今日、平岩弓枝の『御宿かわせみ』(1974)を読み終えました。
本書について、文庫本裏表紙の解説を引用します。
江戸の大川端にある小さな旅籠「かわせみ」。そこに投宿する様々な人たちをめぐっておこる事件の数々。その渦の中に巻きこまれながら、宿の若い女主人るいと恋人神林東吾の二人は、互いに確かめ合い、次第に強く結ばれていく……江戸の下町情緒あふれる筆致で描かれた人情捕物帳。人気シリーズ「御宿かわせみ」第一弾。
【収録作品】
初春の客/花冷え/卯の花匂う/秋の蛍/倉の中/師走の客/江戸は雪/玉屋の紅
【感想】
主な登場人物は南町奉行所吟味方与力の弟
神林東吾と、八丁堀で鬼同心と言われた男の娘で今は旅籠「かわせみ」の主人
るい。それに、東吾の親友で八丁堀の定廻り同心
畝源三郎も重要な役どころを演じています。
旅籠「かわせみ」の客にまつわる事件を、東吾や源三郎らが解決していくストーリーです。一作一作はそれぞれに良いところがありましたが、同じ調子で8作も続くと続けて読むのが苦痛になりました。多分、1時間物のテレビドラマを想定して書かれたと思いますが、あらかたの登場人物が出たところで事件の概要や犯人が分かってしまいました。時代劇的予定調和ってことでしょう。
3作目の「卯の花匂う」が読みたくてこの本を手にしました。ちなみに、卯の花(ウノハナ)はウツギの別称です。
▶参照
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/55018868.html
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October 10, 2015, 12:14 am
今日、穂村弘の短歌エッセイ『僕の短歌ノート』(2015)を読み終えました。
この作品について、講談社BOOK倶楽部の解説を引用します。
人気歌人にして名エッセイストの著者が、近現代の短歌の中から意想外のテーマで名作・傑作を選びだし、眼からウロコの講評を加えていく。「コップとパックの歌」、「ゼムクリップの歌」、「賞味期限の歌」、「身も蓋もない歌」、「落ちているものの歌」、「間違いのある歌」、「ハイテンションな歌」「殺意の歌」……などなど著者ならではの鮮やかな視点と鋭い言語感覚で、一つの短歌から新たな世界を発見する、魅力に満ちた傑作短歌案内エッセイ。
以下、取り上げられた歌の中から気に入ったものを引用します。
あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す(盛田志保子)
四百円の焼鮭弁当この賞味期限の内に死ぬんだ父は(藤原秀憲)
ゆるキャラのコバトンくんに戦(おのの)ける父よ 叩くな 中は人だぞ( 〃 )
※コバトンくん:埼玉の県鳥シラコバトをモチーフにしたマスコットキャラクター
父のなかの小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋(小島ゆかり)
パステルカラーのゼムクリップでぼくたちをファイルしてしまえればいいのに(正岡 豊)
海視てもきみを想わず一握のゼムクリップにきみを想えり(大滝和子)
年下も外国人も知らないでこのまま朽ちてゆくのか、からだ(岡崎裕美子)
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと(河野裕子)
ゆふべぬるき水に唇まで浸りゐて性欲とは夏の黄の花のやうなもの( 〃 )
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ(岡崎裕美子)
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君(与謝野晶子)
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな( 〃 )
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ( 〃 )
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)
もちあげたりもどされたりするふとものがみえる
せんぷうき
強でまわってる(今橋 愛)
脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル(古賀たかえ)
銀杏(ぎんなん)が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道(小池 光)
円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ(斎藤茂吉)
うつくしきをとめの顔がわが顔の十数倍になりて映りぬ( 〃 )
天正十年六月二日けぶれるは信長が薔薇色のくるぶし(塚本邦雄)
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき(寺山修司)
「紋付の紋が背中を翔(た)ちあがり蝶となりゆく姉の初七日」( 〃 )
オルガスムスに達するきみが数知れぬヴィデオ画面にゆらめける夜夜(大塚寅彦)
たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)を抱く(加藤治郎)
とりにくのような せっけん使ってる
わたしのくらしは えいがに ならない(今橋 愛)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵 万智)
一千九百八十四年十二月二十四日のよゐのゆきかな(紀野 恵)
二人してかたくつないで歩く手も離さねばならぬ別れる時は(中村清女)
たくさんのおんなのひとがいるなかで
わたしをみつけてくれてありがとう(今橋 愛)
ポストまであゆみきたりて見直せば手紙の宛名いかにも恋し(筏井嘉一)
動きそむる汽車の窓よりわれを見し涙とび出さんばかりの眼なりき( 〃 )
まつちや入りかすていら切り分けようぞ つつぷしてゐるこころを(東 直子)
夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る(佐藤佐太郎)
歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る(河野裕子)
すべての今にイエスを告げて水仙の葉のようなその髪のあかるさ(加藤治郎)
荒川の水門に来て見ゆるもの聞こゆるものを吾は楽しむ(斎藤茂吉)
暁(あかつき)の薄明(はくめい)に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの( 〃 )
現実を逃避したとて現実を逃避しているという現実(松本 秀)
バスを降りし人ら夜霧のなかを去る一人一人に切りはなされて(大西民子)
美しき断崖として仰ぎゐつ灯をちりばめしビルの側面( 〃 )
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか( 〃 )
靴靴靴おんなじ靴ってないもんだ今この時間このホーム上に(杉本葉子)
廃品を集めてめぐる軽トラはわたしの前でゆっくり止まる(鈴木美紀子)
眉間に蜂迫りきて背ける目は見たり「蜂に注意」といふ看板を(花山多佳子)
「賞味期限は別途記載」されているはずの別途はついに分からず(東 直子)
最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら(ゆず)
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている(東 直子)
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら(村木道彦)
やまのこのはこぞうというだいめいはひらがなすぎてわからなかった(やすたけまり)
祖父なんばん 祖母トンガラシ 父七味 母鷹の爪 兄辛いやつ(踝踵)
ソフトクリームの上半身が落ちている道 君は今どうしてる?(つきの)
173cm51kgの男憎めば星の匂いよ(山咲キョウコ)
『潮騒』のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており(大滝和子)
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(永田和宏)
通用門いでて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるひ(岡井 隆)
野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり(野口あや子)
祖父・父・我・我・息子・孫、唱うれば「我」という語の思わぬ軽さ(佐佐木幸綱)
約束を残したまま終わっていくような別れがいいな、月光(杉田菜穂)
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな(与謝野晶子)
※鎌倉大仏は阿弥陀如来で、釈迦牟尼ではない。
間違って降りてしまった駅だから改札できみが待ってる気がする(鈴木美紀子)
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき(近藤芳美)
省線の音消え去りて夜のしじまもどりきしときくちづくるかな(岩田 正)
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております(山崎方代)
いくさ畢り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし(森岡貞香)
ベツドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の(河野愛子)
わが湯呑ためらはず手に取りのみし或る夜の君を今憎むなり(相良 宏)
灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ(中城ふみ子)
いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る(錦見映理子)
朧月ほしいままなるくちづけの邪魔をするのはわたしの髪のみ(西澤孝子)
君が肩に堅く出てゐる骨のこと君にしかなき骨と思へり( 〃 )
夏はきぬ相模の海の南風(なんぷう)にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ(吉井 勇)
接吻(くちづ)くるわれらがまへに涯(はて)もなう海ひらけたり神よいづこに(若山牧水)
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり(岡本かの子)
おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな(山川登美子)
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかね(石川啄木)
殺すぞ!
と云へばどうぞとほゝゑみぬ
其時フツと殺す気になりぬ(夢野久作)
この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ応接間かな( 〃 )
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である(枡野浩一)
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October 10, 2015, 12:19 am
今日、穂村弘の第一歌集『シンジケート』(1990)を読み終えました。
高橋源一郎はこの歌集を評し、「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と言ったそうです(Wikipediaより)。三億冊はオーバーだとしても、俵万智の『サラダ記念日』と同等に扱われて然るべき優れた歌集だと思います。
かなり難解ですが、読み進むうちに、彼独特の世界観に心地よさを覚えるようになりました。以下、一読して気になった歌を引用します。
「シンジケート」より(全首)
風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月
停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月
九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月
フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月
郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月
「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月
泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月
限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月
プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月
置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月
錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月
水薬の表面張力ゆれやまず空に電線鳴る十一月
ゼロックスの光にふたり染まりおり降誕うたうキャロルの楽譜
舞う雪はアスピリンのごと落丁本抱えしままにくちづけ
編んだ服着せられた犬に祝福を 雪の聖夜を転がるふたり
体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ
子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」
ウエディングヴェール剥ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ
モーニングコールの中に臆病のひとことありき洗礼の朝
パイプオルガンのキイに身を伏せる朝 空うめる鳩われて曇天
抱き寄せる腕に背きて月光の中に丸まる水銀のごと
「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」
「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う
「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に
クロスワードパズルの穴をぶどう酒係(ソムリエ)に尋ねし君は水瓶のB
新品の目覚めふたりで手に入れる ミー ターザン ユー ジェーン
馬鹿な告白のかわりにみずぎわでゴーグルの中の水をはらえり
悪口をいいあう やねにトランクに雲を映した車はさんで
「殺し屋ァ」と声援が降る五つめのファールとられて仰ぐ空から
パーキングメーターに腰かけて夜に髪とき放つ 降れキューティクル
「みえるものが真実なのよ黄緑の鳩を時計が吐きだす夜も」
ケーキ食べ終えたフォークに銀紙を巻きつつ語るクーリエ理論
洗い髪に顔をうずめた夜明け前連続放火告げるサイレン
水滴のしたたる音にくちびるを探れば囓じるおきているのか
乾燥機のドラムの中に共用のシャツ回る音聞きつつ眠る
卵大のムースを俺の髪に塗りながら「分け合うなんてできない」
水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
マネキンのポーズ動かすつかのまに姿うしなう昼の三日月
台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し
夕闇の受話器受け(クレイドル)ふいに歯のごとし人差し指をしずかに置けば
君がまぶたけいれんせりと告げる時谷の紅葉最も深し
許せない自分に気づく手に受けたリキッドソープのうすみどりみて
バラの棘折りつつ告げる偽りの時刻信じて眠り続けろ
ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり
その首の細さを憎む離れては黒鍵のみをはしる左手
孵るものなしと知ってもほおずきの混沌(カオス)を揉めば暗き海鳴り
ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー
ぶら下がる受話器に向けてぶちまけたげろの内容叫び続ける
ブランコもジャングルジムもシーソーもペンキ塗りたて砂場にお城
雲のかたちをいえないままにきいている球場整備員の口笛
まなざしも言葉も溶けた闇のなかはずれし受話器高く鳴り出す
「こわれもの」より
春雷よ 「自分で脱ぐ」とふりかぶるシャツの内なる腕の十字
飛行機の翼の上で踊ったら目がつぶれそう真夜中の虹
卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け
「瞬間最大宝石」より
抱きしめれば 水の中のガラスの中の気泡の中の熱い風
春雪よ恋の互換性想いつつあがないしばら色の耳栓
フェンシングの面(マスク)抱きて風殺すより美しく「嘘だけど好き」
「犬」より
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
生まれたてのミルクの膜に祝福の砂糖を 弱い奴は悪い奴
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
「前世は鹿です」なんて嘘をためらわぬおまえと踊ってみたい
愚かなかみなりみたいに愛してやるよジンジャエールに痺れた舌で
「星は朝ねむる」より
彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は
ばらまいてしまった砂糖は火の匂い 善は急げ 悪はもっと急げ
だけどわかっていたらできないことがある火の揺りかごに目醒める硝子
「馬鹿の証拠」より
花びらに洗われながら泣いている人にはトローチの口移し
ながいこわい夢を洗い流してくれO2ケアより優しい声で
「さかさまに電池を入れられた玩具(おもちゃ)の汽車みたいにおとなしいのね」
春を病み笛で呼びだす金色のマグマ大使に「葛湯つくって」
闇の中でベープマットを替えながら「心が最初にだめになるから」
人はこんなに途方に暮れてよいものだろうか シャンパン色の熊
鳥の雛とべないほどの風の朝 泣くのは馬鹿だからにちがいない
「チェシャ・キャッツ・バトル・ロイヤル」より
「耳で飛ぶ象がほんとにいるのならおそろしいよねそいつのうんこ」
「おじさん人形(カーネル・サンダース)相手にどもっているようじゃパパにはとても会わせられない」
「クローバーが摘まれるように眠りかけたときにどこかがピクッとしない?」
「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
「積乱」より
罪の定義は任せるよセメダインの香に包まれし模型帆船
恋のいたみの先触れははつなつのバナナ折りとる響きのなかに
自転車の車輪にまわる黄のテニスボール 初恋以前の夏よ
夏の終わりに恐ろしき誓いありキューピーマヨネーズのふたの赤
海にゆく約束ついに破られてミルクで廊下を磨く修道女(シスター)
積乱と呼ばれし雲よ 錆色のくさり離してブランコに立つ
「目をみちゃだめ」より
前夜(イヴ)のための前戯か頬をうちあえばあかあかと唐がらしの花環(リース)
真夜中の大観覧車にめざめればいましも月にせまる頂点
「フルエアロ」より
パレットの穴から出てる親指に触りたいのと風の岸辺で
試合開始のコール忘れて審判は風の匂いにめをとじたまま
噴水に腰かけて語るライオンの世界におけるレディ・ファースト
「天津甘栗」より
秋になれば秋が好きよと爪先でしずかにト音記号を描く
秋の始まりは動物病院の看護婦(ナース)とグレートデンのくちづけ
「メイプルリーフ金貨を嚙んでみたいの」と井辻朱美は瞳を閉じて
ベーカリーのパンばさみ鳴れ真実の恋はすなわち質より量と
空の高さを想うとき恋人よハイル・ヒトラーのハイルって何?
桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから
回るオルゴールの棘に触れながら笑うおまえの躰がめあて
甘栗の匂いにふたり包まれてゆく場外馬券売場まで
くちうつしのホールズ光る地下鉄の十色使いの路線図の前
眠れない夜はバケツ持ってオレンジのブルドーザーを洗いにゆこう
何ひとつ、何ひとつ学ばなかったおまえに遙かな象のシャワーを
手をつなぎ眠る風の夜卓上に十徳ナイフの刃はひらかれて
雨の中でシーソーに乗ろう把手まであおく塗られたあのシーソーに
嘘をつきとおしたままでねむる夜は鳥のかたちのろうそくに火を
「まだ好き?」とふいに尋ねる滑り台につもった雪の色をみつめて
ジョン・ライドンに敬礼を 小便小僧のひたいに角(つの)生れし朝
「冬の歌」より
朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
「許さない」と瞳(め)が笑ってるその前にゆれながら運ばれてくるゼリー
シャボン玉鼻でこわして俺以外みんな馬鹿だと思う水曜
雨の最初のひとつぶを贈る起きぬけは声が全然でないおまえに
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
かぶりを振ってただ泣くばかり船よりも海をみたがる子供のように
薬指くわえて手袋脱ぎ捨てん傷つくことも愚かさのうち
「芸をしない熊にもあげる」と手の甲に静かにのせられた角砂糖
受話器とってそのまま落とす髪の毛もインクボトルも凍る夜明け前
翔び去りし者は忘れよぼたん雪ふりつむなかに睡れる孔雀
あかるくてさみしい朝の鳥かごにガラス細工のぶらんこ吊す
「たぶんエリーゼのために」より
手はつながずにみるはるのゆきのなか今日で最後のアシカの芸を
声がでないおまえのためにミニチュアの救急車が運ぶ浅田あめ
花の名の気象衛星めぐる夜のきれいで恥知らずな獣たち
エイプリルフールには許されるものありき セロリで組みたてし馬
「鮫はオルガンの音が好きなの知っていた?」五時間泣いた後におまえは
曇天の朝のくちづけ ナフタリンで走る玩具のボートの行方
イースターの卵をみせるニットから頭がでないともがくおまえに
雨上がりチンチン電車に巣をかけたつばめが僕らの空を横切る
新緑のなかで抱きあう覆面の馬が圧勝した草競馬
「靴ひもの結び方まで嫌いよ」と大きな熊の星座の下で
オリオンの上半身が沈む頃パジャマの帽子で拭く写真立て
「スイマー」より
頭から袋かぶせてきめちまえ オイルサーディンとモンキーレンチ
査定0の車に乗って海へゆく誘拐犯と少女のように
飛びすぎたウインドウォッシャーやねに降る季節すべては心のままに
夏みかん賭けた競泳(レース)は放射状にひびの入ったゴーグルかけて
抱きたいといえば笑うかはつなつの光に洗われるラムネ玉
「海にでも沈めなさいよそんなもの魚がお家にすればいいのよ」
まっ青な蛸が欲しくてシュノーケル咬めば泡・泡・泡に抱かれる
ゴムボートの空気を抜けばオレンジを手にしたままの君の潜水
砂の城なみうちぎわにたてられてさらわれてゆく門番ふたり
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October 18, 2015, 7:47 am
今日、穂村弘の第二歌集『ドライ ドライ アイス』(1992)を読み終えました。
以下、一読して気になった歌を引用します。
「ノー・ホイッスル」より
朝の鳥がさえずる前に胸をひらけシャツのボタンをすべて飛ばして
シャボンまみれの猫が逃げだす午下がり永遠なんてどこにも無いさ
「タイヤにもシャンプー頼む」「天国の門にならびにゆくつもりかい?」
ガードレール跨いだままのくちづけは星が瞬くすきを狙って
キスに眼を閉じないなんてまさかおまえ天使に魂を売ったのか?
夜のテトラポッドを跳べば「口のなか切っているでしょ? 血の味がした」
水銀灯ひとつひとつに一羽づつ鳥が眠っている夜明け前
眼をとじて耳をふさいで金星がどれだかわかったら舌で指せ
「いちばん速い鳥より速く」より
水たまりに漏れたオイルが描きだす三色だけの虹を跨いで
すり抜けろ 巨大な夜のフクロウの爪にかかった事故車(やつら)の横を
「月にいるのは兎? サーカス逃げだした空中ぶらんこ乗りの兄妹?」
ワイパーでフロントガラスに塗りたくる水滴に映る灯のすべて
明日晴れたら動物園へ出かけよう虎がおしっこするとこを見に
チューニング混じるラジオが助手席で眠るおまえにみせる波の夢
金曜日 キスの途中で眼を開けて「巣からこぼれた雛は飛べるの?」
「夏時間」より
風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり
サイダーは喉が痛くて飲めないと飛行機が生む雲を見上げて
校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け
「フレミングの左手の法則憶えてる?」「キスする前にまず手を握れ」
ラムネ工場で仔猫を見失ったとき入道雲の拍手を浴びる
金色の蝙蝠だけが知っているはずの秘密をどうして君が?
鉄棒の上に座って口喧嘩 くるんとぶら下がって口づけ
ジェット機が雲生むまひる愛のかわりに潜水で股間をくぐれ
「歯磨きハノン」より
ボンネットを流れる雲よ 首都高の回数券でキスも買えそう
靴の紐結ぶおまえの両肩を入道雲がつかんでいたよ
天使にはできないことをした後で音を重ねて引くプルリング
「人類の恋愛史上かつてないほどダーティーな反則じゃない?」
「クライ・オーバー・スピルト・ミルク」より
もうひとつKiss おもいだせ朝の星がそらにとけてゆくそのスピードを
毛布を剥いでも目醒めない弓を引くロビンフッドの姿勢のままで
目が醒めたとたんに笑う熱帯魚なみのIQ誇るおまえは
鳩を追いかけ回したり声あげて泣いてもいいのは五才までだぞ
「神は死んだニーチェも死んだ髭をとったサンタクロースはパパだったんだ」
「聖夜」より
「その甘い考え好きよほらみてよ今夜の月はものすごいでぶ」
お遊戯がおぼえられない君のため瞬くだけでいい星の役
「逆回転木馬」より
恋をするかわりにゆこう巣のなかにつばめが集めた裳のを覗きに
夕映えの砂場に埋めた最愛の僕のロボットの両手はドリル
眼を閉じて噴水塔にイニシャルを刻めばふたり永遠にともだち
「影踏みは月夜の遊び? 月の下で影を踏まれた人どうなるの?」
「心臓賭博」より
飛ばされて帽子は海へ 今朝はもうおまえの心などみたくない
胸に掌の形の汗をブラインドに切り刻まれたひかりのなかで
忘れたいことを忘れろアルファベットクッキー池のアヒルに投げて
尻にあるネジさえ巻けばシンバルを失くした猿も掌を打ち鳴らす
床に転がり落ちて眠ろう花時計荒し尽くしたモグラのように
一瞬で忘れる痛み手の中に金貨を模したチョコは剥きかけ
心臓を賭けてもいいよ誰だって浮き輪になんか立てっこないさ
愚か者・オブ・ザ・イヤーに輝いた俺の帽子が飛ばされて 海へ
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October 21, 2015, 2:30 am
今日、井上靖の自伝的小説『あすなろ物語』(1954)を読み終えました。
この作品について、文庫本裏表紙の解説を引用します。
天城山麓の小さな村で祖母とふたり土蔵で暮らしていた鮎太少年が、多感な青年時代を経て新聞記者となり、終戦を迎えるまで――ひとりの人間の少年期から壮年期までの成長の過程における感受性の劇を、六つの物語に謳いあげた青春小説。あすは檜(ひのき)になろうと念願しながら、永遠に檜になれないという悲しい説話を背負った爐△垢覆蹲瓩量擇紡靴董著者自身の《詩と真実》を描く。
◆井上靖は10代の頃最も好きだった作家です。『しろばんば』(60)や『夏草冬濤』(64)、『北の海』(68)といった自伝的作品は主人公に年齢が近かったので、自分をダブらせながら読むことができました。また、『天平の甍』(57)や『敦煌』(59)、『蒼き狼』(59)などの歴史を題材にした作品は、より歴史が好きになるきっかけになったと思います。
先日、書店で『あすなろ物語』を目にしたので、久々に彼の作品を読んでみようと思いました。
◆『あすなろ物語』は、「深い深い雪の中で」と「寒月がかかれば」、「漲ろう水の面より」、「春の狐火」、「勝敗」、「星の植民地」の6編からなる連作短編集のような作品です。
主人公は梶鮎太。各編には少年期から青年期、そして壮年期へと向かう鮎太の姿が描かれています。各編に登場する女性たちが鮎太の成長や生き方に影響を与えています。「深い深い雪の中で」の冴子、「寒月がかかれば」の雪枝、「漲ろう水の面より」の佐分利信子、「春の狐火」の清香、「勝敗」の加島浜子、「星の植民地」のオシゲです。
初めて読んだ中学生の頃、「春の狐火」の鮎太と清香の場面がよく理解できませんでした。後年、その意味がわかってからは、この場面がこの作品のハイライトのように思えてなりません。
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October 22, 2015, 8:01 am
今日、穂村弘の第三歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(01)を読み終えました。
この歌集について、文庫本ブックカバーの解説を引用します。
歌人「ほむほむ」に大量の手紙を送り続ける少女「まみ」。最初は「穂村弘先生」だった宛名はいつのまにか「ほむほむ」に、「金のひつじさん(直毛)」「六等星のみつけ方を教えてくれたひとへ」「編み物童貞ほむへ」「ひょむひょむ」に、そして「ほむほむ、まみの内出血」になり…。「まみ」からの手紙をきっかけに書かれたこの歌集は、妹とウサギを連れて上京してきた「まみ」が歌人に憑依して呟いた祈りであり、近代短歌を支配する「一人称性の人生物語」という磁場への果敢な挑戦だ。タカノ綾のエキセントリックでエロティックな絵とともに贈る、危険で美しい言葉たちのざわめき。
第一歌集『シンジケート』(90)や第二歌集『ドライ ドライ アイス』(92)を読んだあとだから、特に違和感なく読めました。タカノ綾さんの絵は確かにエキセントリックだし、エロティックでした。以下、一読して気になった歌を引用します。
「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
いつかみたうなぎ屋の甕のたれなどを、永遠的なものの例として
高熱に魘されているゆゆのヨーグルトに手をつけました、ゆるして。
ほむらさん、はいしゃにいっていませんね。星夜、受話器のなかの囁き
「汝クロウサギにコインチョコレット与ふる勿れ」と兎は云えり
妹のゆゆはあの夏まみのなかで法として君臨していたさ
出来立てのにんにく餃子にポラロイドカメラを向けている熱帯夜
月よりの風に吹かれるコンタクトレンズを食べた兎を抱いて
金髪のおまえの辞書の「真実」と「チーズフォンデュ」のラインマーカー
ボーリングの最高点を云いあって驚きあってねむりにおちる
整形前夜ノーマ・ジーンが泣きながら兎の尻に挿すアスピリン
腕組みをして僕たちは見守った暴れまわる朝の脱水機を
花束のばらの茎がアスパラにそっくりでちょっとショックな、まみより
「手紙魔まみ、天国の天気図」
夜明け前 誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている
美しい指環は足の親指にぴったりでした、報告おわり
ホームルーム! ホームルーム! とシマウマの鳴き声がする夜の草原
ありったけのパジャマを抱えて唄いだすインフルエンザのテーマソングを
発熱の夜のゆめから溢れだす駅長さんの飼う熱帯魚(スティションマスターズ・グッピィ)
ハピバスディ・ディア・ターザン・バイ・レインボー・ハイスクール・バトンガールズ
残酷に恋が終わって、世界ではつけまつげの需要がまたひとつ
ウエハースを海にひたして囓りつつ指名手配の魂のこと
ストラップに鎌倉彫のウサギあり こいつはまるでおかきのようだ
ほむほむの心の中のものたちによろしく。チャオチャオ。まみ(紅しゃけ)
「手紙魔まみ、アイ・ラヴ・エジソン」
可能性。ソフトクリーム食べたいわ、ってゆきずりの誰かにねだること
まみの髪、金髪なのは、みとめます。ウサギを抱いてるのは、みとめます。
可能性。すべての恋は恋の死へ一直線に墜ちてゆくこと
「あー、あー、マイク・テスッ、あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる」
美容師の森ひまわりを花に譬えると、ひまわり(譬えてねーよ)
このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議
氷メロンの山よりふいと顔あげて、ここらで舌をみせたげようか?
ライブっていうのは「ゆめじゃないよ」ってゆう夢をみる場所なんですね
真夜中のなっとう巻きは太るってゆゆが囁く、震える声で
天沼のひかりでこれを書いている きっとあなたはめをとじている
「手紙魔まみ、完璧な心の平和」
完璧な心の平和、ドライアイスに指をつけても平気だったよ
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
知んないよ昼の世界のことなんか、ウサギの寿命の話はやめて!
もうずいぶんながいあいだ生きてるの、ばかにしないでくれます。ぷん
甘い甘いデニッシュパンを死ぬ朝も丘にのぼってたべるのでしょう
時間望遠鏡を覗けば抱きあって目を閉じているふたりがみえる
それはそれは愛しあってた脳たちとラベルに書いて飾って欲しい
いますグに愛さなけルば死ギます。とバラをくわえた新巻鮭が
両手投げキス、あのこの腕はながいからたいそうそれはきれいでしょうね
手紙かいてすごくよかったね。ほむがいない世界でなくて。まみよかったですね。
おやすみ、ほむほむ。LOVE(いままみの中にあるそういう優しいちからの全て)。
「手紙魔まみ、キモチワルキレイ」
早く速く生きてるうちに愛という言葉を使ってみたい、焦るわ
午前四時半の私を抱きしめてくれるドーナツショップがないの
新婚旅行へゆきましょう、魂のようなかたちのヘリコプターで
ゴーゴンとメデューサ、どっちがかわいいの? そっちになるわ、みつめてご覧
ああ、また長女か、いやだなあ。夢の中までも長女はいやでござんす
目の前に海がひろがるテラスにて花とお刺身のごはんをどうぞ
リトマス試験紙くわえて抱きあえばきらきらとゆく夜の飛行機
菜のはなのお花畑にうつ伏せに「わたし、あくま」と悪魔は云った
つむってもあけてもまるでおんなじのまっくらやみで手紙を書こう
おやすみなさい。これはおやすみなさいからはじまる真夜中の手紙です
大切なことをひとりで為し遂げにゆくときのための名前があるの
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
朝焼けの教会みたいに想いだす初めてピアスをあけた病院
「手紙魔まみ、うれしい原材料たち」
このシャツを着ているときはなぜだろういつでも向かい風の気がする
自転車を漕ぐとき冬がはじまって目の中で雪とかしています
カカオマス、ホエイパウダー、麦芽糖、ようこそ、うれしい原材料たち
マフラーがちくちくしない方法を羊に教えてもらう日曜
あかねさす紫野ゆきロイホゆきチャリンコ・ベルを巡る朝焼け
暗闇を歩いていってブレイカーあげるのはお父さんの仕事よ
おばあちゃんのバイバイは変よ、可愛いの、「おいでおいで」のようなバイバイ
掃除機をかけてこんなに汗をかくわたしはきっと風邪だと思う
洗濯機の前でぼおっとしていたら手の甲に虫とまって、飛んだ
星の夜ふたり毛布にくるまって近づいてくるピザの湯気を想う
なめとって応急処置をしておこう、うなずきあって舌を準備す
なんだよおぜんぜんなんも食えるとこねえじゃねえかと蟹を怒る
この手紙よんでるあなたの顔がみえる、横がおと、正面と、みえる
「手紙魔まみ、みみずばれ」
こんなにもふたりで空を見上げてる 生きてることがおいのりになる
甘酒に雪とけてゆく なぜ笑ってるか何度も訊かれる夜に
こんなの嫌、全ぶ嘘でしょう? こんなの嫌、全ぶ嘘でしょう? 嫌
タンバリンの鈴鳴り響く(いつか、長い長い旅を、どうですか、まみ?)
六号室を出てゆく朝に一枚の地図が輝く南の壁に
「手紙魔まみ、ウエイトレス魂」
お客様のなかにウエイトレスはいませんか。って非常事態宣言
お気に入りの帽子を被れば人呼んでアールヌーボー給食当番
「美」が虫にみえるのことをユミちゃんとミナコの前でいってはだめね
未明テレホンカード抜き取ることさえも忘れるほどの絶望を見た
サイダーがリモコン濡らす一瞬の遠い未来のさよならのこと
外からはぜんぜんわからないでしょう こんなに舌を火傷している
なれというなら、妹にでも姪にでもハートの9にでもなるけれど
夜が宇宙とつながりやすいことをさしひいても途方にくれすぎるわね
なんという無責任なまみなんだろう この世のすべてが愛しいなんて
いくたびか生まれ変わってあの夏のウエイトレスとして巡り遭う
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October 28, 2015, 4:46 am
今日、井上靖の『夏草冬濤』(64)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
伊豆湯ケ島の小学校を終えた洪作は、ひとり三島の伯母の家に下宿して沼津の中学に通うことになった。洪作は幼時から軍医である父や家族と離れて育ち、どこかのんびりしたところのある自然児だったが、中学の自由な空気を知り、彼の成績はしだいに下がりはじめる。やがて洪作は、上級の不良がかった文学グループと交わるようになり、彼らの知恵や才気、放埒な行動に惹かれていく――。(上巻)
洪作は四年に進級するが、自由奔放な文学グループと行動を共にするようになってからは成績は下がる一方で、ついに彼は沼津の寺にあずけられる羽目になった。おくてで平凡な少年の前に、急速に未知の世界が開けはじめる。――陽の光輝く海辺の町を舞台に、洪作少年がいかにして青春に目覚めていったかを、ユーモアを交えた爽やかな筆に描き出す。『しろばんば』に続く自伝長編。(下巻)
◆『夏草冬濤』は上下巻で800ページ以上ありますが、会話部分が多く、あっと言う間に読んでしまいました。旧制中学3年の主人公・洪作がさまざまな出会いや出来事、葛藤の中で成長(?)する姿が描かれており、十代の自分を思い出しながら読むことができました。
◆以下は洪作が友人4人と西伊豆旅行に出かけた時の会話です。この作品を語る時、金枝の指摘は的を射ていると思ったので、引用しました。
「洪作は孤独を知らないな」
と、金枝は言った。
「冗談じゃないよ。俺だって、孤独ぐらい知ってる」
洪作が言うと、
「いいや、お前は知らんよ。本当はお前が一番孤独を感じていい環境にあるんだ。小さい時から、ずっと両親から離れてひとりで居るだろう。だけど、お前は孤独という気持ちを知らんと思うな」
金枝は言った。そう言われると、洪作は不服だった。
「そんなことあるもんか」
「いいや、そうだよ。しかし、そこが洪作のいいところだ」
「どうして、いいんだ」
「めそめそしたところはないし、諦めはいいし、友達次第で模範生にもなれるし、不良にもなれる。明るいし、どんな大胆なことだって平気でやってのけるよ。俺たちの仲間ではお前だけ違ってるよ」
金枝は言った。洪作は褒められたのか、けなされたのか判らなかったが、まあ自分にはそうしたところがあるかも知れぬと思った。(下巻P397-98)
◆井上靖の小説は、現代を舞台とするもの(『猟銃』『闘牛』『氷壁』他)及び自伝的色彩の強いもの(『あすなろ物語』『しろばんば』『夏草冬濤』他)、歴史に取材したもの(『風林火山』『天平の甍』『蒼き狼』他)の概ね三つに分類できます。
今回、『あすなろ物語』に続いて自伝的作品である『夏草冬濤』を読みましたが、今後は現代物や歴史物なども読んでみるつもりです。また、井上靖は小説だけでなく、詩やエッセイ、紀行など幅広い著作を残しているので、そちらも読んでみたいと思います。
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October 21, 2015, 2:28 am
今日、川端康成の『古都』(1962)を読み終えました。
この作品について、文庫本裏表紙の解説を引用します。
捨子ではあったが京の商家の一人娘として美しく成長した千重子は、祇園祭の夜、自分に瓜二つの村娘苗子に出逢い、胸が騒いだ。二人はふたごだった。互いにひかれあい、懐かしみあいながらも永すぎた環境の違いから一緒には暮すことができない……。古都の深い面影、移ろう四季の景物の中に由緒ある史蹟のかずかずを織り込み、流麗な筆致で描く美しい長編小説。
◆「そうだ 京都、行こう。」
これはJR東海のキャンペーンのフレーズですが、この作品を読んでいるとこのフレーズが浮かんできました。この作品は物語よりも京都の四季や風物を描いた部分が印象に残りました。
以下、山本健吉(評論家)による巻末の「解説」の一部を引用しますが、彼の考えも似ていると思います。
この小説は京都を舞台にして、一方では京都の年中行事絵巻が繰り拡げられ、他方では京都各地の名所案内記をも兼ねている。全九章のうち、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は春、「北山杉」「祇園祭」は夏、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は秋、「秋深い姉妹」の終わりごろから「冬の花」は冬である。そして、年中行事としては、花見、葵祭、鞍馬の竹伐り会、祇園会、大文字、時代祭、北野踊、事始めなどが書かれ、名所や土地の風物としては平安神宮、嵯峨、錦の市場、西陣、御室仁和寺、植物園、加茂川堤、三尾、北山杉、鞍馬、湯波半、チンチン電車、北野神社、上七軒、青蓮院、南禅寺、下河原町の竜村、北山しぐれ、円山公園の左阿弥その他が描かれている。
(中略)
この美しい一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を描くのに、京都の風土が必要だったのか。あるいは逆に、京都の風土、風物の引立て役としてこの二人の姉妹はあるのか。私の考えは、どちらかというと、後者の方に傾いている。
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November 7, 2015, 1:34 pm
左から『反骨 鈴木東民の生涯』(89)、『大杉榮 自由への疾走』(97)、『津軽・斜陽の家 太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒』(00)、『椎の若葉に光あれ 葛西善蔵の生涯』(94) 。まずは本棚にあったこの四冊から読もうと思います。今朝、NHK・Eテレで鎌田慧さんを見ました。「こころの時代」という番組で、インタビュアーが彼のこれまでの活動や人となりをよく引き出していました。
かつて『自動車絶望工場 ある季節工の日記』(73)を読んだのをきっかけに彼のルポルタージュ作品を何冊か読みましたが、いつの頃からか彼の作品を読まなくなっていました。今朝は偶然に彼に再会しましたが、いい機会なので久々に彼の作品を読んでみようと思います。
【参考】以下、NHKのHPからこの番組についての解説を引用します。
シリーズ私の戦後70年。日本人が戦後積み重ねてきたものは何だったのか、私たちの生き方を問い直す年間企画。第四回は、戦後発展を底辺で支えてきた人々の命を見つめる。
鎌田さんはこの四十数年、戦後社会のさまざまなテーマを追ってルポルタージュを数多く発表、世に問うてきた。弘前の高校を卒業後上京、町工場に就職、業界紙記者などを経てフリーライターに。取材することは学ぶことだと話す鎌田さん。製鉄や自動車など巨大産業の労働現場での体験レポ、炭鉱閉山や原発、そしていじめ自殺や冤罪事件の取材で見つめたいのちの尊厳など、ルポライターとして生きた人生を語っていただく。
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November 1, 2015, 3:05 am
今日、井上靖の『北の海』(68)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
幼少期から祖母に預けられ、家庭の雰囲気というものを知らずに育った洪作は、高校受験に失敗し、ひとり沼津で過ごす。両親がいる台北に行くべきだという周囲の意見をかわし、暇つぶしに母校へ柔道の練習に通ううちに、〈練習量がすべてを決定する柔道〉という四高柔道部員の言葉に魅了され、まだ入学もしていない金沢へ向かう。――『しろばんば』『夏草冬涛』につづく自伝的長編。(上巻)
金沢の四高柔道部の夏稽古に参加し、練習する日々を過ごした洪作は、柔道のこと以外何も考えないという環境と、何よりも柔道部の面々が気に入り、受験の決意を固める。夏が終わると、金沢の街と四高柔道部の皆と別れ、受験勉強をしに両親のいる台湾へとひとり向かう。――柔道に明け暮れ、伊豆、金沢、神戸、台湾へと旅する、自由で奔放な青春の日々を鎮魂の思いを込めて描く長編小説。(下巻)
◆この作品は『しろばんば』(60)『夏草冬濤』(64)に続く、自伝三部作の第三作とされています。中学を卒業し沼津で浪人生活を送っていた洪作は、四高柔道部の「練習量がすべてを決定する柔道」に惹かれ金沢へ行きます。彼はそこで杉戸や鳶、大天井らと交流し、来年の四高受験を決意します。
周囲の人たちから「ごくらくとんぼ」と言われていた洪作が、自らの進路を決め、淡い恋も経験します。この続編があったらよかったのにと思いました。
◆以下、気になった文章を引用します。
旅は人生である。いや、人生は旅である、の方が本当であったかも知れぬ。が、どちらにしても同じようなものである。いま、ここに集まっている人たちは、それぞれお互いに未知の人たちである。たまたま、ある夏の朝、同じ列車に乗るために、ここで落合ったのである。が、やがて列車に乗ると、それぞれが思い思いの駅に下車して行く。
――離合集散。
まことに人生は旅であり、旅は人生である、と思う。(上巻P362-63)
※「人生は旅である」という言葉はよく聞きますが、「旅は人生である」という言葉には新鮮さを感じました。主人公・洪作を語る上でとても適切な言葉だと思います。
「秋だなあ。――柔道部へはいってから、今夜初めて季節というものを感じたよ。四高に入学した時は春だったが、すぐ柔道部へ引っ張り込まれてしまったろう。とたんに春どころではなくなってしまった。それからいつ春が終わって、夏が来たか、そんなことを感じる暇はなかった。今夜初めて、季節を感じたよ。いいなあ。」
杉戸は心の底から秋の近いことを感じている言い方をした。(下巻P170)
※昔、僕も似たような経験をしました。桜の季節なのに見る余裕がぜんぜんなくて、気がついたらハナミズキが色づいていました。
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November 10, 2015, 1:41 pm
日曜日、《流山おおたかの森S・C》のブルックスブラザーズに行ってきました。
普段仕事ではスーツしか着ませんが、たまにはビジネスカジュアルっぽいものもいいかなと思い、ジャケットとチノパンを買いに行きました。で、ジャケットに合わせてお店の方が選んでくれたのがこのニットタイです。ちょっと派手めですが、ジャケットが紺なのでよく似合っていると思いました。
ところで、ブルックスブラザーズが「侍ジャパン」のオフィシャルスーツを提供していることは知っていましたが、僕に対応してくれたお店の方がまさに「侍ジャパン」だったので、ニヤリとしてしまいました。
以下、オフィシャルスーツについて、ブルックスブラザーズのHPからの引用しました。
オフィシャルスーツパートナーとして、このほど侍ジャパンの選手のために創りあげたオフィシャルスーツの第一号は、上下揃いのビジネススーツではなく、紺のブレザーにグレーのトラウザーズという、ブルックス ブラザーズらしさを表現したアメリカの伝統的トラッドスタイルのセットアップ。「世界一奪還」を目指して戦いに挑む侍たちを、特別な一着で世界の舞台に送り出したいという思いがこもっています。
高いゴージラインにウエストのシェイプが効いたスリムフィットなジャケットと、ノータックですっきりとしたシルエットのトラウザーズをコーディネートしたトラディショナルなスタイルです。
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November 22, 2015, 12:39 am
今日、注文しておいた村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(2015.11.25)が届きました。
以下、文藝春秋社のHPからこの作品の紹介文を引用します。(一部改編)
◇「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」
◇村上春樹、待望の紀行文集。
◇アメリカ各地、荒涼たるアイスランド、かつて住んだギリシャの島々を再訪、長編小説の舞台フィンランド、信心深い国ラオス、どこまでも美しいトスカナ地方、そしてなぜか熊本。旅というものの稀有な魅力を書き尽くす。カラー写真多数を収録。
著者は「これは旅行記、というか、僕が訪れた世界のいろんな場所について、この二十年ほどのあいだに、いくつかの雑誌のために書いた原稿をひとつにまとめたものです」(「あとがき」より)と述べています。以下、目次を引用し、彼の旅行先を示したいと思います。
◆チャールズ河畔の小径 ボストン1
◆緑の苔と温泉のあるところ アイスランド
◆おいしいものが食べたい オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド
◆懐かしいふたつの島で ミコノス島・スペッツェス島
◆もしタイムマシーンがあったなら ニューヨークのジャズ・クラブ
◆シベリウスとカウリスマキを訪ねて フィンランド
◆大いなるメコン川の畔で ルアンプラバン(ラオス)
◆野球と鯨とドーナッツ ボストン2
◆白い道と赤いワイン トスカナ(イタリア)
◆漱石からくまモンまで 熊本県(日本)
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November 23, 2015, 12:29 am
今日、庭のキウイを収穫をしました。昨年は僕が剪定を失敗したためにひどい不作でしたが、今年は僕が何もしなかったのでけっこう穫れました。で、一度に全部収穫するのはたいへんなので、続きは来週にしました。
なお、以下の写真はiPhoneで撮りました。
今年はたくさん実がなりましたが、小粒なものが多いです。
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November 28, 2015, 12:48 am
今日、村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(2015.11.25)を読み終えました。沖縄旅行に持ってきた三冊のうちの一冊で、飛行機などでの移動中、そしてホテルの部屋で読みました。
◆収録内容
・チャールズ河畔の小径 ボストン1
・緑の苔と温泉のあるところ アイスランド
・おいしいものが食べたい オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド
・懐かしいふたつの島で ミコノス島・スペッツェス島
・もしタイムマシーンがあったなら ニューヨークのジャズ・クラブ
・シベリウスとカウリスマキを訪ねて フィンランド
・大いなるメコン川の畔で ルアンプラバン(ラオス)
・野球と鯨とドーナッツ ボストン2
・白い道と赤いワイン トスカナ(イタリア)
・漱石からくまモンまで 熊本県(日本)
◆「ラオスにいったい何があるというんですか?」なんて、ラオスの人が読んだら気を悪くしそうなタイトルですが、それは著者の言葉ではないし、このタイトルの意味は次の文章にあります。
日本からラオスのルアンプラバンの街に行く直行便はないので、どこかで飛行機を乗り継がなくてはならない。バンコックからハノイを中継地点にするのが一般的だ。僕の場合は途中ハノイで一泊したのだが、そのときヴェトナムの人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問された。その言外には「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか?」というニュアンスが読み取れた。
さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。(「大いなるメコン川の畔で」P151)
「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。
それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。(「大いなるメコン川の畔で」P172-173)
◆「白い道と赤いワイン」で書かれた短編小説のタイトルが気になります。「そこでちょっとした事実が明らかになる。」って、いったいどんな事実?
イタリアで書いた短編小説のひとつに、そんな地方都市旅行のエピソードを入れたことがある。主人公がルッカという、トスカナ北西部にある町で、高校時代の級友にたまたま再会する。ルッカは中世の城壁に囲まれた美しい町だ。そこでプッチーニが生まれ、チェット・ベイカーが麻薬所持で刑務所に入れられた(不思議な組み合わせ)。二人のかつてのクラスメートは思いもよらぬ場所での再会に驚きつつ、レストランに入り、暖炉の火の前でポルチーニ料理を食べ、1983年のコルティブオーノの赤ワインを飲む。そしてあれこれ昔話をする。主人公が昔交際していた女の子の話題が出てくる。そこでちょっとした事実が明らかになる。たしかそんな話だ(もう二十年くらい読み返していないので、細かいところはよく覚えていないのだが)。コルティブオーノという固有名を出したのは、ローマに住んでいた頃、僕が実際にこのトスカナのワインを好んでよく飲んでいたからだ。
【追記】
短編小説のタイトルは「我らの時代のフォークロア ―高度資本主義前史」。短編集『TVピープル』(1990)収録です。
◆ラオスとルアンプラバンの位置が気になったので、《ADRA Japan》のHPから下の地図を引用しました。
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November 30, 2015, 4:32 am
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December 7, 2015, 1:14 pm
昨日、村上春樹の短編小説「我らの時代のフォークロア ――高度資本主義前史」(89)を読みました。彼の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(15)の「白い道と赤いワイン トスカナ」にこの作品のことが書かれていたからです。
◆「我らの時代のフォークロア ――高度資本主義前史」は、短編集『TVピープル』(90)に収録されており、この短編集には他に「TVピープル」「飛行機 ――あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」「加納クレタ」「ゾンビ」「眠り」の5編が収録されています。
◆僕(語り手)はローマに住んでおり、イタリア旅行中に中部イタリアのルッカで高校時代の同級生と偶然出会います。二人はその夜レストランで一緒に食事をし、それぞれの近況などを語り合います。やがて、同級生は高校時代の恋人の話を始めます。
同級生とその恋人の関係性、そして同級生の人物像は村上春樹の多くの作品に描かれたカップルや人物を想起させます。たとえば、『ノルウェイの森』(87)のキズキと直子、『ダンス・ダンス・ダンス』(88)の五反田君。「我らの時代のフォークロア ――高度資本主義前史」は、この2作品とほぼ同時期に書かれています。
◆高校の同級生がルッカで偶然出会うという設定はいいと思います。しかし、同級生の恋人の処女性に対する考え方は理解できないし、同級生が深い哀しみとともに「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑い」と語る場面は滑稽に思えます。僕(語り手)は同級生の話を聞いておお笑いなんかできなかったと言いますが。
◆短編集『TVピープル』を初めて読んだ時の評価は、あくまでも僕の個人的な考えですが、村上春樹の12の短編小説集うち最下位でした。でも、いいきっかけができたので、他の5編も読んでみようと思います。
フィレンツェから西に行けば、ルッカがあります。
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December 8, 2015, 2:53 am
今日、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み終えました。
初めてこの作品を読んだ時は、タイトルのユニークさに比べ、昔ながらの登場人物やストーリーにがっかりしました。でも、それは僕の読みが浅く、作家の意図をよく理解していないからだと思っていました。ですから、何年後かに再読すればもっと内容を理解し、この作品の良さがわかるだろうとも思っていました。
今回、文庫化(2015.12.10)を機に2年8か月ぶりに読んでみましたが、感想は前回とほぼ同じでした。
◆構成
主人公・多崎つくるの過去と現在が交互に描かれており、知らず知らずのうちに先へ先へと読み進んでいました。作品の構成としては、読者を惹きつけるいい手法だと思います。
・回想~4人の親友(赤松慶=アカ、青海悦夫=アオ、白根柚木=シロ、黒埜恵理=クロ)
大学の友人(灰田文紹)
・現在~新しい恋人(木元沙羅)
・現在~4人を訪ねる「巡礼の旅」
◆ストーリー
なぜ多崎つくるは他の4人から絶縁されたのか、という謎解きのおもしろさがあります。しかし、つくるは死を考えるほど苦しんだのなら、その前に絶縁された理由を4人に聞くべきではなかったのか? そんな疑問が湧いてきます。木元沙羅も同じ疑問を持ってつくるに尋ねますが、つくるの答えはあまり説得力のあるものではありませんでした。
つくるは沙羅に促され、4人を訪ねる「巡礼の旅」に出ます。東京から名古屋、そしてフィンランドへ。こうした場面転換は読者を飽きさせません。つくるの「巡礼の旅」をフランツ・リストのピアノ独奏曲集“巡礼の年”と重ね合わせて箔を付けようとするのは著者の常套手段です。
◆人物設定
つくるの友人たちは名前に「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」「グレー」といった色彩を持っていますが、つくるの名前には色彩がありません。しかし、つくるはそのことで自らを「色彩を持たない」と言っているのではなく、自らの個性の無さや特に優れた能力が無いことを思って「色彩を持たない」を言っているのです。
「シロ」こと白根柚木の死は謎です。結局、「悪霊」によって損なわれたというのが結論です。彼女は『ノルウェイの森』の直子を思い起こさせます。
大学の友人・灰田文紹はいつの間にかこの物語の舞台から消えてしまいます。これも著者の常套手段です。
◆以下、文庫本のブックカバー裏面の解説です。
多崎つくるは鉄道の駅をつくっている。名古屋での高校時代、四人の男女の親友と完璧な調和を成す関係を結んでいたが、大学時代のある日突然、四人から絶縁を申し渡された。理由も告げられずに。死の淵を一時さ迷い、漂うように生きてきたつくるは、新しい年上の恋人・沙羅に促され、あの時何が起きたのか探り始めるのだった。
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November 30, 2015, 5:14 am
11月26日(木)から29日(日)まで、3泊4日の日程で沖縄に行ってきました。
家族や親戚へのお土産に〈ちんすこう〉と〈紅いもタルト〉、〈サーターアンダギー〉をたくさん買いました。そして自分のためには、那覇市国際通りの《高良レコード店》で、《きいやま商店》の5thアルバム“空とてんぷらと海のにおい”(15.4.1)を買いました。
【収録曲】
1 空とてんぷらと海のにおい
2 あるよね~
3 頑張れよ!
4 いっくゎち
5 自分らしく
6 君へのメロディー
7 んじんじ~島の人はコンビニのおにぎり温めます~
8 言ったらダメよ。
9 マブヤーNight
10 がーぶりたぜベイベー
11 父ちゃんの歌
【感想】
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December 29, 2015, 7:16 pm
今日、ポール・オースターの『オラクル・ナイト』(2010)を読み始めました。
この作品の主人公は重病を患い、医者も匙を投げるほどでしたが、奇跡的に生還しました。冒頭の文章にはそんな彼のリハビリの様子が描かれています。これは作品の本題とは違いますが、冒頭の文章は病気療養中の僕を勇気づけてくれました。
まずは短い外出からはじめた。アパートメントから四つ角を一つ、二つ行って帰ってくる。私はまだ三十四歳だったが、病気のせいですべての面で老人になり果てていた。体の麻痺した、足を引きずって歩く、足下を確かめないことには片足を前に出すこともおぼつかない老いぼれ、当時の私にはやっとのゆっくりしたペースでも、歩くことは頭のなかに奇妙なふらふら感を生み出した。いろんな信号がごっちゃに絡みあい、精神の回路が混線して乱闘状態が生じていた。世界が目の前で跳ね、泳ぎ、波打った鏡に映る像のようにうねった。‥‥‥。
‥‥‥。それでも私はやめなかった。毎朝自分に鞭打ってアパートメントの階段を降り、表に出た。脳内のぐじゃぐじゃが収まってきて、体力が徐々に戻ってくると、散歩の範囲を同じ近所でももっと遠くの隅までのばせるようになった。十分が二十分になり、一時間が二時間に、二時間が三時間になった。(P5-7)
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February 20, 2016, 11:24 am
今日、池波正太郎の『真田太平記』第9巻「二条城」を読み終えました。(3/2)
この巻について、文庫本裏表紙の解説を引用します。
淀君によって大坂城から一歩も外に出されたことのなかった秀頼であったが、豊臣家を思う加藤清正らの奔走によって、ついに二条城において家康との対面が実現する。しかし立派に成長した秀頼の姿は、あらためて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ、甲賀忍びに清正毒殺の使命が下る。東西手切れに向かって情勢が緊迫化する中、その日を見ることなく真田昌幸は九度山で永眠する。
【感想等】
🔷冒頭から、加藤清正と浅野幸長による、徳川家康と豊臣秀頼との「二条城会見」実現に向けた動きが描かれます。会見は慶長16年(1611)3月に実現します。
🔷次に、上記のように歴史の表舞台を描くのではなく、その陰で暗躍する忍びの者達の姿が描かれます。
🔷この巻は、「二条城会見」と「忍びの者達の闘い」が交互に描かれており(いわゆるパラレル進行)、先へ先へと読み進めやすくなっています。
◆126~130ページ、真田の女忍び・お江が、徳川方の忍び4人と対決するシーンは圧巻です。しかも、4人の中には猫田与助――お江に怨恨をもってつけ狙う甲賀・山中忍び――もいます。
1人対4人、お江は絶体絶命の大ピンチです。こういう時、この作品には必ず救いの手が現れます。でも、いいんです。そこがまた面白いんです。
◆164~208ページ、真田の草の者2人――お江と奥村弥五兵衛――は、ちょっとした油断から徳川方の伊賀忍者等の追跡を受けることになります。
途中、弥五兵衛がお江を置き去りにしたことから、二人はそれぞれ別の道を逃げることになります。この逃避行はハラハラ、ドキドキものです。敵中突破は出来るのか? でも、今度ばかりは難しそうです。
◆加藤清正は、徳川家康と豊臣秀頼の「二条城会見」を実現させた後、帰国途中の船内で発病し、熊本で死去しました。清正の死因については、当時から家康またはその一派による毒殺説が取り沙汰されていたようです。
池波正太郎氏は本作品中で「毒殺説」をとっています。しかも、その実行者は、清正お気に入りの料理人 片山梅春(甲賀山中忍び)でした。
◆この巻には登場人物達が酒を酌み交わすシーンが多く、とても気になりました。お酒ちょい好きの僕には堪りません。たぶん、僕の体調も良くなってきたのかもしれません。
「病気療養中なれど、少しばかりなら良薬じゃ」なんて、飲んでしまおうかな。
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