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『斎藤茂吉歌集』を読みました。

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今日、『斎藤茂吉歌集』を読み終えました。以下、一読して気になった歌を引用します。


「赤光」(明治38年~大正2年)
  蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
  かぎろひの夕べの空に八重なびく朱(あけ)の旗ぐも遠(とほ)にいざよふ
  あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり
  もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
  あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ

  蜩蝉(かなかな)のまぢかくに鳴くあかつきを衰へはててひとり臥し居り
  木のもとに梅はめば酸(す)しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
  なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか
  この世にし生きたかりしか一念も申さず逝きしをあはれとおもふ
  雨にぬるる広葉細葉(ひろはほそは)の若葉森あが言ふこゑのやさしくきこゆ

  おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも
  たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣(からたちがき)にほこりたまれり
  うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝(こ)る原にわれは来にけり
  寒ざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は濡れてゐるかな
  しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

  かうべ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡(とち)の木(こ)の実は落ちにけらずや
  我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや
  けだものの暖かさうな寝(いね)すがた思ひうかべて独り寝にけり
  水のべの花の小花の散りどころ盲目(めしひ)になりて抱かれて呉(く)れよ
  さみだれは何に降りくる梅の実は熟(う)みて落つらむこのさみだれに

  秋のかぜ吹きてゐたれば遠(をち)かたの薄(すすき)のなかに曼珠沙華赤し
  あはれなる女(をみな)の瞼(まぶた)恋ひ撫でてその夜(よ)ほとほとわれは死にけり
  この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
  ひんがしに星いづる時汝(な)が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ
  死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞(きこ)ゆる

  いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを
  湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
  ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし

「あらたま」(大正2~6年)
  足乳根(たらちね)の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの
  ふゆの日の今日も暮れたりゐろりべに胡桃をつぶす独語(ひとりごと)いひて
  ぢりぢりとゐろりに燃ゆる楢の樹の太根(ふとね)はつひにけむり挙げつも
  きのこ汁くひつつおもふ祖母(おほはは)の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ
  街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

  まながひに立ちくる君がおもかげのたまゆらにして消ゆる寂しさ
  しらぬひ筑紫を恋ひて行(ゆ)きしかど浜風さむみ咽(のど)に沁みけむ
  しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)のしろく息たつを食ひつつおもふ

「つゆじも」(大正7~10年)
  聖福寺(しやうふくじ)の鐘の音(ね)ちかしかさなれる家の甍(いらか)を越えつつ聞こゆ
  くらやみに向ひてわれは目を開きぬ限(かぎり)もあらぬものの寂(しづ)けさ
  ゆふぐれの泰山木の白花(しろはな)はわれのなげきをおほふがごとし
  曼珠沙華咲くべくなりて石原へおり来(こ)む道のほとりに咲きぬ
  のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石だたみそよげる小草(をぐさ)とおのれ一人と

  かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓行年九歳」
  ゆふぐれの日に照らされし早稲の香をなつかしみつつくだる山路(やまみち)
  わたつみの空はとほけどかたまれる雲の中より雷(らい)鳴りきこゆ
  空のはてながき余光をたもちつつ今日よりは日がアフリカに落つ
  はるばると砂に照りくる陽に焼けてニルの大河(おほかは)けふぞわたれる

  黒々としたるモツカを飲みにけり明日よりは寒き海をわたらむ

「遠遊」
  落葉樹の木立のなかに水たまりあり折々反射の光をはなつ
  雷(らい)の雨音たてて降りし野のうへに二たび光さすを見て居(ゐ)つ
  ゆたかなる河のうへより見て過ぎむ岸の青野は牛群れにけり
  Beethoven(ベエトウフエン)若かりしときの像の立つここの広場をいそぎてよぎる
  太陽はまばゆきひかり放射してチロールの野に草青く萌ゆ

  サン・ピエトロの円(まる)き柱にわが身寄せ壁画のごとき僧の列見る
  南方を恋ひておもへばイタリアのCampagna(カムパニヤ)の野に罌粟(けし)の花ちる

「遍歴」
  いつしかも時のうつりと街路樹が青きながらに落葉するころ
  実験の為事(しごと)やうやくはかどれば楽しきときありて夜半(よは)に目ざむる
  RÖcken(レツケン)のニイチエの墓にたどりつき遥けくもわれ来たるおもひす
  現身(うつせみ)のはてなき旅の心にてセエヌに雨の降るを見たりし
  もろもろの海魚あつめし市たちて遠き異国のヴエネチアの香(か)よ

  落ちつもりし紅葉(もみじ)を踏みて入り来(きた)るバルビゾンの森鴉(からす)のこゑす

「ともしび」(大正14年~昭和3年)
  うつしみの吾(わ)がなかにあるくるしみは白(しら)ひげとなりてあらはるるなり
  湯をあみてまなこつむればうつしみの人の寂しきや命さびしき
  さ夜なかにめざむるときに物音(ものと)たえわれに涙のいづることあり
  白たへの沙羅の木(こ)の花くもり日のしづかなる庭に散りしきにけり
  さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに

  のぼりつめ来つる高野の山のへに護摩の火(ほ)むらの音ひびきけり
  いそぎ行く馬の背なかの氷よりしづくは落ちぬ夏の山路に
  朝明(あさけ)より寂しき雨は降り居りて槇の木立に啼く鳥もなし
  うつしみは苦しくもあるかあぶりたる魚(いを)しみじみと食ひつつおもふ
  くれぐれにわれのいそげる砂利みちは三月(やよひ)にちかき雨ふりて居り

  罪ふかき我にやあらむとおもふなり雪ぐもり空さむくなりつつ
  むなしき空にくれなゐに立ちのぼる火炎(ほのほ)のごとくわれ生きむとす
  ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷(らい)ちかづきぬ
  音立てて茅(ち)がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り
  ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり

「たかはら」(昭和4・5年)
  あたたかき飯(いひ)くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも
  なべて世のひとの老いゆくときのごと吾(わ)が口ひげも白くなりたり
  高原(たかはら)に光のごとく鶯のむらがり鳴くはたのしかりけり
  沙羅の花ここに散りたり夕ぐれの光ののこる白砂(しろすな)のうへ
  風のおと川わたり来るみやしろに栴檀(せんだん)の実のおつるひととき

「連山」
  旅人は時に感傷の心あり犬ひとつゐて畑を歩く

「石泉」(昭和6・7年)
  試験にて苦しむさまをありありと年老いて夢に見るはかなしも
  時のまのありのままなる楽しみか畳のうへにわれは背のびす
  をりをりにしはぶきながらみちのくを南へくだる汽車にわが居り
  相よりてこよひは酒を飲みしかど泥のごとくに酔ふこともなし
  日は晴れて落葉のうへを照らしたる光寂(しづ)けし北国にして

  うねりつつ水のひびきの聞こえくる北上川を見おろすわれは
  つかれつつ佐久に著(つ)きたり小料理店運送店蹄鉄鍛冶馬橇工場
  つかれつつ汽車の長旅することもわれの一生(ひとよ)のこころとぞおもふ

「白桃」(昭和8・9年)
  わが眠る枕にちかく夜もすがら蛙(かはづ)鳴くなり春ふけむとす
  このゆふべ支那料理苑の木立にて蜩(ひぐらし)がひとつ鳴きそむるなり
  あつき日は心ととのふる術(すべ)もなし心のまにまみだれつつ居り
  暑き山くだりくだりて寂(しづ)かなる安楽律院の水のみにけり
  ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり

  たえまなく激(たぎ)ちの越ゆる石ありて生(しやう)なきものをわれはかなしむ
  みちのくの山を蔽(おほ)ひて降りみだる雪に遊ばむと来(こ)しわれならず
  常日ごろ光あたらぬこの部屋におもひまうけぬ西日さしをり

「暁紅」(昭和10・11年)
  下総を朝あけ行けば冬がれし国ひくくして雲たなびきぬ
  冬の日のひくくなりたる光沁(し)む砂丘に幾つか小(ち)さき谿(たに)あり
  いろも無くよこたふ砂の山にして鹿島の海は黒く見えたる
  鷗らが心しづかに居るらしき汀(なぎさ)をわれは乱し来るかな
  いきれする人ごみの中に吾は居り出羽ケ嶽の相撲ひとつ見むとて

  わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り
  もえぎたつ若葉となりて雲のごと散りのこりたる山桜ばな
  うつせみの吾(わが)見つつゐる茱萸(ぐみ)の実はくろきまで紅(あけ)きはまりにけり
  ゆふぐれのかぜ庭土をふきとほり散りし百日紅(ひやくじつこう)の花を動かす
  ぬばたまのくらき夜(よ)すがら空ひくく疾風(はやち)は吹きて春来(き)ぬらしも

  山の雨たちまち晴れてわがにはの杉の根方(ねがた)に入日(いりひ)さしたり
  すくやかに老いつつありとひとりごつ月の落ちたる山のなかの空
  たたずめるわが足もとの虎杖(いたどり)の花あきらかに月照りわたる
  山かげに移ろひゆきし雷(らい)の音心安けくなりて身に沁む
  胸火(むなび)消えて白くなりたる灰のごと悲しきことをかたみに語る

  川の瀬としぐれの雨と交はりて音する夜半(よは)にしばしば目さむ
  いくたびか時雨のあめのかかりたる石蕗(つはぶき)の花もつひに終りぬ

「寒雲」(昭和12~14年)
  枯れ伏しし蕗にまぢかき虎耳草(ゆきのした)ひかりを浴みて冬越えむとす
  たのまれし必要ありて今日一日(ひとひ)性欲の書読む遠き世界の如く
  もろもろの木芽(このめ)ふきいづる山の上にわれは来(きた)りぬ寝(い)ねむと思(も)ひて
  こよひあやしくも自らの掌(たなぞこ)を見るみまかりゆきし父に似たりや
  歓喜天の前に行きつつ脣(くちびる)をのぞきなどしてしづかに帰る

  寒き日に濃きくれなゐの薔薇を愛でしばらくにして昼寝(い)ぬわれは
  吾(わ)をおもふ悲しき友のひとつにて嵐だつ夜(よは)に馬追来居り
  風つよく衢(ちまた)を吹きてゆくころをわれは昼寝(ひるい)すその風のおと
  春の夜(よ)の午前三時に眼をあきてわれの体の和むことあり
  あきらけき月の光に見ゆるもの青き馬追薄(すすき)を歩く

「のぼり路」(昭和14・15年)
  南なる開聞嶽の暮れゆきて暫くわれは寄りどころなし
  慌(あわただ)しく階下におりて来りしが何(なに)のために下りて来しか分からず
  谷ひくく虹が立ちたり定めなき雨とおもひてわれ居りたるに
  朝々に立つ市ありて紫ににほへる木通(あけび)の実さへつらなむ

「霜」(昭和16・17年)
  冴えかへるこのゆふまぐれ白髭(しらひげ)にマスクをかけてわれ一人ゆく
  われつひに老いたりとおもふことありて幾度か畳のうへにはらばふ
  過去になりし左千夫翁(おきな)の小説を読みてしばらく泣きつつゐたり
  山毛欅(ぶな)の樹(き)はふとぶとと枝持ちながらこの山中(やまなか)に年経(ふ)りて居り
  わが心たひらになりて快し落葉をしたる橡(とち)の樹(き)みれば

  わが父のしばしば越えしこのたうげ六十一になりてわが越ゆ
  日にむかふ油ぎりたる青草を目のまへにしてしづ心なき
  山なかにわれは居れども夏の日にひとり衰ふる心かなしも
  かへるでの太樹(ふとき)に凭(よ)りてわれゐたり年老いし樹(き)のこのしづけさよ
  あしひきの山の峡(かひ)なる夜(よ)の道の月のきよきに蛾は飛びわたる

  月かげの隈(くま)なくさすをかうむりぬ畳の上にわれひとりゐて
  九月になれば日の光やはらかし射干(ひあふぎ)の実も青くふくれて
  あまのはら冷(ひ)ゆらむときにおのづから柘榴(ざくろ)は割れてそのくれなゐよ

「小園」(昭和18~21年)
  過去にして円かなる日日もなかりしが六十二歳になりたり吾は
  うつせみのことわり絶えて合歓の花咲き散る山にわれ来(きた)りけり
  しづかなる生(せい)のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ
  山のうへの空は余光のごとくなり見る見るうちに月はいでたり
  堪へがたきまでに寂しくなることあり松かさを焚く土のたひらに

  悲しさもかへりみすれば或宵(あるよひ)の蛍のごとき光とぞおもふ
  のがれ来て一時間にもなりたるか壕のなかにて銀杏を食(は)む
  のがれ来てはやも百日(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ
  くさぐさの実こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて
  あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

「白き山」(昭和21・22年)
  雪ふぶく頃より臥してゐたりけり気にかかる事も皆あきらめて
  臥処(ふしど)よりおきいでくればくれなゐの罌粟(けし)の花ちる庭の隈(くま)みに
  五月はじめの夜はみじかく夢二つばかり見てしまへばはやもあかとき
  黒鶫(くろつぐみ)来鳴く春べとなりにけり楽しきかなやこの老い人も
  近よりてわれは目守(まも)らむ白玉(しらたま)の牡丹の花のその自在心

  ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
  ひがしよりながれて大き最上川見おろしをれば時は逝くはや
  朝な朝な胡瓜畑を楽しみに見にくるわれの髯(ひげ)のびて白し
  ここにして心しづかになりにけり松山の中に蛙が鳴きて
  はやくより雨戸をしめしこのゆふべひでし黄菊(きぎく)を食へば楽しも

  やうやくにくもりはひくく山中に小鳥さへづりわれは眠りぬ
  あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに
  人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりにき
  短距離の汽車に乗れれど吾よりも老いたる人は稀になりたり
  道のべに蓖麻(ひま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

  みまかりし女の夢を見たりなどして冬のねむりはしばしば覚めぬ
  月の夜の川瀬のおとの聞こえくるデルタあたりにさ霧しろしも
  最上川の流のうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困
  黒鶫(くろつぐみ)のこゑも聞こえずなりゆきて最上川のうへの八月のあめ

「つきかげ」(昭和23~27年)
  年老いて心たひらかにありなむを能(あた)はぬかなや命いきむため
  わが気息(いぶき)かすかなれどもあかつきに向ふ薄明にひたりゐたりき
  みづからの落度などとはおもふなよわが細胞は刻々死するを
  生活を単純化して生きむとす単純化とは即ち臥床なり
  わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ

  黄蝶ひとつ山の空ひくく飜へる長き年月(としつき)かへりみざりしに
  わが生きし嘗(かつ)ての生もくらがりの杉の落葉とおもはざらめや
  われつひに六十九歳の翁(おきな)にて機嫌よき日は納豆など食(は)む
  浅草の観音堂にたどり来てをがむことありわれ自身のため
  永世楽土、永遠童貞女、永遠回帰、而して永世中立、エトセトラ

  円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ
  山に来(こ)しわれのごとくにひぐらしといふ山蝉は陰気をこのむ
  秋の雨一日降りつぎ寒々となりたる部屋にぼう然とゐる
  わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり
  いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

「補遺」
  真珠湾にくぐりてゆきし一隊の潜航艇は帰ることなし


斎藤茂吉 1882-1953
 日本の歌人、精神科医である。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。長女は百合子、次女は晶子。長男に斎藤茂太、次男に北杜夫、孫に斎藤由香がいる。(Wikipediaより)

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