『石田比呂志全歌集』(01)より、第四歌集『琅■(ろうかん)』(78)と第五歌集『長酣集』(81)について、一読して気になった歌を引用します。※■は王偏に「干」
◆琅■(ろうかん)
五つ六つ垂れさがりたる枯へちま今日秋風に切り落すかな
からくりのようやく見えて来しかども憤ろしというにもあらず
養魚槽に注げる水の単調の音をしばらく耳に遊ばす
歌のあり友ありてたまものの一夜あり鶏一羽さげて戻り来つ
さりさりと?筋めばセロリの香にたちて轗軻(かんか)不遇のかりそめならず ※轗軻=好機にめぐまれず志を得ないこと
宗教のことはさはあれ両の袖ひろげしシャツが竿に垂れおり
平常心是道というも愚しくなりて坐れりしろさるすべり
春香をふふめる風を孕むゆえ琅■(ろうかん)は鳴る竹の林に ※琅■(ろうかん)=美しい竹
冬ざれの光の中にまふたつに割りし白菜芯まで寒し
ほの暗き葉群がなかに育みて点れるごときいちじくの実よ
定職をもたぬ閑暇をたのしぶということ生活の余裕ということ
食みこぼす飯(いい)を畳に拾いつつおのずからなる笑いとなりつ
死にざまをきっと見届けやらむとぞ言うをわが聞く先の妻より
積悪の報いとならば肝痛むことさえいまはいとおしみけり
湯上りの女(おみな)の体しずくして手もてやさしく陰を覆えり
大根を描かむとして大根のおのずからなる線の豊けさ
顔寒く畳におれば朝(あした)よりしきりに複雑感情動く
酒ややに飲みて新宿に相別る齢経しかばさばさばとして
咲きたけて汚くなりし紫木蓮寒(かん)のもどりの雨に濡れつつ
今ははや君の形見の被布を身に冷えし畳を踏みて立ちたり
金柑のつぶらまろ実を含みつつ口中の酸腹中の惨
雨ふふむあじさい青し身を破る酒は飲むなと告げやらましを
地図を見ておりけるうちにだんだんにうれしくなりぬ空想をして
きぞの夜の夢にひとたび死ににけり秋風に身を置けば軽(かろ)さよ
哲学的思惟より思想的苦悩より只今は衰えし性欲のこと
相生(あいおい)の如くに集いいる見れば歌とはついに生きるということ
新聞紙に巻きたる鯖の頭半分はみ出でたるをさげて歩めり
つらなめてゆくかりがねの夕空に一羽かあげし声の鋭さ
山の端に日の没りゆきてあかあかと山の向うに雲のかがやく
和音読ローバイ漢名?椈梅にして江戸初期渡来馥郁とせり ※馥郁(ふくいく)=よい香のただようさま
五つ六つ垂れさがりたる枯へちま今日秋風に切り落すかな
からくりのようやく見えて来しかども憤ろしというにもあらず
養魚槽に注げる水の単調の音をしばらく耳に遊ばす
歌のあり友ありてたまものの一夜あり鶏一羽さげて戻り来つ
さりさりと?筋めばセロリの香にたちて轗軻(かんか)不遇のかりそめならず ※轗軻=好機にめぐまれず志を得ないこと
宗教のことはさはあれ両の袖ひろげしシャツが竿に垂れおり
平常心是道というも愚しくなりて坐れりしろさるすべり
春香をふふめる風を孕むゆえ琅■(ろうかん)は鳴る竹の林に ※琅■(ろうかん)=美しい竹
冬ざれの光の中にまふたつに割りし白菜芯まで寒し
ほの暗き葉群がなかに育みて点れるごときいちじくの実よ
定職をもたぬ閑暇をたのしぶということ生活の余裕ということ
食みこぼす飯(いい)を畳に拾いつつおのずからなる笑いとなりつ
死にざまをきっと見届けやらむとぞ言うをわが聞く先の妻より
積悪の報いとならば肝痛むことさえいまはいとおしみけり
湯上りの女(おみな)の体しずくして手もてやさしく陰を覆えり
大根を描かむとして大根のおのずからなる線の豊けさ
顔寒く畳におれば朝(あした)よりしきりに複雑感情動く
酒ややに飲みて新宿に相別る齢経しかばさばさばとして
咲きたけて汚くなりし紫木蓮寒(かん)のもどりの雨に濡れつつ
今ははや君の形見の被布を身に冷えし畳を踏みて立ちたり
金柑のつぶらまろ実を含みつつ口中の酸腹中の惨
雨ふふむあじさい青し身を破る酒は飲むなと告げやらましを
地図を見ておりけるうちにだんだんにうれしくなりぬ空想をして
きぞの夜の夢にひとたび死ににけり秋風に身を置けば軽(かろ)さよ
哲学的思惟より思想的苦悩より只今は衰えし性欲のこと
相生(あいおい)の如くに集いいる見れば歌とはついに生きるということ
新聞紙に巻きたる鯖の頭半分はみ出でたるをさげて歩めり
つらなめてゆくかりがねの夕空に一羽かあげし声の鋭さ
山の端に日の没りゆきてあかあかと山の向うに雲のかがやく
和音読ローバイ漢名?椈梅にして江戸初期渡来馥郁とせり ※馥郁(ふくいく)=よい香のただようさま
◆長酣集
月曜の動物園の猿の檻の前に立ちおりネクタイをして
西方に光収めてゆく雲を窓に頬杖つきて見ており
こうもりの傘を叩きてふる雨の音を頭上に伴いてゆく
ふくらみてくる感情をぽけっとに握りつぶして出でて来にけり
青桐の直枝(すぐえ)直枝のいただきに紅(くれない)させる頃とはなりぬ
短絡に向かう心理をあやしつつ風吹き抜くる階を下りぬ
若き代(よ)は終りたるらし萍(うきくさ)の上をはしれる夕立のあめ
散華する花のゆくえや別れたる妻と見ている今年のさくら
ゆうぐれの土の面に濡れながら落ちし杏の熟実(うれみ)かがやく
桐の葉の破れ青葉を濡らしいし昨日の雨の今日上りたり
夏寂(さ)ぶる豊後佐伯に仰ぎける白日光はいたく静けし
たるみたる涙袋を衰亡の具体化として己れさびしむ
くれないに濁る遠夜(おちぞら)森こえて動物園にけだものの吼ゆ
目途ひとつある筈なけど午後三時させる時計を覗きみて立つ
ゆまりをば捨てに厠に来しときにああサーカスのジンタが聞こゆ
風薫る春の昼過ぎいずかたへ向けて屠られにゆく豚の尻
酒飲みて夜の巷におりしかどいざ帰りなむ病む父のへに
〈長酣をもちて高達せりとす〉と唐(から)の酒訓の一行のこと
昼の暑(しょ)のこもれる部屋に濃密の闇が来ており外より暗く
ここ過ぎてなおゆく旅や土間に置く烏賊の眼は濡れて光れり
昼近き小木の港の雑貨屋にひと日遅れの新聞を買う
飛魚は翅もつからに波の間を泪のごとく光りつつ飛ぶ
たわむれに深淵覗くこと勿れけさ朝顔の藍のいろ濃し
魂を串刺しにして日に焙る遠き連嶺に日は当りつつ
しろじろと浮く夕顔の花二輪こころ遊びの迂路もわかりて
子の無きをさびしがりいるかたわらに酒瓶は夜の影ひきて立つ
吊皮に縋りいし手をぶらさげて帰り来ぬ誰も居らざる部屋に
手の甲に拭う涙は体より出でくるゆえに浄くはあらぬ
大根を手にぶらさげて魚屋を覗き隣りの肉屋を覗く
表情を窺うごとき犬の貌今日は主人(あるじ)のわれからのぞく
信号を待ちてわが立つ対向に手に遮光している人の見ゆ
連想は連想をよびさましつつしぐるる街を傘さしてゆく
人は人われはわれとぞ通俗の力を借りてこころは鋼(はがね)
下戸に無き楽しみごとの一つにて酒は嗜好の上に尊し
電車より降りてしばらく散文的時間の淵を漂うわれは
配偶者欄に記す内妻という文字にゆるぐ思いを人に知らゆな
満天の星を仰ぎて上りゆく坂のなかほど爪先冷えて
平凡にひかり及びて左足爪先欠けし制吒迦童子
疎まれておりける犬の憂鬱の鼻の頭に蠅とまりいる
運命に従うごとくしろたえの椿の花は枝を放れつ
十日まりのびししらひげ剃り払い歌へこころを戻してゆきぬ
信号の変るを待ちているあいだ雨に降らるる今日の運命
寒き日とぬくき日ありておのずから今日の寒さにわれは従う
月曜の動物園の猿の檻の前に立ちおりネクタイをして
西方に光収めてゆく雲を窓に頬杖つきて見ており
こうもりの傘を叩きてふる雨の音を頭上に伴いてゆく
ふくらみてくる感情をぽけっとに握りつぶして出でて来にけり
青桐の直枝(すぐえ)直枝のいただきに紅(くれない)させる頃とはなりぬ
短絡に向かう心理をあやしつつ風吹き抜くる階を下りぬ
若き代(よ)は終りたるらし萍(うきくさ)の上をはしれる夕立のあめ
散華する花のゆくえや別れたる妻と見ている今年のさくら
ゆうぐれの土の面に濡れながら落ちし杏の熟実(うれみ)かがやく
桐の葉の破れ青葉を濡らしいし昨日の雨の今日上りたり
夏寂(さ)ぶる豊後佐伯に仰ぎける白日光はいたく静けし
たるみたる涙袋を衰亡の具体化として己れさびしむ
くれないに濁る遠夜(おちぞら)森こえて動物園にけだものの吼ゆ
目途ひとつある筈なけど午後三時させる時計を覗きみて立つ
ゆまりをば捨てに厠に来しときにああサーカスのジンタが聞こゆ
風薫る春の昼過ぎいずかたへ向けて屠られにゆく豚の尻
酒飲みて夜の巷におりしかどいざ帰りなむ病む父のへに
〈長酣をもちて高達せりとす〉と唐(から)の酒訓の一行のこと
昼の暑(しょ)のこもれる部屋に濃密の闇が来ており外より暗く
ここ過ぎてなおゆく旅や土間に置く烏賊の眼は濡れて光れり
昼近き小木の港の雑貨屋にひと日遅れの新聞を買う
飛魚は翅もつからに波の間を泪のごとく光りつつ飛ぶ
たわむれに深淵覗くこと勿れけさ朝顔の藍のいろ濃し
魂を串刺しにして日に焙る遠き連嶺に日は当りつつ
しろじろと浮く夕顔の花二輪こころ遊びの迂路もわかりて
子の無きをさびしがりいるかたわらに酒瓶は夜の影ひきて立つ
吊皮に縋りいし手をぶらさげて帰り来ぬ誰も居らざる部屋に
手の甲に拭う涙は体より出でくるゆえに浄くはあらぬ
大根を手にぶらさげて魚屋を覗き隣りの肉屋を覗く
表情を窺うごとき犬の貌今日は主人(あるじ)のわれからのぞく
信号を待ちてわが立つ対向に手に遮光している人の見ゆ
連想は連想をよびさましつつしぐるる街を傘さしてゆく
人は人われはわれとぞ通俗の力を借りてこころは鋼(はがね)
下戸に無き楽しみごとの一つにて酒は嗜好の上に尊し
電車より降りてしばらく散文的時間の淵を漂うわれは
配偶者欄に記す内妻という文字にゆるぐ思いを人に知らゆな
満天の星を仰ぎて上りゆく坂のなかほど爪先冷えて
平凡にひかり及びて左足爪先欠けし制吒迦童子
疎まれておりける犬の憂鬱の鼻の頭に蠅とまりいる
運命に従うごとくしろたえの椿の花は枝を放れつ
十日まりのびししらひげ剃り払い歌へこころを戻してゆきぬ
信号の変るを待ちているあいだ雨に降らるる今日の運命
寒き日とぬくき日ありておのずから今日の寒さにわれは従う