今日、俵万智の第1歌集『サラダ記念日』(1987.5.8)を読みました。この歌集は280万部を売る大ベストセラーとなりましたが、歌集としてはかなり異例なことだったと思います。この歌集により現代短歌が一般に広がるきっかけとなったことは大変意義深いことです。僕もブームに乗ってこの歌集を買いましたが、写真の本は8月11日発行で、すでに167版になっていました。
作者はこの歌集を「原作・脚色・主演・演出=俵万智、の一人芝居」と表現していますが(「あとがき」)、まさに一首一首から物語が浮かんでくるようです。恋愛をテーマにした歌が多く、ベストセラーとなったのは多くの女性の支持を得たからだと思います。
以下、一読して気に入った歌を引用しました。
作者はこの歌集を「原作・脚色・主演・演出=俵万智、の一人芝居」と表現していますが(「あとがき」)、まさに一首一首から物語が浮かんでくるようです。恋愛をテーマにした歌が多く、ベストセラーとなったのは多くの女性の支持を得たからだと思います。
以下、一読して気に入った歌を引用しました。
「八月の朝」(第32回角川短歌賞、1986)
この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」
砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている
捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である
我がカープのピンチも何か幸せな気分で見おり君にもたれて
落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
同じもの見つめていしに吾と君の何かが終ってゆく昼下がり
吾をさらいエンジンかけた八月の朝をあなたは覚えているか
君を待つことなくなりて快晴の土曜も雨の火曜も同じ
「野球ゲーム」(第31回角川短歌賞次席、1985)
愛持たぬ一つの言葉 愛を告げる幾十の言葉より気にかかる
君と食む三百円のあなごずしそのおいしさを恋とこそ知れ
どうしても海が見たくて十二月ロマンスカーに乗る我と君
フリスビーキャッチする手の確かさをこの恋に見ず悲しめよ君
まちちゃんと我を呼ぶとき青年のその一瞬のためらいが好き
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
春を待つ心を持たぬ三月に遅咲きの梅君と見ている
上り下りのエスカレーターすれ違う一瞬君に会えてよかった
「朝のネクタイ」
やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は
「風になる」
梅雨晴れのちりがみ交換 思い出もポケットティシュに換えてくれんか
愛ひとつ受けとめられず茹ですぎのカリフラワーをぐずぐずと噛む
「夏の船」
長江を見ていたときのTシャツで東京の町を歩き始める
「モーニングコール」
「人生はドラマチックなほうがいい」ドラマチックな脇役となる
唐突に君のジョークを思い出しにんまりとする人ごみの中
いつもより一分早く駅に着く 一分君のこと考える
君と見し「青い帽子の女」の絵彫刻の森に今もうつむく
一週間会わざりければ煮返して味しみすぎた大根となる
「橋本高校」
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
黒板に文字を書く手を休めればほろりと君を思う数秒
出席簿、紺のブレザー空に投げ週末はかわいい女になろう
「路地裏の少年」という曲のため少しまがりし君の十代
トロウという字を尋ねれば「セイトのト、クロウのロウ」とわけなく言えり
「待ち人ごっこ」
陽の中に君と分けあうはつなつのトマト確かな薄皮を持つ
吾と君のうしろの正面どこにある顔あげられぬままの満月
ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハムを切ってみる
思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない
約束のない一日を過ごすため一人で遊ぶ「待ち人ごっこ」
恋をした’85年が暮れてゆく部屋には我とデヘンバギアと
「サラダ記念日」
サ行音ふるわすように降る雨の中遠ざかりゆく君の傘
誰を待つ何を吾は待つ〈待つ〉という言葉すっくと自動詞になる
そら豆が音符のように散らばって慰められている台所
君の愛あきらめているはつなつの麻のスカート、アイスコーヒー
物語始まっている途中下車前途無効の切符を持って
改札に君の姿が見えるまで時間(とき)の積木を組み立てていん
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
トーストの焼きあがりよく我が部屋の空気ようよう夏になりゆく
ワイシャツをぱぱんと伸ばし干しおれば心ま白く陽に透けてゆく
「たそがれ横丁」
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる
缶詰のグリンピースが真夜中にあけろあけろと囁いている
「左右対称の我」
迷いつつ時は過ぎゆく悔みつつまた過ぎてゆくえび茶色して
選択肢二つ抱えて大の字になれば左右対称の我
買い物に出かけるように「それじゃあ」と母を残してきた福井駅
この町の住人となる我のため菜の花色のスリッパを買おう
なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとがすき
「元気でね」
白よりもオレンジ色のブラウスを買いたくなっている恋である
エビフライ 君のしっぽと吾のしっぽ並べて出でて来し洋食屋
「平凡な女でいろよ」激辛のスナック菓子を食べながら聞く
この坂を越えれば海へ続く道 黄色の信号するりと抜ける
「ジャズコンサート・IMA」
昨晩のジャズのうねりの埋み火の耳のまん中むずがゆき朝
「路地裏の猫」
自転車のカゴからわんとはみ出してなにか嬉しいセロリの葉っぱ
立ったままはふはふ言って食べているおでんのゆげの向こうのあなた
「いつもアメリカン」
忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ
沿道にマラソン選手見る人の群れの二人となる日曜日
注文はいつも二つのアメリカン 相思相殺かもしれないね
広島のことばで愛をちゃかしてるあるいはちゃかされようとしている