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中村文則『去年の冬、きみと別れ』を読みました。

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今日、中村文則の『去年の冬、きみと別れ』(2013)を読みました。
この作品の内容等については以下の通りです。
愛を貫くには、こうするしかなかったのか?

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は、二人の女性を殺した容疑で逮捕され、死刑判決を受けていた。調べを進めるほど、事件の異様さにのみ込まれていく「僕」。そもそも、彼はなぜ事件を起こしたのか? それは本当に殺人だったのか? 何かを隠し続ける被告、男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを失くした人たちが群がる人形師。それぞれの狂気が暴走し、真相は迷宮入りするかに思われた。だが――。(幻冬舎HPより)

◆まず、二人の女性を殺害したとして一審で死刑判決を受けた木原坂雄大と、彼の事件を本にしようとしているライターの「僕」が登場します。やがて事件の真相は明らかになりますが、なんか後出しじゃんけんされたみたいな気分。「去年の冬、きみと別れ」た人物がこの作品のキーパーソンです。
◆芥川龍之介の「地獄変」がモチーフとして使われています。2月に読んだばかりだったので、とてもわかりやすかった。
◆中村文則の作品を読むのはこれで12作目です。どの作品の登場人物も心に闇を抱えており、僕としてはなかなか共感しにくい人物ばかりです。最初に読んだ「何もかも憂鬱な夜に」を越える作品に出会えないのが残念です。

織田作之助「青春の逆説」を読みました。

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岩波文庫『わが町・青春の逆説』には、長編小説「わが町」「青春の逆説」が収録されています。

今日、織田作之助の長編小説「青春の逆説」(1941)を読み終えました。
ストーリー等については、巻末の佐藤秀明「《解説》織田作之助の長篇小説」から引用(一部改編)します。
 「青春の逆説」は、主人公毛利豹一の母お君の少女時代から始まる。小学校教員の軽部と結婚したお君は豹一を産むが、軽部が肺炎で死ぬと、高利貸しの野瀬安二郎の後妻となる。吝嗇な安二郎は、お君に賃仕事をさせてこき使い、それが豹一をいじけた少年にしてしまう。
 中学に進んだ豹一は、劣等感と虚栄心から猛勉強し、また級友の憧れの女学生に接近し交際までする。しかし、豹一には恋愛感情などまるでなかったのである。京都の高等学校に進むと、三高生であることを自慢する生徒を尻目に、寮や学校の規則を破っては堕落していったが、歳も若く晩生(おくて)の豹一は女を誘い出しても恋情は相変わらずなかった。
 三高を辞め、見習いの新聞記者となった豹一は、元映画女優の村口多鶴子の取材で彼女の目を引き、多鶴子の危機を救うという偶然も重なって、男女の関係を結んでしまう。(中略)母親の再婚のために性を抑圧していた豹一は、多鶴子に恋をし二週間ほど一緒に暮らすが、多鶴子はそんな生活に焦りを感じ、仕事に復帰しようとして豹一から離れる。
 青春の彷徨が友情、仕事、恋愛を通して描かれ、とりわけ豹一の屈折した自意識が彼の青春を決定していくところに、若々しさが感じられる。そして、気まぐれで関係をもったカフェの女給が妊娠したことで、豹一は結婚し父親になる。これが結末で、それまでに起こったいくつもの蹉跌の中には、無稽の希望も見られたが、この凡庸さへの'002;落には人生の冷徹ささえ感じられる。しかし注意深く読むと、この成り行きに、小説は穏やかな光りを添えているのである。結末間際のこの急転換は、凝縮された人生の不思議が窺えるところである。

◆主人公・毛利豹一の成功も挫折(こちらの方が圧倒的に多い)もその若さゆえです。劣等感と自尊心の狭間で揺れ動く彼、また偏った考えのまま行動する彼。いつの間にか、彼の姿に昔の自分を重ねていました。
◆新聞社の先輩・土門が豹一に語った言葉がを引用します。当たり前のことですが、気をつけなければいけません。
 「そら良え現象や。ところが、威張る新聞記者は佃煮にするほどいますわい。なるほど、威張ろうと思えば、威張れるがね。しかし威張って良い理由はどこにも無いんだ。たとえば、よく使われる例だが、失業した新聞記者は水をはなれた魚のようにみじめなんだ。してみるとだね、てめえらが威張れたのは、てめえら自身の、――変ないい方だが――人格ではなくて、実は背景になっている新聞のおかげだ。つまり、虎の威を借りている、といっては月並かな。君あれだよ、つまるところ新聞記者という特権を濫用しているんだよ」
◆この作品を読み、井上靖の自伝的小説「しろばんば」「夏草冬涛」「北の海」「あすなろ物語」を久々に読んでみようかなと思いました。

ようこそ!

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庭の西洋シャクナゲが咲きました。(5月10日)

日々の仕事と生活に忙殺され、時間があっという間に過ぎていきます。いつも先のことばかり考えて「いま」を大切にしていないような気がします。日常の出来事を出会った人やモノの写真で記録し、一日一日に異なった意味をもたせていきたいと思います。(2006年5月22日)‥‥‥と言って始めたブログですが、最近は好きな音楽や小説、日々の感想などが中心になっています。

左のINDEXか、下の「最新の画像」から中にお入りください。

庭の西洋シャクナゲが咲きました。

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庭の西洋シャクナゲが咲きました。(富士フイルムX-E1+フジノンXF60mmF2.4R Macroで撮影)

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フジノンXF35mm F1.4Rの初撮影

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今日は仕事が早く終わったので、昨日買った《フジノンXF35mm F1.4R》の初撮影をしました。最近はズームレンズばかり使っていたので、単焦点レンズで撮るのは新鮮な感じだったし、写真はフットワークが大事ってことを改めて思いました。(カメラは富士フイルムX-E1)

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三浦しをん『まほろ駅前狂騒曲』を読みました。

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今日、三浦しをんの『まほろ駅前狂騒曲』(13)を読み終えました。
この作品は『まほろ駅前多田便利軒』(06)と『まほろ駅前番外地』(09)に続く、まほろ駅前シリーズの第3作にあたります。
ストーリー等については、以下の通りです。
  多田便利軒、シリーズ最大の危機!
 行天が「多田便利軒」の居候となって三年目のある日、多田のもとにかつて行天と偽装結婚をしていた三峯凪子がやってきた。凪子は行天との間にできた娘「はる」を預かってほしいという。行天の異様な子供嫌いを知る多田は最初断ろうとするが、結局押し切られ預かることに。「はる」を預かることを行天になかなか切り出せない多田は煩悶する日々を過ごすが、やがて「はる」と行天が対面する日がやってきた――(文藝春秋特設サイトより)

◆最近、中村文則の作品を読み過ぎたせいでしょうか。HHFAなんていう胡散臭い団体が登場すると、主人公達が深刻な事件に巻き込まれそうな気がして心配してしまいました。でも、この作品はシリアスな部分もありますが、基本的にはコメディですから。
◆この作品には主人公の多田と行天以外にも『まほろ駅前多田便利軒』や『まほろ駅前番外地』の登場人物達が出ていて懐かしかった。多田の恋愛もうまくいきそうでホッとしました。
◆以下、気に入った文章を引用します。
 「正しいと感じることをしろ、って。だけど、正しいと感じる自分が正しいのか、いつも疑え、とも言いました」(P456)
 喜びや哀しみや幸福や苦しみは、ひとつの個体の死ですべて無に帰すのではない。俺のなかに、死んだ息子の記憶がいまも生きているように。彼によってもたらされた大きな喜びと幸せ、これ以上ないほどの哀しみと苦しみは、少しずつ薄らぎつつも、俺の心に息づいている。俺が死んでも、きっとだれかが、痛みと喜びを抱えた俺という人間を、ぼんやりとでも覚えていてくれるだろう。
 死でさえも完全には奪い去れないなにかを、あらゆる生き物がそれぞれに抱えている。だからこそ、あらゆる生き物は生まれたらできるかぎり生きようとする。つながりあおうとする。死という残酷さに対抗するために。命はむなしく生きて死んでいくだけのものではないと証明するために。(P457)

※『まほろ駅前多田便利軒』及び『まほろ駅前番外地』については、以下を参照してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/54015284.html

又吉直樹×堀本裕樹『芸人と俳人』が届きました。

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今日、予約しておいた又吉直樹×堀本裕樹の『芸人と俳人』が届きました。
この本は「俳人の堀本裕樹さんから俳句の基本的な決まりを優しく丁寧に御指導いただき、僕の俳句に対する恐怖を取りのぞき、臆病だった僕が、素直な感覚で俳句に向かえるようになるまでの二年間の軌跡をまとめたもの」(又吉直樹による「まえがき」より)だそうで、初出は『すばる』2012年10月号~2014年10月号に連載された「ササる俳句 笑う俳句」です。

本書の構成は以下のようになっています。(目次より)
        まえがき 又吉直樹
  第一章 俳句は「ひとり大喜利」である
  第二章 五七五の「定型」をマスター
        季語エッセイ 春 ―― 蛙の目借時 ―― 又吉直樹
  第三章 「季語」に親しもう
  第四章 「切字」を武器にする!
        季語エッセイ 夏 ―― 子蟷螂 ―― 堀本裕樹
  第五章 俳句の「技」を磨く
  第六章 先人の「句集」を読む
        季語エッセイ 秋 ―― 灯火親しむ ―― 又吉直樹
  第七章 「選句」をしてみよう
  第八章 いよいよ「句会」に挑戦!
        季語エッセイ 冬 ―― 狼 ―― 堀本裕樹
  第九章 俳句トリップ「吟行」
  第十章 芸人と俳人
        単行本特典 芸人と俳人の十二ヶ月
        あとがき 堀本裕樹

なお、堀本裕樹氏のプロフィールについて、本書中から引用します。
 ほりもとゆうき 俳人。1974年和歌山県生まれ。國學院大学卒。「いるか句会」「たんぽぽ句会」を主宰。第36回俳人協会新人賞、第2回北斗賞など受賞。著書に『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』、『富士百句で俳句入門』、句集『熊野曼陀羅』、小説『いるか句会へようこそ! 恋の句を捧げる杏の物語』など。創作の傍ら、俳句の豊かさや楽しさを広く伝える活動を行う。

西加奈子『サラバ!』を読みました。

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今日、西加奈子の『サラバ!』(2014)を読み終えました。
ストーリーについては、以下の通り。(小学館HPより)
 1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。 
 父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。 
 イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。
 後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずに――。(上巻)

 一家離散。親友の意外な行動。恋人の裏切り。自我の完全崩壊。
 ひとりの男の人生は、やがて誰も見たことのない急カーブを描いて、地に堕ちていく。
 絶望のただ中で、宙吊りにされた男は、衝き動かされるように彼の地へ飛んだ。(下巻)

◆この作品は「僕」(圷歩)の視点で描かれており、最終的に「僕」が書いた自伝的小説だということを知らされます。そして、「僕」は読者へのメッセージとして、最後の部分で次のように書いています。
 ここに書かれている出来事のいくつかは嘘だし、もしかしたらすべてが嘘かもしれない。登場する人物の幾人かは創作だし、すべての人が存在しないのかもしれない。僕には姉などいなくって、僕の両親は離婚しておらず、そもそも僕は、男でもないかもしれない。
 あなたは、あなたの信じるものを見つけてほしい。
 そしてこの物語に、信じるものを見つけることが出来なかったのであれば、他の物語を読んでほしい。この世界には、数え切れないほどの素晴らしい物語が存在している。何を信じるのかは、いつだって、あなたに委ねられているのだ。
 恥ずかしいが、姉の言葉をここで引用したい。
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」(下巻P356-357)
 小学生時代のヤコブと高校時代の須玖は「僕」の成長に少なからぬ影響を与えましたが、「僕」の生き方に最も影響を及ぼしたのは家族、とりわけ姉の存在でした。姉は個性が強烈すぎたため、「僕」は彼女と関わらないことで世間に対する体裁や心のバランスを保ってきました。でも、やがて30代になっても自身のアイデンティティが確立されていないことに気づいた「僕」は、姉の「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」という言葉に行き当たります。そして、小説を書くことを決意します。

◆この作品のタイトル『サラバ!』は、「僕」とヤコブの友情から生まれた言葉でした。その部分を以下に引用します。
 そして僕らの「サラバ」は果たして、「さようなら」だけではなく、様々な意味を孕む言葉になった。「明日も会おう」「元気でな」「約束だぞ」「グッドラック」「ゴッドブレスユー」、そして「俺たちはひとつだ」。「サラバ」は、僕たちを繋ぐ、魔術的な言葉だった。
 僕はいつしか、ヤコブがいないときでも「サラバ」と言うようになった。ピンチのときや、何かいいことがあったとき、つまり思いついたときにはいつでもだ。その3文字を呟くと、僕はそばにヤコブがいてくれるのだと思えた。ヤコブのにおいを、ヤコブの気配を感じることが出来た。そしてそれは、僕を安らかにしてくれた。だから僕は家の中で一番、「サラバ」を口にした。「サラバ」は、僕らだけの言葉だった。(上巻P208-209)

◆「僕」に影響を与えた小説として、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』が登場しました。僕はかつてアーヴィングの『ガープの世界』と『サイダーハウス・ルール』を途中で投げ出してしまいましたが、この作品を読んだのを機にアーヴィングの作品を読んでみようと思います。

◆「僕」がエジプトで小学生時代を過ごしたのはナイル川の中洲「ゲジラ島」でした。
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又吉直樹×堀本裕樹『芸人と俳人』を読みました。

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今日、又吉直樹×堀本裕樹の『芸人と俳人』(2015)を読み終えました。
本書は芸人・又吉直樹が俳人・堀本裕樹に俳句の作り方を基礎から教わっていくというもので、二人による対話形式で書かれています。
俳句=定型と季語に縛られて不自由なもの、という印象を持っていました。でもこの本を読み、そんな思い込みを払拭することができました。定型と季語があるからこそ、たった17文字でも無限なる表現が可能だということを知りました。僕も俳句を作ってみたい、なんて思ってしまいました。
以下、各章末の「まとめ」を中心に参考にしたい部分を引用したいと思います。

第一章 俳句は「ひとり大喜利」である
俳句の形はひとつじゃない
【定型句】
 5音(上五)、7音(中七)、5音(下五)の17音できっちりと作られた句。
    古池や蛙飛びこむ水のをと(松尾芭蕉)
    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)
【自由律句】  
 五七五に縛られず、季語にもとらわれず、感情のおもむくまま自由なスタイルで表現する俳句。
    咳をしても一人(尾崎放哉)
    分け入つても分け入つても青い山(種田山頭火)

第二章 五七五の「定型」をマスター
俳句のリズムを覚えよう
【音の数え方】
 長音(ー[音引き])→1音に数える  ※「コーヒー」は4音
 拗音(小さい「ゃ」「ゅ」「ょ」)→1音に数えない  ※「客(きゃく)」は2音
 促音(小さい「っ」)→1音に数える  ※「立冬(りっとう)」は4音
【破調の句】
 ◇字余り
    一匹の蟻ゐて蟻がどこにも居る(三橋鷹女)[下六]
 ◇字足らず
    散らばれるものをまたぎて日短(ひみじか)(富安風生)[下四]
 ◇句またがり
    落椿われならば急流へ落つ(鷹羽狩行)[5音+10音+2音=17音]
※挨拶句(折句)
    なつかしき男と仰ぐ帰燕かな(堀本裕樹)[な・お・き]
    唐衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(在原業平)[か・き・つ・は・た]

第三章 「季語」に親しもう
歳時記を引きまくれ!
 ◇分類
   季語は、春・夏・秋・冬・新年の5つに分けられている。
 ◇季語
   疑問を抱いたとき、すぐに歳時記を引くことで、季語が身近になっていく。
 ◇傍題
   見出しの季語の別称や、同じ仲間とされているもの。ひとつの季語にたくさんの表現方法がある。
 ◇解説
   季語の「本意・本情」(本来の意味と情感)をつかむために、この部分をよく読むといい。
 ◇例句
   季語の使い方を参考にしよう。好きな俳人が見つかるかも!   
※季語の「本意・本情」に含まれていることを、一句の中で繰り返して言わない。
    ×姫路城落花はらりと散りにけり(落花=桜が散る)
    ×鶯に春を思ひて日もすがら(鶯=春の象徴的な鳥)
    ×暖かき春風吹いてあくびする(春風=のどかであたたかい風)

第四章 「切字」を武器にする!
感動したら「や」「かな」「けり」
 三大切字「や」「かな」「けり」をうまく使うことができると、詠嘆、省略、格調の効果が出る。
    雁(かりがね)や残るもの皆美しき(石田波郷)[や]
    逢(お)うていふ言葉もきめて端居(はしい)かな(牧野美津穂)[かな]
    風吹いて蝶々迅(はや)く飛びにけり(高野素十)[けり]
※切字は一句に一つ
    暁の蜩四方(よも)に起りけり(原石鼎)[けり]
      →×暁や蜩四方に起りけり[や・けり]

第五章 俳句の「技」を磨く
使えば使うほど技が磨かれる
 ◇擬人法[人間以外のものを人間のように表現する技法]
    霜柱はがねのこゑをはなちけり(石原八束)
 ◇直喩[「ごとし」「のような」など、似たものを借りて表現する]
    ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに(森 澄雄)
 ◇隠喩[「AはBである」と直接言い切る表現]
    金剛の露ひとつぶや石の上(川端茅舎)
 ◇倒置法[通常の語順を逆にして表現効果を上げる]
    うしろより見る春水の去りゆくを(山口誓子)
 ◇重畳法[フレーズをくり返すこと。リフレイン]
    雨の日は雨の雲雀のあがるなり(安住 敦)
 ◇擬音[実際の音を真似て言葉とした表現、擬声語・擬態語]
    鳥わたるこきこきこきと罐切れば(秋元不死男)
 ◇遠近法[目に見えるように、立体的構図、距離感を強調した表現]
    たんぽぽや長江濁るとこしなへ(山口青邨)
 ◇数詞[数字で具体的に表現する方法。動かない数字を使うこと]
    牡丹百二百三百門一つ(阿波野青畝)

第六章 先人の「句集」を読む


 ◇津川絵理子句集『はじまりの樹』より
    神籤(みくじ)読むひとりの日向(ひなた)実南天
    しばらくは拳に活けて菫草
    飛ぶ前の貌(かお)かたくして螇蚸(ばつた)ゐる
    笹鳴(ささなき)や亡き人に来る誕生日
    飯蛸の炊かれて頭たちあがる
    太刀魚の傷つきやすき光かな
    花よりも棘明るくて冬の薔薇

 ◇和田悟朗句集『風車』より
    月面に川の痕跡 地に椿
    花曇り日光月光菩薩留守
    空間にぶつかりぶつかり鹿駆けり

 ◇『尾崎放哉全句集』(村上護編)より
    底がぬけた杓で水を呑もうとした
    花火があがる空の方が町だよ
    一日物云はず蝶の影さす
    何か求むる心海へ放つ
    舟の帆が動いて居る身のまはりの草をむしる
    笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
    障子あけて置く海も暮れ切る
    何がたのしみに生きてると問はれて居る


第七章 「選句」をしてみよう
よくありがちな「類想・類句」になっていないか?
又吉 堀本さんに、ひとつお聞きしたいです。お題があって俳句を作るときに、最初に思いつくことって大体みんな一緒じゃないですか。今回の「足」なら「こたつ」「臭い」「足がぶつかる」という内容の句が、結構ありましたよね。誰もが考えそうなことって、やっぱり避けるべきですか。
堀本 類想・類句といって、同じような句になりやすいんですよ。でもそれだと、コンクールでは、落とされがちですね。
又吉 最初に自分が連想したものの次とか、その次の次ぐらいに出てきたヤツでまとめてみると、おもしろいのができるかもしれないですね。
堀本 そうですね。「みんなこう詠むだろう」という発想や言葉遣いを避けて、もっと角度を変えたところ、おっ! と思わせる発見や誰もが俳句にしなかったようなことを見つけて詠んでいくと、その人自身のオリジナリティのある句になっていきます。まずは俳句歳時記や句集を読んで、類想・類句を避ける心構えが大切ですね。ちょっと気をつけると、だんだん個性を発揮できるようになります。

第八章 いよいよ「句会」に挑戦!

第九章 俳句トリップ「吟行」
思い立ったら吟行日和
 俳句の楽しみが、さらに深まるのが吟行。自然を求めて出掛け、非日常に浸ることで、新鮮な季語や、普段とは違う表現方法と出会うことができる。気心の知れた仲間とピクニック気分で吟行を企画し、作句の幅を広げよう。
 吟行といえば、お寺や名所・旧跡巡りのイメージがあるが、もっと気楽に考えてもOK。「さあ、俳句を作るぞ!」という目的で散策すれば、どこへ出掛けても四季の草花や季節の移り変わりを感じることができ、吟行になり得る。
【必要なものは?】
 筆記用具、句帳かノート、歳時記(季寄せ)、辞書、植物図鑑 など

第十章 芸人と俳人

堀本裕樹『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』を読みました。

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今日、堀本裕樹の『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』(2012)を読み終えました。
先日、又吉直樹との共著『芸人と俳人』(2015)を読み、彼にシンパシーを覚えたので、この本を手に入れました。この本の内容等については、以下の通りです。(「はじめに」より一部引用)
 そういう意味で本書は、壮大なことから微小なものまで詠んだ俳句を集めています。正岡子規以降の近代から現代までの作品のなかで、私が好きで皆さんに知ってもらいたいと思った俳句を104句選びました。それぞれの俳句に、少しでも理解の手助けになるように短い解釈も添えました。ただし、私の解釈や説明はあくまで目安にしていただき、この本をお読みくださる方の想像力を一番大事にしてもらえたらと思います。その句を読んで最初に、自分が感じたこと思ったことを捨て去らないでほしいのです。美術館に行って、一幅の絵画を目の前にしたとき、まず解説などを読まずにその絵を見たファースト・インプレッションを大事にするのと似ているかもしれません。俳句においても、それが大事だと思います。ファースト・インプレッションで自分の想像力の翼を最大限にふくらますこと。そのうえで、私が書いた解釈をお読みいただければ、より楽しく豊かに俳句を鑑賞できるのではないでしょうか。
以下、一読して気になった句を引用しようと思います。

第一章 「共感力」を養う
  渡り鳥みるみるわれの小さくなり(上田五千石)
  づかづかと来て踊子にささやける(高野素十)
  うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火)
  木がらしや目刺にのこる海のいろ(芥川龍之介)
  約束の寒の土筆を煮て下さい(川端茅舎)

  ずぶぬれて犬ころ(住宅顕信)
  葉ざくらの中の無数の空さわぐ(篠原 梵)
  短夜や乳(ち)ぜり泣く子を須可捨焉呼(すてっちまおか) (竹下しづの女)
  摩天楼より新緑がパセリほど(鷹羽狩行)
  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ(杉田久女)

第二章 「季語」の豊かさに触れる
  恋猫の恋する猫で押し通す(永田耕衣)
  葱坊主どこをふり向ききても故郷(寺山修司)
  海鳥の胸のちからの風光る(柳下良尾)
  鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪ふべし(三橋鷹女)※鞦韆=ブランコ
  狡る休みせし吾(あ)をげんげ田に許す(津田清子)

  螢籠昏(くら)ければ揺り炎(も)えたたす(橋本多佳子)
  羅(うすもの)や人悲します恋をして(鈴木真砂女)
  空(くう)をはさむ蟹死にをるや雲の峰(河東碧梧桐)
  夕かなかな母の手紙は語るごと(角 光雄)
  色鳥や書斎は書物散らかして(山口青邨)

  渋柿の如きものにては候(そうろ)へど(松根東洋城)
  うつくしきあぎととあへり能登時雨(しぐれ)(飴山 実)
  地の涯(はて)に倖せありと来しが雪(細谷源二)

第三章 言葉の「技」を身につける
  蛍火と水に映れる蛍火と(清崎敏郎)
  ねむりても旅の花火の胸にひらく(大野林火)
  と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな(高浜虚子)
  鳥わたるこきこきこきと罐切れば(秋元不死男)
  かたつむり甲斐も信濃も雨のなか(飯田龍太)

  木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ(加藤楸邨)
  筍(たけのこ)や雨粒ひとつふたつ百(藤田湘子)
  たとふれば独楽(こま)のはじける如くなり(高浜虚子)

第四章 覚えておきたい俳句
  葡萄食ふ一語一語の如くにて(中村草田男)
  情ありて言葉寡(すく)なや月の友(渡辺水巴)
  蟋蟀(こおろぎ)のこの一徹の貌(かお)を見よ(山口青邨)
  銀漢や一生分といふ逢瀬(日下野由季)
  しんしんと寒さがたのし歩みゆく(星野立子)

  蕪(かぶら)煮てあした逢ふひといまはるか(柳克弘)
  咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや(中村汀女)
  寒雀身を細うして闘へり(前田普羅)
  クリスマス「君と結婚していたら」(堀井春一郎)
  黒板に Do Your best ぼたん雪(神野紗希)

  ふだん着でふだんの心桃の花(細見綾子)
  青嵐神社があったので拝む(池田澄子)
  せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ(野澤節子)
  はつきりしない人ね茄子投げるわよ(川上弘美)
  万緑や鞄一つが旅の枷(かせ)(村上鞆彦)

ようこそ!

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庭のカシワバアジサイが咲き始めました。(6月10日)

日々の仕事と生活に忙殺され、時間があっという間に過ぎていきます。いつも先のことばかり考えて「いま」を大切にしていないような気がします。日常の出来事を出会った人やモノの写真で記録し、一日一日に異なった意味をもたせていきたいと思います。(2006年5月22日)‥‥‥と言って始めたブログですが、最近は好きな音楽や小説、日々の感想などが中心になっています。

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上田五千石句集『遊山』を読みました。

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昨夜、上田五千石の句集『遊山(ゆさん)』を読みました。
先日、又吉直樹と堀本裕樹の共著『芸人と俳人』を読んだら、上田五千石の以下のような句が引用されていました。彼の他の句も読みたいと思い、『遊山』を手に入れました。
    渡り鳥みるみるわれの小(ち)さくなり
    万緑や死は一弾を以て足る
    秋の雲立志伝みな家を捨つ
    まぼろしの花湧く花のさかりかな 

『俳句歳時記』で季語を調べながら読みました。でも、僕はこの句集を読むレベルに達していないことを痛感しました。以下、一読して気になった句を引用しようと思います。

    雪の峡初心(うぶ)の日輪顕(た)ちにけり
    莨火の貸借一つ枯峠
    いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに
    青胡桃しなのの空のかたさかな
    冬空の鳶や没後の日を浴びて

    オリオンの出に先んじて虎落笛(もがりぶえ)
    あけぼのや泰山木は蠟の花
    新しき道のさびしき麦の秋
    秋蝶のたちのぼり来し深淵ぞ
    かぞへゐるうちに殖えくる冬の星

    渡り鳥みるみるわれの小さくなり
    けふの日のしまひに雪嶺荘厳す
    峡中に入る秋雲の一片と
    水鏡してあぢさゐのけふの色
    また黒揚羽林中の秘境より

    冬浜に浪のかけらの貝拾う
    咲き籠めて村は杏の乳ぐもり
    冬耕を天にとどむる日和かな
    山開きたる雲中にこころざす
    冷(すさ)まじき青一天に明けにけり

    遠山の晴間みじかし吾亦紅
    凍滝(いてたき)の膝折るごとく崩れけり
    開けたてのならぬ北窓ひらきけり
    暮れ際に桃の色出す桃の花
    長黒穂抽く巡礼の途上にて

    幹赤く揃へて松の涼きはやか
    谷底に日ざしもどらぬきりぎりす
    しぐれ忌を山にあそべば鷹の翳
    蝶と化す菜の花ばかり峠村
    青芒川風川にしたがはず

    すぐりの実青きを噛めば行方透く
    まがりても花の杏の月夜道
    山居さびしことにも苔の花ざかり
    山水にしぐれの声もまぎるべし
    山に寝て山路を夢に明易し

    一万尺下りてきて盆の町通る
    山中の一会の微笑はじめかな
    光りては水の尖れる我鬼忌かな
    堰といふ水の切口初紅葉
    まぼろしの花湧く花のさかりかな

    さみしさの道に音して落し文
    澄む水に古刀のくもりありにけり
    あたたかき雪がふるふる兎の目
    いなづまのあとゆるやかに水ながれ
    遠山に一の燈二の燈冷奴

    のぼとけの千手略され草の花
    野のほとけほとほと土に花うばら
    天下茶屋の雲の高きに登りけり
    まんさくや昼をほとびて雪の山
    逆流をすこしこころみ水温む

    さびしさやはりまも奥の花の月
    身ひとつを旅荷とおもふ葛の花
    くらがりは雨のはらつく風の盆
    しぐれ忌や木曽の地酒の澄みを酌み
    山眠る行く人なしの道入れて


上田五千石 1933-1997
 東京都渋谷区生まれ。三男で、父も古笠(こりゅう)という俳号を持つ俳人で、五千石も幼少時より父と兄から俳句を教わった。幼時は代々木上原で満ち足りた幼年期を過ごすが、戦時に長野県へ疎開。その後、山梨県、静岡県富士市に転居。その間、1945年に東京の自宅を空襲で失った。1947年、静岡県立富士中学校(翌年静岡県立富士高等学校となる)2年に転入し、校内文芸誌「若鮎」の制作に加わる。そこで発表した加島五千石を詠んだ句「青嵐渡るや加島五千石」が校内で評判となったことから「五千石」を俳号とした。
 1953年、上智大学文学部新聞学科に入学。1954年、極度の神経症に悩むが、同年秋元不死男に師事、「氷海」に入会してのち快癒した。在学中は「子午線」や関東学生俳句連盟にも参加。有馬朗人、深見けん二、寺山修司といった俳人と交流し「天狼」にも投句した。1956年、22歳で「氷海」同人。1957年、堀井春一郎、鷹羽狩行らと「氷海新人会」結成。1968年、句集『田園』により第8回俳人協会賞を受賞。1973年「畦」を創刊・主宰。1997年、解離性動脈瘤により杏林大学付属病院にて死去。63歳。「畦」主宰は娘の上田日差子が継いだ。(Wikipediaより)

ようこそ!

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Welcome to my photo diary


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庭のナツツバキが咲き始めました。(6月15日)

日々の仕事と生活に忙殺され、時間があっという間に過ぎていきます。いつも先のことばかり考えて「いま」を大切にしていないような気がします。日常の出来事を出会った人やモノの写真で記録し、一日一日に異なった意味をもたせていきたいと思います。(2006年5月22日)‥‥‥と言って始めたブログですが、最近は好きな音楽や小説、日々の感想などが中心になっています。

左のINDEXか、下の「最新の画像」から中にお入りください。

茨城県近代美術館企画展「ベン・シャーン展」を見ました。

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昨日、仕事で水戸に行った際、時間が空いたので、茨城県近代美術館の企画展「丸沼芸術の森所蔵 ベン・シャーン展」(4月25日-7月5日)を見てきました。
「ベン・シャーン展」について、茨城県近代美術館HPから解説を引用します。

 20世紀アメリカを代表する画家ベン・シャーン(1898-1969)は、一貫して人種差別や迫害、貧困などのテーマに取り組み、震える線と力強い構成力による絵画やグラフィックデザインを数多く残した。第五福竜丸事件に取材した「ラッキードラゴン」シリーズや、ドイツの詩人リルケの『マルテの手記』に基づく版画集などの代表作などを含む、初期から晩年までを網羅した丸沼芸術の森の珠玉のコレクションを一堂に展観。

ベン・シャーンの習作が数多く展示されており、画家がどのように作品を制作するのかが分かったような気がします。僕は油絵を始めたいと思っていましたが、画材を云々するよりも、まずは鉛筆やサインペンで描きたいものを描くことから始めるべきと思いました。
以下、「ベン・シャーン展」図録より、何点か作品を紹介します。
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戦後の完全雇用のために(1944)

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ほんとうに偉大な人たちをわたしは忘れない(1965)

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ゴイエスカス(1967)

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レーニン(1964)

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愛にみちた多くの夜の回想(1968)

織田作之助『世相・競馬』を読みました。

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今日、織田作之助の短編集『世相・競馬』を読み終えました。
この短編集の内容については、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 終戦直後の大阪の混沌たる姿に、自らの心情を重ねた代表作「世相」、横紙破りの棋風で異彩を放つ大阪方棋士・坂田三吉の人間に迫る「聴雨」、嫉妬から競馬におぼれる律儀で小心な男を描いた「競馬」、敬愛する武田麟太郎を追悼した「四月馬鹿」等、小説八篇に、大阪人の気質を追求した評論「大阪論」を併録。自由な精神で大阪の街と人を活写した織田作之助の代表作集。

【収録作品】( )は初出
◇俗臭(『海風』6号、昭和14年9月)※既読(『夫婦善哉正続 他十二篇』)
◆秋深き(『大阪文学』昭和17年1月号)
 私は転地療養のためにとある温泉宿に滞在します。私はそこである夫婦と隣室になります。

◇聴雨(『新潮』昭和18年8月号)※既読(『夫婦善哉正続 他十二篇』)
◆道(『文藝』昭和18年9月号)
 佐伯がすっかり変わってしまった。なぜ?

◇螢(『文藝春秋』昭和19年9月号)※既読(『夫婦善哉正続 他十二篇』)
◇競馬(『改造』昭和21年4月号)※既読(『六白金星・可能性の文学 他十一篇』)
◇世相(『人間』昭和21年4月号)※既読(『六白金星・可能性の文学 他十一篇』)
◆四月馬鹿(『光』昭和21年5・6月合併号)
 作家・武田麟太郎(1904-46)の死に際し、書かれた作品。武田のハチャメチャな感じや、織田の武田への友情が伝わってきます。1946年4月1日の朝刊に武田の訃報が掲載されると、織田はそれが「四月馬鹿(エープリルフール)」であって欲しい(欲しかった)と思ったのでしょう。なお、織田は翌年1月、結核により死去しています。


■大阪論(明光堂書店刊『大阪の顔』、昭和18年9月)

西加奈子『しずく』を読みました。

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昨夜、西加奈子の短編集『しずく』(07)を読み終えました。僕としては、太宰治の「女性の一人称告白体」的な作品「灰皿」に親しみを覚えました。
この短編集については以下の通りです。
 恋人の娘を一日預かることになった私は、実は子供が嫌いだ。作り笑顔とご機嫌取りに汗だくになっても、ぎくしゃくするばかり……。ふたりのやり取りを、可笑しく、そして切なさをこめて描く「木蓮」。恋人同士が一緒に暮らしたことから出会った二匹の雌猫。彼女たちの喧嘩だらけの日々、そして別れを綴る表題作。ほか、日だまりのように温かい「女ふたり」の六つの物語。(ブックカバー裏表紙より)

【収録作品】( )内は初出
ランドセル(『小説宝石』2006年4月号)
 小学校の入学式で仲良くなった私とくみちゃんは34歳になって偶然再会し、二人でロサンゼルスへ旅行に行くことに。ロスで見かけたピンクのランドセルは二人の友情の始まりを思い出させます。

灰皿(『小説宝石』2006年6月号)
 太宰治が得意とした「女性の一人称告白体」の手法を用いています。太宰作品との違いは、語り手が若い女性ではなく70歳を過ぎたおばあさんということでしょうか。このおばあさんと若い小説家の女性との交流が描かれています。

木蓮(『小説宝石』2006年8月号)
 34歳の私は子供が嫌い。でも、恋人を逃したくない一心で、恋人の子供を一日預かることにします。私の本音を語る語り口がおもしろい。

(『小説宝石』2006年10月号)
 恋人と別れても会社の同僚には笑って報告するくらいだったので、私はサバサバした強い女性だと思われていました。でも本当は、会社のデスクで胸をかきむしって泣き出したいくらい悲しかったのです。そんな時、私はふとしたことからそれまで全く興味すらなかった男性と付き合い始めます。しかし、その男性には社内恋愛中の恋人がおり、やがて二人の関係はその恋人や会社の女性達に知られることになりました。
 私は会社を辞め、南の島へ旅に出ます。そして、そこで出会った少女との交流を通じ、本当の自分と向き合うことを始めます。

しずく(単行本刊行時に書下ろし)
 二匹の雌猫の視点を通じて、一組の男女の同棲と別れが描かれます。

シャワーキャップ(『小説宝石』2006年12月号)
 主人公の母親があまりにも無邪気で奔放で。こんな49歳、いるかな?

筒井康隆『最後の喫煙者』を読みました。

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昨夜、筒井康隆の短編集『自選ドタバタ傑作集1 最後の喫煙者』を読み終えました。彼の作品を読んだのは初めてでしたが、彼の度を超したユーモア(?)にはついて行けませんでした。
この短編集の内容については、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 ドタバタとは手足がケイレンし、血液が逆流し、脳が耳からこぼれるほど笑ってしまう芸術表現のことである。健康ファシズムが暴走し、喫煙者が国家的弾圧を受けるようになっても、おれは喫い続ける。地上最後のスモーカーとなった小説家の闘い「最後の喫煙者」。究極のエロ・グロ・ナンセンスが炸裂するスプラッター・コメディ「問題外科」。ツツイ中毒必至の自選爆笑傑作集第一弾。

【収録作品】( )内は初出
急流(「SFアドベンチャー」昭和54年5月号)
 時間の経過が加速度的に速くなると、……。

問題外科(「問題小説」昭和51年6月号)
 グロテスク。決して笑えません。

最後の喫煙者(「小説新潮」昭和62年10月号)
 嫌煙権運動がエスカレートすると、……。

老境のターザン(「PLAY BOY」昭和50年9月号)
 その後のターザンとジェーン。ヒーローを貶めており、全然おもしろくない。 

こぶ天才(「カッパまがじん」昭和52年1月号)
 ある惑星の植民地都市での話。「ランプティ・バンプティ」という約20~30センチの虫を背負うと、その虫は背中の組織と有機的に癒着し、触手の一本は脊椎骨に食いこんで脊髄の一部となります。そして、それは脳の延髄にまでつながっているのでもはや切り離すことはできなくなります。
 虫と一体化した人間は天才となり、背中の瘤は「天才瘤」と呼ばれ、尊敬の対象となりますが、……。

ヤマザキ(「別冊小説新潮」昭和47年4月)
 1582年6月2日、織田信長は明智光秀の謀反により本能寺で討ち死にします。備中高松城を攻略中だった羽柴秀吉は、知らせを受けると直ちに毛利氏と講和を結び、光秀追討に向かいます。ここまでは普通の歴史小説でしたが、その後がいけません。全然おもしろくない。

喪失の日(「小説新潮」昭和49年12月号)
 エリート社員の藁井は、秘書課の美人社員圭子とのデートを約束すると、仕事中からそのシミュレーションにいそしみます。やがて、それがエスカレートすると、彼女とのセックスの妄想に耽り始めてしまいます。そんな様子がおもしろくて読み進めましたが、この作家の度を超したユーモア(?)にはついて行けず、途中からは笑えなくなってしまいました。

平行世界(「別冊宝石」昭和50年10月)
 おれは、約250から260ぐらい上の方から来た「おれ」の訪問を受けます。

万延元年のラグビー(「小説サンデー毎日」昭和46年12月号)
 安政7年3月3日(この年3月18日、万延に改元)、江戸城桜田門外で、大老井伊直弼が水戸の浪士等によって暗殺されます。直弼の首は若年寄遠藤但馬守邸に置かれますが、その井伊家への引き渡しを巡るトラブルがこの話の中心です。
 井伊家側はお庭番(忍者)を使い、遠藤邸から直弼の首を奪い返そうとします。遠藤側のお庭番も登場し、両者によるラグビーさながらの首争奪戦が展開します。直弼の首をラグビーボールに見立てるあたり、この作家の面目躍如ってところだと思いますが、ブラック過ぎて笑えません。
 この作品のタイトルは大江健三郎の長編小説「万延元年のフットボール」のパロディです。大江健三郎の作品はまだ読んだことがないので、これをきっかけに読んでみようと思いました。


【参考】先日書店に行った時、新潮文庫のフェア「ピース又吉が愛してやまない20冊」の帯が目にとまりました。又吉直樹さんが薦める20冊には、これまで全く知らなかったり、知っていても読む気がしなかったり、昔読んだけどすっかり忘れてしまった、などの作品が多くありました。僕自身の読書の範囲を広げるのに大いに役立つと思い、何冊かまとめ買いしました。
 以下、又吉さんが薦める20冊を引用しておきます。(※既読)
  ◇稲垣 足穂『一千一秒物語』
  ◇筒井 康隆『最後の喫煙者』※
  ◇中村 文則『遮光』※
  ◇梨木 香歩『家守綺譚』
  ◇西 加奈子『窓の魚』

  ◇古井 由吉『杳子・妻隠』
  ◇サキ   『サキ短編集』
  ◇サン=テグジュペリ『夜間飛行』
  ◇芥川龍之介『戯作三昧・一塊の土』
  ◇安部 公房『R62号の発明・鉛の卵』

  ◇井伏 鱒二『山椒魚』※
  ◇坂口 安吾『白痴』
  ◇太宰  治『ヴィヨンの妻』※
  ◇太宰  治『お伽草紙』
  ◇谷崎潤一郎『痴人の愛』

  ◇中島  敦『李陵・山月記』
  ◇夏目 漱石『文鳥・夢十夜』
  ◇向田 邦子『思い出トランプ』
  ◇村上 春樹『ねじまき鳥クロニクル』※
  ◇オースター『幽霊たち』※

町田康『パンク侍、斬られて候』を読みました。

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今日、町田康の『パンク侍、斬られて候』を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 江戸時代。ある晴天の日。街道沿いの茶店に腰かけていた牢人は、そこにいた、盲目の娘を連れた巡礼の老人を、抜く手も見せずに大刀を振りかざし、ずば、と斬り捨てた。居合わせた藩士に理由を問われたその牢人・掛十之進は、かの老人が「腹ふり党」の一員であり、この土地に恐るべき災厄をもたらすに違いないから事前にそれを防止した、と言うのだった……。圧倒的な才能で描かれる諧謔と諷刺に満ち満ちた傑作時代小説!

◆時代小説ですが、登場人物の話し言葉には現代の用語や現代の若者言葉が使われています。これは斬新というより、奇をてらっているように感じました。また、奇想天外なストーリーにはおもしろさを感じましたが、殺人描写などグロテスクな場面が多すぎて閉口しました。かつて読んだパトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」を読んだ時の不快感を思い出しました。

太宰治「惜別」を読みました。

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新潮文庫『惜別』には、「右大臣実朝」と「惜別」が収録されています。

今日、太宰治の「惜別」(1945)を読み終えました。「惜別」は太宰文学の中期(の後半)に属する作品で、太平洋戦争下で書かれました。(出版は終戦後の1945年9月)
以下、奥野健男(文芸評論家)による巻末解説を引用し、「惜別」が書かれた時代背景や著者の意図などを知る手がかりにしたいと思います。
 太平洋戦争期は日本の文学、そして殆どの文学者にとって苦しい受難の時期であった。軍部を中心とするあらゆる国家権力、治安当局、情報局、言論報国会、右翼団体、そして広範な庶民たちを包んだ熱狂的な愛国の時代風潮に圧迫され、文学者たちは自由な魂と表現とを失い、萎縮した。いや当局や時代風潮に迎合し進んで御用文学を書く作家、さらには自ら狂信的な軍国主義、皇国主義の権化となった文学者も出現する。昨日までの文学仲間も、親しい編集者も信用できなくなった疑心暗鬼の時代である。

 その上、戦争末期になると当局の命令で文芸雑誌は次々廃刊され、国策雑誌に統合されていく。文学者たちの作品を発表する舞台は極度に縮小される。・・・。僅かに残された作品発表の道は、書下ろし単行本で、厳重な許可制ではあったが雑誌にくらべればまだしも検閲の目はゆるかった。この時代是が非でも小説を書き発表せずにいられなかった文学の虫のような執念とファイトのある少数の文学者たちは、余り有名でない出版社からの書下ろし刊行かたちで文学活動を続けた。室生犀星、織田作之助などがその最たるものだが、太宰治はそのかたちで彼の文学を代表する多くの秀作長編を発表していて特に印象的である。昭和16年の「新ハムレット」17年の「正義と微笑」18年の「右大臣実朝」19年の「津軽」「雲雀の声」(出版中止)20年の「新釈諸国噺」「お伽草紙」「惜別」と、ほかの大多数の文学者が発表を断念し、あるいは執筆活動を停止してしまった中で、旺盛の作品を執筆、発表し続けている。「日本文学年表」などを眺めると、太平洋戦争期、特に末期の純文学作品として太宰治の名だけが目立つ。まるでこの時期の日本文学の空白、断絶を太宰治ひとりが埋め、支えているという感をすら受けるのである。

 「惜別」は昭和18年11月招集された大東亜会議の五大宣言を小説化するため昭和18年内閣情報局と文学報国会の依嘱を受けて書下ろした長編である。いわば太宰治にとって、当局の要請に応えて書いた唯一の国策小説であるが、一方太宰治は初版「あとがき」で「しかし、両者からの話が無くても、私は、いつかは書いてみたいと思って、その材料を集め、その構想を久しく案じていた小説である。」と述べている。・・・。太宰としては中国革命の志士であり、危険人物と思われている魯迅を、仙台留学時代を中心にとりあげ、こういう革命家を日本の、しかも東北の純朴な雰囲気の中で描くことこそ、情報局や文学報国会の意図したきわものと違う、真の日中親善、というより人間と人間のつながりの真実ということで、当局の意図を逆手にとり真の文学作品を書いてやろうという野心を抱いたに違いない。情報局へ提出した「『惜別』の意図」なる一文には、「中国の人をいやしめず、また、決して軽薄におだてる事もなく、所謂潔白の独立親和の態度で、若い周樹人を正しくいつくしんで書くつもりであります。現代の中国の若い知識人に読ませて、日本にわれらの理解者ありの感情を抱かしめ、百発の弾丸以上に日支全面和平に効力あらしめんとの意図を有しています。」と、武力による日中打解に反対し、中国の若い知識人に日本の中にも、このように中国理解者がいることを示そうという懸命な意図が、この辛い文章の中にもあらわれている。当時、太宰は「竹青」でもそうであったごとく、シナ人侮蔑の日本の中で、中国との理解を真剣に考えていた少数の人間であり、こういう政治的言動は太宰治の生涯の中で珍しい。

◆周樹人(魯迅)は医学によって民衆を救おうと考え、仙台医学専門学校(東北大学医学部の前身)に入学しました。しかし、日本で孫文らの革命運動に触れ、また日露戦争の勝利に沸く日本の民衆の姿を見て、彼は中国の民衆にいま必要なのは医学よりも精神の改革だと考えるようになります。
◆周樹人の心の変遷が彼の言葉で長広舌で語られますが、それは実は太宰の言葉であって、太宰は日本が明治維新によって近代化を遂げたのは単に西洋科学の導入だけでなく、江戸時代の国学者の精神的啓蒙によるところが大きいと述べたかったのです。こういった日本賛美は戦争中という時代背景ゆえ仕方ないか?

【参考】「右大臣実朝」については、こちらを参照してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/52973297.html

太宰治『お伽草紙』を読みました。

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今日、太宰治の作品集『お伽草紙』を読み終えました。
この作品集の内容については、以下の通りです。
 困難な戦争期にあって、深く芸術世界に沈潜することで時代への抵抗の姿勢を堅持し、日本文学の伝統を支えぬいた太宰中期の作品から、古典や民話に取材したものを収める。爛チカチ山瓩覆秒もが知っている昔話のユーモラスな口調を生かしながら、人間宿命の深淵をかいま見させた「お伽草紙」、西鶴に題材を借り、現世に生きる人間の裸の姿を鋭くとらえた「新釈諸国噺」ほか3編。(ブックカバー裏表紙の解説より)

【収録作品】( )内は初出誌等
盲人独笑(『新風』昭和15年7月号)

清貧譚(『新潮』昭和16年1月号)

新釈諸国噺(諸雑誌の昭和19年1月号~11月号に5編。のち7編を書き下ろし)
 「貧の意地」「大刀」「猿塚」「人魚の海」「破産」「裸川」「義理」「女賊」「赤い太鼓」「粋人」「遊興戒」「吉野山」の12編で構成されています。
 井原西鶴の著作を下敷きに、太宰らしい表現で武士や庶民の生き様を描いています。しかし、太宰独自の斬新な解釈があるかどうかは疑問です。ただ「吉野山」は、茶屋遊びをしても女に好かれず、嫌気がさして出家遁世した男から昔の遊び仲間に宛てた手紙という形式で書かれていますが、秀逸です。

竹青(『大東亜文学』昭和20年1月/『文芸』昭和20年4月号)

お伽草紙(昭和20年10月書き下ろし)
 防空壕の中、父は5歳の娘に桃太郎やカチカチ山、舌切雀などの絵本を読んで聞かせます。しかし、その時父の胸中にはその絵本とは全く別個の新しい物語が描き出されていたのです。
「瘤取り」
 酒飲みで家族でも浮いた存在のお爺さんは鬼に頬の瘤を取ってもらいましたが、金持ちで近所の評判もいいお爺さんは頬の瘤が2つになってしまいました。
 この物語に悪人は出てこないのに、不幸な人は出てしまいました。なぜ? 作者は「性格の悲喜劇」と結論づけています。酒飲みのお爺さんは頬の瘤をそれほど気にしていませんでしたが、金持ちのお爺さんは頬の瘤をとても気に病んでいました。
「浦島さん」
 浦島太郎は饒舌な亀に導かれ、竜宮城へ行きます。
「カチカチ山」
 「カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女に恋している醜男」という設定です。
 以下は、背負った柴に火を付けられて大火傷した狸の独白。この期に及んでの自惚れは滑稽ですが、少し身につまされるところも無きにしも非ずなので、もの悲しい。
 ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思えば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて来たばかりに、女どもが、かえって遠慮しておれに近寄らない。いったいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらいかと思っているのかも知れねえ。なあに、おれだって決して聖人じゃない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思っているらしく、なかなか誘惑してくれない。こうなればいっそ、大声で叫んで走り狂いたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷やけどというものは始末がわるい。ずきずき痛む。やっと狸汁から逃れたかと思うと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいふのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であった。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。
 狸は沈みゆく泥舟の中で兎の悪計にやっと気づきましたが、時すでに遅し。以下はその場面。狸の「惚れたが悪いか」という台詞に対し、兎の「おお、ひどい汗」という台詞はとても冷酷です。そして、あの時の僕も同じだったと、身につまされることがたくさん思い出されました。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言って、ぐっと沈んでそれっきり。
 兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言った。
「舌切雀」
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