原を鳴る風に二月の土の乾きてやまず
未明まで人を摶たむと謀りたるさびしさ泥の如くに眠る
大股に跨ぎて来たる潦 夜の灯赤く沈めていたる
残りいし一葉をふるい落したる無花果の終(つい)の力を見たり
昆虫の翅を掲げてゆく蟻ら日射しおとろえし土の面も
屋上におれば幾箇所ひと群れてすぐ散りてゆく歩道が見ゆる
翳りなく笑うものよとある時の母の心をはかりかねつも
光りつつ濡れて売らるる夜の果実雨の街より買いて帰れり
「後列の中の顔」
働かねば食えぬと訴えくるさまの切羽つまればすでに怒号す
要求幾つ拒否せる団交に坐り来て顔貌固きままに眠りぬ
転身を思いきしかどやすやすと身を飜しゆく吾ならず
労務者の排除リストを作りつつ混沌とああさびしき勤め
心のどこか弱くなりたる感じにてゆうべしきりに洟の出る
忌避さるれば暮し立ち難き立場とぞいましめ合いて発言をせず
硝子戸の内より見えて葉裏もむ風のそよぎは音伴わず
ばらばらになりたる骨を組み直すように眠りぬ夜半帰り来て
雨天就労を主張しやまぬ労務者をなだめむとして椅子より立ちぬ
若き吾に叱咤さるれば労務者のひとりはスコップを声にして投ぐ
労働は美しとのみ言える語の客観なれば簡略に過ぐ
群衆の後部に蹤きてゆく吾の顔がひらたく硝子に映る
就労を拒否され雨のなかを帰る労務者ら大方雨具を纏わず
「貧困以前」
酔いて遅く帰り来たりし灯の下に塑像の如く母の坐(お)りたり
酔いて来し幾日の後も放置されわが見ゆる位置に泥つきし靴
映画館の要(い)らなくなりし絵看板無用のものに心躓く
軽々と吊り出されたる若ノ花を歩みつつ見つ街のテレビに
鉄骨の上に鋲打つ一人いてさびしと思う高きところも
貧困は人の心を弱くすとつきつめて今日しきりに思う
口つきて出づるさびしさいつまでも吾をめぐりて飛ぶ夜の蝿
繋がれている山羊が綱をいっぱいに張りてめぐりおり寒き土の上
冬陽射す午後の畑に闘鶏の老いし一羽は目つぶりて佇つ
ひと色よりおそらく咲くを知らぬ花乾きし球根を土に埋めゆく
ある時は体を不意に寄せてくるそのまま信じてよろしいことか
逢いている時もスカーフに包みいてさびしくなりてゆく君の顔
西に向くどの硝子窓も夕映えてひととき幸せの如く輝く
貧血に蹌踉(よろめ)く君を支えいて次第に凭れいる吾となる
幸せは光の如く過ぎゆくと淋しき言葉に思い当りつ
冬の灯の明るき卓に坐りざま少し幸せのように笑み交わす
スカートを固く捌きて坐りたる君に一瞬こころ薙(な)がるる
陽の当りいる街角を曲がりつつ何が啓くるというにもあらず
わが裡に乾く孤独と響き合い水涸れてゆく冬のプール
御(ぎょ)し易き男と君にも思われいて歯の欠けし口開けて笑いぬ
貧しきは心卑しくなりやすし人の場合を言うのみならず
「桜町界隈」
貧しきは穢れ易しと思いつつ泥の道ゆく泥を撥(は)ねつつ
職持たぬ吾は来たりて書店(みせ)の中に働く妻を舗道より覗く
あらあらと冬の日の射す道の上乞食が?偃るさまに坐したり
おそくまで物縫う妻の折折に手を休めいるさびしいのか
仕切られし売場にひと日坐り来し妻よ家にては自在に振舞え
雑踏のなかにて不意に立止る〈苦しみて人は何に生くるか〉
昼の部屋に膝を抱えておりたれば安仲光男酒提げ来たる
憐れみて古きオーバーを呉れむという古きオーバーを貰い来たりつ
生活の中の光の如くにも妻に磨かれて白き卵(らん)あり
焼酎を二合ほど飲みしばかりにて銭果てつ師走晦日の街に
人生とは遂になんならむと思えどもゆうべバス待つ人中におり
潔き貧などありや帰り来てしめる畳の上に坐りつ
はるかなる憧憬に似て夜空よりこぼるる光受けとめている
物体の如くエレベーターに運ばれて屋上に吾は抛り出されつ
断絶の思いを持ちて渡りゆく河をゆったり跨げる橋を
飛ぶ鳥を譬えば手?拙みにする如き幸せを長く思い来たりつ
〈働くに追いつく貧乏なし〉とああ虔ましき思想に抛り来し民ぞ
人間の吾も一人よポケットにいくばくの銭持ちて心和ぐ
生活を支えてゆかむ象徴とも涙ぐむまで太き妻の足
なるようになってみよと言う思い時に脈絡なくて湧きくる
職持たぬこの身しんじつ用なくて昼の沢庵を?筋み切りており
蹠を裏返し見せている如きわが生きざまを時に怖るる ※蹠=あしうら
生き惑い部屋にこもれる日日にして夕映は射す一つ高き窓
掌に溜るほどの日射しを恃み来て生きることまたわからなくなる
砂巻きて吹きくる風を面伏せて避けおり坂の中ほどにして
行商より帰り来たりて夜の土間に塩ふきいでしズボンをはたく
退け遅き妻を待ちつつ七輪に売れ残りたる干鯵を焙る
衆人にさらし来し顔を掌(て)に掩い夜は自らを庇うごと寝る
しみじみと相抱けども自らのことよりいくばくも思いは出でぬ
苦しみてする生活を見下ろして茫たり飾られて部屋の中のこけし
何をしても長続きせぬお人よと妻に言われつつまた職を変う
びんぼうにまけることなくいいうたをつくりますのできたいくだされ
持ち帰り来たりし怒り遣処(やりど)なしたかが彼よと思いきたりて
あなどられ来たりしことの口惜しけどあるいは感情の遊びを出でず
励まされいる吾のため泥の水が蒼く映している冬の空
暫くは離(わか)れて互みに働かむと妻に言う長きためらいの後
病み病みて衰えしるき妻を抱く思いきわまれば灯りを消して
病む妻の傍えに茫といたりしが払う如首振りて立上がる
生き後れ生きゆく吾の後頭にひろがりて修羅の如き夕映
少女なりし妻が貯め来しこけしらも伴えば罪の如しわが貧
身の内に爆じけてやまぬ思いあり夢としいわば美し過ぎむ
「一身味方なし」
年年に衰えきたる感受とぞ自らに言うさびしかれども
米磨ぎている妻の背に夕映のいまおもむろに移りつつあり
憧れは伸ばしたる手の範囲にてたとえば窓が切り取りし空
怒り抑えいたりしさまに立上がり口ごもる又かの日の如く
檻の中を歩む孔雀は羽を拡げわれは人生を諦め難し
手を握りくれよといえば病む妻の手を握りいていま暁(あけ)近し
ベッドより差し伸べし妻の手首握りやせし衰えしとわが言いあえず
ものの種子蒔きいる妻に自らのついに産めざる悲しみなきや
生活の足しにせよとぞ賜いたる銭のうちより酒少し買う
はからざる譏りを受けきはからざる誉のありき経来つ三十年 ※譏る=そしる
遅滞なくなべてのものは過ぎゆかむ一切のもの滞るなすし
勤め退(や)めて文学にゆきし宮柊二の潔さ羨しその豊かさも
真顔にて振り向き妻の吾に言う「ヒューマニズムなどと軽軽言うな」
「俗世抄」
いわけなき涙目尻に溜るなり後架にわれの跨がりていて
内臓を抉り出されている魚と抉り出しているしなやかな手と
借りし金間に置きて不甲斐なきあなたと妻に嘆かれている
これしきの貧乏がなに自らを励まし上る雨後の坂照る
ここにいま罵り合うはまぎれなくキャバレー管理人石田氏夫妻
材木に打ちかけられて立つ斧と人後に落ちしわれに落日
生きるとは闘いの謂(いい)暗闇を押しわけざまに外燈点る
働きておれば楽しという声の端的なるは心にぞ沁む
抑え難く感情の動く二日三日椅子に突き当り階に躓く
酒に呆けしあなたと言わるいくらかは呆けたる吾の頭かしれず
はかり難き心を持ちている一人眼差し深く坐りいる妻
不意にある地点よりわれの液化せむ暁暗(あけぐれ)に降る雨に歩けば
わが罠にかかりたるもの見覚えのある脛 使い古されし明日
「歔欷流涕(きょきりゅうてい)集」
冬越えて?茲こけし妻この妻を働かせまた盛夏を越えむ
やり直しきかぬ一生ぞ襟立てて疾く疾くとわが矮?默歩めり
屈したる吾の心のいくらかは立ち直らむよ深く眠らば
耐えて来しわが念念を思えればかくまで枉げて生きねばならぬ ※枉げて=まげて
朔太郎の〈死なない蛸〉が水槽に頭斜めに立ちいる哀れ
わが前を階上りゆく大いなる妻の臀部をたじろぎ仰ぐ
なにするとなき夜更けつつ翅青き扇風機が首振り振りている
内耳にはつね喚声の如きありゆきくれし心扱いかねつ
「脚のない椅子の唄える」
左手に妻の泪を右の手にわれの無頼をひっさげている
平らなる池の面に人は来て孤り石投げているさびしいぞ
靴下の穴より覗く親指がしきりにわれを侮りている
苦(にが)かりし生の果ともいわば言え〈鶏口たるとも牛後となるな〉
寒燈の下にある夜は過ぎにつつ孤りの放屁わずかに響く
「小心記」
さまざまを明日へ押し除け押し除けて生きて来しかな沁みて思えば
ひとつずつ妻の可能を断ち切りて来し過去いまも断ち切りている
〈職業に貴賤あらず〉と噓を言うな耐え苦しみて吾は働く
頸細き妻の背後を混沌として歩みゆく陽光(ひかげ)を纏い
わが影の頭の部分ひとが踏み踏ませておりぬ心和ぐまで
不意のごと歩み来る妻よろめくと等量にしてわが挫折感
かなしみの刻をはかりている如く佇つフラミンゴの一本足
人間に見放されたるハイエナが時折われを見る首あげて
ライオンの眠り続くる檻の前狂暴をまことあくがれて立つ
着ぶくれているわれ街のウインドに映りおもむろに笑いこみあぐ
チェリー祭の案内状(カード)もろ手に抱え持ち歩む雨の街靴を汚して
繰り返しきたる挫折を不運などと言い逃れすな甘えて言うな
さはあれど妻を哀れと思うなりキャバレー管理人石田君の妻
口開けて寝(い)ねたる妻を見下ろせばあわれ一人(いちにん)の生(いき)狂わせつ
「出立」
人の子を抱きしばかりに仕方なく差し上ぐる〈海の向うまで見よ〉
灯をめぐり蛾・羽蟻など群れて飛ぶ夜は銭欲し人と生まれて
血の色に夕川は流れいたるなり若かりし母の肩に見たりき
花枇杷のこぼるる坂を上り来る君の背後(そびら)の海はひらたし
陽の匂い髪に溜め来し少女らに囲まれて美しき話を持たず
君の背に蹤いてゆきつつ振り向けば道の瓦礫がみな月に照る
「冬唱」
吹き上げてくる風のなか坂の上の樹に?拙まりて酔いているなり
坂なして歓楽の街に続く道凍りたる石を踏みて下りゆく
両手より雫垂らしてたちすくむ雨のなか惨めはいやと思いて
明日も来る道の角にて夜のポスト夜よりも暗き口開けて立つ
抱き来し女の肩を放したる用なき腕を垂らして帰る
黄に照れる枯草原を鳴る風に二月の土の乾きてやまず
未明まで人を摶たむと謀りたるさびしさ泥の如くに眠る
大股に跨ぎて来たる潦 夜の灯赤く沈めていたる
残りいし一葉をふるい落したる無花果の終(つい)の力を見たり
昆虫の翅を掲げてゆく蟻ら日射しおとろえし土の面も
屋上におれば幾箇所ひと群れてすぐ散りてゆく歩道が見ゆる
翳りなく笑うものよとある時の母の心をはかりかねつも
光りつつ濡れて売らるる夜の果実雨の街より買いて帰れり
「後列の中の顔」
働かねば食えぬと訴えくるさまの切羽つまればすでに怒号す
要求幾つ拒否せる団交に坐り来て顔貌固きままに眠りぬ
転身を思いきしかどやすやすと身を飜しゆく吾ならず
労務者の排除リストを作りつつ混沌とああさびしき勤め
心のどこか弱くなりたる感じにてゆうべしきりに洟の出る
忌避さるれば暮し立ち難き立場とぞいましめ合いて発言をせず
硝子戸の内より見えて葉裏もむ風のそよぎは音伴わず
ばらばらになりたる骨を組み直すように眠りぬ夜半帰り来て
雨天就労を主張しやまぬ労務者をなだめむとして椅子より立ちぬ
若き吾に叱咤さるれば労務者のひとりはスコップを声にして投ぐ
労働は美しとのみ言える語の客観なれば簡略に過ぐ
群衆の後部に蹤きてゆく吾の顔がひらたく硝子に映る
就労を拒否され雨のなかを帰る労務者ら大方雨具を纏わず
「貧困以前」
酔いて遅く帰り来たりし灯の下に塑像の如く母の坐(お)りたり
酔いて来し幾日の後も放置されわが見ゆる位置に泥つきし靴
映画館の要(い)らなくなりし絵看板無用のものに心躓く
軽々と吊り出されたる若ノ花を歩みつつ見つ街のテレビに
鉄骨の上に鋲打つ一人いてさびしと思う高きところも
貧困は人の心を弱くすとつきつめて今日しきりに思う
口つきて出づるさびしさいつまでも吾をめぐりて飛ぶ夜の蝿
繋がれている山羊が綱をいっぱいに張りてめぐりおり寒き土の上
冬陽射す午後の畑に闘鶏の老いし一羽は目つぶりて佇つ
ひと色よりおそらく咲くを知らぬ花乾きし球根を土に埋めゆく
ある時は体を不意に寄せてくるそのまま信じてよろしいことか
逢いている時もスカーフに包みいてさびしくなりてゆく君の顔
西に向くどの硝子窓も夕映えてひととき幸せの如く輝く
貧血に蹌踉(よろめ)く君を支えいて次第に凭れいる吾となる
幸せは光の如く過ぎゆくと淋しき言葉に思い当りつ
冬の灯の明るき卓に坐りざま少し幸せのように笑み交わす
スカートを固く捌きて坐りたる君に一瞬こころ薙(な)がるる
陽の当りいる街角を曲がりつつ何が啓くるというにもあらず
わが裡に乾く孤独と響き合い水涸れてゆく冬のプール
御(ぎょ)し易き男と君にも思われいて歯の欠けし口開けて笑いぬ
貧しきは心卑しくなりやすし人の場合を言うのみならず
「桜町界隈」
貧しきは穢れ易しと思いつつ泥の道ゆく泥を撥(は)ねつつ
職持たぬ吾は来たりて書店(みせ)の中に働く妻を舗道より覗く
あらあらと冬の日の射す道の上乞食が?偃るさまに坐したり
おそくまで物縫う妻の折折に手を休めいるさびしいのか
仕切られし売場にひと日坐り来し妻よ家にては自在に振舞え
雑踏のなかにて不意に立止る〈苦しみて人は何に生くるか〉
昼の部屋に膝を抱えておりたれば安仲光男酒提げ来たる
憐れみて古きオーバーを呉れむという古きオーバーを貰い来たりつ
生活の中の光の如くにも妻に磨かれて白き卵(らん)あり
焼酎を二合ほど飲みしばかりにて銭果てつ師走晦日の街に
人生とは遂になんならむと思えどもゆうべバス待つ人中におり
潔き貧などありや帰り来てしめる畳の上に坐りつ
はるかなる憧憬に似て夜空よりこぼるる光受けとめている
物体の如くエレベーターに運ばれて屋上に吾は抛り出されつ
断絶の思いを持ちて渡りゆく河をゆったり跨げる橋を
飛ぶ鳥を譬えば手?拙みにする如き幸せを長く思い来たりつ
〈働くに追いつく貧乏なし〉とああ虔ましき思想に抛り来し民ぞ
人間の吾も一人よポケットにいくばくの銭持ちて心和ぐ
生活を支えてゆかむ象徴とも涙ぐむまで太き妻の足
なるようになってみよと言う思い時に脈絡なくて湧きくる
職持たぬこの身しんじつ用なくて昼の沢庵を?筋み切りており
蹠を裏返し見せている如きわが生きざまを時に怖るる ※蹠=あしうら
生き惑い部屋にこもれる日日にして夕映は射す一つ高き窓
掌に溜るほどの日射しを恃み来て生きることまたわからなくなる
砂巻きて吹きくる風を面伏せて避けおり坂の中ほどにして
行商より帰り来たりて夜の土間に塩ふきいでしズボンをはたく
退け遅き妻を待ちつつ七輪に売れ残りたる干鯵を焙る
衆人にさらし来し顔を掌(て)に掩い夜は自らを庇うごと寝る
しみじみと相抱けども自らのことよりいくばくも思いは出でぬ
苦しみてする生活を見下ろして茫たり飾られて部屋の中のこけし
何をしても長続きせぬお人よと妻に言われつつまた職を変う
びんぼうにまけることなくいいうたをつくりますのできたいくだされ
持ち帰り来たりし怒り遣処(やりど)なしたかが彼よと思いきたりて
あなどられ来たりしことの口惜しけどあるいは感情の遊びを出でず
励まされいる吾のため泥の水が蒼く映している冬の空
暫くは離(わか)れて互みに働かむと妻に言う長きためらいの後
病み病みて衰えしるき妻を抱く思いきわまれば灯りを消して
病む妻の傍えに茫といたりしが払う如首振りて立上がる
生き後れ生きゆく吾の後頭にひろがりて修羅の如き夕映
少女なりし妻が貯め来しこけしらも伴えば罪の如しわが貧
身の内に爆じけてやまぬ思いあり夢としいわば美し過ぎむ
「一身味方なし」
年年に衰えきたる感受とぞ自らに言うさびしかれども
米磨ぎている妻の背に夕映のいまおもむろに移りつつあり
憧れは伸ばしたる手の範囲にてたとえば窓が切り取りし空
怒り抑えいたりしさまに立上がり口ごもる又かの日の如く
檻の中を歩む孔雀は羽を拡げわれは人生を諦め難し
手を握りくれよといえば病む妻の手を握りいていま暁(あけ)近し
ベッドより差し伸べし妻の手首握りやせし衰えしとわが言いあえず
ものの種子蒔きいる妻に自らのついに産めざる悲しみなきや
生活の足しにせよとぞ賜いたる銭のうちより酒少し買う
はからざる譏りを受けきはからざる誉のありき経来つ三十年 ※譏る=そしる
遅滞なくなべてのものは過ぎゆかむ一切のもの滞るなすし
勤め退(や)めて文学にゆきし宮柊二の潔さ羨しその豊かさも
真顔にて振り向き妻の吾に言う「ヒューマニズムなどと軽軽言うな」
「俗世抄」
いわけなき涙目尻に溜るなり後架にわれの跨がりていて
内臓を抉り出されている魚と抉り出しているしなやかな手と
借りし金間に置きて不甲斐なきあなたと妻に嘆かれている
これしきの貧乏がなに自らを励まし上る雨後の坂照る
ここにいま罵り合うはまぎれなくキャバレー管理人石田氏夫妻
材木に打ちかけられて立つ斧と人後に落ちしわれに落日
生きるとは闘いの謂(いい)暗闇を押しわけざまに外燈点る
働きておれば楽しという声の端的なるは心にぞ沁む
抑え難く感情の動く二日三日椅子に突き当り階に躓く
酒に呆けしあなたと言わるいくらかは呆けたる吾の頭かしれず
はかり難き心を持ちている一人眼差し深く坐りいる妻
不意にある地点よりわれの液化せむ暁暗(あけぐれ)に降る雨に歩けば
わが罠にかかりたるもの見覚えのある脛 使い古されし明日
「歔欷流涕(きょきりゅうてい)集」
冬越えて?茲こけし妻この妻を働かせまた盛夏を越えむ
やり直しきかぬ一生ぞ襟立てて疾く疾くとわが矮?默歩めり
屈したる吾の心のいくらかは立ち直らむよ深く眠らば
耐えて来しわが念念を思えればかくまで枉げて生きねばならぬ ※枉げて=まげて
朔太郎の〈死なない蛸〉が水槽に頭斜めに立ちいる哀れ
わが前を階上りゆく大いなる妻の臀部をたじろぎ仰ぐ
なにするとなき夜更けつつ翅青き扇風機が首振り振りている
内耳にはつね喚声の如きありゆきくれし心扱いかねつ
「脚のない椅子の唄える」
左手に妻の泪を右の手にわれの無頼をひっさげている
平らなる池の面に人は来て孤り石投げているさびしいぞ
靴下の穴より覗く親指がしきりにわれを侮りている
苦(にが)かりし生の果ともいわば言え〈鶏口たるとも牛後となるな〉
寒燈の下にある夜は過ぎにつつ孤りの放屁わずかに響く