昨日、俵万智の第3歌集『チョコレート革命』(1997.5.8)を読みました。
この歌集には、第2歌集『かぜのてのひら』(1991)以降の6年間、作者の年齢でいうと28歳から34歳までの作品が収録されています。
この歌集には、第2歌集『かぜのてのひら』(1991)以降の6年間、作者の年齢でいうと28歳から34歳までの作品が収録されています。
男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす
この歌集のタイトルはこの一首からとっていますが、「恋には、大人の返事など、いらない。君に向かってひるがえした、甘く苦い反旗。チョコレート革命とは、そんな気分をとらえた言葉だった。」(「あとがき」)そうです。
以下、一読して気に入った歌を引用します。
以下、一読して気に入った歌を引用します。
「だあれもいない」
明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる
眠りつつ髪をまさぐる指やさし夢の中でも私を抱くの
屋上にねころんで手をつないでみた無力な二枚の木の葉のように
ユリの花の雌蘂かすかに汗ばんで運ばれてゆく午後の地下鉄
カラスミのパスタ淫らにブルネロディモンタルチーノで口説かれている
なくてもいいものにこだわる週末を探してやまぬホースラディッシュ
「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい
死というは日用品の中にありコンビニで買う香典袋
地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜ひゃくねんたったらだあれもいない
「湿原の時間」
鶴の名を呼ぶとき鶴のまなざしをしており水辺に暮らせる人は
ゆうらりと浮かべよカヌー一枚の木の葉のように釧路を下る
蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと
「資本主義の街角」
アラスカの氷はじける地下のバーに熱帯魚のごと夜を憩えり
「ぬるきミルク」
水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
三四郎その名すずしき若者に会うまでの我、逢いみての我
「ロダンの手より」
雨だれと海の音とが溶け合いてそのように君を抱く伊豆の宿
やさしすぎるキスなんかしてくれるからあなたの嘘に気づいてしまう
「トースト」
トーストを二枚焼こうとして気づく今日から一人ぶんの朝食
風邪の日は少し無理して「無理をしちゃダメよ」と母に言われてみたい
「晴れ女」
やさしさを持てあましいる夜の電話ウルトラマンなら星に帰って
「泣くなよ」と言われて気づく今我が泣いているのは「わたし」のためと
白和えを作ってあげる約束のこと思い出す分かれたあとで
「スモーキーマウンテン」
クラクションの音に未明の意識冴えてむくむくとマニラの朝が始まる
文明とはすなわちゴミの異称にてコーラの缶を投げる青空
「記憶のカーブ」
冬空の視界にひとつ現れて思考に消えゆく飛行船
「恋」は「孤悲」だから返事はいらないと思う夜更けのバーボンソーダ
「幸せになれよ」で終わる懐かしい声を聞きおり留守番電話
「天の鋏」
椰子の木に風をやらんと葉を切りし天の鋏を見るプーケット
「ラ・マンチャの空」
オレオという石の倉あり石が木のように老いゆく時間を帯びて
さようなら(アディオース)不思議の国のラ・マンチャ なんにもなくてなにもかもある
「十七歳――山田かまちへ捧ぐ」
どうせなら絵になるバカをめざそうぜドンキホーテと水牛が好き
幻を射止めるために矢を放つ青く乾いている秋の空
ただ鳥が空を飛ぶようにただぼくは十七歳であることを飛ぶ
「水に書く文字」
映画ならフラッシュバックで映される君と我とのシーンいくつか
別れたるのちに覚えしカクテルを選んでおりぬ再会の夜
花札の絵柄のような春よ来い なんてことない日も悪くない
「カルカッタ」
カルカッタの闇深かりき匂いたつチューベローズに首くぐらせて
ガンジスは動詞の川ぞ歯を磨く体を洗う洗濯をする
「溶ける虹」
この恋を海の青さのせいにして開かれてゆく扉いくつか
思いきり見つめることの言い訳の小道具となる日もあるカメラ
椰子の木の影絵を天に映しだし陽はうっとりと落ちてゆくなり
やがて来るピリオド思い背泳ぎで見送っている夜の飛行機
くちびるという名の果実 ドリアンを味わうように確かめている
懐かしい人の名前も陽に灼けてビーチサイドで書いた絵葉書
「チョコレート革命」
君が手の記憶に残るという肌を一人ハーブの湯に浸しおり
卓上のすずらんの鉢に水をやれば見せる人なき寂しさ育つ
この冬はともに眺める人ありて少し大きめのシクラメン買う
「もどり橋まで」
はじまりも終わりも見えぬ千曲川どこまで続いてゆくかこの恋
雲厚き小諸の空や捨てきれぬ思い抱えて「もどり橋」まで
一枚の手漉きの和紙にしたためる藤村のことあなたへのこと
にごり酒きゃしゃなグラスに満たされて小諸の夜は更けやすき夜
ひき返すことのできない心もて仰ぐ浅間は決意のかたち
「不倫はアート」
くもりのち時々晴れの日常にシンビジウムの鉢植え届く
イタリアンパセリの匂いの口づけを白きワインで洗い流せり
この部屋に君が確かにいたことのジャイアントコーン食べてしまえり
もう一歩踏みこめないかという午後に辛きトマトのソース煮詰める
「ファミリーランド」
あかねさす昼は缶のまま飲むビール一人暮らしは旅にも似るか
「シャネルの泡」
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
赦されて人は幸せになるものと思わず恋は終身の刑
「ポン・ヌフに風」
二十代の君を知らねばとりかえすごとく聞きおり留学の日々
シャンプーを選ぶ横顔見ておればさしこむように「好き」と思えり
君と見るモローの神話の風景に閉じこめられてしまいたき午後
「今」だけをたずさえて行く夜の果てにブランクーシの鳥が羽ばたく