先日、村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000)収録の「アイロンのある風景」を読み、ジャック・ロンドンの短編集を読もうと思いました。
今日、ジャック・ロンドンの短編集『火を熾(おこ)す』(柴田元幸編訳、08)を読み終えました。
この作品について、帯の解説文を引用します。
今日、ジャック・ロンドンの短編集『火を熾(おこ)す』(柴田元幸編訳、08)を読み終えました。
この作品について、帯の解説文を引用します。
本書では、一本一本の質を最優先するとともに、作風の多様性も伝わるよう、ロンドンの短篇小説群のなかから9本を選んで訳した。……ロンドンの短篇の終わり方は、個人的に非常に面白いと思っていて、時にはほとんど冗談のように、それまでの展開をふっと裏切って、ご都合主義みたいなハッピーエンドが訪れたりする。そうした勝利の「とりあえず」感が、逆に、人生において我々が遂げるさまざまな勝利の「とりあえず」さを暗示しているようでもいて、厳かな悲劇的結末とはまた違うリアリティをたたえている気がする。 ――「訳者あとがき」より
【収録作品】( )は発表年
◆火を熾す(1908)
男が一人、酷寒のユーコン川の凍った川床を歩いています。そして、雪の下に隠れていた水溜りに足をとられ、膝下の半分を濡らしてしまいます。そのまま放置すると凍傷にかかり、命の危険にさらされます。男は火を熾そうとしますが、さまざまなアクシデントが重なり、火は途中で消えてしまいます。
男は「零下50度以下になったら何人たりとも一人でクロンダイクを旅してはならない」という、サルファー・クリークの古参の説教を思い出し、自分が過ちを犯したことを自覚します。
男が死へと向かう過程が淡々と描かれますが、男の不安や後悔がよく伝わり、最後まで緊張が続きました。
◆火を熾す(1908)
男が一人、酷寒のユーコン川の凍った川床を歩いています。そして、雪の下に隠れていた水溜りに足をとられ、膝下の半分を濡らしてしまいます。そのまま放置すると凍傷にかかり、命の危険にさらされます。男は火を熾そうとしますが、さまざまなアクシデントが重なり、火は途中で消えてしまいます。
男は「零下50度以下になったら何人たりとも一人でクロンダイクを旅してはならない」という、サルファー・クリークの古参の説教を思い出し、自分が過ちを犯したことを自覚します。
男が死へと向かう過程が淡々と描かれますが、男の不安や後悔がよく伝わり、最後まで緊張が続きました。
◆メキシコ人(11)
メキシコ革命とボクシング。リベラはなぜ、メキシコ革命の組織に入ったのか? なぜ、ボクサーとしてリングに上がるのか? ボクシングシーンはとても迫力があり、最後までドキドキさせられました。まるで、スタローン主演の映画『ロッキー』(76)のようでした。
メキシコ革命とボクシング。リベラはなぜ、メキシコ革命の組織に入ったのか? なぜ、ボクサーとしてリングに上がるのか? ボクシングシーンはとても迫力があり、最後までドキドキさせられました。まるで、スタローン主演の映画『ロッキー』(76)のようでした。
メキシコ革命
20世紀初頭のメキシコで、19世紀後半以来のディアスの独裁体制が倒され、内戦の末に新たな政治体制の枠組みが生まれた過程をさす。
1910年にマデーロが独裁体制の打倒を呼びかけて革命は始まった。ディアスは翌年亡命しマデーロが大統領に就任したが、13年にウエルタの謀反で暗殺され、内戦状態となった。14年にウエルタは追放されカランサが主導権を握ったが、農地改革を主張するビリャやサパタと対立し内戦状態が続いた。
この間、進歩的な内容の1917年憲法が制定された。19年のサパタの暗殺、20年のカランサの暗殺とビリャの引退によって内戦状態は終結した。憲法の内容はなかなか実行されなかったが、カルデナス政権(1934-40年)で農地改革や石油産業国有化が実現され、労働条件の改善が進められた。(『山川 世界史小辞典(改訂新版)』より)
20世紀初頭のメキシコで、19世紀後半以来のディアスの独裁体制が倒され、内戦の末に新たな政治体制の枠組みが生まれた過程をさす。
1910年にマデーロが独裁体制の打倒を呼びかけて革命は始まった。ディアスは翌年亡命しマデーロが大統領に就任したが、13年にウエルタの謀反で暗殺され、内戦状態となった。14年にウエルタは追放されカランサが主導権を握ったが、農地改革を主張するビリャやサパタと対立し内戦状態が続いた。
この間、進歩的な内容の1917年憲法が制定された。19年のサパタの暗殺、20年のカランサの暗殺とビリャの引退によって内戦状態は終結した。憲法の内容はなかなか実行されなかったが、カルデナス政権(1934-40年)で農地改革や石油産業国有化が実現され、労働条件の改善が進められた。(『山川 世界史小辞典(改訂新版)』より)
◆水の子(18)
「私」は老コホクムからハワイの神話を聞かされます。「私」がマウイ(ポリネシアの半神)の神話は大法螺じゃないかと言うと、老コホクムは〈はじまりの大男=キリスト教の神〉の大法螺よりもマウイの小法螺を信じる方が簡単と言い返します。老コホクムの言葉は、ハワイの信仰を未開と見下している「私」への痛烈な一撃のように思います。
「私」は老コホクムからハワイの神話を聞かされます。「私」がマウイ(ポリネシアの半神)の神話は大法螺じゃないかと言うと、老コホクムは〈はじまりの大男=キリスト教の神〉の大法螺よりもマウイの小法螺を信じる方が簡単と言い返します。老コホクムの言葉は、ハワイの信仰を未開と見下している「私」への痛烈な一撃のように思います。
◆生の掟(01)
極北に生きるイヌイットの話。老コスクーシュは、まわりのテントが次々にたたまれ、犬橇に積み込まれる音を聞きます。飢えに苦しむ一族は獲物を求め、今まさに旅立とうとしているのです。そして、彼はその場に置き去りにされることを悟ります。彼のもとにはわずかな薪が残され、それが燃え尽きるとき、無情な寒さが勢いを増し、やがて彼は死を迎えることになるのです。
一族の足手まといになった老人は置き去りにされるのが、彼らの「生の掟」なのです、実際、老コスクーシュも自分の父親に対して同じことをしてきました。
極北に生きるイヌイットの話。老コスクーシュは、まわりのテントが次々にたたまれ、犬橇に積み込まれる音を聞きます。飢えに苦しむ一族は獲物を求め、今まさに旅立とうとしているのです。そして、彼はその場に置き去りにされることを悟ります。彼のもとにはわずかな薪が残され、それが燃え尽きるとき、無情な寒さが勢いを増し、やがて彼は死を迎えることになるのです。
一族の足手まといになった老人は置き去りにされるのが、彼らの「生の掟」なのです、実際、老コスクーシュも自分の父親に対して同じことをしてきました。
命に対して自然はひとつの任を課し、ひとつの掟を与えた。永続することが命の任、掟は死である。乙女とは見目麗しい生き物であり、胸は豊かで身は逞しく、歩みには弾みが、目には輝きがある。その任はいまだ先に控えている。目の光はなおいっそう増し、歩みはさらに速まり、若い男たち相手に大胆になったかと思えば臆病になり、乙女は彼らに、己の落着かぬ思いを託す。見目はますます麗しくなって、やがて誰か狩人が、それ以上堪えられずに乙女を自分のテントへ連れてゆく。女は彼のために食事を作り、働き、彼の子らの母となる。そうして、子孫が訪れるとともに容姿は衰える。脚は引きずるようになり、目は霞み、炉辺の老婆の萎びた?茲に悦びを見出すのは幼い子供らのみ。彼女の任は果たされた。まもなく、飢饉の訪れとともに、あるいは長い旅がはじまり次第、老婆は置き去りにされる。いまの彼と同じく、小さな薪の山を与えられて、雪のなかに残される。それが掟だ。(P104-105)
老コスクーシュは弱まりゆく火を眺めながら、幼い頃に目撃した、群れから離れた老ヘラジカが狼の群れに引き倒される場面を回想します。やがて現実に戻ったとき、彼は狼の群れに取り囲まれていることを知ります。
あまりにも壮絶な話です。「生きる」ということは「死」を覚悟するということなのでしょうか。「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(村上春樹「螢」)という言葉を思い出しました。
あまりにも壮絶な話です。「生きる」ということは「死」を覚悟するということなのでしょうか。「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(村上春樹「螢」)という言葉を思い出しました。
◆影と閃光(03)
ロイドとポールは体型や性格、優れた能力など、瓜二つと言ってもいいくらい似ていました。二人は幼い頃から激しいライバル心をぶつけあいましたが、お互いを高め合うというよりは、意地の張り合いになって行き、悲劇的な最期を迎えます。
ロイドとポールは体型や性格、優れた能力など、瓜二つと言ってもいいくらい似ていました。二人は幼い頃から激しいライバル心をぶつけあいましたが、お互いを高め合うというよりは、意地の張り合いになって行き、悲劇的な最期を迎えます。
◆戦争(11)
いつ、どこの戦争だろう? 彼は鹿毛の馬に乗り、単身偵察の任務についていました。馬をつなぎ、しばらく歩いた藪の中から小川の対岸を見張っていると、ショウガ色のひげをはやした敵兵が現れました。敵兵は彼に気づかず至近距離まで近づいてきましたが、彼は発砲しませんでした。
別の日、単身偵察に出ていた彼は10名余の敵兵と遭遇しました。彼は近くの森の中に逃げ込もうと、敵兵の一斉射撃をかいくぐって一目散に逃げました。もう少しで逃げ切れるだろうと思い後ろを振り返った時、彼はあのショウガ色のひげの男が地面にひざまずき、ロングショットを決めようと狙いを定めている姿を目にします。
わずか9ページの小品ですが、とても緊迫感があり、戦場の光景が映像として頭に浮かんできます。戦場では敵への情けやためらいは自らの死を招く、ということでしょうか? 多くの映画やドラマでも似たような場面を見てきました。トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』(98)にもそういう場面があったように思います。
いつ、どこの戦争だろう? 彼は鹿毛の馬に乗り、単身偵察の任務についていました。馬をつなぎ、しばらく歩いた藪の中から小川の対岸を見張っていると、ショウガ色のひげをはやした敵兵が現れました。敵兵は彼に気づかず至近距離まで近づいてきましたが、彼は発砲しませんでした。
別の日、単身偵察に出ていた彼は10名余の敵兵と遭遇しました。彼は近くの森の中に逃げ込もうと、敵兵の一斉射撃をかいくぐって一目散に逃げました。もう少しで逃げ切れるだろうと思い後ろを振り返った時、彼はあのショウガ色のひげの男が地面にひざまずき、ロングショットを決めようと狙いを定めている姿を目にします。
わずか9ページの小品ですが、とても緊迫感があり、戦場の光景が映像として頭に浮かんできます。戦場では敵への情けやためらいは自らの死を招く、ということでしょうか? 多くの映画やドラマでも似たような場面を見てきました。トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』(98)にもそういう場面があったように思います。
◆一枚のステーキ(09)
トム・キングは40歳のヘビー級ボクサー。すでに体力は衰え、引退してもおかしくない年齢ですが、妻と2人の子供を養うためにボクシングを続けています。
今夜、彼は若いサンデルと対戦します。勝てば30ポンドが手に入り、負ければ3ポンドだけ。30ポンドあれば借金を返しても、手元にいくらかは残ります。しかし生活のため、彼は十分なトレーニングができなかったし、また食事も十分に取れないまま、リングに上がらなければなりませんでした。せめて試合前にステーキを1枚食べたかったという思いを抱えながら。
試合は若く勢いに勝るサンデルが攻め続けます。トムはかつてニュー・サウスウェルズ州(州都:シドニー)のチャンピオンだったこともあり、その経験とテクニックを生かし、できるだけスタミナを温存し、サンデルがスタミナ切れになるのを待つ作戦でした。彼はサンデルから何度かダウンを奪いましたが、第11ラウンド(当時は20ラウンド制)になると、力尽き、KO負けを喫します。
トムは、試合中も、試合後も、試合前にステーキを1枚食べてさえいればサンデルをKOできたと悔やみます。
トム・キングは40歳のヘビー級ボクサー。すでに体力は衰え、引退してもおかしくない年齢ですが、妻と2人の子供を養うためにボクシングを続けています。
今夜、彼は若いサンデルと対戦します。勝てば30ポンドが手に入り、負ければ3ポンドだけ。30ポンドあれば借金を返しても、手元にいくらかは残ります。しかし生活のため、彼は十分なトレーニングができなかったし、また食事も十分に取れないまま、リングに上がらなければなりませんでした。せめて試合前にステーキを1枚食べたかったという思いを抱えながら。
試合は若く勢いに勝るサンデルが攻め続けます。トムはかつてニュー・サウスウェルズ州(州都:シドニー)のチャンピオンだったこともあり、その経験とテクニックを生かし、できるだけスタミナを温存し、サンデルがスタミナ切れになるのを待つ作戦でした。彼はサンデルから何度かダウンを奪いましたが、第11ラウンド(当時は20ラウンド制)になると、力尽き、KO負けを喫します。
トムは、試合中も、試合後も、試合前にステーキを1枚食べてさえいればサンデルをKOできたと悔やみます。
若さの回復の速さを彼は知っていた。その回復さえ妨げられれば、勝利は自分のものだ。一発強いパンチを決めれば片がつく。もう勝負はこっちのものだ。彼はサンデルに作戦で勝ち、打ち合いで勝ち、ポイントで勝っている。サンデルはふらふらとクリンチから離れ、負けるか踏みとどまるかの線上に立っていた。一発まともなブローを喰らえば、ばったり倒れて、それっきり起き上がるまい。と、トム・キングは一枚のステーキのことを、ふっと湧いた恨めしい思いとともに思い出し、何としてでも送り出さねばならぬ最後のパンチにそのステーキの力が加わっていれば、と思わずにイラレなかっった。必死に自分を叱咤してブローを送り出したが、重さも速さも足りなかった。サンデルはよろめいたが、倒れなかった。よろよろとロープに後退し、つかまった。キングもよろよろとあとを追い、死のごとき苦悶とともにもう一発ブローをくり出した。だが体はもう彼を見捨てていた。残っているのは、戦おうとする知力のみであり、その知力も疲労で霞み、曇っていた。あごを狙ったブローは肩にしか届かなかった。(P176)
トム・キングには、老いだけでなく、貧困が重くのしかかっています。試合中、彼は自分の歩んできた人生を振り返りますが、それは彼だけじゃなく、多くの人に当てはまることかもしれません。
コーナーに座って、ちらっと相手の方を見たとき、キングはふと、自分の知恵とサンデルの若さがあったらヘビー級世界チャンピオンだな、と思った。だがそうは行かない。サンデルは絶対に世界チャンピオンにならないだろう。奴には知恵がかけている。知恵を手に入れるには、若さを代価に払うしかない。知恵が我がものになったときには、若さはもう、それを買うために費やされてしまっているだろう。
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◆世界が若かったとき(10)
ジェームズ・ウォードは、日中は裕福な実業家ですが、夜になると大昔の野蛮なチュートン人に変身するという二重人格の持ち主です。彼は蛮人になる夜の自分をコントロールしようと様々な訓練を続けましたが、それはある偶然の出来事によって解決されます。
◆生への執着(05)
舞台はカナダの極北地方。砂金採りの男が2人、集めた金を袋に詰め、交易所に向かっています。後ろを歩いていた男は足を滑らせ、足をくじいてしまいます。男は前を行く男に助けを求めますが、その男は先に行ってしまいます。そこから、この名前を与えられない男の生への戦いが始まります。飢えとヒグマ、狼の群れ。最後はもはや立てなくなって這って進む病気の男と、びっこを引いている病気の狼の根競べになります。
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ジャック・ロンドン
1876年、サンフランシスコの貧しい家に生まれ、十代で漁船の乗組員として世界を転々とする。やがてゴールドラッシュにわくカナダ北西部のクロンダイク地方へ金鉱探しの旅に出る。そのときの越冬の経験が、後に高い評価を得る『野性の呼び声』や極北の自然を舞台にした小説の背景となっていく。『白い牙』や『ジャック・ロンドン放浪記』など多作で知られ、1916年40歳で他界するまで200以上の短編を残している。(ブックカバーより)
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◆世界が若かったとき(10)
ジェームズ・ウォードは、日中は裕福な実業家ですが、夜になると大昔の野蛮なチュートン人に変身するという二重人格の持ち主です。彼は蛮人になる夜の自分をコントロールしようと様々な訓練を続けましたが、それはある偶然の出来事によって解決されます。
◆生への執着(05)
舞台はカナダの極北地方。砂金採りの男が2人、集めた金を袋に詰め、交易所に向かっています。後ろを歩いていた男は足を滑らせ、足をくじいてしまいます。男は前を行く男に助けを求めますが、その男は先に行ってしまいます。そこから、この名前を与えられない男の生への戦いが始まります。飢えとヒグマ、狼の群れ。最後はもはや立てなくなって這って進む病気の男と、びっこを引いている病気の狼の根競べになります。
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ジャック・ロンドン
1876年、サンフランシスコの貧しい家に生まれ、十代で漁船の乗組員として世界を転々とする。やがてゴールドラッシュにわくカナダ北西部のクロンダイク地方へ金鉱探しの旅に出る。そのときの越冬の経験が、後に高い評価を得る『野性の呼び声』や極北の自然を舞台にした小説の背景となっていく。『白い牙』や『ジャック・ロンドン放浪記』など多作で知られ、1916年40歳で他界するまで200以上の短編を残している。(ブックカバーより)