12月30日(土)から1月2日(火)まで、3泊4日の日程で沖縄に行って来ました。
沖縄は6回目でしたが、プライベートで行くのは今回が初めてでした。移動にはレンタカーを使い、30日と31日の夜は居酒屋で泡盛を飲みました。とても暖かく、快適な旅でした。
以下、主な訪問先を記します。なお、写真等の解説はそれぞれの施設のパンフレットから引用しました。
沖縄は6回目でしたが、プライベートで行くのは今回が初めてでした。移動にはレンタカーを使い、30日と31日の夜は居酒屋で泡盛を飲みました。とても暖かく、快適な旅でした。
以下、主な訪問先を記します。なお、写真等の解説はそれぞれの施設のパンフレットから引用しました。
12/30(土)
首里城公園、国際通り
12/31(日)
美ら海水族館、今帰仁(なきじん)城跡、ハートロック(古宇利島)、国際通り
1/1(月)
琉球村、座喜味城跡、アメリカン・ビレッジ、中城(なかぐすく)城跡、国際通り
1/2(火)
首里城公園、国際通り
12/31(日)
美ら海水族館、今帰仁(なきじん)城跡、ハートロック(古宇利島)、国際通り
1/1(月)
琉球村、座喜味城跡、アメリカン・ビレッジ、中城(なかぐすく)城跡、国際通り
1/2(火)
◆首里城公園
首里城は14世紀末に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城。沖縄戦で焼失しましたが、1992年11月3日に正殿をはじめ一部が復元されました。
首里城は14世紀末に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城。沖縄戦で焼失しましたが、1992年11月3日に正殿をはじめ一部が復元されました。
守礼門
正殿
◆美ら海水族館
美ら海水族館のメインスポット「黒潮の海」。ここにはジンベエザメやマンタ、キハダ、カツオなどが悠々と泳いでいます。この水槽は深さ10m・幅35m・奥行27mです。
ジンベエザメはその大きさゆえに複数飼育は困難とされてきましたが、美ら海水族館では世界最大級の水槽により、世界で初めて繁殖を目指した複数飼育を実現しました。
◆今帰仁(なきじん)城跡
14世紀頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。
北山の敗北後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後、監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。
14世紀頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。
北山の敗北後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後、監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。
平郎門=本門
大隅(ウーシミ)。戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられている。
◆ハートロック
古宇利島ティーヌ浜のハートロック。古宇利島に行くには、全長1,960mの古宇利大橋を渡ります。この橋の両側にはエメラルドグリーンの海が広がっており、絶景です。
◆国際通り
大晦日の夜は、島唄と地料理の店〈とぅばらーま〉で泡盛と沖縄料理と島唄を楽しみました。