今日、斎藤茂吉選『長塚節歌集』を読み終えました。
長塚節は地元の歌人・作家であり、かつて小説『土』を読んだり、短歌をいくつか暗記したりしましたが、彼の歌集をちゃんと読んだのは今回が初めてでした。
で、彼の自然詠がとても好きになりました。とてもわかりやすく、情景が目に浮かびます。また、彼が病床で詠んだ歌は、彼の心情がストレートに伝わってきて悲しくなります。
以下、気になった歌を引用します。
長塚節は地元の歌人・作家であり、かつて小説『土』を読んだり、短歌をいくつか暗記したりしましたが、彼の歌集をちゃんと読んだのは今回が初めてでした。
で、彼の自然詠がとても好きになりました。とてもわかりやすく、情景が目に浮かびます。また、彼が病床で詠んだ歌は、彼の心情がストレートに伝わってきて悲しくなります。
以下、気になった歌を引用します。
【明治33年(1900)】
ガラス戸の中にうち臥す君のために草萌え出づる春を喜ぶ
ガラス戸のそとに飼ひ置く鳥の影のガラス戸透きて畳にうつりぬ
大きなる菖蒲(あやめ)のつぼみ花になりて萎みし花の上をおほひぬ
むらさきの菖蒲の花は黒くして白きあやめの目にたつ夕べ
【明治34年(1901)】
沖つ辺(べ)にい行きかへらふ蜑舟(あまぶね)は若鷺(わかさぎ)捕らし秋たけぬれば
うぐひすのあかとき告げて来(き)鳴きけむ川門(かはと)の柳いまぞ散りしく
【明治35年(1902)】
青傘を八つさしひらく棕梠の木の花咲く春になりにたらずや
くさまくら旅にも行かず木犀の芽立つ春日(はるび)は空しけまくも
筑波嶺ゆ振りさけ見れば水の狭沼(さぬま)みづの広沼(ひろぬま)霞たなびく
茨城は狭野(さぬ)にはあれど国見嶺(くにみね)に登りて見れば稲田広国(ひろくに)
【明治36年(1903)】
筑波嶺にふりける雪は白駒(しろこま)の額毛(ぬかげ)に似たり消えずもあらぬか
ふくろふの宵々なきし榧(かや)の樹のうつろもさやに照る月夜かも
あぶら蝉しきなく庭の青芝に散りこぼれたる白萩(しらはぎ)のはな
耳成(みみなし)の山のくちなし樹(こ)がくりに咲く日の頃は過ぎにけらしも
たびびとの逝囘(ゆきき)の丘の小畠(をばた)には煙草の花は咲きにけるかも
日をへつつ伊勢の宮路に粟の穂の垂れたる見れば秋にしあるらし
大和嶺(やまとね)に日が隠ろへば真藍なす浪の穂ぬれにとびの飛ぶ見ゆ
熊野川八十瀬(やそせ)を越えてくだりゆく船の筵(むしろ)にさねて涼しも
しほさゐの伊良胡(いらご)が崎の萱草(わすれぐさ)なみのしぶきにぬれつつぞさく
箱根路を汗もしとどに越えくれば肌冷(ひやや)かに雲とびわたる
杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅双樹の花
しろたへの衣手(ころもで)さむき秋さめに庭の木犀香(か)にきこえ来(く)も
秋の田のわせ刈るあとの稲茎(いなぐき)にわびしく残るおもだかの花
鬼怒川を朝越えくれば桑の葉に降りおける霜の露にしたたる
【明治37年(1904)】
つくばねに雪積むみれば榛(はり)の木の梢寒けし花は咲けども
榛の木の花咲く頃を野らの木に鵙(もず)の速贄(はやにへ)はやかかり見ゆ
桐の木の枝伐(き)りしかばそのえだに折り敷かれある白菊(しらぎく)の花
此(この)日ごろ庭も掃かねば杉の葉に散りかさなれる山茶花の花
秋の日の蕎麦を刈る日の暖(あたたか)に蛙(かはづ)が鳴きてまたなき止みぬ
麦をまく日和よろしみ野を行けば秋の雲雀のたまたまになく
鬼怒川の蓼(たで)かれがれのみぎはには枸杞(くこ)の実赤く冬さりにけり
秋の空ほのかに焼くるたそがれに穂芒(ほすすき)白し闇(くら)くしなれども
【明治38年(1905)】
綿の木の畝間にまきし蚕豆(そらまめ)の三葉四葉(みはよは)ひらき霜おきそめぬ
鬼怒川の冬のつつみに蒲公英(たんぽぽ)の霜にさやらひくきたたず咲く
淡雪のあまた降りしかば枇杷の葉の枯れてあり見ゆ木瓜(ぼけ)のさく頃
さながらに青皿なべし蕗の葉に李(すもの)は散りぬ夜の雨ふり
山椒の芽をたづね入る竹村(たかむら)にしたごもりさく木苺の花
木瓜の木のくれなゐうすく茂れれば雨は日毎にふりつづきけり
豌豆(ゑんどう)の花さくみちのしづけきに松蝉遠く松の樹に鳴く
あたたかき安房の外浦(とうら)は麦刈ると枇杷もいろづくなべて早けむ
うきくさの菱の白花(しらはな)白花とささ波立てり海平(たひ)らかに
炭がまを焚きつけ居れば赤き芽の柘榴(ざくろ)のうれに没日(いりひ)さし来(く)も
炭がまを這ひ出てひとり水のめば手桶の水に樫の花浮けり
秋の田のかくめる湖(うみ)の真上には鱗なす雲ながく棚引く
豇豆(ささげ)干す庭の筵(むしろ)に森の木のかげるゆふべを飛ぶ赤蜻蛉(あかあきつ)
霧のごと雨ふりくればほのかなる谷の茂りに白き花何
小雀(こがらめ)の榎(え)の木に騒ぐ朝まだき木綿波雲(ゆふなみぐも)に見ゆる山の秀(ほ)
をすすきの楉(しもと)に交(まじ)り穂になびく山ふところの秋蕎麦の花
立石(たていし)の山こえゆけば落葉松(からまつ)の木深(こぶか)き渓(たに)に鵙(もず)の啼く声
暁のほのかに霧のうすれゆく落葉松山にかし鳥の鳴く
諸樹木(もろきぎ)をひた掩(おほ)ひのぼる白雲(しらくも)の絶間(たえま)にみゆる谷の秋蕎麦
木曽人(きそびと)の秋田のくろに刈る芒(すすき)かり干すうへに小雨ふりきぬ
木曽人の朝の草刈る桑畑(くはばた)にまだ鳴きしきるこほろぎの声
ゆるやかにすぎゆく雲を見おくれば山の木群(こむら)のさやさやに揺(ゆ)る
ひややけき流れの水に足(あ)うら浸(ひ)で石を枕(まくら)ぐ旅びとわれは
まさやかにみゆる長山美濃の山青き山遠し峰かさなりて
をみなへしみじかくさける赤土の稚松山(わかまつやま)は汗もしとどに
うろこなす秋の白雲(しらくも)たなびきて犬山の城松の上に見ゆ
松かげは篠(しの)も芒(すすき)も異草(ことくさ)も皆ことごとくまんじゆさげ赤し
落葉せるさくらがもとの青芝に一むらさびし白萩(しらはぎ)の花
近江路の秋田はろかに見はるかす彦根が城に雲の脚(あし)垂れぬ
蜆(しじみ)とる舟おもしろき勢多川(せたがは)のしづけき水に秋雨ぞふる
秋雨のしくしくそそぐ竹垣にほうけて白き楤(たら)の木の花
みちのへに草も莠(はぐさ)も打ち茂る圃(はた)の桔梗は枯れながらさく
与謝の海なぎさの芒(すすき)吹きなびく秋かぜ寒し旅の衣に
須磨寺の松の木(こ)の葉の散る庭に飼ふ鹿悲し声ひそみ鳴く
松陰の草の茂みに群れさきて埃(ほこり)に浴(あ)みしおしろいの花
淡路のや松尾が崎に白帆捲く船あきらかに松の上に見ゆ
茅渟(ちぬ)の海うかぶ百船(ももふね)八十船(やそふね)の明石の瀬戸に真帆向ひ来(く)も
あさなさな仏のために伐(き)りにけむ紫苑は淋し花なしにして
ひややかに木犀かをる朝庭の木蔭は闇(くら)き椰(なぎ)の落葉や
ささなみの滋賀の県(あがた)の葱(ねぎ)作り麁朶垣(そだがき)つくるあらき麁朶垣
冷(ひやや)かに竹藪めぐる樫の木の木(こ)の間に青き秋の空かも
鵯(ひえどり)の晴(はれ)を鳴く樹のさやさやに葛もすすきも秋の風吹く
潮ざゐの伊良胡が崎の巌群(いはむら)にいたぶる浪は見れど飽かぬかも
異郷(ことざと)もあまた見しかど鬼怒川の嫁菜が花はいや珍らしき
わせ刈ると稲の濡茎(ぬれぐき)ならべ干す堤の草に赤き茨(ばら)の実
めづらしき蝦夷の唐茄子蔓(つる)ながらとらずとぞおきし母の我がため
【明治39年(1906)】
薦(こも)かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒きこの夜は
赤井嶽とざせる雲の深谷(ふかだに)に相呼ぶらしき山どりのこゑ
ここにして青草の岡に隠ろひし夕日はてれり沖の白帆に
松越えて浜のからすの来てあさる青田の畦に萱草(くわんざう)赤し
南瓜(たうなす)の茂りがなかに抽(ぬ)きいでし莠(はぐさ)そよぎて秋立ちぬらし
【明治40年(1907)】
おのづから満ち来る春は野に出でて我が此の立てる肩にもあるべし
馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
はらはらと橿(かし)の実ふきこぼし庭の戸に慌(あわただ)しくも秋の風鳴る
黄昏の霧たちこむる秋の田のくらきが方(かた)へ鴫(しぎ)鳴きわたる
【明治41年(1908)】
鬼怒川を夜ふけてわたす水棹(みなさを)の遠くきこえて秋たけにけり
【明治44年(1911)】
うるはしみ見し乗鞍は遠くして一目(ひとめ)といへどながく矜(ほこ)らむ
【明治45年(1912)】
生きも死にも天(あめ)のまにまにと平(たひ)らけく思ひたりしは常の時なりき
知らなくてありなむものを一夜(ひとよ)ゆゑ心はいまは昨日にも似ず
鴨跖草(つゆくさ)を岸に復(ま)た見ば我が思ふ人のあたりゆ持てりとを見む
いまにして人はすべなし鴨跖草の夕さく花を求むるが如(ごと)
おほよそは心は嘗(かつ)ていはなくに思ひ堪へねばいひにけるかも
打ち萎(しな)えわれにも似たる山茶花の凍れる花は見る人もなし
山茶花のわびしき花よ人われも生きの限りは思ひ嘆かむ
山茶花は萎(しな)えていまは凍れども命なる間(ま)は豈(あに)散らめやも
山茶花のはかなき花は雨ゆゑに土には散りて流されにけり
山茶花はむなしくなりぬ我が病癒えむと告ぐる言(こと)も聞かぬに
掃かざりし杉の落葉を熊手もて掻かしめしかば心すがしき
【大正3年(1914)】「鍼の如く」
白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
しめやかに雨過ぎしかば市(いち)の灯はみながら涼し枇杷うづたかし
芝栗の青きはあましかにかくに一つ二つは口もてぞむく
草臥(くたびれ)を母とかたれば肩に乗る子猫もおもき春の宵かも
楢の木の枯木のなかに幹白き辛夷(こぶし)はなさき空蒼く濶(ひろ)し
落栗(おちぐり)は一つもうれし思はぬにあまたもあれば尚更にうれし
柿の樹に梯子掛けたれば藪越しに隣の庭の柚子黄(きば)み見ゆ
雀鳴くあしたの霜の白きうへに静かに落つる山茶花の花
倒れたる椎の木故(ゆゑ)に庭に射す冬の日広くなりにけるかも
春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり
薬壜さがしもてれば行く春のしどろに草の花活(い)けにけり
こころぐき鉄砲百合が我が語るかたへに深く耳開き居り
うつつなき眠り薬の利きごころ百合の薫りにつつまれにけり
あかしやの花さく陰の草むしろねなむと思ふ疲れごころに
小夜ふけてあいろもわかず悶ゆれば明日は疲れてまた眠るらむ
おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜(よ)は
すべもなく髪をさすればさらさらと響きて耳は冴えにけるかも
やはらかきくくり枕の蕎麦殻も耳にはきしむ身じろぐたびに
ゆくりなく手もておもてを掩(おほ)へればあな煩(わづら)はし我が手なれども
ひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯(いひ)減りにけり
咳(せ)き入れば苦しかりけり暫くは襲(かさ)ねて居らむ単衣(ひとへ)欲しけど
頬の肉(しし)落ちぬと人の驚くに落ちけるかもとさすりても見し
いぶせきに明日は剃らなと思ひつつ髭の剃杭(そりぐひ)のびにけるかも
いささかのことなりながら痒きとき身にしみて人の爪ぞうれしき
すこやかにありける人は心強し病みつつあれば我は泣きけり
小さなる蚊帳こそよけれしめやかに雨を聴きつつやがて眠らむ
鬼灯(ほほづき)を口にふくみて鳴らすごと蛙(かはづ)はなくも夏の浅夜(あさよ)を
なきかはす二つの蛙ひとつ止みひとつまた止みぬ我(あ)も眠くなりぬ
いささかは花まだみゆる山吹の雨を含みて茂らひにけり
つくづくと夏の緑はこころよき杉をみあげて雨の脚ながし
草いちご洗ひもてれば紅解けて皿の底には水たまりけり
口をもて霧吹くよりもこまかなる雨に薊(あざみ)の花はぬれけり
鬼怒川の土手の小草(をぐさ)に交(まじ)りたる木賊(とくさ)の上に雨晴れむとす
くつろぐと足を外(と)に向けころぶせば裾より涼し唯そよそよと
単衣(ひとへ)きてこころほがらかになりにけり夏は必ずわれ死なざらむ
うつらうつら髪を刈らせて眠り居(ゐ)る足をつれなく蚊の螫(さ)しにけり
蚊の螫しし足を足もてさすりつつあらぬことなど思ひつづけし
悉(ことごと)く縋(すが)りて垂れしベコニヤは散りての花もうつぶしにけり
小夜ふけて竊(ひそか)に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
かかるとき扁蒲畑(ゆふがほばた)に立ちなばとおもひてもみつ今は外(と)に出でず
白蚊帳(しろがや)に夾竹桃をおもひ寄せ只こころよくその夜(よ)ねむりき
牛の乳をのみてほしたる壜(びん)ならで挿すものもなき撫子の花
なでしこの交れる草は悉(ことごと)くやさしからむと我がおもひみし
快くめざめて聴けと鳴く蛙(かわず)ねられぬ夜のあけにのみきく
暁(あかつき)の水にひたりて鳴く蛙すずしからむとおもひ汗拭く
こころよく汗の肌(はだへ)にすず吹けば蚊帳釣草の髭そよぎけり
ささやけきかぞの白紙(しらかみ)爪折(つまを)りて桔梗の花は包まれにけり
白埴(しらはに)の瓶に桔梗を活けしかば冴えたる秋は既にふふめり
すべもなく汗は衣を透(とほ)せどもききやうの花はみるにすがしき
抱かばやと没日(いりひ)のあけのゆゆしきに手円(たなまど)ささげ立ちにけるかも
きりぎりすきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり
月見草けぶるが如くにほへれば松の木(こ)の間に月缼(か)けて低し
嗽(うが)ひしてすなはちみれば朝顔の藍また殖えて涼しかりけり
朝顔のかきねに立てばひそやかに睫(まつげ)にほそき雨かかりけり
手を当てて心もとなき腋草(わきくさ)に冷たき汗はにじみ居にけり
草深き垣根にけぶる烏瓜(たまづさ)にいささか眠き夜(よ)は明けにけり
かくしつつ我は痩せむと茶を掛けて硬(こは)き飯(いひ)はむ豈(あに)うまからず
酢をかけて咽喉(のど)こそばゆき芋殻の乏しき皿に箸つけにけり
痺(しび)れたる手枕(たまくら)解きて外(と)をみれば雨打ち乱し潮の霧飛ぶ
木に絡む糸瓜(へちま)の花も此の朝は萎(しな)えてさきぬ痛みたるらむ
朝まだきすずしくわたる橋の上に霧島ひくく沈みたり見ゆ
手枕(たまくら)に畳のあとのこちたきに幾ときわれは眠りたるらむ
松の葉を吹き込むかぜの涼しきに咽(むせ)びてわれはさめにけらしも
幮(かや)越しに雨のしぶきの冷たきに二たびめざめ明けにけるかも
横しぶく雨のしげきに戸を立てて今宵は虫はきこえざるらむ
とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のおらぶ夜(よ)は憂(う)し
むらぎもの心はもとな遮莫(さもあらばあれ)をとめのことは暫(しば)し語らず
こほろぎのしめらに鳴けば鬼灯(ほほづき)の庭のくまみをおもひつつ聴く
蝕ばみてほほづき赤き草むらに朝は嗽(うが)ひの水すてにけり
草村にさける南瓜の花共に疲れてたゆきこほろぎの声
鯛とると舟が帆掛けて乱れれば沖は俄(には)かに闊(ひろ)くなりにけり
こころよき刺身の皿の紫蘇の実に秋は俄(には)かに冷えいでにけり
此のごろは浅蜊浅蜊と呼ぶ声もすずしく朝の嗽(うが)ひせりけり
いささかは肌はひゆとも単衣(ひとへ)きて秋海棠はみるべかるらし
秋雨のひねもすふりて夕されば朝顔の花しぼまざりけり
鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも
はらはらと松葉吹きこぼす狭庭(さには)には皆白菊(しらぎく)の花さきにけり
山茶花はさけばすなはちこぼれつつ幾ばく久(ひさ)にあらむとすらむ
手を当てて鐘はたふとき冷たさに爪(つま)叩き聴く其のかそけきを
うるほへば只うつくしき人参の肌さへ寒くかわきけるかも
時雨れ来るけはひ遙かなり焚き棄てし落葉の灰はかたまりぬべし
松の葉を縄に括(くく)りて売りあるく声さへ寒く雨はふりいでぬ
播磨野は朝(あした)すがしき浅霧の松のうへなる白鷺の城
長塚節 1879-1915 1779年、石下町国生(現常総市国生)の豪農の長男として生まれる。3歳のころに小倉百人一首をそらんじ、神童といわれた。また、父は県会議員を務めたほどの名士で、恵まれた家庭環境であったが、病弱なため、水戸中学を中退。病を癒すかたわら、すぐれた感受性から短歌に目覚め、正岡子規の門をたたいた。 子規のところでは、『馬酔木』の編集同人として活躍する一方、伊藤左千夫とともに、『アララギ』を創刊し、頭角をあらわす。一方で、病気療養を兼ね、菅笠、草鞋という軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠んだ。万葉集の歌風を取り入れた節の歌は、自然を限りなく深い眼差しでとらえている。 歌人として名を成した節は、夏目漱石の推挙で小説『土』を発表し、作家としての名声も手に入れるが、歌同様そこにはやはり厳しい自然への洞察力とともに、人間への深い愛情がいかんなく発揮されている。それは節を育んだ石下の風土と深く結びついているように思われる。 病魔に冒され、婚約を破棄した節は、諸国を歩き、遠く九州の地で、36歳という短い生涯を閉じた。節の精神は節の小説や歌とともに受け継がれ、現在旧石下地区では、生家近くの県道沿いなどに歌碑が残り、その生家は県の指定文化財となり、現在も多くの人が節をしのんで訪れている。(常総市HPより、一部改編)