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『続 小池光歌集』を読みました。

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 今日、現代短歌文庫『続 小池光歌集』(01)を読み終えました。
 この歌集は概ね以下のような内容です。
◆歌集
・第三歌集「日々の思い出」(1988)全篇
・第四歌集「草の庭」(1995)全篇
◆解説
・一月八日――日付のある歌を読み比べる(河野美砂子)
・「も」「かも」の歌の試行――歌集『草の庭』をめぐって(小澤正邦)
◆小池光年譜

 以下、一読して気になった歌を引用します。
◇日々の思い出
屋上に鍵かけるべく昇り来て黒くちひさき富士しばし見つ
わが母が一日(ひとひ)刈田に摘みて来し蝗(いなご)を食めば草薫りすも
アパートの隣りは越して漬物石ひとつ残しぬたたみの上に
屈まりて手をさし入れてコーヒーのあたたかき罐とらむとすあはれ
ウォークマンはマーラー二番 朝の道ひとしきりわれ快走したり

ぐんぐんと椿は蕾(つぼみ)太まりぬあぢさゐの芽のうぶなかたへに
遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ
夜となる小路(こみち)にあまく風うごき熾(さか)んなる梅ちかくにあらむ
沈丁花匂へる駅に降りてゆくラビュリントスの日々のおもひで
ふらふらと求めし茂吉『遍歴』にいつの葉桜か挟まれてあり

「ながらみ」を訪(と)へども人の居らざりき九十九里浜へはや帰りなむ
うつしみは窓のなかより春のあめ濡れはじめたる道をみてをり
ひとしきり水を舐めたる白猫(はくべう)は尾行をさそふごとく去りにき
体育館器具室の窓に午前(ひるまへ)のしろく冷きさくらは見えし
漲(みなぎ)れる花のなかにて真黒き桜の幹は土に入りゆく

印象派のひかりをまとひうすみどり靡くやなぎの木立にわれは
みなみより風は来りて巨(おほ)緋鯉立ち直りゆく麦畑(はた)の空
桐の花開きそめにし野つかさの廃家の庭にしばし憩へる
よれよれにただとんがつてゆくわれに麦茶を運ぶ人の近づく
真昼間の寝台ゆ深く手を垂れて永田和宏死につつ睡る

おのづから憩ふいのちはアキアカネ去年(こぞ)降りし雪に降りきてとまる
梨畑に鳴くひぐらしはあるものは梨の実にゐむ夏逝かむとす
年老いしアナスタシアをおもふとき百日紅(さるすべり)の花の下の永遠
おそろしき速度をもちて蟻ひとつ灼けたる馬頭観音くだる
なまぬるき冷し中華をひとり食ふいま馬のごときわれと思ひて

子を連れてとほく来たりし内陸のプールの空を秋かぜわたる ※下妻「サンビーチ」
堀割の水にうつりて二百十日ゴリラの影は動かざるかな
二学期の始まりて教師われ思ふ学校は一にけたたましき処(ところ)
壁にゐる枯草色のかまきりは雌をのがれてここにゐるかや
「敬老の日」に行きたる母がもらひ来し饅頭ふたつ食ふほかになし

つぎつぎと乳歯はづれてゆく吾子をうすきみわるしとまでは言はねど
たましひのあかるくあれば象印魔法瓶こそ容(い)るるによけれ
日暮里の竜宮城に来てみれば門松ありてひとはあらずき
ヘミングウェイが着てゐたやうなセーターを夢想するころ元気になれり
父の愛(め)でたるインヴァネスとていかんせん空を翔ぶにはおもきに過ぐれ

夕べの闇染(し)みいる部屋に赤光の淫靡に洩るる炬燵を置けり
ビニールに鰯を入れて下げて来ぬアジアの果てのたそがれの人
いちめんに椿の花が落ちてゐて来りし犬は憂ひをかんず
うすべにの蓮(はすち)のつぼみともる見ゆさびしすぎたるひとは泣かぬと
渋谷の雑踏に須臾ペルゴレージ、スタバト・マーテルをわれは聞きたり ※須臾(しゅゆ)=暫時

夏来ればかならずおもふ三鬼の句噴泉の尖(さき)にとどまるくれなゐの玉 ※おそろしききみらの乳房夏来る
パチンコ屋に螢の光きくときにさびしき曲ぞほたるのひかり
存在と時間をめぐり思ふとき泥田の底の蓮根のあな
挟まりて『サハリンの旅』に死にてありおととしの夏来りし蜂か
南方のくだものを裂く皿のうへたちまち立ちぬあんにゅいの靄

ワインズバーグ・オハイオも秋立ちぬらむ器(うつは)の水にさやりて天は
抒情せよセブン・イレブン こんなにも機能してゐるわたくしのため
陸橋をむかうより来し雑犬と眼付(がんづ)け合へば曇りはふかし
遠き日の伯母うつくしくくちびるのうへのほくろのあやふかりしも
つりかはの繊きかひなのをとめごに女の腋窩(えきか)みゆるゆふぐれ

さしのぞく歯肉の淡さ異性とはつね軽便なゆめのさそひ路
東京のあめのしづくはしづかなる貘の鼻梁におちて流れき
また夏が、西瓜の種の年々にすくなくなりて行く代(よ)生きつつ
ゆきずりに家をのぞけば扇風機のまへ妊みたる女がゐたり
睡眠の足らざるままに日々は行きて蜩(ひぐらし)のこゑは朝よりきこゆ

水中をころがりまはる黒きたま蝌蚪(くわと)とわが知るややありて後 ※蝌蚪=おたまじゃくし
喉のおくならぬこころの奥底のいがいがなれば葛湯が効(き)かむ
女湯にひびくこゑ歳月はあられなきまで声に彫(きざ)まる
土曜学校より帰り来て子はわれに言ふ「人に従ふより神にしたがへ」
白蓮の木にはくれんの花だらけ歯茎の麻酔きれかかりつつ

眼のひとつひそむ葉群とおもほへる日日往還の青椿あり
自転車を黄色いペンキに塗り上げてのち「」憂鬱がまた肩にとまる
怯えやすきこの子の性はまがふなくその父を継ぐ風の曼珠沙華
父十三回忌の膳に箸もちてわれはくふ蓮根及び蓮根の穴を
目鼻なき鶏頭の花の不気味さを教壇にありて思ひ出でつも

黄水仙の花もろともに写さるる朝の鏡に髭剃るわれは
前(さき)の世はトマス・アクィナスかこの虻(あぶ)の石のうへとまらむとて滑る
哀愁のサランラップにつつまれて地下なる街にひとら降りゆく

◇草の庭
柚子の木のかたはらなりし井戸にして雪ふるなかに汲み上げにけり
ひるがへりたる瞬間の燕(つばくろ)は眼下なる白(はく)牡丹花(くわ)を見しや
ムラサキツユクサをさす 明(みん)成化年製藍の染付小壺(せうこ)
ラウル・デュフィの青い海はいま胸に沁むわが知らざりし生きるよろこび
枇杷の葉の猛々しかる庭をもつあぢはひふかき一軒の家

「焼きソバパン」などで済ませて昨日今日午前と午後のけぢめもつかず
これやこの制吒迦(せいたか)童子くるくるとペンシルまはしつつ考へる
河野裕子が永田和宏を叱るこゑゆめの渚のあけぼののころ
あたらしき靴をおろして靴擦れにくるしみありく梅のさくみち
ゆふぐれの路地をもとほるさくら草密密にうゑ火鉢に咲かす

藪椿咲く道のべは看板の「老人多し 徐行」立ちをり
穴子来てイカ来てタコ来てまた穴子来て次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ
黄金(きん)のめぐみの時しづかなれわがありくヤースナヤ・ポリャーナの秋をこころに
今日といふいち日ありて鶏頭のむらさき赤き茎はかたむく
草枯れに露西亜をとめの名を愛すマリア、タチアナ、オリガ、アナスタシア

したたかに秋の日透るこのまひる柚子の青実は枝にありて弾む
蘭州発烏魯木斉(ウルムチ)行の汽車にのる午前十時のこころの自由
くらやみをはしれるものの気配して金木犀ははげしく薫る
疎らなる苔のおもてに風はしり散るさざんくわのあたらしき花
ダアリアの花園をゆくうつしみの人影は黒きころもを着たる

をさなきが綿入半纏着てゐたりそのことのみに涙が湧きぬ
東雲(しののめ)乳母車店二階の窓に立ちゐし人も見えなくなりぬ
ひとのこゑきくうぐひすはいかばかり遠出して春の野にまよふ
おほいなるこの冬瓜の抱きごこちなみだぐむまでおもひて過ぎつ
蒸し蒸せる午後の晴れまをびはの実のむなしく熟れて夏は来向かふ

晩春のなまぬるき夜を寝むとして壁にきつねの白面ひとつ
木の花の泰山木を頌(ほ)むるだに白みるみるに鉄錆(かなさ)びにけり
こがらしの奏楽堂にさそはれてスカルラッティのうたをききゐる
泉よりくみ来しみづにあらねども明(みん)の青磁につばきを活かす
禅寺の門のあかりはさざんくわのすでに散りたる花を照らしぬ

ただいちど見し現実の寺山はポックリ下駄履き立ちてをりしに
青白く枇杷のわか葉のむれだちて少女のありし窓を覆ひぬ
隣室にものいふ母をききをれば鉢の金魚にはなしかけゐる
沙翁作冬物語がひと缶のビールとなりてわれは飲みけり ※沙翁=シェークスピア
この夏に食へる梨の実二十あまりひたすら苦(から)き汗のみなもと

さみどりの腹をひろげてカマキリは死にをりけりな電灯のもと
水枕ゴムのにほひも懐かしくちりぢりに夢のなかにただよふ
けふ一日(ひとひ)降りとほしたる雨にして木犀(もくせい)の花もみなながされむ
いつしかも父の背丈とならび居りをさなき口にもの言ひながら
紀元前一三九年張騫後六二七年玄奘ここに渡河せり

二百十日コンクリートの電柱にみんみん蝉はしばらく鳴きぬ
鍍金(メツキ)工場昼休みにてラジオよりながるるうたの島倉千代子
ヒンドゥーのクリシュナ祈祷の楽音が波動となりてわが額(ひたひ)うつ
いちじゆくの干したる木の実日にひとつづつわが食へば無くなりにけり
みづからが苦しみ生みしまぼろしに或るとき憤(いか)りあるときすがる

妹が姉よりすがた秀るるはいにしへよりのかなしみならめ

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