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my 見仏記40~仁和寺と御室派のみほとけ

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東京国立博物館の正門を入り、左奥に進むと、展覧会の会場・平成館があります。

 今日、上野の東京国立博物館に特別展「仁和寺と御室派(おむろは)のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」(1月16日~3月11日、9:30-17:00、月曜休館)を見に行ってきました。
 昨年11月に行った運慶展がかなりの混みようだったので、今日は混雑を覚悟しつつ、早起きして行きました。平成館には午前10時少し前に着きましたが、並ぶこともなくスムーズに入場でき、ゆっくり見ることができました。
 なお、この展覧会の大きな見どころの一つ、大阪・葛井寺の千手観音菩薩坐像(奈良時代・国宝)の展示は2月14日からです。2月14日以降にもう1回行こうと思っています。

◆展覧会の見どころ(東京国立博物館HPより)
秘仏や本尊を含む仏像など66体が一堂に!
 仁和寺創建当時の本尊・国宝「阿弥陀如来坐像および両脇侍立像」、秘仏・国宝「薬師如来坐像」など仁和寺が誇る仏像に加え、全国の御室派寺院の中から、葛井寺(ふじいでら)の国宝「千手観音菩薩坐像」、道明寺の国宝「十一面観音菩薩立像」、中山寺(なかやまでら)の重要文化財「馬頭観音菩薩坐像」、神呪寺(かんのうじ)の重要文化財「如意輪観音坐像」、雲辺寺(うんぺんじ)の重要文化財「千手観音菩薩坐像」などの普段は公開されていない数多くの“秘仏”、さらに明通寺(みょうつうじ)などの仏像ファン待望の名宝まで、合計66体を一堂に公開します。

仁和寺所蔵の国宝「三十帖冊子」、修理後初の全帖公開!
 2014年度に修理が完了した、弘法大師空海ゆかりの国宝「三十帖冊子」を公開します。特に、1月16日(火)~28日(日)限定で全帖を一挙公開します(1月30日(火)~は2帖ずつ公開)。書のファンを魅了してやまない空海ゆかりの書を、全帖にわたりご覧いただきます。

仁和寺の観音堂を展示室に再現!
 江戸時代の仁和寺再興期に再建され、僧侶の修行道場のため一般には非公開の観音堂を、展示室に再現します。実際に安置されている仏像33体に加え、壁画も高精細画像で再現し、仁和寺の僧侶により守り伝えられてきた観音堂の姿を体感いただきます。本展が観音堂改修工事を記念して開催されることにより実現した、特別な空間となります。

 以下、印象に残った仏像を紹介します。

阿弥陀如来坐像(平安時代、国宝、仁和寺)(写真は「展覧会情報サイト」より)
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 宇多天皇が、父である光孝天皇の菩提を弔うために、仁和4年(888)に供養した仁和寺創建時の本尊。腹前で両手を重ね合わせる定印(じょういん)という手の形式は、制作年のはっきりしている日本の阿弥陀如来像のなかでは最も古い。平安時代中頃における阿弥陀信仰を考える上でも、この頃の造形を考える上でも、大変重要な像である。(東京国立博物館HPより)
※向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が脇侍として配された三尊構成になっています。阿弥陀如来のふくよかで優しい表情に心惹かれます。


馬頭観音菩薩坐像(鎌倉時代、重要文化財、福井県大飯郡高浜町・中山寺)(写真は図録をコピー)
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秘仏で、開帳は33年に1度行われる。次回は2028年頃の予定。(Wikipedia)

 若狭から丹後、現在の福井県南西部から京都府北部にかけての日本海沿海部には、興味深いことに馬頭観音を本尊とする寺院が集中している。中山寺もその一つで、本像は鎌倉時代の名品として名高い。秘仏として伝えられ、鮮やかな彩色だけではなく、光背や台座も当初のものが残されている貴重な作例。(東京国立博物館HPより)

 木造、彩色・截金、玉眼、像高79.3cm
 本像は三面八臂で、胸前にかまえた二本の手で根本馬口印を結ぶ、三面(本面のみ三眼)ともに忿怒の表情をした坐像である。大円相光中に二重円相をあらわす光背、魚鱗葺きで蓮弁を葺く蓮台と瑟瑟(しつしつ)座からなる台座はすべて当初のもので、また彩色も色鮮やかに残されている。本像の作者は不明だが、品よくまとまった忿怒相や脇面の面長な顔形などは、たしかに運慶次世代の慶派の作風に通じるものがある。いずれにしても13世紀後半には下らない頃の非常に優れた彫像であるといえよう。
 若狭湾周辺には、本像のほか、青葉山から西へ10キロに所在する馬居寺(まごじ)や、青葉山の東側の中腹に所在する松尾寺に、馬頭観音像が伝えられている。全国を見渡してみても単独尊としての馬頭観音の作例は少なく、若狭湾周辺にこれだけ馬頭観音が集中しているのは特異である。この地域の特殊な信仰のあり方を示しており、興味深い。(『図録』より)

 馬頭観音
 観音が慈悲の顔ばかりでなく忿怒相もあわせもつことは、十一面観音像の化仏(けぶつ)にも見られることですが、馬頭観音はもともと異例の忿怒相をしています。この恐い顔と、頭上に馬の頭を頂くのが最大の特徴です。
 人々の苦悩や災難などの諸悪を粉砕する観音で、その像容から馬頭明王ともよばれます。六観音の1つに数えられ、平安時代後期以降は単独で祀られる例も見られます。
 立像、坐像があり、日本には一面二臂、一面四臂、三面二臂、三面六臂、四面八臂の例があります。坐り方も結跏趺坐のほか、片膝を立てたり、膝を崩したりと一定していませんが、胸の前で親指、中指、小指を立て、残りは曲げて両掌を合わせる「馬頭印」という特殊な印相を結ぶことは共通しています。
 馬頭観音は、家畜や荷物を運ぶ馬の守り神として、路傍の石仏にも刻まれました。(石井亜矢子『仏像の見方ハンドブック』より)
※西大寺の愛染明王坐像と似ていると思いました。馬頭観音は交通安全の守り神にいいかも。


十一面観音菩薩立像(平安時代、国宝、大阪府藤井寺市・道明寺)(写真は図録をコピー)
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 古代氏族の土師氏の氏寺として創建された道明寺の本尊。頭上にいただく仏面から体側に降ろした右手の指先、台座の蓮肉に至るまで一材から彫り出す一木彫像である。胸飾や瓔珞(ようらく)などの装身具もきわめて精緻に刻出しており、平安初期一木彫像のなかでも傑出した作例の一つとして知られている。(東京国立博物館HPより)

 木造、像高99.4cm
 頭部の頂にあらわされる仏面から台座の蓮肉、および右手の指先までを、すべて木芯を含むカヤの一材より彫り出す一木造りの技法で造られている。頭髪や唇などに彩色をするほか、緻密な木肌をあらわす優れた檀像(たんぞう)彫刻である。
 瞳には黒い石とみられる異素材を用いており、また胸飾りにも別製の珠が嵌め込まれていたとみられる技術や、六稜形をめぐらした冠や後頭部の垂髪(すいほつ)の形状などの形式が、中国・唐代の彫刻に通じている。着衣の衣文(えもん)はうごめくようななめらかな触感をあらわす一方、肉身にはかたい弾力を感じさせ、独特の存在感を放っている。
 本像の作風は、京都・長岡京市に所在する宝菩提院の菩薩半跏像に通じており、制作年代も、宝菩提院像が造られたと推定される長岡京時代(784–793)に近いと考えられる。(『図録』より)
※今日は入場者が思ったほどではなかったので、ゆっくり見ることができました。少しですが、十一面観音と僕だけという時間もありました。仏像を「見る」ことより、仏像と共に「居る」ことに幸せを感じました。
※国宝の十一面観音像は7体あるそうですが、これで6体見たことになります。
◇聖林寺(奈良県桜井市)H28.8、H29.3拝観
◇室生寺(奈良県宇陀市)H29.3拝観
◇法華寺(奈良県奈良市)H29.3拝観
◇観音寺(京都府京田辺市)H28.8拝観
◇六波羅蜜寺(京都府京都市)
◇道明寺(大阪府藤井寺市)H30.1拝観
◇渡岸寺観音堂(向源寺、滋賀県長浜市)H29.3、6拝観


非公開の仁和寺観音堂を、展示室に再現(ここだけ写真撮影可能)
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千手観音菩薩とその従者である二十八部衆。これに風神・雷神を加えて三十尊とする構成は、京都の三十三間堂にならっている。千手観音菩薩に不動明王と降三世明王が脇侍となる三尊構成は珍しい。(展示の解説文。一部改編)

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 江戸時代の仁和寺再興期に再建され、僧侶の修行道場のため一般には非公開の観音堂を、展示室に再現します。実際に安置されている仏像33体に加え、壁画も高精細画像で再現し、仁和寺の僧侶により守り伝えられてきた観音堂の姿を体感いただきます。(東京国立博物館HPより)
※最初レプリカだと思いましたが、全部本物でした。今回はコンデジしか持って行きませんでしたが、次回はミラーレス+超広角ズームレンズを持って行こうと思います。

◆グッズ・土産
・図録『仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―』
・絵ハガキ3枚

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