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国立新美術館「ピエール・ボナール展」(再)

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会場入口。「黄昏(クロッケーの試合)」(1892)をアレンジしたディスプレイが迎えてくれます。


 今日、国立新美術館に「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」(9/26~12/17)を見に行ってきました。10月31日以来、2回目でした。
 10時過ぎに新美術館に着くと、チケット売り場にはちょっとした行列ができていました。これじゃ会場は結構混雑するなと覚悟しましたが、杞憂でした。同じ新美術館で「生誕110年 東山魁夷展」(10/24~12/3)が開催されており、 会期末のために入場者がそちらに集中していたようです。ボナール展はそれほど混んでいなかったので、ゆっくり見ることが出来ました。
 今日は、記念にトートバック(ボナールの似顔絵入り)などを購入しました。まったくのミーハーです。
 以下、印象に残った絵をいくつか紹介します。(写真は展覧会HPより、あるいは図録をコピー)


庭の女性たち(1890-91、160.5×48cm〈各〉)
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 左から「白い水玉模様の服を着た女性」、「猫と座る女性」、「ショルダー・ケープを着た女性」、そして「格子柄の服を着た女性」。
 ボナールのの日本美術に対する強い関心が表れている初期の代表作で、1891年に画家が初めてアンデパンダン展に参加した際に出品された装飾パネルである。当時フランスで流布していた日本の版画は芸術家たちの新たな霊感源となり、ジャポニスムという流行が生まれた。
 ボナールは、ゴーギャンの教訓をもとにして、ドニやヴュイヤール、ヴァロットンらと結成したナビ派の一員として活動していた。彼らの中でもボナールの日本美術への愛着は際立っており、「日本かぶれのナビ」と称されるほど、作品に日本美術の影響が見て取れる。1890年4月に国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で開催された「日本の版画展」を目にしたことは、ボナールが日本美術へ傾倒する大きな契機となった。
 縦長の支持体は日本美術における掛軸の形式を想起させるし、長いドレスを着た後ろ向きの女性が頭部だけ正面を振り返る姿勢は、浮世絵に頻出する人物表現との類似を認めることができるだろう。また、女性が身にまとう衣服に施された幾何学模様と背景に描かれた植物模様は、画中の奥行きを暗示することなく、遠近感を無視する効果を画面に与えている。(図録解説より、一部改編)



男と女(1900、115×72.3cm)
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 ボナールは1890年代にはランプの灯りで照らされた薄暗い室内空間の描写を好んでいたが、1900年代以降は室内空間にも明るい色彩を用い始め、また白いシーツがモティーフとして頻出するようになる。
 本作の男性と女性のモデルは、ボナールとマルトだと推測される。この絵が描かれた時期と同じ頃に撮影されたボナールとマルトの写真からは、ふたりの親密な様子をうかがい知ることができる。ベッドの上で猫たちと戯れる女性と、ちらかった布を身にまとおうとするか、あるいは脱ぎ捨てようとする男性は、ベッドをともにする前か後の姿であろう。このふたりの男女を隔てるように中央に置かれた衝立は、部屋の中での物理的な隔たりを示すと同時に、不安定な心理関係の断絶を象徴しているようにも見える。構図の細部に目を向けてみれば、画面の左端から画面下部の左半分にかけての縁が、緑色で塗りつぶされて強調されているのが分かる。この点に着目して、画面に描かれているのは窓ガラスに映し出されたボナールとマルトの像だとする解釈も存在する。
 ボナールが男性の裸体を描くことは比較的少ないが、本作はマルトとの親密な関係を暗示した自伝的性格をもつ稀有な肖像画である。(図録解説より)



化粧室 あるいは バラ色の化粧室(1914-21、119.5×79cm)
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鏡を効果的に使い奥行き感を演出
 裸婦は背中で身体の量感を示しながら、整然と画面の端に立つ。対面する鏡面は、画面手前側の室内の様子とともに、背中とは対照的に白く生彩を欠いた裸婦の正面像をわずかに映し出す。直立する裸婦に始まって、鏡像中の壁紙、鏡の枠、奥行きをなす壁を経てバラ模様のあしらわれた壁と、それぞれ明度を異にした垂直方向の面が、いわば蛇腹状に連なる構成がとられている。(島本英明『もっと知りたい ボナール 生涯と作品』より)



浴盤にしゃがむ裸婦(1918、83×73cm)
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浴盤にしゃがむマルト(1908-10)

 マルトの入浴という営みは、生活をともにするボナールにとって見慣れたものであった。しかし、その様子を収めたスナップ写真をみると、ボナールが眼前で生起する光景をとらえる視覚そのものを問題としていたことがわかる。視覚のとらえる「最初の印象」をいかに保持し続けるか。ボナールにとって最重要の関心に応えたのが、カメラであった。油彩画を描く上で写真を参照しながら、画家はさらにたらいの向きやマルトのポーズに改変を加えている。実際の視覚から始めて、そこに絵画的な肉づけを施していくのが、ボナールの作法であった。(島本英明『もっと知りたい ボナール 生涯と作品』より)



ボート遊び(1907、278×301cm)
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 ボート遊びという題材は、印象派へのオマージュだろうか。20世紀に入って印象派を「発見」したボナールは、とりわけクロード・モネに惹きつけられ、1912年には彼の住むジヴェルニーに近いヴェルノンに居を構えている。
 白みがかり曖昧模糊としている大画面を注視すると、画中にちりばめられたモティーフが明確なかたちになる。前景のボートは、犬を連れた女性と子どもたちを乗せて川の上をたゆたう。水鳥や落ち葉で彩られた水面に向かって、画面右端のボートで寝そべる少年は、木の枝を垂らしている。岸辺では少女たちが山羊と戯れ、遠景の丘には家々が立ち並ぶ。ボナールが船上で撮影した写真と同様に、ここで船先は大胆にトリミングされており、観者の立ち位置と視線は画家に同化するようである。こうした構図上の工夫にもかかわらず、近景と遠景のモティーフが同じ色調で描かれているために、本作の遠近法は厳密ではない。「印象派が私たちに自由をもたらした」と回顧するボナールは、特定の流派に拠らずに絵画制作を続けた。そうして戸外ではなくアトリエの内部で印象派的な主題に向き合った彼の絵画には、現実離れした空間構成や色使いが認められる。(図録解説より)



地中海の庭(1917-18、138.6×197.3cm)
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 本作は、ヴィンタートゥールの実業家リヒャルト・ビューラーの注文を受けて制作された装飾画で、《南フランスの風景と二人の子ども》(1916-18)の対作品だと考えられる。多種多様な植物の茂るノルマンディーの風景とは異なりこの庭では左右対称に草木が配されているが、手前のテラスは、ヴェルノンの家「マ・ルロット(私の家馬車)」を舞台に描かれた同時期の作品とよく似ている。ボナールは、現実の風景を基にして理想の風景を作り上げているようだ。
 前景のテラスから中景の庭、そして後景の地中海へと空間の奥行は段階的に表されている。画面の手前で腰かけている女性と子どもたちは、この幻想的な風景の内部へと観者を誘うかのようだ。逆光で暗く沈んでいる表情は不鮮明だが、野外で寛ぐ姿はル・グラン=ランスでボナールが撮影した家族写真を思い起こさせる。豊穣を象徴する果物籠や古代を思わせる石塀といったモティーフと一緒に描かれている彼らは、アルカディアの牧人にも見える。テラスの向こうに広がる庭には木々がひしめき、日光に照らされた木の葉は黄色に染まっている。ここで南フランスの鮮烈な光は、古典古代の世界に永続的な夏のイメージを付け加えている。(図録解説より)



ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール(1906頃)
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※今回購入したトートバックの似顔絵イラストはこの写真がもとになったようです。


◆グッズ・土産
・島本英明『もっと知りたい ボナール 生涯と作品』
・トートバック
・額絵
・クロッキーブック

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