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京都国立近代美術館「没後50年 藤田嗣治展」

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 11月10日(土)11日(日)、1泊2日の日程で京都に行ってきました。東寺や三十三間堂、銀閣寺などの寺院を中心に回りましたが、京都国立近代美術館で「没後50年 藤田嗣治展」(10月19日~12月16日)が開催中だったので、こちらも見てきました。
 この展覧会には藤田嗣治(1886-1968)の各年代の作品が数多く集められています。以下、この展覧会の図録『没後50年 藤田嗣治展』の目次を抄録しますが、これによって彼の画業の流れを知ることができると思います。
【第1章】原風景――家族と風景
【第2章】はじまりのパリ――第一次世界大戦をはさんで
【第3章】1920年代の自画像と肖像――「時代」をまとうひとの姿
【第4章】「乳白色の裸婦」の時代
【第5章】1930年代・旅する画家――北米・中南米・アジア
【第6章】「歴史」に直面する――二度目の「大戦」との遭遇、そして作戦記録画へ
【第7章】戦後の20年――東京・ニューヨーク・パリ
【第8章】カトリックへの道行き


◆みどころ(展覧会特設サイトより、一部改編)
藤田の画業の全貌を解き明かす大回顧展
 明治半ばの日本で生まれ、80年を超える人生の約半分をフランスで暮らし、晩年にはフランス国籍を取得して欧州の土となった画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)。2018年は、エコール・ド・パリの寵児のひとりであり、太平洋戦争期の作戦記録画でも知られる藤田が世を去って50年目にあたります。この節目に、日本はもとよりフランスを中心とした欧米の主要な美術館の協力を得て、画業の全貌を展覧する大回顧展を開催します。
 本展覧会は、「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などのテーマを設けて、最新の研究成果も盛り込みながら、藤田芸術をとらえ直そうとする試みです。藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦の代表作が一堂に会するだけでなく、初来日となる作品やこれまで紹介されることが少なかった作品も展示されるなど、見どころが満載の展覧会です。


1 質・量ともに史上最大級の展覧会です
 没後長らく画業を通覧する展覧会が開催されることの少ない画家でしたが、2006年頃からは大小の展覧会が続いています。そのような中、特に今回は没後50年にふさわしく、史上最大級の規模で、精選された作品100点以上が一堂に展示されます。

2 これまでにないほどのスケールで、欧米の主要な美術館から作品が来日します
 パリのポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館、べルギー王立美術館、ジュネーヴのプティ・パレ美術館、アメリカのシカゴ美術館など、 欧米の主要な美術館から、初来日作品も含め約20点の代表作がこの機に集います。

3 藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦10点以上が一堂に会します
 数年前に修復を終えた大原美術館の《舞踏会の前》や、東京国立近代美術館の《五人の裸婦》など国内の代表作に加え、ポンピドゥー・センターやプティ・パレ美術館など海外からも、「乳白色の下地」による裸婦、なかでも最盛期1920年代の作品が集います。

4 藤田が上野に還って来ます
 東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)で学び、昭和前期に日本に帰国した際に作品展示の機会を重ねた東京都美術館のある上野は、藤田にとって、制作者としての原点といえます。今回は、藤田の回顧展が上野、東京都美術館で開催される初めての機会となります。(引用者注:東京展は7/31~10/8、上野公園の東京都美術館で開催されました。)


 以下、印象に残った絵をいくつか紹介します。(展示順、写真は展覧会HPから、あるいは図録をコピー)

自画像(1929、61×50.2cm)
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 おかっぱ頭に丸メガネ、ちょび髭、金のピアスといった藤田定番の個性的な風貌で描かれた自画像。本作では独自の乳白色地に墨色の細い線で描くスタイルを生み出した画家の特徴を盛り込むように、面相筆と硯の他、背景の壁の女性像と猫という人気のモティーフが加えられている。16年ぶりの一時帰国を果たした1929年の第10回帝展に出品された。(図録解説より、一部改編)



タピスリーの裸婦(1923、126×96cm)
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 1920年代初期の裸婦像には、装飾的な綿布との対比により白い人肌の美を引き立たせた作品もある。本作では背景におかれたケシの花模様の「ジュイ布」が画面に華やかさを添えている。「ジュイ布」とはフランス更紗ともいわれる手染めの布で、細密な布の描写を通し藤田は、失われつつある職人的な手仕事への賛美を表した。1923年サロン・デ・テュイルリー出品作。(図録解説より)



第4回芸術家友好援助会(AAAA)舞踏会(1926、120.3×78.3cm)
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 1920年代には二つの大戦の狭間の「狂乱の時代」と呼ばれ、パリでは毎晩のように仮装舞踏会が開かれ、藤田も奇抜な扮装で注目を集めていた。芸術家友好援助会(AAAA)主催の夜会のために描かれた、大胆なポーズの裸婦を配した本ポスターは、掲出翌日に地下鉄から撤去要請が発せられ、抗議運動を芸術家たちが起こすなど大きな話題となった。(図録解説より)



横たわる裸婦と猫(1931、73.2×116.2cm)
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 漆黒の背景が乳白色の裸婦像を際立たせる。モノクロームに近い画面に彩りを添えるのは猫の毛と女性の赤毛である。この髪の色から、モデルはシルヴェーヌという女性であると考えられている。その逞しい身体が寝台にうつ伏せになる姿は、ルーブル美術館にある古代の彫刻《眠れるヘルマプロディトス》を想起させ、古典に対する藤田の敬意をうかがわせる。(図録解説より)



メキシコに於けるマドレーヌ(1934、91×72.5cm)
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 中南米旅行をともにしたパートナーのマドレーヌをメキシコ風景の前に配し、「欧羅巴と中央アメリカとの対照」を狙った作品。日本への帰国の翌年、1934年の第21回二科展へ出品した27点中の1点である。このときの出品作には中南米で制作したものが多かったが、この作品は帰国後の作。メキシコにおける素描や写真に基づいて制作されたと考えられる。(図録解説より)



争闘(猫)(1940、81×100cm)
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 猫を扱った絵の中で最もよく知られた作品。第二次世界大戦勃発後、ドイツ軍が迫るパリで書かれたもの。飛び上がる猫、うなり声をあげる猫、転げまわる猫など、14匹がさまざまな姿態を見せて格闘している。渦を巻いているような大胆な構図は、繊細な線描によって見事にまとめられている。帰国後、1940年初秋の第27回二科展に《争闘》のタイトルで出品された。(図録解説より)



私の夢(1947、65.5×100cm)
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 漆黒の背景に、眠る裸婦。着衣の猫や猿、梟、犬、狐、兎、栗鼠等が周囲に配され、涅槃図のようでもある。裸婦の容姿もポーズも完全に1931年の作《眠れる女》の再現であるため、当時のパートナーであったマドレーヌへの追慕であり、パリへの郷愁の表現でもあったろう。1947年、「新憲法実施並ニ東京都美術館開館20周年記念現代美術展覧会」への出品作。(図録解説より)



カフェ(1949、76×64cm、藤田手製額)
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 ニューヨーク滞在中に制作され、1949年のマシアス・コモール画廊における個展で発表された作品。カフェの店内で黒い服の女性が卓上に便箋を置いたまま物思いにふける。窓の外に見えるカフェ「ラ・プティト・マドレーヌ」は、藤田が1920年に制作した銅版画《煙突のある風景》からの転用で、懐かしく恋しいパリの景色の一角である。額縁も藤田の手製。(図録解説より)



(1954、50.8×61.3cm)
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 眠る裸婦の脇に動物たちを配する構想は1947年の《私の夢》に近いが、横顔を見せるこの女性の姿は、ルネ・エロン・ド・ヴィルフォスの著『魅せられたる河』の挿絵として藤田が手がけたエッチング《オペラ座の夢》の女性に近似する。寝台の天井にかかる布はフランス更紗とも呼ばれる「ジュイ布」で、そこには野を駆け回る子どもたちが描かれる。(図録解説より)



礼拝(1962-63、114×143cm)
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 聖母マリアの左右に、修道士姿の藤田と、修道女姿の君代。聖母は二人の天使から冠を捧げられる。藤田の胸元に見えるのは1960年、教皇に拝謁したとき拝領したメダル。彼の背後に見える丘の上の白い建物は夫妻が住んだヴィリエ=ル=バクルの家で、洗礼の1年後に購入し、1年間の改修のあと入居していた。この絵もそこのアトリエで制作された。1964年ポール・ペトリデス画廊での生前最後となる個展に出品された。(図録解説より)



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◆グッズ・土産
・図録『没後50年 藤田嗣治展』
・絵ハガキ

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