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和歌山城に行って来ました。

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今週、インターハイの応援のため、堺市(ハンドボール)と和歌山市(剣道)に行って来ました。
和歌山市ではホテルの目の前が和歌山城だったので、空いた時間に見学することができました。和歌山城は標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城で、天守閣までは簡単に行けましたが、着いた途端に汗が吹き出しました。でも、大天守に登ると涼しい風が吹いていて、とても爽快でした。

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ホテルの部屋から和歌山城を望む。

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裏坂より天守閣をめざす。

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南東側より天守閣を望む。

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南西側より天守閣を望む。

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楠門をくぐり、天守閣へ。

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天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものである。 姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられている。(Wikipediaより)

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大天守より和歌山市内を望む。

 和歌山城(和歌山市HPより)
 和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した羽柴(豊臣)秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎でした。
 その後、秀長の城代として桑山重晴が入り、慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10男頼宣が入城し、紀州藩55万5千石の居城となり、以来、尾張・水戸と並び、徳川御三家のひとつとして長い歴史を刻んできました。
 明治となってから和歌山城は和歌山公園として公開され、昭和10年には天守閣が国宝に指定されました。
 その貴重な文化遺産は、昭和20年7月9日の戦災によりその英姿を一夜にして焼失してしまいましたが、市民の熱意と浄財によって昭和33年10月1日、天守閣は見事に再建されました。
 その後も一の橋・大手門の再建や御橋廊下の復元はじめ、整備が続けられています。

村上春樹『村上さんのところ』を買いました。

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今日、注文しておいた村上春樹の『村上さんのところ』(2015.7)が届きました。
この本の内容については以下の通りです。
 僕はあまり人前に出ることがないので、何年かに一度、読者のみなさんとメールのやりとりのようなことを、期間限定でやってきました。この前やったのは九年ほど前のことで、そのときも数多くのメールが寄せられ、読み切るのが大変だったんだけど、今回はより便利なスマホが中心の展開になったこともあり、予想を遙かに超えた数のメールが舞い込み、とにかくすごいことになってしまいました。
 十七日間に寄せられた3万7465通のメールを読み切るのに、結局三ヶ月以上を要しました。でもちゃんと読みましたよ。そして中から3716通を選び、返事のメールを書きました。そこから選ばれた473通のやりとりが、本書に収録されているわけです。正直言って疲れました。方は凝るし、眼は痛くなるし、三ヶ月、他にまったく仕事はできないし、これは参ったなあと思ったけど、まあいったん始めたことなのでしっかりやり通しました。まるで降っても降っても降り止まぬ大雪を、一人でシャベルを持って雪かきしているみたいでした。最後はかなりふらふらでした。(「まえがき」より引用)
お疲れさまでした。ゆっくり読ませていただきます。もし次回があったら、僕もメールを送ってみようと思います。

『ジュラシック・ワールド』を見ました。

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昨夜、長男と一緒に映画『ジュラシック・ワールド』を見に行きました。
この作品は『ジュラシック・パーク』(93)、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97)、『ジュラシック・パーク掘戞01)と続いていたシリーズの4作目になります。僕は第1作の『ジュラシック・パーク』しか見ていませんでしたが、テレビのCM等を見て懐かしさを覚えたので見ることにしました。

【感想】
 製作にかなりのお金をかけたはずなのに、それほどおもしろさが伝わってきません。『ジュラシック・パーク』を初めて見た時のワクワク感とか恐怖感とかいった感情とはかけ離れていました。
 金儲けのためにより強力な恐竜を作ることを要求するオーナーや、恐竜を軍事目的に利用しようとする悪者達の存在には期待が持てましたが、ストーリーの掘り下げがなく、ただただドタバタする、中途半端な映画でした。

西加奈子『通天閣』を読みました。

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今日、西加奈子の『通天閣』(06)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 「あおい」「さくら」で彗星のように華やかなデビューを飾った西加奈子の第4作にあたる長編小説。冬の大阪ミナミの町を舞台に、若々しく勢いのある文体で、人情の機微がていねいに描かれる。天性の物語作者ならではの語り口に、最初から最後までグイグイと引き込まれるように読み進み、クライマックスでは深い感動が訪れる。このしょーもない世の中に、救いようのない人生に、ささやかだけど暖かい灯をともす絶望と再生の物語。この作品で第24回織田作之助賞を受賞している。

◆二つの物語が交互に展開するパラレル進行の手法で描かれています。一方の主人公は男で44歳。人生に希望を失い、その日暮らしのような生き方をしています。もう一方の主人公は女で26歳。恋人が去ったことを受け入れられず、恋人が帰ることをただ待つだけの生活です。読み進めていくと、二人の主人公がかつては義理の父娘だったことがわかってきます。そして、二人の主人公は通天閣で起こったある事件をきっかけに同じ場所へと導き寄せられます。
◆主人公二人が再会することはありませんでしたが、最後には希望の光が見えました。男が人を助けようとして必死に叫んだ「お前のことがっ、好きやああああああああああああああああっ!!!」という言葉に彼の前向きな未来が見えた気がします。

『文學界』9月号が届きました。

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昨日、注文しておいた『文學界』9月号が届きました。この号には「新芥川賞作家スペシャル」として、以下のような巻頭特集が組まれています。

◆又吉直樹「芥川龍之介への手紙」
◇羽田圭介「成功者Kのペニスオークション」

◇【対談】羽田圭介×島田雅彦「天然ボケのユーモア」
◆【対談】又吉直樹×川上弘美「漫才と小説の近さ」

◆【特別エッセイ】中村文則「芸歴十六年目の表現」

◆九龍ジョー「作家・又吉直樹誕生前夜」
◇杉田俊介「羽田圭介論 ミート・ザ・ルーチンワーク」
◆中森明夫「又吉直樹論 小説家・又吉直樹の宿命」

村上春樹『村上さんのところ』を読みました。

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今日、村上春樹の『村上さんのところ』(2015.7)を読み終えました。
以下、著者の回答のうち、気になったものを引用しました。

024 『1Q84』の続編は!?
 (前略)
 『1Q84』の続編(BOOK4)は書こうかどうしようか、長いあいだずいぶん迷ったんだけど、そのためには前に書いた三冊を読み返して、いちいちメモとかをとらなくてはならず、とても複雑な話なので「それもちょっと面倒かな」と二の足を踏んでいます。僕はあまり準備をしてものを書くというのが好きではないので。可能性をいろいろと探っているところです。結論はまだ出ていません。僕の印象では『1Q84』にはあの前の話があり、あのあとの話があります。いわば長い因縁話みたいになっています。それを書いた方がいいのか、書かないままにしておいた方がいいのか……。

025 京都で最も好きな場所は?
 京都には僕の好きな場所がいくつかあります。毘沙門堂もわりに好きです。山科の駅からのんびり坂道を登っていく。この道が僕はけっこう気に入っています。近くにおいしいお蕎麦やさんもあります。帰り道は疎水沿いにぶらぶらと散歩します。桜と紅葉のシーズンは混んでいるけど、あとは比較的静かなところです。いつも一人で、あてもなく考え事をしながら歩いています。そういうのに向いている。それから鴨川べりをジョギングするのも好きです。

034 新しい音楽を聴くのが億劫で
 気持ちはよくわかります。でも僕は思うんだけど、積極的に常に新しい音楽を聴き続けるという努力(かなりの努力です)をしていかないと、耳は確実に衰えます。だから僕はがんばって新しい音楽をなるべくたくさん聴くようにしています。よいものに巡り合える確率はかなり低いです。でも人間が生きていくというのは、確率の問題じゃないんです。がんばってください。 ※太字は引用者による

037 がっかりしませんか?
 そうか、三十代後半で「年をとったな」と思うんだ。僕はその年代は生きることに忙しくて、そんなことを考える暇もありませんでした。自分の老化にがっかりすることはあるか? 実感することはあるけど、とくにがっかりはしないですね。年をとることは、それなりにメリットもあるからです。失うものもあれば、得るものもあります。失うものより得るものを少しでも多くしなくちゃ、というのが僕の目下の課題です。

043 頭をあちこちぶっつけながら
 女の人を口説くのはなかなかむずかしいことです。まずだいいちに相手を選ばなくてはならないし、それから先方がきみのことをどのように考えているかを見極めなくてはならないし、それからきみの気持ちを相手に伝えなくてはならないし、相手の反応を見てどのように行動するかを決めなくてはなりません。すごくプロセスが面倒です。そのあいだに傷ついたり、落ち込んだりすることもたくさんあります。でもだいたいの人はそうやって、いろんなところに頭をぶっつけながら、いくつかのコツを学んでいくのです。僕だって見当違いなことをいっぱいやりました。人も傷つけたし、自分も傷つきました(具体的な体験談まではできませんが)。でも人生にはそういうのが必要なんです。ほんとに。がんばってくださいね。

049 怒れない私はヘンですか?
 友だちに裏切られても、恋人に浮気されても怒らない……いいじゃないですか。僕もあなたと同じようにだいたい「ま、しょうがないか」と思っちゃう性格です。だから気持ちはよくわかります。でも怒り狂って相手を殴りつけたり、陰湿なストーカーになったりするのに比べたら、ずっといいじゃないですか。人に迷惑もかけないし。
 それは自我や感情がないというようなこととは違います。あなただって、そんなことをされて心が傷ついているのでしょう? でもそれを表には出さずに、自分の中にそっと沈めているだけなのでしょう? 自分で静かに悩んで、自分の内側を広く大きくしていけばいいんです。なにも気にすることありません。 ※太字は引用者による

052 ♪踊り踊るなら
 リアルでクールな村上ですので、傘振りと「東京音頭」はパスしています。静かに応援しています。フィリップ・マーロウが神宮の外野席で傘振りしますか? ジェイ・ギャツビーが緑色の灯火を見つめながら東京音頭を歌いますか?

058 ひとりランチが苦痛
 僕は料理が来るのを待っている間はだいたい本を読んで、料理が来るとそれを集中して食べ、食べ終わるとそのままさっと出ます。そういう流れができているので、とくに一人ご飯を苦痛には思いません。でもときどき本を忘れることがあって、そういうときは間が持たなくて困ります。メニューを隅から隅まで読んだりして。あるいはこれまでに関係を持った女性を頭から順番に思い出していきます。だいたい73人目くらいで料理が来ます。というのはまったくの嘘です。

120 漫画やアニメを見ないのですか?
 残念ながら、人生の持ち時間にはそれぞれ限りがあります。一人の人間が何もかもをカバーするのは現実的に不可能です。だからある程度の年齢になると、興味の対象を絞って活動していかなくてはなりません。(中略)
 僕は文楽はときどき観に行きます。見出すと面白いですよ。でもなぜか歌舞伎は行かない。野球は見ますが、バスケとラグビーは見ません。どうしてか? ただ何もかもと関わっているだけの時間的余裕がないからです。年齢を重ねるにつれて、時間はどんどん過ぎ去る速度を上げていきます。あんたもある程度の歳になると、そのへんの感じはおわかりになるのではないでしょうか。

125 文章の手本を見つけましょう
 情景描写と心理描写と会話、というのがだいたいにおいて、小説にとっての三要素みたいになります。この三つをどうブレンドしていくかというのが、小説家の腕の見せ所です。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が、そういう点において、僕の教科書になりました。この三要素のブレンドに関して言えば、これはもう完璧な小説です。どこを取り上げても、ぴたーっと決まっています。実に見事です。読んでいるだけで勉強になります。(後略)

157 定食の王道は?
 たぶん「牡蠣フライ+あじフライ定食(キャベツ山盛り)あさりの味噌汁つき」だと思います。お腹がすいてきたな、なんか。

162 小説家としての冥利
 出口を見失って苦しんでいる人に、「出口はあるかもしれない」と思わせることができたらいいなあと思っています。もし誰かにそういう影響を与えられたら、小説家としては冥利に尽きます。

202 本当に困っているだけに話せません
 そうですね。本当に困っていることって、誰にも話せません。僕も同じです。自分で考えて、なんとかやってきました。そうやって生きているとだんだん「自分力」がついてきます。「自分力」、大事ですよ。ただ偏狭にならないようにくれぐれも気をつけてくださいね。ときどき部屋の窓を開けて、空気を入れ換えることが大事になります。

220 最近、どんな本を読んでいますか
 僕はノンフィクションが好きでよく読んでいます。実際には小説よりは非小説を読むことの方が多いと思いますよ。ビジネス書はあまり読みません。雑誌もあまり読みません。新書はたまに読みます。最近読んでいるのは(再読ですが)ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』です。分厚い本だけど、何度読んでもとても興味深い。バランスをとるためにLee Childの『Bad Luck and Trouble』を併読しています。これ、けっこうよく書けています。Hope the best, prepare for the worst.(最良を望みつつ、最悪に備えるんだ)というのが主人公ジャック・リーチャーの金言です。クールですね。

225 呼び名は統一しております
 このサイトでは「村上主義(Murakamism)」あるいは「村上主義者(Murakamist)」という呼び名でいちおう統一しております。誰がこしらえたのかは知りませんが、「ハルキスト」というのは語感がいささかチャラいので、とりあえず無視しませんか。世の中には「村上主義」というものがはっきりと存在します。一種の世界の眺め方です。それをとる、とらないはもちろん個人の自由です。僕はそういうものを誰にも押しつけるつもりはありません。ただそういうものがあるというだけです。

228 男が抱く「孤独の予感」
 そうですね。たとえ彼女がいても妻がいても、男というのはいつも基本的に「女のいない男たち」なんだという気がします。自分がどこに繋がっているのか、誰に繋がっているのか、しばしば確信が持てなくなります。それは(あくまで僕の感触によればですが)女性が一般的に男女関係に対して感じている感じ方とは、少し違っているかもしれません。いつ自分が夜の海に一人で放り出されるかもしれないという、孤独の予感のようなものを男はいつも抱いています。というか、そんな風に僕は感じてしまいます。それはあなたが感じていることとだいたい同じでしょうか?

232 村上さんなら何と答えますか?
 (前略)
 たしか『ノルウェイの森』で、緑さんがお父さんの葬儀の少しあとで、「僕」と一緒に新宿にポルノ映画を見に行くシーンがあったと思います(よく覚えていないんだけど)。緑さんはたぶんあなたと同じくらいの年齢だと思います。よかったら読んでみてください。言葉にならないことってすごく大事なんです。だからそれだけに、言葉をあまり責めないように。

267 「代打、村上」の登場テーマ曲
 僕はドアーズの「ハートに火をつけて」のイントロですね。レイ・マンザレクのあの深く暗い魔術的なオルガンの響き。燃えます。

276 友達がいない、欲しくもない
 48歳で既婚で、友だちがいない。普通だと思いますよ。いなくてもとくに不自由ありませんよね? だったらそれでなんの問題もありません。ちっとも気にすることありません。友だちの多さと、その人の人間的魅力は、かならずしも連動していないと思います。

296 物語がすーっと沁み込んでくる
 (前略)
 この前も同じようなことを書いたんですが、心が弱っているとき、あるいは落ち込んでいるとき、僕の小説を「避難所にして充電場所」として使っていただけると、僕としてはとても嬉しいです。それも小説というものの大事な役目ですから。逃げ込むだけでは足りないんですよね。そこからエネルギーを受け取る必要があります。
 (後略)

340 パティ・スミスに会って
 実を言いますと、僕は彼女がパンク・ロックの人だとはぜんぜん知らなかったんです。僕は何がパンクで、何がパンクじゃないか、みたいなことはあまり考えずに音楽を聴いてきました。グランジだとか、ユーロなんとかだとかヘビメタだとか、そういうものの定義もよくわかりません。でもジャンルとは関係なく、いくつかの彼女の曲は昔から聴いていました。彼女がブルース・スプリングスティーンとつくった「Because the Night」は素敵な曲ですよね。このあいだWOWOWで「ブルース・スプリングスティーン・トリビュート」を見ていたら、彼女がこの曲を歌っていました。素晴らしい歌唱でした。

351 村上さんが落ち込んだ時に救われたものは?
 時間がいちばん大きいですね。時間はいろんなことを解決してくれます。ゆっくりと、でも確実に。その時間が過ぎていくあいだ、僕は本を読み、走り、音楽を聴き、旅行していました。だいたいはローマに住んでいました。日本から遠く離れていることもよかったかもしれません。ローマなる古城のほとり、雲白くパスタ悲しむ……というのは前にも一度書きましたね。一度でじゅうぶんですね。

352 「文体づくり」を教える国語教師より
 文体は人の生き方と同じですから、急に「文体をつくりなさい」と言われてつくれるものではありません。経験を積み、知識を蓄積し、試行錯誤を経て、初めて身につくものです。でもとっかかりみたいなものは必要ですよね。まず「誰かの真似をする」ところから始められると良いと思います。もちろん真似といっても、そのままそっくりなぞるのではなく、自分の好きな文章を書く作家からヒントみたいなものをもらって、「それ風に」書くわけです。でもそういうのって、他人の服を着ているのと同じですから、どうも細かいところが身体に合いません。そういうところをちょっとずつ調整していくと、やがて自分の文体みたいなものが見えてくるはずです。だいたいの人がそうしていると思いますよ。プロの作家だって、最初は模倣から出発している人が大半のはずです。

368 感受性の磨きかたを教えてください
 感受性を磨くためにはどうすればいいか? とても漠然とした質問なので、僕の回答も漠然としたものになってしまいます。感受性を身につけるためには、努力が必要です。何かがほしいと思ったら、こちらも何かを差し出さなくてはなりません。大事なものがほしければ、大事なものを差し出す必要があります。ただほしいと思って身につくものではありません。僕はそれを「身銭を切る」と表現しています。もっと簡単にいえば、「痛い思いをして、身体で覚えていくしかない」ということです。ある程度痛い思いをしないと身につかないことってあるんです。
 どんな痛い思いか? それは人によってそれぞれに違います。ひとつだけ言えるのは、気持ちよく生きて、美しいものだけを見ていても、感受性は身につかないということです。世界は痛みに満ちていますし、矛盾で満ちています。にもかかわらずきみはそこに、何か美しいもの、正しいものを見いだしたいと思う。そのためには、きみは痛みに満ちた現実の世界をくぐり抜けなくてはなりません。その痛みを我が身にひりひりと引き受けなくてはなりません。そこから感受性が生まれます。
 少なくとも僕はそのように考えています。No pain, no gain.ということです。僕がきみくらいの歳のとき、何かを書こうと思っても、何も出てきませんでした。でも29歳になったときに、何かを書きたいと強く思いました。たぶんいろんな苦痛が、僕を成長させてくれたのだと思います。

375 『1Q84』のラストに一言
 (前略)
 でも結果的には大丈夫で、青豆さんはコスタリカに行って、無事に女児を出産なさいました(という話を風のたよりに聞きました)。ご安心ください。

376 秘伝・読書感想文克服法
 よくぞ訊いてくれました。僕は昔から読書感想文を書くのが得意でした。読書感想文を書くコツは、途中でほとんど関係ない話(でもどこかでちょっと本の内容と繋がっている話)を入れることです。それについてあれこれ好きなことを書く。そして最初と最後で、本についてちょろちょろっと具体的に触れる。そうするとなかなか面白い感想文がすらすら書けます。やってみてください。

401 妻の雑言に心底疲れてしまいます
 お気持ちはよくわかります。でもそれはしょうがないことなんです。死と税金と潮の満ち干と妻の繰り言は、男の人生にとって避けることのできないものごとです。「うんうん」と適当にうなずきながら、ただ聞き流しているしかないと思いますよ。「そういう話は聞きたくない」なんて言っては駄目です。それは禁句です。昔イギリスに「キンクス」というバンドがありましたが。

409 立派な大人になるために必要なこと
  気持ちはよくわかります。でも大人になるというのは、感受性をある程度奥の方にしっかり隠していくことなのです。心の殻をしっかり固め、蓋を分厚くしていきます。そうしないとこの世界を生き残っていけないからです。感受性をむき出しにしたまま生きていくのは、かなりきついですよ。きっと途中ですり切れてしまいます。
 そのようにして人は、二つの世界を持って生きるようになります。殻の内側の世界と、殻の外側の世界です。そのバランスを上手にとって生きていくのが大人です。立派な大人になってください。

415 プロとアマチュアの境目はどこに
 (前略)
 ただ個人的な意見を言わせていただければ、愚痴や不平や人の悪口ばかり言っているような人間を、僕はプロとは呼びたくないですね。本当のプロというのは黙って耐えるものです。まわりがなんと言おうと、自分のやるべきことをただ黙々と、手抜きなしに続けている人間です。僕はそう考えて生きていますが、そうでもないのかな。

442 人が精一杯生きていることを肌身で感じてもらえたら
 メールありがとうございます。僕が『アンダーグラウンド』という本の中でいちばん書きたかったのは、あの朝の列車に乗り合わせていた人たちは、みんな自分の持ち場で一生懸命、精一杯生きている人たちなんだということでした。たとえどんな理由があるにせよ、どんな大義があるにせよ、そのような人々を傷つけたり、殺したりする権利は誰にもないんです。そんなことをする意味はどこにもないんです。それは理屈では当たり前のことなんだけど、理屈じゃなく、そのことを肌身でみんなに感じてもらいたかった。あなたがそれを肌身に感じていただけたようで、僕はとても嬉しいです。

443 「物語」と「詩」の境目
 レイモンド・カーヴァーは詩人であり、短編小説家です。僕が1984年にカーヴァーに会ったとき、「あなたの短編小説はまるで詩のようだし、あなたの詩は短編小説のようだ」と言ったら、とても喜んでくれました。奥さんのテス(当時はまだ奥さんではなくパートナーでしたが)をわざわざ呼んで、「ねえ、この人はこんなことを言うんだよ」と教えていました。
 詩と小説というのは交差するものです。僕は詩は書きませんが、短いストレッチの中で行われる心の転換(風景の捻転)という詩の根本原理は、僕が散文の文章を書く上でとても役に立っていると思います。カーヴァーの短編小説がそうであったのと、だいたい同じ原理で。

村上春樹「熊本旅行記」を読みました。

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先日、Amazonの検索で「村上春樹」と入力したら、女性向け月刊誌『CREA(クレア)』9月号がヒットしました。村上春樹のエッセイが掲載されていたからです。
『CREA』9月号の特集は「本とおでかけ。」で、村上春樹のエッセイの他に、読書好き42人が選んだブックリストが掲載されています。

村上春樹「熊本旅行記」(1~9は旅行記の章立て)
1 どうして熊本なのか?
 第一の理由は「東京するめクラブ」のリユニオン(同窓会)。村上春樹と都築響一が、故郷の熊本に戻って「悠々自適」に暮らす吉本由美を訪ね、彼女の案内で梅雨時(6月)の熊本を旅しました。4泊5日の日程。ところで、熊本の人々はよく使うそうですが、熊本を訪れることを来熊(らいゆう)と言うそうです。
2 橙書店のしらたまくん
 熊本市内の「橙(だいだい)書店」で朗読とトークを行いました。日本でこういうイベントを行うのは1995年以来だそうで、村上による「ヤクルト・スワローズ詩集」という短篇小説(みたいなもの)の朗読と、村上・吉本・都築によるトークという内容でした。ところで、なぜ橙書店かというと、村上は有名な看板猫「しらたま」くんに会いたかったからと言っています。
3 漱石の住んだ家・芭蕉の木
4 お城のまわりを走る
5 万田坑に行ってみる
 「世界遺産」登録直前に訪ねています。荒尾市の「高専ダゴ」で食べた、尋常でない大きさのお好み焼きがおいしかったそうです。
6 人吉までのSLの旅
 人吉市の(安西水丸さんが贔屓にしていた)「上村うなぎ屋」の鰻重は関西式で、食べ慣れた関東式とは違うけれど、それなりにおいしかったようです。
7 海の上の赤崎小学校
8 阿蘇に行く
 八代市の近郊にある日奈久温泉の「金波楼」という古い旅館に泊まったそうです。八代市内の「ラジオクロネコ」という電気屋さんは筋金入りのオーディオ・マニアでした。
9 最後にくまモン
 熊本にはくまモンが溢れていました。

本とおでかけ×わたしの3冊~読書好き42人が選んだブックリスト
 今後の読書の参考にしたいと思います。ちなみに、村上さんは今回の熊本旅行に次の三冊を持っていったそうです。『新編 日本の旅あちこち』(木山捷平)、『The Jazz Palace』(メアリー・モリス)、『キャバ嬢の社会学』(北条かや)。

村上春樹他『地球のはぐれ方』を読みました。

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今日、村上春樹・吉本由美・都築響一共著の旅行記『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(04)を読み終えました。読み始めたのは数年前ですが、途中何度も投げ出したため、今日になってしまいました。
『CREA(クレア)』9月号掲載の村上春樹のエッセイ「熊本旅行記」に、「僕が熊本にやってきた第一の理由は、『東京するめクラブ』のリユニオン(同窓会)をおこなうことにあった」という文章と、同行者として都築響一(撮影)と吉本由美(旅の案内)の名前が載っていました。で、いいきっかけが出来たと思い、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』の未読だった部分を読みました。

【目次】

魔都、名古屋に挑む

食材編 失われた世界としての名古屋
 怪食王〈マウンテン〉/名古屋食図鑑/怒濤のモーニング・サービス
文化編 日本は世界の名古屋だったのか
 名古屋道路事情/美宝堂のVIPルーム/さくらアパートメント/名古屋ボストン美術館とミイラの呪い/花泥棒ってなんだ/百貨堂/ナゴヤドーム 常設夜店みたいな球場/結婚狂想曲/射撃場/名古屋に来たらラブホテル/女装クラブ
座談会 オー・マイ・ゴッド・名古屋

62万ドルの夜景もまた楽し――熱海

諦観の静けさに幸あれ
 熱海城+空想美術館+熱海秘宝館/熱海復興の一翼を担うとんび、ここに在り/風雲文庫 カフカエスクな妄想の迷宮/アカオ・リゾート公国におけるお楽しみのいくつか/MOA美術館/ふしぎな町1丁目/熱海ナイトクルーズの密かな悦び/うさみ観音寺
座談会 熱海改造大計画。私たちにまかせてくれたら……

このゆるさがとってもたまらない――ハワイ

夢のハワイで盆踊り
 アロハシャツをオーダーする/ルアウ――ツーリスト・スポットの王道/シーライフ・パークにて/〈トップ・オブ・ワイキキ〉/アトランティス・サブマリンで海中散歩/ドン・ホー・ショーのスロー・ジョーク/ウクレレを弾いてみた!/〈魚卓〉のローカル和食/〈キャッチ・オブ・ザ・デイ SUSHI〉/ハワイといえばマイタイですね/(ほぼ)最後のチキ・バー/〈KCドライブイン〉/オアフ島神社仏閣巡り/お伊勢詣りとしてのホノルル・マラソン
座談会 がんばるだけムダな街なんだよね

誰も(たぶん)知らない江の島

へぇ、江の島ってこうだったのか
 江ノ電/江の島で「お泊まり」/一四億円の岩屋/坂道巡り/エスカーとは!?/江島神社/縁結び系の隆盛/江ノ島水族館/江の島ノラ猫ウォッチング/お土産を買わなくっちゃ 拭ホノルル食堂
座談会 秋の雨降る江の島で

ああ、サハリンの灯は遠く

サハリン大旅行
 コルサコフからフェリーに乗る/サハリンの人気ビーチ/ホルムスク 旧王子製紙真岡工場など/ネベリスクの岸壁にトドのハーレムがあった/サハリンのホテルで北朝鮮の流行歌が歌えます/北辺のミニ・キャンプ/サハリンのオットセイが日本のお父さんたちを救った話
ワイルド・ウェストとしてのサハリン
 イワナ釣り/ユジノサハリンスクの自由市場/サハリン州郷土博物館二日酔いの特効薬中古車事情/ガガーリン公園 セピア色の遊園地/コミュニズムと銅像/昔ながらの町並み/北の国のスモーキーマウンテン
座談会 日本人はカニのミソまで食べるのかね

清里――夢のひとつのどんづまり

清里 メルヘンの果て
 ペンション考/メルヘン・ストリート、ナウ/花の森公園など/ポール・ラッシュ――清里の生みの親/トウモロコシ畑のキャッチャー/お土産を買わなくっちゃ◆一味違う〈萌木の村〉
座談会 山梨ガレイなんて食べたくないんですけど

【感想】
 この本の情報をもとに旅の計画を立てるのは難しいと思います。この本の元になった旅行記が『TITLE』という文藝春秋社の月刊誌に掲載されたのは2002年~2004年。情報が古すぎます。このことは村上による巻頭の「『地球のはぐれ方』のための前書きのようなもの」にも、以下のように書かれています。
 ひとつお断りしておきたいのですが、この本はいちおう旅行記ではありますが、実用的なガイドブックではありません。情報は正確を期していますが、アップデートまではされておりません。ですから雑誌記事のために現地取材した当時とは既に事情が変わってしまった、というものごとも少なからずあります。(中略)そういう具体的な変化を、単行本化するときに脚注のようなかっこうで付け加えようかとも思ったのですが、そういうのってやりだすとキリがないし、すべての情報をくまなくフォローすることもできそうにないし、「まあ、ガイドブックじゃないんだから」ということでにこやかにお茶を濁し、ほとんどそのままのかたちにしてあります。「行ってみたらこの店はもうなくなっていた」みたいなこともひょっとしたらあるかもしれません。まことに申し訳ありませんが、そのへんはご容赦ください。世界は日々移り変わるし、価値は転換するし、かたちあるものはいつか消えていくものなのです。

「ああ、サハリンの灯は遠く」の冒頭にはチェーホフの旅行記『サハリン島』(1895)が取り上げられていますが、既に購入済みだったので、近いうちに読みたいと思います。




 

今日の1曲57~Bruce Springsteen‘Because The Night’

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ブルース・スプリングスティーンの‘Because the NIght’は、“Live/1975-85”(86)と“The Promise”(10)に収録されています。


村上春樹の『村上さんのところ』(2015)に、パティ・スミスについて、次のような記述がありました。
 彼女がブルース・スプリングスティーンとつくった「Because the Night」は素敵な曲ですよね。このあいだWOWOWで「ブルース・スプリングスティーン・トリビュート」を見ていたら、彼女がこの曲を歌っていました。素晴らしい歌唱でした。
で、早速《Yuo Tube》でパティ・スミスの‘Because the Night’(ライブ)を聴いてみました。また、‘Because the Night’の制作過程についてもネットで調べてみました。《一緒に歌える 洋楽ブログ(FC2)》に次のように書かれていたので、引用させていただきました。
 パティ・スミスがアルバム「Easter」(イースター)のレコーディングをしていた時、隣のスタジオではブルース・スプリングスティーンが「Darkness on the Edge of Town」(闇に吠える街)のレコーディングを行っていて、両者は互いの録音テープを交換していました。そしてパティ・スミスはこの曲の歌詞を女性の立場に書き換えてレコーディングをしたようです。結局ブルース・スプリングスティーン自身はこの曲をアルバムには入れず、「Live/1975-85」というライヴ・アルバムでのみ聴くことができます。

パティ・スミスの‘Because the Night’が最高に良かったので、久々にスプリングスティーンの‘Because the Night’も聴いてみました。
‘Because the NIght’は“Live/1975-85”(86)の他に、“The Promise”(10)にスタジオ録音が収録されています。なお、“The Promise”は“Darkness on the Edge of Town(闇に吠える街)”(78)」制作の過程で選曲から漏れた未発表の21曲を集めた2枚組アルバムです。


Bruce Springsteen ‘Because The NIght’


※“LIVE/1975-85”ライナーノーツより(対訳:中川五郎)

  Take me now baby here as I am /さあ好きにしておくれ俺はこの通りだぜ
  Pull me close try and understand /もっと俺を引き寄せて心の中まで読んでおくれ
  I work all day out in the hot sun /一日中お天道さまの下で働くんだ
  Stay with me now till the mornin' comes /だから朝が来るまで俺と一緒にいておくれ
  Come on now try and understand /さあ 判っておくれ
  The way I feel when I'm in your hands /おまえに抱かれて俺がどんな気持ちでいるか
  Take me now as the sun descends /太陽が沈めば俺と二人きり
  They can't hurt you now /もう誰にも傷めつけられない
  They can't hurt you now /もう誰もおまえを傷めつけない
  They can't hurt you now /もう誰もおまえを傷めつけられないんだ

    CHORUS:
    Because the night belongs to lovers /だって夜は恋人たちのものだから
    Because the night belongs to us /夜は俺たちのものだから
    Because the night belongs to lovers /だって夜は恋人たちのものだから
    Because the night belongs to us /夜は俺たちのものだから

  What I got I have earned /何でも自分で手に入れて来たさ
  What I'm not I have learned /俺にないものはひとつずつ身につけて来たさ
  Desire and hunger is the fire I breathe /飽くことのない情欲に俺は炎と燃える
  Just stay in my bed till the morning comes /朝が来るまで俺のベッドの中にいておくれ
  Come on now try and understand /さあ 判っておくれ
  The way I feel when I'm in your hands / おまえの腕に抱かれて俺がどんな気分でいるか
  Take me now as the sun descends /太陽が沈めば俺と二人きり
  They can't hurt you now /もう誰にも傷めつけられない
  They can't hurt you now /もう傷めつけられることはない
  They can't hurt you now /もう誰もおまえを傷めつけられないんだ

    (CHORUS)

  Your love is here and now /目の前にあるのはおまえの愛
  The vicious circle turns and burns without /外に出れば悪意に満ちた世界が待ち受けている
  Though I cannot live forgive me now /俺は死んでしまうけど 許しておくれ
  The time has come to take this moment and /その瞬間に達する時が来た
  They can't hurt you now /もう俺たちを傷めつけることはできない

    (CHORUS)



Patti Smith ‘Because The Night’


※“LAND(1975-2002)”ライナーノーツより(対訳:Kuni Takeuchi)

  Take me now, baby, here as I am /私を受け止めてベイビー、ありのままの私を
  Pull me close, try and understand /引き寄せて、そしてわかってほしいの
  Desire' s hunger is the fire I breathe /欲望は渇望に変わり、私の吐息は炎に変わる
  Love is a banquet on which we feed /愛は私たちの命をつなぐ宴

  Come on now, try and understand /何とかわかってほしいのよ
  The way I feel when I'm in your hands /あなたに操られている時のあの気持ち
  Take my hand from undercover /私を秘密の世界から救い出してほしいの
  They can't hurt you now /あなたには傷を負わせはしない
  Can't hurt you now /あなたには傷を負わせはしない
  Can't hurt you now /あなたには傷を負わせはしないから

    ※Because the night belongs to lovers /夜は恋人たちのものだから
     Because the night belongs to love /夜は愛の時間だから
     Because the night belongs to lovers /夜は恋人たちのものだから
     Because the night belongs to us /夜は私たちのものだから

  Have I doubt when I'm alone /一人でいる時には疑いを持ったかしら
  Love is a ring, the telephone /愛は電話のベルの音
  Love is an angel disguised as lust /愛は肉欲に姿を変えた天使
  Here in our bed until the morning comes /朝が来るまでこうしてベッドにいましょ

  Come on now, try and understand /何とかわかってほしいのよ
  The way I feel under your command /あなたに支配されている時のあの気持ち
  Take my hand as the sun descends /太陽が沈んだら私の手を取って
  They can't touch you now /彼らには触れさせない
  Can't touch you now /あなたには
  Can't touch you now /あなたには

    (※Repeat)

  Without the speed /
  Without the vicious circle /めぐる炎のような
  Turns and burns /悪循環がなかったら
  Without you /あなたがいなかったら
  Oh I cannot live /ああ私は生きては行けないし
  Or give beyond the burning /炎を飛び越えることもできない
  I believe it's time /今という時は
  Too real to feel /感じるにはあまりにも現実すぎる
  So touch me now /だから私に触れて
  Touch me now touch me now /私を感じて、今すぐに

    (※Repeat)

  Because this night there are two lovers /今夜ここに二人の恋人たちがいるんだから
  Make me believe in the night we trust /二人だけの夜を信じさせて
  Because the night belong to lovers /夜は恋人たちのものだから
  Because the night belong to love /夜は愛の時間だから

  Because the night belong to lovers /夜は恋人たちのものだから
  Because the night belong to love /夜は愛の時間だから
  'Cause we believe tonight we're lovers /今夜は私たち恋人同士でしょ
  'Cause we believe /二人だけの夜を
  In the night we trust ...... /信じてもいいでしょ……

『江戸川乱歩傑作選』を読みました。

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今日、『江戸川乱歩傑作選』を読み終えました。
この作品集については、文庫本ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 日本における本格探偵小説を確立したばかりでなく、恐怖小説とでも呼ぶべき芸術小説をも創り出した乱歩の初期を代表する傑作9編を収める。特異な暗号コードによる巧妙なトリックを用いた処女作「二銭銅貨」、苦痛と快楽と惨劇を描いて著者の怪奇趣味の極限を代表する「芋虫」、他に「二癈人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」。

【収録作品】
二銭銅貨
 キーワードは「暗号」。松村は細工を施された二銭銅貨から出てきた暗号文を解読し、「紳士泥棒」が隠した5万円を発見します。話が出来過ぎって思いながら読んでいたら、最後にどんでん返し。
二癈人
 キーワードは「夢遊病」。冬の温泉場の午後、斎藤と井原はそれぞれに昔話を語ります。井原は夢遊病のために犯してしまったという20年前の殺人について話しますが、斎藤はその殺人は井原の夢遊病を利用した別の誰かの仕業ではないかと言います。
D坂の殺人事件
 キーワードは「密室殺人」。若き明智小五郎が登場し、密室殺人事件の謎を解きます。
心理試験
 キーワードは「心理試験」。「D坂の殺人事件」から数年後の明智小五郎が登場します。犯人は心理試験を想定し事前練習をしていましたが、そのことでかえって自らの墓穴を掘ることになります。
赤い部屋
 キーワードは「絶対法律に触れない殺人法」。Tは絶対法律に触れない殺人の数々を告白します。
屋根裏の散歩者
 キーワードは「密室殺人」。郷田三郎はどんな職業にも満足できず、またどんな遊びにも興味が持てません。ついには、いっそ死んでしまった方がましだと考えるようになります。ある日、素人探偵の明智小五郎と知り合った郷田は、明智から東西のさまざまな犯罪談を聞くうちに「犯罪」に強く惹かれるようになります。そして、とうとう殺人計画を実行に移してしまいます。
人間椅子
 女流作家・佳子のもとに、原稿用紙に綴られた手紙が届きます。手紙の主は世にも不思議な罪悪を告白しますが、やがて佳子はその罪悪の対象が自分だということに気づきます。彼女は戦慄を覚えますが、最後にどんでん返しが待っています。
鏡地獄
 Kが語る、レンズや鏡に対する異常な嗜好を持った友人の話。
芋虫
 巻末の荒正人(文芸評論家)による解説に「作者のグロテスク趣味の極限を代表する佳作」とありますが、僕にはそういう趣味や嗜好はないので、最後まで読むのは苦痛でした。

大岡昇平『野火』を読みました。

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今日、大岡昇平の『野火』(1952)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品。

【感想】
200ページ程度で、文体も読みやすかったけど、テーマが重すぎて、一読しただけじゃ感想は書けません。
今後、『レイテ戦記』と『俘虜記』を読み、その後『野火』を再読しようと思います。

【参考】
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レイテ島は、フィリピン中部、ビサヤ諸島の東ビサヤ地方に位置する島。面積は7,214㎢。

レイテ島の戦い
 1944(昭和19)年10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針だった。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つこととした。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。
 この戦いでは8万人以上の兵士が戦死や病死・餓死でほぼ全滅した。生き残った兵士はセブ島などへ個々に脱出したが、生還率はわずか3%ともいわれる。また数多くの島民が日本軍とのゲリラ戦に参加したほか、戦闘の巻き添えで一般人も犠牲となった。
 この凄惨な戦いは大岡昇平の『レイテ戦記』ほか戦記小説に詳しい。島内には、マッカーサーのフィリピン帰還・上陸を記念したモニュメントが上陸地点のパロ海岸にあるほか、日本軍兵士の慰霊碑が各所にある。(Wikipediaより、一部改編)

大岡昇平(1909-88)
 東京生れ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。1944(昭和19)年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。'49年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受け、これが文学的出発となる。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作に『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。'71年、芸術院会員に選ばれたが辞退。(ブックカバーより)

『江戸川乱歩短篇集』を読みました。

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今日、『江戸川乱歩短篇集』(岩波文庫)を読み終えました。
『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)を読み、もう少し乱歩作品を読みたいと思ったので、この『江戸川乱歩短篇集』を購入しました。こちらもベスト集なので、「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」の6作品については、『江戸川乱歩傑作選』と重なっています。
この作品集について、文庫本ブックカバー表紙の解説を引用します。
 大正末期、大震災直後の東京にひとりの異才が登場、卓抜な着想、緻密な構成、巧みな語り口で読者をひきこむ優れた短篇を次々と発表していった。日本文学に探偵小説の分野を開拓し普及させた江戸川乱歩(1894-1965)の、デビュー作「二銭銅貨」をはじめ「心理試験」「押絵と旅する男」など代表作12篇を収録。

【収録作品】
◆二銭銅貨
◆D坂の殺人事件
◆心理試験
白昼夢

◆屋根裏の散歩者
◆人間椅子
火星の運河

お勢登場
 「ここで登場した女主人公が、更らに色々の悪事を働く、その一代の犯罪史を書きつぐつもり」(「探偵小説十年」)だったが、結局その序曲だけで終わってしまった作品という。(千葉俊二による巻末解説「乱歩登場」より)
 お勢の夫・格太郎は息子たちと隠れん坊をしていて、押入れの中にあった長持に隠れます。息子たちがどこかへ行ってしまったので、彼は長持から出ようとしますが、誤って鍵がかかっており、閉じ込められてしまったことに気づきます。このシーン、自分がそうなったらと想像しただけでゾッとします。
◆鏡地獄
木馬は廻る
 主人公は50幾歳のラッパ吹き。彼は妻子との生活を煩わしく思っており、同じ遊園地で働く18歳の娘の存在が彼の唯一の慰めでした。彼女が新しいショールが欲しいと言うと、彼は彼女の関心を引くために買ってあげたいと思いますが、貧しい彼には無理なことでした。そんなある日、彼はふとしたことから100円入りの封筒を手にし、有頂天になります。
 僕は次の展開を想像し、「そんな金を使うと危ない目に遭うぞ!」とドキドキしていましたが、ここで終わり。この作品の末尾に、「作者申す、探偵小説にするつもりのが、中途からそうならなくなって、変なものが出来上がり、申し訳ありません。頁の予定があるので、止むなくこのまま入れてもらいます。」とあります。
 僕としては、主人公に降りかかる惨めな結末は容易に想像できるので、ここまで書けばそれでよしと思います。この一文を読むと、この作者は先の展開を考えながら行き当たりばったりに書いているように思えます。本当かな?
押絵と旅する男
 私は魚津へ蜃気楼を見に出かけた帰り、同じ汽車に乗り合わせた老人から、彼の兄にまつわる不思議な話を聞かされます。
目羅博士の不思議な犯罪
 私(江戸川乱歩)は探偵小説の筋を考えるとき、浅草公園や花やしき、上野の博物館、同じく動物園、隅田川の乗合蒸気、両国の国技館をぶらつことがあります。ある日、私は上野の動物園でルンペン風の青年に出会います。そして、彼は目羅博士にまつわる奇妙な話を語り始めます。
 以下、目羅博士の不思議な犯罪の舞台となる「都会の峡谷」についての描写を引用します。ビルの林立する都会を「コンクリート・ジャングル」などと言いますが、そういう発想はこの頃からあったんですね。
 高いビルディングとビルディングとの間にはさまっている、細い道路。そこは自然の峡谷よりも、ずっと嶮しく、ずっと陰気です。文明の作った幽谷です。科学の作った谷底です。その谷底の道路から見た、両側の六階七階の殺風景なコンクリート建築は、自然の断崖のように、青葉もなく、季節季節の花もなく、目に面白いでこぼこもなく、文字通り斧でたち割った、巨大な鼠色の裂目に過ぎません。見上げる空は帯のように細いのです。日も月も、一日の間にホンの数分間しか、まともには照らないのです。その底からは昼間でも星が見えるくらいです。不思議な冷い風が、絶えず吹きまくっています。

鬼怒川堤防決壊

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鬼怒川右岸(西側)より左岸(東側)を望む。堤防が決壊したのは左岸で、ここは決壊地点よりも下流にあたります。今日13日は決壊から4日目なので水位はだいぶ下がりましたが、水流は速く、水は濁っています


■9月10日(木)、常総市を南北に流れる鬼怒川の左岸(東側)の堤防が2か所で決壊し、常総市東部に甚大な浸水被害等をもたらしました。僕の家は右岸(西側)にあるため被害は受けませんでしたが、妹と弟の家は左岸(東側)にあるため、どちらも浸水被害を受けました。
 鬼怒川の堤防が決壊したのは、昭和13(1938)年9月の台風による豪雨以来、77年ぶりです。以前、当時の水海道駅近くに田舟が浮かんでいる写真を見ましたが、現在常総市東部では同じような光景が見られます。

■12日(土)と13日(日)、軽トラに乗って妹と弟の家に行き、片付けを手伝いました。妹の家からは水に浸かった多くの家財道具等を《粗大ゴミ等の受け入れ場所》へ運びました。弟の家では水に浸かった畳を家の外に出しました。水に浸かった畳がとんでもなく重いことを知りました。

■水が引いたあとの道路はホコリが舞っていて、マスクが必要です。

■僕は普通に生活していますが、すぐ近くに普通の生活を奪われてしまった人々がたくさんいると思うと、とても心苦しく感じます。

『幸せの教室』を見なくちゃ!

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今夜、NHK・BSでトム・ハンクス&ジュリア・ロバーツ主演の映画『幸せの教室』を途中から(!)見ました。大好きなトム・ハンクスとジュリア・ロバーツが共演しているし、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの‘Walls(No.3)’も使われています。ついでながら、『スター・トレック』でミスター・カトーを演じたジョージ・タケイも出演していました。
劇場公開時に見逃して、ずっと忘れていたけど、この映画は見なくちゃ! 近いうちにDVDをレンタルしよう。

◆‘Walls(No.3)’については、こちらを参照下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/43862342.html

村上春樹『職業としての小説家』が届きました。

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今日、村上春樹のエッセイ集『職業としての小説家』(2015.9.17)が届きました。本当は11日に届くはずでしたが、10日に発生した水害のために今日になってしまいました。
鬼怒川の堤防が決壊し、地元の水海道郵便局が水没してしまいました。そのため、郵便物は隣の板東市の岩井郵便局に集められ、そこから水海道局員が配達しているようです。たいへんな状況の中、とてもありがたく思います。

カズオ・イシグロ『夜想曲集』を読みました。

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今日、カズオ・イシグロの短編集『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009、土屋政雄訳)を読み終えました。以前、この作家の『日の名残り』(1989)を読み始めましたが、アンソニー・ホプキンス主演の映画(1993)を先に見てしまい、本の方は途中で投げ出してしまいました。今回、この短編集を読み、この作家が好きになったので、『日の名残り』も読んでみようと思います。
この短編集について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは――ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、だつがあがらないサックス奏者が一流ホテルの特別階でセレブリティと過ごした数夜を回想する「夜想曲」など、音楽をテーマにした五篇を収録。人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を、切なくユーモラスに描きだしたブッカー賞作家初の短篇集。

【収録作品】
老歌手
 トニー・ガードナーはかつてはビッグネームの歌手でしたが、それは過去の話。彼は妻のリンディと訪れたベネチアで共産圏出身のギタリスト(この物語の語り手)と知り合います。彼はこのギタリストを雇ってゴンドラから窓辺の妻に歌いかけるなどしますが、彼がギタリストに語った話は意外なものでした。彼は今回の旅行が終わったら妻と別れるとのこと。その理由が笑えます。マジ?って感じです。
 カムバックに成功した連中を見てみろ。とくに、わしと同世代ながらしぶとく生きのこっている連中を……。一人の例外もなく再婚している。二回、ときには三回もだ。全員、その腕に若い妻がぶら下がっている。わしとリンディでは物笑いの種だ。
降っても晴れても
 主人公は外国で英語教師をしている47歳のちょっと冴えない独身男。彼は久々にロンドンの友人夫婦宅を訪れますが、そこには不穏な空気が漂っていました。彼は夫から、離れ始めた妻の心を引き戻すために引き立て役になってくれと頼まれます。「いつものおまえでいてくれればいいんだ」なんてひどいことを言われながら。彼がちょっとした失敗を取り繕うとしてより大きな失敗をする場面が面白いし、彼が友人の妻と踊るラストシーンもいいです。ここで流れるサラ・ボーンの‘パリの四月(April in Paris)’が聴きたくなりました。
 ‘降っても晴れても(Come Rain or Come Shine)’は、ハロルド・アーレン作曲、ジョニー・マーサー作詞のポピュラーソング。1946年発表。この曲はレイ・チャールズの“Definitive Ray Charles”とエリック・クラプトン&B.B.キング“Riding with the King”で聴いたことがありましたが、サラ・ボーンのヴァージョンも聴いてみたいと思います。

モールバンヒルズ
 この作品の舞台はイギリスの片田舎モールバンヒルズ。主人公はミュージシャン志望の若者で、夏の間だけ姉夫婦が経営するカフェを手伝っています。そこへ、スイス人のミュージシャン夫婦が訪れます。
 姉夫婦のカフェは、「グレートモールバンの町の中や幹線道路沿いではなく、文字どおりモールバン丘陵群の一つに立っている。古いビクトリア朝風の一軒家で、西向きだから、天気がよければカフェテラスに出て、ヘレフォードシャーを一望しながらお茶とケーキが楽しめる。冬の間は休業するが、夏はいつも繁盛している。客は地元の人がほとんどだ。百ヤード下のウェストオブイングランド駐車場に車をとめ、サンダル履きに花柄のドレスという恰好で、息を切らしながら小道を上ってくる。ときには本格装備のトレッキンググループが地図を片手に通りかかり、立ち寄ることもある。」という。この説明を読むと、ストーリーはともかくとして、先にモールバンヒルズのことが知りたくなります。
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The Malvern Hills located in the English counties of Worcestershire and Herefordshire. The hills have been designated by the Countryside Agency as an Area of Outstanding Natural Beauty. The highest point is the Worcestershire Beacon at 425 metres (1,394 ft) above sea level. The range is a natural border between Worcestershire and Herefordshire.(Wikipediaより) 

夜想曲
 主人公は才能はあるのに売れないサックス奏者。彼は顔の整形手術をし、現在ビバリーヒルズの高級ホテルで静養中です。なぜ彼は整形手術をしたのか? なぜ彼は大物女優リンディと「夜の散歩」のドタバタを演じることになったのか?

チェリスト
 この作品については、巻末の解説「笑いと音楽と救い」(作家・中島京子)をそのまま引用します。「いい教育を受けた野心家の若いチェリスト、ティボールが、アドリア海に面したイタリアの小都市にやってくる。そして1人の女性チェリストに出会う。彼女は若者にレッスンを申し出る。男は弾き、女は批評する。奇妙な個人レッスンが繰り返される。女は音楽を聴いて語るけれど、けっして楽器を弾こうとはしない。そしてある日女は衝撃の告白をする――。ものすごく変な話だ。そしてこの一篇は、もっともカズオ・イシグロ的な不思議さに満ちている。」

カズオ・イシグロ
 1954年11月8日長崎生まれ。1960年、五歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスのふたつの文化を背景に育つ。その後英国籍を取得した。
 ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。一時はミュージシャンを目指していたが、やがてソーシャルワーカーとして働きながら執筆活動を開始。1982年の長篇デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年発表の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞した。1989年発表の第三長篇『日の名残り』では、イギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。
 その後、『充たされざる者』(1995)、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)、『わたしを離さないで』(2005)を発表し、それぞれ高い評価を受けた。(ブックカバーより、一部改編)

軽トラに《carrozzeria》を取り付けました。

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《iPod nano》付属のUSBケーブルの処理が課題です。

昨日、軽トラにパイオニアのカーオーディオ《carrozzeria》を取り付けました。この機種はiPodが使えるので、軽トラ用に新しい《iPod nano》も買いました。
今回の水害の後片付けに軽トラが大いに役立ちました。だから、これからも大事に使おうと思い、カーオーディオを少しだけ充実させました。

村上春樹『職業としての小説家』を読みました。

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今日、村上春樹のエッセイ集『職業としての小説家』(2015.9)を読み終えました。以下、気になった文章を引用、あるいは要約しようと思います。
なお、本書の第1回から第6回までは『MONKEY』vol.1~vol.6に連載され、第12回は『考える人』2013年夏号に掲載されたものです。他はすべて書き下ろし。

第1回 小説家は寛容な人種なのか

小説は誰にでも書けるが、小説家として生き残るのは至難の業。
 あくまで僕の個人的な意見ではありますが、小説を書くというのは、基本的にはずいぶん「鈍臭い」作業です。そこにはスマートな要素はほとんど見当たりません。一人きりで部屋にこもって「ああでもない、こうでもない」とひたすら文章をいじっています。机の前で懸命に頭をひねり、丸一日かけて、ある一行の文章的精度を少しばかり上げたからといって、それに対して誰が拍手をしてくれるわけでもありません。誰が「よくやった」と肩を叩いてくれるわけでもありません。自分一人で納得し、「うんうん」と黙って肯くだけです。本になったとき、その一行の文章的精度に注目してくれる人なんて、世間にはただの一人もいないかもしれません。小説を書くというのはまさにそういう作業なのです。やたら手間がかかって、どこまでも辛気くさい仕事なのです。(P23)
 というわけで僕は、長い年月飽きもせずに(というか)小説を書き続けている作家たちに対して――つまり僕の同僚たちに対して、ということになりますが――一様に敬意を抱いています。当然のことながら、彼らの書く作品のひとつひとつについては個人的な好き嫌いはあります。でもそれはそれとして、二十年、三十年にもわたって職業的小説家として活躍し続け、あるいは生き延び、それぞれに一定数の読者を獲得している人たちには、小説家としての、何かしら優れた強い核(コア)のようなものが備わっているはずだと考えるからです。小説を書かずにはいられない内的なドライブ。長期間にわたる孤独な作業を支える強靱な忍耐力。それは小説家という職業人としての資質、資格、と言ってしまっていいかもしれません。
 小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくない。優れた小説をひとつ書くのも、人によってはそれほどむずかしくない。簡単だとまでは言いませんが、できないことではありません。しかし小説をずっと書き続けるというのはずいぶんむずかしい。誰にでもできることではない。そうするには、さっきも申し上げましたように、特別な資格のようなものが必要になってくるからです。それはおそらく「才能」とはちょっと別のところにあるものでしょう。(P26-27)

第2回 小説家になった頃

1978年4月のよく晴れた日の午後
 デイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打ったその瞬間、「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」という啓示のようなものが落ちてきた。

独自の文体を獲得
 『風の歌を聴け』を何か月かかけて書いたが、いちおう小説としての形はなしているものの、読んでいて面白くないし、読み終えて心に訴えかけてくるものがない。
 そこで、オリベッティの英文タイプライターを使い、『風の歌を聴け』の出だしを英語で書いてみた。すると、英語の作文能力なんてたかがしれたものだったが、たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持って行き方によって、感情表現・意志表現はけっこううまくできるものだと気づいた。
 次に、英語で書き上げた文章を日本語に「翻訳」していった。すると、そこに新しい日本語の文体が浮かび上がってきて、それが独自の文体となった。

第3回 文学賞について

 著者と同意見です。

第4回 オリジナリティーについて

 最初の話に戻りますが、「オリジナリティー」という言葉を口にするとき、僕の頭に浮かぶのは十代初めの僕自身の姿です。自分の部屋で小さなトランジスタ・ラジオの前に座り、生まれて初めてビーチボーイズを聴き(『サーフィンUSA』)、ビートルズを聴いています(『プリーズ・プリーズ・ミー』)。そして心を震わせ、「これはなんと素晴らしい音楽だろう。こんな響きはこれまで耳にしたことがなかった」と思っています。その音楽は僕の魂の新しい窓を開き、その窓からこれまでにない新しい空気が吹き込んできます。そこにあるのは幸福な、そしてどこまでも自然な高揚感です。いろんな現実の制約から解き放たれ、自分の身体が地上から数センチだけ浮き上がっているような気がします。それが僕にとっての「オリジナリティー」というもののあるべき姿です。とても単純に。
 このあいだ「ニューヨーク・タイムズ」(2014/2/2)を読んでいたら、デビュー当時のビートルズについてこのように書いてありました。

 They produced a sound that was fresh,energetic and unmistakably their own.
 (彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身のものだった)

 とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としてはいちばんわかりやすいかもしれませんね。「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」。
 オリジナリティーとは何か、言葉を用いて定義するのはとてもむずかしいけれど、それがもたらす心的状態を描写し、再現することは可能です。そして僕はできることなら小説を書くことによって、そのような「心的状態」を自分の中にもう一度立ち上げてみたいといつも思っています。なぜならそれは実に素晴らしい心持ちであるからです。今日という一日の中に、もうひとつ別の新しい一日が生じたような、そんなすがすがしい気持ちがします。
 そしてもしできることなら、僕の本を読んでくれる読者にも、それと同じ心持ちを味わっていただきたい。人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。理屈なんか抜きで、ただただ単純に。(P104-105)

第5回 さて、何を書けばいいのか?

小説家になるためには、どんな訓練なり習慣が必要か?
 それで僕は思うのですが、小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう。‥‥。
 とくに年若い時期には、一冊でも多くの本を手に取る必要があります。優れた小説も、それほど優れていない小説も、あるいはろくでもない小説だって(ぜんぜん)かまいません、とにかくどしどし片端から読んでいくこと。少しでも多くの物語に身体を通過させていくこと。たくさんの優れた文章に出会うこと。ときには優れていない文章に出会うこと。それがいちばん大事な作業になります。小説家にとっての、なくてはならない基礎体力になります。‥‥。(P110-111)

 その次に――おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に――来るのは、自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることじゃないでしょうか。まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるたけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。(P111)

どのように書くか?
 それはやはり、ヘミングウェイという人が素材の中から力をえて、物語を書いていくタイプの作家であったからではなかったかと僕は推測します。おそらくはそのために、進んで戦争に参加したり(第一次大戦、スペイン内戦、第二次大戦)、アフリカで狩りをしたり、釣りをしてまわったり、闘牛にのめり込んだりといった生活を続けることになりました。常に外的な刺激を必要としたのでしょう。‥‥。
 誤解されると困るんですが、僕は、戦争や闘牛やハンティングみたいな経験に意味がないと言っているのではありません。もちろん意味はあります。何ごとによらず、経験をするというのは作家にとってすごく大事なことです。しかしそういうダイナミックな経験を持たない人でも小説は書けるんだということを僕は個人的に言いたいだけです。どんな小さな経験からだって人は、やりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことが出来ます。(P126-127)

第6回 時間を味方につける――長編小説を書くこと

長編小説を書く手順
・400字詰原稿用紙にして、一日10枚見当で原稿を書く。
・第一稿を終えたら、一週間くらい休む。その後、一、二か月かけて一回目の書き直しを行う。
・一回目の書き直しが終わったら、一週間ほど置いて、二回目の書き直しに入る。
・二回目の書き直しが終わったら、また少し間を置いて、三回目の書き直しに入る。
・三回目の書き直しが終わったら、長い休み(半月から一か月)をとり、作品を「寝かせる」。
・細かい部分の徹底的な書き直しを行う。
・第三者(奥さん)に読んでもらい、指摘された部分を書き直し。そして、また書き直し。
 彼女の批評には、「たしかにそうだな」「ひょっとしたらそうかもしれない」と思えることもあります。そう思えるようになるまでに、数日を要する場合もありますが。また「いや、そんなことはない。僕の考えの方がやはり正しい」と思うこともあります。でもそのような「第三者導入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分があれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、相手の助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。
 でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんどの場合その部分が以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。(P147-148)
 何度くらい書き直すのか? そう言われても正確な回数まではわかりません。原稿の段階でもう数え切れないくらい書き直しますし、出版社に渡してゲラになってからも、相手がうんざりするくらい何度もゲラを出してもらいます。ゲラを真っ黒にして送り返し、新しく送られてきたゲラをまた真っ黒にするという繰り返しです。前にも言ったように、これは根気のいる作業ですが、僕にとってはさして苦痛ではありません。同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事」が僕は根っから好きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていくのを目にすることに、大きな喜びを感じます。なぜかはわからないけれど、僕にとってはそういうことが面白くてしょうがないのです。いつまでやっていてもちっとも飽きません。(P153)

第7回 どこまでも個人的でフィジカルな営み

フィジカルな力とスピリチュアルな力のバランスが大事
 たとえば、これはあくまで僕の場合はということですが、書き下ろしの長編小説を書くには、一年以上(二年、あるいは時によっては三年)書斎にこもり、机に向かって一人でこつこつと原稿を書き続けることになります。朝早く起きて、毎日五時間から六時間、意識を集中して執筆します。それだけ必死になってものを考えると、脳が一種の過熱状態になり(文字通り頭皮が熱くなることもあります)、しばらくは頭がぼんやりしています。だから午後は昼寝をしたり、音楽を聴いたり、害のない本を読んだりします。そんな生活をしているとどうしても運動不足になりますから、毎日だいたい一時間は外に出て運動をします。そして翌日の仕事に備えます。来る日も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返します。
 孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くというのは――とくに長い小説を書いている場合には――実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そのものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わなくてはならない荷物です。(P166-167)

第8回 学校について

 とはいっても、僕が学校教育に望むのは「子供たちの想像力を豊かにしよう」というようなことではありません。そこまでは望みません。子供たちの想像力を豊かにするのは、なんといっても子供たち自身だからです。先生でもないし、教育設備でもありません。ましてや国や自治体の教育方針なんかではない。子供たちみんながみんな、豊かな想像力を持ち合わせているわけではありません。駆けっこの得意な子供がいて、一方で駆けっこのあまり得意ではない子供がいるのと同じことです。想像力の豊かな子供たちがいて、その一方で想像力のあまり豊かとは言えない――でもおそらく他の方面に優れた才能を発揮する――子供たちがいます。当然のことです。それが社会です。「子供たちの想像力を豊かにしよう」なんていうのがひとつの決まった「目標」になると、それはそれでまた変なことになってしまいそうです。
 僕が学校に望むのは、「想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな」という、ただそれだけです。それで十分です。ひとつひとつの個性に生き残れる場所を与えてもらいたい。そうすれば学校はもっと充実した自由な場所になっていくはずです。そして同時に、それと並行して、社会そのものも、もっと充実した自由な場所になっていくはずです。(P213)

第9回 どんな人物を登場させようか?

・今度、ドストエフスキーの『悪霊』を読もうと思う。

第10回 誰のために書くのか?

 もし全員を楽しませられないのなら
 自分で楽しむしかないじゃないか(リック・ネルソン『ガーデン・パーティー』)(P253)
 私が言いたいのは、君のやりたいように演奏すればいいということだ。世間が何を求めているかなんて、そんなことは考えなくていい。演奏したいように演奏し、君のやっていることを世間に理解させればいいんだ。たとえ十五年、二十年かかったとしてもだ。(セロニアス・モンク)(P253)
 もちろん自分が楽しめれば、結果的にそれが芸術作品として優れているということにはなりません。言うまでもなく、そこには峻烈な自己相対化作業が必要とされます。最低限の支持者を獲得することも、プロとしての必須条件になります。しかしそのへんさえある程度クリアできれば、あとは「自分が楽しめる」「自分が納得できる」というのが何より大事な目安になってくるのではないかと僕は考えます。だって楽しくないことをやりながら生きる人生というのは、生きていてあまり楽しくないからです。そうですよね? 気分が良くて何が悪い――という出発点にまた立ち戻る、というか。(P254)

第11回 海外へ出て行く。新しいフロンティア

 「村上春樹の書くものは所詮、外国文学の焼き直しであって、そんなものはせいぜい日本国内でしか通用しない」というようなこともよく言われました。僕は自分の書くものが「外国文学の焼き直し」だなんてちっとも思わなかったし、むしろ自分は、日本語のツールとしての新しい可能性を積極的に追求し模索しているつもりでいたので、「そう言うのなら、僕の作品が外国で通用するかしないか、ひとつ試してみようじゃないか」という挑戦的な思いは、正直言ってなくはありませんでした。僕は決して負けず嫌いな性格ではありませんが、納得のいかないことは納得がいくまでとことん確かめてみたいと思うところはあります。
 それにもし外国を中心に活動できるようになれば、そういう日本国内のややこしい文芸業界と関わり合う必要性も少しは減ってくるかもしれません。何を言われても知らん顔で聞き流していればいい。僕にとってはそういう可能性もまた、「ひとつ海外で頑張ってみよう」と思う要因になりました。考えてみれば、日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になったわけですから、逆に貶されてラッキーだったと言えるかもしれません。どんな世界でもそうですが、「褒め殺し」くらい怖いものはありません。(P281)

第12回 物語のあるところ・河合隼雄先生の想い出

穂村弘『世界音痴』を読みました。

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昨夜、穂村弘のエッセイ集『世界音痴』(2002)を読み終えました。
本書について、文庫本ブックカバー裏面の解説を引用します。
 末期的日本国に生きる歌人、穂村弘(独身、39歳、ひとりっこ、親と同居、総務課長代理)。雪道で転びそうになった彼女の手を放してしまい、夜中にベッドの中で菓子パンやチョコレートバーをむさぼり食い、ネットで昔の恋人の名前を検索し、飲み会や社員旅行で緊張しつつ、青汁とサプリメントと自己啓発本で「素敵な人」を目指す日々。〈今の私は、人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるのか、自分自身を使って人体実験をしているようなものだと思う。本書はその報告書である〉世界と「自然」に触れあえない現代人の姿を赤裸々かつ自虐的に描く、爆笑そして落涙の告白的エッセイ。

一秒で、
 思い出すのは五年前に冬の札幌に行ったときのこと。凍った路上で恋人が足を滑らせた。その瞬間に、私は「わっ」と驚いて、繋いでいた手を放してしまったのである。支えを失った恋人は思いきり転倒した。そして、しばらく雪の上に転がったまま動くことができなかった。私はそんな彼女を呆然と見下ろしていた。(P25)
 「一秒」というより、「一瞬」で決まってしまいます。僕もとっさの判断ができなくて、いろいろ失敗しました。

あんパン
 このエッセイとは関係ありませんが、僕の地元の《荒井パン店》のあんパンはとても美味しいです。

世界音痴
 やがて座が盛り上がってくると、みんなは「自然に」席を移動しはじめる。自分のグラスを手に、トイレに立ったひとの席に「自然に」座っている。座られた方もごく「自然に」また別のところに異動して、その場所で新たな話の輪をつくっている。だが、私には最初に座った席を動くことが、どうしてもできない。(P30)
 僕も同様です。最近は最初のうちに注いでまわり、戻ったらあとはずっと自分の席というパターンです。

恋愛幽霊
 女性との関係について、自分は常に完璧なものを求め続けてきたと思う。自分自身が穴だらけで不完全なのに、最初から完璧な相手との完璧な関係を求めている。いや、〈私〉が穴だらけだからこそ、完璧な関係を求めてしまうのである。結果は破綻の連続だ。そんな私の耳には「この世は一度きり、主人公は誰?」という囁きが常に聞こえている。私はその声に逆らうことができない。この世は一度きりだからこそ、一人の相手との関係を大事にしなくてはいけない、その不完全さを互いの協力で埋めてゆくのだ、という理屈はわかる。わかるのだが、どうしてもそれができない。恋愛においても、ひたすら自分かわいさだけを突き詰めてここまで来てしまった。(P43)

恋の三要素
 恋の三要素は〈ときめき〉〈親密さ〉〈性欲〉だと、私は思っている。このうちふたつが維持できれば、その恋は続く。一般的には、時間の経過と共に〈ときめき〉と〈性欲〉の値は減少し、〈親密さ〉は増大する。二対一で不利なのである。
 個人差はあるだろうが、私には三要素のうち〈親密さ〉しか、最終的には維持することができない。そういう場合でも、お互いが、残りのふたつ、〈ときめき〉と〈性欲〉に関する欲求を、他の対象に向けなければ恋は続く、と思う。だが、それが出来ない。すると、恋は壊れてしまうのである。
 それは……当たり前だね? と友人は云った。うん、でも、〈ときめき〉と〈性欲〉に一生近づかないなんてことができるんだろうか。
(中略)
 だが、未知の〈ときめき〉に接する機会をゼロにすることは出来ない。ある程度の接近ならやり過ごせるが、至近距離になるともう駄目だ。
 「この世は一度きり」という例の呪文が耳元で聞こえるのである。
 「この世は一度きり」だからこそひとりの人との〈親密さ〉を大切に生きるのだ、と云う天使の声は、この〈ときめき〉を見逃したら死ぬときに後悔するぞ、と云う悪魔の声に消されてしまう。
 〈親密さ〉をそっくり残したままの、恋の終わりは苦しい。(P76-78)
 なるほどと思える恋愛論に出会ったのは、スタンダールの『恋愛論』以来です。

七月の記憶
 カレーライスに缶詰のパイナップル。筆者は〈甘さ〉のため否定的ですが、僕はパイナップル入りのフルーツカレーが大好きです。

一九八三・四谷
 四谷の大学に通うようになってからは、東京は日常的な生活の場所になった。実験レポートに追われる理系の学生に比べて、文学部の学生には自由な時間が沢山あった。素晴らしいことをしたければ、してもいいのだった。だが、何をどうしてよいか、私には判らなかった。未来に焦がれる余り〈今〉という時間は、限りなくいおろそかにされた。〈今〉を生きることの絶望的な困難さが、生のスポットライトを一瞬先の未来に逃がし続けたのかも知れない。
 いずれにせよ一九八〇年代の東京という空間は、私にとって〈今〉をおろそかに生きるための舞台装置といってもいいものだった。命を燃やす生き方に手が届かないという焦燥感は、この巨大な装置によって刹那的でキナ臭い輝きに転化された。(P150-151)
 この表現がピッタリなわけじゃないけど、この文章を読んで僕も学生時代のことを思い出しました。この先どうなっていくのか、自分は何になれるのか、ずっと「宙ぶらりん」な心持ちでした。

ジム・ジャームッシュとうなぎ
 ジム・ジャームッシュ監督の作品は、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)と『ダウン・バイ・ロー』(86)を観ましたが、その後は観ていません。



【引用句一覧】(  )に作者名がないものは穂村弘の作品


  味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば(斎藤茂吉)
  超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り
  穴子来てイカ来てタコ来てまた穴子来て次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ(小池 光)
  これなにかこれサラダ巻面妖なりサラダ巻パス河童巻来よ( 〃 )
  まどろみのうちに抱いた石ひとつ磨きあがるころ蛇の新年(高柳蕗子)
  
  置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月
  ひら仮名は凄(すさま)じきかなはははははははははははは母死んだ(仙波龍英)
  食後のむくすり十一種十三錠ひとつ足らぬといひて嘆かふ(小池 光)
  編んだ服着せられた犬に祝福を 雪の聖夜を転がるふたり
  「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士
  
  黄昏のレモン明るくころがりてわれを容れざる世界をおもふ(井辻朱美)
  いたみもて世界の外に佇(た)つわれと紅き逆睫毛(さかまつげ)の曼珠沙華(塚本邦雄)
  ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
  甘い甘いデニッシュパンを死ぬ朝も丘にのぼってたべるのでしょう
  朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
  
  夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう
  サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
  チューニング混じるラジオが助手席で眠るおまえにみせる波の夢
  夏空の飛び込み台に立つひとの膝には永遠のカサブタありき
  ねむるピアノ弾きのために三連の金のペダルに如雨露で水を
  
  リトマス試験紙くわえて抱きあえばきらきらとゆく夜の飛行機
  このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議
  ハイジャック犯を愛した人質の少女の爪のマニキュアの色
  卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け
  終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
  
  朝焼けの教会みたいに想いだす初めてピアスをあけた病院
  「美」が虫にみえるのことをユミちゃんとミナコの前でいってはだめね
  モーニングコールの中に臆病のひとことありき洗礼の朝
  貘を喰ふメタ・貘のごとはろばろと群青天下しづかなりけり(坂井修一)
  ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら(加藤治郎)
  
  知んないよ昼の世界のことなんか、ウサギの寿命の話はやめて!
  まほろばをつくりましょうね よく研いだ刃物と濡れた砥石の香り(東 直子)
  森の中に出かけてゆくのわたしたちアーモンド・グリコを分けあいながら( 〃 )
  バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ(加藤治郎)
  赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
  
  朱の雪をおもへり太陽系内は不死とふ人の頭(かうべ)抱きつつ(水原紫苑)
  風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月
  死んでしまった仔猫のような黒電話抱えて歩む星空の下
  冬。どちらかといえば現実の地図のほうが美しいということ
  あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中
  
  ルービックキューブが蜂の巣に変わるように親友が恋人になる
  呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる
  限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月
  海はけふ傷のごとくに鮮しと告げくるひとをまぶしみてゐつ(大塚寅彦)

又吉直樹×田中象雨『新・四字熟語』を読みました。

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昨夜、又吉直樹(芸人)と田中象雨(書道家)のコラボレーションによる『新・四字熟語』(2012)を読み終えました。
この本は元々『鈴虫炒飯』として刊行したものを、文庫化にあたり『新・四字熟語』と改題したものです。この本について、文庫本ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 鈴虫炒飯とは、噛むと鈴虫の鳴き声のように美しい音が響く炒飯。構内抱擁とは真夜中の駅構内で抱き合っているカップル、転じて「なぜここで?」という意。肉村八分とは鍋や焼肉で、他の皆が示し合わしたように肉を食べさせてくれないこと。・・・ピース又吉が考え気鋭書家が表現する新・四字熟語120。

以下、一読して気に入った「新・四字熟語」を引用します。
夕焼左折(ゆうやけさせつ)
 タクシーの運転手さんが「夕焼けが綺麗ですね」と先に言ってくれた。相槌を打ったら「こっちから行きましょう」と空が広い道を走ってくれた。夕焼左折。黄昏右折。
白服伽哩(しろふくかりー)
 白い衣服にカレーが飛散する様子から、美しいものに付く汚れは目立つという意。落ちこぼれが失敗しても特に世間は騒がないが、優秀な者の汚点には滅法反応が早い。実は良い人と呼ばれる方が好感度が高く、普段愛想の良い人物が不満を洩らすと総すかんを喰らう。自分も含め、身の回りのものはある程度汚しておいた方が得策だ。
構内抱擁(こうないほうよう)
 真夜中の駅構内のホームの隅やコインロッカーの前で抱き合っているカップル。転じて、「なぜここで?」と言う意。
【用例】怒る父に、覚えたてのマジックを披露し機嫌を取ろうとしたが構内抱擁だったのか、しばかれました。
溜息影濃(ためいきえいのう)
 吐いた溜め息の影が濃くなっていく。思い悩み活路が見出せない状態の人。
鼻毛鳳凰(はなげほうおう)
 鼻毛が鳳凰のように優雅にそよいでいる様子。ただの鼻毛では情けないだけで何の役にも立たないが、誇り高き鳳凰のような鼻毛ならば馬鹿にはできない。世間的に欠点やコンプレックスと捉えられる事象も本人の意識一つで魅力的な財産になり得る。
放屁和解(ほうひわかい)
 凄まじい喧嘩をしていたのに、どちらか、或いは第三者が屁をこいてしまい、どちらともなく笑ってしまい、気持ちが収まること。屁に救われること。しょうもないことが、時には大きな何かを解決することもある。
【用例】殴り飛ばしてやろうと思ったが、そいつのTシャツに「ガンジー」と書いてあったので、笑ってしまった。放屁和解というやつだ。
幹事横領(かんじおうりょう)
 信じていた人に裏切られること。
欠伸百年(あくびひゃくねん)
 欠伸の貯金が百年分たまるほど、退屈すぎたり、眠すぎたりすること。
【用例】先輩の学生時代はモテモテだったという話は欠伸百年。
素人八段(しろうとはちだん)
 この上なく素人であり、知ったような口もきかず、端然と役立たずであること。
返事天才(へんじてんさい)
 返事は快活で天晴れだが、他にはなにもできない奴。
先頭孤立(せんとうこりつ)
 誰もやらぬなら、俺がやるしかないと勇気を出して矢面に立つと、援護射撃が無いまま孤立して倒れる。倒れながら、遠くの方で同じことをしている人を見つけた。その人は仲間に囲まれていて羨ましいなと思いながら、気が付いたら眼を開けたまま、冷たい地面に頬をつけている。
【対義語】全員家族
肌着観音(はだぎかんのん)
 肌着の時は誰もが、無防備と呼べるほどリラックス状態にあり、心にもゆとりがあって観音のようだ。着衣だけではなく、精神も理論などで武装せずに自然体で接してくれる人のことを指す。たまに無防備なだけの馬鹿もいる。
前衛大衆(ぜんえいたいしゅう)
 前衛的なことをやっていれば、自分の保身や生活の安定を求めずに攻め続ける求道者と見なされ格好がつくという、一定数の受け皿が用意された大衆的な考え方。
自家楽園(じからくえん)
 ひきこもっているが、そんな日々を本人は楽しんでいること。
他暴自棄(たぼうじき)
 他人の勝手な行いが、自分に影響を及ぼし絶望させられること。
心器百畳(しんきひゃくじょう)
 心の器の大きさが百畳くらいある様。
【対義語】心器便所
【用例】後ろから殴っても怒らないなんて、本当に心器百畳だ。 
突撃哲学(とつげきてつがく)
 (前略)哲学ってなんだろう? 哲学に興味を持つ二人の若者が演じた何の生産性もない無駄な時間。哲学は自分の経験に寄り添わせるくらいが丁度良いのではないか。哲学に突撃するとろくなことがない。そして、自分を深く掘り下げて観察すると必ず自分が変な人間に思えてくるから危険だ。考えすぎは良くないのである。哲学や思想に突撃してはいけないのである。
間隔静観(かんかくせいかん)
 (前略)何かと何かの距離を、静かに見守ること。 
餃子礼讃(ギョーザらいさん)
 たまに、「餃子が一番美味しい」と言う人がいるが、一番ってことはない。愛嬌があって親しみやすいものを過大評価し過ぎること。
【用例】あ~、温泉なんかより我が家の風呂が一番。というのは餃子礼讃。 
蝉声忘却(せみごえぼうきゃく)
 夏の間、あんなにもうるさかった蝉の鳴き声も季節が変われば忘れてしまう。
【用例】失恋は辛かろう、だが蝉声忘却。月日が流れれば、新しい恋をしているさ。
居候昼寝(いそうろうひるね)
 居候なのに昼寝をしている。居候なのに勝手に雑誌の袋綴じを開ける。居候なのに鍵の隠し場所を変える。自分の立場をわきまえていない行動。
【対義語】王様掃除
土産自食(みやげじしょく)
 誰かがお土産で買ってきた菓子を、皆で食べたら美味しかった。その土地に自分が行ったので、同じものを買い、家で一人で食ったらあまり美味しくなかった。むしろ哀しい味がした。皆で食べた時が思い返され、余計に寂しくなるのだ。皆で分かち合うべき事柄を一人で消化するのは止めた方がいい。
大人中退(おとなちゅうたい)
 大人であることを途中で退くこと。大人としての常識を知った上で、それを捨てて子供に返ること。真面目な大人が一時的に、はめを外す場合に使うこともある。
【用例】課長を辞める覚悟はできている。大人中退、ドラムは私に任せてくれ。
鈴虫炒飯(すずむしチャーハン)
 噛むと鈴虫の鳴き声のように美しい音が響く炒飯。急いで食べると「りいんりいん」という音が連鎖して、美しい旋律を奏でてしまうので、全ての人が仕事を放り出して聞き惚れてしまう。だから、鈴虫炒飯を食べるのは午後からの予定が無い時が良い。鈴虫炒飯は精神的に余裕がある人の質を求めた食事の意。転じて、「何よりも内容を求める状態」のこと。
心中真珠(しんちゅうしんじゅ)
 どのような深刻な状況にある人々にも必ず、心の奥底には光るなにかがあるという意。
【対義語】全身汚物
食後狂乱(しょくごきょうらん)
 狂乱する原因や理由は最初からあったのだが、一応腹も減っているし、ご飯だけは食べて、食べ終わってから予定調和に狂乱すること。狂うのにもムードが必要らしい。
円卓一人(えんたくひとり)
 大人数でこそ機能を存分に発揮する装置も、一人では何の役にも立たない。それどころか、円形で角が無いため、コップや箸などが落ちやすくなる。折角だからといって、おかずを回し、自分と一旦距離をとってから、再び引き戻したりしても虚無なだけで楽しくは無い。
【用例】一人でピクニックなんて円卓一人やん。
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